『XZR II 完結編』(パソコンゲーム)

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【発売】:日本テレネット
【対応パソコン】:PC-8801、PC-9801、MSX2 など
【発売日】:1988年
【ジャンル】:アクションロールプレイングゲーム

■ 概要・詳しい説明

中世イスラム世界と宗教史を題材にした異色のアクションRPG

『XZR II 完結編』は、日本テレネットが1988年末ごろにPC-8801、PC-9801、MSX2などのパソコン向けとして発売した一人用のアクションRPGである。前作『XZR 破戒の偶像』から物語が直接つながるシリーズ第2作であり、作品名に「完結編」と掲げられているように、主人公サドラーを中心に展開してきた宗教戦争、暗殺者集団、時空移動、世界規模の陰謀に一つの結論を与える内容となっている。中世風の剣と魔法を扱う作品は当時すでに数多く存在していたが、本作が特徴的だったのは、架空の王国ではなく、十字軍遠征期のイスラム世界やエルサレム、フランス、インド、日本などを物語の舞台として採用した点である。テンプル騎士団、アサシン、ローマ教会、異端派、唯一神、古代の秘儀といった宗教史に関係する題材を大胆に組み合わせ、史実と幻想を意図的に混在させた物語は、一般的なファンタジーRPGとは大きく異なる雰囲気を生み出していた。発売機種についてはPC-8801、PC-9801、MSX2の各版が知られており、ゲームの基本部分は各機種で共通している。町や拠点で情報を集めるRPGパート、目的地を選択する移動・アジトパート、横視点で敵と戦うアクションパートを交互に進めていく構成である。前作と同じ基本システムを踏襲しながら、キャラクターの動作、画面の見やすさ、イベント演出、操作時の反応などが調整され、続編として遊びやすさを高める方向で改良されている。

前作の結末から始まるサドラーの新たな戦い

物語の主人公サドラーは、中世イスラム世界で活動する暗殺者集団アサシンの戦士である。前作では、イスラム世界における正統派と異端派の対立に身を投じ、仲間たちを集めながらセルジュク朝の指導者を暗殺する任務を遂行した。その後、天使ジブリールの導きによって20世紀末へ移動し、二大超大国の指導者を倒すことで世界規模の最終戦争を阻止している。本作は、その長い任務を終えて11世紀のアラムートへ帰還したサドラーが、亡くなったサッバーフに代わる新たなアサシンの首領として迎えられたところから始まる。しかし、サドラーが帰還したイスラム世界は平穏を取り戻してはいなかった。西方からはエルサレムの奪還を掲げる十字軍が押し寄せ、聖地では略奪や殺戮が広がっていた。サドラーのもとには、シリア砂漠に正体不明の怪物が現れたという報告が入り、彼は仲間たちと現地へ向かう。洞窟の奥で怪物を倒した一行は、傷ついたテンプル騎士から一通の手紙を受け取る。その差出人はテンプル騎士団長ユーグ・ド・ペインであり、敵対関係にあるはずのアサシンに対し、秘密の会談を申し入れていた。ユーグは、聖地を守るという当初の目的を見失い、暴徒と化した十字軍の現状に疑問を抱いていた。彼はローマ教会の方針に反発し、キリスト教徒とイスラム教徒が争う必要のない新たな秩序を築こうとして、サドラーに協力を求める。ところが、その理想の裏側には、単なる宗教融和では説明できない巨大な計画が隠されていた。サドラーはユーグの依頼を受ける形で各地を巡るが、旅が進むにつれて、唯一神の存在、古代から受け継がれてきた秘密結社、ヒラム・アビフの復活、生命の樹を模した儀式など、当初の十字軍問題をはるかに超えた陰謀へ巻き込まれていく。

エルサレムからフランス、インド、日本、古代世界へ

本作の物語は、一つの国家や地域にとどまらない。序盤ではアサシンの村やシリア砂漠、十字軍に占領されたエルサレムを巡り、ソロモン神殿でユーグと接触する。その後はユーグの故郷であるフランスへ渡り、ローマ教会から異端とされた人々や、宗教的な秘密を知る人物たちと関わっていく。さらに舞台はインドへ移り、古代遺跡や失われた知識をめぐる探索が行われる。遺跡の崩壊によって仲間と離れ離れになったサドラーは、やがて一人で東方へ向かい、日本にまで足を踏み入れる。日本編では、史実上の仏教僧を思わせる仁寛が登場し、サドラーと行動をともにする。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教だけでなく、仏教や密教的な要素まで物語へ取り込まれることで、宗教の起源と人間が神を求める行為そのものが作品の主題として浮かび上がってくる。さらに終盤では、時間の壁を越えて古代の時代へ移動し、ピタゴラスをはじめとする歴史上の人物や、神話に関係する人々と遭遇する。中世、古代、20世紀末を往復しながら進む物語は、単純な十字軍対アサシンの戦いではなく、人類の歴史を裏側から操ろうとしてきた存在との対決へ変化していく。この世界規模の展開こそが『XZR II 完結編』の大きな個性である。移動手段や年代のつながりを現実的に説明することよりも、宗教、神話、科学、陰謀論的な発想を一つの冒険譚にまとめることが優先されている。そのため、物語には大胆な飛躍や説明の省略も多いが、次にどの国、どの時代へ連れて行かれるのか予測できない展開が、独特の勢いを作り出している。プレイヤーはサドラーの視点を通して、異なる宗教や思想の背後に共通する何かが存在するのか、それとも神という概念そのものが人間によって作られたものなのかという、当時のゲームとしてはきわめて異例な問いに向き合うことになる。

探索・会話・横スクロール戦闘を組み合わせたゲーム構成

ゲームは大きく分けて、活動拠点で仲間や関係者と会話するアジト場面、町や村を歩き回る見下ろし型のRPG場面、洞窟や城で戦う横スクロール型のアクション場面で構成される。町では住民の話を聞き、道具や薬品を購入し、次に向かうべき場所の手掛かりを得る。重要な情報を聞くことで移動先が追加される場合もあるため、戦闘能力だけでなく、会話を漏らさず確認することが進行には欠かせない。ダンジョンへ入ると画面は横視点へ切り替わり、サドラーが剣や魔法を使って敵を倒していく。敵を撃破すると経験値や金が得られ、一定量の経験を積むことでレベルが上昇する。十分に成長させれば通常の敵や多くのボスに対して有利に戦えるため、難しい場所では同じ区間を往復して経験値を稼ぐという、アクションRPGらしい攻略法が有効となる。一方、ダンジョンは似た形の通路や分岐が多く、正しい道を把握するには方眼紙などを使った地図作成が役立つ。操作面は前作より軽快になり、剣による攻撃だけでも進みやすくなったが、終盤の強敵や最終決戦では魔法や薬品を適切に利用する必要がある。本シリーズを象徴する仕組みが、攻撃力と防御力の変化を波形として表すバイオリズムと、さまざまな効果を持つドラッグである。薬品を使用すると体力回復、攻撃力上昇、防御力強化などの効果が得られるが、薬によっては効果終了後に重い副作用が発生する。使用量やタイミングを誤れば、能力が一時的に下がるだけでなく、致命的な結果を招く場合もある。副作用を抑えるための薬も用意されており、強力な効果と危険性を天秤に掛ける判断が求められる。この大胆な設定は、現代では扱いが難しい表現を含むものの、宗教的題材と並んで『XZR』シリーズを忘れがたい存在にした要素の一つである。

物語を支える主要キャラクター

サドラーは、暗殺を任務とする戦士でありながら、自分の信仰や所属組織の命令だけを絶対視しない人物として描かれている。敵対する宗教の騎士であるユーグとも、相手の目的を確かめたうえで一時的に協力し、旅の中で得た事実から自分自身の判断を下す。終盤では、世界を統一する唯一神を人為的に作り出そうとする計画を前にして、神が存在しない可能性を突き付けられる。それでも他人に用意された役割へ従うのではなく、人間として進む道を選ぶ姿が物語の中心となる。ルーミーは複数の言語を扱う知識豊かな女性で、サドラーの旅を支える重要な仲間である。単なる案内役ではなく、各地の人々と接触するための交渉役や物語上のヒロインとして機能している。怪力を誇るキンディは一行の力強い戦士であり、ファキールはイスラム世界を代表する魔術師として、サドラーとは異なる方法で敵や超常現象に対処する。科学者スフラワルディは物語の後半に深く関わり、宗教や神秘だけでは説明できない知識を提示する存在となっている。そして、本作最大のキーパーソンがユーグ・ド・ペインである。史実ではテンプル騎士団の創設者として知られる名前だが、本作では十字軍の腐敗に反旗を翻し、宗教間の争いを終わらせようとする理想家として登場する。ただし、その理想は次第に危険な思想へ変化し、人類を一つの信仰で統合するためならば犠牲も容認する方向へ進んでいく。彼の肉体と魂には古代から続く計画が関係しており、サドラーに協力を求めた行動も、すべてが純粋な善意だったとは限らない。味方、依頼人、対立者という複数の役割を持つユーグの存在が、本作の物語に単純な善悪では割り切れない複雑さを与えている。

ビジュアル演出を重視した日本テレネットらしい作品

『XZR II 完結編』では、ゲーム開始時のオープニングや重要な会話、場面転換などに大きなキャラクター画像やアニメーション風の処理が取り入れられている。現在の基準では静止画を中心とした簡素な演出に見えるものの、家庭用ゲーム機よりもパソコンゲームがビジュアル表現で先行することも多かった当時において、物語の雰囲気や人物の感情を伝える重要な見せ場だった。前作よりイベント場面が増え、画面上の人物が細かく動く演出も加えられたことで、単に文章を読み進めるだけではないドラマ性が強化されている。物語の舞台が移るたびに背景や登場人物が変化し、イスラム風の都市、ヨーロッパの城や教会、インドの遺跡、日本の寺院、古代世界、荒廃した20世紀末などが次々と描かれる。限られた色数と解像度の中で世界各地を区別しようとする美術は、ゲーム全体にロードムービーのような広がりを与えた。音楽についても、緊迫した戦闘曲、神秘的なイベント曲、異国情緒を感じさせる旋律などが場面ごとに用意され、歴史と宗教を扱う重厚な物語を盛り上げている。販売本数を示す確実な公式資料は広く公開されておらず、具体的な累計本数を断定することは難しい。しかし、後年にPCエンジンやメガドライブ向けとして『エグザイル 時の狭間へ』の題名で再構成され、さらに海外でも展開されたことから、シリーズを家庭用市場へ広げるだけの評価と知名度を獲得していたことは読み取れる。家庭用版では一部の敵、場面、物語構成が変更または省略されているため、パソコン版『XZR II 完結編』は、サドラーとユーグをめぐる物語をより長く、複雑な形で体験できる原型として重要な位置を占めている。

「神は存在するのか」を物語の核心に置いた完結編

本作の最終的な対立は、領土や財宝を奪い合う戦争ではなく、人類が信じる神を誰が作り、誰が利用するのかという問題へ行き着く。ユーグの背後に存在するヒラムは、長い歴史の中で宗教や権力を操り、世界を統一するための巨大な仕組みを完成させようとしていた。その計画では、神は人間を導く超越的存在ではなく、人々を支配するために作られる装置に近いものとして扱われている。サドラー自身も儀式の最後の供物として利用されかけるが、他者によって定められた神話の一部になることを拒み、ユーグの肉体を利用して復活したヒラムと対決する。この結末は、特定の宗教を単純に否定するというより、信仰を権力者が利用し、人間の自由な判断を奪うことへの反発として描かれている。サドラーは信仰を持つ戦士でありながら、神の名を利用して世界を支配しようとする者には従わない。アサシンとして数多くの暗殺を行ってきた主人公が、最後には誰かに命じられた標的ではなく、自分の意志で倒すべき敵を選ぶという構図が、シリーズの完結にふさわしい意味を持っている。『XZR II 完結編』は、遊びやすさやアクション部分だけを見れば、レベルを上げながら各地のダンジョンを攻略する比較的素直なアクションRPGである。しかし、その内側には十字軍、アサシン、秘密結社、古代思想、宗教の成立、世界経済、時空移動といった膨大な題材が詰め込まれている。すべてが論理的に説明される作品ではないものの、1980年代の国産パソコンゲームだからこそ実現できた大胆さと危うさを備えており、現在でも似た作品を見つけにくいという意味で強烈な個性を放つ一本である。

