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【発売】:ジャレコ
【開発】:カワ電子技研
【発売日】:1983年10月
【ジャンル】:シューティングゲーム
■ 概要
エクセリオンとはどんな作品なのか
『エクセリオン』は、1983年10月にジャレコがアーケード向けに送り出した固定画面型シューティングゲームである。分類としては、敵編隊を迎撃していくいわゆるインベーダー系、ギャラガ系の流れをくむ作品だが、実際に遊んだときの感触はそれらとかなり異なる。最大の理由は、自機の移動に独特の慣性が与えられていること、そして背景表現に奥行きを感じさせる擬似3D演出が採用されていることにある。単に敵を撃つだけの作品ではなく、「どう動くか」「どこまで先を読めるか」が結果に直結するため、見た目以上に思考型で、しかも体感的なクセの強いゲームとして知られている。
当時のシューティングの中で際立っていた個性
1980年代前半のアーケードゲーム市場では、画面上に現れる敵編隊を撃ち落とすシューティングがすでに高い人気を誇っていた。多くの作品が、素早い入力に対して自機が即座に反応する、いわば“手に吸い付くような操作性”を重視していた中で、『エクセリオン』はあえてそこに逆らうような設計を採っている。レバーを倒した瞬間に鋭く切り返せるのではなく、少し滑るように移動し、方向転換にも間が生まれる。この感覚は最初こそ扱いにくいが、慣れてくると、他作品にはない「機体を操縦している」実感へと変わっていく。単なる反射神経勝負ではなく、移動の予測、弾道の見積もり、敵の侵入ラインの把握など、複数の判断が噛み合って初めて高得点につながる構造が、本作の独自性を支えている。
プレイヤーが操る機体と基本の目的
プレイヤーは自軍の戦闘機を操作し、上方から迫る敵部隊を迎撃していく。明快な目的だけを見ると非常にシンプルで、敵に接触したり被弾したりすればミス、残機が尽きればゲームオーバーという、当時のアーケードらしい緊張感の強いルールで進行する。ただし、その単純さの中に本作ならではの工夫がいくつも仕込まれている。敵の出現の仕方、攻撃のタイミング、射撃の当て方、そして自機の止まりにくさが複雑に絡み合い、プレイヤーに毎回違う対応を求める。見た目は古典的でも、実際にはかなり濃い駆け引きが詰め込まれている作品なのである。
二種類のショットが生み出す戦術性
『エクセリオン』の面白さを語るうえで欠かせないのが、二種類のショットの使い分けだ。ひとつは機体の左右から発射されるデュアルショットで、こちらは使用回数の制限がなく、実質的な基本武装となる。ただし画面内に同時に多く撃てるわけではなく、連射で押し切るタイプではないため、しっかり狙って撃つことが重要になる。もうひとつは機首から前方へ飛ぶシングルショットで、こちらは高い連射性能を持ち、状況次第では敵を一気に掃除できる反面、弾数に限りがある。つまり、無限に使えるが重い主力武器と、便利だが資源管理が必要な補助武器が併存しており、局面ごとの判断がそのままゲーム性になる。
この設計が秀逸なのは、単に「強い武器」「弱い武器」で分かれていないところにある。デュアルショットは当て続けることで得点面でも有利に働きやすく、さらにチャージ回復の面でも重要になる。一方のシングルショットは、追い込まれた場面の切り返しや、素早い敵への対処、短時間での殲滅に向いている。つまり本作は、プレイヤーに武器選択を任せることで、毎プレイごとに異なる戦い方を成立させている。これが単なる固定画面シューティングの枠に収まらない奥深さを生んでいる。
慣性移動がもたらす独特のプレイ感覚
本作最大の象徴は、やはり自機の慣性だろう。一般的なシューティングでは、左に倒せば左、右に倒せば右へと機敏に動き、入力をやめればその場で止まる。しかし『エクセリオン』では、入力をやめても機体は少し流れ、逆方向へ向けても即座には反転しない。この“もどかしさ”が、本作をただの難しいゲームで終わらせず、唯一無二の作品に押し上げている。
最初のうちは、この操作感に戸惑う人が多い。避けたつもりが行きすぎたり、戻したつもりが戻りきれなかったりして、あっけなく撃墜される。しかし何度か遊ぶうちに、プレイヤーは「入力してから動く」のではなく、「少し先の位置を予想して今操作する」感覚を覚えはじめる。すると、滑るような挙動がむしろ心地よくなり、敵の進路を読みながら自機を流し込むようなプレイができるようになる。この段階に達すると、『エクセリオン』は急に味わい深い作品へと変わる。反応速度だけではない、操縦そのものの面白さが見えてくるのである。
擬似3D背景が生み出した視覚的インパクト
もうひとつ見逃せないのが、背景表現である。『エクセリオン』は、奥へ流れていくような地表や空間の描写によって、当時としてはかなり新鮮な立体感を演出していた。今の基準で見ればシンプルな擬似3Dだが、1983年という時代を考えれば、この“奥行きがあるように見える画面”は相当に印象的だった。プレイヤーは固定画面の中で戦っているのに、視覚的には前進しているような感覚を得られる。これが慣性移動と結びつくことで、本作特有の浮遊感、加速感、そして宇宙空間を駆けるような感触を生み出している。
背景はただの飾りではない。画面の雰囲気を作り、プレイヤーの心理にも影響を与える。機体がふわりと滑り、敵が上方から降りてきて、背景が奥へと流れていく。この組み合わせによって、『エクセリオン』は2Dシューティングでありながら、単純な平面の撃ち合いには見えない独自の迫力を獲得していた。視覚演出がゲーム性そのものの印象を引き上げている好例といえる。
スコアアタック性の強さも本作の重要な魅力
『エクセリオン』は生き残るだけでも簡単ではないが、それ以上に得点稼ぎの面白さが濃い作品でもある。ショットを命中させ続けることでボーナスが積み上がる仕組みがあり、ただ敵を倒せばよいわけではなく、外さないこと、継続させること、どの武器で仕留めるかがスコア効率に影響する。これによって、初心者はまず生存を目標に、慣れてきた中級者は安定攻略を目指し、上級者は高得点ルートを追求するというように、遊びの階段が明確に用意されている。
しかもこの得点システムは、ゲームの根幹にある武器選択や操作精度と密接に結びついている。連射力の高いシングルショットは派手で爽快だが、スコア面では慎重なデュアルショット運用が有利な場面も多い。そのため、プレイヤーの性格がプレイ内容に出やすい。安全重視で着実に進めるのか、危険を承知で高得点を狙うのか、窮地を切り抜けるために弾数を惜しまないのか。こうした選択の積み重ねが、同じゲームでありながら異なるプレイ体験を生む。
エンドレス性とボーナスステージの存在
本作には明確なエンディングが用意されているわけではなく、プレイヤーが力尽きるまで戦いは続く。いわゆるエンドレス構成であり、当時のアーケード作品らしいストイックな作りといえる。だが単調にならないよう、一定の進行ののちにはボーナス的な局面も用意されている。この区切りがあることで、通常時の緊迫した戦闘と、比較的攻めに集中しやすい場面のメリハリが生まれ、遊び続ける動機にもなっている。
また、ボーナスステージでは通常時とは異なる感覚で撃ちまくれるため、慣性に悩まされる場面の多い本編に対して、気持ちよく火力を発揮できる時間として機能している。『エクセリオン』は全体として難度が高めだが、こうした緩急があるからこそ、単なる苦行ではなく、繰り返し挑みたくなる魅力を保っているのである。
移植によって広がった知名度
アーケードで生まれた本作は、その後さまざまな機種に移植され、ジャレコ作品の中でも比較的長く名前が残る一本になった。特に家庭用移植版では、画面構成や操作感の違いによってアーケード版とは別種の味わいを持つこともあり、原作を知る人にも新鮮な印象を与えた。ジャレコの家庭用展開の初期を語るうえでも、この作品はひとつの節目として語られることが多い。単発で終わるアーケード作品ではなく、移植を通じて別の世代にも認識されたことが、『エクセリオン』の存在感をさらに高めたといえる。
総じてどのような位置づけのゲームなのか
『エクセリオン』を一言でまとめるなら、古典的な固定画面シューティングの形式に、操縦感覚と奥行き表現という新鮮な要素を大胆に持ち込んだ意欲作である。見た目だけならシンプル、ルールだけなら理解しやすい。しかし実際には、自機のクセ、武器の役割分担、得点システム、敵処理の順序といった要素が濃密に絡み合い、非常に個性的なゲーム体験を生み出している。万人向けの親しみやすさよりも、ハマる人を深く惹きつける魅力を優先した作品と言ってよい。
このゲームは、最初の数分で好き嫌いが分かれるかもしれない。だが、そこで終わらずもう少し踏み込むと、「難しい」だけでは片づけられない手応えと面白さが見えてくる。時代を代表する超大作というよりは、独自の発想で一部のプレイヤーに強烈な印象を残した通好みの名作。『エクセリオン』とは、まさにそう呼ぶのがふさわしい作品である。
■■■■ ゲームの魅力とは?
一見すると古典的、遊ぶとまるで別物という驚き
『エクセリオン』の魅力は、最初に画面を見ただけではなかなか伝わりきらないところにある。敵編隊が上方から飛来し、それを自機で迎え撃つという構図だけを見ると、1980年代前半に多く見られた固定画面シューティングの一種に見える。しかし、実際にレバーを握った瞬間、この作品がただの亜流でも模倣作でもないことがすぐにわかる。背景は奥へ流れていくように見え、自機は軽快に切り返すのではなく、ふわりと滑るように移動する。しかもショットは単純な連射一辺倒ではなく、性格の異なる二種類を使い分ける必要がある。この時点で、もう普通の感覚では通用しない。『エクセリオン』は、ルールの表面はシンプルでありながら、手触りの部分で強い個性を放つ作品なのである。擬似3D背景や慣性移動、二種のショットの使い分けは、本作の代表的な特徴として広く語られている。
背景の奥行きが生む、当時としては新鮮な没入感
このゲームの印象を決定づける要素として、まず視覚表現の新しさを挙げたい。『エクセリオン』の背景は、ただ静止した模様が敷かれているだけではなく、まるで地面や宇宙空間が奥へ流れていくように描かれている。この表現がプレイヤーに与える影響は大きい。画面上で起きていること自体は二次元の撃ち合いなのに、感覚としては前進しながら敵陣を突破しているように思えるからだ。固定画面シューティングにありがちな“盤面の上での処理”という印象がやわらぎ、あたかも小さな戦闘機を操縦して空間の中を飛んでいるような気分になれる。この奥行きの演出は、単に珍しいだけでなく、ゲーム全体の世界観とテンポを引き上げる役割を果たしている。1983年当時として、パララックスや擬似3D的な見せ方が印象的な作品だったことは複数の資料でも確認できる。
そして面白いのは、この背景表現が単独で目立っているのではなく、自機の浮遊感と強く結びついている点である。背景だけが奥へ流れても、自機が機敏すぎれば普通のシューティングに見える。しかし『エクセリオン』では、自機が少し遅れて動き、止めてもすぐには止まらない。そのため、背景の流れと自機の漂うような軌道が噛み合い、他作品にはない独特の空中感覚を生み出している。プレイヤーは単に敵を撃つのではなく、空間の中に“体を預ける”ような感覚で機体を動かすことになる。この視覚と操作の一致感こそ、本作が古典作品でありながら今なお印象に残る理由のひとつである。
慣性のある移動が「難しさ」と「気持ちよさ」を両立させる
『エクセリオン』を語るとき、最も多く話題になるのが自機の慣性である。多くのシューティングでは、入力に対して機体が即座に反応し、細かい切り返しで危機をしのぐのが基本になる。ところが本作は、その常識を崩している。レバーを入れた方向へじわりと流れ、ニュートラルに戻しても惰性で少し進み、逆方向への切り返しにも一拍の重みがある。この仕様は、はじめて遊ぶ人にとっては明らかに扱いづらい。だが、その扱いづらさこそが本作を忘れがたい作品にしている。
なぜなら、慣性があることで、回避も攻撃も“先読み”が必要になるからである。敵が今どこにいるかではなく、数瞬後にどこへ来るか、自機がその時どこへ流れていくかを考えながら操作するため、プレイヤーの意識が常に一歩先へ向く。この感覚に慣れてくると、最初は不自由に思えた挙動が、次第に「操縦している」という実感へ変わっていく。左右にピタリと止まる機体ではなく、質量を持った何かを飛ばしているような感触があり、それが撃墜を避けた瞬間や、敵の隊列をすり抜けた瞬間に大きな満足感を生む。『エクセリオン』は、単に難しいゲームではなく、“思い通りに操れた時の快感が大きいゲーム”なのである。慣性のある独特の操作感は、攻略面でも大きな特徴として繰り返し言及されている。
デュアルショットとシングルショットの使い分けが熱い
