【中古】 陳舜臣全集 5 秘本三国志2 陳舜臣 / 陳 舜臣 / 講談社 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】
【発売】:光栄
【対応パソコン】:PC-8801、PC-9801、MSX2、X1turbo、FM TOWNS、X68000、Windows
【発売日】:1989年12月
【ジャンル】:シミュレーションゲーム
■ 概要
作品の立ち位置と狙い
『三國志II』は、光栄が1989年12月に発売したパソコン向けの歴史シミュレーションで、同社が“物語としての三国志”をゲームに落とし込む路線を、より遊びやすく・よりドラマチックに磨き上げた第2作目にあたる。プレイヤーは三国時代(という名の群雄割拠の時代)に名を残す君主の一人となり、内政で国力を整え、武将を集め、周辺勢力と駆け引きを重ねながら、分割された中国全土の統一を目指す。経済や補給を細密に追い込む“重い戦略”というより、英雄たちの活躍や裏切り、同盟と離反、計略の成功と破綻といった「三国志らしい展開」を、テンポよく積み重ねていく作りが特徴だ。
対応機種と当時の“パソコンゲーム感”
PC-8801、PC-9801、MSX2、X1turbo、FM TOWNS、X68000、そして後年のWindows環境など、複数機種に展開されたことも本作の存在感を強めた要素だ。ハードごとの差はありつつも、基本骨格は「コマンド選択で国を動かす」スタイルで統一され、当時のパソコンならではの“机上で作戦を練る感覚”を前面に出している。マップの塗り替えで勢力図が変わっていく視覚的な分かりやすさ、武将の数値と相性がもたらすドラマ、そして「次の一手」を考える時間そのものが遊びになる設計が、家庭用ゲーム機とは違う魅力として機能していた。
ゲームの最終目的と勝ち筋の基本
最終目標は、分割された国(地域)をすべて支配下に置くこと。勝ち筋は大きく分けると三本柱になる。第一に“内政で伸びる国”を作ること。人口・金・兵糧などの基盤が整うほど、徴兵や軍備、外交工作の選択肢が太くなる。第二に“人材確保”で手数を増やすこと。本作は武将の存在がそのまま行動回数や作戦の幅に直結し、強い武将だけでなく、数を揃えること自体にも価値がある。第三に“外交と計略で盤面を崩す”こと。力押しだけでなく、同盟・共同戦線・使者の往来・工作といった間接的な一手が、戦争そのものの難度を大きく変える。
ターン進行と「武将が主役」の設計
プレイは基本的に月単位・年単位で進み、プレイヤーは各国に配置した武将にコマンドを与えていく。前作よりも「国ごと」ではなく「武将ごと」の色が濃く、同じ国を持っていても、武将が多い勢力ほどできることが増える感触が強い。ここが『三國志II』の中毒性の核で、プレイヤーは自然と“有能な一人”だけでは足りないと気づき、探索・登用・引き抜き・捕虜活用など、あらゆる手段で人材を増やしたくなる。結果として、名将の獲得が単なる戦力増強に留まらず、「次の局面で何ができるか」を一段階押し上げる“エンジン”として働く。
内政の骨格:地味な数字が物語を支える
内政は派手さこそ控えめだが、勝利への速度を決める最重要パートだ。金があれば兵装や工作の選択肢が増え、兵糧があれば遠征が現実になる。人口が伸びれば徴兵の余地が広がり、国力差が“じわじわ”と決定的な差に変わっていく。本作の面白さは、内政が単なる準備ではなく、外交・戦争・登用と常に絡み合っている点にある。例えば、兵糧に余裕がある国は強気に攻められるが、逆に余裕がない国は同盟にすがるか、計略で相手を弱らせる必要が出る。数字の増減が、そのまま“物語上の立場”を変えていくため、内政の一手にも緊張感が宿る。
軍事と合戦:勝つための考え方が見える
合戦は、部隊編成と戦術の選択が噛み合うと、一気に局面が動く。攻城・防衛の構図が明確で、守る側は地の利を活かしやすく、攻める側は準備不足だと損害が膨らみやすい。だからこそ、プレイヤーは“勝てる形”を作るまで我慢し、外交で孤立させたり、工作で相手の足を止めたり、援軍や共同軍の形を整えてから決戦に踏み込む、といった段取りの巧さが問われる。合戦が単独のミニゲームではなく、内政・外交の結果として発生する「最終確認」の場になっている点が、戦略ゲームとしての気持ちよさに繋がっている。
外交と計略:盤面を揺らす“見えない戦争”
『三國志II』が前作よりドラマ性を増した部分として、外交・計略の存在感が大きい。戦争の強弱だけで統一が決まらないように、同盟の成立、共同戦線、使者の往来、相手国への工作などが、国境線を越えて効いてくる。ここでは“相手に届くかどうか”が重要で、途中で使者が妨害を受ける、情報が漏れる、予想外の反応が返るといった不確実性が、プレイヤーに疑心暗鬼と読み合いを生む。さらに、強国同士が手を組むのか、弱小が連合するのか、あるいは裏切りが起こるのか――その揺れが、三国志らしい権謀術数をゲームとして体感させる。
武将という“コマ”の重み:能力だけでは語れない
本作の武将は単なるステータスの集合ではなく、勢力の性格そのものを決める存在だ。武力・知力・魅力といった分かりやすい値に加え、プレイ感としては「この武将は任せられる」「この人物は危うい」「この相手とは噛み合う」といった“扱いの感覚”が強く残る作りになっている。能力が高い武将は当然主力になるが、能力が平凡でも、偵察・徴兵・輸送・留守番など、必要な穴を埋めるだけで戦局は安定する。つまり本作は、名将だけで勝つゲームではなく、“組織としての厚み”を作れた勢力が勝つゲームになっている。
シナリオ選択が生むリプレイ性
開始年代(情勢)の異なる複数シナリオから選べるため、同じ君主でも立場が変わり、毎回違う苦労が出る。序盤の群雄割拠では、人材獲得と外交が勝敗を分けやすく、中盤以降は大勢力のぶつかり合いが濃くなる。勢力が大きいほど手数は増えるが、前線管理も難しくなるため、強国プレイが必ずしも“作業”にならないのが面白い。逆に弱小勢力は一手のミスが即死に繋がるが、だからこそ一発逆転の達成感が強い。どの時代を選ぶかで、遊び味がまるごと変わるのが『II』の強みだ。
マルチプレイが生む“歴史の書き換え感”
機種・環境にもよるが、複数人でのプレイに対応している点も、当時としては大きな売りだった。人間同士の駆け引きが入ると、外交は“読み合いのゲーム”として一段深くなる。CPU相手なら通る手でも、人間は疑い、牽制し、逆手に取ってくる。だから『三國志II』のマルチは、単にプレイヤー人数が増えるだけではなく、「歴史を好き勝手に書き換えている」感覚を濃くする装置になっている。友人同士で同盟と裏切りを繰り返し、最後は誰かが統一する――その体験自体が、まさに三国志の縮図として成立する。
“前作の継承”と“遊びやすさへの整理”
第2作の役割は、前作の面白さを壊さずに、引っかかりを減らし、見せ場を増やすことにある。本作はその方向性がはっきりしていて、コマンドやゲーム進行の手触りを整えつつ、外交や計略、武将運用の面白さを前に出すことで、「戦略ゲームに慣れていない人でも、三国志の空気を吸いながら理解できる」作りになっている。複雑すぎる管理を避け、しかし単純すぎて飽きないように、武将・国力・外交の三層で悩ませる。この“悩み方の設計”こそ、『三國志II』が長く語られる理由のひとつだ。
まとめ:『三國志II』を一言で言うなら
『三國志II』は、英雄譚としての三国志を、机上の作戦ゲームとして噛みしめられる作品だ。内政で国を育て、武将で手数を増やし、外交と計略で敵の形を崩し、最後に合戦で決着をつける――この流れが一つの“物語の作り方”として機能し、プレイヤーごとに違う歴史が生まれる。強国で堂々と覇道を歩むのも、弱小で綱渡りの反撃を狙うのも自由。遊ぶたびに「次はこうしたい」が湧いてくる、シリーズ第2作らしい完成度と勢いを備えた一本である。
■■■■ ゲームの魅力とは?
