『ハイスクール!奇面組』(1985年)(テレビアニメ)

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【原作】:新沢基栄
【アニメの放送期間】:1985年10月12日~1987年9月26日
【放送話数】:全86話
【放送局】:フジテレビ系列
【関連会社】:NAS、土田プロダクション、スタジオコメット、スタジオぎゃろっぷ

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■ 概要

作品の基本情報と“奇面組”という看板

1985年10月12日から1987年9月26日までフジテレビ系列で放送された『ハイスクール!奇面組』は、学園という日常の舞台に「あり得ない顔」「あり得ない行動」「あり得ない論理」をねじ込み、当時のテレビアニメのギャグ表現を一段押し広げた作品だ。原作は新沢基栄による学園ギャグ漫画で、アニメ版は“高校生活の体裁”を保ちながらも、話が進むほど現実感より勢いが優先されていく。その大胆さこそが本作の持ち味で、視聴者は「学校あるある」を眺めるというより、奇面組が巻き起こす珍騒動に振り回される感覚で毎週楽しむことになる。

ギャグの芯にある“人懐っこさ”

本作の笑いは、単なる悪ふざけの連発に見えて、実は“仲間内の距離感”がしっかり描かれているのが強い。変人であるほど集団の潤滑油になってしまう一堂零の妙な包容力、硬派を気取っても結局小物っぽさが漏れる冷越豪、常識人ポジションなのに煩悩が暴走する出瀬潔、のんびりした胃袋で状況を横滑りさせる大間仁、乙女っぽい感性で場をひっくり返す物星大——この5人が“奇面組”として固まると、会話のテンポが加速度的にズレていく。ズレがズレを呼ぶから、オチはきれいに収束しなくてもいい。むしろ破綻寸前で着地する危うさが、学園ギャグの爽快感に直結している。

学園生活を“舞台装置”として割り切った強さ

『ハイスクール!奇面組』の学校は、リアルな教育現場を描く場所ではなく、ギャグを発射するためのステージとして機能する。授業、部活、校内行事、テスト、恋愛沙汰、先生との衝突、ライバル集団との小競り合い——それらは日常ネタの入口に過ぎず、話が転がり出した瞬間から奇面組のルールが支配する。登場人物が増えるほどルールは濃くなり、色男組や骨組のような“分かりやすい属性集団”が加わることで、学校がまるごとギャグ宇宙に置き換わっていく感覚が生まれる。視聴者は「この学校、どこまで変になるんだ?」という期待を抱き、期待が裏切られないままエピソードが積み重なる。

ヒロイン配置が生む“騒動の受け皿”

河川唯と宇留千絵の存在は、奇面組が暴走するだけの物語を“見やすい形”に整える役割を担っている。唯は真面目さと明るさで周囲の温度を一定に保ち、困ったときの視点人物として話を整理してくれる。一方の千絵は豪快で突っ走りがちで、奇面組のバカ騒ぎに同じ熱量でぶつかれる。二人がいることで、奇面組の異常さが強調されるだけでなく、奇面組に巻き込まれた側の感情も出しやすくなる。恋愛めいた気配が漂っても、しんみりしすぎず、あくまで“ドタバタの火種”として扱えるのが本作らしい。

アニメ化で強化された“動き”と“間”

原作の言葉遊びや顔芸を、アニメは声とテンポで増幅させた。表情が崩れる瞬間、間の取り方、ツッコミの速さ、妙に大げさなリアクション——漫画のコマ間で想像していた“勢い”が、映像では具体的なスピードとして飛び込んでくる。ギャグアニメは「面白い台詞」だけでは成立しにくいが、本作は動きと声の芝居で笑いを成立させる作りが徹底されている。視聴者は状況説明を読まされるのではなく、起きた瞬間に反射的に笑わされる。そこにテレビアニメとしての強さがある。

キャラクター設計へのこだわりが“統一感”を支えた

奇面組はとにかく“顔”が目立つ。だからこそ、ちょっとした角度や表情差がキャラの印象を左右する。本作が長期放送の中でブレずに走れたのは、キャラクターの見た目と性格の結びつきが非常に明快で、誰が何をしそうかが一瞬で伝わるからだ。リーダーの零が変幻自在にふざけても「零ならやる」で納得でき、豪の乱暴さが出ても「豪だから」で片付く。こうした“納得の近道”があるから、話を複雑にしなくても毎回の騒動が成立する。結果として、視聴者の記憶にキャラが残りやすく、次回を見たときにもすぐ作品世界に戻れる。

放送当時の空気感と、テレビの“お祭り”性

1980年代のテレビは、バラエティも音楽もドラマも「今週の話題」を番組が引っ張っていた時代で、アニメも例外ではない。『ハイスクール!奇面組』は、その“お祭り”の空気に合う作風だった。毎回、何かが起きて、誰かが叫んで、顔が崩れて、勢いで押し切る。視聴者は理屈より体感で楽しみ、次の日に学校で真似したくなるようなノリがある。ギャグが家庭の茶の間に自然に混ざり、家族で「またやってる」と笑える気軽さが、作品の寿命を支えた部分も大きい。

主題歌が生んだ“番組の顔”と、記憶のフック

本作を語るうえで、音楽の存在感は無視できない。オープニングやエンディングが変わるたびに番組の印象も少しずつ衣替えし、視聴者は「この曲の頃はあの時期だった」と思い出を結び付けやすい。アイドルが歌う主題歌は、アニメの世界観を説明するというより、番組そのものの勢いと明るさを象徴する役割を果たした。結果として、映像を見返さなくてもメロディだけで“奇面組のテンション”が蘇る。アニメの楽しみが放送時間の外にも広がり、レコードやカセット、雑誌企画などを通じて生活の中に入り込んだ点が、この時代らしい盛り上がり方だ。

長期放送ならではの“積み重ね”と、最後の余韻

長く続く学園ギャグは、回を追うほど内輪ネタや関係性の味付けが増していく。本作も同様で、奇面組の騒動が繰り返されるほど、「また始まった」という安心感と、「今度はどう壊す?」という期待が同居するようになる。終盤に近づくにつれて、作品は“終わるためのドラマ”を強く描くより、最後まで奇面組らしく茶目っ気を優先して、視聴者の記憶に残る幕引きを選ぶ。その姿勢は、学園生活の終わりをしんみり描くより、「奇面組は奇面組のまま」という約束を守ることに重きを置いたようにも見える。だからこそ最終回の後味は、卒業式の涙というより、放課後のドタバタが一瞬止まっただけのような、妙に明るい寂しさが残る。

いま見返しても色褪せにくいポイント

時代が変わっても、本作の魅力は“説明不要のキャラ力”と“テンポの良さ”に集約される。ギャグの流行や価値観は移ろいやすいが、奇面組はキャラクターの造形そのものが強いフックになっているため、初見でも状況に置いていかれにくい。さらに、学校という普遍的な舞台が入口として分かりやすく、そこから一気に非常識へ雪崩れ込む構造が気持ちいい。懐かしさで眺めるだけでなく、「学園ギャグを映像で成立させるには何が必要か」という視点で見ても学びが多い作品であり、80年代テレビアニメの“勢いの技術”を体感できる一本として、今なお語られ続ける理由がそこにある。

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■ あらすじ・ストーリー

物語の出発点は「転校生の視点」と「奇面組の異物感」

舞台はごく普通の高校……と言いたいところだが、そこで“普通”を押しのけて存在感を放つのが、顔も言動も常識の外に飛び出した5人組「奇面組」である。物語は基本的に、真面目で成績優秀な河川唯が彼らと関わるところから転がり始める。唯にとって学校生活は、友人と過ごし、勉強も頑張り、無難に青春を送るはずの場所だった。しかし、奇面組はその予定表を勝手に書き換える。突然の騒動、意味不明な勝負、意味不明な変装、意味不明な理屈――それらが「授業」「部活」「行事」といった学校の枠に無理やりねじ込まれ、日常が日常の形をしたコントへと変質していく。視聴者は唯と同じ目線で「なんだこの連中は」と呆れつつ、次の瞬間には笑わされる、という導線が最初から組まれている。

1話完結の連打で“事件”が増殖する学園ドタバタ形式

基本構造は一話完結型が中心で、毎回「学校のあるある」や「青春イベント」を入口にしながら、途中で話が暴走して収拾がつかなくなるのが定番だ。例えば、テスト勉強をきっかけにしたはずが、なぜか奇面組流の必勝法が怪しい儀式に化けたり、部活の体験入部がいつの間にか命がけの勝負にすり替わったり、学校行事がまるごと“奇面組ショー”に乗っ取られたりする。オチはきれいにまとまるより「そうはならんだろ」という崩れ方をすることが多く、その崩壊こそが快感になる。視聴者は論理を追うよりテンポに身を預け、勢いのまま“笑いの雪崩”に巻き込まれていく。

