『おれは直角』(1991年)(テレビアニメ)

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【原作】:小山ゆう
【アニメの放送期間】:1991年1月5日~1991年10月12日
【放送話数】:全36話
【放送局】:フジテレビ系列
【関連会社】:読売広告社、スタジオぴえろ

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■ 概要

◆ 作品の立ち位置:時代劇なのに“学園もの”として走り出す異色作

『おれは直角』は、幕末の長州藩を舞台にしながら、刀や身分の重みだけでなく「学ぶこと」「鍛えること」「仲間とぶつかり合うこと」を“学校生活”のテンポで描いていく、痛快さが売りの時代劇コメディだ。主人公の石垣直角は、家柄としては決して華やかではない。それでも、胸の中に一本通った規矩(きく)を握りしめ、周囲の常識や見栄を真正面から揺さぶっていく。ここでの魅力は、歴史の大事件を重く語る方向ではなく、「若者たちが集められた学び舎」という閉じた空間に、直角という“角度の変え方を知らない異物”を投げ入れ、そこから生まれる騒動を連鎖させていく構造にある。明倫館という名門校は、エリート意識、序列、面子、作法といった“型”で固められた世界だが、直角はその型に合わせて器用に立ち回るより、型そのものをまっすぐ押し返してしまう。結果として、衝突が起き、誤解が生まれ、しかし最後には「認めざるを得ない変化」だけが残る――この流れが一話完結的な笑いと、継続的な成長物語の両方を支える。作品がやっていることは、武士道を説教にせず、笑いの推進力に変えることだ。直角の言動は、ときに幼く見えるほど単純だが、その単純さが、周囲の打算や逃げ道を露わにする。だからこの作品は、時代劇の衣装をまといながら、学園ドラマの快感――“空気が変わる瞬間”――を繰り返し見せるタイプのアニメになっている。

◆ 原作からアニメへ:連載の持ち味を“テレビの30分”へ組み替えた感触

原作は小山ゆうによる漫画で、1970年代に『週刊少年サンデー』で連載された初期代表作として知られる。 この原作の持ち味は、史実の再現よりも「時代の空気を借りた青春劇」に寄せているところで、直角が起こす騒ぎが、権威や既得権を笑い飛ばすカタルシスとして機能する。アニメ版はそこを丁寧に拾い、30分枠の中で“落語のオチ”のように話を締めつつ、直角の人間味を積み上げていく。つまり、毎回の事件は小さくても、直角が周囲に残す“跡”は少しずつ大きくなる作りだ。名門校という舞台設定は、登場人物の立場の違いをはっきりさせる装置でもある。上級藩士の子、改革気質の者、遊び半分の者、過去の挫折を抱える者――そうした若者が同じ屋根の下に押し込められ、規律で縛られる。そこへ、規律を守るために“真っ直ぐ過ぎる”直角が入ってきて、誰よりも規律を体現するのに、同時に誰よりも規律を壊してしまう。この逆説が、原作の漫画的な誇張をアニメのリズムに変換する核心になっている。

◆ 放送情報:1991年の土曜夕方、家族で見られる“時代劇コメディ”として定位

テレビアニメとしては、1991年1月5日から同年10月12日までフジテレビ系列で放送され、放送枠は土曜18:30〜19:00。全36話というまとまりのよさもあり、春・夏をまたいで“夕方の定番”として走り切った作品と言える。 この時間帯は、子どもが主役の冒険やギャグが強い一方で、家族が同じ画面を見ても成立する“分かりやすさ”が求められやすい。『おれは直角』は、難解な政治劇に踏み込まず、身分社会の理不尽さも説教にしない。直角というキャラクターのまっすぐさが状況をひっくり返すため、見ている側は「理屈より先に痛快さ」を受け取れる。結果として、時代劇の用語や作法が分からなくても、キャラの関係性だけで話が追える設計になっている。しかも舞台が学校である以上、視聴者の生活感覚(先生、同級生、先輩後輩、部活の空気、名門への憧れと反発)に接続しやすい。時代は幕末でも、感情は“今の教室”に近い――その橋渡しが、放送枠の要請に噛み合っていた。

◆ 制作面:スタジオぴえろらしい“表情芝居”とテンポで、直角の面白さを増幅

アニメーション制作はスタジオぴえろ(現・ぴえろ)が担当。 この座組が活きるのは、直角の身体能力や剣の動きだけではなく、顔の変化、間、リアクションといった“芝居の誇張”をギャグとして成立させるところだ。ぴえろ作品の強みは、キャラクターの表情が状況の空気を説明してしまう点にある。直角が怒る、呆れる、燃える、ぽかんとする――その一瞬の変顔や目線の切り替えが、台詞以上にテンポを作る。時代劇の殺陣が主目的ではないこの作品にとって、ギャグの速度と見やすさは命綱で、作画の“抜き差し”が視聴体験を軽くしている。さらに、明倫館という閉鎖的な空間は、画面構成も分かりやすくする。廊下、道場、教室、門前、城下町――よく使う場所が定着すると、視聴者は背景を読む負担が減り、キャラの掛け合いに集中できる。その結果、直角が規律に突っ込む瞬間がより際立つ。

◆ スタッフ・キャストの骨格:主人公の“声の勢い”が作品の推進力になる

主要スタッフとして、監督は案納正美、シリーズ構成は小山高生、音楽は本間勇輔などが挙げられている。 そして作品の印象を決定づけるのが、主人公・石垣直角の声を担当する坂本千夏の存在感だ。 直角は“正しさ”を掲げるキャラクターだが、その正しさは堅物の説教臭さと紙一重になりやすい。ここで声が持つ役割は大きく、坂本の声色は、直角の真面目さを硬直ではなく“勢い”として聞かせる。つまり、直角がまっすぐなのは融通が利かないからではなく、迷いを引きずらないからだ、という印象に変換してくれる。周囲のキャラクターも、身分の高さや年長者としての威圧感、あるいは同世代の嫉妬や憧れが、声の質感で分かるように配置されている。田中真弓、子安武人、折笠愛、青野武、滝沢久美子、大平透、永井一郎、大谷育江、緒方賢一らの名前がキャストとしてまとまって並ぶと、作品が“賑やかな群像劇”として成立するための土台が見えてくる。

◆ 作品が残った“扱いやすい遺産”:全話パッケージ化で再訪しやすいタイプ

全36話という区切りの良さは、後年の視聴環境にも向く。実際にDVD-BOX(9枚組)が2005年4月28日に発売されたことが確認でき、まとまった形で再鑑賞できる導線が用意された。 この種の“完走しやすい作品”は、懐かしさで戻ってきた視聴者にとって強い。途中から見ても面白い一話完結の軽さがあり、最初から追えば、直角が周囲を変えていく連続性も見える。さらに、時代劇コメディは流行語や当時の社会ネタに寄りかかりすぎると古びやすいが、『おれは直角』は「正面から生きる少年が、周囲の空気を動かす」という普遍的な骨格が中心にあるため、作品の古さが“味”として残りやすい。幕末という舞台は、単なる装飾ではなく、身分や規律という“壁”を可視化する役目を担う。その壁があるから、直角の一歩が大きく見える。今見返しても、直角が突き抜ける瞬間の快感は、時代を超えて届きやすいだろう。

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■ あらすじ・ストーリー

◆ 幕末長州の“名門校”へ:直角が放り込まれるのは、刀より面子がうるさい世界

物語の出発点は、幕末の長州藩という揺れ動く時代の中でも、より“内側の秩序”が強く残る武家社会だ。主人公・石垣直角は、格式の高い家に生まれたわけではない。それでも幼い頃から、武士としての身の立て方、言葉遣い、礼法、そして何より「筋を曲げない」ことを叩き込まれて育つ。直角にとって武士道は、格好をつけるための飾りではなく、呼吸のようなものだ。だからこそ彼は、周囲が“都合”で角度を変える場面に出会うたび、反射的に正面からぶつかってしまう。そんな直角が、あるきっかけで藩の名門校・明倫館へ進むことになる。明倫館は、将来の家老や要職を担う家柄の子弟が集まる、言ってみれば「藩のエリート工場」だ。家柄と実績が空気のように人を押し潰し、勝手に序列が決まる場所で、直角のような“下から来た新入生”は存在自体が異物になる。ここで面白いのは、直角がその差に怯えないことだ。彼は自分の境遇を卑下して同情を求めることもしないし、逆に反発して斜に構えることもしない。まっすぐ入ってきて、まっすぐ見て、まっすぐ言う。その単純さが、名門の空気にひびを入れる第一歩になる。

◆ 衝突の連鎖:勝ち負けより“曲げない姿勢”が騒動を呼ぶ

明倫館で待っているのは、単なるいじめや嫌がらせの一言では済まない、身分社会ならではの“見えない圧”だ。上級藩士の子弟は、礼儀を盾にして他者を値踏みし、規則を盾にして排除を正当化する。だが直角は、規則を守ること自体にはむしろ肯定的で、怠けや不正をごまかす方を嫌う。つまり、彼は「規則を使って人を押さえつける側」と「規則を踏みにじる側」の両方に噛みついてしまう。これが騒動の火種になる。たとえば、道場や稽古の場面では、勝つための立ち回りや、見栄えのよい振る舞いが重視されがちだが、直角は“筋が通っているか”を基準にする。形式だけ立派で中身が伴わない相手には容赦がないし、逆に身分が低くても努力している者には自然に敬意を払う。その結果、直角は敵を作る一方で、妙な形の信頼も獲得していく。彼の戦いは、腕っぷしの強さだけで終わらない。負けた相手の心に「負けたのに納得してしまう」ものを残し、周囲がそれを見て空気を変えていく。ここで物語は、ただの痛快時代劇ではなく、学園ドラマのように“人間関係の座標が動く”面白さを生み出している。