「三国志の物語」を遊びとして成立させる設計
『三國志II』の魅力を一言でまとめるなら、「三国志らしい展開が、プレイヤーの意思決定の結果として起きる」点にある。史実や演義で見た“あの出来事”をそのまま再現するだけではなく、内政・軍事・外交・計略という複数のレイヤーに手を入れた結果、勢力図が傾き、君主の運命が変わり、武将の去就が揺れ、そこからドラマが立ち上がる。だから同じシナリオ、同じ君主で始めても、毎回違う「自分の三国志」になる。物語をなぞるのではなく、物語を作っていく感覚――これが本作の中核的な気持ちよさだ。
“武将が主役”の手触りが濃い
前作以上に、武将という存在がゲームのテンポと戦略の幅を左右する。強い武将を集めると戦闘が楽になる、という単純な話に留まらず、武将が増えるほど「できることの総量」が増え、国の運用そのものが変わっていく。例えば、前線で戦う主力を用意しつつ、別働隊で偵察や攪乱を仕掛け、留守番の武将に徴兵や治安維持を任せる、といった“役割分担”が自然に成立する。さらに、魅力の高い武将がいれば外交や登用が通りやすくなり、知力の高い武将がいれば計略の成功率やリスク管理が安定し、武力の高い武将がいれば合戦の決定力が増す。能力値の使い道がはっきりしているから、「この人材を取ると、何が良くなるか」が直感的に分かり、育成や配置替えの一手がそのまま面白さに繋がる。
“手数が増える快感”と、名将偏重になりすぎないバランス
歴史SLGは名将を集めて強くなるのが王道だが、『II』はそれだけで終わらない。もちろん関羽や張飛のような圧倒的な武力を持つ武将は頼りになる一方で、能力が平凡な武将でも「兵糧の管理」「徴兵」「輸送」「砦の整備」「偵察」といった重要な仕事を回すだけで、勢力の安定度が一段上がる。つまり本作の人材運用は、名将=主役、凡将=脇役、ではなく、全員が“何かしらの役割で局面に関与できる”作りになっている。プレイヤーが「強い一人」を探すだけでなく、「戦える組織」を作ろうとするよう誘導される点が、遊びとしての厚みを生んでいる。
外交・計略が“戦争の前”から勝負を始めさせる
『三國志II』を特別な作品にしている大きな理由が、外交・計略の存在感だ。単に宣戦布告して殴り合うだけではなく、同盟で相手の選択肢を縛り、共同戦線で大国を揺さぶり、工作で相手の足元を崩し、使者の往来で情報と疑心暗鬼を撒く。これらが「勝敗に効く」からこそ、戦争は始まる前から勝負になり、勝てる形を作れた側が合戦で決定打を叩き込める。 面白いのは、外交・計略が万能ではないところだ。相手国に届くまでの不確実性、思わぬ妨害、成功しても状況が完全に好転するとは限らない手応えがあり、だからプレイヤーは“読み”と“保険”を用意する必要が出てくる。成功した時の気持ちよさと、失敗した時のヒヤッとする感じが同居していて、その緊張感が三国志の権謀術数にぴったり噛み合う。
合戦が「結果の精算」ではなく「見せ場」になる
内政と外交で盤面を整えるゲームは、合戦が作業になりがちだが、『II』では合戦がきちんと“見せ場”になる。守る側が有利になりやすい構造の中で、どう兵力を揃えるか、どこから攻めるか、援軍や共同軍の形をどう作るか、計略で相手の編成をどう崩すか――戦争前の段取りがそのまま合戦の体験に反映されるからだ。準備不足で攻めれば痛い目に遭い、準備が噛み合えば短期で勝負がつく。この因果がはっきりしているため、合戦は「勝った/負けた」だけでなく、「なぜそうなったか」をプレイヤーに理解させ、次の戦い方を学ばせる。結果として、プレイが上達する実感が得られやすい。
勢力図が塗り替わる“地図の快楽”
国を取るたびに勢力図が変わり、色が広がっていく感覚は、当時の歴史SLGが持つ分かりやすい快感の一つだが、『三國志II』はそれを“段階的な達成感”として非常にうまく機能させている。最初は自国の周辺だけが戦場だったのが、統一が進むにつれて前線が複数になり、守るべき国境が伸び、内政の管理も増える。勢力が大きくなるほど強くなるが、同時に難しさも増す。この「強くなるほど忙しくなる」構造が、単調な消化試合を減らし、最後までプレイヤーに緊張を残す。
弱小勢力プレイが“無理ゲー”で終わらない
三国志題材はどうしても勢力差が大きいが、本作は選ぶ君主によって難易度がはっきり変わり、その差がプレイの面白さとして成立している。強国なら堂々と国力で押し、弱小なら人材登用や外交の綱渡りで突破口を作る。ここで重要なのが、弱小が「最初から詰んでいる」だけにならないことだ。武将の引き抜きや登用、同盟の組み替え、局地戦の勝利など、少しずつ状況を好転させる手段が用意されているため、苦しい序盤を越えた時のカタルシスが強い。まさに“物語の主人公”になったような成り上がりの気持ちよさが出る。
遊ぶたびに違う「自分の三国志」になるリプレイ性
シナリオ選択で時代が変わり、勢力配置が変わり、在野や登場武将の巡りが変わることで、同じ君主でも全く違うプレイ感になる。さらに、プレイヤーの方針が少し違うだけで、登用すべき武将も、狙うべき国も、同盟相手も変わる。序盤に人材収集へ寄せるか、内政優先で国力を底上げするか、あえて強国に楯突かず周辺を食べるか、最初から大国と勝負するか――この分岐が多いから、クリアしても「次は別のやり方でやりたい」が自然に湧く。
当時のパソコンゲームらしい“没入”と“想像の余地”
『三國志II』は、演出が派手に状況を説明し尽くすタイプではなく、プレイヤーが数字や関係性から状況を読み、頭の中で物語を補う余地が大きい。その“余白”が、三国志という題材の想像力と相性抜群だ。使者が動き回っているのを見れば「あの国とあの国が通じたな」と勘繰りたくなるし、捕虜の扱い一つで「ここは恩を売るべきか、切り捨てるべきか」と悩む。ゲーム上の処理が、プレイヤーの中で“歴史劇の一幕”に変換される瞬間が多い。だから本作は、ゲームを遊んでいるのに“歴史を読んでいるような気分”にもなる。
まとめ:魅力の正体は「盤面がドラマを生む」こと
『三國志II』の魅力は、派手な要素の寄せ集めではなく、内政・人材・外交・計略・合戦が互いに影響し合い、結果として“三国志らしいドラマ”が自然発生するところにある。勝つために合理的に動いているはずなのに、裏切りや同盟、名将の登用、予想外の戦線拡大が重なって、気づけば自分だけの英雄譚になっている。この「戦略の結果が物語になる」感触こそ、第2作としての完成度であり、今なお語り継がれる理由だ。
■■■■ ゲームの攻略など
攻略の前提:このゲームは「国」ではなく「人」を動かして勝つ
『三國志II』を攻略するうえで最初に押さえたいのは、「強い国を作る=強い武将運用を作る」という発想だ。内政で数字を伸ばすのは当然として、それだけでは決定力が足りない。武将が増えれば行動回数が増え、行動回数が増えれば内政の回転も外交の試行回数も増える。つまり本作の攻略は、“有能な武将を揃える”だけでなく、“武将を増やして手数を増やし、手数で盤面を支配する”方向に寄せるほど安定する。逆に言えば、少数精鋭に寄せすぎると、前線の火力はあっても、内政や外交の処理が追いつかず、いつか綻びが出る。まずはこのゲームが「人材=エンジン」で回っていることを理解すると、勝ち筋が急に見えてくる。
序盤の鉄則:人材集めは“趣味”ではなく“戦略資源”