攻撃面においても、本作は単純な撃ちっぱなしでは終わらない。プレイヤーには大きく分けて二種類のショットが与えられている。ひとつはデュアルショットで、これは機体の左右から放たれる主力武装である。発射回数に厳しい上限はなく、長く戦ううえで頼れる存在だが、気軽に弾幕を張れるタイプではない。もうひとつはシングルショットで、こちらは前方へ鋭く飛ぶ高速弾であり、連射性能が高い代わりに弾数管理が必要になる。つまり、安定性のある主兵装と、瞬発力に優れた切り札を両方持ち、それらを状況に応じて使い分ける構造になっている。二種の武器の性格の違いは、作品の戦略性を支える重要な軸である。
このシステムが面白いのは、どちらか一方だけを使えば済むわけではない点にある。安全に敵を減らしたい時、弾数を温存したい時、命中を積み重ねてリズムを作りたい時にはデュアルショットが活きる。一方で、敵の数が多い場面、巨大な敵や危険な敵を早めに落としたい場面、包囲されかけた場面ではシングルショットの連射力が心強い。この“判断の余地”があるから、プレイヤーはただ反射で撃つのではなく、自分なりの戦い方を作り上げることができる。同じステージでも、慎重派はデュアル中心、攻撃派はシングルを大胆に投入するといったように、個性がプレイに表れやすい。それが作品への愛着にもつながっていく。
敵を壊す爽快感が想像以上に大きい
『エクセリオン』は、操作にはクセがあるが、敵を破壊した時の気持ちよさは非常に明快である。敵が編隊で迫ってくる構造上、うまく位置取りができると連続して撃ち落とせる場面が生まれやすい。特にシングルショットを的確に使って敵をまとめて処理できた時は、一気に流れを掌握したような感覚になる。しかも本作は、ただ壊れるだけでなく、画面演出やテンポ、ショットの感触が心地よく組み合わさっているため、成功した時の達成感が大きい。少し前まで自機の滑りに振り回されていたのに、そのクセを逆に利用して危険をくぐり抜け、敵を一掃できた時の快感は格別である。
また、本作の爽快感は、派手な大爆発や過剰な演出に頼っていないところも魅力だ。現在の感覚で見れば画面は簡素だが、そのぶん一発一発の意味が重く、命中の価値が高い。だからこそ、敵を仕留めるたびに「自分の判断が当たった」という感覚が積み重なる。単なる破壊の快感ではなく、先読みと操作の結果として勝ちをつかみ取る感覚があるため、満足度が深いのである。
スコアを狙うほどゲームの奥行きが増していく
『エクセリオン』は、ただ生き残るだけでも十分に手応えがある作品だが、本当の面白さはスコアアタックの段階に入るとさらに強くなる。ショットを当て続けることで得点効率が上がる仕組みがあるため、やみくもに撃つよりも、外さずに当て続ける技術やリズム感が重要になる。これは単純な「敵を倒した数」の勝負ではなく、「どれだけ美しく処理したか」を問う設計だと言える。ボーナスの伸ばし方を意識し始めると、プレイヤーは敵の動きだけでなく、自分の射撃のテンポまで考えるようになる。こうなるとゲームの見え方が一段変わり、単なるアクションゲームから、計算と感覚の両方を使う競技的な作品へと姿を変える。命中継続によるボーナス性や、ボーナスステージでの得点・補充要素は本作の特徴として紹介されている。
特に本作では、武器選択とスコア性が自然につながっているのが巧みである。連射力のあるシングルショットは緊急時や殲滅時に便利だが、精密に当て続ける運用を考えると、場面によってはデュアルショットを軸にした方が安定しやすい。つまり、強い武器を連打するだけでは最高率にならない。そこにプレイヤーの工夫の余地があり、上達するほど「自分は今、ただ生き残っているのではなく、うまく遊べている」と感じられるようになる。この“技術がそのまま面白さに変わる感覚”は、古典アーケードゲームの醍醐味そのものであり、『エクセリオン』はその魅力を非常に濃く味わわせてくれる。
ボーナスステージが緊張と解放のメリハリを生む
本作の魅力は、常時張り詰めた難しさだけではない。一定の流れの先にはボーナスステージが待っており、通常時とは少し異なる空気でスコアや補充を狙える。この構成がゲーム全体にリズムを与えている。普段は慣性と敵編隊に苦しみながら生き残りを目指し、節目では思いきり撃って成果を取りにいく。こうした緩急があるからこそ、プレイ体験が単調にならない。ボーナスステージがシングルショットの補充や得点面でありがたい存在になっている点も指摘されている。
プレイヤーにとってボーナスステージは、単なるおまけではなく、次の展開への呼吸を整える場でもある。苦しい通常戦で消耗した気持ちを一度前向きに切り替えられるし、うまくこなせば資源面でも有利になる。こうした設計は、アーケード作品としてのテンポづくりがよく考えられている証拠である。短時間で印象を残し、再挑戦したくさせるには、緊迫感だけでも爽快感だけでも足りない。その両方をうまく回しているところに、『エクセリオン』の完成度の高さがある。
上達するほど味が出る「通好み」の面白さ
このゲームは、初見でいきなり万能感を味わえるタイプではない。むしろ最初は動きにくく、敵は速く、思い通りにならずに終わることも多いだろう。だが、その不自由さの中にこそ本作の魅力がある。少しずつ慣性の癖が読めるようになり、敵の出現の仕方が見えてきて、どこでシングルショットを切るべきか判断できるようになると、ゲーム全体が急に面白くなる。いわば“理解が快感に変わる”タイプの作品なのである。『エクセリオン』は、遊び手に歩み寄る親切さよりも、遊び手が踏み込んだ分だけ深く応えてくる魅力を持っている。
だからこそ、本作は大衆向けのわかりやすい名作というより、刺さる人には強く刺さる通好みの一作として記憶されやすい。慣性のある機体操作、擬似3Dの空間感覚、二種ショットの戦術性、命中継続によるスコアの伸び、ボーナスステージの息継ぎ。これらがすべて別々に面白いのではなく、ひとつの作品の中で自然につながっている。そこが『エクセリオン』の本当の強さである。
結局、このゲームの魅力はどこに集約されるのか
総合して言えば、『エクセリオン』の魅力は「ただのシューティングでは終わらない」ことに尽きる。敵を撃つだけなら他にも多くの作品がある。しかし本作には、自機を操る感触そのものの面白さがあり、背景を見る楽しさがあり、状況に応じて武器を使い分ける判断の妙があり、スコアを詰めていく競技性がある。プレイを重ねるほど、新しい発見が出てくる構造になっている。ひとことで爽快、ひとことで難しい、と単純には片づけられない複雑な魅力が詰まっているからこそ、今なお語りたくなる価値がある。
『エクセリオン』は、アーケードシューティングの歴史の中で、決して最大級の知名度を誇る作品ではないかもしれない。それでも、“他と違うものを作ろう”という意志がはっきり伝わる作品であり、その挑戦が遊びの手触りにまで落とし込まれている点で非常に魅力的である。目新しさだけで終わらず、今なお「面白さ」として通用する。そこに、このゲームの本物の価値がある。
■■■■ ゲームの攻略など
まず理解したいのは「反射神経だけでは勝てない」ということ
『エクセリオン』を攻略するうえで最初に頭へ入れておきたいのは、この作品が一般的な固定画面シューティングと同じ感覚では通用しにくいという点である。見た目だけを見ると、上方から飛来する敵を撃ち落とすシンプルなゲームに見えるため、つい他の作品と同じように「敵が来たら避ける」「危なくなったらすぐ反対へ切り返す」という操作をしがちになる。だが、本作ではこの考え方が通じにくい。自機に慣性があるため、危険を見てから慌てて避けようとしても、その場でピタリと止まったり素早く切り返したりはできないからだ。したがって攻略の第一歩は、敵の動きを見て反応することではなく、少し先の展開を見越して自機の位置を前もって整えておくことにある。
この考え方が身につくと、ゲーム全体の見え方が大きく変わる。最初は「操作しづらい」「自機が言うことをきかない」と感じていたものが、やがて「今この方向へ流しておけば次が安全になる」という予測に変わる。つまり本作は、瞬間的な回避能力よりも、軌道の読みと位置取りの計画性が重要なゲームなのである。ここを理解しないまま突っ込んでしまうと、敵より先に自分の動きに振り回されてしまう。逆に言えば、この独特の感覚をつかめば、見た目以上に落ち着いて対処できる作品でもある。
自機の慣性は「止める」より「流す」意識で扱う
本作の攻略で最重要なのは、やはり慣性移動との付き合い方である。初心者のうちは、どうしても自機を細かく制御しようとしてしまう。だが、『エクセリオン』では細かい微調整をしようとするほど逆に不安定になりやすい。止めたい位置できっちり止めるというより、ある程度の流れを前提にして、機体の移動をなだらかに組み立てる方が安定する。言い換えれば、レバー操作で無理やり機体をねじ伏せるのではなく、機体の癖を利用して進行方向を作ることが大切になる。
具体的には、危険が見えてから大きく逃げるのではなく、常に少しずつ安全な位置へ寄せておくのが基本になる。敵が降下してくるラインを見て、そのラインと自機の軌道が重ならないよう、少し早めに動き始める。こうした“先に動く”意識があるだけで被弾率はかなり下がる。また、急な方向転換を連発すると慣性のせいで移動が散らかりやすいので、なるべく一度決めた流れを崩さず、緩やかに位置を調整していく方がよい。最初は思うようにいかなくても、自機の滑り方を身体で覚えていくと、次第に「ここまで流れる」「ここで戻せばちょうどいい」という感覚が育ってくる。この感覚こそが攻略の土台になる。
序盤は画面下寄りを保つと立て直しやすい
安定攻略を目指すうえで有効なのが、序盤では無理に画面上側へ出ず、比較的下寄りで戦う意識を持つことである。画面下にいると、上から来る敵を確認してから対応するまでの時間が取りやすく、慣性の大きい本作でも比較的落ち着いて回避や迎撃を行える。逆に上へ上がりすぎると、敵との距離が近くなりすぎて判断時間が短くなり、慣性によるタイムラグが致命傷になりやすい。敵の侵入角度や自機の滑り具合をまだ十分につかめていない段階では、下側を主戦場にした方がはるかに安全である。
もちろん、ずっと最下段に貼りつけばすべて解決するわけではない。敵の動きによっては左右の逃げ場が狭くなったり、攻撃の角度が制限されたりすることもある。しかし序盤の練習段階では、下側に軸を置くだけでも生存時間は伸びやすい。特に本作では、上へ詰めることそのものがリターンになる場面よりも、無理なく安全圏を維持しながら敵の動きを見切ることの方が重要である。無理に攻め込まず、まずは自機を安定して捌ける高さを見つけることが攻略の第一段階となる。
デュアルショットは「基本武装」であり「命中感覚を作る武器」でもある
攻撃面では、まずデュアルショットの使い方を身につけることが重要になる。この武器は無制限に使える主力ショットであり、ゲーム全体の土台を支える存在である。派手に連射できるわけではないため、最初は頼りなく感じるかもしれないが、実際には非常に重要な役割を持っている。なぜなら、本作はただ撃てばいいのではなく、正確に当てて流れを作ることが求められるからだ。デュアルショットは左右から発射される関係で、単純な一点狙いというより、自機の位置と敵の侵入ラインをうまく合わせて当てる感覚が大事になる。この武器を扱えるようになると、自機操作そのものも上達しやすい。
また、デュアルショットはリズムを整える武器でもある。連射が効きすぎないぶん、一発ごとの意味が大きく、無駄撃ちが減る。そのため、敵の出現タイミングをよく見て、「ここで撃てば当たる」という間合いを覚えやすい。初心者がありがちな失敗として、危険を感じるたびに焦ってショットを乱発し、自機の位置取りまで崩してしまうことがある。だが、本作では落ち着いて一発ずつ当てる姿勢が結果的に安定につながる。まずはデュアルショットを中心に使い、敵の流れと自機の動きの噛み合わせを学ぶことが、上達への最短ルートである。
シングルショットは「非常用」ではなく「使いどころを選ぶ切り札」
一方のシングルショットは、連射が可能で前方に強く、危険な場面を一気に処理できる優秀な武器である。ただし、これに頼り切ると長続きしない。弾数に限りがあるため、何も考えずに連射すると、肝心な場面で残弾不足に陥りやすいからである。よって攻略の基本は、シングルショットを普段から撒き散らすのではなく、「ここで使えば盤面が一気に楽になる」という局面に絞って投入することになる。
たとえば、敵が重なって危険なラインを形成している時、デュアルショットでは処理が間に合いにくい時、あるいは包囲されそうで強引に突破口を開きたい時など、短時間で火力が欲しい場面ではシングルショットが非常に頼もしい。逆に、まだ余裕があり、落ち着いて敵を一体ずつ処理できる場面では温存する方がよい。初心者のうちは「危ないから撃つ」「敵が見えたから撃つ」という雑な使い方になりやすいが、上達してくると「シングルを切ることでどれだけ盤面が楽になるか」を基準に考えられるようになる。この差がそのまま安定感の差になる。
チャージ管理は“ケチりすぎず、浪費しすぎず”が理想