奇面組の5人が担う役割分担がストーリーのエンジンになる

ストーリーを動かすのは事件そのものより、事件に対して誰がどう反応するかだ。リーダーの一堂零は、奇面組の中でも突出して自由で、ボケにもツッコミにも回れる反則級の存在として騒動の中心に立つ。冷越豪は硬派気取りの武闘派として“力技で解決しそうで解決しない”役回りを担い、出瀬潔は常識人に見せかけて煩悩のブレーキが壊れているので、下心が引き金になって事件を加速させる。大間仁は食欲とマイペースさで状況を横滑りさせ、物星大は繊細な感性と唐突な行動で話を別方向へねじ曲げる。この5人が揃うと、同じ出来事でも反応がバラバラなので、会話だけで話が転がっていく。つまり本作は「ストーリーが面白い」というより「ストーリーが壊れる過程が面白い」タイプで、その壊し方が毎回違うのが飽きさせない。

唯と千絵が“巻き込まれ役”と“共犯者”の二軸で物語を整える

奇面組の騒動を、ただの内輪ノリで終わらせないために機能するのが河川唯と宇留千絵だ。唯は「まともな感性」を持ち、奇面組の異常さを視聴者と一緒に受け止める窓口になる。一方で、彼女は人が良く頼まれると断れないため、結局は騒動の中心に引きずり込まれ、最後には面倒を見てしまう。その優しさが、奇面組を“迷惑な連中”で終わらせず、どこか憎めない存在に変える。千絵は唯の友人として、もう少し前のめりに騒動へ突っ込んでいくタイプで、乱暴なノリや勢いにも付いていける。結果的に、唯が「被害者としての学園生活」を代表し、千絵が「祭りに乗る側の学園生活」を代表する。二人がいることで、ストーリーは暴走しても視点が迷子にならず、騒動が“見世物としての面白さ”に収束していく。

ライバル集団と教師陣が、学園を“群像コメディ”に拡張する

本作は奇面組だけで回るのではなく、周囲に配置された集団がストーリーの変化球になる。色男組のように、見た目やモテを武器にマウントを取ろうとする連中が現れると、奇面組は対抗心ではなく“ズレた勝ち方”で返してくる。骨組のように、別の方向に濃いキャラがいると、騒動は「奇面組 vs ○○」ではなく「変な集団が変な集団に絡む」という混戦になり、ギャグの密度が上がる。教師陣もまた、常識の代表として奇面組を正そうとして失敗したり、逆に妙にノリが良くて火に油を注いだりする。こうして学校という空間が、主役たちの舞台装置から“変人が自然発生する生態系”へ変わっていき、どの回から見ても「この学校、変なことが起きるのが通常運転なんだな」と理解できる状態になる。

青春イベントが“まともに進まない”こと自体が見どころになる

文化祭、体育祭、修学旅行、部活の試合、バレンタイン的な恋の騒動――学園ものの王道イベントは一通り出てくるが、本作の場合は王道をなぞるためではなく、王道を壊すために投入される。文化祭なら普通はクラスの出し物で盛り上がるが、奇面組が関わると企画が巨大化し、段取りが崩壊し、なぜか勝負事になり、最後には誰かの顔芸が頂点に達して終わる。修学旅行なら思い出づくりのはずが、旅先で事件が増殖し、観光よりもトラブル処理がメインになってしまう。それでも、奇面組は妙に前向きで、騒動を“楽しいこと”にすり替える力を持つ。視聴者は「青春を描く」話よりも「青春を素材にして暴れる」話を期待するようになり、その期待が積み重なって番組の色になる。

恋愛要素は“進展”より“誤解と騒動”で転がる

学園コメディらしく、好意や恋心の気配は作品全体に漂っている。ただし、しっとりした恋愛ドラマに寄せるというより、恋が火種になって騒動が起きる形が基本だ。唯は多くの男子から好意を向けられるが、当人は鈍感だったり、優しさゆえに誤解を生んだりして、周囲が勝手に騒ぎ立てる。千絵と豪はぶつかり合いが多く、口ゲンカがそのまま恋愛っぽい温度に変換される“いがみ合い型”の面白さがある。零の自由さは恋愛の文法すらずらしてしまい、真面目に距離を縮めようとした瞬間に、別の方向へ笑いが飛んでいく。つまり恋愛は「結ばれるまでの道のり」ではなく、「結ばれそうで結ばれない状態が生む混乱」を楽しむ装置として活用され、学園ギャグのテンポを落とさない。

回を追うほど“奇面組ワールド”が濃くなり、現実が後退していく

序盤はまだ「普通の学校に変な5人がいる」感覚が残っているが、話数が進むと学校の側が奇面組に順応していくような不思議な転倒が起きる。周囲の生徒も教師も、どこかで「また奇面組がやってる」と受け入れる温度になり、現実的なツッコミより、場のノリが優先される。こうなるとストーリーはさらに自由になる。誰かが変装しても驚きが短くなり、無茶な勝負が始まっても止める人がいなくなり、ギャグのスケールが自然に上がる。視聴者側もそのルールを理解しているから、細かい説明がなくても笑いのポイントに到達できる。作品世界の“濃度”が上がるほど、奇面組の存在は異物ではなく名物となり、物語は群像コメディとしての完成度を増していく。

最終的に残るのは「この5人がいる限り日常は終わらない」という感覚

長期放送の学園ギャグは、どこかで卒業や別れに向かう緊張感を持ちがちだが、『ハイスクール!奇面組』はそれを真正面から描くより、“最後まで奇面組らしく”を優先する。終盤に近づいても基本は騒動が中心で、事件が起き、皆が巻き込まれ、そして奇面組が奇面組のまま戻ってくる。その繰り返しが視聴者に安心感を与え、「この連中、何があっても変わらないだろう」という確信になる。だからこそ、物語を見終えた後に残るのは、筋書きの感動というより、放課後の騒がしさが急に静かになったときのような余韻だ。日常は続くはずなのに、こちらの視聴が終わっただけで取り残される感じがする――それが、本作のストーリーが積み上げた独特の後味であり、学園ギャグとしての強い記憶になる。

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■ 登場キャラクターについて

キャラクターの魅力は「顔のインパクト」ではなく“役割の完成度”にある

『ハイスクール!奇面組』は、まず見た目が強烈で「変な顔の連中が騒ぐ作品」として語られがちだが、本当の強みはキャラクターそれぞれが“ギャグの役割”として完成している点にある。彼らは単なる変人ではなく、場を動かすための機能を持った人物として設計されている。だからエピソードが変わっても、学校行事でも恋愛騒動でも勝負事でも、必ず同じように“らしさ”が出る。視聴者は物語の筋を追わなくても、「この状況ならあいつがこうする」と予想でき、その予想が少しズラされて笑いが生まれる。キャラが立っている作品とは、要するに“状況に反応したときの音色が違う人間が揃っている作品”で、本作はその音色が極端に分かれている。

一堂零:何でもできる“破壊役”であり、場の温度を上げるリーダー

奇面組の中心にいる一堂零は、変人という言葉で片付けるには幅が広すぎる。彼は単にふざけるのではなく、ふざけ方の種類を変えられる。変装、言葉遊び、無茶な理屈、急な名演説、急な茶番、急な自己犠牲のようなムーブまで、ギャグの方向性を切り替えて場を支配する。だから零が動いた瞬間に話が“別の番組”みたいなテンションに変わることが多い。しかも本人は悪意で荒らすというより、「面白そうだから」「その方が楽しいから」でやっている空気が強く、結果として周囲が迷惑を被っても、どこか憎めない。視聴者は零に振り回されながらも、最後には「まあ零だからな」で笑って許してしまう。その“許され力”が零の一番の武器で、奇面組という集団の中心に立つ説得力にもなっている。

冷越豪:硬派の皮を被った“真面目な暴走”が笑いを生むサブリーダー

冷越豪は、見た目も言動も「腕力で押し切るタイプ」に見えるが、実際にはその硬派さが空回りして笑いになることが多い。豪は自分の中に「男らしくあるべき」「筋を通すべき」というルールを持っているのに、周囲は奇面組ワールドなので、ルールが通じない。すると豪は怒る。怒るほど状況が面白くなる。さらに、豪は根っこが妙に小心だったり、損得勘定が働いたりする瞬間があり、硬派を気取った姿が崩れるときの落差が美味しい。宇留千絵との関係も、正面から恋愛に進むより、口ゲンカと意地の張り合いが先に立ち、その摩擦が騒動を増幅させる。豪は“殴って解決する”キャラではなく、“殴りたいのに殴れない状況で苛立つ”ことで笑いを作るキャラで、その扱い方が本作の学園コメディらしさに繋がっている。

出瀬潔:常識人の顔をした“煩悩エンジン”が事件を発火させる

出瀬潔は奇面組の中で比較的まともに見えるが、そのまともさは「場の説明役になれる」という意味であって、人間性が品行方正という意味ではない。むしろ潔は煩悩が行動力に直結しており、ちょっとしたきっかけで欲望が暴走して、事件を一気に燃え上がらせる。例えば、恋愛や女の子絡みの話題になると、潔の思考は一瞬で“ズルい作戦”に切り替わり、周囲を巻き込んでしまう。視聴者は潔の卑近さに呆れながらも、「こういう奴、クラスにいたかも」と感じてしまい、笑いが身近になる。奇面組が非現実的な存在であるほど、潔の俗っぽさは現実に接続する橋になる。奇面組が宇宙人みたいになりすぎないための“人間臭さ”を、潔が担っているとも言える。