序盤はとにかく武将の確保が第一になる。戦争で領土を取るのも大事だが、武将が少ないまま領土だけ増えると運用が破綻しやすい。治安維持・徴兵・兵糧の確保・偵察・外交・計略といった作業が回らず、結局前線も後方も中途半端になるからだ。そこで序盤は「登用できる人材がいる国」「捕虜を取りやすい相手」「在野が出やすい地域」など、武将供給が見込める方向へ動くのが強い。 また、能力の低い武将でも、徴兵や兵糧管理、輸送、偵察など“能力差が出にくい仕事”を割り振れるなら十分に役立つ。主力にする必要はなく、後方処理の担当として抱えるだけで、主力武将が戦争や外交に集中できるようになり、勢力全体の回転が上がる。
内政の回し方:金と兵糧は「余らせる」のが正解
内政は、ギリギリで回すより“余剰を作る”ほど強い。金が余れば兵装や工作、急な徴兵や増援に対応できる。兵糧が余れば遠征や長期戦が現実になる。逆に余裕がないと、戦争の選択肢が狭まり、外交や計略も「失敗したら終わり」の綱渡りになる。 だから序盤の内政は、無理に軍拡だけを急がず、まずは国力の底を上げることが重要だ。特に兵糧は、戦争を始める前に“勝てるだけの量があるか”を必ず確認する。遠征は兵糧が尽きた瞬間に崩れ、崩れた瞬間に捕虜が出て人材が減り、そこから連鎖的に瓦解しやすい。勝敗は合戦より前に、兵糧の見積もりで決まる場面が多い。
軍備の整え方:主力は「少数の決戦部隊」に集中させる
攻略上のコツとして、軍備を全軍均等にするより、まず主力数部隊を徹底的に強くする方が勝ちやすい。本作は合戦での決定力が重要で、ここが弱いと領土拡大が遅れ、遅れるほど周辺国が育って苦しくなる。 ただし“全て主力に注ぎ込む”のではなく、主力を作ったうえで、後方の武将たちが徴兵・輸送・偵察・内政を支える形が理想になる。主力は勝つための刃、後方は刃を研ぎ続ける砥石、という役割分担を意識すると、勢力運用が安定する。
戦争の選び方:攻める相手は「弱い国」ではなく「取った後に回せる国」
弱い国に勝つだけなら簡単でも、取った後に維持できなければ意味がない。本作は領土が増えるほど守るべき前線が伸び、運用の難度が上がる。だから侵攻先は、単に兵力が少ない相手ではなく、取った後に兵糧・金・人材・地理的な守りやすさが得られる国を狙うのが強い。 また、国境が増えすぎると外交と偵察の手が足りなくなるので、序盤は“戦線を増やしすぎない”ことも大切だ。欲張って四方に喧嘩を売るより、まずは一方向を食い進んで勢力圏を整え、次に別方向へ移るほうが事故が少ない。
偵察の重要性:勝率を上げる最安の行動
攻略で軽視されがちだが、偵察はコストに対して効果が大きい。相手国の兵力・兵糧・武将数・主力の強さを把握できれば、「攻めていいのか」「同盟で縛るべきか」「計略で弱らせてから攻めるべきか」の判断ができる。逆に情報がないまま戦争を始めると、想定外の援軍や共同軍、強武将の投入で損害が膨らみやすい。 偵察は、戦争の勝率を上げるだけでなく、“戦わない判断”を可能にする。戦わずに済む戦争が増えるほど、兵糧と人材が減らず、統一までの道が一気に短くなる。
外交の使い方:同盟は「守るため」より「攻めるため」に使う
同盟を結ぶと安心したくなるが、攻略として強いのは「次に攻める相手を孤立させるために同盟する」考え方だ。敵の隣国と結んでおけば、敵は援軍を受けにくくなり、こちらは背後を気にせず前線に集中しやすい。さらに共同軍の形を作れれば、守備側が強い戦争でも突破口が生まれる。 逆に、同盟を結んだのに何も起こらない状態が長いと、その間に他勢力が伸び、状況が不利になることもある。外交は“時間を買う手段”であると同時に、“局面を動かす手段”でもある。目的のない同盟ではなく、「この国を潰すため」「この国を牽制するため」という目的を持つと強い。
計略の扱い:万能に見えて、実は「流れを変える一手」
計略は連発すれば勝てるものではないが、成功すると局面が一気に傾く。攻略のコツは、計略を「勝つための主力手段」ではなく「勝てる形を作るための補助」として使うことだ。例えば、攻める前に敵の足を止めたい、援軍のタイミングをずらしたい、強武将の投入を遅らせたい、同盟関係を揺らしたい――こうした“戦争前の準備”として計略を置くと、合戦の被害が減り、短期決戦になりやすい。 失敗した時のリスクも考え、ここで失敗しても撤退できる、あるいは別プランがある状況で試すのが安定だ。計略はギャンブルではなく、確率を踏まえた“局面操作”として扱うと強い。
合戦のコツ:守備側有利を前提に「勝てる条件」を揃える
合戦は守る側が有利になりやすい構造があるため、攻める側は勝てる条件を揃えてから踏み込むのが基本になる。主力武将を集め、兵糧を積み、偵察で相手の強さを見て、外交で援軍を遮断し、必要なら計略で弱らせてから攻める。これを徹底するほど、戦争は短く終わり、捕虜や降伏を得やすくなる。 また、勝てない戦争は無理に続けず、撤退して立て直す判断も重要だ。損害が膨らむほど人材が捕らえられる危険が増え、捕らえられた瞬間に勢力の回転力が落ちる。戦争は兵の損得だけでなく、“武将を失うリスク”を常に意識したい。
捕虜運用:統一を早める最大の近道
戦争で勝つ目的は領土だけではない。むしろ捕虜を得て人材を増やすことが、次の戦争を楽にし、統一速度を一気に上げる。特に序盤は、敵の名将を捕らえた時の価値が桁違いだ。登用に成功すれば主力が増え、失敗しても捕虜交換や処遇で外交の材料になり得る。 逆に、こちらの名将が捕らえられると一気に苦しくなる。だから合戦では、主力の退路や無理な突撃の連発など、“討ち取られる可能性”を上げる行動を避け、勝てる戦いだけを確実に取る方が結果的に早い。
難易度の考え方:初心者は強国、慣れたら弱小で「物語」を作る
本作は勢力差が大きいので、攻略の入り口としては強国を選ぶ方が理解が早い。国力があると内政の余裕ができ、外交・計略も試行錯誤でき、失敗しても立て直せる。そこで基本の流れ(人材確保→内政基盤→外交で孤立化→決戦→捕虜で加速)を体に入れる。 慣れてきたら弱小勢力を選ぶと、本作の“物語性”が一気に濃くなる。人材がいない、国力がない、周囲が強い――その不利を、外交と登用と局地戦でひっくり返していく過程が、まさに三国志らしい成り上がりになる。攻略=最短で勝つだけではなく、どう勝つかを自分で演出できるのが『II』の醍醐味だ。
まとめ:攻略の核心は「準備で勝ち、捕虜で加速する」
『三國志II』の攻略は、合戦で奇跡を起こすより、戦う前に勝てる条件を揃え、勝った後に捕虜や登用で勢力の回転力を増やし、次の戦争をさらに楽にする――この循環を作ることに尽きる。人材を増やして手数を増やし、手数で内政と外交を回し、外交で戦争を有利にし、戦争で人材をさらに増やす。これが噛み合った瞬間、統一までの道が一気に見通せるようになる。
■■■■ 感想や評判
当時の受け止められ方:歴史SLGの「次の標準」を感じさせた作品
『三國志II』の感想・評判を語るとき、多くのプレイヤーがまず触れるのは「前作より洗練されて、遊びやすくなった」という印象だ。初代『三國志』が“歴史シミュレーションをパソコンで遊ぶ”という新鮮さを強く打ち出したのに対して、『II』はその面白さを維持しながら、コマンドや運用感を整理し、ゲームとしての流れを読みやすくした。その結果、歴史SLGに慣れた層は「前作の尖りを丸めて完成度を上げた」と感じ、初めて触れた層は「難しそうに見えるのに意外と入っていける」と受け止めやすかった。 特に、武将が増えるほど手数が増え、手数が増えるほど世界が動く、という快感は評判になりやすい。プレイヤーは“国が強くなる”より先に、“自分の勢力が忙しくなっていく”手触りを得る。忙しいのに楽しい、やることが増えるのに先が見える――この感覚が「続けたくなる」「もう一年だけ進める」の連鎖を生み、結果として長時間遊ばれるタイトルになった。
