【中古】 ファミコン (FC) エクセリオン (ソフト単品)日焼け有り
【発売】:ジャレコ
【開発】:トーセ
【発売日】:1985年2月11日
【ジャンル】:シューティングゲーム
■ 概要
アーケード生まれの個性派シューティングとしての立ち位置
1985年2月11日にファミリーコンピュータ向けとして発売された『エクセリオン』は、もともと1983年に業務用で登場した作品を家庭用へ移したもので、ジャレコがファミコン市場へ本格的に足を踏み入れる際の先頭打者のような意味合いも持っていた。単なる移植作という言い方では収まりきらない存在感があり、当時すでに人気だった固定画面型や単純な縦スクロール型のシューティングとは少し違う、独特の浮遊感と奥行き演出で印象を残したタイトルである。敵を撃ち落としていく基本構造自体はわかりやすいのに、実際に遊ぶと機体の動きに癖があり、すぐには思い通りにならない。その「簡単そうに見えて、触ると難しい」という手触りが、本作をありふれた移植シューティングではない作品へ押し上げていた。アーケード版は縦画面で展開していたのに対し、ファミコン版では横画面で再構成されており、その違いによって敵との距離感や危険の迫り方にも独自の緊張感が生まれている。さらに、ファミコン版『エクセリオン』は後年にほかのジャレコ関連コレクション作品へ収録されるなど、同社初期の家庭用展開を象徴する一本として扱われてきた。
見た目以上に癖の強い操作感が生む、先読み重視のゲーム性
この作品を語るうえで欠かせないのが、戦闘機の操作感である。一般的なシューティングでは、十字キーを入れた方向へ機体が比較的素直に動くことが多いが、『エクセリオン』では加速や慣性を思わせる独特の挙動が強く打ち出されている。つまり、危険を見てから避けるだけでは遅く、少し先を読んで動き始める必要がある。これが本作の難しさであり、同時におもしろさでもある。最初のうちは「狙った場所に行きにくい」「敵弾や敵編隊をさばきづらい」と感じやすいが、慣れてくると機体を滑らせるように敵の軌道を外し、照準を合わせて撃ち込む感覚が生まれ、独特の爽快感へ変わっていく。単に反射神経だけを問う作品ではなく、敵の出現位置、編隊の崩れ方、自機の速度感を頭の中で先回りして組み立てる感覚が重要で、そこに『エクセリオン』らしさが凝縮されている。派手な特殊攻撃や複雑な成長要素で引っ張るゲームではないからこそ、純粋に「動かすこと」と「撃つこと」の味が濃い。シューティングの骨格だけで勝負していた1980年代前半らしい緊張感を、ファミコンの家庭環境で体験できたことには大きな価値があった。
奥行きを感じさせる背景表現が、当時の家庭用ゲームとして強い印象を残した
『エクセリオン』のもうひとつの大きな特徴は、画面の奥へ吸い込まれていくような背景表現にある。現在の目で見ればシンプルな構成に映るかもしれないが、当時の家庭用ゲームとしては、この「宇宙空間に立体感があるように見える演出」はかなり印象的だった。星やラインが流れていくことで、平面的な画面の中に疑似的な遠近感が与えられ、プレイヤーはただ敵を待ち受けるのではなく、前方へ突っ込んでいくような感覚を味わえる。これによって、ゲーム全体にスピード感と不安定さが加わり、機体の慣性挙動とも自然に結びついていた。見た目の派手さだけでなく、プレイ中の心理にまで作用する背景演出を早い時期から実装していた点は、この作品の価値を考えるうえで見逃せない。アーケード版で話題になった立体的な描画感覚が、ファミコンという限られた環境でもしっかり再解釈されていたからこそ、『エクセリオン』は移植作品でありながら独自の存在感を保つことができた。単なる「昔のシューティング」ではなく、「当時の技術でどこまで臨場感を作れるか」に挑んだソフトとして見ると、その意欲がよりはっきり伝わってくる。
ファミコン版ならではの再構成と、移植作品としての面白み