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■ ゲームの魅力・攻略・好きなキャラクター

歴史・宗教・伝奇を横断する予測不能な冒険の魅力

『XZR II 完結編』の最大の魅力は、一般的な剣と魔法の物語では味わえない、歴史上の宗教勢力や実在人物を巻き込んだ大胆な冒険にある。主人公サドラーはアサシンの指導者として中世イスラム世界から旅立つが、その行動範囲はシリアやエルサレムだけにとどまらない。フランス、インド、日本、古代世界へと次々に舞台が移り変わり、テンプル騎士団、秘密結社、宗教家、哲学者、魔術師などが同じ物語の中へ投入されていく。現実の歴史を忠実に再現する作品というより、史実の空白へ空想を差し込み、宗教史の裏側で巨大な陰謀が進められていたという伝奇小説的な楽しさを前面に出した作品である。序盤では十字軍の暴走を止めるという比較的理解しやすい目的が示されるが、旅を続けるうちに事態は急速に複雑化する。敵と思われた騎士が協力を求め、味方と信じていた人物の目的に疑問が生じ、世界を救うという言葉の裏側から犠牲を前提とする計画が姿を現す。プレイヤーはサドラーと同じように十分な説明を与えられないまま各地へ向かい、断片的な情報をつなぎ合わせて真相へ近づいていく。この分かりにくさは弱点にもなり得るが、次の展開を簡単には予想できないという意味では、本作ならではの推進力となっている。宗教を扱っているからといって、落ち着いた歴史解説が続くわけではない。怪物が生息する洞窟を攻略し、敵の城へ潜入し、古代遺跡の仕掛けを越え、時間そのものを飛び越えて別の時代へ向かう。史実、神話、魔法、科学、陰謀論的な発想が一つの世界で混ざり合うため、物語は常に大げさであり、同時に1980年代のパソコンゲームらしい自由さを感じさせる。現在の作品であれば慎重な説明や設定整理が必要になる題材を、勢いに任せて一つの冒険へまとめたことが、『XZR II 完結編』を今も語りたくなる作品にしている。

町の探索と横スクロール戦闘を交互に楽しめる構成

ゲームは一つの方式だけで進むのではなく、拠点での会話、町の探索、目的地の選択、ダンジョンでの戦闘を順番に繰り返す。町では見下ろし型の画面でサドラーを動かし、住民や仲間と会話して事件の手掛かりを集める。必要な情報を得ると新しい場所へ行けるようになり、武器、防具、回復用品などを整えて次の戦いに備える。ダンジョンへ入ると横視点のアクション画面へ切り替わり、剣や魔法を使って敵を倒しながら奥へ進む。会話中心の場面と戦闘場面が明確に分けられているため、長時間にわたって同じ操作だけを続ける単調さが少ない。物語を読んで目的を把握し、必要な準備を行い、危険な地域を突破して事件の核心へ到達するという冒険の流れが分かりやすく表現されている。町で何気なく聞いた情報が次の目的地を示すこともあり、戦闘だけを急いでいては進めない。一方で、イベントを終えてダンジョンへ入れば、物語上の複雑な事情を一度離れ、敵を倒すことへ集中できる。この切り替えの良さが本作の遊びやすさを支えている。横スクロール戦闘は、高度な技術だけで突破するタイプというより、成長と準備によって難所を乗り越えるアクションRPGらしい設計である。敵を倒して経験値を積み、レベルを高めれば攻撃力や耐久力が上昇するため、操作が多少苦手でも時間をかけて成長させることで先へ進みやすくなる。反対に、十分な育成を行わず急いで進めると、通常の敵から受ける損害が大きくなり、ボス戦へ到達する前に回復手段を使い切りやすい。技術と数値の両方を使って難易度を調整できるところが、本作のアクション部分の親しみやすさである。前作と比較するとサドラーの動きは軽くなり、攻撃を出した際の反応も改善されている。敵へ接近して剣を振り、危険を感じたら距離を取るという基本的な動作を行いやすくなった。しゃがんだまま前後へ移動できないなど、前作から変更された部分には好みが分かれるものの、全体としてはキャラクターを動かしている感覚が分かりやすくなっている。敵を素早く倒しながら進めるようになると、探索中のテンポも向上し、レベルを上げた成果を直接実感できる。

成長によって攻略が安定する分かりやすい手応え

攻略の基本は、無理に最短距離で物語を進めず、各地域で十分に経験値と資金を稼ぐことである。本作ではレベル差が戦闘の安定性へ大きく影響する。攻撃力が足りない状態では一体の敵を倒すまでに何度も剣を当てなければならず、その間に反撃を受けやすい。レベルが上がると少ない攻撃回数で敵を処理できるようになり、結果として受ける損害も減少する。防御面の向上だけでなく、敵を早く倒せること自体が最大の防御になるのである。新しい地域へ到着した直後に通常の敵が強いと感じた場合、そのまま奥へ進むのではなく、入口付近の安全な区間で敵を倒し、画面を切り替えて再出現させながら経験値を稼ぐ方法が有効である。入口に近ければ危険を感じた際に引き返しやすく、町へ戻って回復用品を補充することもできる。敵の攻撃方法や移動範囲を覚える練習にもなるため、新しいダンジョンでは最初の数区画を育成場所として利用するとよい。資金についても、強力な装備や薬品を購入するために欠かせない。手持ちの金をすべて回復用品へ使ってしまうより、次に購入できる武器や防具の価格を確認し、装備更新用の資金を残しておく方が長期的には有利になる。武器を強化すれば敵を倒す速度が上がり、防具を整えれば探索できる時間が延びる。回復用品は消耗するが、装備はその後も効果を発揮し続けるため、頻繁にダメージを受けるからといって薬品だけを買い込むのは効率が悪い。ただし、装備を新しくしただけで必ず勝てるわけではない。ダンジョンごとに敵の配置や攻撃方向が異なるため、場所に応じた動き方を覚える必要がある。正面から接近する敵には剣を連続して当て、飛び道具を使う敵には上下移動や後退で射線を外す。背後から敵が現れる区間では、一方向へ走り続けず、時々立ち止まって画面内の状況を確かめる。複数の敵に囲まれた場合は中央で戦わず、画面端や足場を利用して敵が一方向から来る状態を作ると被害を抑えやすい。

薬品とバイオリズムが生み出す危険な駆け引き

『XZR』シリーズを象徴する要素が、さまざまな薬品を使用して能力を変化させるシステムである。一般的なRPGの薬草や回復魔法とは異なり、本作の薬品には強力な効果と危険な反作用が同居している。体力を回復するもの、攻撃能力を高めるもの、防御面を補助するものなどがあり、適切な薬を使えば不利な戦闘を一時的に有利へ変えられる。しかし、効果が切れた後に能力が低下したり、体調へ悪影響が出たりする可能性があるため、何も考えず連続して使用することはできない。画面にはサドラーの状態を示す波形が表示され、能力の変化を視覚的に判断できる。この仕組みは、単純に数値の高い薬を使えばよいというものではなく、今すぐ得られる利益と後から受ける負担を考える必要がある。通常の敵が続く区間で強力な薬を使い切ると、その副作用が残った状態でボス戦を迎える危険がある。反対に、薬を温存しすぎて途中で倒されれば意味がない。残り体力、現在地、ボスまでの距離、所持数を見ながら使うタイミングを判断することが重要である。薬品攻略の基本は、効果の分からないものを重要な戦闘の直前に初めて使用しないことである。町へすぐ戻れる場所や弱い敵しか出ない区間で試し、能力がどのように変化するかを確認しておく。強化薬と副作用を抑える薬を一組として管理し、強化だけを使い続けないことも大切になる。回復目的の薬品であっても、短時間に大量使用すると想定外の不利益を受ける可能性があるため、体力が少し減るたびに使うのではなく、危険域へ入る前後に計画的に利用したい。ボス戦では、戦闘開始直後にすべての強化を重ねるより、敵の動きを一度確認してから必要なものだけを使用する方が安全である。初見のボスでは、攻撃が届く距離、敵の移動周期、飛び道具の有無を観察する。勝てないと判断した場合は、貴重な薬を大量に消費して粘るよりも、育成や装備を見直した方が結果的に損失が少ない。薬品は実力不足を完全に埋めるための道具ではなく、十分な準備を行ったうえで最後の差を補う切り札として扱うと安定する。

迷いやすいダンジョンを突破する探索方法

本作のダンジョンには、似た背景や通路が続く場所があり、感覚だけを頼りに進むと同じ場所を何度も通ることになる。階段、扉、分岐、落下地点などを簡単に記録し、自分で地図を作ることが有効である。方眼紙を使って本格的な地図を描かなくても、「入口から右へ二画面、上の扉」「分岐を下へ進むと行き止まり」といった短いメモだけで迷う回数は大きく減る。特に注意したいのは、移動先が見た目だけでは区別しにくい場所である。同じような扉が複数存在する場合、入る前の画面や周囲の敵を目印として記録する。階段を移動した後は、すぐ先へ進まず、戻った際にどこへ出るかを一度確認しておくとよい。イベント発生後に通れる場所が変化する場合もあるため、行き止まりを見つけても完全に無関係な場所とは限らない。物語が進行した後に再訪すると、新しい人物や入口が現れる可能性を考える必要がある。町の探索でも同様に、住民との会話を一度で終わらせないことが重要になる。主要人物と話した後や新しい情報を入手した後には、以前と同じ人物の台詞が変化することがある。次の目的地が分からなくなった場合は、直前の事件に関係する人物、仲間、宿屋や店の周囲にいる住民へ再度話しかける。会話の順序が進行条件となっている場面では、一人の人物だけを探し続けるより、町全体を一周した方が早く解決することも多い。イベント用の品物を入手した際は、すぐに売却したり使ったりせず、どこで必要になるかを考える。重要品と消耗品の区別が現在のゲームほど明確でない場合もあるため、目的不明の道具は所持したままにしておく方が安全である。所持数に余裕がないときは、町で購入できる一般的な薬品から整理し、再入手が難しそうな品物を優先して残したい。

剣・魔法・間合いを使い分ける戦闘の基本

通常戦闘では、サドラーの剣が最も安定した攻撃手段となる。敵へ近づかなければならない危険はあるものの、消費を気にせず繰り返し使えるため、弱い敵に対して魔法や貴重な薬品を浪費せずに済む。敵の接近に合わせて剣を置くように振り、攻撃後は少し後退して反撃を避ける。相手を画面端へ追い込める場合は、距離を保ちながら連続攻撃を当てやすい。攻撃を連打して敵の体に重なってしまうと、サドラー側も連続してダメージを受ける危険がある。剣が当たったことを確認したら一歩離れ、敵の動きを見て再び攻撃する方が安全である。小型で素早い敵は無理に追いかけず、自分の前へ来るのを待つ。空中や高い位置を移動する敵には、攻撃可能な高度へ下りてきた瞬間を狙う。敵を倒すことより、損害を受けずに通過する方が重要な場面では、戦闘そのものを避けて走り抜ける選択も考えられる。魔法は遠距離攻撃や強敵への集中攻撃に向いているが、使える回数や消費を意識する必要がある。通常の敵一体へ毎回使うと、ボス戦で必要な分が残らない。狭い場所に複数の敵が集まっているとき、近づくと連続して攻撃を受ける敵、接触自体が危険なボスなどに優先して使用したい。剣だけでは時間がかかる敵を魔法で早く倒せば、結果として回復用品の節約にもつながる。ボス戦では、画面中央に居続けないことが基本となる。中央は左右の両方から攻撃を受ける可能性があり、敵の突進や飛び道具へ対応しにくい。まず左右どちらかへ寄り、敵が近づく方向を限定する。飛び道具は発射の直前に一定の動きや停止が見られることが多いため、攻撃そのものではなく予備動作を覚える。攻撃後の隙が大きい敵には、一度に多くのダメージを与えようとせず、安全な回数だけ剣を当てて離れる。長期戦になっても被害を減らす方が、強引な連続攻撃より成功率は高い。