「物語としての三国志」をゲームで味わえる点が強く語られた
評判の軸として大きいのが、史実の再現というより“演義的な三国志の面白さ”を体験できる点だ。英雄が活躍し、同盟が結ばれ、裏切りが起き、捕虜が寝返り、勢力が伸び、伸びすぎて管理が難しくなる。こうした展開が、脚本によるイベントの押し付けではなく、プレイヤーとAIの判断の積み重ねで自然に立ち上がることが、本作の語られ方を特徴づけている。 とくに外交や計略まわりは「三国志らしさ」を感じさせる装置として評価されやすく、単なる国力勝負ではない“読み合いの空気”を生む。成功しても確実に状況が決まらない不確実性が、逆に「疑ってしまう」「先回りしたくなる」という感情を呼び、結果としてプレイヤーの中でドラマが増幅される。この“想像が勝手に膨らむ感じ”が、当時のパソコンSLGらしい魅力として語られた。
パソコン版の空気:操作の手触りと没入感が「作品の味」になった
当時のユーザーの感想としてしばしば挙がるのが、パソコンならではの操作感と没入感だ。テンポよくコマンドを回し、マップを眺め、勢力図を読み、武将の数値と配置を見て次の手を決める。派手な演出で引っ張るのではなく、プレイヤーが“考える時間”そのものを楽しむ。ここが家庭用ゲーム機の感触と違い、パソコンゲームとしての「机上で作戦を練る快楽」が評価の中核にあった。 また、機種差はあれど、音や絵が整っていることも語られやすい。前作よりも画面の見やすさや雰囲気が良くなった、音楽が気分を盛り上げる、といった感想は、当時のパソコンユーザーが作品の“格”を判断する基準でもあった。歴史SLGは地味になりがちだが、『II』はそこで損をしない作りになっていた。
上級者の視点:攻略の幅が増えたことへの好意と、AIへの不満
やり込み層の評判は概ね好意的だが、同時に「AIの粗さ」や「守備有利が強い」といった指摘も混ざりやすい。外交や計略が増え、できることが増えた分、AIの判断が追いつかず、プレイヤーが穴を突くと一気に有利になる、といった感想が出やすい。 一方で、それを欠点というより“遊び方の一部”として受け入れている声も多い。歴史SLGは、完全に公平で理詰めの対戦ゲームではなく、「自分が三国志の世界でどう振る舞うか」を楽しむ側面が強い。AIの癖を見抜いて戦術を組み立てること自体が、当時のパソコンSLGの醍醐味として語られることもあった。つまり不満点があっても、それが致命傷になりにくい“作品の性格”を持っていた。
初心者の視点:分かりやすいが、慣れるまでは情報量が多い
初めて触れる人の感想としては、「思ったより分かりやすい」「数字を追うだけで勝ち筋が見える」という好意と同時に、「やることが多くて最初は迷う」という戸惑いも並ぶ。特に武将の役割分担や、外交・計略の優先順位、兵糧と遠征の感覚は、慣れるまで“失敗しながら学ぶ”部分になりやすい。 ただし本作は、失敗が学びに直結しやすい。兵糧が尽きて崩れたら兵糧の重要性が骨身に染み、名将を捕らえられて痛い目に遭えば武将保全の意識が芽生える。同盟が裏目に出れば外交の目的を考えるようになる。こうした“失敗の分かりやすさ”が、結果的に初心者を引き上げる。だから「難しいけど、次はうまくやれる気がする」という感想が残りやすい。
シリーズファンの視点:第2作らしい「整理と拡張」の評価
シリーズを追ってきた人からは、『II』が「前作の骨格を残しつつ、遊びの焦点を整えた」点が評価される。前作の面白さはそのままに、武将運用・外交・計略・合戦の見せ場を分かりやすくし、プレイヤーが“何をすれば強くなるか”を理解しやすくした。 また、シナリオ選択や君主選択の幅があり、「強国でも弱小でも遊べる」という自由度が、評判の中でよく語られる。勝ちやすい君主で手触りを覚えることもできるし、難しい君主で成り上がりの物語を作ることもできる。遊びの入口を広げたことが、当時のユーザー層を拡大させた一因として感じられていた。
音楽・雰囲気への感想:重厚さより“気分の盛り上げ”
本作は、歴史ものらしい重厚さを押しつけるというより、プレイヤーの気分を上げる“戦略劇のBGM”として機能するタイプの印象が強い。内政の落ち着いた時間、外交で緊張が走る時間、合戦で手に汗握る時間――それぞれの局面で気分が切り替わり、プレイヤーの集中を支える。歴史SLGは長時間プレイになりやすいが、その長さを支える要素として、音や雰囲気の良さが好意的に語られた。
賛否の出やすいポイント:守備有利と、武力偏重に見える局面
評判の中で賛否になりやすいのは、戦争が守備側有利に感じられる場面が多いこと、そして合戦では武力の高い武将が目立ちやすいことだ。攻める側は段取りが必要で、準備不足だと痛い目に遭う。これは戦略としては筋が通っているが、テンポよく領土を広げたいプレイヤーにはストレスにもなる。 ただ、ここも評価は割れる。準備の重要性があるからこそ、外交や計略が“意味を持つ”ようになり、単純な戦力差だけでは決まらない局面が生まれる。武力が目立つのも事実だが、知力や魅力が外交や計略、人材登用に効くので、結局は総合力としての人材運用が必要になる。そうした“役割の分かれ方”が好きな人ほど、『II』を高く評価しやすい。
長く遊ばれた理由:一回のプレイが「自分の歴史」になる
総合的な評判として、『三國志II』は「一度クリアしたら終わり」ではなく、「次は別の君主で」「次は別の時代で」「次は違う縛りで」と、自然に繰り返したくなる作品として受け止められた。勝ち方が一通りではなく、失敗も含めて物語になる。強国で覇道を歩むのも、弱小で生き残るのも、外交で天下を揺らすのも自由だ。 その自由さが、感想としては「自分の三国志ができた」「あの武将が裏切って地獄を見た」「この同盟が奇跡的に噛み合って勝てた」といったエピソード型の語られ方を生む。評判が“点数”ではなく“体験談”として広がりやすい――これが本作の強さであり、当時の歴史SLGの代表格として記憶される理由でもある。
■■■■ 良かったところ
全体の完成度が上がり、「遊び続けられる形」になった
『三國志II』の“良かったところ”としてまず挙げられやすいのは、前作の魅力を土台にしつつ、遊びの引っかかりを減らして「最後まで回せる設計」に整えた点だ。歴史SLGは、序盤の手探りが面白い反面、中盤以降に管理が煩雑になって疲れてしまうことがある。しかし本作は、武将を軸に運用を組み立てやすく、内政・外交・合戦を“役割分担”で回しやすい。勢力が大きくなっても、やるべきことの優先順位が見えやすいので、統一までの道のりが「作業」になりにくい。長時間プレイしても“考える楽しさ”が残るところが、評価の根っこになっている。
武将運用が面白く、名将の獲得が「物語の転換点」になる
良かった点として語られることが多いのが、人材の価値が非常に分かりやすいところだ。名将を一人手に入れただけで、戦争の勝率が上がるのはもちろん、次の侵攻計画そのものが変わる。魅力の高い武将が来れば登用や外交が通りやすくなり、知力の高い武将が増えれば計略の成功率が安定し、武力の高い武将が揃えば合戦が短期で決着しやすくなる。 そして重要なのは、名将だけでなく“並の武将”にも役割がある点だ。後方の徴兵、兵糧管理、偵察、治安維持などを任せられる人材が増えるほど、主力が前線に集中でき、勢力としての回転力が上がる。結果として、武将集めが「好きだから集める」ではなく「勢力運用の仕組みを作る」行為として機能し、プレイヤーの満足感が強くなる。
外交・計略が本当に効くので、「三国志らしさ」が濃い