大間仁:マイペースと胃袋で話を横滑りさせる“脱力系の安定剤”

大間仁は、奇面組の中で最も“争い”から遠い。彼は状況に対して熱くならず、感情の高低差が小さい。だからこそ、周囲が騒げば騒ぐほど、仁の脱力が効いてくる。仁がのんびり一言放つだけで場がズレたり、事件の勢いが変な方向へ逃げたりする。さらに大食漢という特徴があるため、食べ物が絡む回では仁が事件の中心になりやすい。食欲は分かりやすい動機で、視聴者も直感的に理解できる。結果として仁は、ギャグの火力を上げる役というより、火力が高すぎて燃え尽きそうな回に“変な余白”を入れる役として機能する。奇面組が常に全力だと疲れるが、仁がいることでテンポに緩急が付き、作品が長期放送でも見やすくなる。

物星大:繊細さと唐突さの同居が生む“予測不能な一撃”

物星大は、乙女チックで涙もろいという分かりやすい特徴を持つが、面白さはそこだけではない。彼の行動は、感情が先に出るため理屈が追いつかず、唐突にとんでもない方向へ飛ぶ。場が熱くなっているときに急にしおらしくなったり、逆に静かな場で突然の大胆行動を取ったりして、話の流れを切断する。この“切断”がギャグとして強烈で、物星が動くと空気が変わる。しかも本人は真剣なつもりなので、周囲のツッコミが追いつかないことも多い。奇面組の笑いはテンポが命だが、物星はそのテンポを一瞬止めて、別の種類の笑いを差し込む役割を持つ。だから彼は単なる変わり者ではなく、コメディのリズムを崩すための“異物”として計算されている。

河川唯:視聴者の目線を代表する“まっすぐな優等生”

河川唯は、奇面組の奇行を受け止める窓口であり、作品にとっての安心装置だ。唯がいることで、学校生活の基準点が設定される。彼女は勉強もでき、性格も明るく、誰にでも優しい。だから奇面組の騒動に巻き込まれても、怒りで切り捨てず、どこかで面倒を見てしまう。その態度が、視聴者の気持ちを「困ったな」から「でも嫌いになれないな」へ誘導する。さらに、唯は恋愛面でも“好意を集める存在”として機能し、周囲の男子やライバルキャラの行動を引き出すスイッチにもなる。ただ、唯自身は浮ついた恋愛に走らず、真面目さが残るため、作品全体が下世話に寄りすぎない。ギャグが暴走しても最後に“爽やかさ”が残るのは、唯の存在感が大きい。

宇留千絵:豪快さで場に突っ込み、恋愛も騒動も“熱量”に変える相棒

宇留千絵は、唯とは別の意味で作品を動かす。唯が視点人物なら、千絵は火力担当だ。細かいことを気にせず突っ走るので、騒動に巻き込まれるのではなく、自分から騒動へ突っ込んでいく。冷越豪との関係は、恋愛の甘さより口ゲンカの勢いが先に立ち、喧嘩するほど距離が縮まるタイプの面白さがある。千絵は粗野に見えて情が深く、友人や仲間を守る場面では頼もしさも見せる。だから単なる“うるさいキャラ”で終わらず、学園の空気を体育会系に明るくする役割を果たす。奇面組のふざけ方が非現実なら、千絵のふざけ方は“人間の勢い”で、二種類の騒がしさが混ざることで作品のテンションが安定する。

脇役たち:属性の強さが“学園ギャグの群像感”を作る

本作の面白さは、奇面組とヒロインだけで完結しない。生徒会、教師陣、ライバル集団、名前からしてクセの強い同級生たちが、次々と騒動に混ざることで学校全体がコメディの舞台になる。脇役は出番が短くても“何者か”が分かるように作られていて、登場した瞬間に笑いの方向性が決まる。生徒会長タイプなら妙に権威的に仕切ろうとして崩れ、色男タイプならモテを武器にしたはずが奇面組に台無しにされ、先生タイプなら説教がいつの間にか茶番になる。こうした“役割の明快さ”が、1話完結の中でもストーリーをスムーズに動かし、視聴者が途中から見ても理解できる見やすさを生む。

視聴者の印象に残るのは「キャラの強さ」より「キャラ同士の相性」

奇面組が長く愛される理由は、誰が一番面白いかという単純な話ではなく、組み合わせで笑いが変わる点にある。零が主導すると話は無茶に飛び、豪が絡むと喧嘩腰の勢いが増し、潔が絡むと下心のドタバタに寄り、仁が絡むと脱力の余白が生まれ、物星が絡むと空気が切り替わる。そこに唯がいると物語が“学園”に戻り、千絵がいると熱量が上がる。つまり本作は、キャラ単体のギャグではなく、相性の化学反応で笑わせる。だから視聴者は、特定のキャラに肩入れするだけでなく、「この回はこの組み合わせが強い」といった楽しみ方ができ、繰り返し見ても発見が残る。印象的なシーンが多いのは、その化学反応が毎回違う形で起きるからであり、学園という枠の中で“集団コメディ”を完成させた作品として、キャラクター群が一つの大きな魅力になっている。

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■ 主題歌・挿入歌・キャラソン・イメージソング

音楽が作品のテンションを“週替わりの名刺”にしていた

『ハイスクール!奇面組』の音楽的な強みは、単に“良い曲が多い”というより、番組の空気を一瞬で立ち上げる力が非常に強い点にある。学園ギャグは導入が命で、視聴者がテレビをつけた瞬間に「今から笑う時間だ」と身体を切り替えられるかが大事になる。本作はオープニングから一気に明るさと勢いを叩きつけ、エンディングで余韻を整えることで、毎週の視聴体験を“ひとつのパッケージ”として完成させていた。しかも主題歌の変化が多く、時期ごとに番組の名刺が入れ替わるような感覚がある。視聴者にとっては「この曲の時期=この頃の奇面組」という記憶の仕切りができ、長期放送の中でも作品を新鮮に感じやすい仕掛けになっていた。

オープニング:軽快さとコミカルさを“顔面一発”で刻み込む

オープニングは、奇面組の世界観を説明するより、勢いとノリを提示する役割が強い。テンポの良いメロディとキャッチーなフレーズは、イントロだけで「奇面組が始まる」と分かる合図になる。タイトルを冠した曲が使われた時期は特に“番組の看板”として機能し、曲名そのものが作品のイメージと直結する。また、曲が変わるごとにアレンジの方向性や言葉の遊び方が微妙に変化し、ギャグアニメらしい軽さは保ちつつも、アイドルポップとしての華やかさが前面に出る時期、少し大人びた雰囲気が混ざる時期など、番組の“季節感”のようなものが生まれる。視聴者は曲を追いかけるだけで、放送当時の空気や流行の温度を思い出せる。

エンディング:騒動の後に残る“放課後の感じ”を整える

エンディングは、オープニングほどの勢いで押すというより、笑い疲れた頭を少し落ち着かせる役回りになる。とはいえしんみりしすぎるわけではなく、最後までコミカルさを残しつつ、どこかに“青春ものらしい匂い”を漂わせる曲が多い。奇面組の騒動は、話の終盤で強引に着地することも多いが、エンディングが流れることで「まあ、今日もこういう一日だったんだろうな」という感覚に戻れる。つまり音楽が、ストーリーの破綻を優しく包み、次回に繋げるクッションになっている。曲によっては軽い毒っ気や照れ隠しのような言い回しがあり、そこがまた学園ギャグの後味と相性が良い。

“アイドル×アニメ”の相乗効果が、主題歌を番組の顔にした

当時のテレビ文化では、アニメとアイドルの結びつきが強い宣伝効果を持っていた。本作もその流れの中で、主題歌を通じてアニメファン以外の層にも存在感を広げたタイプだ。曲がテレビの歌番組やラジオで流れれば、アニメを見ていない人の耳にも残り、「あの曲のアニメだ」と逆流入が起きる。逆にアニメ視聴者は、曲を買うことで作品世界を放送時間外にも持ち出せる。学園ギャグは日常と近い分、主題歌が生活のBGMとして馴染みやすく、口ずさめることで作品の記憶が持続する。結果として、主題歌が“作品の看板”であるだけでなく、“当時の青春の一部”のような位置に収まりやすかった。

挿入歌:本編のギャグを“もう一段上”に持ち上げる装置

挿入歌は、物語の中で突然始まることで笑いを倍増させる役割を担う。ギャグアニメにおける挿入歌は、感動を演出するためだけのものではなく、「なんで今歌うんだよ」というズレが面白さになる。本作でも、奇面組メンバーが歌う楽曲は特に“お祭り感”が強く、キャラの性格がそのまま歌唱に染み出すような面白さがある。歌は本来、作品世界の空気を整えるものだが、奇面組の場合は逆で、歌が始まることで空気がさらに崩れる。その崩れ方が気持ちよく、視聴者は「ここで歌うのか」という驚きと、「やっぱり奇面組だ」という納得を同時に味わうことになる。