シングルショットを使う以上、チャージ管理も攻略の重要項目となる。とはいえ、ここで陥りやすいのが極端な考え方である。ひとつは「もったいないから絶対に使わない」という温存しすぎの発想。もうひとつは「強いからどんどん使う」という浪費型の発想だ。前者は危険な局面で必要な火力を出せずに押し切られやすく、後者は長期戦で苦しくなる。理想は、使うべき時にはしっかり使い、使わなくても済む場面では抑える、という中庸の感覚である。
このゲームでは、リソースを抱え込むこと自体に大きな意味はない。結局ミスをすれば立て直しが必要になる以上、危険を減らせる場面で適切にシングルショットを使う方が生存にはつながりやすい。重要なのは、“今の一射が生存率をどれだけ上げるか”を考えることだ。たとえば、数発使うことで敵の密集が崩れ、安定した形に戻せるなら、それは十分に価値がある。一方、ただ不安だからと連打するのは避けたい。チャージ管理は節約ゲームではなく、局面価値の判断なのである。
敵編隊は「全部を追いかけない」方が安定する
攻略のコツとして意外に重要なのが、出てきた敵を片っ端から追い回そうとしないことである。『エクセリオン』は自機の機動が重く、敵の出現も素早いため、すべての敵に完璧に反応しようとすると動きが散らかりやすい。特に、遠い位置にいる敵を無理に追うと、その移動の途中で別の敵に進路を塞がれたり、慣性のせいで戻りきれなくなったりしやすい。したがって、まずは「今自分の進路に関わる敵」「危険度の高い敵」を優先的に処理する意識が大切になる。
この考え方は、実はスコア狙いにもつながる。無理にすべてへ反応しようとすると、ショットの精度が落ち、外しやすくなり、結果としてリズムも崩れる。逆に、優先順位をつけて危険な敵から処理すれば、自機の流れを維持しやすく、命中の連続も作りやすい。攻略とは、敵を全部見ることではなく、どの敵から見るべきかを判断することでもある。本作ではこの取捨選択がとても重要だ。
初心者は「生存優先」、慣れたら「命中継続」を意識する
『エクセリオン』はスコアシステムも魅力だが、最初から高得点だけを狙うと崩れやすい。まずは長く生き残ることを第一に考えた方がよい。慣性移動にまだ自信がない段階では、無理にコンボ感覚や効率を意識するよりも、安全な位置取りと確実な迎撃を優先した方が結果的に先へ進める。特に本作は、一度パニックになると立て直しが難しいため、危ない場面を作らないこと自体が最大の攻略になる。
そしてある程度生存が安定してきたら、次の段階として“当て続ける意識”を加えていくとよい。ショットの命中を継続することは得点面で有利になるだけでなく、プレイ全体の精度向上にもつながる。外さずに当てるためには、無理な位置取りを減らし、敵との間合いを見極め、焦らず撃つ必要がある。つまり、スコア狙いの意識はそのまま安定攻略の技術にもなっているのである。ただし順番は大事で、まずは生き残ること、その次に美しく処理すること。この段階を踏むと、ゲームの面白さが自然に深まっていく。
ボーナスステージは補給と感覚調整の場として使いたい
通常戦で神経を使う本作において、ボーナスステージは非常にありがたい存在である。単なる息抜きではなく、得点と資源を確保し、次の戦いへ向けて流れを整える場でもある。通常時よりも積極的に攻めやすいため、ここではしっかり敵を落として成果を伸ばしたい。とくにシングルショットの補充面を考えると、ボーナスステージをどれだけ活かせるかでその後の余裕も変わってくる。
また、この局面は操作感覚を取り戻す意味でも重要である。通常戦で何度も危険をくぐっていると、プレイヤーは無意識に操作が固くなりがちだ。ボーナスステージでは比較的のびのび撃てるため、焦りをリセットし、自分のテンポを取り戻しやすい。この一呼吸があるだけで、次の通常戦への入り方もずいぶん変わる。攻略とは単にテクニックだけではなく、プレイヤー自身のリズムをどう保つかでもあるのだ。
高得点を狙うなら「派手さ」より「精度」を重視したい
本作でスコアを本格的に狙うなら、見た目の派手さよりも命中精度を優先する考え方が必要になる。連射で敵を薙ぎ払うプレイは爽快だが、常にそれが最良の得点効率になるとは限らない。むしろ、丁寧に当て続け、ショットを無駄なく使い、自機の流れを崩さない方が長期的には得点を積みやすい。特にデュアルショット中心の安定した命中は、堅実でありながら高い成果につながりやすい。
ここで重要なのは、派手なプレイを否定することではない。シングルショットによる連射で一気に盤面を制圧するのも、本作ならではの快感である。ただし高得点を目指すなら、その快感をどこで使うかまで含めて設計しなければならない。つまり、スコアアタックとは火力の誇示ではなく、局面判断の積み重ねなのである。どの敵をどう処理し、どの場面でリスクを負い、どの場面で堅実にいくか。この選択の洗練が、上級者らしいプレイを形作る。
最終的な攻略の核心は「自機の癖を味方に変えること」
『エクセリオン』の攻略を突き詰めると、結局はひとつの結論にたどり着く。それは、自機の慣性という癖を、いつまでも欠点として見るのではなく、自分の武器として扱えるようになることだ。最初は誰でもこの機体に振り回される。だが、上達したプレイヤーは、この癖を嫌うのではなく利用する。流れるからこそ回避できる角度、滑るからこそ作れる射線、前もって動くからこそ安全になる位置を理解し、その上でショットを選び、敵を処理していく。そうなった時、『エクセリオン』は単なる難作ではなく、非常に手応えのある技巧派シューティングへと変わる。
このゲームの攻略は、覚えゲー一辺倒でも、反応勝負一辺倒でもない。もちろん敵の出現や危険な形を知ることは大切だが、それだけでは不十分で、最終的には自機との対話が必要になる。どこまで流れるか、どのタイミングで切り返せるか、どの武器なら今の局面を楽にできるか。それを身体で理解していく過程そのものが、本作最大の攻略であり、同時に最大の魅力でもある。難しいが、わかり始めると急に面白くなる。『エクセリオン』の攻略とは、まさにその“わかる瞬間”へ到達するための道のりなのである。
■■■■ 感想や評判
登場当時に受け止められた第一印象
『エクセリオン』が登場した当時、多くのプレイヤーが最初に抱いた感想は、おそらく「見た目は知っているタイプのシューティングなのに、触るとまるで違う」というものだったはずである。上から敵が現れ、自機で迎え撃つという構図自体は、当時すでにゲームセンターで広く知られていたスタイルに属していた。そのため、初見の客は一見すると取っつきやすい作品だと感じやすかった。しかし実際にコインを入れて遊ぶと、レバーを入れたとおりにキビキビ動くわけではなく、機体が慣性を伴って滑るように動くため、一般的な固定画面シューティングの感覚で臨んだ人ほど戸惑いやすかった。この“見た目とのギャップ”こそが、本作に対する最初期の評判を形作った大きな要因だったと考えられる。
つまり『エクセリオン』は、わかりやすく気持ちよく遊べる作品というより、「これは何だろう」とプレイヤーに一歩踏み込ませるタイプのゲームだったのである。最初の印象で好きになる人もいれば、癖の強さゆえに距離を置く人もいた。だが、その賛否が分かれたこと自体が、この作品の個性の強さを物語っている。無難にまとまったゲームならば、ここまで印象に残らない。『エクセリオン』は、初見の時点で他作品と違う何かを確かに感じさせるタイトルだった。
「難しい」という感想が非常に目立つ作品だった
本作の感想を語るうえで外せないのが、難易度に対する印象である。多くのプレイヤーにとって、『エクセリオン』は決してやさしいゲームではなかった。敵の動きそのものも油断できないが、それ以上に自機の慣性が厄介で、危険を察知してから普通に避けるだけでは間に合いにくい。慣れていない段階では、避けたつもりが滑りすぎたり、逆へ切り返したつもりが間に合わなかったりして、あっけなくやられてしまう。こうした経験をした人は少なくなかっただろう。
そのため、感想としては「難しい」「癖が強い」「最初はどう遊べばいいのかわかりにくい」といったものがかなり多かったと考えられる。ただし興味深いのは、この難しさが単なる理不尽さとして片づけられていない点である。確かに合わない人にとってはとっつきにくい作品だったが、一方で「慣れると面白い」「最初の壁を越えると一気にハマる」という声も生みやすかった。つまり『エクセリオン』の難しさは、門前払いの冷たさというより、“理解できる人だけが深く入っていける入口”のようなものだったのである。
独特の操作感に魅了されたプレイヤーも少なくなかった
『エクセリオン』の評判が一面的ではない理由は、慣性移動に対して強く惹かれた人が確かに存在したからである。一般的なシューティングでは、入力と移動が直結する快適さが重視される。しかし本作では、あえてその素直さを崩すことで、機体を“操縦している”ような手触りを作り出していた。この感覚は、人によってはストレスに映るが、別の人にとっては強烈な魅力になる。特に、ただ反応するだけのゲームに物足りなさを感じていたプレイヤーにとって、『エクセリオン』の重みと浮遊感は新鮮で、他にはない遊び味として記憶に残りやすかったはずである。
この種の感想を持つプレイヤーは、本作を単なる難作としてではなく、“やり込むほど良さがわかる作品”として受け止める傾向がある。最初は思い通りに動かせないが、繰り返し触れていくうちに、自機の癖が自分の感覚に馴染んでいく。そうなると、それまで欠点に思えていた部分が、むしろ本作の醍醐味に変わる。こうした変化を味わった人にとって、『エクセリオン』はただの古いシューティングではなく、「自分が上達していく感覚を強く味わえる作品」になったのである。
見た目の派手さ以上に、手触りの記憶が残るゲーム
当時の人気アーケードゲームの中には、ひと目で伝わる派手な演出や、わかりやすい爽快感で支持を集めたタイトルも多かった。そうした中で『エクセリオン』は、視覚的にも十分印象的ではあったが、それ以上に“遊んだ時の感触”が語られやすい作品だったといえる。擬似3D風の背景演出は確かに目を引いたが、それだけでは終わらない。背景の流れ、自機の慣性、ショットの打ち分け、敵の編隊処理、これらがすべて合わさって、プレイヤーの中に独特の手応えとして残るのである。
そのため、本作に対する感想は「画面がすごかった」で終わりにくい。「妙に難しかった」「でも慣れてくると気持ちよかった」「他のシューティングと感覚が全然違った」といった、体験ベースの言葉で語られやすい。これは、ゲームとしての芯がしっかりしていた証拠でもある。単なる珍しさだけの作品なら、時間が経てば印象は薄れてしまう。しかし『エクセリオン』は、実際に触れた時のクセやリズムが強く記憶に残るため、後年になっても「あの独特なゲーム」として思い出されやすかったのである。
スコアラー層から見た評価は比較的高かったと考えられる
本作は、ただ先へ進めばよいというだけでなく、命中を継続することで得点効率が変化するなど、スコアアタック的な味わいも濃い作品であった。こうした作品は、単純に一回遊んで終わるライトユーザーよりも、何度も繰り返して記録を伸ばしたいプレイヤーに強く支持されやすい。『エクセリオン』もまさにその傾向を持っており、難しさに慣れたうえで精度の高いプレイを追求する人ほど、その面白さを深く感じられたはずである。
一般の来店客から見ると「難しくて癖が強い」で終わることもあっただろうが、スコアを詰めることに喜びを見出す層からすると、本作の設計はかなり魅力的だった。どの武器で敵を落とすか、どこでシングルショットを使うか、どれだけ命中をつなげるかといった判断が、そのまま得点に跳ね返ってくるからである。つまり『エクセリオン』は、万人に広く受けるタイプではない代わりに、理解の深いプレイヤーから高く評価されやすい、いわば通好みの作品だったと言える。
一方で、万人向けとは言い難いという評価も根強かった
高く評価する声がある一方で、「人を選ぶ作品」という見方もまた非常に自然である。『エクセリオン』は、初めて触るプレイヤーに対して強い親切さを示すゲームではない。自機の挙動は素直ではなく、少しのミスが大きな崩れにつながりやすく、敵への対処も慣れないうちは忙しい。そのため、短時間で爽快さを味わいたい人、直感的な操作を好む人にとっては、どうしても遊びにくい印象が残りやすい。
これは決して欠点だけではないが、評価が割れる理由ではある。ゲームセンターという場では、数分で「またやりたい」と思わせるわかりやすさが強みになることも多い。その点で『エクセリオン』は、理解が進むほど面白くなるタイプであるぶん、入口の段階では少し不利だったかもしれない。だからこそ、本作への感想には「すごく面白い」と「どうにも馴染めない」が共存しやすい。だが、この両極端な反応もまた、作品に独自の芯があるからこそ生まれるものだった。
ゲーム雑誌的な視点で見ても“意欲作”という印象が強い