クリアへ到達するために意識したい進行条件

本作のエンディングへ到達するには、各地で発生する主要イベントを順番に完了し、終盤の儀式とユーグをめぐる真相へ到達しなければならない。単純に最終地点へ移動できるわけではなく、仲間との会話、特定人物との接触、重要な品物の入手、ダンジョンの突破などが必要になる。行き先が表示されない場合は、直前の地域で聞き逃した話がないか、重要人物との会話を途中で切り上げていないかを確認する。物語の後半では、サドラーが仲間と別れて一人で行動する場面も増え、序盤以上に自分で状況を判断する必要がある。ここまで進むと通常の敵も強くなっているため、イベントだけを追って育成を省略していると苦戦しやすい。新しい地域へ移る前に回復用品を補充し、所持金の余裕を残し、可能であれば複数のセーブデータを用意しておきたい。重要な選択や危険なダンジョンへ入る直前のデータを別に残しておけば、薬品や資金を浪費した場合でもやり直しやすい。最終決戦では、攻撃力だけでなく生存能力が重要となる。最強装備を整え、十分なレベルまで上げ、回復と強化に使う薬品を残しておく。敵の攻撃を完全に避けることが難しい場合、短時間で倒そうとして無理に接近するより、回復可能な損害に抑えながら確実に攻撃を重ねる。魔法を序盤から連発せず、敵の体力を剣で削った後や、接近しにくい行動へ変化した段階で使うと無駄が少ない。エンディングの成立には、特別な高得点や隠し条件を満たす必要はなく、基本的には物語上の必須イベントを進め、最後の敵を倒すことが条件となる。ただし、物語の説明が断片的であるため、終盤の人物関係や儀式の意味を理解したい場合は、会話を読み飛ばさない方がよい。サドラーが最終的に何を拒絶し、なぜユーグと対立するのかを把握することで、単なるラスボス撃破ではなく、シリーズ全体に対する結論としてエンディングを受け止められる。

攻略で行き詰まりやすい原因と立て直し方

最も多い行き詰まりは、敵が強すぎて進めない場合と、次の目的地が分からない場合である。敵が強い場合は、操作技術だけで解決しようとせず、一つ前の地域へ戻って経験値と資金を集める。数回レベルを上げるだけで、必要な攻撃回数や受けるダメージが大きく変化することがある。新しい装備を購入できるなら、回復用品を大量に買う前に装備を更新する。装備とレベルの両方を整えてから再挑戦すれば、薬品への依存も減らせる。次の目的地が分からない場合は、移動先の一覧だけを眺めるのではなく、現在いる町やアジトで全員へ話しかけ直す。仲間との相談が必要な場面や、特定の人物から地名を聞くことで行き先が追加される場面がある。新しい場所へ行けないからといってダンジョンの奥に隠し通路があるとは限らず、会話イベントを一つ終えていないだけという場合もある。人物の台詞に出てくる地名、国名、寺院、城などは簡単にメモしておくとよい。ダンジョン内部で迷った場合は、敵を倒し続けながら無作為に歩くのをやめ、一度入口まで戻って経路を整理する。同じ場所を何度も通ると体力と薬品だけが減ってしまう。扉や分岐に番号を付け、未確認の方向を一つずつ調べれば、時間はかかっても確実に進める。ボスに勝てない場合も、薬品を使う順番、敵へ近づく方向、魔法を使う時点を変えて試す。単に連打速度を上げるだけではなく、敵の攻撃を一回多く避ける方法を考えた方が勝利へ近づきやすい。

裏技よりも知識と準備が効果を発揮する作品

『XZR II 完結編』には、後年の家庭用ゲームで見られるような、有名な隠しコマンドや無敵化の裏技が作品全体の魅力として知られているわけではない。攻略では特殊な入力に頼るより、敵が再出現する場所を利用した経験値稼ぎ、画面端を使った一対一の状況作り、複数セーブによる薬品消費の管理など、システムを理解した実用的な工夫の方が役立つ。特に経験値稼ぎは、事実上の必勝法に近い。レベルが十分なら剣だけで通常敵を素早く倒せるようになり、ボスに対しても強化薬や魔法の効果を発揮させやすい。難しい操作を完璧に身につける必要がないため、戦闘に苦戦した際は成長で押し切る選択ができる。現在の感覚では単調に見える可能性もあるが、時間をかけた分だけ確実に強くなる分かりやすさは、当時のアクションRPGらしい安心感でもある。また、ボスが出現する画面へ入る前に体力や状態を整え、使用する薬品を決めてから突入することも重要である。戦闘開始後に道具欄を見ながら迷うと、その間に攻撃を受ける可能性がある。どの薬を最初に使い、危険になったら何で回復するかを事前に決めておく。勝利できなかった場合は消費した道具を記憶し、次の挑戦では不要だったものを省く。このような試行錯誤が、本作における現実的な裏技といえる。

好きなキャラクターとして挙げたい主人公サドラー

登場人物の中で最も魅力を感じるのは、やはり主人公サドラーである。彼は正義を掲げる清廉な勇者ではなく、暗殺者集団の戦士として敵を倒してきた人物である。前作では歴史そのものを変えるほどの暗殺を実行し、本作でも組織の首領として戦いへ向かう。しかし、命令に従うだけの殺し屋ではなく、相手の目的を確かめ、自分の目で見た事実から行動を選ぶ意志を持っている。ユーグが宗教間の争いを終わらせるという理想を語った際、サドラーはキリスト教徒だからという理由だけで拒絶せず、協力する道を選ぶ。ところが、その計画が人々の自由を奪い、仲間たちを犠牲にするものだと分かると、今度はユーグの権威や壮大な理想へ屈しない。サドラーは信仰を持つ人物でありながら、神の名を利用する者の言葉を無条件には信じない。この矛盾を抱えた姿が、単純な英雄にはない深みを作っている。戦闘面でも、剣、魔法、薬品を使い分けて危険な土地を進む姿は印象的である。仲間に守られる主人公ではなく、自ら前線へ立ち、最後には一人で巨大な陰謀へ立ち向かう。物語が世界規模へ拡大しても、サドラーの目的は支配者になることではなく、自分や仲間を他者の計画の材料にさせないことである。壮大な設定の中にあって、最後まで個人の意志を守ろうとするところが、彼を魅力的な主人公にしている。

敵とも味方とも言い切れないユーグの存在感

サドラーとは異なる魅力を持つのが、テンプル騎士団長ユーグ・ド・ペインである。彼は序盤から明確な悪役として登場するのではなく、十字軍の残虐行為を止めようとする人物として協力を求めてくる。宗教の違いを越えて平和を作ろうとする主張だけを聞けば、サドラー以上に理想的な指導者に思える。敵対者同士が手を結ぶ展開は物語へ緊張感を与え、ユーグが本当に信頼できる人物なのかという疑問を最後まで残す。しかし、ユーグの理想は次第に、人間を一つの考えへ従わせる危険な思想へ近づいていく。争いをなくすために全員へ同じ神を信じさせるという方法は、平和の実現であると同時に、異なる価値観を認めない支配でもある。彼の行動には古代から続く別の意志が関わっているため、本人の理想と何者かの計画を完全には切り分けられない。この曖昧さがユーグを印象深い人物にしている。ユーグは、主人公へ単純に倒される悪の支配者ではない。サドラーを必要とし、協力者として扱いながら、最終的には儀式を完成させる部品として利用しようとする。善意、信仰、使命感、野心、操られている可能性が混ざり合い、どこまでが本人の望みだったのかを考えさせる。ゲーム内ですべてが詳細に説明されるわけではないからこそ、プレイヤーの想像が入り込む余地があり、本作をクリアした後にも記憶へ残り続ける。

仲間たちが物語へ与える温かさと不穏さ

ルーミー、キンディ、ファキール、スフラワルディなど、サドラーを支える仲間たちも欠かせない。ルーミーは語学や知識を使って異国の人々との橋渡しを行い、戦闘だけでは解決できない場面で活躍する。キンディは力強い戦士として一行へ安心感を与え、ファキールは魔術や宗教的知識によって超常的な事件へ対応する。スフラワルディは科学的な知識を持ち、物語が単純な神秘主義だけへ傾かないようにする役割を担っている。本作では、仲間が常に一緒に戦ってくれるわけではない。旅の途中で離ればなれになり、サドラーが一人で先へ進まなければならない場面がある。この構成によって、序盤のにぎやかな冒険と終盤の孤独が強く対照化される。さらに、サドラーが知らないところで仲間たちが巨大な儀式へ巻き込まれていた可能性が示されることで、物語には説明されすぎない恐怖が生まれている。明確な描写が少ないからこそ、仲間たちが何を見て、どのように捕らえられ、儀式へ組み込まれたのかをプレイヤーが想像する余地がある。前作のような直接的な過激さとは異なり、本作では見えない場所で進んでいる犠牲が不安を高める。仲間を救うという分かりやすい英雄物語ではなく、真相に気づいた時点ですでに多くの出来事が取り返しのつかない段階へ進んでいることが、完結編らしい重さを作り出している。

難易度と遊び方に対する総合的な評価

『XZR II 完結編』の難易度は、初見では高く感じやすいが、成長と準備によって大きく下げられる種類のものとなっている。迷路のようなダンジョン、説明の少ないイベント進行、薬品の副作用、強力なボスなど、プレイヤーを悩ませる要素は多い。しかし、敵を倒してレベルを上げ、地図を作り、会話を丁寧に確認すれば、少しずつ突破口が見えてくる。反射神経だけで成否が決まる作品ではないため、攻略方法を考えることが好きな人には相性がよい。最短時間でクリアするより、物語の奇妙さを楽しみ、各地域の背景や人物の発言を読みながら進める遊び方が向いている。歴史上の名前が登場したら、ゲーム内でどのような役割へ変更されているのかを想像する。薬品を試し、戦闘で効果を確かめ、自分なりの安全な攻略手順を作る。ダンジョンの地図を残し、以前迷った場所を次の挑戦では迷わず通過する。この積み重ねがプレイヤー自身の冒険記録となる。戦闘だけを目的にすると単純に感じられる部分や、物語の説明不足に戸惑う場面はある。それでも、中世の暗殺者が十字軍の騎士と手を組み、インドや日本を経て古代世界へ向かい、最後には人為的に作られようとする唯一神の計画へ反逆するという展開は、ほかの作品では簡単に味わえない。遊びやすさの完成度だけで評価するのではなく、危険な題材を恐れずに組み合わせた発想、時代を越える物語、サドラーの孤独な決断まで含めて楽しむことで、『XZR II 完結編』の本当の魅力が見えてくる。