本作の“良さ”として特に推されるのが、外交と計略が飾りではなく、勝敗を左右する手段として成立している点だ。同盟で背後を固める、共同戦線で強国を削る、工作で相手の動きを鈍らせる、情報戦で有利を作る――こうした三国志らしい動きが、プレイヤーの戦略として自然に選択肢に入ってくる。 戦争の強弱だけで勝つゲームだと、最終的に“数字の殴り合い”になりやすいが、『II』では戦争の前から盤面を揺らせるため、勝ち筋が複数ある。外交で勝つ、計略で勝つ、内政で勝つ、合戦で勝つ――それらが繋がって、プレイヤーに「自分のやり方で統一した」という手応えを与える。
戦争が短期決戦になりやすく、テンポが良い
合戦がズルズル長引くと歴史SLGは疲れやすいが、本作は「決着がつく形」を作ると比較的テンポよく勝負が動く。もちろん守備側が硬く、攻める側は準備が必要だが、準備さえ整えば一気に落とせる。 この“段取り→決戦”の流れが気持ちよく、プレイヤーは「次も同じように勝てる形を作ろう」と学習しやすい。結果として、上達する実感が得られ、プレイがだらけにくい。勝てる戦争を選び、勝てる条件を揃え、勝ったら捕虜や降伏で勢力を厚くする――この循環が回り始めると、統一までが加速し、プレイヤーの満足度が上がる。
“地図の塗り替え”が視覚的に分かりやすく、達成感を支える
国を取るたびに勢力図が変わり、自勢力の色が広がっていく。この分かりやすい快感が、本作では特に効いている。なぜなら、ただ色が広がるだけでなく、前線が伸びることで管理が難しくなり、そこを乗り越えるとさらに世界が広がる、という“段階的な達成感”になっているからだ。 序盤は一国一国が重く、中盤は戦線が増えて頭を使い、終盤は大国同士の最終決戦になる。勢力拡大に合わせてゲームの負荷と見どころが変わるので、プレイ全体に起伏が生まれ、最後まで引っ張ってくれる。
シナリオ・君主選択の幅があり、遊び方の自由度が高い
良かった点として、リプレイ性の高さは外せない。時代(シナリオ)を変えれば情勢が変わり、同じ君主でも立場が変わる。強国で安定して覇道を歩む遊びもできれば、弱小で綱渡りの外交を重ねて生き残る遊びもできる。 さらに、プレイヤーの好みで「内政重視」「人材重視」「計略重視」「短期侵攻で一気に拡大」など方針を変えられるため、一度クリアしても終わらない。むしろクリア後に、「次はこの縛りで」「次はこの時代で」と自然に次の物語が生まれる。この“次を遊びたくなる設計”が良かった点として強く語られる。
失敗が学びに直結し、上達が楽しい
歴史SLGは、理不尽に感じると投げやすいが、本作は失敗の原因が比較的分かりやすい。兵糧が足りなければ遠征が崩れる。偵察不足なら想定外の強敵に噛まれる。同盟の目的が曖昧なら背後を突かれる。主力を無理に突っ込めば名将を捕らえられる。 こうした“原因と結果”が見えやすいので、次のプレイで改善しやすく、上達が楽しい。失敗しても「次はこうしよう」が生まれ、プレイヤーが自分で強くなっていく感覚が得られる。これは長寿タイトルになるための重要な条件で、実際に本作は語り継がれるだけの粘り強さを持っている。
雰囲気作りが上手く、長時間プレイでも飽きにくい
歴史SLGは画面が地味になりやすいが、『II』は雰囲気作りが上手い。マップを眺める時間、コマンドを回す時間、外交の緊張、合戦の熱――プレイの局面が変わるたびに気分が切り替わり、長時間でも集中が続きやすい。 “派手な演出”で誤魔化すのではなく、プレイヤーの想像力が働く余地を残しつつ、必要なところはきちんと気分を上げる。このバランスが、当時のパソコンゲームらしい没入感として好意的に受け止められた。
まとめ:良さは「戦略がそのまま物語になる」点に集約される
『三國志II』の良かったところは、操作性やシステムの整理といった技術面だけではなく、内政・人材・外交・計略・合戦が噛み合って、プレイヤーの戦略がそのまま“自分の三国志”になる設計にある。名将を得て局面が変わり、同盟が噛み合って勝ち、捕虜登用で勢力が伸び、地図が塗り替わる――その一連が「自分の判断の結果」として積み上がるからこそ、クリアした後も強い記憶として残る。
■■■■ 悪かったところ
守備側が強く感じやすく、攻めのテンポが詰まりがち
『三國志II』の不満点として挙がりやすいのが、戦争が「守る側有利」に寄って見える局面が多いことだ。攻める側は兵糧・兵力・主力武将の集結など事前準備が必須で、準備不足の侵攻は痛手になりやすい。これは戦略ゲームとして筋が通っている一方、「勢いよく版図を広げたい」「攻めて攻めて統一したい」というタイプのプレイヤーには、テンポが悪く感じられることがある。 また、守備側が強い構造の中で、攻める側はどうしても“勝てる形を作ってから攻める”プレイになりやすい。その結果、手堅く遊ぶほど攻勢が単調になり、侵攻が「準備→侵攻→消耗→また準備」の繰り返しに見えてしまうこともある。ドラマ性のあるゲームなのに、局面によっては作業味が出てしまう、という声に繋がりやすい部分だ。
AIの思考に粗さがあり、読み合いが一方的になることがある
歴史SLG全般に言える弱点だが、本作もAIの判断が常に合理的とは限らず、プレイヤーが慣れるほど「穴」が見えてくる。外交や計略が効く作品であるがゆえに、AIの対応が薄いと、プレイヤー側が盤面を操作しやすくなり、難度が急に下がってしまう。 さらに、AIが人材運用や部隊運用で“もったいない動き”をする場面があると、こちらの主力部隊が成長するほど戦力差が開き、終盤が消化試合になりやすい。序盤は緊張感があるのに、慣れたプレイヤーほど終盤の歯ごたえが落ちる――これは不満として出やすい。
武力偏重に見える瞬間があり、文官の派手さが薄く感じられる
『II』は外交・計略が重要で、知力や魅力も確かに効くのだが、合戦という「一番目立つ局面」では武力の高い武将がどうしても輝きやすい。そのため、プレイ体験としては“結局、武力が強い部隊が勝つ”印象が前面に出ることがある。 知力武将は計略の成功率や防御面で役立ち、魅力武将は登用や外交で効く――理屈では分かっていても、画面上の勝敗を決めるのが主力武将のぶつかり合いになるため、文官の活躍が地味に見えがちだ。「軍師で勝ちたい」「知略で戦争をひっくり返したい」という期待が強いプレイヤーには、もう少し文官の見せ場が欲しいと感じられる場合がある。
勢力差が大きく、君主選びで難易度が極端に変わる
三国志題材の宿命として、強国と弱小の差は大きい。本作は自由度が高く、弱小でも工夫で勝てる作りではあるが、君主やシナリオによっては序盤が非常に厳しく、慣れていないと「何をしても潰される」感覚に陥りやすい。 これは裏を返せば“挑戦の余地”でもあるのだが、初見では最適解が見えづらく、初心者が弱小勢力を選んでしまうと挫折しやすい。強国で学ぶことが前提になってしまう点は、入り口として不親切に感じる人もいる。
情報量が多く、慣れるまで「何が効いているのか」が分かりにくい
本作は人材・外交・計略・合戦が絡むため、初心者は「何を優先すべきか」が見えにくいことがある。兵糧の重要性、偵察の価値、同盟の意味、登用のタイミング――これらは理解すると一気に楽しくなるが、最初は失敗を重ねないと体感しづらい。 とくに外交や計略は、成功と失敗の波があり、効果が間接的に現れることも多い。結果として、「自分の一手が効いたのか、偶然なのか」が分かりにくい瞬間がある。ここで手応えを掴めるかどうかが、評価の分かれ目になりやすい。
中盤以降、管理が増えて“忙しさ”がストレスに変わることがある