当時のゲーム作品は、単純に遊びやすさや派手さだけでなく、「何か新しいことをやっているか」という観点でも注目されていた。そうした文脈で見ると、『エクセリオン』はかなり意欲的な作品に映ったと考えられる。背景の奥行き表現、慣性を伴う自機移動、二種類のショット、スコア性の強い設計など、どれも既存の人気ジャンルをなぞるだけでは終わらない工夫であった。したがって、本作に対しては「挑戦的」「個性的」「独創性がある」といった見方がなされやすかったはずである。
もちろん、革新的であることと遊びやすいことは別問題であり、その新しさがそのまま万人に歓迎されたとは限らない。しかし、少なくとも埋もれるタイプの作品ではなかった。良くも悪くも語りどころが多く、「ただの普通のシューティングではない」という認識を与えた点で、メディア的にも話題にしやすい要素を持っていたと言える。ゲームとしての賛否は分かれても、“個性の強いタイトル”としては印象を残しやすかったのである。
家庭用移植を通じて再評価された側面もある
アーケードでの感想や評判だけでなく、家庭用への移植をきっかけに本作へ触れた人々の存在も無視できない。業務用ゲームとして出会った人にとっては、ゲームセンターの緊張感や短時間勝負の空気も込みで『エクセリオン』の印象が形作られていた。一方で、家庭用移植版に触れた人は、何度も繰り返し遊びながら本作の癖をじっくり理解することができた。そのため、アーケードで「難しくて終わった」と感じた層とは別に、「家で繰り返していたら面白さがわかった」という受け止め方も生まれやすかった。
この違いは評判にも影響する。アーケードでは短期決戦ゆえにクセの強さがマイナスに映りやすいが、家庭用ではそのクセを研究する余地があるため、むしろ独自性として楽しめる場合がある。そうした意味で、『エクセリオン』は一回の第一印象だけで評価が固まりきらない作品でもあった。長く触れるほど再評価されやすい設計を持っていたことが、後年まで名前が残る理由のひとつになっている。
プレイヤーの感想は「爽快」より「手応え」に集まりやすい
『エクセリオン』を遊んだ人の反応を想像すると、「とにかく爽快だった」という一言よりも、「やりごたえがあった」「難しいけれど忘れられない」「思い通りに動かせた時がすごく気持ちよかった」といった言葉の方がしっくりくる。これは本作が、気軽な娯楽としての気持ちよさよりも、攻略していく楽しさや、自分の腕が追いついていく感覚に価値を置くタイプのゲームだからである。
つまり、感想の中心にあるのは“快感の派手さ”ではなく“手応えの濃さ”である。敵を大量に吹き飛ばす豪快な作品とは別の方向で、プレイヤーの印象に深く残る。少しずつ扱えるようになり、自分なりのプレイリズムができてきた時、このゲームは一気に面白くなる。その瞬間を経験した人ほど、高く評価しやすい。逆に、そこへ到達する前に離れた人は、難しくて扱いにくい作品として記憶する。両者の感想が大きく分かれるのは、この作品が“理解の深さ”で評価が変わる構造を持っているからである。
長い目で見たときの評価は「独自性の強い佳作」に近い
後年の視点から本作を振り返ると、『エクセリオン』は圧倒的な国民的名作というより、独自の味わいで記憶される佳作、あるいは意欲的な個性派として捉えられることが多いだろう。知名度の面で最上位に立つ作品ではなくても、アーケードシューティングの流れの中で「こういう変わった面白さを持つゲームがあった」と語り継がれるタイプの一本である。しかもそれは、奇抜なだけで終わった作品ではなく、しっかりと遊び応えを持ち、好きな人には強く刺さる内容だったからこそ成立している評価である。
このように、『エクセリオン』の感想や評判を総合すると、決して万人向けではないが、独特の操作感と空間演出、戦術性、スコア性によって確かな支持を得た作品だったと言える。難しい、癖が強い、でも面白い。馴染むまでは厳しい、しかし馴染んだ後は他にない味がある。そうした相反する印象が同時に成り立つところに、本作の魅力と評価の本質がある。
総合すると、評判の分かれ方そのものが魅力の証明でもある
最終的に『エクセリオン』の評判をひとことでまとめるなら、「人を選ぶが、刺さる人には深く刺さる作品」である。誰にとっても遊びやすい万能型のゲームではなかった。しかし、だからこそ他にはない強い印象を残した。自機の慣性に戸惑った人もいれば、その重みこそが魅力だと感じた人もいた。背景の奥行き表現に驚いた人もいれば、スコア性の深さに夢中になった人もいた。つまりこの作品は、ただ通り過ぎられるのではなく、何らかの感情を残しやすいゲームだったのである。
評価が割れる作品は、しばしば個性が強い。『エクセリオン』もまさにそうした一本だった。そして個性の強い作品は、時代を経ても再び語られやすい。あの独特の操作感、あの癖、あの難しさ、あの妙な気持ちよさ。そうした感覚の記憶が残り続ける限り、『エクセリオン』はただの古いシューティングではなく、“体験として記憶されるゲーム”であり続けるのである。
■■■■ 良かったところ
他のシューティングにはない独特の操作感が強い個性になっていた
『エクセリオン』の良かったところとして、まず真っ先に挙げられるのは、自機に慣性がついた独特の操作感である。これは本作の難しさの原因として語られることも多いが、同時に最大の魅力として支持された部分でもあった。多くの固定画面シューティングが、入力に対して素早く機敏に反応する気持ちよさを軸に作られていたのに対し、本作はあえてそこを外し、滑るように動く機体をプレイヤーへ委ねた。この発想そのものがかなり大胆であり、実際に遊んでみると、単なる「撃つゲーム」ではなく「操るゲーム」になっていることがわかる。
最初は扱いにくいと感じても、何度か触れているうちに、その癖がだんだん身体へなじんでくる。そうなると、今度はその不自由さが心地よさへ変わる。普通のゲームなら簡単にこなせる切り返しや位置調整を、本作では先読みしながら丁寧にこなさなければならない。そのぶん、危険な攻撃を紙一重でかわした時や、思い通りの位置へ流し込めた時の満足感がとても大きい。つまりこの操作感は、単なる変わり種の要素ではなく、プレイヤーに「自分が上達している」という実感を強く与えてくれる優れた仕掛けだったのである。扱いづらさを乗り越えた先に独特の快感がある点こそ、本作を高く評価する人々が特に好んだ部分だったと言える。
擬似3Dの背景演出が当時としてかなり印象的だった
『エクセリオン』の長所を語るうえで、視覚演出の新鮮さも外せない。本作は固定画面型シューティングでありながら、背景が奥へ奥へと流れていくように見える表現を取り入れており、その結果として画面全体に独特の立体感が生まれていた。当時のアーケードゲームの中でも、こうした奥行き感を前面に押し出した演出はかなり印象的で、ただ敵を迎え撃つだけの平面的なゲームに見えない迫力があった。
重要なのは、この背景演出が単なる見た目の派手さにとどまっていないところである。自機が慣性で滑るように動くため、背景の流れと機体の挙動が自然に結びつき、プレイヤーはまるで前進しながら戦っているような感覚を味わえる。つまり、本作の擬似3D表現は背景美術として優れていたのではなく、ゲームそのものの感触を押し上げる役割を果たしていたのである。視覚的に奥へ進んでいるように見え、自機もふわりと流れるように動く。この二つが重なることで、同時代のシューティングとは明らかに異なる空間感覚が生まれていた。これが『エクセリオン』の画面を単なる“古いゲームの一画面”ではなく、“あの独特の雰囲気を持つ作品”として記憶させる力になっていた。
二種類のショットがゲームにしっかりした戦略性を与えていた
本作の良さは、操作感や演出だけにとどまらない。攻撃方法に二種類のショットが用意されていたことも、ゲーム性をぐっと豊かにしていた大きな長所である。ひとつは無制限に使えるデュアルショット、もうひとつは弾数制限がある代わりに高い連射性を持つシングルショット。この組み合わせによって、『エクセリオン』は単純な撃ちっぱなしのゲームではなくなっていた。
この設計の優れているところは、どちらか一方だけが完全上位互換ではない点にある。デュアルショットは基本武装として安定して使え、的確な位置取りと丁寧な命中が求められる。一方でシングルショットは、火力や即応性の面で頼りになり、苦しい局面を一気に切り開く力を持っている。つまりプレイヤーは、局面に応じてどちらを使うべきかを考えなければならない。その選択がプレイに個性を与え、毎回の展開に判断の面白さを生み出していた。
単純なゲームであれば、敵が出たら撃つだけで終わる。しかし『エクセリオン』では、今は温存すべきか、ここで連射を使って流れを断ち切るべきか、といった判断が常につきまとう。この“撃つことそのものに意味がある”感じが、プレイヤーに考える楽しさを与えていた。アーケードゲームでありながら、瞬間的な爽快感だけでなく、じわじわと戦術の面白さを味わえる点は、本作の大きな美点だった。
敵を撃破した時の手応えが非常に気持ちよかった
『エクセリオン』は操作に癖がある作品だが、その反面、敵を撃ち落とした時の気持ちよさはかなり明快である。編隊を組んで迫ってくる敵をうまく迎撃できた時、危険なラインを寸前で崩せた時、シングルショットの連射で一気に形勢を立て直せた時など、成功がはっきり手応えとして返ってくる。難しいゲームほど、成功した時の快感は大きくなるが、本作もまさにその典型である。
とくに印象的なのは、快感の源が単なる派手な演出ではないことだ。現代の作品のように大げさな爆発や大量のエフェクトがあるわけではない。それでも、当てるべき弾を当て、危険な敵をさばき、自機の慣性をうまくコントロールできた時には、非常に強い達成感がある。つまり爽快感が表面的ではなく、プレイヤーの判断と操作の結果として生まれる。だからこそ、一度その感触を味わった人には強く印象に残るのである。
また、ショットの使い分けによって爽快感の種類も変わるのが面白い。デュアルショットで堅実に当て続ける気持ちよさもあれば、シングルショットで敵を押し流すように処理する気持ちよさもある。同じ“撃破の快感”でも、その中身にバリエーションがあるため、プレイのたびに違う気持ちよさが生まれやすい。この豊かさは、意外と見落とされがちだが、本作の良いところとして非常に大きい。
上達がそのまま面白さになる構造がよくできていた
本作を高く評価する人が多い理由のひとつに、「遊べば遊ぶほど面白くなる」という性質がある。最初のうちは操作しにくく、敵も手強く感じられるため、簡単に楽しめるゲームには見えないかもしれない。だが、少しずつ慣性の感覚がわかってきて、自機の流れを予測しながら動けるようになると、ゲームの印象が一変する。今まで厄介だったものが、今度は“扱いこなす楽しさ”へ変わるのである。
この構造は、単なる難易度の高さとは違う価値を持っている。理不尽に難しいだけのゲームなら、慣れてもストレスが減るだけで終わる。しかし『エクセリオン』は、慣れることで新しい楽しさが見えてくる。自機を思い通りに流せるようになると、敵の処理も安定し、ショットの使い分けも余裕をもって考えられるようになる。するとプレイヤーは、ただ生き残るだけでなく、「どう遊べばより美しく、より効率よく進めるか」を考える段階へ進む。つまり本作は、上達が単なる結果ではなく、そのまま遊びの深まりとして返ってくるゲームだったのである。
スコアアタックのやり込み要素が濃かった
『エクセリオン』の良いところとして、スコアを追いかける面白さの強さも見逃せない。本作は敵を倒して進むだけでなく、ショットを当て続けることによって得点効率を上げていく要素があり、ただの生存ゲームにはなっていない。つまり「どれだけ長く遊べるか」だけではなく、「どれだけ美しく稼げるか」がもうひとつの目標として成立しているのである。
この仕組みがあることで、本作は初心者から上級者まで異なる楽しみ方ができる。初心者はまず生き残ることを目標にし、中級者は安定攻略を目指し、上級者は命中継続や武器選択まで含めて最適化を考えるようになる。ゲームの上達段階に応じて目標が自然に変化していくため、単調になりにくい。しかもスコアシステムは単に点数が増えるだけではなく、プレイの精度そのものを問う形で機能している。だから高得点を狙うほど、自機操作や射撃精度、敵の優先処理など、あらゆる要素が洗練されていく。この“深く遊ぶほど別の顔を見せる”点が、本作の長持ちする魅力につながっていた。
緊張感と息抜きのバランスがうまかった
『エクセリオン』は全体として緊張感の強いゲームだが、その一方で、ずっと張り詰めっぱなしではない構成も良かった。通常戦では慣性移動と敵の攻勢に神経を使わされるが、一定の区切りではボーナス的な場面も用意されており、そこが良い意味での息継ぎになっていた。難しいゲームは、ただ厳しいだけだと疲れやすく、プレイヤーの集中力も切れやすい。しかし本作には、戦いのリズムを変える節目があるため、単調な苦しさだけで終わらない。