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■ 感想・評判・口コミ

独創的すぎる世界観が強烈な印象を残した作品

『XZR II 完結編』を遊んだ人の感想として、最も多く語られやすいのが、ほかのアクションRPGでは見られない独特な世界観である。中世イスラム世界を出発点としながら、十字軍、テンプル騎士団、キリスト教、ユダヤ教、仏教、古代思想、秘密結社、時間移動などを一つの物語へ投入した内容は、1980年代の国産パソコンゲームの中でも特に異色だった。一般的な作品が架空の王国や魔王との戦いを描くなか、本作では実在する宗教や歴史的人物を連想させる題材が次々と登場する。そのため、初めて遊んだときには物語を完全に理解できなかったとしても、奇妙で危険な雰囲気だけは長く記憶に残ったという評価が見られる。物語の開始時点では、十字軍の暴走を止めるという比較的理解しやすい目的が示される。ところが、サドラーがユーグ・ド・ペインと行動をともにするようになると、事件の規模は急速に広がっていく。フランス、インド、日本、古代世界へと旅を続けるうちに、当初の宗教戦争は人類の信仰そのものをめぐる陰謀へ変わる。この飛躍の大きさに驚かされたという反応がある一方、展開が予想できないからこそ最後まで先を見たくなったという肯定的な感想も多い。現在のゲームに比べれば説明不足な部分は多く、人物の行動理由や時代移動の仕組みが十分に描かれているとは言いにくい。しかし、その不足している部分を自分で想像できるところが魅力だと感じる人もいる。何が史実で、何がゲーム独自の創作なのかを調べながら遊ぶことで、作品世界がさらに広がるからである。正確な歴史教材として見るのではなく、宗教史を題材にした大胆な伝奇作品として受け止めると、本作の魅力が理解しやすくなる。

物語の壮大さを評価する声と分かりにくさへの戸惑い

ストーリーに対する評価は、強く印象に残ったという意見と、説明不足で理解しにくかったという意見に分かれやすい。世界各地と複数の時代を横断する構成は壮大であり、主人公が単なる冒険者ではなく、歴史の裏側で進む計画へ巻き込まれていく展開には大きな魅力がある。一方で、物語の重要な設定が短い会話だけで提示されたり、場面転換の間に起きた出来事が省略されたりするため、一度遊んだだけでは全体像を把握しにくい。特に終盤では、ユーグの正体、ヒラムに関する設定、仲間たちの運命、生命の樹を利用した儀式などが短い時間に集中して明らかになる。これらを十分に整理できないまま最終決戦へ進み、エンディングを迎えてから何が起きていたのかと考え込んだプレイヤーも少なくなかったと考えられる。ただし、この難解さは必ずしも悪い点だけではない。すべてを説明し切らないことで、クリア後にも物語を考察する余地が残り、長年にわたって語られる理由になっている。仲間たちが儀式へ組み込まれていく過程についても、直接的な描写が少ない。そのため、当時は展開を理解できずに通り過ぎた人でも、後年になって物語を振り返ると、想像以上に重く残酷な内容だったことへ気づく場合がある。画面上で派手な流血を描くのではなく、見えないところで仲間が犠牲になっていた可能性を示す構成は、年齢を重ねてから再評価されやすい部分である。前作『XZR 破戒の偶像』が、現代の大国指導者を思わせる人物を暗殺するという直接的な衝撃を持っていたのに対し、本作は宗教や神の成立そのものへ踏み込んでいる。表面的な過激さは前作より弱く感じられても、物語の内側にある思想や犠牲の描写は、本作の方が不穏であるという見方もできる。初回プレイ時と、数年後に内容を理解したうえで振り返ったときとで、印象が大きく変わる作品である。

前作より動かしやすくなったアクションへの好意的な反応

操作性については、前作より改善されたという評価が目立つ。サドラーの動きが軽快になり、剣を振った際の反応も分かりやすくなったため、横スクロールの戦闘を比較的テンポよく進められる。敵へ近づいて攻撃し、危険を感じたら後退するという基本動作が行いやすくなり、レベルが十分に上がっていれば通常の敵を次々と倒して進める爽快感も得られる。アクションゲームとして極端に複雑な操作は求められず、主人公の成長によって難易度を下げられる点も好意的に受け止められている。操作が苦手な人でも、経験値を稼ぎ、装備を整え、薬品を準備すれば強敵へ対抗できる。反射神経だけでなく、育成や準備が結果へ反映されるため、純粋なアクションゲームよりも取り組みやすい。一方で、戦闘そのものは単純であり、剣を振りながら敵へ接近するだけで突破できる場面も多い。現代のアクションRPGに慣れた人が遊ぶと、攻撃方法や敵の行動に変化が少なく感じられる可能性がある。複雑な連続技、回避動作、武器ごとの特殊操作などは存在せず、戦術の幅は装備、魔法、薬品、レベルへ大きく依存している。前作で可能だった動作の一部が使えなくなったことを残念に思う意見もある。特に、しゃがんだ状態で移動するような細かな操作の変更は、前作を遊び込んだ人ほど違和感を覚えやすい。ただし、全体的な反応速度や移動の軽さは向上しており、操作面では続編らしい進歩を感じられるという評価が優勢である。

レベル上げで突破できる難易度への安心感と単調さ

難易度については、序盤から無理に先へ進めば厳しいが、十分にレベルを上げれば安定して攻略できるという感想が多い。新しい地域へ入った直後は敵が強く、数回攻撃を受けただけで体力を大きく失う場合がある。しかし、同じ場所で経験値を稼ぎ、装備を更新すると、以前は苦戦した敵を少ない攻撃回数で倒せるようになる。この成長の分かりやすさは、RPGとしての達成感につながっている。アクションが得意でなくても、時間をかければ先へ進める点は大きな利点である。難所に遭遇した際、特別な裏技を探すのではなく、入口付近で敵を倒し続けるだけでも状況を改善できる。プレイヤーの技術だけを要求しないため、物語を最後まで見たい人にとっては親切な設計だったといえる。その一方、経験値稼ぎを何度も繰り返す作業に単調さを感じる人もいる。効率のよい場所を見つければ安定して成長できるが、同じ敵を繰り返し倒す時間が長くなりやすい。特に、次の地域へ進んだ直後に敵の強さが大きく上昇すると、物語の続きを見たい気持ちを止めて育成作業を行わなければならない。テンポを重視する人にとっては、この中断が不満になりやすい。しかし、レベルを上げた後に以前の敵を簡単に倒せるようになる変化は明確であり、努力が無駄にならない。数値を高めることで確実に難易度を調整できるため、攻略に行き詰まっても完全に手詰まりになりにくい。地道な成長を楽しめる人からは、安心して遊べるアクションRPGとして評価されている。

薬物システムに対する驚きとシリーズらしさ

薬品を使って能力を変化させるシステムは、本作に対する感想の中でも特に話題になりやすい。一般的なRPGでは薬草や回復薬として処理される道具に、実在の薬物を思わせる名称や作用、副作用を取り入れた表現は、発売当時でも強烈だった。現在の基準から見れば、そのまま再現することが難しいほど大胆な題材であり、『XZR』シリーズを象徴する要素として記憶されている。薬品は単なる雰囲気作りではなく、実際の攻略へ影響する。攻撃力や防御力を一時的に高め、難しい戦闘を有利に進められる一方、効果終了後に能力低下や体調悪化が発生することがある。強い効果だけを利用し続ければよいわけではなく、使用する時期と副作用への対策を考えなければならない。この危険性が、普通の消耗品とは異なる緊張感を生み出している。初めて遊ぶ人からは、何を使えばよいのか分かりにくいという不満も出やすい。現在のゲームのように効果や副作用が詳細に表示されるわけではなく、実際に試しながら理解する必要がある。重要な戦闘で誤った薬を使い、かえって不利になることもあるため、不親切だと感じる人もいる。しかし、失敗を含めて薬品の特徴を覚え、自分なりの使用方法を作ることに面白さを感じるプレイヤーもいる。通常戦では温存し、ボス戦の直前に強化し、必要に応じて副作用を抑えるという流れを確立できると、戦闘の安定性が大きく変わる。危険な題材をゲームシステムへ直接組み込み、利益と代償を同時に表現したことは、本作の個性として高く評価できる。

迷いやすいダンジョンと進行条件への厳しい評価

不満点として挙げられやすいのが、似たような通路が続くダンジョンと、分かりにくいイベント進行である。画面構成に変化が少ない場所では、自分がどこから来たのか分からなくなり、同じ区間を何度も往復することがある。地図を自分で作らなければ迷いやすく、敵との戦闘を繰り返すうちに体力や薬品を失ってしまう。町での情報収集も、現在のRPGほど親切ではない。次の目的地を示す記号や一覧、重要人物を強調する表示などはなく、住民との会話から必要な情報を見つける必要がある。特定人物と話した後に別の人物へ話しかけるなど、会話の順番が進行へ関係する場合もあり、条件を見落とすと長時間さまようことになる。この不親切さを、昔のパソコンRPGらしい手応えとして楽しむ人もいる。自分でメモを取り、地図を描き、会話内容を整理して進めること自体が冒険だったからである。攻略情報が簡単に得られなかった時代には、友人と情報を交換したり、雑誌の攻略記事を待ったりすることも楽しみの一部だった。一方、現代のプレイヤーが予備知識なしで遊ぶ場合は、戦闘よりも行き先探しに苦労する可能性が高い。目的が分からなくなったときに、どこへ戻ればよいかを判断する材料が少ないためである。作品の世界へ深く入り込むには適した仕組みだが、物語を速いテンポで追いたい人には大きな障害となる。

グラフィックと音楽が作り出した日本テレネットらしい雰囲気

映像面では、重要な場面で表示される大きな人物画像や、アニメーションを意識した演出が好意的に受け止められている。日本テレネットの作品は、物語を印象づけるビジュアルや音楽を重視する傾向があり、『XZR II 完結編』でもその特徴が表れている。現在では静止画中心の簡素な表現に見えるが、当時のパソコンゲームとしては物語性を強調する重要な要素だった。サドラー、ルーミー、ユーグなどの主要人物が大きく描かれることで、会話場面にドラマ性が生まれている。横スクロール戦闘中の小さなキャラクターだけでは伝わりにくい人物の表情や衣装を見せることで、世界観への没入感を高めていた。イベントごとに新しい画像を見ることが、物語を進める動機になったプレイヤーも多かったと考えられる。舞台がイスラム世界、ヨーロッパ、インド、日本、古代へ変化するため、背景にも地域ごとの違いが必要となる。限られた解像度と色数の中で、砂漠、城塞、寺院、遺跡などを描き分けようとした点は評価されている。画面の豪華さよりも、次にどのような場所が現れるのかという期待感が視覚的な魅力を支えている。音楽も作品の記憶に残りやすい要素である。異国情緒を感じさせる旋律、緊張感のある戦闘曲、宗教的な神秘を思わせる場面曲などが、物語の大げさな雰囲気とよく合っている。機種ごとに音源や聞こえ方には違いがあるものの、ゲーム全体の印象を高める役割を果たしているという評価は共通しやすい。

主人公サドラーへの支持と仲間たちの扱いへの複雑な感情

キャラクターでは、主人公サドラーの姿勢を評価する声が多い。サドラーはアサシンという危険な集団に属し、暗殺を実行してきた人物であるが、単なる冷酷な殺人者としては描かれていない。敵対する宗教の人物であっても、相手の言葉を聞き、必要であれば協力する。最終的には神や権威の名ではなく、自分の判断によって行動する。英雄らしい正義を最初から掲げるのではなく、迷いながら真相へ近づく人物であることが魅力となっている。ユーグから提示された理想を完全に否定せず、実際に行動をともにしたうえで、その裏側にある危険性を見抜く。最後には、自分を儀式の一部として利用しようとする計画へ反逆する。この選択によって、サドラーは組織の命令に従う暗殺者から、自分の意志で未来を選ぶ主人公へ変化する。ルーミー、キンディ、ファキール、スフラワルディなどの仲間に親しみを感じたという反応もある。異なる能力や性格を持つ一行が各地を旅する序盤には、冒険者集団らしい楽しさがある。しかし、物語後半では仲間たちの描写が少なくなり、その運命も十分に説明されない。この扱いを物足りないと感じる人は少なくない。反対に、詳しく説明されないからこそ恐ろしいという見方もある。サドラーが知らないうちに仲間たちが利用されていたと考えると、物語全体の印象は非常に重くなる。仲間を一人ずつ救出する分かりやすい展開ではなく、真相へ到達した時点ですでに犠牲が生じている構成は、救いの少ない完結編として強い余韻を残している。