キャラソン:キャラクターの“言葉の癖”を音に固定する

キャラソンの魅力は、キャラクターを深掘りするというより、キャラの“癖”を記号として強化する点にある。零の自由さ、豪の意地っ張り、潔の下心、仁の脱力、物星の繊細さ——そうした特徴が、歌詞や歌い回しに乗ると、台詞よりも強い形で脳に残る。キャラソンはストーリーと切り離されている分、視聴者は“設定”としてではなく“空気”としてキャラを再確認できる。結果、テレビ本編でそのキャラが登場した瞬間に、頭の中で曲が鳴るような記憶の結びつきが生まれ、キャラクターの存在感がさらに太くなる。学園ギャグはキャラの見分けが命だが、キャラソンはその見分けを音で補強する役割を果たしている。

イメージソング:作品世界を“放送の外”へ連れていく

イメージソングは、物語の中で流れるわけではないからこそ、視聴者の想像を広げる。ギャグアニメは本編だけ見ていると、どうしても「毎回ふざけて終わる」印象になりやすいが、イメージソングには“青春らしさ”“放課後の匂い”“淡い恋心”のような要素が混ぜられることが多く、作品の輪郭が少し柔らかくなる。奇面組が馬鹿騒ぎしている裏で、唯や千絵の気持ちが少し揺れていたり、豪が不器用に悩んでいたり、そういう余白を音楽が補ってくれる。視聴者は曲を聴きながら「本編では描かれないもう一つの奇面組」を勝手に想像でき、作品世界を自分の中で延命できる。

“曲が変わる=時代が進む”という体感が、長期放送を飽きさせない

主題歌の入れ替わりが多い作品は、視聴者にとって“区切り”ができる。『ハイスクール!奇面組』も、曲が変わることで「新しい季節が来た」「番組が次の段階に入った」という感覚が生まれ、同じ学校、同じキャラでもマンネリを感じにくい。アニメの内容が毎回一話完結であっても、音楽が変わるだけで番組の肌触りが変わったように錯覚できる。これは長期放送の強力な武器で、視聴者の記憶にも「この曲の頃の雰囲気」という形で刻まれる。音楽が“時間のメモリ”になることで、奇面組は単なるギャグの連続ではなく、「あの時代を一緒に走った番組」として残りやすくなる。

視聴者の感想に多い“曲から入って作品に戻る”循環

本作の音楽は、作品を見て好きになるだけでなく、曲を聴いて作品が恋しくなるタイプの循環を作っている。特に当時は、レコードやカセットで主題歌を繰り返し聴けること自体が強い楽しみで、聴くたびに頭の中でオープニング映像やギャグシーンが再生される。するとまた本編が見たくなる。こうして“音楽→作品→音楽”のループが生まれ、ファンの熱量が維持される。ギャグアニメは笑いが一度きりで終わりがちだが、本作の場合は音楽が“復習”の入口になり、何度でも当時のテンションに戻れる。それが、主題歌群が今も語られる理由であり、奇面組という作品の記憶を支える大きな柱になっている。

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■ 声優について

声が“ギャグの速度”を決める作品だった

『ハイスクール!奇面組』は、絵だけでも十分に濃いのに、そこへ声が乗ることで“笑いの加速装置”が完成したタイプのアニメだ。学園ギャグはテンポが命で、同じ台詞でも間が長ければ寒くなるし、間が短すぎれば意味が伝わらない。その絶妙なラインを、本作は声優陣の芝居で支えていた。奇面組のギャグは「やりすぎ」を前提にしているが、やりすぎを成立させるには、演者が“本気でやりすぎる”必要がある。中途半端に照れると視聴者も冷める。しかし本作の声の芝居は、照れを捨てて突き抜ける方向に振り切っている。結果として、視聴者は理屈で笑う前に、声の勢いで笑わされる場面が多い。

一堂零の声:変幻自在な“司会者”としての説得力

一堂零は、奇面組の中心であり、話の舵取りを勝手に握る存在だ。だから声の表現も、単なるボケ役では足りない。ふざけ倒す瞬間、妙に真面目に語り出す瞬間、急にテンションを上げて場を支配する瞬間——その切り替えが滑らかでないと、キャラが“ただうるさいだけ”になってしまう。零の声芝居は、その切り替えを武器にしている。特に、周囲が困惑しているのに本人だけ楽しそうな空気、そして突然、全員を巻き込む勢いを出す空気が、声のトーンで分かりやすく伝わる。視聴者が零の無茶を受け入れられるのは、声が“この人はこういう生き物だ”と納得させてくれるからで、演技の説得力がキャラの反則性を支えている。

冷越豪の声:硬派と小物っぽさの両立が笑いになる

冷越豪は、見た目も言動も強面で、ストレートに怖い方向へ行きそうなのに、どこか抜けている。その“硬派の皮が剥ける瞬間”が笑いの肝なので、声には威圧感と情けなさを同居させる必要がある。豪の芝居は、普段は太くて強いのに、意地を張る場面や焦る場面で微妙に焦燥が混じり、ツッコミに回ったときの苛立ちが面白い方向に転がる。特に千絵との掛け合いでは、怒鳴り合いがそのまま漫才のテンポになり、声の圧と間で笑いが生まれる。豪は“怖さ”で支配するキャラではなく、“怖い顔で必死に振り回される”キャラなので、その必死さが声で伝わるほど面白くなる。

出瀬潔の声:俗っぽさを“愛嬌”に変える技術

出瀬潔は、煩悩が強いぶん嫌われ役にもなり得るが、作品の中ではちゃんと“愛されるダメさ”として成立している。それは、声が持つ軽さと、動揺したときのコミカルさが大きい。下心を抱えたときの妙なテンション、失敗したときの情けない叫び、言い訳の速さ——そういった部分が芝居で可視化されることで、視聴者は「またやってる」と笑って許せる。潔がもし生々しく演じられすぎると不快寄りになるが、本作ではギャグとしての記号化が上手く、声のノリがその境界線を守っている。つまり潔の声は、欲望を描くためではなく、欲望が空回りする面白さを作るためにある。

大間仁の声:脱力で場を“ずらす”存在感

大間仁は、奇面組の中で最も“テンションの波”が小さいキャラであり、だから声も一定の温度を保つことが重要になる。騒動の真っ最中でも、仁の声が妙に落ち着いているだけで、場がズレて笑いが生まれる。大食漢キャラは勢いで食べる描写が目立ちがちだが、仁の場合は“食べることが日常”のような空気があり、そこが逆に非日常の中の安定点になる。声が淡々としているほど、周囲の大騒ぎが際立ち、ギャグの対比が強くなる。仁はツッコミでもボケでもなく、“世界を斜めにする役”で、その役割が声の落ち着きで強化されている。

物星大の声:繊細さと大胆さの切り替えが“破壊力”になる

物星大は、乙女チックで涙もろいという表層だけを見ると、ただの癖キャラに見える。しかし実際には、可憐な空気から突然、場をひっくり返す行動に出ることがあり、そのギャップが最大の武器だ。声の芝居も、普段の柔らかさや繊細さがあるからこそ、唐突な大胆さが際立つ。泣き声や感情の揺れを丁寧に出すことで「この人は本気でそう感じている」と納得させ、次の瞬間にとんでもない方向へ飛ぶと、視聴者は笑うしかない。物星は“ギャグのタイミングを変える爆弾”であり、声はその爆弾の起爆スイッチになっている。

河川唯の声:学園の“普通”を守りつつ、騒動に巻き込まれる可愛さ

唯は視聴者の目線役で、まともな反応をする必要がある。しかし、まともすぎると作品が説教臭くなるし、冷たすぎると奇面組の魅力が死ぬ。唯の声芝居は、その中間で“困りながらも優しい”温度を保つのが上手い。驚く、呆れる、怒る、でも結局助けてしまう——その感情の流れが自然に繋がることで、視聴者も唯と一緒に「困ったな」と思いながら笑える。さらに唯は、恋愛的な気配を匂わせる場面でも、過剰に甘くならず、あくまで学園コメディの枠を崩さない。声の柔らかさが、作品全体の後味を爽やかに整える役割を果たしている。

宇留千絵の声:豪快さで笑いを押し切り、女子側の火力を担う

千絵は勢いで突っ込むキャラなので、声もエネルギッシュでないと成立しない。怒鳴る、笑う、焦る、突っ走る——感情が外に出るタイプで、声の圧がそのままキャラの生命力になる。特に豪との口ゲンカは、台詞の内容以上に声のぶつかり合いが面白さを作る。千絵の声は強いが、ただ強いだけではなく、時々見せる照れや優しさのニュアンスがあるから、単なる乱暴者に見えない。学園ギャグは男子側が暴れがちだが、千絵の火力があることで女子側も騒動の中心に立てる。そのバランスが、作品を“男子の悪ふざけ”で終わらせない。

脇役・教師陣の声:短い出番で“属性”を刻む職人芸

本作は脇役が多く、しかも一話完結の中で次々と登場するため、声でキャラを瞬時に理解させる必要がある。生徒会系の偉そうなキャラなら威張り方に癖をつけ、色男系なら軽薄さを匂わせ、教師なら説教の硬さや妙なノリの良さを一瞬で出す。こうした“短距離走の演技”が積み重なることで、学校全体がキャラだらけの生態系として成立する。視聴者は、名前を覚えていなくても声と喋り方で「このタイプだ」と分かり、すぐ笑いに入れる。群像コメディとしての見やすさは、こうした声の設計に支えられている。