◆ 仲間が増えるほど、事件は大きくなる:直角は中心であり触媒でもある

直角の周りには、最初から味方が揃っているわけではない。むしろ、敵対する先輩、見下してくる同級生、事情を抱えた町人仲間、家の事情で身動きが取れない者、好奇心で近づいてくる者など、立場の違う人間が次々と絡み合う。直角は誰かを支配したいわけではないが、放っておけば終わる小さな揉め事にも首を突っ込み、火を消すつもりが逆に燃え広がらせることもある。ただ、彼がそうする理由は単純で、目の前の不条理を見過ごせないからだ。いわば直角は“触媒”で、触れた相手の本音や弱さを引きずり出してしまう。明倫館内部の派閥争い、先輩たちの意地、名門としての体面を守ろうとする大人の思惑――そうしたものが、直角が来た途端に表へ出る。だが同時に、直角の一貫した態度は、周囲に「自分は何を守りたいのか」を問い返す。敵だった相手が、ある事件を境に協力者へ変わる展開が出てくるのも、直角が“優しさ”で丸め込むのではなく、“筋”で説得してしまうからだ。ストーリーの気持ちよさは、勝利の瞬間そのものより、直角の振る舞いに触れた人間が、照れながら少しだけ変わるところにある。

◆ 幕末という時代の熱:大事件を語らずに、時代の揺れを肌で見せる

本作の幕末描写は、史実の人物や戦を中心に据えて重厚に進むタイプではない。むしろ、城下の空気、武家と町人の距離、蘭学や西洋文化への憧れと胡散臭さ、藩内の序列が生む息苦しさといった“生活の温度”で時代を感じさせる。明倫館で学ぶ内容も、ただの勉強ではなく、武士としての生き方に直結しているから、登場人物は皆、将来の立場を意識してしまう。だからこそ、直角のように「今、目の前の筋」を優先する生き方は、周囲にとって眩しくもあり危なっかしくもある。物語はこの緊張感を、説教ではなく笑いに変える。直角が融通の利かない言動で場をひっくり返し、権威ある者が面目を失い、しかしその後に意外な尊敬が芽生える――そういう循環が、時代の息苦しさを軽やかにほどいていく。幕末という“変わらざるを得ない時代”に、直角という“変わらない少年”がいることで、皮肉にも周囲が変わっていく構造が浮かび上がる。

◆ 一話ごとの山と、全体の流れ:騒動の積み重ねが“明倫館の物語”へ育つ

各話は基本的に、明倫館や城下で起きる事件を軸に進む。決闘騒ぎ、規律違反の疑惑、先輩の因縁、町人仲間のトラブル、身分の壁が原因の誤解、権力者の横槍など、きっかけは様々だが、最終的には直角が“直角らしい”決着を付ける方向に収束する。ここで大事なのは、直角が万能の正義として描かれないことだ。彼の正しさは、時に周囲を困らせ、誤解を招き、本人も痛い目を見る。それでも彼は曲げない。その姿勢が、視聴者にとっての爽快感になるだけでなく、作品全体の芯にもなる。話数を重ねるほど、直角の周りに集まる人間関係が厚くなり、明倫館そのものが一つの“共同体”として見えるようになる。最初は直角を排除したかった者が、次第に彼を必要とし、あるいは自分の弱さを直角に見抜かれて向き合わざるを得なくなる。こうして、単発の騒動が積み上がり、最後には「直角が明倫館に何を残したのか」という大きな物語に繋がっていく。痛快さの裏側で、若者たちが自分の立場や誇りと折り合いを付けていく――その成長の線が、ストーリーの読み応えを支えている。

◆ まとめ:直角の物語は“刀の強さ”ではなく、“曲がらない心”が時代を動かす話

『おれは直角』のストーリーは、主人公が強いから勝つ、という単純な勝利譚ではない。直角が強いのは、剣の腕ももちろんだが、それ以上に、逃げ道を作らない心の姿勢にある。名門校という箱の中で、身分や体裁が人を縛るほど、直角のまっすぐさは騒動を生む。だがその騒動は、壊すための騒動ではなく、曇った空気を晴らすための嵐でもある。笑って見ているうちに、誰が本当に立派で、誰がただ偉そうなだけなのかが浮き彫りになる。その手触りが、この作品のストーリーを最後まで走らせる推進力になっている。

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■ 登場キャラクターについて

◆ 石垣直角:小さな体に“曲がらない芯”を詰め込んだ主人公

直角という主人公の面白さは、強い・正しい・熱い、という少年主人公の要素を持ちながら、それが“格好良さ”で完結しない点にある。彼は自分を大きく見せるために振る舞うのではなく、むしろ真面目さが先に立ってしまって、周囲から見ると突拍子もない行動に映ることが多い。たとえば名門の空気に馴染むための礼儀作法や根回しを「知らない」のではなく、「それで筋が曲がるなら嫌だ」と無意識に拒否してしまう。その結果、直角はしばしば誤解され、笑われ、敵視される。それでも彼は折れない。大事なのは、直角が“相手を屈服させたい”タイプではないところだ。彼の勝負は、勝った後に相手を見下す方向へ行かず、むしろ「お前にはお前の意地がある、なら正面から来い」という、奇妙な公平さを残す。視聴者の印象に残りやすいのは、この“勝ったのに嫌味がない”感触だ。加えて直角は、身体の小ささを武器に変えるような敏捷さが描かれ、動きそのものがギャグにもなる。剣の扱いが上手いだけではなく、直角らしい切り方や身のこなしが「また始まったぞ」というお約束として期待され、そこに毎回小さな変化が付く。主人公が毎回勝つ物語は単調になりがちだが、直角の場合は勝敗よりも“勝ち方”と“勝った後に残す空気”が違うので、同じ構造でも飽きにくい。視聴者から見れば、直角は理想の少年というより、理想を現実にぶつけてしまう危うさも含めた“手のかかる光”であり、その危うさが作品の騒動を呼び続けるエンジンになっている。

◆ 貴杉じゅん:上から目線で始まり、誇りを持った協力者へ変わる存在

じゅんは、身分の高さや教養、周囲からの評価といった“守られた価値”を背負って登場するタイプだ。最初は、直角の出自や立ち回りを見て、無礼さや野暮さとして処理してしまう。つまり彼女にとって直角は、名門の空気を乱す厄介者であり、同時に「自分の世界に入ってこない異物」でもある。だが物語が進むにつれ、じゅんの印象は反転していく。直角は礼儀を知らないのではなく、礼儀を“飾り”にする態度を嫌うだけだと分かる瞬間が来る。さらに、直角が本気で勝負するときの集中力や、勝った後に相手の誇りを踏みにじらない態度に触れたとき、じゅんは“負けを認める”という選択をする。ここが彼女の格好良さで、ただツンとしたお嬢様が丸くなるのではなく、誇りを守ったまま態度を改める。その過程が、視聴者にとって気持ちいい。印象的な場面としては、直角の実力を認めざるを得ない局面で、周囲の空気に流されず、本人の判断で直角側に立つような瞬間が記憶に残りやすい。じゅんは“ヒロイン枠”としてだけでなく、名門側の価値観を代表するキャラクターでもあるため、彼女が変わること自体が、明倫館の空気が変わる合図にもなる。視聴者の感想としては、序盤のとげとげしさがあるからこそ、後半の頼もしさが映える、という受け止め方が強くなりやすいタイプだろう。

◆ 北条照正:嫉妬と虚勢で暴れながら、“友達”の形を学んでいく少年

照正は、わがままさや派手な言動が目立つが、その芯には「自分が特別であるべき」という強迫的な思い込みがある。祖父に溺愛されて育った環境は、照正に自信を与えた反面、他者との距離感を歪めてもいる。直角のような、家柄で勝負しない相手が人気を集めると、照正はそれを“奪われる恐怖”として受け止めてしまう。だから初期の照正は、直角を試すのではなく、潰そうとする方向に動きやすい。だが、この作品が面白いのは、直角が照正の嫌がらせに対し、同じ土俵で陰湿にやり返さない点だ。直角は照正を敵と決めきらず、何度突っかかって来ても「友達」と言い続けるような、空気を読まない優しさを見せる。照正はそれに最初は苛立つが、次第に、その言葉が自分を縛っていた“特別でなければならない鎧”を緩めていく。視聴者にとって照正は、憎めない騒動メーカーとして機能する。彼が暴れるほど話は動き、笑いが増え、しかし時々ふっと見せる弱さが、キャラを単なるギャグ役にしない。印象的なシーンは、照正が直角に負けたり恥をかいたりした後に、悔しさを隠しきれず、それでも直角の態度に救われる場面だ。視聴者の感想としては、最初はうるさいが、見ているうちに“成長枠”として愛着が湧く、という流れになりやすい。照正が変わるほど、直角の「まっすぐさ」の説得力も強まるため、二人の関係は作品の縦軸を支える。