ユーグ・ド・ペインに対する評価の分かれ方

ユーグは、プレイヤーによって受け止め方が大きく変わる人物である。十字軍の暴走を止め、宗教の違いを越えた平和を実現しようとする姿だけを見れば、理想を持つ改革者に見える。敵対するアサシンのサドラーへ協力を求める行動にも、立場を越えて問題を解決しようとする柔軟さが感じられる。しかし、物語が進むにつれて、彼の理想が危険な支配思想と結びついていることが明らかになる。すべての人間へ同じ神を信じさせれば争いはなくなるという考えは、一見すると平和的でありながら、異なる思想や文化を認めない。目的のために他者を犠牲として扱う時点で、彼が望む秩序は自由な世界とは呼べなくなる。ユーグ本人がどこまで計画を理解し、どこから古代の存在に操られていたのかが完全には明確でないことも、評価を難しくしている。最初から悪意を持ってサドラーを利用したのか、理想を追い求めるうちに取り返しのつかない場所へ進んだのかによって、人物像は大きく異なる。この曖昧さを深みとして評価する人もいれば、説明不足と感じる人もいる。単純な悪役ではなく、正しい目的から誤った方法へ進んだ人物として考えると、ユーグは非常に印象深い。サドラーとユーグは、どちらも宗教戦争を終わらせたいという思いを持ちながら、人間の自由をどう扱うかという点で決定的に異なる。二人の対立は、善と悪の戦いではなく、自由を残す不完全な世界と、自由を奪って完成させる秩序のどちらを選ぶかという問題になっている。

現代の視点から再評価される危うさと自由さ

発売から長い年月が経過した現在では、『XZR II 完結編』は完成度だけで評価される作品ではなくなっている。操作性、迷路構造、説明不足など、現在の基準では不便に感じる部分が多い。一方で、現代の商業作品では扱いに慎重さが求められる宗教、薬物、暗殺、実在人物、神の捏造といった題材へ正面から踏み込んだ大胆さが再評価されている。内容には危うさがあり、史実や宗教への理解が十分とはいえない部分もある。それでも、複数の思想を一つの物語へ結び付け、主人公に作られた神への反逆を選ばせた発想は強烈である。正確さよりも想像力を優先し、開発者が面白いと感じた題材を可能な限り詰め込んだような勢いがある。この自由さは、規模の大きな現代作品では再現しにくい。物語の整合性、社会的な受け止められ方、世界市場での販売などを考慮すれば、同じ題材を同じ方法で扱うことは難しい。そのため、本作は単なる古いアクションRPGではなく、1980年代の国産パソコンゲーム文化が持っていた実験性を示す作品として見ることができる。現代に遊ぶ場合、不親切な進行や単純な戦闘を受け入れる必要はある。しかし、その先には、ほかのゲームでは見られない世界と物語が待っている。完成された名作というより、欠点を含めて忘れられない怪作、あるいは挑戦的な伝奇アクションRPGとして評価するのがふさわしい。

口コミや評価を総合した本作の位置づけ

『XZR II 完結編』に対する総合的な評価は、遊びやすさだけを重視するか、設定や物語の独創性を重視するかによって大きく変わる。戦闘は比較的単純で、レベル上げの作業が必要となり、ダンジョンや会話進行も不親切である。現在の感覚で何の準備もなく始めれば、途中で目的を見失ったり、操作の古さに戸惑ったりする可能性は高い。一方、歴史、宗教、伝奇、時間移動を組み合わせた物語には、欠点を補って余りある個性がある。テンプル騎士団とアサシンが協力し、世界各地を巡り、神を人為的に作り出す計画へ立ち向かうという構成は、発売から長い年月が経過しても新鮮に感じられる。理屈だけでは説明できない展開を含め、先の読めない物語を楽しめる人には強く印象に残る。前作の直接的な衝撃を期待した人からは、やや物足りないと評価されることもある。しかし、仲間の犠牲、ユーグの理想と狂気、神の不存在をめぐる問い、サドラーの拒絶を丁寧に考えると、本作には前作とは異なる重さがある。表面上の派手さよりも、物語の裏側にある不穏さが後から効いてくる作品である。万人に勧めやすい作品ではないが、一度気に入れば長く記憶に残る。欠点を指摘しながらも、同じようなゲームはほとんど存在しないと語られやすいところに、本作の価値が表れている。整った完成度ではなく、危険な題材へ踏み込み、時代や宗教を越えた物語を作ろうとした挑戦そのものが、『XZR II 完結編』の評価を支えている。

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■ 当時の宣伝・現在の中古市場など

専門店とパソコン雑誌が販売の中心だった時代

『XZR II 完結編』が登場した1988年末ごろは、パソコンゲームの情報が現在のようにインターネット上で一斉に拡散される時代ではなかった。新作の存在を知る主要な入口は、パソコンゲーム専門誌、総合パソコン雑誌、販売店の店頭、新作予定表、メーカーから配布される広告物などである。読者は月刊誌に掲載される数ページの記事や広告を読み、画面写真、物語の紹介、発売予定日、価格、対応機種などを確認して購入を判断した。ゲーム画面を動画で確かめる方法はほとんどなく、雑誌に載った数枚の場面写真と説明文、パッケージの絵、前作の評価が購買意欲を大きく左右していた。本作の場合、一般的なファンタジー作品のように、勇者が魔王を倒すという分かりやすい内容だけでは魅力を伝えにくかった。そこで宣伝上は、中世の暗殺者サドラーが再び歴史の裏側へ踏み込み、十字軍やテンプル騎士団を巻き込んだ巨大な秘密へ迫る続編であることが重要な訴求点になったと考えられる。前作を遊んだ人に対しては、20世紀末での戦いを終えたサドラーがどこへ向かうのか、シリーズの物語がどのような結末を迎えるのかという期待を抱かせる必要があった。「完結編」という副題は、その内容を簡潔に伝える強い宣伝材料であり、前作経験者に続きを見届けたいと思わせる役割を果たしている。PC-8801版については、1988年12月ごろに発売されたとする記録がある一方、後年の資料では1989年発売として整理される場合もあり、機種ごとの発売時期や資料の記録方法によって表記に揺れが見られる。したがって、本作全体を一律に一日だけの発売日で扱うより、PC-8801版を中心に1988年末から各機種へ展開された作品と捉える方が実態に近い。

日本テレネットらしいビジュアル重視の紹介方法

日本テレネット作品の宣伝では、ゲームシステムだけでなく、大きく描かれたキャラクター、劇的な場面、音楽、物語性を強く印象づける方法が有効だった。『XZR II 完結編』も、町の会話画面や横スクロール戦闘の仕組みだけを説明するより、異国情緒のある人物画、テンプル騎士団長ユーグ、主人公サドラー、各地の遺跡や城、宗教的な儀式を思わせる場面を見せる方が、作品の個性を伝えやすかった。当時のパソコン雑誌における新作紹介では、オープニングやイベント場面の画面写真が重要だった。読者は限られた静止画からゲーム全体を想像するため、美しい人物画像や意味深な場面が掲載されている作品ほど目を引きやすい。『XZR II 完結編』は、アクションRPGとしての戦闘だけでなく、アニメーション風の演出や大きな人物画像を備えていたため、誌面上で紹介しやすい題材だったと考えられる。画面写真を数点並べるだけでも、イスラム世界を出発し、ヨーロッパ、インド、日本、古代へ向かう壮大な物語を予感させることができた。パッケージも重要な広告媒体である。店頭の棚では、購入予定のない客にも箱のイラストや題名が見えるため、前作とのつながりや重厚な雰囲気を一目で伝える必要があった。「XZR」という読み方を知らない客に対しては「エグザイル」という名称を併記し、続編であることを示す数字と「完結編」を目立たせる構成が効果的だった。歴史、宗教、暗殺者という一般的なRPGとは異なる題材を採用していたことから、明るい冒険活劇よりも、世界の秘密や古代から続く陰謀を思わせる重いイメージが商品全体へ与えられていた。

前作から間を空けずに投入された続編としての売り方

『XZR 破戒の偶像』と『XZR II 完結編』は、長期間を隔てて発売された続編ではない。前作の物語を知っていることが本作の理解を助けるため、シリーズを一続きの大きな物語として印象づける販売方法が重要だった。前作で世界規模の危機を阻止したサドラーが中世へ帰還し、今度は十字軍と秘密結社の問題に直面するという流れは、前作を超える舞台、物語の最終章という形で宣伝しやすかった。続編を短い間隔で投入する利点は、前作を遊んだ人の記憶と関心が残っているうちに次の商品を案内できることにある。販売店でも前作と新作を近くへ並べたり、シリーズ作品として紹介したりしやすい。新作から興味を持った客に前作も購入してもらえる可能性があり、逆に前作の購入者は物語の結末を知るため本作を選びやすい。現在のような大規模な事前予約キャンペーンや長期的な映像広告がなくても、シリーズ名と「完結」という言葉自体が宣伝として機能した。ただし、本作は前作を知らない人にとって入り口が狭い作品でもあった。サドラーがなぜアサシンの首領となったのか、20世紀末で何を行ったのか、仲間たちとどのような関係を築いたのかが前提となるため、完全な新規客には物語が分かりにくい。販売上は、前作経験者へ強く訴える一方で、新規購入者にアクションRPGとしての面白さを伝える必要があった。この二つを両立させるため、雑誌記事では物語の続編であることに加え、町の探索、横スクロール戦闘、レベルアップ、薬品システムなどを説明する構成が適していたと考えられる。

音楽CDを付属した商品としての付加価値

現存する中古商品情報から、本作の一部パッケージにはゲームディスクや説明書だけでなく、シングルCDが含まれていたことが確認できる。MSX2版の商品構成としては、3.5インチディスク、マニュアル、シングルCDを組み合わせた商品が知られており、PC-8801版でも中古商品の状態区分にCD欠品として扱われる例がある。音楽CDの付属は、単なるおまけ以上の意味を持つ。日本テレネット作品は音楽とビジュアルを商品の魅力として打ち出しやすく、ゲーム機本体の音源だけではなく、CDで楽曲や関連音声を楽しめることは、店頭での差別化につながった。当時はCDプレーヤーが普及し始めた時期であり、パソコンゲームに音楽媒体が付くこと自体に豪華な印象があった。ゲームを遊ばない時間にも作品の音楽へ触れられるため、ファン向けの収集物としても価値を持つ。この付属CDは、現在の中古市場でも価格を左右する。ディスクだけの商品、箱がない商品、説明書がない商品、CDのみ欠品している商品では、同じゲームであっても収集品としての評価が異なる。ゲームを起動するだけならCDがなくても支障がない可能性はあるが、当時の商品を完全な形で残したい収集家にとっては重要な構成物である。そのため、本作の中古価値を判断するときは、単にゲームディスクがあるかではなく、外箱、説明書、CD、ケース、付属印刷物までそろっているかを確認する必要がある。

販売本数や商業実績を断定できない理由

『XZR II 完結編』の具体的な販売本数については、信頼できる公式集計が広く公開されていない。そのため、数万本売れた、あるいは何本以上の大ヒットだったと断定することは避けるべきである。1980年代の国内パソコンゲームは、家庭用ゲーム機用ソフトに比べて販売規模が小さく、機種ごとの市場も分かれていた。PC-8801、PC-9801、MSX2の各版を合計した数字が示されない限り、特定機種の出荷数だけからシリーズ全体の成績を判断することもできない。また、当時はメーカー、流通会社、専門店が持っていた資料が現在まで完全に保存されているとは限らない。雑誌の売上順位や読者投票は人気の参考にはなるが、実売本数そのものではない。中古市場で高値が付いているからといって、発売当時に大量販売されたとも限らない。むしろ出荷本数が多くなかった作品ほど、現存する完品が少なくなり、後年に価格が上がる場合がある。一方で、本作の内容が後に『エグザイル 時の狭間へ』としてPCエンジンとメガドライブへ再構成され、シリーズが家庭用市場や海外市場へ広がったことは知られている。また、2000年代にはPC-8801版が復刻配信され、当時の実機を所有していない利用者にも遊ぶ機会が与えられた。これらの展開は、少なくともシリーズが短期間で忘れ去られた作品ではなく、後年にも商品として再利用できる知名度と評価を保っていたことを示している。ただし、家庭用移植や復刻配信の実現だけを根拠に、パソコン版が大ヒットだったと結論づけることはできない。