視聴者の印象に残るのは「名台詞」より「声のノリそのもの」

『ハイスクール!奇面組』の声優について語るとき、特定の名台詞以上に、「あのテンション」「あの叫び」「あの間」が思い出されやすい。つまり本作の面白さは、言葉の意味より音の勢いに宿っている部分が大きい。ギャグが滑るか刺さるかは紙一重だが、本作は声がその紙一重を押し切って刺しにいく。だからこそ、何十話と積み重ねても視聴体験が軽快で、キャラが長く愛される。声優陣の芝居は、キャラクターを演じたというより、奇面組という“笑いの速度”そのものを作った——そう捉えると、本作の声の価値がよりはっきり見えてくる。

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■ 視聴者の感想

「毎週見てしまう中毒性」がまず語られやすい

『ハイスクール!奇面組』の視聴者感想で目立つのは、「内容を細かく覚えていなくても、なぜか毎週見ていた」というタイプの記憶だ。これは作品が“連続ドラマ”ではなく“習慣になる笑い”を作っていた証拠でもある。一話完結で、冒頭から騒動が起き、テンポよく崩れて終わる。理解の負担が少ないのに、毎回どこかに派手な見せ場があるから、テレビをつけたらそのまま見てしまう。視聴者にとっては、勉強や部活の疲れをリセットする時間、週末の気分を切り替える時間として機能していた、という声が想像しやすい。いわゆる“神回”を語るより先に、「奇面組がやってる時間はなんか安心した」といった感想が出てくるタイプの作品だ。

ギャグの評価は「勢いが全部」という肯定でまとまることが多い

笑いの好みは人それぞれだが、本作に関しては「理屈じゃない」「勢いで笑わせる」こと自体を長所として受け止める感想が多い。ストーリーが整っているか、伏線が回収されるか、といった観点よりも、「とにかくバカバカしい」「やりすぎが気持ちいい」「突っ込みが追いつかないのが良い」といった、体感的な評価が中心になりやすい。特に奇面組の5人が揃ったときの掛け合いは、漫才のようなテンポで場面が進み、視聴者は考えるより先に笑わされる。ギャグアニメは滑ると厳しいが、本作は“滑りそうなところを速度で跨ぐ”ような作りで、その無茶に乗れる人ほど強くハマる。

キャラクター人気は「誰が好きか」で世代の思い出が割れる

視聴者の感想を並べると、好きなキャラが人によってかなり分かれるタイプだと分かる。リーダーの零を推す人は、自由さや反則級の発想力に惹かれるし、豪を推す人は硬派を気取って振り回される姿に愛嬌を感じる。潔はダメさが笑えるから好き、仁は癒やし、物星はギャップが刺さる、といった具合に“推しの理由”がそのまま作品の魅力の説明になる。ヒロイン側でも、唯のまっすぐさを好む人と、千絵の豪快さを好む人で分かれやすい。結果として、視聴者同士の会話が「どの回が面白い」より「誰が一番好きだった」で盛り上がりやすく、キャラで作品が記憶される。

主題歌・エンディングの思い出が“作品の入口”になっている

感想の中で非常に強いのが、「曲を聴くと一気に当時に戻る」というタイプの話だ。アニメの内容以上に、オープニングが始まった瞬間の高揚感や、エンディングで一息つく感覚が、生活の記憶と結び付いている。特に放送当時は、テレビの前に座ること自体がイベントで、主題歌はそのスイッチだった。だから「曲から作品を思い出す」「歌える」「イントロだけで映像が浮かぶ」という感想が出やすい。これは作品の“視聴体験”が、映像だけでなく音楽込みで完成していたことを示している。

「家族で見ても成立した」という声が出やすい珍しさ

学園ギャグは若者向けに寄りがちだが、本作は家族で見ても笑えるタイプの場面が多い。顔芸や大げさなリアクション、分かりやすい言葉遊びなど、世代を問わず伝わる笑いが中心にあるからだ。もちろん、下ネタ寄りのギャグが顔を出す回もあるが、作品全体としては“茶の間のバラエティ”に近いノリが強い。視聴者の感想として、「親が見ていたから自分も見ていた」「兄姉が笑ってたからつられて見た」という入り方があり得る。アニメ単体の評価というより、家庭の時間の一部として残っているケースも多い。

一方で「ノリが合うかどうか」で評価が極端に分かれる

肯定的な感想が多い反面、ギャグの勢いが強い作品ほど「合わない人には合わない」という反応も出やすい。本作も、顔芸や誇張表現、ツッコミの応酬が苦手な人には“うるさい”と映ることがある。さらに、学園ギャグのノリは時代の空気をまといやすく、当時は普通に笑えた表現が、後年に見ると古く感じることもある。そうした感想が出たとしても、本作のファン側は「古さも含めて味」と受け止める傾向が強い。つまり評価の軸が“作品の完成度”より“好き嫌いの体感”に寄りやすく、そこで賛否が割れやすい。

いま見返した視聴者の感想は「テンポの良さ」に集約されやすい

後年になって見返した人の感想としては、「テンポが想像以上に速い」「今の感覚でもサクサク見られる」という驚きが出やすい。長期放送のギャグアニメは間延びする印象を持たれがちだが、本作は“間”を溜めるより“畳みかける”方向に寄っており、視聴体験が軽い。だから懐かしさだけでなく、純粋にコメディとして再評価される余地がある。逆に「展開が早すぎて置いていかれる」という感想もあり得るが、それもまた本作の特徴が今も機能している証拠と言える。

“奇面組の学校に通っていた気分”が残るという声

視聴者が語る思い出の中で、少し面白いのが「自分もあの学校の生徒だった気がする」という感覚だ。これは、学校行事や授業など、誰でも経験する舞台装置が多いから生まれる。現実の学校生活はそこまで派手ではないのに、奇面組の騒動を見続けると、学校とは本来こういう“くだらない事件が起きる場所”だった気がしてくる。その錯覚が懐かしさに変わり、「あの放課後の騒がしさが好きだった」とまとめられる。作品を思い出すとき、ストーリーより空気が先に浮かぶのは、視聴者の体感に作品が入り込んでいた証拠だ。

総じて「80年代の学園ギャグの代表格」としての納得感

最終的に多くの感想が辿り着くのは、「あの時代の学園ギャグを象徴する作品だった」というまとめ方だ。キャラが濃い、テンポが速い、主題歌が耳に残る、学校行事が全部ネタになる、そして毎週見てしまう。これらがセットで語られ、当時のテレビの空気や友人同士の会話と一緒に作品が思い出される。『ハイスクール!奇面組』は、作品単体の評価を超えて、視聴者の生活の記憶に結び付いていることが多い。だから感想は「面白かった」で終わらず、「あれがあったから当時の土曜(あるいは週末)が思い出せる」といった、時間ごと残す言葉になりやすい。

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■ 好きな場面

好きな場面が「特定の回」より“型”として語られやすい

『ハイスクール!奇面組』の「好きな場面」は、ドラマ作品のように“あの回のあの名シーン”で固定されるより、「この作品って、こういう瞬間が最高なんだよね」という“型”で語られやすい。なぜなら本作は一話完結のドタバタが中心で、毎回似た構造の中で違う崩れ方を見せるからだ。視聴者の記憶に残るのは、伏線回収や感動のカタルシスよりも、奇面組が場を台無しにする瞬間、妙に真面目な顔でくだらない理屈を通す瞬間、全員が同時にズレて会話が破綻する瞬間といった、“ギャグの決まり手”のようなポイントになる。だから好きな場面は、場面の内容そのものより「奇面組らしさが最高潮になった瞬間」として共有されることが多い。

一堂零の“変装・なりきり”が炸裂する瞬間

好きな場面としてよく挙がりそうなのが、零が突然別人みたいなキャラに切り替わり、周囲がついていけないまま流される瞬間だ。零の変装やなりきりは、見た目だけでなく口調や態度まで含めて“本気”でやるから面白い。しかも、周囲が「何してんだよ」と止めようとするほど、零は乗ってしまう。視聴者はその加速度を楽しむ。特に、真面目な場面ほど破壊力が大きく、先生の説教、学校の行事の進行、勝負の緊張感といった“ちゃんとしている空気”が、一瞬で茶番に変わる。その瞬間の落差が、本作の快感として記憶に残りやすい。

奇面組5人の掛け合いが“漫才”みたいに噛み合う場面

5人が揃って喋るだけで面白い、というのは本作の強みで、視聴者の好きな場面も“会話の洪水”として残りやすい。零がボケを投げ、豪がキレ気味にツッコミ、潔が欲望で話を逸らし、仁が脱力でズラし、物星が急に別方向へ飛ぶ。誰かが仕切ろうとすると別の誰かが壊し、結果的に会話がまとまらないのにテンポだけは良い。この状態が一番“奇面組を見ている”感覚に近い。内容を覚えていなくても、耳に残るのはこの音のリズムで、視聴者は「また始まった」と笑いながら安心する。好きな場面として語るときも、「あの時の掛け合いが最高だった」という言い方になりやすい。