◆ 月形・郷慎太郎:不良の威圧感から“仲間の厚み”へ、直角の鏡になる先輩たち

月形は、明倫館の上級生として“力の秩序”を握っている側で、最初は直角にとって越えるべき壁として立ちはだかる。傍若無人に見えるが、ただの悪役ではなく、プライドの高さと努力の質感が描かれるのがポイントだ。直角に敗れた後、悔しさを言い訳で処理せず、次は破るために鍛える――この姿は、直角のまっすぐさとは別の角度で“筋”を感じさせる。視聴者にとって月形は、敵のまま終わらない格好良さがある。直角が強いだけなら話は単純になるが、月形が“負けても終わらない”ので、勝負の重みが増す。一方、郷慎太郎は、月形の影にいるようでいて、直角と関わることで一段深い“人間の揺れ”を見せやすい。最初は不良的な空気に染まり、力の側に立ってしまうが、直角に敗れる経験が屈辱ではなく転機になる。彼が直角を理解し、支える側に回ると、作品の世界に安心感が生まれる。印象的な場面は、郷が直角の“正論”をただ褒めるのではなく、直角の危うさも含めて面倒を見るような場面だ。視聴者の感想としては、月形はライバル枠、郷は兄貴分枠として人気が分かれ、どちらも“直角の世界を広げる装置”として評価されやすい。

◆ 石垣家と城下の仲間たち:直角の“日常”を支え、笑いと温度を補給する存在

直角の家族は、主人公のまっすぐさを生んだ土台として描かれつつ、物語に生活感のギャグを持ち込む役目も担う。父は、息子の騒動に振り回され、気苦労から極端な行動に出ようとするなど、ある種の大げささで笑いを作る。一方で母は、父とは違う角度で直角を見守り、直角の存在を肯定する柔らかさを持つ。家の場面が挟まることで、明倫館の張り詰めた空気が緩み、視聴者も呼吸ができる。さらに城下の町人仲間は、武家社会の外側から直角を映す鏡になる。身分の壁があるからこそ、町人との交流は時にトラブルを生むが、同時に直角の価値観が“武家の常識”だけではないことを示してくれる。幼なじみ的な存在や、気のいい仲間がいることで、直角は孤立せずに済むし、視聴者も直角を「ただの頑固者」ではなく「人に囲まれる人柄」として受け止めやすくなる。印象的なシーンとしては、城下での小さな事件が明倫館へ波及し、直角が武家の理屈と町人の理屈の間で、結局“筋”でまとめてしまうような場面が挙げられる。視聴者の感想としては、重くなりそうな身分差の話を、城下の明るさが軽やかにしてくれる、という評価が出やすい。

◆ 作品全体としてのキャラクターの味:直角を中心に“嫌な奴”が“面白い奴”へ変わっていく

『おれは直角』のキャラクター描写の強みは、敵味方を固定しないことだ。初登場で鼻につく人物ほど、後に魅力が出る余地がある。直角の価値観は、相手を論破して終わりではなく、相手の誇りを引きずり出す方向に働くため、衝突の後に関係が再構築されやすい。だから視聴者も、序盤の印象だけでキャラを切り捨てにくい。むしろ「こいつは次にどう変わるのか」を楽しむ見方になる。印象的な場面は、直角の言葉や行動がきっかけで、誰かが一瞬だけ素直になり、すぐ照れて取り繕うような瞬間だ。そういう“照れ”が多い作品は、キャラが生きている感じが出る。好きなキャラが分かれやすいのもこの作品の特徴で、直角の直球さを推す人もいれば、照正の騒々しさの裏の弱さに惹かれる人、じゅんの誇り高い変化を推す人、月形や郷の先輩的な格好良さに惹かれる人もいる。キャラ人気が一本化しないのは、直角の周りに“変化する人物”が多いからで、視聴者の感想でも「最初嫌いだったのに、いつの間にか好きになっていた」というタイプの声が出やすい構造になっている。

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■ 主題歌・挿入歌・キャラソン・イメージソング

◆ 主題歌が作品の“顔”になるタイプ:歴史ネタ×コメディの勢いで一気に掴む

『おれは直角』の音楽面でまず強烈なのは、オープニングとエンディングが「時代劇らしさ」よりも「学園コメディらしさ」を前面に出し、番組が始まった瞬間に空気を明るく切り替える設計になっている点だ。OPは“勉強”をモチーフにしたコミカルなノリで、幕末や武士という舞台に身構える前に、視聴者を軽いテンポへ連れ出す。 一方でEDは、余韻を残す方向に舵を切り、騒動続きの30分の後に「今日のドタバタも、結局は人と人の距離の話だったな」と思わせる温度を添える。 つまり主題歌は、作品の“入口”と“出口”を完全に担っていて、直角のまっすぐさを「うるさい正論」にしないためのクッションにもなっている。歴史劇の格式や重さに寄らず、子どもでも口ずさめる軽快さを先に置くことで、「難しい時代劇だから」ではなく「面白そうだから」見てしまう流れを作っているわけだ。

◆ OP「学問のスズメ」:直角の“突撃感”をそのまま音にした、勢い重視の看板曲

オープニング曲は「学問のスズメ」。歌はビジーフォー・スペシャルで、作詞は森雪之丞、作曲は本間勇輔、編曲は村松邦男という布陣が明記されている。 この曲の印象は、とにかく“突っ走る”ことだ。メロディの軽さが先に立つので、視聴者は深く考える前に、明倫館の騒がしさと直角の勢いをまとめて受け取れる。直角という主人公は、礼儀作法や身分社会の空気に正面からぶつかっていくが、OPはその衝突を「説教」ではなく「祭り」に変換してしまう。歴史や年号の要素を遊びとして混ぜ込み、勉強という硬い題材を、むしろ笑いの燃料にしているところがポイントだ。 その結果、作品世界が幕末でも“教室のテンション”で始まる。視聴者側の感覚としては、週末の夕方にテレビをつけた瞬間、いきなり背筋を伸ばされるのではなく、先に肩の力を抜かされる。そのうえで本編に入ると、直角の真面目さがより際立つ――この落差が効いている。

◆ ED「嫌いにならずにはいられない」:ドタバタの後に“人情の手触り”を置く出口の曲

エンディング曲は「嫌いにならずにはいられない」。こちらも歌はビジーフォー・スペシャルで、作詞・作曲・編曲のクレジットもOPと同じ組み合わせで整理されている。 この曲が面白いのは、タイトルの通り“反発しつつも憎めない”感情の置き方が、作品の人間関係と相性が良いことだ。明倫館では、直角が入ってきたことでプライドの高い相手ほど反発し、照正のように嫉妬で暴れる者も出る。しかし直角は、相手を完全な悪役に固定しない。ぶつかり合った後に妙な友情が芽生えたり、嫌な奴が少しだけ素直になったりする。EDはそういう“今日の決着の後に残ったもの”を受け止める容器になっていて、視聴者の気持ちを落ち着かせる役目を果たす。 土曜夕方の枠で、家族が同じ部屋で見ていたとしても、最後に柔らかい余韻が残ると「次も見よう」が作りやすい。EDは本編の続きではなく、視聴者の心の出口に働きかける“後片付けの歌”として機能している。

◆ “ビジーフォー・スペシャル”という人選:ギャグ性と親しみやすさを最短距離で成立させる

主題歌を歌うビジーフォー・スペシャルの起用は、作品の方向性をはっきり示すサインでもある。 もしここに王道のアニソン歌手や重厚な時代劇調の歌が来ていたら、視聴者は“歴史物”として構えてしまう可能性が高い。だが本作は、幕末を舞台にしつつも、基本は学園と城下の騒動で笑わせる作品だ。だから歌も、上手さや格調より先に、耳に残る軽さとキャラの匂いが必要になる。ビジーフォー・スペシャルの声のノリは、その条件を満たしやすい。OPで一気にテンションを上げ、EDで少しだけ肩を落として締める――この振れ幅が、コメディと人情の両方を抱える『おれは直角』の“表情”を作っている。

◆ 劇中BGMの役割:剣や身分より“空気”を操る、場面転換のエンジン

この作品は、殺陣や合戦をシリアスに積み上げるより、明倫館で起きる事件のテンポ、城下での小競り合い、先輩後輩の面子の張り合いなど、“空気”の変化が見せ場になる。そのためBGMも、情緒を深掘りするより、場面のスイッチを切り替えるために使われやすい。たとえば、直角が問題に首を突っ込むときは軽快に、照正が暴走するときは賑やかに、月形や先輩格の威圧感が出る場面では少し硬めに、といった具合に、視聴者が状況を瞬時に理解できるように働く。サウンドトラックCDの収録曲名を眺めるだけでも、「直角参上!!」「事件だ!走れ直角」「決闘」など、動きや笑いを前提にしたトラックが多いことが分かる。 つまり音楽は、ドラマの奥行きを作るより、直角が走り回る世界の“足音”を増幅する役目が強い。結果として、作品全体のテンポが軽く保たれ、時代劇の言葉が分からなくても、音で状況を追える見やすさが生まれる。

◆ 挿入歌・バラエティ要素:歌とセリフの“遊び”で、作品のコミカルさを拡張する

関連音源として知られるCDでは、主題歌の別バージョンやカラオケ、そして劇伴に加え、曲の見せ方に“ひねり”を加えたトラックが並ぶ。たとえば「学問のスズメ(直角ヴァージョン)」や、エンディング曲の別バージョン表記などが確認でき、単にテレビサイズの主題歌を収録するだけでなく、作品のノリを音盤でもう一段遊ぶ方向性が見える。 この手の展開は、90年代初頭のテレビアニメでよく見られた“キャラ性を音で広げる”手法に近い。直角の顔芸や勢いの良さは映像の持ち味だが、音盤側でバラエティ感を足すと、作品の印象が「真面目な時代劇」からさらに離れ、「賑やかなキャラ劇」として固まっていく。視聴者の感想でも、主題歌が耳に残りやすい作品は“思い出の入口”になりやすく、何十年後に作品名を聞いたとき、まず曲が頭に流れるタイプの記憶が形成される。