武将が増えるほど手数が増えるのは本作の快感だが、勢力が大きくなるほど“やるべき作業”も増える。内政の指示、前線の再配置、偵察、外交の更新、捕虜の処遇、国ごとの防衛計画――これらを毎ターン回すのは、熱中できる人には楽しいが、疲れる人には重い。 特に統一が見えてきた終盤、残り勢力を潰していく段階は、勝利がほぼ確定しているのに管理だけが増え、モチベーションが下がりやすい。AIが強くなりにくい問題とも絡み、終盤の“惰性”を指摘する声に繋がりやすい。
マルチプレイでは「裏切り」が面白い反面、揉めやすい
複数人プレイが可能な環境では、外交が人間同士の読み合いになって面白い一方、同盟破棄や裏切りがそのまま人間関係の揉め事に発展することもある。三国志題材としては最高に盛り上がるが、遊ぶ相手や雰囲気次第では「気まずさ」が残る。 ゲームとして悪いというより、題材とシステムが“人の感情”を直撃するため、遊び方を選ぶ、という意味で不満点として語られることがある。
細かな好み:もっとイベントや演出が欲しいという声
本作はプレイヤーの想像力で物語を補う余白が大きい。その余白こそ魅力なのだが、逆に「もっと歴史イベントが欲しい」「特定の名場面をゲーム内で見たい」と感じる人もいる。演出の密度が高い作品に慣れていると、展開が淡々として見える場合がある。 ただしこれは、パソコンSLGらしい“読むように遊ぶ”味わいと表裏一体で、好きな人はここを長所として捉える。評価が割れやすいポイントだ。
まとめ:悪いところは「伸びしろ」としても語られる
『三國志II』の悪かったところは、守備有利のテンポ、AIの粗さ、武力偏重に見える局面、終盤の管理負荷などに集約される。ただ、それらは「当時のパソコンSLGとしての限界」でもあり、同時に次作以降で改善・発展していく余地にもなった。 そして何より、本作は不満点があっても“自分の三国志が生まれる面白さ”が勝ってしまうタイプの作品だ。欠点を理解した上で遊び方を調整できるほど、むしろ味わいが深くなる――そういう意味で、悪かった点すら語り草になりやすいタイトルである。
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■ 好きなキャラクター
前提:『三國志II』の“キャラクターの魅力”は、数値と物語が結びつくところにある
『三國志II』で語られる「好きなキャラクター(武将)」は、単に有名だから強いから、だけで決まらない。武力・知力・魅力といった表の能力はもちろんだが、登用のしやすさ、裏切りやすさ、相性の噛み合い、捕虜になった時の処遇、同盟や計略の場面での存在感など、プレイ体験の中で“その武将らしさ”が立ち上がる。だから好きな理由も、史実や演義の印象に加えて、「このプレイで助けられた」「あの場面で裏切られて忘れられない」といった“自分の物語”に寄っていく。本章では、よく名前が挙がりやすい武将タイプを、好きになりやすい理由とセットで掘り下げる。
王道の人気:関羽・張飛――「武力が正義」に見える瞬間を作る主役
関羽と張飛は、演義的な三国志の象徴であり、『II』の合戦で「主力が盤面を切り裂く快感」を体現しやすい。好きな理由としては、まず分かりやすく頼れることが挙げられる。守備側が硬い局面でも、主力として投入すると損害を抑えて突破口を作りやすく、短期決戦に持ち込みやすい。 さらに、彼らがいる勢力は“戦い方がはっきりする”。軍備と兵糧を整え、決戦で勝つ、捕虜を得て雪だるま式に強くなる――このテンプレが気持ちよく回り、プレイヤーは自然と「この武将がいるから勝てる」という感覚を持つ。結果として、プレイ体験そのものが彼らへの愛着に直結しやすい。
知略の顔:諸葛亮――勝ち方を“設計”する楽しさをくれる存在
諸葛亮は、単に強いだけでなく、プレイヤーの思考を変える武将として好まれやすい。合戦で派手に暴れるというより、計略や防衛、情報戦、勢力運用の安定に寄与し、「勝ち筋の見通し」を良くしてくれる。 好きな理由として語られがちなのは、「戦争を始める前に勝っている感覚」が得られるところだ。偵察と計略、外交の組み立てを丁寧に回し、相手の形を崩してから決戦する。諸葛亮がいると、その“段取りの正しさ”が結果に繋がりやすく、プレイヤーは「軍師らしい勝ち方」を体験できる。三国志の世界観を“知略で動かしている”感覚が強くなり、そこが魅力として刺さる。
覇者のカリスマ:曹操――「外交と侵略の両方が噛み合う」万能感
曹操は“強い勢力の象徴”として語られやすく、好きなキャラクターとしても常連だ。理由は単純な強さだけではなく、勢力運用の幅が広い点にある。内政を整えれば国力が伸び、戦争では主力が揃い、外交でも有利な立場を作りやすい。 プレイヤーの体験としては、「何をしても形になる」万能感が魅力になる。人材を集めて正面から押しつぶすもよし、同盟で周辺を固めて各個撃破するもよし、計略で敵の結束を崩してから一気に呑み込むもよし。三国志の“覇道”を自分の手で再現できる君主であり、好きになる理由が「勝てるから」だけでなく、「勝ち方を選べるから」に発展しやすい。
義の主役:劉備――苦しい時ほど“物語の中心”になる
劉備は、強国のように安定しているわけではないが、好きなキャラクターとして根強い。理由は“勝った時の物語が濃い”からだ。序盤が苦しく、状況が揺れやすいほど、登用や同盟、捕虜の扱いで一手の重みが増し、「ここで生き残った」という実感が強くなる。 劉備でのプレイは、数値的な優位よりも、局面をつなぎ、人材を得て、少しずつ勢力を厚くするプロセスが印象に残る。結果として、プレイヤーは「勝利=ドラマ」になりやすく、劉備そのものへの愛着が深まりやすい。演義の“義の旗”というイメージと、ゲーム内での綱渡りがうまく重なるのも、好きになりやすい理由だ。
東呉のロマン:孫堅・孫策・孫権――“水際の強さ”と成長物語
孫家の武将が好かれる理由は、地理と運用が“独特の気持ちよさ”を生むからだ。海や川に寄った勢力圏は、守り方が分かると非常にしぶとくなり、同盟と局地戦で相手を削りながら、反撃の機会を狙える。 孫堅や孫策は、勢いのある攻めができる一方で、情勢次第では短期で勝負を決めないと苦しくなることもあり、そのスピード感が“ロマン”として語られやすい。孫権はそこから安定へ移るイメージがあり、世代交代や勢力の成熟を感じながら遊べる。好きな理由が「東呉で天下を取った」という達成感に結びつきやすい一族だ。
最強の裏切り者枠:呂布――強さと危うさが同居する“事件”
呂布は、好き嫌いが割れつつも、強烈に印象に残るキャラクターとして語られやすい。圧倒的な武力で合戦を破壊できる反面、運用を誤ると勢力が不安定になりやすい。 好きな理由としては、「扱いが難しいのに、決まった時の破壊力が最高」という一点に集約されがちだ。呂布がいるだけで戦争の景色が変わり、勝てなかった戦いが勝てるようになる。しかし同時に、裏切りや寝返りのリスク、勢力運用の不安定さがつきまとう。この“強すぎて怖い”感覚が、三国志の人物像と一致し、ゲーム体験として強い物語になる。
軍師・参謀が好きな人に刺さる:司馬懿・周瑜・龐統・荀彧
派手な武力で目立たないぶん、好きな人ほど熱が入るのが軍師・参謀枠だ。司馬懿は、終盤の覇権争いに向けて“勝ち筋を固める”感覚があり、周瑜は東呉の中心として戦争と外交の両方を支える印象が強い。龐統は「もしこの人材が揃ったら」というロマンがあり、荀彧は曹操勢力の“回る仕組み”を作る側として好まれやすい。 好きな理由の共通点は、「戦争の前に勝負を作る」「失敗しにくい勢力運用を整える」楽しさにある。合戦の勝敗だけではなく、外交や計略、登用の成功率、情報の優位など、見えにくい部分で勝ちに行く人ほど、こうした武将に強い愛着を持つ。