家庭用移植によって広がった作品の知名度

パソコン版『XZR II 完結編』の物語は、後にPCエンジンとメガドライブ向けの『エグザイル 時の狭間へ』として再構成された。家庭用版ではシリーズ第2作を基礎としていながら、前作を知らない利用者が遊べるように位置づけが変更され、物語やステージの一部も整理されている。これによって「XZR」というパソコンゲームを知らなかった層にも、サドラーとエグザイルの名称が広がった。家庭用ゲーム機への展開は、パソコン版の販売が終わった後にも作品を宣伝する効果を持った。雑誌で家庭用版を知った人が、原型となったパソコン版へ興味を持つこともある。内容の削除や変更があるため、両方を遊んだ人の間では、どの版が物語を理解しやすいか、どの場面が省略されたか、アクションの難易度がどのように調整されたかが比較の対象となった。この家庭用展開は、現在の中古市場にも影響している。『エグザイル』という名称で検索すると、パソコン版だけでなく、PCエンジン版、メガドライブ版、海外版、続編などが混在する。購入時には題名だけで判断せず、対応機種、発売元、パッケージ写真、媒体を確認する必要がある。特に『エグザイルII』という名称は、パソコン版の『XZR II 完結編』と、後に家庭用で発売された別の続編を混同しやすい。収集目的では正式な副題と機種を確かめることが不可欠である。

復刻配信が果たした保存と再発見の役割

2000年代には、PC-8801版『XZR II』がレトロゲーム復刻サービスを通じて配信された。これは、古い実機、5インチフロッピーディスク、対応ディスプレイなどを用意しなくても、当時の作品へ触れられる機会を作った出来事である。復刻配信には二つの意味がある。一つは、実物のパッケージを所有しなくてもゲーム内容を体験できることである。中古ディスクは磁気媒体の劣化やドライブの故障といった問題を抱えており、購入しても必ず起動できるとは限らない。正規の復刻版は、ゲームを遊ぶこと自体を目的とする人にとって現実的な選択肢になる。もう一つは、作品の存在を新しい世代へ伝えることである。発売当時を知らない人が紹介記事を読み、宗教や歴史を扱った異色作として興味を持つことができる。復刻のニュースが掲載されることで、本作は一時的に再びゲーム媒体へ登場し、昔のパソコンゲームファンだけでなく、レトロゲームを後から知った人にも名前が届いた。ただし、デジタル版が存在することと、現物の価値は別である。内容を遊べればよい人には復刻版が適しているが、当時の箱、説明書、ディスク、CDを所有したい人には物理版が必要となる。そのため、復刻によってゲーム内容への入口が広がっても、完品の中古価格が必ず下がるわけではない。むしろ復刻版で作品を知った人が現物を求め、中古品への需要が増える場合もある。

現在の国内中古市場で見られる価格帯

現在の国内市場を見ると、『XZR II 完結編』は数百円で大量に流通する一般的な旧作ではなく、状態や機種によって数千円から一万円台で扱われることがある収集向けソフトとなっている。PC-8801版では、箱や説明書などがそろった商品が一万円前後で販売される例がある一方、外箱欠品、ディスクのみ、CD欠品といった商品は数千円程度まで下がることがある。オークションやフリーマーケットではさらに安い開始価格が設定される場合もあるが、これは最終的な成約価格とは限らない。入札者や購入希望者が少なければ売れ残り、複数の収集家が競えば表示価格を上回る可能性もある。PC-9801版についても、媒体、箱や付属品の状態、在庫の少なさによって価格が変動する。5インチ版と3.5インチ版が存在するため、同じ機種名の商品でも価格や需要が異なる可能性がある。MSX2版は国内だけでなく海外のMSX収集家からも注目されやすく、付属CDを含む完品では比較的高い価格が設定される場合がある。ただし、海外向け販売価格には為替、国際送料、店舗経費、輸出市場での希少性が反映されるため、日本国内の相場へそのまま換算することはできない。

販売価格と落札価格を分けて考える必要性

中古市場を調べる際には、店頭販売価格、出品価格、落札価格、買取価格を混同してはならない。中古専門店の販売価格は、在庫管理、動作確認、保証、店舗運営費などを含めて設定されるため、個人間取引より高くなる場合がある。オークションの開始価格は出品者が自由に決めた数字であり、その価格で売れるとは限らない。落札価格は実際に取引が成立した数字だが、商品の状態や入札者数によって大きく変化する。買取価格は店舗が再販売を前提に提示する金額であり、販売価格より低いことが一般的である。例えば、専門店で一万円を超える販売例があっても、箱のない個人出品が同じ価格で落札されるとは限らない。反対に、未開封品、保存状態のよい完品、珍しい販促物を含む商品であれば、通常の販売例を上回る可能性がある。一件だけの高額出品を見て相場が急騰したと判断するのではなく、複数の取引、状態、機種、付属品を比較する必要がある。本作について、確認可能な公的記録に基づく歴代最高落札額を特定することは難しい。現在表示されている高額な販売希望価格を、過去最高額と呼ぶこともできない。最高価格を断定するには、各オークションや中古店の長期間にわたる成約記録が必要だが、そのすべてが公開され、保存されているわけではないからである。したがって、過去最高は何円と数字を作るのではなく、完品なら一万円前後からそれ以上、欠品や状態不良なら数千円程度という複数の実例を参考にする方が現実的である。

価格を左右する付属品と保存状態

『XZR II 完結編』の査定で重視されるのは、機種だけではない。外箱、ゲームディスク、説明書、シングルCD、ディスクケース、内部の仕切り、登録カードや案内紙などがそろっているかによって、収集品としての価値が変わる。特に付属CDは本作の商品性を示す要素であり、CD欠品の商品が別価格で扱われることからも、査定上の重要性が分かる。外箱は紙製であるため、角のつぶれ、日焼け、表面の擦れ、値札跡、湿気による変形が起こりやすい。説明書には書き込み、折れ、汚れ、ページ外れが発生することがある。ディスクのラベルにも変色や剥がれが生じる。外見がきれいでも磁気ディスクの読み込み状態までは判断できないため、動作確認の有無も重要である。フロッピーディスクは、長期間保管されているだけで安全とは限らない。磁性体の劣化、カビ、ケース内部の汚れ、ディスク表面の傷などにより、データを読み出せなくなる可能性がある。また、動作確認済みと記載されていても、出品者が使用したドライブでは読めたという意味にとどまり、すべての実機で動作する保証ではない。購入前には、確認に使用した機種、起動だけを確認したのか、複数のディスクを読み込めたのか、不良時の対応があるかを確かめたい。CDについても、盤面の傷、音飛び、ケース割れ、ジャケット欠品などを確認する必要がある。本作を遊ぶだけならゲームディスクの状態が最優先だが、将来的な保存や再販売を考えるなら、付属品全体の状態が重要になる。価格が安いという理由だけで欠品品を選ぶのか、費用をかけて完品を探すのかは、遊ぶことと収集することのどちらを重視するかで決まる。

機種によって異なる希少性と購入時の注意

PC-8801、PC-9801、MSX2では、使用するディスク、必要な本体、映像、音源、保存されている個体数が異なる。市場で見かける回数が少ない機種版ほど必ず高額になるわけではなく、欲しい人の人数と現存数の釣り合いによって価格が決まる。MSX2版は国内外に収集家がいるため、海外市場を含めた需要が価格へ影響しやすい。PC-8801版とPC-9801版は、日本のレトロパソコン文化を収集する人から需要がある。購入時には、自分の所有する実機で動作する版かを必ず確認する必要がある。PC-8801とPC-9801は名称が似ているが互換ソフトではなく、ディスクの大きさや必要環境が違う場合もある。PC-9801版にも5インチ版と3.5インチ版が存在するため、本体に適合するドライブがなければ利用できない。MSX2版についても、初代MSXでは動作せず、必要なメモリーやディスクドライブの条件を満たす必要がある。実機を持たずに収集目的だけで購入する場合でも、商品名の誤記に注意したい。中古市場では「XZR2」「XZRII」「エグザイル2」「エグザイルII 完結編」など複数の表記が使われる。家庭用版や別続編が同時に検索結果へ現れる場合もあるため、パッケージ写真と対応機種を確認することが欠かせない。商品説明が少ない出品では、ディスク枚数、説明書、CDの有無を出品者へ確認した方が安全である。

今後も急激な大量流通が起こりにくい作品

『XZR II 完結編』の物理版は、発売から長い年月が経過している。新品が通常の流通へ戻る可能性は低く、中古市場へ出てくるのは個人の保管品、専門店の在庫、収集家の整理品などに限られる。そのため、人気が急上昇しなくても、状態のよい完品は徐々に減少していく可能性がある。一方で、価格が必ず上昇し続けるとは限らない。レトロゲーム市場は、復刻版の有無、動画配信による再注目、特集記事、メーカー作品の復刻企画、収集家層の変化などによって動く。高額で出品されていても購入者が現れなければ取引は成立しない。投資対象として将来の値上がりを期待するより、作品を遊びたい、パッケージを保存したい、日本テレネット作品をそろえたいという明確な目的で購入する方がよい。ゲーム内容だけを体験したい人にとっては、正規復刻版が利用できる環境を確認する方が、実機と物理ソフトをそろえるより負担が少ない。反対に、1988年当時の商品そのものへ価値を感じる人にとっては、外箱やCDを含む物理版が重要になる。中古価格が高いか安いかは、単純なゲームの面白さだけでなく、保存状態、希少性、付属品、歴史資料としての価値を含めて判断されている。

宣伝と中古市場から見える『XZR II 完結編』の存在感

発売当時の『XZR II 完結編』は、大量のテレビCMで一般家庭へ名前を広げる作品というより、パソコン雑誌、専門店、前作の評判、日本テレネット作品のファンを通じて知られていく商品だったと考えられる。重厚な人物画、音楽CD、宗教史を大胆に利用した物語、「完結編」という明確な位置づけによって、一般的なRPGとは異なる印象を作り出していた。公式の販売本数が確認できない以上、発売当時の成功を具体的な数字で評価することは難しい。しかし、家庭用ゲーム機への再構成、海外展開、復刻配信、現在まで続く中古取引を見ると、完全に忘れられた作品ではないことが分かる。特に、PC-8801版、PC-9801版、MSX2版がそれぞれ中古商品として扱われ、付属CDや箱の有無によって価格差が生じていることは、本作が遊ぶためのソフトであると同時に、収集対象として残っていることを示している。現在では、欠品のある商品なら数千円、状態や構成物が良好な商品では一万円前後からそれ以上が一つの目安となる場合がある。ただし、在庫数が少ないため、短期間で表示価格が変わる可能性は高い。購入を考える場合は、一つの高額出品だけを見て判断せず、専門店の販売価格、買取価格、個人間取引の成約例、商品の状態を比較することが重要である。『XZR II 完結編』は、発売当時には物語と演出で注目を集め、現在では1980年代パソコンゲームの自由さと危うさを伝える資料として価値を持つようになった。箱、説明書、ディスク、CDを含む完品には、ゲームデータだけでは残せない当時の商品文化が詰まっている。中古市場における価格の上昇や希少化は、単に古いからではなく、同じ題材と表現を備えた作品がほとんど作られなくなったことの表れともいえる。