豪と千絵の口ゲンカが“恋愛未満の熱量”で転がる場面

豪と千絵の関係は、しんみりした恋愛ではなく、衝突の熱量がそのまま面白さになる。好きな場面として挙がりやすいのは、二人が言い合いになり、周囲が止めようとするほど火が付いて、結局その言い合いが騒動の中心になる瞬間だ。豪は硬派を気取っているから、千絵に突っ込まれると余計ムキになる。千絵は勢いがあるから、豪がムキになるほど面白がってさらに煽る。結果、二人だけで“別の競技”みたいな勝負が始まる。視聴者は「喧嘩してるのに、なんか息が合ってる」と感じ、そのズレた相性に笑う。恋愛が進展するというより、衝突が面白くて見たくなる関係性として記憶に残る。

潔の欲望が空回りして“自爆”する場面

出瀬潔は、計画を立てると高確率で失敗する。その失敗が、視聴者にとっては一種の安心感になる。「どうせこうなる」と分かっているのに、失敗の仕方が毎回違うから笑える。好きな場面として語られやすいのは、潔が調子に乗った瞬間から転落までが一気に来る流れだ。スカートめくりや覗きのような下心が絡むと、周囲の反撃が倍返しで返ってきて、潔だけが悲惨な目に遭う。しかし作品の空気が軽いので、悲惨さが陰湿にならず、あくまでコントの“罰ゲーム”として処理される。視聴者は「またやった」「またやられた」と笑い、潔の自爆芸が好きな場面として積み重なる。

仁の大食い・マイペースが“場を横滑り”させる場面

騒動が激しくなるほど、仁の存在が際立つ。好きな場面としては、周囲が必死なのに仁だけ普通に食べている、あるいは場違いな一言で空気をズラす瞬間が挙げられる。ギャグは攻めるほど疲れるが、仁の脱力はそれを中和し、作品のリズムを整える。特に食べ物が絡む回では、仁の食欲が“事件の理由”になることもあり、動機がシンプルで分かりやすいぶん、展開が無茶でも納得しやすい。視聴者は仁の行動に癒やされつつ、「この学校、ほんと自由だな」と再確認する。仁の好きな場面は、派手ではないが後から思い出して笑えるタイプが多い。

物星の“急な繊細さ”が空気を変え、次の瞬間に崩す場面

物星の魅力は、場を一瞬しっとりさせられるのに、そのしっとりが長続きしないことだ。好きな場面として残るのは、物星が感動っぽい言葉を言ったり、泣いたりして「いい話になるのか?」と思わせた直後に、とんでもない方向へ飛ぶ瞬間だ。視聴者は感情の揺れに一瞬乗りかけるが、すぐ裏切られて笑う。この裏切りが心地いい。ギャグアニメが感動に寄るとテンポが落ちるが、物星は“感動の入口”だけ作って、すぐに破壊する。だから物星が絡む回は、空気の切り替えが激しく、印象が強く残る。

文化祭・体育祭・修学旅行など“大イベントが大惨事”になる場面

学園ものの定番イベント回は、好きな場面として語られやすい。なぜならイベントは最初から絵面が派手で、キャラの集合率も高く、騒動が起きる土台が整っているからだ。文化祭なら準備段階から揉め、当日は予想外の事故や勝負が始まって、最後はなんとなく成功したように見えるのに裏ではめちゃくちゃ、という流れが美味しい。体育祭なら競技が競技の形を失い、ルールがねじ曲がり、奇面組が“勝ち方”も“負け方”も変な方向に持っていく。修学旅行は旅先というだけでテンションが上がり、普段より無茶が通りやすい。視聴者の好きな場面は、こうしたイベントの“崩壊の瞬間”に集中しやすい。

真面目なキャラが“折れる”瞬間が面白い

本作は奇面組だけが変なのではなく、周囲の真面目なキャラが奇面組に巻き込まれて、ついノってしまう瞬間が強い。教師が説教を続けられなくなったり、生徒会が権威を保てなくなったり、色男組が格好つけられなくなったりする。こういう“真面目の崩壊”は、奇面組の勝利というより、世界全体がギャグに染まる瞬間として気持ちいい。視聴者は「結局みんなこの学校の空気に負けるんだな」と笑い、奇面組ワールドの強さを再確認する。

好きな場面の本質は「日常が壊れる快感」と「最後は笑って終わる安心」

視聴者が語る好きな場面をまとめると、結局は二つに集約される。ひとつは、学校という日常の枠が、奇面組によって気持ちよく壊される快感。もうひとつは、どれだけ壊れても最後には笑って終わり、次回も同じように始まる安心感だ。だから好きな場面は、派手なギャグだけでなく、“いつもの流れ”そのものとして残ることが多い。視聴者は奇面組を思い出すと、特定のストーリーより、「あの騒がしさ」「あのテンポ」「あの放課後感」を先に思い出す。そして、その感覚こそが、好きな場面の正体になっている。

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■ 好きなキャラクター

“推し”が分かれるのは、キャラが「笑いの種類」で住み分けているから

『ハイスクール!奇面組』で好きなキャラクターを語るとき、視聴者の意見がきれいに割れやすいのは、キャラの人気が単なる見た目や強さではなく、「どの笑いに一番反応するか」で決まるからだ。奇面組の面白さは、同じ場面でもキャラによって反応の温度が違い、笑いの方向が変わるところにある。だから“推し”は「自分が好きな笑いの型」を表明することに近い。勢いで全部押し切るのが好きなら零に寄るし、ツッコミと苛立ちの芸が好きなら豪に寄る。ダメさの愛嬌が好きなら潔、脱力の癒やしが好きなら仁、ギャップで空気を壊すのが好きなら物星——そんなふうに、好みがはっきり出る。ヒロイン側も、王道のまっすぐさを取るか、豪快な熱量を取るかで分かれる。

一堂零が好き:反則級の自由さと“場を回す力”がクセになる

零推しの理由として多いのは、「とにかく何をするか分からない」「困った状況でも楽しそうに突破するのが気持ちいい」といった、自由さへの憧れに近い感覚だ。零はボケにもツッコミにも回れて、時には全員の役割を奪ってしまうほど万能だが、それが嫌味になりにくいのは、本人の動機が“面白がり”に寄っているからだ。視聴者は零の行動に振り回されながらも、「こういう奴が身近にいたら大変だけど、見てる分には最高」と思ってしまう。好きな理由としては、変装やなりきりの芸達者さ、急に真面目な顔をするギャップ、そして結局は仲間を置いていかない妙な情の深さが挙げられやすい。

冷越豪が好き:硬派のはずが空回りする“不器用さ”が愛しい

豪が好きな人は、強いキャラだからというより「強く見せたいのに振り回される」ところに惹かれることが多い。豪は怒りっぽくて腕っ節もあるが、奇面組ワールドでは“正論”も“力”も通じない。そこでもがく姿が面白いし、どこか人間臭い。千絵との言い合いが好きな人も多く、口ゲンカの勢いがそのまま二人の相性の良さに繋がっているのが見どころになる。豪推しは、豪がカッコいい瞬間より、カッコつけようとして失敗する瞬間や、意地を張ってしまう瞬間を「そこがいい」と言うことが多い。

出瀬潔が好き:最低に見えて“憎めない”ダメさがギャグになる

潔推しの人は、潔を「好き」というより「見てしまう」「嫌いになれない」と言いがちだ。彼は下心の塊で、失敗して自爆するのが定番なのに、なぜか毎回期待してしまう。そこにキャラとしての強さがある。潔は、奇面組の中で一番“現実のクラスにいそう”な俗っぽさを持っていて、だからこそ笑いが身近になる。視聴者は潔の暴走に呆れながらも、「次はどんな自爆をするのか」という意味で楽しみにしてしまう。好きな理由としては、欲望が行動力に直結する分テンポが良いこと、失敗が痛快な罰ゲームとして描かれやすいこと、そして仲間としては意外と情があることが挙げられる。

大間仁が好き:騒動の中でも崩れない“マイペース”が癒やしになる

仁推しは、奇面組の騒がしさに対して“休憩ポイント”を求めるタイプとも言える。仁は大食漢でのんびり屋で、周囲が大騒ぎでも自分のペースを崩さない。その姿が、視聴者にとっては癒やしになるし、同時にギャグの対比として効いてくる。仁が一言言うだけで場がズレたり、勝負が妙な方向に転がったりする瞬間が好き、という感想も多い。派手な爆笑というより、後から思い出してじわっと笑えるタイプの面白さが仁の持ち味で、そこに惹かれる視聴者は“静かな推し”になりやすい。

物星大が好き:繊細さと大胆さのギャップが“唯一無二”

物星推しは、キャラの癖の強さをそのまま魅力として受け止める人が多い。乙女チックで涙もろく、感情の揺れが大きいのに、ふとした瞬間に大胆な行動に出る。このギャップが、場の空気を変えるスイッチになる。視聴者は「物星が来ると何か起きる」と期待し、その期待が裏切られない。好きな理由としては、感情表現が豊かで印象に残りやすいこと、空気をしっとりさせた直後に破壊する切り替えが面白いこと、そしてどこか純粋で憎めないことが挙げられる。