“成り上がり”が好きな人に人気:弱小君主たち
『II』は強国だけでなく弱小勢力でも統一が狙えるため、あえて厳しい君主を選んで「物語を作る」遊びが根強い。こうしたプレイヤーの好きなキャラクターは、必ずしも有名武将ではなく、「あの地獄の序盤を支えてくれた」「この国で天下を取った」という“体験の象徴”として選ばれる。 弱小君主は、外交の選択が鋭くなるほど生存率が上がり、登用が成功するほど世界が変わる。だからプレイヤーにとって、その君主は“攻略対象”ではなく“主人公”になりやすい。結果として、知名度よりも、プレイの記憶で好きになるキャラクターが増える。
まとめ:好きなキャラクターは「勝たせてくれた武将」より「物語をくれた武将」
『三國志II』で語られる“好きなキャラクター”は、強い武将に集まりがちではあるが、最終的には「自分のプレイで物語を生んだ人物」が残りやすい。関羽・張飛の決戦力に救われた、諸葛亮の段取りで勝ち筋が見えた、曹操の万能感で覇道を歩めた、劉備の苦境を乗り越えて天下を取った、呂布の危うさごと抱えて勝ち抜いた――こうした体験が、そのまま“好き”の理由になる。 つまり本作は、キャラクターの魅力をゲーム体験に変換する力が強い。だからこそ、誰を好きになるかはプレイヤーごとに変わり、その違いこそが『三國志II』という作品の豊かさを物語っている。
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●対応パソコンによる違いなど
まず押さえたい前提:同じ『三國志II』でも「遊び心地」は機種でかなり変わる
『三國志II』はPC-8801版を皮切りに、PC-9801、MSX2、X1turbo、FM TOWNS、X68000など当時の主要国産PCへ広く展開され、さらに後年はWindows環境でも遊べる形へと繋がっていった作品だ。 ただし、歴史シミュレーションは「入力→思考→表示」のテンポが命なので、CPU性能や表示解像度、色数、音源、記憶媒体の違いが、そのまま体感差に直結する。つまり移植度の話は“完全に別物”というより、「同じ設計を、各機種の得意分野でどう気持ちよく見せたか」という方向で捉えると理解しやすい。
PC-8801mkIISR版:出発点としての素朴さと、テンポの良さ
PC-88版はシリーズ第2作の“原点”として、当時の空気を一番濃く残している。発売日の基準としても、1989年12月のPC-88版が入口に置かれることが多い。 見た目は後発機種に比べると控えめで、マップやUIも「必要十分」に寄せた作りになりやすいが、その分、余計な演出に引っ張られず、黙々と手を動かして戦略を回す感覚が出る。歴史SLGを“机上の作戦盤”として捉える人には、この割り切りがむしろ心地よい。 一方で、色数や解像度、文字の見え方などは後発機種の方が視認性に優れるケースが多く、「長時間プレイの疲れにくさ」は環境次第で差が出る。だからPC-88版は“当時の味”を楽しむ選択として語られやすい。
PC-9801版:情報の見やすさが上がり、管理ゲームとしての快適さが強化
PC-98版は、同じ内容をより見やすく、より整理された感覚で触れやすい印象を持たれがちだ。発売時期としてもPC-88より後に登場している。 歴史SLGは、国ごとの数値や武将の状態、勢力図の変化など“情報の密度”が価値になる。そこで画面の情報量が増えたり、表示が読みやすくなったりすると、それだけで作戦を組み立てる速度が上がる。 よく言われるのは、同じ画面でも「目が迷いにくい」こと。マップの判別、一覧の読解、武将配置の把握がスムーズになると、結果としてプレイテンポが上がり、「もう1ターンだけ」が続きやすい。機種の体感差が、遊びの中毒性に直結するのがこのジャンルらしいところだ。 グラフィック面の比較として、PC-88/PC-98/X68000で画面の雰囲気を見比べる紹介も存在し、特にドットの細かさや見栄えの違いが話題にされることがある。
MSX2版:家庭に近い環境で“本格SLG”を回す挑戦と工夫
MSX2は、当時のユーザー層や利用環境がPC-88/98とは少し違い、ゲーム機に近い感覚で遊ばれていた側面もある。その中で『三國志II』のような情報量の多いSLGを成立させたこと自体が、移植の価値として語られやすい。 MSX2版を語るときのポイントは、豪華さよりも“回ること”。表示できる情報をどう整理して見せるか、ロードや画面切り替えを含めてテンポをどう保つか、という工夫が体験に出る。 つまりMSX2版は、同じ『II』を「別の生活圏」で遊ぶための最適化の積み重ね、と捉えると面白い。机に向かって腰を据えるというより、身近な環境で三国志の作戦会議を始めるような、当時ならではの贅沢がある。
X1turbo版:同時代の国産PC文化の中で“同じ作品を共有する”意義
X1turbo版は、当時の主要国産PCの一角として『三國志II』の輪を広げた存在だ。対応機種の一覧にもX1turboが含まれるように、作品が“特定の陣営のものではなく、PC文化全体の共通語”になっていく過程が見える。 こうしたマルチプラットフォーム展開の面白さは、細部の違い以上に、「同じ戦記を、違う環境の友人同士で語れる」ことにある。今日のように動画共有が容易でない時代、機種が違えば体験の共有が難しくなるが、『II』は多機種展開によって“話題の共通基盤”を作った。X1turbo版は、その文化的な橋渡しの一部として価値がある。
FM TOWNS版:表現力の余裕が、雰囲気と見栄えに効いてくる
FM TOWNSは当時、表現面での余裕を強く打ち出したプラットフォームで、移植作品でも「絵の見栄え」「色の豊かさ」「音の気分の上げ方」が体験を左右しやすい。 歴史SLGは派手さで勝負するジャンルではないが、逆に言えば“雰囲気の良さ”が長時間プレイを支える。マップの色分けが分かりやすい、画面が明るく情報が読み取りやすい、BGMが気分を切り替えてくれる――そうした積み重ねが「疲れにくさ」や「没入の深さ」になり、結果として戦略に集中しやすくなる。 FM TOWNS版は、内容そのものの違いというより、同じ作業を“気持ちよく続けるための環境差”が出やすいタイプだと思っておくと納得しやすい。
X68000版:高い表現力で“画面の説得力”が増し、戦記の重みが出る
X68000版は、当時のハイエンド志向と相性が良く、グラフィック面で比較対象にされやすい。PC-88/PC-98/X68000を並べて雰囲気を見比べる話題があるように、「同じ場面でも見え方が変わる」ことが印象として残りやすい。 そして歴史SLGにおける“見え方”は、単なる飾りではなく説得力に直結する。勢力図が塗り替わっていく様子、城や地形の存在感、武将の顔グラが放つキャラクター性――それらが少しでも力強く見えると、プレイヤーの中で戦記の重みが増す。 また、X68000版には音に関する付加価値(いわゆるサウンドウェア等)で語られる個体もあり、音楽面の楽しみ方が広がる文脈もある。 結果としてX68000版は、「同じシステムを、より“作品らしく”味わう」方向で選ばれやすい。
Windows版:当時の体験を“今の環境で”回すための入口