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■ 総合的なまとめ

1980年代の国産パソコンゲームだから生まれた異色の完結編

『XZR II 完結編』は、アクションRPGとしての基本的な遊びやすさだけで評価するよりも、歴史、宗教、暗殺、薬物、秘密結社、時間移動といった危険性の高い題材を一つの冒険へまとめた発想そのものに価値を見いだすべき作品である。物語は前作『XZR 破戒の偶像』から直接続き、現代世界の危機を防いで中世へ帰還したサドラーが、アサシンの新たな首領として再び戦いへ身を投じるところから始まる。しかし、そこで描かれるのは単純な異教徒同士の対立ではない。十字軍の暴走、テンプル騎士団の理想、宗教を利用する者の野心、神を人為的に生み出そうとする計画が複雑に絡み合い、最終的には人類が信じる「唯一神」とは何なのかという問題へ到達する。1980年代のパソコンゲームには、現在ほど巨大な制作費や厳密な市場調査を必要とせず、開発者の発想を強く前面へ押し出せる土壌があった。本作もその自由さを象徴する一本であり、一般的なファンタジー作品なら避けるような宗教名、歴史人物、暗殺者集団、実在の薬物を連想させる要素まで、ほとんど遠慮なくゲームへ組み込んでいる。内容には説明不足や史実との大きな違いがあり、すべての設定が論理的に結び付いているわけでもない。それでも、整合性より想像力を優先し、プレイヤーを予測不能な場所へ連れて行こうとする勢いは非常に強い。ゲームとしての基本構成は、町や拠点で情報を集めるRPG部分と、横スクロール画面で敵を倒すアクション部分を交互に進める方式である。複雑な操作は必要なく、レベルを上げて装備を整えれば、アクションが得意でなくても攻略しやすくなる。反面、似た背景が続くダンジョン、分かりにくい会話条件、繰り返しが必要な経験値稼ぎなど、現在の作品と比べれば不親切な部分も多い。しかし、それらを含めて、自分で地図を作り、会話を記録し、薬品の効果を試しながら攻略方法を見つけることが、本作の冒険体験を形作っている。『XZR II 完結編』は、操作性や画面構成を洗練させた完成度の高い優等生的作品ではない。むしろ、欠点を抱えながらも、ほかでは見られない世界と物語によって記憶へ残る怪作に近い。だからこそ、発売から長い年月が経過しても、宗教や歴史を扱った異色のアクションRPGとして振り返られている。

前作から受け継いだサドラーの物語に与えられた結論

主人公サドラーの歩みを中心に見ると、本作は暗殺者として与えられた使命を果たす物語から、自分自身の意思で戦う相手を選ぶ物語へ変化している。前作のサドラーは、アサシンの戦士としてセルジュク朝の支配者暗殺へ向かい、その後は天使ジブリールの導きによって20世紀末へ移動した。世界最終戦争を防ぐために大国の指導者を倒すという任務は、歴史上の常識や政治的な遠慮を無視した非常に過激なものだった。本作では、そのような直接的な暗殺の衝撃よりも、サドラーが誰を信じ、何を拒絶するのかという精神的な選択が重要になる。彼はテンプル騎士団長ユーグ・ド・ペインから協力を求められた際、宗教の違いだけを理由に申し出を拒まない。十字軍の残虐行為を止め、キリスト教徒とイスラム教徒の争いを終わらせるというユーグの理想には、サドラーも一定の価値を認めていたと考えられる。ところが、旅を続けるうちに、ユーグが目指しているものは宗教間の対話による平和ではなく、すべての人間を一つの信仰へ従わせる統一だったことが明らかになる。争いを消滅させるために思想や信仰の違いそのものをなくすという方法は、一見すると平和を実現できるように見える。しかし、それは人間から選択する自由を奪い、世界全体を一人の思想へ従わせる支配でもある。サドラーは、ユーグの計画に利用され、自身も儀式を完成させるための供物にされそうになる。さらに、旅をともにした仲間たちまで計画の材料として扱われていたことを知る。そこで彼は、神の存在を証明するためでも、アサシンの教義を守るためでもなく、人間を部品として扱う計画を拒否するために剣を取る。この決断によって、サドラーは組織から命令された相手を殺す暗殺者ではなく、自分が許せないと判断した相手と戦う一人の人間になる。信仰を持ちながら、神の名を利用する権力者には従わない。神の存在が疑われても、別の人物が作った偽物の神へすがることを選ばない。この矛盾と自立が、シリーズを通して描かれたサドラーの到達点である。

唯一神の創造をめぐる物語が問いかけるもの

物語の中心にあるのは、キリスト教徒とイスラム教徒が信じる神が同一の存在であるならば、なぜ人間同士は争い続けるのかという問いである。ユーグはこの矛盾を解決するため、すべての宗教を一つへ統合できる唯一神を求める。しかし、彼が最終的に進めようとするのは、すでに存在する神を発見することではなく、人間が神を作り、その権威によって世界を統一する計画である。神が人間によって作られた存在であるなら、その神の教えは作り手の都合によって変えられる。平和を説くこともできれば、敵を攻撃するよう命じることもできる。信仰する人々が神の言葉だと思って従っていても、実際には背後にいる支配者の命令かもしれない。本作は、この危険性を秘密結社や古代の儀式という娯楽的な設定へ置き換えて描いている。ユーグの考えは、単純な悪意だけから生まれたものではない。彼は十字軍による残虐行為を目撃し、宗教の違いによって人々が殺し合う現実へ絶望していた。争いを終わらせたいという出発点そのものは理解できる。しかし、争いをなくすために全員へ同じ思想を強制すれば、平和ではなく完全な支配が生まれる。異なる価値観を持つ自由を認めない世界は、戦争がなくても幸福とは限らない。サドラーがユーグの計画を拒絶する行為は、唯一の正解を提示することではない。人間が異なる宗教や思想を持てば、これからも対立が起こる可能性は残る。それでも、不完全な自由を捨てて、誰かが作った完全な秩序へ従うことは選ばない。この結末によって、本作は神が存在するかどうかを断定するのではなく、神の名を利用して人間を支配しようとする行為へ反対する物語となっている。

アクションRPGとしての長所と弱点

アクションRPGとして見た『XZR II 完結編』の長所は、物語を読む場面と、実際にサドラーを操作して戦う場面の切り替えが明確であることだ。町では人々から情報を集め、道具を購入し、次の目的地を探す。ダンジョンでは横スクロール画面へ切り替わり、剣、魔法、薬品を使って敵を倒す。この構造によって、文章を読むだけのアドベンチャーゲームにも、戦闘だけを繰り返すアクションゲームにもならず、冒険物語を自分で進めている感覚が生まれている。レベルアップによって難易度を調整できる点も長所である。強敵に勝てなければ、同じ地域で通常の敵を倒し、経験値と資金を集めればよい。攻撃力が上がれば敵を少ない回数で倒せるようになり、防御力や体力が上がれば探索可能な時間も延びる。操作だけでは突破できない場所でも、時間をかければ有利な状況を作れるため、物語を最後まで見たいプレイヤーに配慮した設計といえる。前作と比較してサドラーの動きが軽快になり、攻撃時の反応も改善されたことは、続編として分かりやすい進歩である。敵へ近づき、剣を振り、反撃を避けて後退する基本操作を行いやすくなった。十分に成長した状態では通常の敵を素早く倒せるようになり、横スクロール戦闘に一定の爽快感が生まれる。一方、攻撃方法そのものは単純であり、長時間遊んでいると戦闘の繰り返しを感じやすい。敵ごとの行動差や武器の種類、複雑な攻撃操作は現在のアクションRPGほど豊富ではない。経験値稼ぎも、同じ区間で同じ敵を何度も倒す作業になりやすい。育成によって攻略しやすくなる利点は、裏を返せば、十分なレベルへ到達するまで反復作業を求められるということである。ダンジョンにも不親切な部分がある。似た背景の通路が続き、現在地を示す地図も用意されていないため、プレイヤー自身が経路を記録しなければ迷いやすい。町でも重要人物や次の目的地が明確に表示されるわけではなく、会話を一つ見落としただけで進行が止まる場合がある。これらは発売当時のパソコンRPGでは珍しくない設計だったが、現在の基準では遊びにくさとして感じられる。

薬品システムが示した利益と代償の考え方

本作のゲーム性を特別なものにしているのが、能力を変化させる薬品とバイオリズムの存在である。一般的なRPGでは、薬は体力を回復する安全な道具として扱われることが多い。しかし『XZR II 完結編』では、薬品によって攻撃力や防御力を高められる一方、効果が切れた後に能力低下や体調悪化などの反作用が生じる。強い効果には相応の危険があり、使用する時期と量を考えなければならない。この仕組みは、単なる刺激的な設定ではなく、ゲーム全体の主題とも関係している。ユーグが提案する世界統一も、短期的には宗教戦争を終わらせる効果を持っている。しかし、その代償として人間の自由が失われる。薬品によって一時的な力を得る代わりに、後から身体へ負担が返ってくる構造とよく似ている。プレイヤーは、今すぐ敵を倒すために薬を使うか、後の戦いに備えて温存するかを判断する。強化効果だけを求めて連続使用すれば、副作用によってかえって不利になる。逆に、危険を恐れて一度も使わなければ、本来は簡単に突破できる場面で苦戦する可能性がある。重要なのは、薬品を善か悪かで判断するのではなく、効果と代償を理解したうえで利用することである。現在では実在の薬物を連想させる名称や効果をゲームへ取り入れることに慎重さが求められるため、同じシステムをそのまま採用するのは難しい。しかし、強力な能力へ必ず代償を設定し、プレイヤー自身に選ばせる考え方は、現代のゲームにも通じる優れた設計である。題材の危うさだけでなく、利益と反作用を一つのシステムで表現した点に、本作の独創性がある。

PC-8801版が持つ原作としての位置づけ

PC-8801版は、『XZR II 完結編』を代表する原作版の一つとして重要な位置を占めている。当時のパソコンゲームらしい画面構成、キーボードまたは対応入力機器を使った操作、フロッピーディスクを交換しながら進める環境などを含め、1988年当時の作品体験を強く残している版である。画面の解像感や色の使い方には機種特有の制限があるが、人物画像、町、遺跡、洞窟、戦闘画面などは、限られた表示能力の中で作品の重厚な雰囲気を表現している。日本テレネットらしいビジュアル演出と音楽を楽しみながら、原作に近い物語構成を体験できることが大きな魅力である。一方、現代に実機で遊ぶには、PC-8801本体、対応ディスプレイ、正常に動作するフロッピーディスクドライブなどが必要になる。ソフト自体も磁気媒体であり、保存状態によっては読み込みエラーが発生する。実物を所有する喜びは大きいが、気軽に遊べる環境ではない。現在では、復刻配信や合法的な再提供環境が利用できる場合、内容を体験する目的ではそちらの方が現実的である。操作や読み込み速度には古さがあるものの、後年の移植で省略された部分を含め、サドラーとユーグをめぐる物語を原型に近い形で味わえる点がPC-8801版の価値である。歴史的なゲーム環境そのものを体験したい人や、日本テレネットのパソコン作品を研究したい人に向いている。

PC-9801版で味わう表示環境と機種文化の違い

PC-9801版も、物語とゲームの基本内容はほかのパソコン版と共通している。したがって、対応機種の違いによってまったく別の作品になるわけではない。しかし、表示環境、音源、処理の感触、使用媒体などが異なるため、実際に受ける印象には差が生じる。PC-9801は日本のビジネスパソコンとして広く普及しながら、ゲーム機としても大きな市場を形成していた。本作のような物語重視の作品を遊ぶ場合、文字の表示やイベント画像の見え方が作品への没入感を左右する。PC-9801版は、その機種環境に合わせて表示や操作が調整されており、当時PC-9801を所有していた人にとっては身近な版だった。中古市場では5インチ版と3.5インチ版の存在が知られているため、購入時には媒体の違いへ注意しなければならない。同じPC-9801シリーズでも、搭載しているドライブによって利用できるディスクが異なる。ソフトを所有していても本体で読み込めなければ遊べないため、収集目的でない限り、動作環境の確認が不可欠である。完成度の点では、PC-8801版と同様に、家庭用へ再構成される前の比較的長い物語を体験できることが強みとなる。派手な操作性や家庭用らしい簡略化よりも、会話、探索、戦闘を含む原作の構成を重視する人に向いている。