◆ 楽曲を聴いた視聴者の受け止め方:笑いとノスタルジーを呼ぶ“口ずさみ系”の強さ

主題歌の特徴は、劇中の深刻さよりも、作品のテンションを象徴する方向へ寄っていることだ。そのため、視聴者の受け止め方も「作品の内容を思い出す鍵」として語られやすい。OPは勢いがあり、語感の面白さが先に来るので、当時見ていた層ほど“妙に覚えている”曲になりやすい。 EDは逆に、騒動のあとに残る人情や友情の匂いを拾い、作品の温度を少し下げて締めるため、視聴後の印象を整える役に回る。 結果として、この2曲は、直角という主人公の「突っ込む→ひっくり返す→少し救う」という流れを、音だけでトレースできるセットになっている。作品を知らない人に説明するときも、主題歌の方向性を語るだけで「硬い時代劇じゃないんだな」と伝わりやすい――それくらい音楽が作品の性格を代弁している。

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■ 声優について

◆ 声の設計が“時代劇コメディ”を成立させる:硬さではなく、勢いと間で見せる座組

『おれは直角』の声の魅力は、幕末・武士・名門校といった要素がそろっているのに、作品全体が重く沈まないところにある。ここでは歴史劇の格式を声で積み上げるより、キャラクター同士のぶつかり合いをテンポよく回し、笑いと痛快さを途切れさせないことが優先されている。そのため、登場人物の台詞は「正論を言う」よりも「正面から言い切ってしまう」「勢いで押し切る」「思わず本音が漏れる」瞬間が多く、声優陣はその“角の立ち方”を、嫌味にならない速度とリズムで整えている。名門の空気、身分差の圧、先輩後輩の張り合い――本来なら息苦しくなる素材を、笑える温度に落とし込めているのは、声の方向性が最初からコメディ寄りに統一されているからだ。スタッフ情報として音響監督が水本完であることが明記されており、音作りの段階からテンポ重視の設計だったことがうかがえる。

◆ 石垣直角(坂本千夏):主人公の“まっすぐさ”を説教臭くしない、少年の推進力

直角の声を担う坂本千夏は、主人公の熱さを「堅い正義」ではなく「前へ出る勢い」として聴かせる役割を負っている。直角は筋を曲げないがゆえに、言い方次第ではただの融通の利かない人物に見えかねない。ところが坂本の声色は、直角の真面目さを“頑固さ”へ固定せず、むしろ少年らしい軽さや瞬発力と結びつけることで、直角の行動を「厄介だけど放っておけない」と感じさせる。さらにタイトルコールや次回予告も担当しているとされ、作品の看板としての存在感が一段強い。 視聴者の受け止めとしても、直角は勝ち負け以前に“声が走ってくる”キャラクターになりやすく、彼が画面に出るだけで場が動く感触が残る。時代劇の言葉や所作が分からなくても、直角の声の勢いが状況を説明してしまうので、初見の視聴者も置いていかれにくい。

◆ 北条照正(田中真弓):騒動メーカーの“うるささ”を、愛嬌と成長の余白へ変える

照正は、わがままさ、嫉妬、虚勢が目立つ役どころで、扱いを間違えるとただ騒がしいだけの人物になってしまう。しかし田中真弓の声が入ることで、照正は「困った奴」から「面白い奴」へ滑らかに移行する。 重要なのは、照正の台詞が強いほど、その裏側にある不安や子どもっぽさも透けるところだ。強がっているのに、直角に対しては妙に揺れる。嫌がらせをしているのに、友達と言われると動揺する。こうした“揺れ”は声の表情で伝わると一気に魅力になる。視聴者が照正を許せてしまうのは、単にギャグとして笑えるからではなく、声が「まだ完成していない少年」をちゃんと鳴らしているからだと言える。

◆ 郷慎太郎(子安武人)と先輩格の厚み:強さを見せつつ、物語を支える“落ち着き”の声

直角の周囲には、最初は敵側に見えたり、いかにも厳しい先輩として立ちはだかったりする人物が多い。そうした中で、子安武人が演じる郷慎太郎は、直角の勢いに飲み込まれ過ぎない“受け”として機能しやすい。 物語上、郷の立ち位置は変化しやすく、強面の側にいた人間が直角に触れて角が取れていく過程が描かれるが、その変化を無理なく見せるには、声が最初から一本調子だと難しい。子安の声は、荒さと理性の幅を同居させやすいので、直角と衝突する場面でも、ただ怒鳴るだけにならず「理解し始めている空気」を混ぜ込める。結果として郷は、直角が突っ走るほどに“支え”として立ち上がっていく。視聴者は、直角の爆発力だけでなく、こうした落ち着いた声が入ることで、群像劇としての安心感を得られる。

◆ 大人たちの声が“時代”を支える:青野武・大平透・永井一郎が作る背骨

学園ものの気持ちよさを出すには、生徒側が暴れても世界が崩れない“背骨”が必要になる。『おれは直角』では、石垣小太夫を青野武、立花薫を大平透、北条照盛を永井一郎が担う布陣が、それぞれ違う方向から世界の重みを支えている。 青野の声は父親としての威厳と情けなさを同居させやすく、直角の騒動を家庭側から笑いに変える役を担う。大平の声は、権威だけで押し切る大人ではなく、どこか人間味のある“城下の空気”を混ぜることで、直角たちの世界を固くし過ぎない。永井の声は、家柄や旧い価値観を象徴する側面を持ちながら、単純な悪役にしない深みを付けやすい。こうしたベテランの声が揃うと、若者の騒ぎが大きくなっても、作品全体が安定する。視聴者にとっても、少年たちのわちゃわちゃが“ただの子ども芝居”に見えず、時代の中で動いている感触が出る。

◆ ヒロイン・仲間枠の色付け:折笠愛・大谷育江・滝沢久美子が入れる“柔らかさ”

明倫館の世界は、誇りや序列で空気が尖りやすい。そこに柔らかい温度を差し込むのが、折笠愛(貴杉じゅん)、大谷育江(綾乃)、滝沢久美子(石垣香苗)といった声の役割だ。 折笠の声は、気位の高さを保ったまま変化できるので、じゅんが直角を認める場面が“負けて丸くなる”ではなく“誇りを守って態度を改める”ように聴こえる。大谷の声は、城下側の親しみやすさを自然に担え、武家社会の硬さを中和する。滝沢の声は、家庭の場面に温度を置くことで、直角のまっすぐさが家庭内でどう受け止められているかを優しく伝える。こうした柔らかい声があると、直角の正面突破が続いても視聴者は疲れにくく、作品が“笑って見られる時代劇”として保たれる。

◆ ナレーションや脇役の効き:説明ではなく、テンポを守るための声の配置

作品情報としては、ナレーションを西村知道が担当する記載も見られる。 時代劇コメディでナレーションが効くのは、歴史背景を長々と説明するためというより、場面の切り替えを素早く済ませるためだ。視聴者が理解に迷いそうな箇所を一言で整え、すぐにキャラの掛け合いへ戻す。これができると、作品は“説明で止まらない”。また、月形(二又一成)、ニコピン(松本梨香)など脇役のキャスト情報も挙がっており、騒動の種類を増やすための声の手札が多いことが分かる。 脇役が元気だと、直角が動かなくても話が転がる。逆に直角が動くと、脇役が大きく反応してさらに笑いが増える。この循環が、全36話を飽きさせないリズムに繋がっている。

◆ 視聴者の記憶に残る“声の相性”:直角中心の群像劇を、キャストの当たりで固めた強み

キャスト一覧として、坂本千夏、青野武、滝沢久美子、大平透、田中真弓、永井一郎、緒方賢一、子安武人、折笠愛、大谷育江などがまとめて提示されており、主役級とベテランのバランスが良いことが見て取れる。 このバランスは、作品の性格そのものに直結する。直角はまっすぐで、照正はうるさく、先輩は怖く、大人は重く、家庭は温かい――それぞれが別の色の声を持っているから、場面ごとの温度差がはっきりし、視聴者が感情を乗せやすい。特に、嫌な奴が後で好きになっていくタイプの作品では、声が最初からキャラを殺してしまうと伸びしろがなくなるが、本作は“最初は刺さる、でも完全には憎めない”音の作りになっている。だからこそ、回を重ねたときにキャラの印象が変わり、声の印象も一緒に更新されていく。見返したときに、序盤の台詞が後半とは違って聴こえる――そういう再発見が起きやすいのも、声優陣の組み合わせがうまく機能している証拠だろう。

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■ 視聴者の感想

◆ “時代劇なのに見やすい”という入口:歴史より先にキャラで引っ張る強さ

『おれは直角』を見た人の感想でまず出やすいのは、「時代劇っぽい舞台なのに難しくない」「武士や幕末の話なのに、構えずに楽しめる」という入口の軽さだ。これは作品が史実の解説や政治劇に寄らず、明倫館という“学校”の箱の中で、人間関係のぶつかり合いを中心に回しているからこそ生まれる手触りである。武家社会の身分差や礼法は、説明される知識というより、キャラクターの態度として示される。視聴者は「偉そうにする先輩」「面子を守りたい大人」「プライドの高い同級生」といった、現代の学園ドラマでも分かる構図として受け取れるので、時代の言葉が多少分からなくても置いていかれない。その上で、直角が真っ直ぐに突っ込むと、場が必ず動く。視聴者の感想としては「直角が出ると空気が変わる」「話のテンポがいい」といった、体感的な面白さが先に立ちやすい。しかも放送枠が土曜夕方で、家族のいる部屋でも見やすい方向へ寄っているため、派手な残酷さや重い絶望で引っ張らない点も「安心して見られる」という評価に繋がりやすい。作品を思い出すとき、歴史の出来事よりも、直角が暴れて周囲が慌てる絵が先に浮かぶ――そういう“キャラの記憶”が残りやすいタイプだ。