ファミコン版『エクセリオン』は、元のアーケード版をただ小さく写しただけの作品ではない。画面構成が縦から横へ変わったことで、敵との間合い、回避の猶予、画面内での圧迫感が微妙に変化し、同じ作品でも受ける印象はかなり違っている。横画面化によって、敵が迫ってくる感覚はより直接的になり、視界の広さと危険の近さが同時に意識されるようになった。また、移植の過程で細かな仕様差も生まれており、たとえば得点のつながりや攻撃の当て方において、業務用とは異なる難しさを感じる場面もある。こうした違いは、完全再現ではないという意味で弱点に見られることもあるが、家庭用として再調整されたことで別の歯ごたえが出たとも言える。実際、当時のファミコンソフトはアーケードの空気を家で味わえるだけでも価値が高かった時代であり、そのうえで『エクセリオン』は見た目、動き、難しさのどれもが個性的だった。ジャレコ初期のファミコン作品として見れば、会社の持ち味を家庭用にどう持ち込むかを試した意欲作であり、後続タイトルへつながる試金石でもあったと考えられる。目新しさだけで終わらず、いま振り返っても「これはこのゲームにしかない感触だ」と感じさせる点こそ、本作が長く記憶される理由のひとつである。
初期ファミコン時代の空気を象徴する一本としての意味
1985年前後のファミコン市場は、まだ遊びの型が固まりきっておらず、各メーカーが自分たちなりの色を模索していた時期だった。そんな中で登場した『エクセリオン』は、派手な物語や大規模な冒険を売りにするタイプではなく、ゲームそのものの触感で勝負する作品だったと言える。画面写真だけでは伝わりにくいが、実際に遊ぶと操作のクセ、背景の奥行き、敵の迫り方、スコアを意識した立ち回りが一体になっており、短時間でもしっかり印象が残る。しかも、ジャレコにとってはファミコン参入初期の大事な一本であり、会社の名前を家庭用ユーザーへ印象づける意味もあった。後年の大作群のような知名度ではないにせよ、初期ファミコン史を語るうえでは「各社がアーケードの強みをどう家庭用へ持ち込んだか」を示す好例として外せない作品である。『エクセリオン』は、万人向けの親しみやすさよりも、触ればわかる独自性で記憶に残るタイプのゲームだ。だからこそ、当時を知る人には「難しいけれど妙に忘れられないシューティング」として語られやすく、後から振り返る人にとっては、初期ファミコンの実験精神や移植文化の面白さを感じ取れる一本になっている。華やかな看板作とは違うが、確かな個性で時代の一角を支えた作品として、その存在は十分に語る価値がある。
■■■■ ゲームの魅力とは?
独特の慣性が生む、他にはない操縦感覚
『エクセリオン』の魅力を語るうえで、まず最初に外せないのは自機の動きそのものが強い個性になっている点である。この作品では、方向キーを入れた瞬間に機体がぴたりと意のままへ止まったり曲がったりするのではなく、どこか滑るような感覚をともないながら動いていく。そのため、単純に敵へ照準を合わせて撃つだけのゲームにはなっておらず、「少し先を読んで機体を置いておく」感覚が自然と求められる。これが最初は難しく感じられるのだが、慣れてくると逆にその挙動こそが心地よくなってくる。すぐ反応する機体では味わえない、宇宙空間を飛び回っているような浮遊感があり、敵弾や編隊の切れ目をすり抜けた時の満足感も大きい。単純な操作性の良さではなく、癖のある機体を自分の感覚へ馴染ませていく楽しさがあるため、短時間遊んだだけでは見えにくい深みを持っている。最初の印象だけなら「少し扱いにくい」で終わる可能性もあるが、そこで終わらずに何度か触れると、このゲームだけの独特な手応えがじわじわと伝わってくる。まるで機械を操るというより、癖のある乗り物を乗りこなしていくような感覚があり、その過程自体が大きな魅力になっているのである。
奥行きのある映像表現が、戦闘の緊張感を高めている
本作のもうひとつの面白さは、当時としてはかなり印象的だった背景表現にある。星空やラインが奥へ流れていく演出によって、単なる平面のゲーム画面ではなく、前方へ進んでいるような感覚が作り出されている。この見せ方があることで、敵の出現もただ画面に現れるだけではなく、遠くから近づいてくるような雰囲気を帯びる。結果として、プレイヤーは「その場で敵を待ち受ける」のではなく、「前へ飛び込みながら危険へ対処している」ような感覚を味わえる。シューティングゲームの魅力は撃つ快感だけでなく、空間の中で自分がどう動いているかを感じられるかどうかにも大きく左右されるが、『エクセリオン』は限られたハード性能の中で、その空間的な気配をうまく表現していた。現在の立体表現に慣れた感覚で見ると素朴に見える部分もあるが、当時の家庭用ゲームとしては十分に印象的で、見た目の新鮮さが操作感の個性とも結びついていた点が大きい。背景は単なる飾りではなく、スピード感や危険の迫り方を体感させるための重要な要素として機能しており、それがゲーム全体の雰囲気を特別なものにしていた。