MSX2版が持つ独自の魅力と収集価値

MSX2版は、同じ物語をMSX2の表示・音源・ディスク環境へ移した版である。MSX2は家庭向けパソコンとして国内外へ広く展開されたため、PC-8801やPC-9801とは異なる利用者層に本作を届けた。日本国内だけでなく海外にもMSXの収集家がいることから、現在では実用品であると同時に、コレクションとしても注目されやすい。MSX2版の商品にはゲームディスクや説明書に加え、音楽CDが付属した構成が知られている。付属CDは、日本テレネットが映像や音楽を商品価値として重視していたことを示す資料でもある。現在の中古市場では、ゲームディスクだけでなく、外箱、説明書、CDがすべて残っているかによって評価が大きく変わる。機種性能の違いから、画面の色合い、スクロール、処理速度、音の印象はPC版と完全に同じではない。しかし、MSX2という家庭に近い環境で、宗教史と伝奇を扱った大規模なアクションRPGを遊べたことに意味がある。MSX2のゲームライブラリーの中でも、明るいキャラクターゲームや単純なアクションとは異なる、重厚で危険な世界観を持つ作品として存在感がある。現代に実機で遊ぶ際には、MSX2本体と正常なディスクドライブが必要であり、ディスクの劣化も問題となる。それでも、MSX2版特有の画面と音、当時のパッケージ、CDを含めて作品を保存したい人にとっては、ほかの版では代替できない魅力がある。

PCエンジン版『エグザイル 時の狭間へ』との完成度の違い

『XZR II 完結編』を基礎として家庭用向けに再構成されたのが、PCエンジン版『エグザイル 時の狭間へ』である。家庭用版では、本作の内容がシリーズの第2作としてではなく、初めて遊ぶ人の入口となる作品として整理された。そのため、前作を知らなければ理解しにくい設定を簡略化し、物語やステージの一部を変更または省略する必要があった。PCエンジン版の長所は、家庭用ゲーム機らしい分かりやすさと遊びやすさである。パソコン版よりアクションの難度が抑えられ、レベルを十分に上げれば比較的安定して最後まで進める。操作環境も家庭用コントローラーへ統一されているため、キーボード操作やパソコン特有の環境へ慣れていない人でも始めやすい。ビジュアルや音声演出についても、家庭用CD-ROM媒体の特徴を活用した部分があり、イベントを映像作品のように見せる方向が強まっている。一方、原作パソコン版に存在した一部のボス、ステージ、終盤の展開が整理され、物語全体は短くなっている。そのため、サドラーとユーグの関係、各地を巡る長い旅、儀式へ至るまでの複雑な背景を重視するなら、パソコン版の方が情報量は多い。PCエンジン版は、遊びやすさと演出を優先した再構成版であり、パソコン版は説明不足を含みながらも、より多くの出来事と設定を残した原型である。どちらが完全な上位版という関係ではなく、遊びやすさを求めるか、長く複雑な原作構成を求めるかによって評価が変わる。

メガドライブ版で変化したテンポと操作感

メガドライブ版『エグザイル 時の狭間へ』も、パソコン版『XZR II 完結編』を家庭用向けに再構成した作品である。PCエンジン版と同じく、原作の第2作をそのまま移植するのではなく、家庭用市場で単独作品として遊べるように物語や構成が調整されている。メガドライブはアクションゲームとの相性がよい機種であり、家庭用コントローラーによる操作、画面の動き、戦闘のテンポなどがパソコン版とは異なる。キーボードを使う原作より直感的にキャラクターを操作しやすく、横スクロール戦闘へ入りやすいことが利点である。一方、媒体や機種構成の違いから、PCエンジンCD-ROM版と同じ演出をそのまま使用できるわけではない。映像、音声、音楽、イベント表現には、それぞれの機種に応じた違いがある。また、家庭用向けに物語が再編集されている点では、原作パソコン版より簡潔である。長い会話や複雑な宗教設定をすべて残すのではなく、ゲームとして進めやすい構成が優先されている。アクションの操作感や家庭用ソフトとしてのまとまりを重視する人にはメガドライブ版が向いているが、原作に存在した場面や設定を詳しく知りたい場合はパソコン版が適している。PCエンジン版との間でも演出やバランスに違いがあるため、同じ『エグザイル 時の狭間へ』という題名であっても、まったく同一の体験ではない。

パソコン版と家庭用版のどちらを選ぶべきか

作品の物語をできるだけ原型に近い形で理解したい場合は、PC-8801、PC-9801、MSX2などのパソコン版『XZR II 完結編』が適している。パソコン版には、家庭用への再構成時に整理された場面や敵、長い旅の過程が残されている。前作からの連続性も強く、サドラーの物語をシリーズとして追うことができる。一方、操作の分かりやすさ、アクションの遊びやすさ、家庭用ゲーム機としての手軽さを求める場合は、PCエンジン版やメガドライブ版の『エグザイル 時の狭間へ』が入りやすい。前作を知らない人でも遊べるように構成が整理されており、物語の複雑さも一定程度抑えられている。ただし、家庭用版を遊んだだけでは、パソコン版『XZR II 完結編』に含まれていたすべての展開を体験したことにはならない。省略された人物、敵、場所、終盤の構成があるため、作品世界を深く知りたい人は両方を比較する価値がある。逆に、パソコン版だけを基準に家庭用版を不完全と断定するのも適切ではない。家庭用版は単純な縮小移植ではなく、新しい利用者へ物語を届けるために再編集された別の完成形だからである。パソコン版は情報量と原作性、PCエンジン版は演出と親しみやすさ、メガドライブ版は家庭用アクションとしての操作感がそれぞれの特徴となる。どの版が最も優れているかは、プレイヤーが何を求めるかによって変わる。

現代のプレイヤーが楽しむために必要な心構え

現代に『XZR II 完結編』を遊ぶ場合、現在のゲームと同じ親切さや操作性を期待しすぎない方がよい。目的地を示す目印、詳細な地図、会話履歴、道具の分かりやすい効果説明、いつでも自由に行えるセーブなど、現代では標準的な支援機能が十分ではない。自分で情報を整理し、試行錯誤することが前提となっている。まず、会話内容に登場した人物名、地名、寺院、城などを簡単に記録するとよい。次の目的地が分からなくなったとき、以前聞いた名前が手掛かりになる。ダンジョンでは分岐や階段をメモし、同じ場所を無駄に往復しないようにする。敵が強ければ無理に進まず、入口付近で経験値と資金を稼ぐ。薬品は、効果を理解しないまま重要な戦闘で使わず、安全な場所で試す。強化効果がある薬と、副作用を抑える手段を組み合わせて管理する。ボス戦の前には複数のセーブデータを残し、薬品や魔法を使いすぎた場合に戻れるようにする。こうした準備を行えば、古い作品特有の不親切さを大きく軽減できる。また、本作の宗教や歴史表現を事実として受け取らないことも大切である。実在の人物や団体の名前が使われていても、ゲーム内の役割は大幅に創作されている。史実とフィクションの違いを調べながら遊ぶことで、本作の大胆な改変や伝奇的な面白さをより深く理解できる。

名作というより忘れ難い怪作としての価値

『XZR II 完結編』は、すべての要素が高い水準で整えられた万人向けの名作とは言いにくい。戦闘は単純で、経験値稼ぎには反復があり、ダンジョンは迷いやすく、物語の説明にも不足がある。前作を知らなければ人物関係を理解しにくく、終盤では重要な設定が短時間に提示される。しかし、欠点を指摘するだけでは本作の本質を捉えられない。中世イスラム世界の暗殺者を主人公にし、十字軍の騎士と協力させ、フランス、インド、日本、古代世界を巡らせ、最後には人為的に作られる唯一神へ反逆させるという発想は、ほかのゲームではほとんど見られない。そこへ危険な薬品システム、歴史的人物、宗教思想、秘密結社を加えた内容は、整っていないからこそ生まれる強烈な熱量を持っている。本作は、遊んでいる最中よりも、クリア後や長い年月が経ってから印象が強まる作品でもある。当時は理解できなかった仲間たちの運命、ユーグの理想に潜む危険性、サドラーが最後に拒絶したものを考え直すと、物語の暗さと重さが見えてくる。画面上では詳しく描かれなかった出来事を想像することで、作品の印象が変化する。完成度の高い作品は遊びやすさによって長く残るが、怪作はほかに代わるものがないために残る。『XZR II 完結編』は後者に当たり、不便さや説明不足を含めても、同じ体験を提供できる作品が見つかりにくい。その唯一性こそが、現在まで名前が語られる最大の理由である。

『XZR II 完結編』がレトロゲーム史に残したもの

本作がレトロゲーム史に残した最大のものは、ゲームという媒体がどこまで危険な題材へ踏み込めるのかを示したことである。宗教、暗殺、薬物、世界政治といったテーマを、単なる背景設定としてではなく、物語とシステムの両方へ組み込んだ。内容の正確性や表現の適切さには議論の余地があるが、安全な題材だけでは生まれない強烈な個性がある。また、物語重視の演出と横スクロールアクションを組み合わせた構成は、後の日本テレネット作品や家庭用ゲームへの展開にもつながった。パソコン版を基礎としてPCエンジンやメガドライブへ再構成され、さらに海外へも紹介されたことで、サドラーの物語は国内パソコン市場だけに閉じたものではなくなった。物理版に付属した箱、説明書、フロッピーディスク、音楽CDは、1980年代末のパソコンゲーム文化を伝える資料でもある。当時はゲーム本編だけでなく、パッケージのイラスト、説明書の設定、付属音楽、雑誌広告を含めて一つの商品体験が作られていた。現在の中古市場で完品が重視されるのは、これらが失われれば、当時の作品の見せ方まで再現できなくなるからである。『XZR II 完結編』は、現在の感覚で遊べば古さと不便さを強く感じる。それでも、歴史と宗教を大胆に再構成した物語、自由を奪う完全な秩序を拒絶する主人公、利益と副作用を併せ持つ薬品システムなど、今なお考察できる要素が多い。単なる昔のアクションRPGではなく、国産パソコンゲームが自由で実験的だった時代を象徴する作品の一つである。

総合評価――欠点を超えて記憶に残る唯一無二の作品

総合的に見ると、『XZR II 完結編』は、物語の独創性では非常に高い評価を与えられる一方、操作性、進行の分かりやすさ、ダンジョン構成、説明の充実度では大きな弱点を抱えた作品である。万人が快適に遊べるゲームではなく、歴史や宗教を題材にした伝奇作品、1980年代のパソコンRPG、実験的なゲームシステムに興味がある人へ強く向いている。主人公サドラーは、神の存在を証明する英雄でも、新しい宗教を作る救世主でもない。世界を一つに統一できるという誘惑を拒み、不完全でも人間が自分で考えられる世界を選ぶ。暗殺者として始まった人物が、最後には誰かの命令ではなく、自分の意思で剣を振るう。この結末が『完結編』という題名へ最もふさわしい意味を与えている。PC-8801版、PC-9801版、MSX2版は、原作の長い物語と当時のパソコンゲームらしい攻略体験を残している。PCエンジン版は家庭用として遊びやすく再構成され、メガドライブ版はコントローラーによる操作とアクションのテンポを強めている。それぞれに異なる長所があり、原作性、演出、遊びやすさのどれを優先するかによって選ぶべき版は変わる。発売当時の先進性をそのまま現在へ持ち込める作品ではないが、当時だからこそ成立した自由さ、危うさ、勢いは失われていない。神とは何か、信仰は誰のためにあるのか、平和のためなら自由を奪ってよいのかという問いを、剣と魔法と薬品を使うアクションRPGへ詰め込んだ『XZR II 完結編』は、欠点を含めて唯一無二である。完成された優等生ではなく、長く忘れられない問題作として、これからもレトロパソコンゲーム史の中で独特の存在感を放ち続けるだろう。

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