◆ 直角への印象:まっすぐ過ぎて迷惑なのに、最終的に好きになってしまう

主人公・石垣直角への感想は、単純な“かっこいい主人公”でまとまらない。むしろ「融通が利かない」「空気を読まなさすぎる」「トラブルメーカーだ」と感じる人も一定数いるはずだ。だが同時に、直角はそのまっすぐさを“人を傷つけるため”に使わない。勝負の後に相手を見下さず、家柄で人を判断せず、損得で逃げ道を作らない。その姿勢が積み重なるほど、視聴者の受け止めは「うるさいけど正しい」「困るけど頼もしい」「結局、直角の味方になってしまう」という方向に寄っていく。直角というキャラクターは、視聴者の中で“評価が変わる”余地を持っている点が面白い。最初は苛立っても、回を重ねるほど「直角がいないと、この世界は息苦しいままだった」と気づく感想が出やすい。つまり直角は、視聴者にとっての快楽が「共感」ではなく「浄化」に近い。自分は直角みたいに生きられないが、直角が代わりにやってくれるとスッとする――そんな代理体験として受け止められる。坂本千夏の声の勢いも相まって、「直角の声を聞くと作品のテンションが戻ってくる」という記憶の残り方をしやすい。

◆ ギャグの温度:顔芸・誇張・言い切りが、90年代初頭の土曜夕方の味として残る

視聴者の感想で語られやすいのが、ギャグの“表情”の濃さだ。スタジオぴえろが制作を担当していることもあり、表情の誇張、リアクションの間、声の大げささが、いわゆる“家族で笑える”方向に調整されている。 直角の顔芸や、周囲が慌てふためくリアクションは、今のテンポに比べると分かりやすく、少し大きめに感じるかもしれない。だがその“大きさ”が、当時の土曜夕方アニメらしい安心感として懐かしさを呼ぶ。視聴者の感想としては「勢いで笑わせる」「小難しいことを言わずにスカッとする」という方向になりやすい。特に、身分社会の理不尽さや、名門の閉鎖性を扱いながらも、最後は笑いで着地する回が多いので、「嫌な話で終わらない」「見終わった後に気が楽」という受け止めが生まれる。直角が怒鳴っていても後味が悪くないのは、怒りが個人の憎しみではなく、“筋”の話に戻っていくからで、そこが作品のギャグの良心になっている。

◆ サブキャラの評価:最初は嫌い、途中で好き、気付けば推しが増える

この作品は、視聴者が「誰が好きか」で話が分かれやすい。直角が中心であるのは当然としても、照正の騒動メーカーぶりが好きな人、じゅんの誇り高い変化に惹かれる人、月形や郷の先輩格の渋さを推す人、城下の仲間の気安さが好きな人、といった具合に、推しが散らばりやすい。キャラクターたちが敵味方で固定されず、関係がゆっくり書き換わるので、「最初は嫌だったのに、今は好き」という感想が出やすい構造だ。特に照正は、初期のわがままさが強烈な分、後半の“人間らしい弱さ”が効いてくる。視聴者側も、ただの悪役として処理できなくなり、「うるさいけど憎めない」「結局かわいい」といった評価に変わっていく。田中真弓の声の愛嬌が、その変化を後押しする。 じゅんも同様で、上から目線で始まりながら、直角の実力を認めた後に“誇りを守ったまま協力する”側へ移るため、「成長が気持ちいい」「ちゃんと強いヒロイン」という感想に繋がりやすい。 群像劇としての評価は、こうした“印象の更新”がどれだけ起きるかにかかっていて、本作はその更新が起きやすい。

◆ 物語の受け止め:強さの話ではなく、空気が変わる話として刺さる

視聴者が作品を振り返るとき、「直角がどれだけ強かったか」より、「直角が来たことで明倫館の空気がどう変わったか」に印象が寄ることが多い。これは、本作の痛快さが勝負の勝敗よりも、勝った後の“納得”にあるからだ。直角は、相手を潰して終わりではなく、相手の誇りや意地を表に出してしまう。だから、敗者がそのまま消えず、次の回で別の形で関係が続く。その積み重ねが、作品全体の満足感を作る。視聴者の感想としては「最後にはみんな直角に巻き込まれて変わっていくのが楽しい」「名門の堅さがほぐれていくのが気持ちいい」といった、人間関係の変化を褒める方向になりやすい。幕末という時代設定も、史実の勉強ではなく、身分や規律という“壁”を見せる装置として受け止められるので、「時代劇なのに身近」「学校の話として見られる」という感想が出る。

◆ 映像・作画・演出の印象:派手さより“分かりやすさ”が評価されるタイプ

アニメとしての絵柄や演出は、超絶作画で圧倒するより、表情と動きで笑いを取る方向に寄っている。ぴえろ制作という点も含め、視聴者の印象は「表情が強い」「リアクションが大きくて分かりやすい」「テンポがいい」という評価になりやすい。 逆に言えば、シリアスな歴史劇のような緊張感や重厚な映像美を期待すると、軽く見える可能性はある。ただ本作は、軽さが目的であり、軽いからこそ続けて見られる。90年代初頭のテレビアニメらしい、見やすい色彩と分かりやすい動きは、今の目で見ると“素朴”に見えることもあるが、その素朴さが「懐かしい」「ちょうどいい」として肯定的に語られやすい。

◆ まとめ:笑って見られるのに、後から“直角の正しさ”が残る作品として語られる

視聴者の感想をまとめると、『おれは直角』は「歴史を知らなくても楽しめる」「テンポが良くて気軽に見られる」「キャラが回を重ねて好きになる」という評価に落ち着きやすい。直角はまっすぐ過ぎて迷惑にも見えるが、その迷惑さが周囲の空気を変える力になっている。だから、見終わった後に残るのは、勝ち負けの記憶というより、「こういう奴が一人いると世界が変わる」という感触だ。土曜夕方の30分で、笑いと痛快さと人情をまとめて渡してくる――そんな作品だった、という受け止め方が最終的に強く残りやすい。

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■ 好きな場面

◆ “名シーン”が生まれる仕組み:勝ち負けより、空気が反転する瞬間が刺さる

『おれは直角』で語られやすい好きな場面は、いわゆる大事件や歴史の転換点ではなく、「教室や道場の空気がひっくり返る瞬間」に集まりやすい。理由は単純で、この作品の快感は、直角が強いから勝つ、ではなく、直角が“曲げない”から周囲が変わる、というところにあるからだ。明倫館は名門であるがゆえに、体面や序列が常に優先され、個々の感情が押し潰されやすい。そこへ直角が入ってくると、押し潰されていた本音が露出し、誰かが恥をかき、誰かが覚悟を決め、結果として空気が入れ替わる。好きな場面として記憶に残るのは、その“入れ替わり”の瞬間だ。視聴者側は、直角の行動に共感するより、「自分では言えないことを、直角が言ってくれた」「自分ではできないことを、直角がやった」という代理体験に近いカタルシスを得る。だから名シーンは、直角が格好良く決めた絵よりも、直角が突っ込んだ結果、周囲が一斉に沈黙するような間や、権威ある者が言い訳できなくなる瞬間に宿りやすい。ここでは“筋”が通ったときの静かな勝利が、派手な必殺技より気持ちいい。

◆ 初期の痛快シーン:入学直後、名門の常識を一度で崩す“最初の一撃”

好きな場面でよく挙がりやすいのは、直角が明倫館に入った直後、名門側の常識と真正面から衝突するエピソード群だ。序盤は、直角がまだ“よそ者”として扱われ、上級生や上流階級の生徒たちが、彼を試すように圧をかけてくる。ここで直角がやるのは、上に媚びることでも、黙って耐えることでもない。「筋が違う」と思った瞬間に言い切り、必要なら勝負で示してしまう。視聴者が気持ちよく感じるのは、直角の行動が復讐や仕返しではなく、ただ“正面から”である点だ。相手を貶める計算がないから、逆に相手は逃げ道を失う。名門の空気に慣れた者ほど、自分の立場で相手を押さえつけることに慣れているが、直角は立場を使わない。だから、序盤の名シーンは「立場の強さが通用しない」瞬間として残る。視聴者の記憶では、直角が一度勝った、という事実より、その場にいた者たちの表情が変わったこと――つまり“空気が折れた”ことが強烈に残りやすい。

◆ 道場・稽古の名場面:勝つことより、勝った後の態度が“本当の決着”になる

直角が活躍する場面として定番なのが、道場での稽古や決闘のシーンだ。ただし『おれは直角』の好きな場面は、剣の技の派手さではなく、勝負の“締め方”に寄りやすい。直角は勝っても相手を見下さず、むしろ相手の誇りを引き出してしまう。だから視聴者は、勝負が終わった後の沈黙や、敗者が悔しさを飲み込みつつも直角を認める瞬間に、いちばん強い満足感を覚えやすい。特に月形のようなプライドの高い先輩格が絡む回では、「負けたら終わり」ではなく「負けた後にどうするか」が描かれるため、名場面が二段構えになる。直角が勝つ→相手が悔しさを抱えて鍛え直す→次に別の形で助ける、という流れが続くと、好きな場面としては「相手が変わる瞬間」が選ばれやすい。視聴者は、直角の強さよりも、直角に負けた相手が“逃げずに立ち上がる”瞬間に痺れる。これは学園ドラマとしての快感であり、剣豪物の快感とは少し違う。