敵編隊を崩していく爽快感と、得点を意識する楽しさ
『エクセリオン』は、ただ生き残るだけでも緊張感があるが、面白さはそれだけに留まらない。敵がまとまって現れる編隊をどう崩すか、どの順番で撃ち落とすか、危険を避けながらどれだけ効率よく倒せるかといった部分に、得点ゲームとしての濃い味わいがある。敵を無難に処理するだけなら何とかなる場面でも、より高い得点を狙おうとすると話は変わってくる。きれいに流れをつないでいくには、敵の出方を覚え、無理なく位置取りをし、攻撃を的確に重ねる必要がある。そのため、プレイを重ねるほど「ただクリアしたい」から「もっと上手く処理したい」へと意識が変化していく。この段階に入ると、一見シンプルだったゲームが急に奥深く見えてくる。シューティングは派手な武器やボス戦だけで魅力が決まるものではなく、通常の敵編隊をどれだけ気持ちよくさばけるかで印象が大きく変わるが、『エクセリオン』はその基本部分が非常によくできている。敵の出現が単調ではなく、緊張と快感が交互にやってくるため、1プレイの密度が高い。短い時間でも「今の避け方はよかった」「次はもっと上手くつなげたい」と思わせる力があり、その繰り返しが中毒性へつながっていく。
難しいのに何度も挑戦したくなる絶妙な歯ごたえ
このゲームは、決して誰でもすぐに気持ちよく進める親切な作品ではない。しかし、その厳しさが理不尽一辺倒ではなく、慣れと理解によって少しずつ結果が変わってくる作りになっていることが、繰り返し遊びたくなる大きな理由になっている。最初は敵の動きも自機の滑りも把握しきれず、あっけなくやられてしまうことが多い。それでも、何度かプレイしていると「この場面では先に横へ流れたほうが安全」「この編隊は正面から狙うより少しずらしたほうが当てやすい」といった感覚が積み上がっていく。つまり、上達の実感がはっきりあるのである。ここが本作の魅力で、難しいゲームでありながら、努力が無駄になりにくい。覚えるほどに世界が開けていくため、単なる高難度ゲームではなく、繰り返す楽しさの強い作品として記憶されやすい。難しさに対して不満が出ることももちろんあるが、それでも再挑戦したくなるのは、操作や構造に芯のある面白さがあるからだろう。失敗した時に「運が悪かった」ではなく「次はもう少し上手くできるかもしれない」と思わせるゲームは強い。『エクセリオン』はまさにそのタイプで、悔しさがそのまま次のプレイ意欲へ変わりやすい。
初期ファミコンらしい硬派な魅力が凝縮された一本
総合的に見ると、『エクセリオン』の魅力は、派手な演出や親しみやすい物語ではなく、ゲームとしての純度の高さにある。動かす、避ける、撃つ、覚える、そのすべてが直結しており、余計な回り道がない。だからこそ好みは分かれやすいが、刺さる人には非常に深く刺さる。初期ファミコン時代には、まだ家庭用ゲームの定番が今ほど固まっておらず、各社がさまざまな感触の作品を出していた。その中でも『エクセリオン』は、「ゲームのうまさを身体で覚えていく楽しさ」が濃く出た一本だったと言える。見た目の珍しさ、独特の挙動、編隊を崩す爽快感、そして何度も挑戦したくなる歯ごたえがひとつにまとまり、他のシューティングとは少し違う記憶を残す。万人向けのわかりやすさよりも、触り続けることで見えてくる味わいを大切にした作品であり、その硬派さこそが長所になっている。華やかな代表作と並べて語られることは多くないかもしれないが、「わかる人には強く残る名作」という言い方がよく似合うゲームであり、ジャレコ初期の家庭用作品として見ても、十分に魅力を語るだけの価値がある。
■■■■ ゲームの攻略など
まず意識したいのは、反射神経よりも「先に動く」こと