河川唯が好き:学園の“普通”を守る芯の強さと、優しさの安定感

唯推しは、奇面組の騒動を楽しみつつも、作品に“爽やかさ”を求める層に多い。唯は真面目で明るく、周囲に流されながらも芯がある。奇面組に振り回されても、最後に怒りで切り捨てず、助けたり諭したりできる優しさを持っている。視聴者にとっては、唯がいるから奇面組が“ただの迷惑集団”ではなく、“放っておけない仲間”として見える。好きな理由には、反応が可愛くて見やすいこと、困りながらも頑張る姿に共感できること、そして学園もののヒロインとして王道の安心感があることが挙げられる。

宇留千絵が好き:豪快で熱い“もう一人の主役”感がある

千絵推しは、勢いと熱量のあるキャラが好きな人に多い。千絵は口も態度も強く、騒動に巻き込まれるだけでなく、自分から突っ込んでいく。だから場面にいるだけでエネルギーが上がる。豪との言い合いも、恋愛というより戦いのようで、それが面白い。好きな理由としては、男勝りの行動力が痛快なこと、友達思いで情が深いこと、そして女子キャラが“可愛いだけ”で終わらないのが気持ちいいことが挙げられる。唯が作品のバランスを整えるなら、千絵は作品を燃やす側で、その燃え方が好きだという視聴者が一定数いる。

脇役推しが成立する:属性が濃く、短い出番でも爪痕が残る

本作は脇役の数が多く、しかも名前からしてクセが強いキャラが揃っているため、「実はこの脇役が好き」という推し方も起きやすい。生徒会系の偉そうなキャラ、色男系のライバル、先生の中の妙にノリが良い人、登場するだけで場を乱す問題児——短い出番で役割がはっきりしているから、視聴者の記憶に残りやすい。推しの理由も「出てくると必ず面白くなる」「嫌な奴なのに笑ってしまう」など、機能的な評価が多くなる。

結局のところ“推し”は「奇面組のどの部分が好きか」の答えになる

好きなキャラクターを挙げることは、そのまま作品のどこが好きかを語ることになる。自由さが好きなら零、不器用さが好きなら豪、ダメさの愛嬌が好きなら潔、癒やしが好きなら仁、ギャップが好きなら物星。学園の爽やかさが好きなら唯、熱量が好きなら千絵。『ハイスクール!奇面組』は、同じ騒動でも“笑いの種類”を複数用意している作品で、だからこそ推しが分散し、それが長く語られる強みになる。視聴者が自分の推しを語るたびに、作品の魅力の別の側面が浮かび上がる——それが、この作品が「キャラが強い」と言われる本当の意味だ。

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■ 関連商品のまとめ

関連商品は「アニメ作品」だけでなく“80年代の生活圏”に浸透していた

『ハイスクール!奇面組』の関連商品を眺めると、単なる映像ソフトや音楽盤に留まらず、当時の子ども・学生の生活に入り込みやすいジャンルへ幅広く展開していた傾向が見えてくる。学園ものという題材は、文房具や日用品との相性が抜群で、キャラクターを印刷するだけで“学校で使えるグッズ”として成立する。さらに主題歌が強かった作品でもあるため、レコード・カセット・のちのCDといった音楽関連が軸になり、そこに雑誌・ムック・ファンブック、ボードゲームや簡易玩具、食玩やシールなどが連なっていく。つまり関連商品は「コレクター向けの高額品」より「毎日使う身近なもの」が主力になりやすく、結果として当時の思い出に強く結びつく。

映像関連:VHS・LDから、後年のDVD/Blu-rayで“まとめて集める”時代へ

放送当時の映像関連は、家庭録画文化が一般化しつつも“公式ソフトを買う”体験が特別だった時代で、まずはVHSが中心になりやすい。特に人気回や編集版、あるいは少数巻での展開など、当時のアニメ販売の定番の流れに乗り、店頭ではジャケットの絵だけでテンションが上がるタイプのアイテムになった。次に、アニメファンやコレクター層が増えるとLDが選択肢として浮上し、盤面の大きさや所有感が“趣味のアイテム”としての価値を高める。21世紀に入るとDVDで全話をまとめて見たい需要が強まり、BOX化やセレクション企画が出やすい。さらに高画質化・リマスター化の流れでBlu-rayが視野に入ると、「子どもの頃の作品を、今の目で綺麗に見返す」ための復刻商品が主役になる。こうして映像商品は、時代ごとに“買い方”が変化しながら、作品の寿命を伸ばしてきたジャンルと言える。

書籍関連:原作コミックス+アニメ誌+ムックで“情報を集める楽しみ”が成立

書籍関連の核は、もちろん原作コミックスだが、アニメ放送期には“アニメとしての奇面組”を追いかける読み物も充実しやすい。代表的なのはアニメ雑誌の特集で、キャラクター紹介、声優インタビュー風の記事、設定画、主題歌情報、放送リスト的な扱いなどが並ぶ。学園ギャグはキャラが多いぶん、雑誌側も企画を作りやすく、人気投票やピンナップのような“参加型・収集型”の付録が付きやすい。さらにムックやファンブック系では、キャラのプロフィール、関係性、名場面の振り返り、イラスト集、時には制作側のコメントのような“読み物としての厚み”が加わり、作品を見ていない時間にも楽しめる。アニメコミックス(フィルムコミック系)のように、映像の記憶を紙で持ち歩くタイプの商品も当時らしい。書籍ジャンルは、コレクションというより“情報を所有する”満足感が強いのが特徴だ。

音楽関連:主題歌のヒットが、シングル・アルバム・ベスト盤へ連鎖する

本作の関連商品で特に強いのが音楽だ。主題歌が複数あり、時期ごとに曲が切り替わるため、ファンは「曲の変化=番組の歴史」を手元に置きたくなる。まずはEP盤(ドーナツ盤)のようなシングルが入口になり、そこから主題歌集、挿入歌を含むアルバム、サウンドトラックへと広がる。サントラは劇伴だけでなく、場面の空気を思い出させる役割もあり、ギャグ回の騒がしさを音で再体験できる。さらにキャラソンやドラマ要素が入った盤があると、放送外の“もう一つの奇面組”を楽しむ商品になる。後年にはCD化や復刻盤、ベスト盤、デジタル配信といった形で再流通し、「当時買えなかった層」「改めて集め直したい層」に向けた商品が成立しやすい。音楽は作品の記憶を最短距離で呼び戻すので、関連商品の中でも“時間を超える力”が強い。

ホビー・おもちゃ:派手なメカ玩具より、顔とギャグを活かした軽いグッズが中心

奇面組はロボットや変身ヒーローのような“玩具ギミックの軸”を持たないぶん、ホビーは日常系の軽いアイテムが主流になりやすい。例えば、デフォルメされたマスコット、ミニフィギュア、ソフビ風の簡易人形、キーホルダー、缶バッジ、スタンプ、シールなど、“持ち歩ける”タイプが強い。特に奇面組は顔の識別性が高いので、立体化しても誰だか分かりやすい。さらに、表情違いを出すだけでバリエーションが作れるため、ガチャ的な収集にも向いている。ぬいぐるみやクッション系も、キャラの顔をそのまま面に貼るだけで成立するので、当時の景品や雑貨として展開しやすい。結果として、子ども向けの安価な商品から、ファンが部屋に飾るグッズまで、幅広い層に刺さるラインが作られやすい。

ゲーム:ボードゲーム・すごろく系が相性抜群で“友達と遊ぶ”商品になりやすい

ゲーム関連は、当時のアニメタイアップで定番だったボードゲームやすごろくが中心になりやすい。学園ものはイベントマスを作りやすく、奇面組の騒動を“マスの効果”として落とし込みやすいからだ。例えば、零が場をひっくり返して全員の進行を乱す、豪が勝負を仕掛けて順位が変わる、潔がズルをして罰を受ける、仁が食べ物で回復する、物星が空気を変えてルールが変わる、といった“キャラの個性=ゲーム効果”に変換しやすい。カードゲーム的な商品も、キャラを並べるだけで遊びが成立するため相性が良い。電子ゲームや簡易LCDゲーム風の玩具も、クイズやミニゲームで展開しやすく、子どもが友達と持ち寄って遊ぶ“放課後アイテム”として機能する。家庭用テレビゲームに直結するより、友達同士の遊び道具としての色が濃いのが特徴だ。

食玩・文房具・日用品:学園もの最大の強みがここに出る

学園アニメの関連商品で最も“生活に入り込む”のが、文房具と日用品だ。下敷き、ノート、鉛筆、消しゴム、筆箱、定規、カンペンケース、メモ帳、シール帳——学校で使う道具は全部グッズ化できる。奇面組はキャラの顔が目立つので、小さな面積でも存在感が出て、印刷物に向く。さらに食玩では、シール付きガム、カード付きウエハース、ミニ消しゴム付き菓子など、“集める楽しみ”が主役になる。日用品も、コップ、弁当箱、巾着、タオル、ハンカチ、ティッシュケースなど、子どもの生活に直結するものが多い。こうした商品は高級品ではないが、当時使っていた記憶が残りやすく、後年に「懐かしい!」と強く刺さるジャンルになる。