Windows版(およびPC向け再提供の流れ)は、『II』をレトロ環境に寄せず、現代のPCで遊ぶ入口としての価値が大きい。後年のWindows対応や、さらにSteamなどを通じた提供が語られることで、「当時の名作を今の生活に繋ぐ」役割を担っている。 ここでの“違い”は、グラフィックや音源の優劣というより、遊びやすさそのものだ。セーブや起動の手軽さ、環境構築の簡便さ、プレイ環境の安定性――そうした現代的な利点によって、『II』の面白さを“当時を知らない人”にも渡しやすくなる。 さらに、プレイヤーが当時の機種差を知らなくても、ゲームの核である「人材運用」「外交の駆け引き」「決戦の段取り」といった部分は十分に味わえる。つまりWindows版は、機種差を越えて『II』の骨格に触れるための“現行窓口”として強い。
まとめ:どの機種が上かではなく、「どの味で三国志を回したいか」
対応パソコンごとの違いは、単純な優劣では語り切れない。PC-88の素朴さ、PC-98の見やすさ、MSX2の成立させた工夫、X1turboが支えた共通文化、FM TOWNSやX68000が与える表現の説得力、そしてWindowsが担う現代への橋渡し――それぞれが『三國志II』という同じ骨格に、違う“手触り”を与えている。 だから選び方の正解は、「最強の版」ではなく「自分が一番没入できる版」。戦略を回す速度を重視するのか、雰囲気を重視するのか、当時の空気を追体験したいのか、今の環境で気軽に回したいのか――その答えで、同じ『II』がまったく違う表情を見せてくれる。
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●同時期に発売されたゲームなど
(『三國志II』と同じく1989年末〜1990年前後のパソコンゲームは、いわゆる“フルプライスの大作”が各社から次々に出て、シミュレーション・RPG・箱庭の名作が一気に層を厚くした時期でもあります。ここでは当時の空気感が伝わる代表的な10本を、ゲーム内容が想像できるように要点を噛み砕いてまとめます。なお定価は媒体や版(5インチ/3.5インチ、通常版/廉価版等)で揺れやすいので、ここでは当時の代表的な版の“目安”として記載しています。)
★ドラゴンスレイヤー 英雄伝説
・販売会社:日本ファルコム ・販売された年:1989年 ・販売価格:8,700円(税別の表記が多い) ・具体的なゲーム内容:アクション寄りだった“ドラゴンスレイヤー”系の系譜から、物語主導のRPGへ大きく舵を切った作品。数字の強さだけでなく「旅の途中で何を見て、誰と出会い、どう成長したか」を丁寧に積み上げる構成で、当時の国産RPGが“キャラクターとドラマで引っ張る”方向へ進んでいく流れを象徴する1本。戦闘はコマンド型で遊びやすく、街やダンジョンのテンポも良いので、長編でも“今日はここまで”が作りやすいタイプ。
★ワンダラーズ フロム イース(イースIII)
・販売会社:日本ファルコム ・販売された年:1989年 ・販売価格:8,700円(当時表記) ・具体的なゲーム内容:シリーズの中でも特に“横スクロールARPG”として個性が立った回で、ジャンプや上下攻撃など、手触りを変える要素が前面に出ているのが特徴。体当たり主体の時代から、よりアクション性を濃くしていく過程が見えて、同時期のPCアクションRPGの進化を感じやすい。BGM・演出の勢いも含めて「短い時間でも熱量が高い」タイプの作品。
★エメラルドドラゴン
・販売会社:BASHO HOUSE(バショウハウス) ・販売された年:1989年 ・販売価格:8,800円(税別) ・具体的なゲーム内容:当時のPC RPGらしい“語り口の強さ”が持ち味で、種族や世界観の設定を物語の中心に据え、冒険のモチベーションをイベントで強く牽引するタイプ。ゲーム進行はオーソドックスでも、台詞回しや展開の見せ方で「次が気になる」作りを徹底していて、ストーリーRPGのファンに刺さりやすい。
★サーク(Xak: The Art of Visual Stage)
・販売会社:マイクロキャビン ・販売された年:1989年 ・販売価格:8,800円(税別) ・具体的なゲーム内容:見下ろし視点のアクションRPGで、音楽・雰囲気・テンポを“総合パッケージ”として仕上げた作品。操作感は素直で、敵との間合い管理や回復のタイミングなど、ARPGの基本に集中できる一方、世界の見せ方が丁寧なので「遊んでいるうちに気分が乗ってくる」タイプ。後年の移植・展開が多いのも、当時の支持の厚さを物語る。
★提督の決断
・販売会社:光栄 ・販売された年:1989年 ・販売価格:14,800円(税別) ・具体的なゲーム内容:太平洋戦争を題材に、艦隊運用・補給・作戦の組み立てを“自分の判断の連鎖”として味わわせる戦略SLG。派手な必殺技で勝つのではなく、索敵・制海権・損耗・兵站の現実がじわじわ効いてくる作りで、結果が出るまでに時間がかかるぶん「勝った時の納得感」が強い。歴史SLGで培った光栄の“情報を整理して意思決定させる”設計が、軍事題材でもよく機能している。
★信長の野望・武将風雲録
・販売会社:光栄 ・販売された年:1990年 ・販売価格:14,800円(当時の代表的表記) ・具体的なゲーム内容:群雄割拠の戦国を、内政と軍事の両輪で押し広げていく“中毒性の高い”歴史SLG。大名として国力を整えるだけでなく、武将の配置や調略、合戦の組み立てなど、やることが増えるほど面白くなる構造で、プレイヤーの性格がそのまま戦略に出る。時間をかけて“自分の国の形”を作る遊びは、同時期のPCシミュレーションを代表する味わい。
★大航海時代
・販売会社:光栄 ・販売された年:1990年 ・販売価格:9,800円(通常版の代表的表記) ・具体的なゲーム内容:交易・探検・海戦を混ぜ、世界地図を“自分の足で埋めていく”感覚を前面に出したリコエイション系の名作。国家を動かすというより「船と資金と人材で身を立てる」面白さが強く、寄り道の選択肢が多いほど物語が生まれる。港を繋いで商圏を作る、危険海域を越える、未知の海岸線を発見する――その全部が“成果”として積み上がるので、プレイ日記が自然に書けるタイプのゲーム。
★天下統一
・販売会社:システムソフト ・販売された年:1989年 ・販売価格:9,800円(税別の代表的表記) ・具体的なゲーム内容:戦国の全国制覇を、より“盤面の読み”に寄せて楽しむ歴史SLG。光栄系のドラマ演出より、戦線管理・兵力運用・隣接関係といった“地図をどう料理するか”に重心があるので、同じ戦国でも手触りが違う。作戦を立てる楽しさが強く、ハマると短手数で勢力を崩していく快感が出る。
★ポピュラス
・販売会社:イマジニア ・販売された年:1990年 ・販売価格:9,680円(代表的表記) ・具体的なゲーム内容:いわゆる“ゴッドゲーム”の代表格で、ユニットを直接操るというより、地形や環境を整えて民を増やし、結果として戦況を動かしていく発想が新鮮。プレイヤーの介入が強すぎると作業になるが、弱すぎると見ているだけになる――その中間の気持ちよさを探すゲームで、当時のPCゲームの「操作=命令」一辺倒ではない面白さを広げた。
★シムシティ
・販売会社:フォアチューン(販売表記の例) ・販売された年:1990年 ・販売価格:10,780円(代表的表記) ・具体的なゲーム内容:都市を作る“箱庭”に見えて、実際は財政・交通・治安・災害・住民要望が絡むバランスゲーム。道路を引けば終わりではなく、配置の癖が渋滞や地価に跳ね返り、税率を触れば都市の成長速度が変わるなど、「原因と結果」が分かりやすく、試行錯誤が止まらない。短期の勝利条件より、長期の運営が面白いので、当時のPCユーザーが“寝る前に1ターンだけ”と言いながら時間を溶かすタイプの代表格でもある。
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