◆ 照正との関係が動く回:騒がしい因縁が“友達の形”へ変わる転機

照正が関わるエピソードは、好きな場面が多い。理由は、照正が最初から好かれるタイプではなく、嫌味や嫉妬が強く、トラブルを増幅させる役だからだ。そういうキャラが変化する瞬間は、視聴者の心を掴みやすい。名シーンとして残るのは、照正が直角に負ける瞬間より、負けた後に直角の態度に触れて揺れる場面だ。直角は照正を敵として突き放さず、何度突っかかって来ても「友達」という言葉を投げ続ける。照正はそれを最初は苛立ちとして受け取るが、ある回でその言葉が、意地を張り続ける自分を救ってしまう。視聴者が好きな場面として語りやすいのは、照正が素直になりかけて、すぐ照れて取り繕う瞬間や、直角に助けられたことを認めたくないのに認めざるを得ない瞬間だ。そこには、ギャグの笑いと、人情の温度が同時にある。田中真弓の声の表情も相まって、「うるさいだけじゃない」と感じた瞬間が、そのまま名場面として残りやすい。

◆ じゅんが“認める”場面:上からの評価ではなく、誇りを守った承認が胸に残る

貴杉じゅんに関する好きな場面は、彼女が直角を見下していた空気が反転するタイミングに集中しやすい。じゅんは身分の高さや気位を背負っているため、態度を変えることが“負け”として見えてしまう危険がある。だが作品は、じゅんが直角を認めることを、敗北ではなく、誇りある判断として描く。視聴者が好きな場面として記憶するのは、じゅんが周囲の噂や圧に流されず、自分の目で直角の実力や人間性を見て、立場を変える瞬間だ。ここは学園ものの“良い変化”が凝縮される。名門の世界で、強い者に媚びるのではなく、筋が通る方へ寄る――この動きは、作品全体のテーマとも一致し、視聴者にとって爽快感が大きい。じゅんの好きな場面は、直角と共闘する派手さよりも、「言い切る」「認める」「一歩前に出る」といった、短い決断の瞬間に宿りやすい。

◆ 大人が揺れる回:権威が滑稽になり、でも完全には否定されない“人間味”の名場面

『おれは直角』の面白さは、子どもだけが成長する話にせず、大人側も揺らぐところにある。好きな場面として語られやすいのは、家老格や上役、あるいは家庭の大人が、直角の行動に振り回されて本音を漏らす瞬間だ。大人は立場がある分、言い訳や建前で逃げやすい。しかし直角は、立場を尊重しつつも、筋が曲がれば遠慮なく突っ込む。すると大人側も、いつもの“威厳の仮面”が剥がれてしまう。視聴者が気持ちよく感じるのは、権威がただ叩き潰されるのではなく、滑稽になりながらも人間味が見えるところだ。つまりこの作品は、大人を完全な悪として断罪しない。だから名場面も、悪役を倒す爽快感より、「大人が少しだけ素直になる」瞬間に寄る。父親が息子に振り回されて極端なことを言い出し、母がそれを軽くいなし、直角は直角でまっすぐ返す――家庭パートのこうした掛け合いも、好きな場面として記憶されやすい。

◆ 最終回周辺の余韻:大げさに泣かせず、“直角が残したもの”で締める感触

最終回の感想として残りやすいのは、感動で泣かせる大団円というより、「いつもの調子なのに、いつもと違う」と感じる余韻だ。全36話というまとまりの中で、直角が積み上げてきたもの――敵だった相手が仲間になり、名門の空気が少し柔らかくなり、照正やじゅんの態度が変わり、先輩たちの誇りの向け先が変わる――そうした変化が、最後に“当たり前の風景”として見える瞬間が名場面になりやすい。視聴者は派手な別れより、「直角がいないと困る世界になっている」ことに気付いて胸が熱くなる。直角は何かを達成して偉くなるのではなく、周囲の人間の角度を変えていった。だから締めも、英雄譚ではなく、共同体の物語として響く。好きな場面としては、誰かが直角に対して素直な言葉を言いかけて、結局照れて言い直すような、ささやかな瞬間が選ばれやすい。そこにこの作品の“らしさ”が凝縮される。

◆ まとめ:名場面は“直角が勝った場面”ではなく、“直角が空気を変えた場面”に集まる

『おれは直角』で好きな場面が語られるとき、それは必殺技の瞬間や大事件の解決より、直角のまっすぐさが周囲の心を動かし、空気が反転する瞬間に集まりやすい。入学直後の最初の衝突、道場での決着の後、照正やじゅんの態度が変わる転機、大人が揺れる瞬間、最終回の余韻――どれも“勝利”というより“変化”の場面だ。直角という少年の存在が、名門の世界に風穴を開ける。その風が吹いた瞬間こそが、視聴者の記憶に残る名シーンになっていく。

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■ 好きなキャラクター

◆ “推し”が割れる作品:主人公一点集中ではなく、変化する人物ほど愛着が増える

『おれは直角』で好きなキャラクターが語られるとき、直角が主人公として強いのは当然としても、意外と票が散りやすい。理由はシンプルで、登場人物の多くが「最初の印象のまま終わらない」からだ。序盤では鼻についたキャラが、回を重ねるほど憎めなくなり、気付けば一番応援していた――そういう“感情の更新”が起きやすい。直角は最初から直角で、筋の通り方が変わらない。だからこそ、周囲が変わる幅が目立ち、好きなキャラとしては「変化が気持ちいい人」に寄りやすくなる。また本作は、敵味方の線引きが固定されず、対立→理解→共闘という流れを何度も繰り返す。視聴者はその都度「この人、こんな顔もするのか」と発見し、好きが積み上がる。好きなキャラが一本化しないのは、作品の厚みそのものだと言える。

◆ 石垣直角:推しというより“中心”として好きになる、まっすぐ過ぎる風穴

直角を好きだと言う人の理由は、カリスマや完璧さではなく、“あそこまで曲げないのが気持ちいい”という快感に寄りやすい。直角は、正義の味方として万能ではないし、融通の利かなさで周囲を困らせることも多い。だが彼のまっすぐさは、他人を支配するためではなく、筋を通すために使われる。だから視聴者は、直角に対して「憧れ」と「呆れ」を同時に抱きつつ、最後には「結局好きだな」で落ち着く。直角の魅力は、勝つところより、勝った後の態度にある。相手の誇りを踏みにじらず、家柄で人を見ず、嫌がらせを受けても陰湿に返さない。そういう少年は現実には稀だからこそ、フィクションで見ると胸がすっとする。推しというより“作品の中心の空気”として好きになるタイプで、直角が画面にいるだけで世界が動く感覚が、直角推しの核になっていく。

◆ 北条照正:うるさい、面倒、でも一番“人間っぽい”から好きになる

照正を好きなキャラに挙げる人は、「最初は苦手だったのに、いつの間にか愛着が湧いた」という経路になりやすい。照正は嫉妬深く、虚勢を張り、直角に対して嫌がらせを仕掛けるが、その動機は悪意というより“自分が特別でいたい不安”に近い。だから視聴者も、怒りより先に「こいつ、寂しいんだな」と感じやすい。さらに照正は、直角の「友達だ」という言葉に弱い。嫌がらせをしても切り捨てられないと分かると、逆に自分がどう振る舞えばいいか分からなくなる。ここが照正の魅力で、強がりが崩れる瞬間が可愛い。田中真弓の声の表情も相まって、照正は“憎めない騒動メーカー”として完成する。照正推しの視聴者は、直角の正しさより、照正の不器用さに感情移入し、「変わっていく過程」を応援したくなる。結果として、照正が少し素直になる回や、直角を守る側に回る瞬間が、推し心を決定づける名場面になりやすい。

◆ 貴杉じゅん:強さと誇りを保ったまま変わる、“芯のある”推し枠

じゅんを好きになる人は、いわゆる“可愛い”より“格好いい”に惹かれることが多い。序盤のじゅんは、身分の高さと気位の強さから、直角を見下す側に立ちやすい。だがじゅんは、周囲の空気に流されているのではなく、自分の価値観で判断している。だから直角の実力と人柄を見たとき、彼女は引き返せる。ここがじゅんの推しポイントで、態度を変えることが“負け”ではなく、“誇りある決断”に見える。じゅん推しの視聴者は、直角が世界を変える様子を、じゅんの視点から味わうことが多い。名門側の論理を知っている彼女が「直角は違う」と認めることで、直角の正しさが補強されるからだ。また、じゅんは直角に寄り添っても、甘いだけの役にはならず、必要なときに厳しい言葉も言える。推しとしては「頼れる」「芯がある」「変化が気持ちいい」という三拍子が揃い、見れば見るほど好きになるタイプになる。

◆ 月形:敵のまま終わらない努力家、プライドの使い方が格好いい

月形推しは、主人公に惚れるより“ライバルの格”を重視するタイプに刺さりやすい。月形は威圧感が強く、明倫館を牛耳るような立場で登場するが、ただの悪役ではない。直角に敗れたとき、言い訳で逃げず、次は破るために鍛える。こういう“悔しさの使い方”が格好いい。視聴者は、月形が強いから好きになるのではなく、負けた後に腐らないところに惹かれる。さらに月形は、直角の実力を認めた後、協力者として動ける。プライドが高いのに、認めるべきものは認める。月形推しの人は、この“折れないのに固執しない”姿勢を評価しやすい。直角がまっすぐな光なら、月形は角度のある影で、作品に厚みを出す存在だ。月形がいるから、直角の勝利が軽くならない。ライバル枠を好きになる視聴者にとって、月形はまさに“推しがい”のあるキャラになる。