このメリハリは、ゲーム全体の印象にも大きく関わっている。通常時の緊迫感があるからこそ、ボーナス的な場面では思い切り攻める楽しさが映えるし、逆にそうした緩和があるからこそ通常戦も耐えやすくなる。アーケードゲームとして短い時間で印象を残すには、ただ難しいだけでも、ただ爽快なだけでも足りない。その点、『エクセリオン』は難しさと解放感の配分が意外にうまく、プレイヤーを疲弊させる一方通行の設計にはなっていなかった。このリズムの良さも、本作が単なる変わったゲームで終わらなかった理由のひとつである。
一度好きになると忘れにくい“記憶に残るゲーム”だった
世の中には、完成度が高くても印象が薄いゲームがある。一方で、『エクセリオン』は、たとえ万人向けでなくても、一度ハマった人の記憶にはかなり強く残るタイプの作品である。その理由は明快で、自機の慣性、背景の奥行き、二種のショット、独特の空中感覚といった要素が、どれも他作品と置き換えにくいからである。似たジャンルのシューティングは多く存在しても、「あの感じは『エクセリオン』だった」と思い出せるだけの固有性があった。
これはゲームとして非常に大きな長所である。知名度の高さや売上の規模とは別に、“この作品ならでは”という感触を持っているゲームは強い。『エクセリオン』はまさにその代表で、プレイ経験そのものが作品名と直結しやすい。単に当時遊んだ作品のひとつとして埋もれるのではなく、「あの独特な動きのゲーム」「あの滑るようなシューティング」として記憶される。この強い印象こそが、本作の価値を支える大きな柱になっている。
移植や再収録によって長く触れられる機会があったことも良かった
『エクセリオン』はアーケードだけで終わらず、家庭用機や各種移植、再収録によって後年にも触れられる機会があった。このことは作品にとってかなり大きなプラスである。アーケードゲームは、本来ならば当時のゲームセンターでしか体験できず、時代とともに記憶の中へ消えていくことも多い。しかし本作は移植を通じて別の世代にも知られ、ジャレコ作品の代表的な一本として名前が残りやすかった。
しかも本作のように、最初は難しいが繰り返すほど味が出るゲームは、家庭用環境との相性も悪くない。アーケードの短期勝負では見えにくかった魅力が、じっくり遊べることで理解されやすくなるからである。そうした意味で、後年まで触れられる環境が整っていたこと自体が、このゲームの評価を底上げしたと言えるだろう。単なる一発ネタではなく、遊び込むことで面白さが深まる作品だったからこそ、移植の存在がプラスに働いたのである。
総合すると、長所は「独創性」と「遊び込むほど深まる面白さ」に集約される
『エクセリオン』の良かったところをまとめると、最大の長所はやはり独創性の強さにある。ただ変わっているだけではない。慣性移動、擬似3D背景、二種類のショット、濃いスコア性、緊張と解放のメリハリといった要素が、それぞれ独立しているのではなく、きちんと一つのゲーム体験へ結びついている。だからこそ本作は、“変わった作品”で終わらず、“遊ぶほど味が出る作品”として成立していた。
さらに重要なのは、これらの長所がプレイヤーの上達と強く結びついている点である。最初から全部の面白さが見えるのではなく、少しずつ理解し、少しずつ馴染み、少しずつできることが増える。その過程そのものが楽しい。『エクセリオン』は、誰にでもすぐ優しいゲームではないが、そのかわり、自分の腕で面白さを引き出していく喜びをしっかり味わわせてくれる。だからこそ本作は、長所を語ろうとすると単なる機能や要素の話にとどまらず、「遊んだ時にどう感じたか」という体験の話へ自然とつながっていくのである。そこに、このゲームの本物の良さがある。
■■■■ 悪かったところ
最大の個性が、そのまま最大の人を選ぶ要因でもあった
『エクセリオン』の悪かったところを語るうえで、どうしても最初に触れなければならないのは、自機の慣性移動である。これは本作を本作たらしめている最大の特徴であり、同時に最も評価が分かれやすい部分でもあった。独創性という観点では間違いなく長所だが、純粋に遊びやすいかという視点で見ると、やはり人を強く選ぶ仕様だったことは否定しにくい。固定画面シューティングというジャンルに慣れたプレイヤーほど、「危ない」と思った瞬間に素早く切り返したい感覚を持っている。しかし本作では、レバー入力をやめてもすぐには止まらず、逆方向へ入れても即座には反転しない。そのため、一般的なシューティングの感覚で操作すると、自分の想定と実際の動きが噛み合わず、非常に強いストレスを感じやすかった。
問題なのは、この仕様が単に難しいというだけではなく、ゲームの入口でかなり強い拒絶感を生みやすい点である。慣れれば面白い、わかると奥深い、という評価が成り立つ一方で、そこへ到達する前に「なんだか思い通りに動かない」「避けたはずなのに死ぬ」と感じて離れてしまう人が出やすい。つまり、本作の魅力の核が、そのまま脱落の原因にもなっていたのである。これはゲームとして個性的である反面、間口の狭さを生んでしまった大きな欠点だったと言える。
初見プレイヤーに対する親切さがかなり薄い
『エクセリオン』は、内容を理解していくほど面白くなる作品だが、その一方で、初めて遊ぶ人に優しい設計とは言い難い。ゲームを始めてすぐ、プレイヤーが何に戸惑うかというと、まず自機の移動が予想より滑ること、そして敵の接近に対して思ったより余裕がないことである。ところが本作は、そうした特徴を段階的に教えてくれるような作りではない。いきなり本番のような感覚で戦いが始まり、プレイヤーは短時間のうちに慣性、敵の侵入ライン、二種類のショットの使い分けを同時に把握しなければならない。
そのため、ゲームの面白さを理解する前に「難しい」「よくわからない」「どう動けばいいのか掴めない」という印象で終わってしまいやすい。アーケードゲームはもともと短時間で遊ばれる性質が強いため、数十秒から数分の間に魅力を伝えられるかどうかは非常に重要である。その点で『エクセリオン』は、理解が進むと魅力的でも、最初の数プレイではその良さが伝わりにくかった。初見での手応えの悪さは、ゲームセンターという場との相性を考えると、やはり弱点だったと考えられる。
難しさが「爽快さ」より前に出やすかった
本作には確かに敵を撃破する気持ちよさがある。しかし、その爽快感に到達する前に、操作の難しさや位置取りの厳しさが前面へ出やすいのも事実である。とくに初心者のうちは、自機の慣性を制御することに気を取られすぎて、純粋に敵を撃ち落とす快感まで気持ちが回らないことが多い。危険な場面では「どう避けるか」に意識を持っていかれ、撃つことそのものが守りの延長になってしまいやすいのである。
この点は、同時代のわかりやすいシューティングと比べると弱みになりやすい。多くの作品は、最初の数プレイでもある程度は“撃って倒す楽しさ”が見えやすく、その気持ちよさが再挑戦の動機になる。『エクセリオン』はそこが少し遅れてやって来る作品であり、楽しさの本質がわかる前に疲れてしまう人もいたはずだ。つまり本作は、奥深さがある反面、快感の入口が遠い。そこが万人向けでない理由のひとつであり、短時間娯楽として見るとマイナスにもなりうる部分だった。
プレイヤーによっては「理不尽」に感じやすい場面がある
ゲームとして理詰めで攻略可能であっても、プレイヤーの体感として理不尽に映る場面があると、印象は悪くなりやすい。『エクセリオン』もその傾向を少なからず持っていた。たとえば、危ないと思って動いたのに慣性のせいで行き過ぎてしまった、戻したいのに切り返しが間に合わなかった、敵との距離感を誤って急に詰められた、というような局面では、「自分のミス」と頭でわかっていても、感覚としては“ゲームに負けた”より“操作に裏切られた”と感じやすい。
もちろん、それこそが本作の個性であり、慣れたプレイヤーはそこを読み切って立ち回る。しかし、問題は慣れていない段階では、その読み切れなさがあまりにも強く表面に出ることだ。特にアーケードゲームでは、短い時間で納得できる失敗かどうかが再プレイ意欲に直結しやすい。『エクセリオン』の場合、敗因がわかる前に終わってしまうことが多く、プレイヤーによっては“自分が下手だから”ではなく“なんだか腑に落ちない”という感情を抱きやすかった。この「納得しにくい失敗」を起こしやすい点は、欠点として無視できない。
シングルショットの弾数制限が窮屈に感じられることがある
二種類のショットを使い分ける戦術性は本作の長所だが、その一方で、シングルショットの弾数制限は人によってかなり窮屈に感じられる部分でもあった。連射ができて扱いやすい武器であるだけに、危険な場面ではどうしても頼りたくなる。しかし頼りすぎると弾切れの不安がつきまとい、今使っていいのか、もっと危ない場面のために残すべきか、と常に資源管理を意識しなければならない。この緊張感が戦略性として好まれる一方で、もっと自由に撃ちたいプレイヤーにとっては足かせにもなりやすい。
また、初心者は盤面を安定させる技術がまだ十分でないため、どうしてもシングルショットに頼りやすくなる。しかしその結果、弾数を消耗してさらに苦しくなるという悪循環に陥りやすい。つまりこのシステムは、上手い人ほど計画的に使えて面白さへつながるが、慣れない人ほど首を絞めやすい設計でもある。緊急回避手段として便利な武器が、同時に精神的な制約にもなっている点は、遊びやすさという観点では素直な長所とは言いにくい。
スコアを意識するとプレイが地味になりやすい面もあった
『エクセリオン』はスコアアタック性の高い作品として面白いが、得点効率を意識するほど、プレイ内容が地味に見えやすいという側面もあった。敵をただ派手に薙ぎ払うのではなく、外さず当て続けることや、無駄撃ちを減らすことが重要になるため、スコア重視の立ち回りでは慎重なプレイが中心になりやすい。これは競技的な面白さとしては非常に優れているが、見た目の派手さや直感的な爽快感を求める人にとっては、少し渋い印象になりやすかった。
特に、シングルショットで一気に敵を掃除する快感と、デュアルショットを中心に精度良く当て続けるスコアプレイの間には、楽しさの質に差がある。前者はわかりやすく気持ちよいが、後者は理解が進んだ人向けで、外から見ても地味になりやすい。そのため、本作はやり込むほど面白い一方で、そのやり込みの魅力が観察者や初級者には伝わりにくい。遊びの深さと見た目の派手さが一致しづらい点は、人に勧める際の難しさにもつながる弱点だった。
色使いや視認性の面で見づらく感じる場面がある
本作は背景演出に独特の魅力がある反面、状況によっては視認性の悪さが気になることもある。背景が印象的であるぶん、敵や弾の見え方との相性が常に良いとは限らず、色合いの組み合わせによっては敵を把握しづらいと感じる場面も出てくる。とくに、敵や背景の色が近い印象になる局面では、ただでさえ慣性移動で忙しいプレイヤーにとって余計な負担になりやすい。
これは現代の感覚から振り返ると小さな問題に見えるかもしれないが、当時のアーケード作品では画面の視認性がそのまま遊びやすさに直結していた。『エクセリオン』は動きそのものにクセがあるため、そこへ視認性の揺らぎまで加わると、プレイヤーのストレスは二重になりやすい。雰囲気を重視した画面作りが魅力である反面、純粋なプレイアビリティの面ではもう少し素直でも良かったのではないか、という見方は十分に成り立つ。
長時間プレイでは疲労感が強くなりやすい
『エクセリオン』は一回のプレイに強い集中を求めるゲームである。慣性移動を常に意識し、敵の侵入ラインを見て、どの武器を使うかを判断し、さらに命中の精度まで考えるとなると、プレイヤーの負荷はかなり高い。そのため、長く遊べるようになったとしても、気楽に続けられるタイプの作品とはやや言いにくい。短時間の密度は高いが、そのぶん神経がすり減りやすいのである。
この疲れやすさは、やり込み要素の濃さと表裏一体である。深く遊べるのは確かだが、常に気を抜けないので、リラックスして流せるゲームではない。たとえば気分転換に軽く遊びたい時よりも、しっかり腰を据えて向き合う時の方が本作の魅力は出やすい。そう考えると、『エクセリオン』は良くも悪くもプレイヤーへ真剣さを要求する作品であり、その真面目さが負担に変わることもあった。この“面白いけれど楽ではない”感覚は、明確に欠点のひとつとして挙げられる。
万人に勧めやすい名作にはなりにくかった
本作は完成度の高い個性派だが、誰にでも素直に勧められる作品かと言われると難しい。理由は単純で、その魅力の多くが“慣れてから見えてくるもの”だからである。最初から気持ちよく遊べて、だれでもある程度の楽しさを味わえるタイプのゲームではないため、相手を選ばずに薦めるにはハードルが高い。シューティングが好きな人、独特の操作感に価値を見出せる人、少し不親切でも研究するのが好きな人には強く刺さる。しかし、気軽に楽しみたい人や、直感的な操作感を重視する人にとっては、どうしても厳しさの方が先に立ちやすい。