お菓子・食品:コラボは短命でも“記憶に残るパッケージ”が価値になる

食品系コラボは、販売期間が短かったり地域差があったりするが、その分“見たことがある”記憶の引き金になりやすい。奇面組の顔が大きく印刷されたパッケージはインパクトが強く、店頭で目立つ。おまけのシールやカードが付くと、子どもは自然に集め始め、友達と交換する文化が生まれる。味そのものより、当たり付き・コレクション要素・パッケージの違いが主役になり、アニメの人気が生活の中へ入り込む。後年、当時の未開封品や包材が“懐かしグッズ”として扱われることがあるのも、このジャンルの特徴だ。

関連商品の魅力は「当時の生活を再生する」ことにある

『ハイスクール!奇面組』の関連商品は、作品を鑑賞するための媒体(映像・音楽・書籍)と、作品を生活に混ぜるための媒体(文房具・日用品・食玩・軽ホビー)が両輪になっている。前者は今でも集めやすい復刻や配信がある一方、後者は当時の物が思い出と直結しやすく、見つけた瞬間に“1980年代の放課後”が蘇る。奇面組という作品は、画面の中だけで終わらず、学校机の上、筆箱の中、おやつの袋、レコードの針音の中へと広がっていた。その広がり方こそが、関連商品の傾向を語る上で一番のポイントになる。

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■ オークション・フリマなどの中古市場

中古市場の特徴は「映像・音楽の定番」と「紙もの・日用品の希少性」に二極化しやすい

『ハイスクール!奇面組』の中古市場を眺めると、取引の中心に居座りやすいのは、いつの時代も“保存されやすいメディア”である映像ソフトと音楽ソフトだ。一方で、当時の日常で消費された文房具や食玩、雑貨類は残りにくく、残っているだけで価値が跳ねやすい。つまり「よく出てくるもの」と「そもそも出てこないもの」がはっきり分かれ、コレクターは前者で作品を揃え、後者で“当時の空気”を補完するような買い方になりやすい。さらに同じ商品でも、帯・ブックレット・付属品・外箱などの“欠品”が価格を大きく左右し、状態の良い完品ほど評価が伸びる傾向が強い。

映像関連:VHSは状態勝負、LDは所有感、DVD/Blu-rayは“完品”が強い

映像ソフトは出品数が比較的多いジャンルだが、媒体ごとに評価ポイントが違う。VHSは磁気テープという性質上、カビ・劣化・再生不良のリスクがあり、購入側は「視聴できる保証」を重視する。結果として未開封や美品は評価が上がりやすいが、普通の中古は相場が落ち着きやすい。LDはコレクター向けの色が強く、ジャケットの大判イラストや盤面の所有感が価値になるため、保存状態の良さがそのまま価格に乗りやすい。DVDやBlu-rayは“まとめて視聴できる”利便性が価値の核で、BOX商品は特に外箱・ブックレット・特典ディスク・帯などが揃っているかが勝負になる。欠品があると一気に評価が下がり、逆に完品で状態が良いと中古でも人気が集中しやすい。

書籍関連:コミックスは版・帯・セット感、雑誌・ムックは「紙ものの保存」が命

書籍は二つに分かれる。ひとつは原作コミックスや復刻版のような“定番”。もうひとつは雑誌記事、ムック、設定資料的な“紙もののコレクション”。コミックスは単巻より全巻セットが動きやすく、さらに初版・帯付き・状態良好といった条件が揃うほど評価が上がる。コレクターは“当時の匂い”を求めて初期版に惹かれやすい一方、読む目的なら綺麗な復刻や新装版を選ぶ人もいるため、需要は意外と幅広い。 雑誌やムックは出品数が少なく、特集ページの有無、切り抜きの有無、付録(ピンナップ、ポスター、シール台紙など)の欠品が価格を左右する。特にアニメ雑誌は切り抜き文化があったため、完品で残っているだけで希少価値が生まれやすい。折れや日焼け、背割れがあると評価が落ちるが、逆に“保存が奇跡的に良い個体”はコレクターが狙う。

音楽関連:レコードは帯と盤質、カセットは保存難度、CDは復刻でも帯が効く

音楽商品は中古市場で安定して回りやすい。主題歌のシングル盤(EP)やアルバム(LP)は、盤質とジャケットの状態、そして帯の有無が重要になる。帯は捨てられやすいので、残っているだけで“完品感”が跳ね上がり、価格に直結しやすい。カセットは保管状態で劣化の差が出やすく、再生できるかどうかがポイントになるが、当時物のカセットは“持っているだけで懐かしい”という需要も強いので、外箱や歌詞カードが揃っていると評価が上がる。 CDは復刻盤が存在すると相場が落ち着くこともあるが、それでも初期プレスや限定盤、帯付き美品には一定の需要がある。音楽は“聴く”需要と“揃える”需要が両立し、特に主題歌が強い作品ほど、複数盤を集める楽しみが中古市場でも維持される。

ホビー・おもちゃ:小物ほど残りにくく、箱・台紙・タグが価値の決め手

ホビー系は出品自体がまばらになりやすい。ソフビ風の人形やマスコット、キーホルダー、缶バッジ、スタンプ、ミニフィギュアなどは、当時は遊んだり使ったりして消耗する前提だったため、未使用・未開封が希少になりやすい。さらに、箱やブリスター、台紙、タグの有無が価値を大きく左右する。ガチャ系の小物は単体だと相場が読みにくいが、コンプリートに近いセットや、当時のカプセル・台紙付きなど“資料価値”が付く状態だと評価が跳ねる。ぬいぐるみ系は汚れやヘタリが出やすいが、逆に状態が良い個体は“当時の雰囲気”を強く持っているため、コレクターが食いつきやすい。

ゲーム関連:ボードゲームは欠品チェックが必須、完品は一気に強くなる

ボードゲームやすごろく系は、中古市場で見かけるときはあるが、購入時の注意点がはっきりしている。箱の角潰れや破れも大事だが、それ以上に「駒」「カード」「ルーレット」「説明書」「サイコロ」などの欠品が多い。欠品ありは価格が伸びにくいが、完品だと一気に評価が上がりやすい。なぜならボードゲームは“遊べる状態”で残ること自体が難しく、完品はコレクションとしての満足度が高いからだ。さらに外箱のデザインが作品の顔になるため、箱が綺麗な個体は飾りやすく、コレクターの需要に刺さりやすい。

食玩・文房具・日用品:未使用品が強く、まとめ売りが“記憶ごと”売れる

文房具や日用品は、当時は使う前提のものなので残存率が低い。だからこそ未使用品の価値が上がりやすい。下敷き、ノート、筆箱、鉛筆、消しゴム、シール帳などは、未開封やデッドストック状態だと“昭和レトロ”としての魅力も乗り、アニメファン以外の層にも訴求する。日用品(コップ、弁当箱、巾着、タオル等)も同様で、パッケージ付きだと見栄えが良く、価格が伸びやすい。 食玩のシールやカードは単体でも取引されるが、価値が出やすいのは「まとめ売り」「コンプに近い束」「当時の外袋や台紙付き」など、資料性が高い形だ。こうしたジャンルは、単なるグッズではなく“当時の生活の断片”として買われるので、状態が良いほどエモさが直撃し、落札が強くなる。

フリマの傾向:相場は揺れやすいが、掘り出し物が出るのもここ

オークションが競り上がりで価格が決まりやすいのに対し、フリマは出品者の値付けで大きく揺れる。結果として、相場より高い出品もあれば、相場より安い“掘り出し物”も出る。特にまとめ売りで、出品者が細かく検品していない場合、レアな紙ものや付録、未使用の文房具が混ざっていることがある。逆に、欠品や状態難が説明不足で混ざるリスクもあるため、購入側は写真と説明文の読み込みが重要になる。フリマは“運”が絡む分、コレクターにとっては宝探しの場になりやすい。

相場を左右する共通ルール:完品・美品・付属品の3点セットが最強

ジャンルが何であれ、価格に効く共通ルールは明確だ。第一に完品(付属品が揃っていること)。第二に美品(汚れ・破れ・日焼けが少ないこと)。第三に付属品(帯、特典、外箱、台紙、タグなど“捨てられがちな要素”が残っていること)。この3点が揃うほど希少性が上がり、同じ商品でも落札価格に大きな差が付く。逆に言えば、奇面組グッズを中古で集める楽しさは、作品そのものを集めるだけでなく、“当時捨てられたはずの要素”を探して揃えるゲームにもなっている。

中古市場で買う意味は「作品の再視聴」だけでなく「80年代の手触り」を取り戻すこと

映像や音楽は、今なら配信や復刻で触れやすい。しかし中古市場で当時物を集める人がいるのは、利便性ではなく“手触り”が欲しいからだ。EP盤の紙ジャケ、VHSの背表紙、雑誌のインクの匂い、下敷きのツルツル感、筆箱のプラ感——そういう物質的な要素が、奇面組の思い出を現実に引き戻す。『ハイスクール!奇面組』の中古市場は、作品の人気に加えて“昭和末期〜平成初期の生活文化”を回収する場としても機能しており、そこにコレクターの熱が集まる。集めるほど、作品だけでなく当時の自分の時間も一緒に揃っていく——中古市場の魅力は、突き詰めればそこにある。

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