◆ 郷慎太郎:兄貴分としての安心感、直角の暴走を受け止める“器”が好き

郷推しは、主人公の突撃感より、その周りで支える人物に惹かれるタイプだ。郷は最初、荒っぽい側にいるが、直角に触れて変化し、理解者へ回っていく。この過程は“友情の王道”で、視聴者に安心感を与える。郷が好きになるポイントは、直角の正しさをただ称えるのではなく、直角の危うさも含めて見守るところだ。直角は曲げないが、曲げないことで危険を招くこともある。そこを郷が補い、「お前はお前でいいが、ここは考えろ」と言える関係になると、群像劇としてのバランスが良くなる。郷推しの視聴者は、直角単独の痛快さより、“仲間が揃っていく気持ちよさ”を味わっている。郷が直角側にいるだけで、話がぐっと安定し、視聴者も安心して笑える。支えるキャラが好きな人にとって、郷は頼れる推し枠になる。

◆ 大人枠・家族枠:青野武の父や、母の温度が好きという“生活推し”も出やすい

好きなキャラクターとして、意外と家族や大人を挙げる人も出やすい。直角の父は、威厳がありそうで情けない場面も多く、息子の騒動に振り回されることで笑いを生む。一方で母は、直角を肯定する柔らかさを持ち、家庭の場面を温かく保つ。こうした家族パートが好きな視聴者は、作品の“騒動”より“生活”の味に惹かれている。明倫館が息苦しくなるほど、家に帰った場面のほっとする温度が効く。さらに城下の仲間も含めて、直角が孤立しない世界が作られているから、視聴者は直角を「頑固で一人で戦う主人公」ではなく、「人に囲まれる主人公」として好きになれる。生活推しの視聴者は、派手な勝負より、家族の掛け合いや城下の賑やかさを、作品の魅力として記憶に残す。

◆ まとめ:推しは“変化した人”に集まり、直角は“変化を起こす中心”として愛される

『おれは直角』の好きなキャラクター論は、直角を頂点に置いて終わらない。直角は曲がらないからこそ、周囲が変化する。照正は不器用に成長し、じゅんは誇りを保って態度を改め、月形は負けても腐らず格を上げ、郷は支える器を見せる。視聴者はその変化に立ち会ううち、推しが増えていく。つまりこの作品は、推しが増えること自体が“物語の快感”と一致している。直角は推しというより、推しを生み出す中心の風であり、その風に吹かれて変わっていく人物たちが、視聴者それぞれの“好き”になっていく。

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■ 関連商品のまとめ

◆ 関連商品は二系統で広がる:放送当時の子ども向け波と、後年のコレクター向け再編集

『おれは直角』の関連商品は、作品の性格そのものと同じで、派手なメカ玩具で押すタイプではなく、キャラクターの勢いと学園コメディの空気を日常へ持ち込む方向に寄りやすい。大きく分けると、放送当時に子どもの生活圏へ入り込む短命の波と、時が経ってからファンや収集層へ向けてまとめ直される長寿の波の二系統になる。後年の波として分かりやすいのが、全話をまとめたDVD-BOXのようなコンプリート志向のパッケージで、2005年に9枚組としてまとまって流通したことが確認できる。 一方、放送当時の波は、主題歌やサントラの音盤、学校で使える文具、小物、雑誌露出など、生活の隙間に刺さる形で展開しやすい。作品が幕末を舞台にしていても、見味は学園劇なので、商品側も時代劇の重厚さより、直角の勢いやキャラの面白さを強調する方向になる。結果として、関連商品は豪華な一点突破ではなく、細かいカテゴリが横に広がるタイプになりやすく、ファンの思い出も、特定の巨大商品より、当時触った小物と後年の保存版パッケージの二つに分かれて残りやすい。

◆ 映像関連:保存版はBOXに集約、当時物は録画文化と並走しやすい

映像関連で象徴的なのは、全話をまとめて手元に置けるパッケージが後年に成立した点だ。9枚組で収録時間がまとまったDVD-BOXが商品として明確に存在し、制作・出演者情報付きで流通していることが分かる。 このタイプのBOXは、当時の放送を見ていた層が大人になり、懐かしさだけでなく、きちんと保管して見返したいという需要が強まった段階で価値が上がりやすい。特典としてブックレットや解説が付くかどうか、ディスクやケースの状態、帯や外箱の有無で満足度が変わり、コレクター的には完品志向になりやすい。また、テレビ放送当時は家庭録画が強い時代でもあるため、公式映像商品の展開が仮に限定的でも、視聴者側の手元には録画テープの思い出が残りやすい。そうした録画文化の上に、後年のBOXが保存版として降ってくると、記憶の中の作品が一気に整理され、改めて見直す動機が生まれる。直角のテンポや顔芸は、まとまった話数で見るほど癖になる面があるので、コンプリート収録の価値が分かりやすい。

◆ 書籍関連:原作コミックスが中心軸、アニメ露出はムック・雑誌・資料性で補強される

書籍面の中心は、まず原作コミックスの存在に集約されやすい。アニメから入った層は、直角のキャラに惹かれて原作を追い、原作から入った層は、アニメ化を機に再読や再収集へ向かう。この往復が起きる作品は、書籍棚の中で長く生きる。アニメ放送期には、アニメ雑誌の特集、番組欄周辺の紹介、キャラ紹介ページ、声優コメントなど、情報の断片が雑誌の形で積み重なりやすい。さらに時代劇要素を扱う作品は、設定や用語、組織の立て付けを図解で整理すると面白さが増すため、ムックやファンブックがあると満足度が上がる方向に働く。仮に大規模な公式設定資料集がなくても、雑誌の切り抜きや番組ガイド、コミックスの巻末情報が「当時の空気」を持った資料として残り、後年は紙の黄ばみさえも価値として受け取られる。書籍関連の面白さは、直角というキャラが歴史の説明より、人間関係の空気で動くことにあるため、キャラ相関や名セリフ、名場面の再録があると、読み物としての満足が出やすい点にある。

◆ 音楽関連:主題歌シングルとサントラが核、バラエティ感のある構成が記憶を固定する

音楽は関連商品の中でも輪郭がはっきりしていて、主題歌のシングルとサウンドトラックが核になりやすい。主題歌は、学問のスズメと嫌いにならずにはいられないの2曲がシングルとして整理され、放送枠の主題歌として流通している情報が確認できる。 さらにサウンドトラックは、1991年にポニーキャニオンから発売されたCDとして、直角ヴァージョンやカラオケ、劇伴曲の並びが提示されており、歌とBGMをまとめて作品世界へ戻れる構成になっている。 この手の音盤は、いわゆる厳密な劇伴集というより、作品の賑やかさをそのまま持ち帰るバラエティ盤になりやすい。直角参上や事件だ走れ直角といった動きの強い曲名が並ぶのは、作品がテンポと空気の切り替えで走るタイプだからで、聞いているだけで場面が脳内再生される強みがある。後年に映像を見返すときも、主題歌が耳に残っているほど記憶の扉が開きやすく、音楽関連はファンの回帰を支える導線になりやすい。中古市場でシングル盤が話題になりやすいのも、短い商品ほど現存数と状態差が価値を分けやすいからだ。

◆ ホビー・おもちゃ:大型玩具より、小物・マスコット・プライズ的展開と相性が良い

『おれは直角』は、変身アイテムや巨大ロボのような一点豪華主義より、キャラクターの面白さを小物に落とし込む方が向いている。直角の顔芸や、照正の騒がしさ、明倫館の生徒たちの個性は、デフォルメしても伝わりやすいので、キーホルダー、ミニフィギュア、シール付き小玩具、カプセルトイ的なマスコットと相性が良い。景品系のプライズがある場合も、ぬいぐるみより、表情やロゴを活かした小型アイテムに寄りやすい。さらに時代劇要素があるため、竹刀や道場モチーフを遊び道具として軽く取り込む企画も考えやすく、たとえばカードや札、スタンプのように、学校や遊びの場で使える形に落ちる可能性が高い。ここで重要なのは、作品の魅力が物語の正史より、キャラ同士の関係の面白さにある点で、遊び道具も「対戦」より「賑やかさ」を優先した設計になる。すごろくや簡単なカードゲームのように、事件が起きて走る、勝負でひっくり返る、という作品のテンポを盤面へ移し替えると、作品らしさが出やすい。

◆ 文房具・日用品:学園物の強みで、学校生活へ自然に入り込むカテゴリ

明倫館という学園要素を持つ作品は、それだけで文房具に落とし込みやすい。下敷き、ノート、鉛筆、消しゴム、筆箱、定規、シールブックといった定番は、当時の子ども向けアニメ商品として展開しやすく、家庭内に残りやすい。日用品側でも、コップ、巾着、弁当箱、ハンカチ、ティッシュケースのように、キャラ絵が入るだけで成立するアイテムが多い。直角というキャラは、名前のインパクトと顔の強さがあるため、ロゴと一緒に配置すると視認性が高く、グッズ映えしやすい。加えて、照正やじゅんなど脇の人気キャラが立つ作品は、絵柄のバリエーションを作りやすいので、同じ商品でも絵柄違いで集めたくなる仕掛けが作れる。ファン心理としては、作品全体を背負う直角グッズと、推しキャラを選ぶ個別グッズの二種類が自然に生まれ、購買体験が分かれやすい。こうした文具・日用品は、中古市場では未使用品が強く、使ってしまった品は思い出として残る一方で、取引価値は状態で大きく差が出る。