つまり『エクセリオン』は、傑作であるかどうか以前に、“相性が強く出る作品”だったのである。作品としての芯は非常にしっかりしているが、その芯が硬いぶん、人によっては近寄りがたく感じられる。名作と呼ぶことに異論はなくても、普遍的な親しみやすさを持った作品とは少し違う。この「勧める相手を選ぶ」という点は、長所でもあり短所でもあるが、一般性という尺度で見ればやはり弱みになってしまう。
総合すると、欠点は“個性の代償”として現れていた
『エクセリオン』の悪かったところを総合すると、その多くは本作の個性と地続きになっている。慣性移動は唯一無二の面白さを生んだが、同時に初見殺しにもなった。二種類のショットは戦略性を深めたが、同時に資源管理の窮屈さも生んだ。擬似3D背景は印象的だったが、状況によっては視認性に不安を残した。スコア性は濃密だったが、そのぶんプレイは地味で疲れやすくもなった。つまり本作は、欠点だけを切り離して修正すればもっと万人向けになったかもしれないが、そうすると同時に『エクセリオン』らしさまで薄れてしまう可能性がある。
だからこそ、この作品の短所は単純な失敗ではなく、“何か新しいものを作ろうとした結果の不器用さ”として見るべき部分も多い。ただし、プレイヤーの立場から見れば、それでもやはり遊びにくいものは遊びにくい。癖が強い、馴染みにくい、気軽には楽しみにくい。これらは現実に存在する弱点であり、本作が広く親しまれるタイプのシューティングになりきれなかった理由でもある。言い換えれば、『エクセリオン』の悪かったところとは、独創性の眩しさの裏側に生まれた影そのものだったのである。
[game-6]
■ 好きなキャラクター
まず前提として、『エクセリオン』はキャラクター性を前面に出す作品ではない
『エクセリオン』という作品について「好きなキャラクター」という章を立てると、一般的な物語重視のゲームや、後年の個性豊かなシューティング作品を思い浮かべる人ほど少し意外に感じるかもしれない。というのも、本作は1983年のアーケードゲームであり、ゲームの中心はあくまで自機の操作感、敵の迎撃、スコアの積み上げ、そして独特の浮遊感ある戦闘体験に置かれているからである。つまり、会話イベントや細かい人物描写が用意され、登場キャラクターの性格が明確に掘り下げられるタイプの作品ではない。現代の感覚で言う“キャラクターゲーム”とは方向性が大きく異なっている。
しかし、それでもなお『エクセリオン』に「好きなキャラクター」を見出せるのは、この時代のアーケードゲーム特有の面白さでもある。明確な台詞やドラマがなくても、機体のデザイン、役割、性能、プレイ中の印象、そして想像の余地によって、プレイヤーの中には自然と愛着の対象が生まれる。本作のキャラクター性は、派手な演出や物語の言葉によって作られるのではなく、画面上の存在感と遊んでいる時の感触によって形作られているのである。だからこそ、「好きなキャラクター」という話題も、単なる設定紹介では終わらず、プレイヤーがどこに感情移入したか、どの存在に魅力を感じたかという体験の話へつながっていく。
もっとも愛着を持たれやすいのは、やはり自機であるファイターEX
『エクセリオン』で最も好きなキャラクターとして名前が挙がりやすいのは、やはりプレイヤーが直接操る自機、すなわちファイターEXのような存在だろう。本作は物語の細部を大きく語るゲームではないが、それでもプレイヤーが一番長く見つめ、最も多くの時間を共にし、失敗も成功も全部その機体と一緒に経験する以上、自然と愛着の中心は自機へ集まりやすい。しかもこの機体は、単に見た目の記号として画面に置かれているだけではない。慣性を伴った独特の挙動によって、他のシューティングの自機以上に“操縦している感覚”が濃い。ここが非常に大きい。
普通のシューティングの自機は、プレイヤーの意志をそのまま画面へ写すための道具として機能することが多い。しかし『エクセリオン』の自機は、もっと癖があり、重さがあり、気まぐれではないが、簡単には手懐けられない。最初は思い通りに動いてくれず、危険な場面で滑りすぎたり、切り返しが遅れたりして、むしろ腹立たしく感じることすらある。けれど、何度も遊んでその挙動が読めるようになると、不思議とこの機体が頼もしく見えてくる。癖があるからこそ、上手く扱えた時の満足感が大きい。つまりファイターEXは、ただの自機ではなく、プレイヤーが“付き合い方を覚える相棒”として受け止められやすいのである。そう考えると、本作で一番好きなキャラクターとして自機を挙げる人が多くなりそうなのは、ごく自然なことだと言える。
ファイターEXの魅力は、強さよりも「乗りこなす価値」にある
ファイターEXが印象に残る理由は、単に主人公側の機体だからではない。むしろ本作においては、万能で圧倒的に強い存在として描かれるから愛されるのではなく、扱いにくいが、それゆえに乗りこなす喜びが大きい存在だからこそ愛着が湧く。ここが非常に面白いところである。たとえば、最初から素直に動く高性能機なら、確かに快適ではあるが、そこに個性はあまり残りにくい。『エクセリオン』の自機はその逆で、最初は明らかに気難しく感じられる。だが、その癖があるおかげで、プレイヤーは機体と“対話”するような感覚を持つようになる。
この対話感こそが、自機を単なるシステムの一部ではなく、ひとつのキャラクターとして感じさせる。右へ流した時の重さ、切り返しのわずかな遅れ、デュアルショットとシングルショットの使い分けによる戦い方の違い、これら全部がファイターEXという存在の“性格”のように思えてくるのである。しかも本作では、機体の癖を理解することがそのまま上達につながるため、プレイヤーがこの自機に抱く感情は、単なるデザインの好みよりももっと深い。最初は手こずる、次に慣れる、やがて信頼できるようになる。この流れそのものが、キャラクターへの愛着形成として非常に強い。ファイターEXは、見た目以上に記憶へ残る主役なのである。
敵側にも独特の印象を残す存在感がある
『エクセリオン』は主人公や敵役の会話劇を見せる作品ではないが、それでも敵側の存在は決してただの的では終わっていない。上方から編隊を組んで迫ってくる敵群は、それぞれに細かな性格描写がないにもかかわらず、プレイヤーの記憶にはかなり強く残る。なぜなら、本作では敵が単なる背景の一部ではなく、自機の位置取りや武器選択を常に揺さぶる“圧”として感じられるからである。とりわけ、編隊の流れを維持したまま降下してきたり、こちらの移動先へ重なるように詰めてきたりする敵は、ただの雑魚というより、空間そのものを支配する脅威として印象づけられる。
このような敵は、現代的な意味でのキャラクター人気とは少し違うが、「嫌いになれない強敵」「妙に記憶へ残る相手」として好意的に語られやすい。プレイヤーは彼らの名前や細かい設定を知らなくても、「あの動きの敵が厄介だった」「あの編隊の崩し方を覚えると気持ちよかった」といった形で、明確に存在を意識している。つまり本作では、敵もまたドラマ性ではなく、戦闘の手触りを通してキャラクターとして感じられるのである。これは古典アーケードゲームならではの魅力であり、シンプルな見た目の中にしっかりした印象が宿っている証拠でもある。
編隊で飛来する敵機には“群れとしての魅力”がある
『エクセリオン』の敵側で特に印象的なのは、一機ごとの個性というより、編隊全体でひとつのキャラクターのように感じられる点である。これは本作の大きな特徴のひとつだ。敵は単体で現れて単体で散っていくのではなく、集団として空間を埋め、画面全体に圧力をかけるように動いてくる。そのためプレイヤーは、個々の敵を覚えるというより、「この編隊はこういう圧迫感がある」「この形で来る時はあの位置が危ない」と、群れそのものへ印象を持つようになる。
この“群れに個性がある”感じが面白い。たとえば、隊列を崩さず迫ってくると不気味なほど整然として見え、逆にばらけながら襲ってくると盤面が急に荒れて緊張感が高まる。そうした敵群の振る舞いには、生き物じみた不思議な存在感がある。彼らは台詞もなく感情表現もないが、画面上での動きだけで十分に「らしさ」を持っているのである。好きなキャラクターというテーマで考えた場合、この敵編隊を“怖いけれど好き”“厄介だけれど美しい”と感じる人がいてもまったく不思議ではない。単体のキャラクターとしてではなく、群体として魅力を放っているのだ。
デュアルショットそのものに愛着を感じる人も多いはずである
厳密にはキャラクターとは少し違うが、『エクセリオン』という作品において、プレイヤーが感情移入しやすい“存在”としてデュアルショットを挙げることもできる。本作の二種類の武装のうち、デュアルショットは使用制限がなく、まさに基本となる武器である。だが、単なる無限弾の主力装備という以上に、このショットには作品の顔としての魅力がある。左右から発射される独特の形、連射に頼れないぶん一発の価値が大きいこと、命中を積み重ねる快感と結びついていることなどから、プレイヤーの中では“頼れる相棒の武器”として強い存在感を持ちやすい。
とくに本作では、上達するほどデュアルショットへの信頼が深まっていく。最初のうちはシングルショットの派手さや便利さに目が向きがちだが、慣れてくると、結局はデュアルショットをどれだけ丁寧に当てられるかが安定にも得点にもつながるとわかってくる。こうなるとこの武器は、ただの攻撃手段ではなく、“自分の成長を映してくれる存在”のように思えてくる。古いゲームにおいては、こうした武器やメカそのものが一種のキャラクター性を持つことがあるが、『エクセリオン』のデュアルショットもまさにその典型である。人によっては、自機そのものと同じくらいこの武装へ愛着を持つだろう。
シングルショットには切り札らしい華がある
一方で、好きな存在としてシングルショットを推したくなる気持ちもよくわかる。こちらはデュアルショットと違い、弾数に制限がある代わりに高い連射力とわかりやすい攻撃力を持つ。危険な場面を一気に切り開き、押されかけた流れを反転させる力があるため、プレイヤーにとっては非常に頼もしい。言うなれば、普段は落ち着いて立ち回るゲームの中に差し込まれる“切り札の華”であり、この存在があるからこそ本作の戦闘は単調にならない。
シングルショットの魅力は、性能だけでなく、その使いどころがプレイヤーの判断に委ねられている点にもある。ここぞという場面で思い切って投入し、危険な敵群を押し返した時の高揚感は大きい。しかも弾数制限があるからこそ、一発一発に決断の意味が宿る。そのため、この武器には単なるサブウェポン以上の存在感がある。もし『エクセリオン』の中で好きな“キャラクター的存在”を選ぶなら、「普段は温存しているが、ここぞで頼りになるシングルショット」という見方も十分に成立する。地味な職人肌のデュアルショットに対して、シングルショットは派手な切り札という印象であり、この対比そのものが作品の魅力を支えている。
好きなキャラクターを語ることは、好きなプレイ感覚を語ることでもある
『エクセリオン』の面白いところは、好きなキャラクターについて考えると、それがそのまま好きなプレイスタイルや好きなゲーム感覚の話へつながっていくことである。たとえば自機ファイターEXが好きだという人は、おそらく本作の慣性移動そのものへ魅力を感じているだろう。デュアルショットが好きだという人は、丁寧に当て続ける駆け引きや、堅実な攻略の美しさに価値を感じているかもしれない。シングルショットが好きだという人は、ここぞで攻める爽快感や、切り札を切る判断の熱さを好んでいる可能性が高い。敵編隊が印象に残るという人は、本作の画面全体を使った圧力や、群れを崩す戦いの面白さに惹かれているのだろう。
つまり、本作で「好きなキャラクターは誰か」という問いは、単純な人気投票ではなく、「このゲームの何に一番心を動かされたか」を問うことに近い。物語が前面にないからこそ、プレイヤーは自分が特に印象を受けた存在へ自然と感情を乗せる。だから『エクセリオン』の好きなキャラクター論は、実はかなり豊かな広がりを持っているのである。キャラクター描写の多い作品とは別の方法で、プレイヤーの心の中に存在が立ち上がっているのだ。
敵側を「好き」と言えるのは、ゲームとしての完成度が高いからである
良いアクションゲームやシューティングでは、敵がただ憎らしいだけでなく、どこか魅力的に感じられることがある。『エクセリオン』もまさにそうした作品で、本作の敵編隊は厄介で、プレイヤーを何度も苦しめる存在でありながら、同時に“好きな相手”として記憶に残りやすい。これは敵の造形が派手だからではなく、ゲームの仕組みの中でしっかり役割を果たし、プレイヤーの印象へ深く刻まれるからである。
もし敵が弱すぎたり、単調だったりすれば、自機や武器の魅力もここまで際立たなかっただろう。敵が強く、しかもいやらしいだけでなく、崩し方に手応えがあるからこそ、プレイヤーは彼らを憎みながらも認めるようになる。強敵に愛着が湧くのは、ゲームとしての噛み合わせが良い証拠である。『エクセリオン』の敵たちは、明確な個体名や人間的な性格づけがなくても、“この作品を成立させる名脇役”として十分な存在感を持っている。好きなキャラクターという章で彼らを無視できないのは、そのためである。