◆ 食玩・食品・販促:集める快感を短期で作れるが、現存数が少なく後年ほど希少になりやすい

子ども向けアニメの関連商品として定番の食玩や販促は、短期間で盛り上がりを作れる代わりに、後年の現存数が減りやすい。シール付き菓子、カード付きガム、簡単なスタンプやミニ消しゴムが付く商品は、消費される前提で作られるため、未開封が残りにくい。だから後年の中古市場では、逆に見つけたときの嬉しさが大きく、作品の知名度より「残っていないこと」自体が価値を生むことがある。『おれは直角』の場合、キャラの表情や台詞回しが強いので、シールやカードの一言ネタが映える。直角の言い切り、照正の暴走、月形のプライドなど、短文のフレーズで作品らしさが出せるため、食品パッケージやおまけにも向いている。販促としては、店頭ポスターや小さなPOP、応募券、景品交換の台紙など、紙モノが残りやすい。こうした紙モノは、作品を再評価するときの資料にもなるので、後年の収集層には刺さりやすい。

◆ 総まとめ:音盤と保存版映像が柱、日常小物が裾野を作り、後年にコレクション性が立ち上がる

関連商品を全体として見ると、作品の核になりやすいのは、主題歌シングルとサントラの音楽商品、そして後年にまとまったDVD-BOXの保存版映像である。 そこに、学園物として相性の良い文房具・日用品が裾野を作り、短期の販促や食玩が当時の熱を広げる。玩具は巨大商品で押すより、キャラ小物や遊びアイテムで“賑やかさ”を持ち帰る方向が合う。結果として、作品の関連商品は、一本の超大型商品ではなく、生活の中へ散らばる小さな記憶と、後年の保存版で回収される大きな記憶が共存する構造になる。直角のまっすぐさと、周囲の変化の面白さは、手元に残すほど味が出る。だからこそ、関連商品は当時の子どもの日常と、後年の大人の収集欲の両方を受け止める形で、長く語られていく。

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■ オークション・フリマなどの中古市場

◆ まず前提:配信で“いつでも見られる”作品ほどではない分、現物への需要が一点に集まりやすい

『おれは直角』の中古市場は、いわゆる国民的タイトルのように出品が途切れず回転するタイプというより、「探している人が一定数いるのに、出物の波が読みづらい」性格になりやすい。とくに映像パッケージは、見返したくなったタイミングで配信やレンタルが簡単に見つからないと、購入に踏み切る人が増える。実際、DVD-BOXの出品説明でも、見たくて探したが見つからず購入した、という動機が語られる例がある。 こうした状況では、同じ商品でも「今まさに欲しい人」が複数重なると値が上がりやすく、逆に出品タイミングがずれて買い手が少ないと、相場より安く落ち着くこともある。つまり相場は固定ではなく、“出会いの運”が価格に混ざる。その前提を押さえると、中古市場の見え方が一気にクリアになる。

◆ 映像関連:DVD-BOXが中心、価格帯は状態と付属品で大きく割れる

映像商品で最も話題の中心になりやすいのは、9枚組のDVD-BOXだ。商品情報としても9枚組であることが確認でき、まとまった稼働時間のコンプリート形態で流通している。 中古の値動きは、出品場所によって幅が出る。たとえば中古通販では、DVD-BOXが8,498円で販売されている例がある。 一方、フリマではDVD-BOXが1万円台前半〜後半で並ぶ出品例が見つかり、1万円台の価格提示が確認できる。 オークション側では、即決13,000円で成立した例が確認でき、同じBOXでも売り方や状態説明の仕方で“落ち着く場所”が変わることが見える。 ここで価格を分ける決定打は、ディスク面の傷よりも、外箱・ケースの傷み、そしてブックレット等の付属品の揃い方になりやすい。実際、オークションでは箱やケースの傷み、細かな傷汚れの注意書きがされている出品もある。 同じ9枚組でも、外箱のヤケ、角潰れ、ブックレット欠品があると一段下がり、未開封や完品に近い状態は上がる。フリマに未開封として出ている例もあり、こうした個体は“保存用”として欲しい層に刺さりやすい。

◆ 書籍関連:コミックスは版の種類で相場の顔つきが変わる。最安帯は“読めればOK”層が支える

原作コミックスは、読み物としての需要が常にある一方、コレクション性は「どの版か」で大きく変わる。たとえば文庫版全8巻セットは、ブックオフ系の通販で990円というかなり手の届きやすい価格でも扱われている。 同じ文庫セットでも、通販やマーケットプレイスでは2,000円台の提示が見える例があり、状態や送料込みかどうかで差が出る。 一方、全14巻完結セット(コミックス形態)は、セット販売サイトで8,162円という提示が見られ、こちらは“揃える満足”を含んだ価格になりやすい。 さらに、楽天の検索結果では全14巻完結セットが4,900円前後の提示が見え、同じ完結セットでも販路と状態で振れ幅が大きい。 オークションでは、初版や全巻初版といった言葉が価値を作りやすく、実際に全5巻セットや文庫初版セットが数千円台で動いている表示が確認できる。 つまり「読むための最安帯」と「版・初版・状態を楽しむ収集帯」が同時に存在し、買い手の目的によって相場の見え方が変わる。

◆ 音楽関連:主題歌8cmCDは“残りにくさ”が価値を作る。状態差と見本盤で価格が揺れる

音楽は、映像や本よりも「現物の状態差」が価格に直撃しやすい。主題歌の8cmCDは、そもそも保管の癖が出やすく、ケースの割れ・ジャケットのヤケ・外袋の汚れが起きやすい。メルカリでは1,600円の出品例があり、見本盤でヤケやケース跡などの説明が付く形で取引されている。 一方で、駿河屋では同じ主題歌CDが中古6,348円の価格として提示されており、店舗系の相場は強気になりやすい。 Yahoo!ショッピング側でも中古4,600円の提示が確認でき、相場感は2,000円台で固定というより、売り場の性格で上下する。 また、オークション履歴系では即決3,000円の情報も見られ、8cmCDが“探している人には刺さる”価格帯で動いていることが分かる。 音楽商品は、帯の有無や盤面の傷の写真の出し方で落札が変わることが多く、説明が丁寧な出品ほど安心料が乗りやすい。逆に、タイトルだけ雑に付けられた出品は安く拾えることもあるため、掘る楽しさがあるジャンルだ。

◆ 玩具・ホビー:大量展開より“少数の変わり種”が光る。電子ゲーム系は特に話題になりやすい

『おれは直角』は巨大玩具で市場を席巻したタイプではない分、残っている立体物は一点一点が目立つ。オークション履歴の集計系では、過去3ヶ月の落札統計として平均2,095円、最高10,000円という数字が提示されており、カテゴリ混在とはいえ“当たり個体がある”空気が見える。 こうしたジャンルは、箱付きか、液晶の焼けや動作がどうか、電池端子の腐食がないかで価値が分かれ、動作品は一段上になりやすい。さらに、当時物の紙モノ(台紙、説明書、外箱)を揃えた完品が出ると、単体の面白さ以上に「残っていること」そのものが価値になる。

◆ 紙モノ・雑誌・販促:価格は高くないのに、見つけた時の満足度が高い“資料枠”

雑誌切り抜き、番組表周りの記事、当時の紹介ページ、広告やハガキ応募系などは、単価が跳ね上がりにくい一方、作品の空気を保存している。こうした紙モノは“読む”より“眺める”価値が強く、状態が多少悪くても資料としての役割を果たす。さらに、セットに混ぜられて安くまとめ売りされることも多いので、直角関連を探すときは、DVDやコミックスだけでなく「まとめ売り」の山を覗くと拾える可能性が上がる。

◆ ヤフオク全体傾向:タイトル検索は平均が低く見えやすい。狙い目は商品名を具体化した検索

Yahoo!オークションのクローズド検索では、「おれは直角」関連の過去120日分で平均1704円という表示が出る。 ただしこれは“関連全部混在”の平均なので、DVD-BOXや音盤のような中核商品だけを想像するとズレが出る。実際にDVD-BOX単体は1万円前後〜1万円台での出品・成立例が見えており、平均値とは別の山を作っている。 したがって、相場を掴むときは、タイトル一括検索より、DVD-BOX、9枚組、サウンドトラック、学問のスズメ、8cmCDといった“商品名に近いワード”で絞った方が現実に近い。

◆ 結論:DVD-BOXは状態勝負、音盤は残りにくさ勝負、コミックスは版の好み勝負

中古市場での立ち回りを一言でまとめるなら、映像は完品性、音楽は現存性、書籍は版の嗜好に集約される。DVD-BOXは付属品の揃いと外箱の傷みが値段を作り、フリマや中古通販でも1万円前後から上の帯域が見える。 主題歌8cmCDは、状態説明や売り場によって価格が動き、1,600円程度の出物から、数千円台の提示まで幅がある。 コミックスは、文庫で安く読む道もあれば、完結セットや初版志向で揃える道もあり、目的で最適解が変わる。 だからこそ『おれは直角』の中古探しは、相場を“当てに行く”より、欲しい形(保存用か、視聴用か、資料用か)を先に決め、その目的に合う個体を見つけたら逃さない、という動き方が一番強い。作品の性格がまっすぐで迷いがない分、集める側も目的を直角に決めた方が満足しやすい。

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