総合すると、一番人気はやはり自機だが、作品全体がキャラクター性を帯びている
『エクセリオン』における好きなキャラクターを総合的に考えると、やはり中心になるのは自機ファイターEXだろう。最も長く触れ、最も多くの失敗と成功を共にし、慣れるほど信頼関係のような感覚が生まれてくる以上、この存在がプレイヤーにとって特別になるのは自然である。だが、本作の面白いところは、それだけで終わらない点にある。デュアルショットにも、シングルショットにも、敵編隊にも、それぞれ異なる魅力と印象があり、プレイヤーによって“推したい存在”が分かれやすい。
これはつまり、『エクセリオン』が表面的にはシンプルでありながら、作品全体にしっかりしたキャラクター性が宿っているということである。台詞の多い物語がなくても、感情移入は生まれる。細かな設定資料がなくても、好きな存在はできる。むしろ、本作のようなゲームでは、プレイヤーが自分の体験の中から好きな存在を見つけていく余白が大きいぶん、愛着はより個人的で深いものになりやすい。だから『エクセリオン』の好きなキャラクターを語ることは、古典アーケードゲームの魅力そのものを語ることでもあるのである。
結論としては、「このゲームで一番好きなのは自分の相棒になった機体」である
最終的にこの章をひとことで締めくくるなら、『エクセリオン』で最も好きなキャラクターは、多くのプレイヤーにとって“自分の手の中で少しずつ信頼できるようになっていったあの機体”になるだろう。最初は思い通りに動かず、扱いにくく、腹立たしくすらある。だが、何度も挑むうちに、その癖が読めるようになり、危機をくぐり抜け、敵を撃ち落とし、ようやく自分のものになってくる。その過程を共有した自機は、単なる記号ではなく、立派な主役であり、好きなキャラクターとして十分すぎる存在感を持っている。
そしてその相棒の周囲には、頼れる武器があり、印象的な敵群があり、作品独特の空間がある。『エクセリオン』は、派手にキャラクターを売り出すゲームではない。だが、遊んだ人の記憶の中には、確かに「好きだった存在」が残る。その静かなキャラクター性こそが、本作の味わい深さであり、今なお語りたくなる理由のひとつなのである。
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■ プレイ料金・紹介・宣伝・人気・家庭用移植など
当時のプレイ料金から見える『エクセリオン』の立ち位置
『エクセリオン』が稼働していた1983年当時のアーケードゲームは、現在のように多様な課金体系が一般化していたわけではなく、基本的には1プレイ100円という形が広く定着していた時代であった。地域差や店舗差、あるいは設置先の業態によって多少の違いはあったとしても、ゲームセンターで見かける標準的なビデオゲームとして『エクセリオン』もその価格帯で遊ばれていたと考えるのが自然である。今の感覚から見ると短時間で終わることも珍しくない作品に100円というのは高く思えるかもしれないが、当時はその一回にどれだけ集中し、どれだけ長く生き残り、どれだけ上手くなれるかが大きな価値になっていた。
そういう視点で考えると、『エクセリオン』はプレイ料金に対する満足度が人によってかなり変わる作品だったと言える。なぜなら、最初のうちは慣性移動に翻弄されて短時間で終わりやすく、「1回100円でこれだけしか遊べなかった」と感じる人もいたはずだからである。一方で、癖を理解して少しずつ長く遊べるようになると、その100円の中へ詰まっている密度や手応えはかなり高いものに変わる。つまり本作は、誰が遊んでもお得感があるタイプではなく、上達するほど一回の価値が増していくゲームだったのである。短く終わると損をした気分になりやすいが、理解が進むとその一回に強い充実感が生まれる。この“料金に対する感覚の変化”もまた、本作の個性の一部だったと言えるだろう。
ゲームセンターでの見え方は「普通そうで普通ではない新作」だった
1983年のアーケードゲーム市場において、『エクセリオン』はぱっと見の分類だけなら、固定画面型のシューティングとして比較的理解しやすいジャンルに属していた。敵が上方から現れ、自機で迎え撃つ構図はすでに多くのプレイヤーへ浸透しており、見た目の第一印象としては「遊び方が想像しやすい新作」と映った可能性が高い。しかし実際には、その内側にかなり独特な要素を抱えていたため、筐体の前に立って少し画面を眺めたり、他人のプレイを見たりした段階ではまだわからない“違和感”が潜んでいた。
この違いは、アーケードにおける紹介や宣伝の上でも面白いポイントである。一般にゲームセンターでは、客が数秒から十数秒ほど画面を見ただけで「やってみよう」と思うかどうかがかなり重要になる。『エクセリオン』は背景の奥行き感や画面の独特な流れによって目を引く要素を持っていたが、その本当の面白さは触って初めてわかる部分が大きい。つまり、宣伝映えする要素は確かにあるが、派手さだけで売るタイプではなかった。見た目で興味を引き、実際に触れて驚かせるという構造になっていたのである。これは強みでもあり、同時に難しさでもあった。第一印象だけでは本質が伝わりきらないからこそ、遊んだ人の反応や口コミが作品の印象形成に重要な役割を果たしたと考えられる。
紹介文や筐体アピールでは「奥行き感」と「新しさ」が武器になったはずである
『エクセリオン』のような作品を当時紹介するなら、やはり強調されやすかったのは、その画面表現の新鮮さと、独自の操作感から生まれる新しい戦闘感覚だっただろう。背景の擬似3D的な流れは、静止画であってもプレイ画面であっても比較的印象に残りやすく、他の固定画面シューティングとの差別化要素として非常にわかりやすい。また、自機の慣性移動や二種類のショットといった要素は、文章で説明されるとやや地味に見えるかもしれないが、“これまでのシューティングとは違う遊び味がある”という訴求には十分な材料になっていた。
特に当時のアーケード市場では、新しい感覚や新機軸が作品の魅力として強く打ち出されることが多かったため、『エクセリオン』もまた、単に敵を撃つだけのゲームではなく、“見たことのない感覚で遊べるシューティング”として紹介される価値があった。言い換えれば、本作の宣伝ポイントは圧倒的なわかりやすさではなく、「なんだか普通ではない」「一度体験してみたくなる」という好奇心を刺激する方向にあったはずである。派手なキャラクターやドラマ性ではなく、ゲーム体験そのものが売りになっていた作品として、かなり1983年らしい魅力の打ち出し方ができるタイトルだった。
人気は爆発的というより、個性派として印象を残したタイプだった
『エクセリオン』の人気について考える時、非常に重要なのは、この作品が誰にでもすぐ受け入れられる万能型のヒット作とは少し違う位置にいたという点である。もちろんジャレコのアーケード作品として確かな知名度を得ており、後年まで移植や再収録が行われる程度には印象を残したタイトルであることは間違いない。しかし、その人気の質は、誰もが直感的に熱中する“爆発的な大衆人気”というより、「あの独特なゲームが好きだった」と語られる“個性派としての支持”に近い。
これは本作の特徴そのものから来ている。擬似3D背景や独特の慣性移動は新鮮で印象的だが、同時に人を選ぶ要素でもあった。つまり、強くハマる人には強烈に刺さるが、最初の数プレイで馴染めない人には少し距離を置かれやすい。そのため人気の広がり方としては、万人へ一斉に広がるというより、遊び込んだ人や特徴に魅力を感じた人の中で評価が積み上がっていくタイプだったと考えられる。こうした作品は、当時の流行を象徴する最大公約数的な存在にはなりにくい一方で、年月が経つほど“通好みの良作”“個性的な一本”として再評価されやすい。『エクセリオン』もまさにその系譜に属している。
ゲームセンターでの人気は「見て気になる」「触って驚く」型だったと考えられる
アーケードゲームの人気には、実際に遊んだ人の評価だけでなく、周囲が見てどう感じるかという要素も大きい。『エクセリオン』はその点で、非常に興味深いタイプの作品だった。背景の流れや自機の独特な軌道は、見ているだけでも「あれは何だろう」と気になりやすい。しかも通常の固定画面シューティングのように見えて、実際の動きはかなり違うため、他人が遊んでいるところを見ているだけでも少し独特な空気が伝わってくる。
ただし、その面白さが完全に伝わるのはやはり自分で触った後である。見るだけで派手さが伝わるゲームではないため、“ギャラリー人気”だけで伸びるタイプではなかったかもしれない。しかし逆に、実際に一度触ると「思ったよりずっと変わっている」「難しいが妙に気になる」と感じやすく、その驚きが話題になりやすい。つまり本作は、見た目で強く惹きつける超派手な人気作ではなく、見て気になり、触って印象が決まるタイプの人気を持っていたと考えられる。この種の作品は、短期的な流行だけでなく、“記憶に残るゲーム”として長生きしやすいという強みも持っている。
家庭用移植に恵まれていたことが作品寿命を大きく延ばした
『エクセリオン』の大きな特徴のひとつは、アーケードだけで終わらず、複数の家庭用機やパソコン系ハードに移植され、さらに後年の再収録でも生き残っていったことである。これは作品として非常に大きい。アーケードゲームはそのまま消えてしまうことも少なくないが、本作は移植によって継続的に触れられる機会を得た。その結果、単なる“当時の新作”では終わらず、ジャレコ初期を代表する一本として認知されやすくなったのである。
また、本作のように最初は少し難解だが、繰り返し遊ぶと面白さが深まるゲームは、家庭用への移植と相性が良い。アーケードでは一回ごとの時間が短く、慣れる前に終わってしまうことも多いが、家庭用であれば何度でも挑戦できるため、独特の操作感に体を慣らしやすい。つまり移植によって、本来アーケードでは伝わりにくかった魅力がより理解されやすくなった面がある。家庭用移植に恵まれていたことは、単に露出が増えたというだけでなく、本作の良さが正しく伝わる土台を増やしたという意味でも大きな価値を持っていた。
ファミリーコンピュータ版は“ジャレコ参入第1弾”としての意味も大きかった
『エクセリオン』の家庭用移植の中でも特に語られやすいのが、ファミリーコンピュータ版の存在である。この移植版は、単にアーケードヒット作の一つとして移されたという以上に、ジャレコのファミコン参入第1弾という意味合いを持っていたため、メーカー史の上でもなかなか重要な位置を占めている。つまり『エクセリオン』は、アーケードの独自作であるだけでなく、ジャレコが家庭用市場へ足を踏み入れる際の顔役にもなったのである。
この事実は、作品の知名度にとって大きなプラスだった。ファミコンという当時急速に存在感を増していた市場へ投入されたことで、アーケードで本作を知らなかった層にも名前が届きやすくなったからである。しかもジャレコ第1弾という肩書きは、後年振り返る時にも記憶へ残りやすい。単なる移植作の一つではなく、「ここからジャレコの家庭用展開が始まった」という象徴性を持つ作品として語れるため、本作はメーカーの歴史の中でも特別な一本として位置づけられやすいのである。
ファミコン版は画面構成の違いによって印象が変わった
ファミリーコンピュータ版の『エクセリオン』は、アーケード版の縦画面構成とは異なり、家庭用機の都合に合わせた横画面で展開される。そのため、単純な再現というよりは、環境の違いに応じてプレイ感覚にも変化が生じた移植として捉えるべきである。画面の縦横比が変わると、敵との距離感や見え方、回避の感覚、迫ってくる圧力の受け方まで変わるため、同じ『エクセリオン』でもかなり印象が違ってくる。
これは長所と短所の両方を持つ。アーケード版の感触をそのまま期待すると違和感が出るかもしれないが、一方で家庭用として遊ぶ際には、この横画面版ならではの近さやテンポが別の味にもなる。移植作品というのは、単にオリジナルを縮小するだけではなく、別ハードの条件下でどう成立させるかが問われる。本作のファミコン版もまさにそうで、アーケード版と同じ作品世界を持ちながらも、家庭用らしい別の手触りを持つタイトルとして受け止められやすかった。完全再現だけを尺度にすれば賛否は出るが、ジャレコ初期ファミコンソフトとしての意義や、家庭で何度も遊べる価値を考えれば、かなり存在感のある移植だったと言える。
SG-1000やMSXなどへの移植は“時代の広がり”を感じさせる
『エクセリオン』はファミコンだけでなく、SG-1000シリーズやMSXといった当時の家庭用・パソコン系ハードにも移植された。これによって本作は、アーケードと任天堂系だけに閉じた作品ではなく、1980年代前半のさまざまな家庭用環境へ広がったタイトルとして存在感を持つようになる。この広がりは、単なる本数の多さ以上に、“時代のゲーム文化の中でどれだけ横断的に認識されたか”という点で重要である。
それぞれの機種には性能差があり、当然ながらアーケード版をそのまま完璧に持ち込むのは難しかったはずである。しかし、それでも移植され続けたという事実自体が、『エクセリオン』という題材に一定の魅力と知名度があったことを示している。家庭用やパソコン向けの各版は、再現度だけでなく、各ハードでどのようにこの独特なゲーム性を表現するかという工夫の積み重ねでもあった。そのため、移植版を並べて見ると、本作の人気や価値だけでなく、1980年代初頭のゲーム移植文化そのものまで感じ取れる。『エクセリオン』は、その意味でも歴史的に面白い作品なのである。
後年の再収録によって“忘れられない一本”として残り続けた
本作は当時の移植だけで終わらず、後年になってからもコレクション作品や再収録タイトルの中で命脈を保っていった。この点は非常に重要で、アーケードや初期家庭用作品の多くが時代の中へ埋もれていく中、『エクセリオン』は何度か再び日の当たる機会を得ていたのである。後年の再収録は、懐かしさ目当てのファンにとってはもちろん、当時を知らない世代にとっても作品へ触れる入口になる。そのため、本作は一度過去の作品になった後も、“ジャレコの個性的な名作”として再確認される機会を持ち続けた。
再収録される作品には、それなりの理由がある。圧倒的知名度、歴史的意義、あるいはメーカーを代表する個性などだ。『エクセリオン』はそのいずれにも少しずつ該当していた。万人向けの超大作とは違っても、「この時代のジャレコを語るなら外せない」「独特な体感シューティングとして残しておく価値がある」と判断されるだけの魅力を備えていたのである。後年のプレイヤーが本作を知るルートがちゃんと存在していたことは、このゲームが単なる当時物で終わっていないことの証明でもある。
宣伝や人気、移植を総合すると“ジャレコらしさ”を背負った一本だった
『エクセリオン』をプレイ料金、紹介、宣伝、人気、家庭用移植という観点から総合すると、本作はジャレコというメーカーの個性をよく表した一本だったと言える。誰でも一瞬で理解できる派手さだけに頼るのではなく、独自の遊び味を前面へ出し、その面白さを繰り返し遊ぶことで深めていく。この性質は、まさに個性派メーカーとしてのジャレコの魅力と重なっている。さらに、アーケード作品でありながら家庭用移植に恵まれ、ファミコン参入第1弾という歴史的な立場まで持っていたことを考えると、本作の存在感は決して小さくない。
プレイ料金の重みを感じるアーケード時代において、『エクセリオン』は最初から万人へ優しく微笑む作品ではなかった。だが、だからこそ一度ハマると忘れにくく、移植や再収録を通じて長く語られることになった。紹介しやすい単純明快さよりも、実際に触れて初めて伝わる独自性。大衆性よりも、刺さる人へ深く刺さる濃さ。そうした性格が、宣伝の方向性にも、人気の広がり方にも、移植後の評価にもすべて表れている。『エクセリオン』は、単なる一作のアーケードゲームではなく、1980年代前半のゲーム文化とジャレコの歩みをつなぐ重要な一本だったのである。
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■ 総合的なまとめ
『エクセリオン』は“よくあるシューティング”に見えて、実際にはかなり異質な作品だった
1983年10月にジャレコから登場した『エクセリオン』は、見た目だけを切り取ると、上方から飛来する敵編隊を迎え撃つ固定画面型のシューティングゲームであり、当時のアーケードシーンで広く親しまれていたスタイルの延長線上にあるように見える。しかし実際に遊んでみると、その印象はすぐに覆される。背景には奥へ流れていくような擬似3D表現があり、自機は軽快に切り返すのではなく、慣性を伴って滑るように動く。攻撃方法も単純な一種類ではなく、無制限に使えるデュアルショットと、弾数制限つきだが強力なシングルショットを状況に応じて使い分ける必要がある。つまり本作は、見た目のわかりやすさとは裏腹に、実際のプレイ感覚はかなり独特で、当時の他作品とは明確に異なる“癖のある面白さ”を持っていた。
この“見た目は古典的だが、中身はかなり先鋭的”という二重構造こそが、『エクセリオン』の本質である。単に新奇なアイデアを盛り込んだだけではなく、その新しさがプレイヤーの体感そのものを変えている。固定画面シューティングでありながら、ただの盤面処理ではなく、空間の中で機体を操るような感覚が生まれる点は非常に印象深い。1983年という時代を考えれば、この挑戦はかなり大胆であり、結果として本作は単なる一時代の作品ではなく、“独特の操作感を持つシューティング”として後年まで語られる存在になったのである。
最大の魅力は、やはり慣性移動が生み出す唯一無二の操縦感覚にある
『エクセリオン』を総合的に評価するうえで、最も重要なのはやはり自機の慣性移動である。これは本作の魅力の中心であり、同時に最も人を選ぶ要素でもあった。一般的なシューティングのように、入力した瞬間に機体が素直に動いてくれるわけではなく、少し滑り、少し遅れ、少し先を読まなければ思い通りにならない。この癖の強さは、初めて遊ぶ人には取っつきにくく、理不尽にすら感じられることがある。しかしその一方で、この操作感に慣れ、自分の手で自機の流れを制御できるようになった時、本作は一気に他にはない面白さを見せ始める。
この感覚は、単なる「難しいゲームを攻略した」という満足感とは少し違う。もっと直接的に、“自分がこの機体を本当に操縦できるようになった”という実感がある。だからこそ『エクセリオン』は、ただ敵を倒すゲームではなく、機体との付き合い方を覚えていくゲームでもあった。ここに魅力を見出せる人にとって、本作は非常に強い印象を残す。逆に言えば、この要素が合わない人には厳しく映るだろう。だが、それでもこの慣性移動があったからこそ、『エクセリオン』は数ある固定画面シューティングの中に埋もれず、独自の顔を持つ作品として立ち上がったのである。
二種のショットとスコア性が、単なるアクション以上の奥深さを生んでいた
本作の評価を高めているのは、操作感だけではない。デュアルショットとシングルショットという二種類の武器がしっかり役割分担されており、それを使い分けること自体がゲームの戦略性になっている点も大きい。無限に使えるが丁寧さが求められるデュアルショット、弾数制限があるかわりに危機突破能力の高いシングルショット。この組み合わせによって、プレイヤーは単に敵が出たから撃つのではなく、「今はどちらを使うべきか」「ここで使っていいか」「この局面をどう整えるか」を常に考えることになる。
さらに本作には、ショットを当て続けることで得点効率が高まる要素があり、スコアアタックとしての深みも十分に用意されている。これによって『エクセリオン』は、生き残るだけでも大変なゲームでありながら、上達した先には精度と判断を詰めていく競技性まで待っている。初心者はまず生存を目標にし、中級者は安定攻略を目指し、上級者は得点効率を洗練させていく。この段階的な楽しみ方ができる構造は非常によくできており、プレイを重ねるほど味が出る作品になっていた。単純な古典ゲームではなく、やり込む価値のある設計がしっかり存在していたのである。
背景演出は、単なる見た目ではなくゲーム体験そのものを支えていた
『エクセリオン』の擬似3D背景は、当時としてかなり印象的な要素だった。だが、その価値は「見た目が派手だった」というだけではない。背景が奥へ流れていくように見えることで、プレイヤーは固定画面の中で戦っているにもかかわらず、どこか前進しているような感覚を得ることができる。そしてその奥行き感が、自機の慣性移動と噛み合うことで、本作ならではの浮遊感や空間感覚を作り出していた。つまり背景表現は、単なる装飾ではなく、プレイの感触を補強する重要な柱だったのである。
この点が、『エクセリオン』をただの変わり種で終わらせなかった理由のひとつでもある。もし慣性移動だけがあって背景が普通だったなら、ここまで独特の世界観は生まれなかっただろう。逆に背景だけが先進的でも、自機が通常の感覚で動いていたなら、印象はかなり違っていたはずだ。本作では、視覚と操作の両方が同じ方向を向いており、その結果として“このゲームでしか味わえない空中戦の感覚”が成立していた。このまとまりの良さは、古い作品でありながら今見ても評価すべき点である。
一方で、万人向けではないという弱点も最後までついて回る
総合的に見て優れた作品であることは間違いないが、『エクセリオン』が誰にでも勧めやすいシューティングかと言われると、やはりそうではない。最大の理由は、自機の慣性という核の部分が、魅力であると同時に強烈なハードルにもなっているからである。一般的な操作感へ慣れている人ほど違和感が強く、初見では面白さが伝わる前に戸惑いが先に立ちやすい。さらに、シングルショットの弾数管理や、やや慎重なプレイを求めるスコア性なども、気軽に爽快感を求める人には少し重く感じられることがある。
このため、本作は“すぐ楽しい”タイプのゲームではなく、“わかってから楽しい”タイプのゲームである。そこに価値を感じる人にはたまらないが、入口の時点で離れてしまう人も少なくない。つまり『エクセリオン』は、完成度の高い個性派であって、普遍的な親しみやすさを持つ万能型の名作とは少し違う立ち位置にいる。だが、それは欠点であると同時に、この作品の誠実さでもある。誰にでも迎合するのではなく、自分だけの遊び味を最後まで貫いているのである。
家庭用移植と再収録によって、作品の価値は後年さらに見えやすくなった
『エクセリオン』はアーケード作品として生まれたが、その後ファミリーコンピュータ、SG-1000、MSXなどへの移植を受け、さらに後年の再収録でも存在を保った。この点は、本作の評価を考えるうえで非常に大きい。なぜなら、アーケードで短時間触れただけでは伝わりにくい魅力が、家庭用環境では繰り返し遊ぶことで少しずつ理解できるからである。とくに本作のように、操作の癖に慣れた先で面白さが開くタイプの作品は、家庭用移植との相性が良い。プレイを重ねることで独特の感覚が身体へ入ってきて、アーケードでは気づけなかった良さが見えてくるのである。
さらに、ジャレコのファミコン参入第1弾としての位置づけや、後年のコレクション収録による再発見も、本作の歴史的な価値を高めている。単に一作の個性的なシューティングというだけでなく、メーカーの歩みや1980年代ゲーム文化の流れの中でも語る意味を持つ存在になった。これは作品にとって非常に幸運なことであり、同時に、それだけの魅力が本作に備わっていた証でもある。
『エクセリオン』は“派手な傑作”ではなく“深く残る傑作”である
総合すると、『エクセリオン』は誰もが知る超大作というより、一度触れた人の記憶へ独特の感触を残すタイプの傑作である。派手な演出や明快な快感だけで押し切るゲームではない。むしろ最初はわかりにくく、不親切ですらある。だが、その壁の向こうには、他のシューティングにはない操縦感覚、武器の使い分けの妙、スコアを詰める面白さ、そして背景演出と操作感が一体になった独自の空気が待っている。こうした魅力は、短時間の第一印象よりも、少し踏み込んだ体験によってこそ深く伝わる。
だからこそ本作は、広く浅く愛される作品というより、狭くても深く愛される作品として語られやすい。人を選ぶが、刺さる人には長く残る。古典アーケードゲームの中でも、そうした“体験の個性”を強く持つタイトルは非常に貴重である。『エクセリオン』は、単なる懐かしさ補正で持ち上げられる作品ではなく、今見てもなお「なぜこのゲームはこんな手触りだったのか」と考えたくなるほど、独自の価値を持った一本である。
最後に言うなら、このゲームの本質は「難しさ」ではなく「理解した先の手応え」にある
『エクセリオン』を初めて語る人は、つい「慣性があって難しいゲーム」という説明をしたくなる。もちろんそれは間違いではない。しかし、その一言だけではこの作品の本当の魅力は伝わりきらない。本質は難しさそのものではなく、その難しさを通じて得られる独特の手応えにある。思い通りに動かなかった機体が、少しずつ自分の感覚へ馴染んでいく。最初は危険にしか見えなかった敵編隊が、やがて処理の順番や崩し方として見えてくる。無駄に感じていた一発一発のショットが、やがてリズムやスコアの軸になっていく。この変化の過程こそが、本作最大の魅力であり、プレイヤーに深い満足感を与える源になっている。
つまり『エクセリオン』とは、単なる高難度ゲームではない。理解していくことそのものが楽しいゲームであり、上達することがそのまま作品への愛着へ変わるゲームである。1983年のアーケード作品でありながら、そこまで豊かな体験を生み出しているという事実は、やはり特筆に値する。古典シューティングの一作としてではなく、“独自の触感を持つジャレコの意欲作”として、本作は今後も語り継がれていくべき一本である。
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