『エクセリオン』を初めて遊んだ人が最初につまずきやすいのは、敵の多さや弾の激しさよりも、むしろ自機の感覚である。このゲームでは、見えてから避ける、危なくなったら急に切り返す、といったその場しのぎの反応だけでは安定しにくい。機体に独特の滑りがあるため、一般的なシューティングのような即応性を期待すると、操作が遅れたように感じてしまうからである。したがって攻略の第一歩は、「今どう動くか」ではなく「数秒後にどこへいたいか」を先に考えることだと言える。敵が出てきてから慌てて逃げるのではなく、敵が来そうな位置を見越し、少し手前から自機を動かしておく。この意識に変わるだけで、生存率はかなり上がる。特に画面中央に長く居座り続けると、左右どちらからの圧力にも対応しづらくなるため、危険が見えた瞬間に無理やり逃げるのではなく、最初から余白を作っておくことが重要になる。上手いプレイというと高速で華麗に避ける場面を想像しがちだが、『エクセリオン』において本当に大事なのは、派手な回避よりも危険な形を作らないことなのである。落ち着いて画面全体を見て、敵編隊が崩れたあとに自分の逃げ場が残る位置へ早めに移る。この意識が身につくと、ゲームの難しさが「理不尽」から「読み合いのある難しさ」へ変わっていく。つまり、本作の攻略はテクニック以前に、発想の切り替えから始まるのである。
敵編隊への対処は、正面突破よりも位置取りで差が出る
『エクセリオン』は敵がまとまって現れる場面が多く、それをどう受けるかでプレイ全体の流れが大きく変わる。初心者ほど敵が見えた瞬間に正面から撃ち合おうとしがちだが、それでは敵の密集に巻き込まれやすく、少しの判断ミスであっという間に追い込まれてしまう。むしろ重要なのは、敵を真正面から受け止めることではなく、編隊の端や崩れやすい部分へ照準を合わせられる位置に先回りすることだ。敵の塊に対して正面から突っ込むと、自機の慣性もあって細かな修正が利きにくくなるが、少し横へずれておけば、危険な敵と距離を取りつつ当てやすい位置だけを狙えるようになる。これは単純な安全策というだけでなく、撃破の効率にもつながる。無理な正面勝負を避けることで、不要な被弾リスクを減らしながら、画面の流れをこちらの都合へ寄せられるからである。また、敵の群れを一度に全部処理しようとせず、「まずこの列を崩して逃げ道を作る」「次に残った相手を落ち着いて処理する」と段階的に考えるのも大切だ。初心者は画面内のすべての敵を同時に脅威として受け取りやすいが、実際には優先順位をつけるだけでかなり落ち着いて対処できるようになる。危険なのは数ではなく、動ける空間を失うことである。だからこそ攻略では、撃墜数よりもまず位置取り、その次に処理順を意識したい。ここを理解すると、敵が多い場面ほど逆に手順が見えやすくなり、ゲームの流れを読む楽しさが増してくる。
無理に攻めすぎないことが、結果的に得点にもつながる
シューティングゲームでは、積極的に前へ出て撃ちまくるプレイが強そうに見えることが多いが、『エクセリオン』では攻め急ぎがそのまま崩れの原因になりやすい。もちろん敵を倒さなければ先へ進めないのだが、本作では「安全な場所から確実に当てる」感覚のほうがはるかに重要である。特に自機の挙動が独特なため、無理に深追いしたり、危険地帯へ半歩踏み込みすぎたりすると、戻したい時に戻せず、そのまま事故につながりやすい。そこで大切になるのが、撃てる場面でしっかり撃ち、危ない時には欲張らずに逃げるという切り替えだ。一見すると消極的なようだが、実はこれが最終的には最も安定して高得点へつながる。なぜなら、残機を失わずに長くプレイできること自体が得点機会を増やし、無理な攻めで一度崩れるよりも、淡々と場面を処理し続けたほうが総合的な結果は良くなりやすいからである。さらに、本作では敵の処理が連続してうまくいくと気分も乗ってきて、つい危険な一撃を狙いたくなるが、そこに落とし穴がある。上達してきた頃ほど「今ならいける」と思って崩れやすいため、攻略のコツは技術だけでなく、自分の欲を少し抑えることでもある。特に序盤や中盤では、攻める場面と整える場面をきちんと分け、危険な密集に巻き込まれる前に呼吸を整えるような感覚で進めると安定する。『エクセリオン』は勢いだけで押し切るゲームではなく、攻撃と生存の均衡を保てた時に本当の面白さが見えてくる作品なのである。
難易度の正体は「覚えゲー」ではなく「感覚を育てるゲーム」である
このゲームは難しいと言われやすいが、その難しさは単純な理不尽さとは少し違う。もちろん敵の出現や自機のクセに戸惑ううちは厳しく感じるが、何度も触っていると、少しずつ画面の読み方と動き方が身体へ入ってくる。その意味で本作は、丸暗記だけで突破する作品というより、反復の中で感覚を育てていくゲームだと言える。どこで敵が現れやすいか、どの位置にいると危険か、左右へ流れる時にどれくらい早めに入力すべきかといったことを、頭で理解するだけでなく、指先の感覚として身につけていくことが重要になる。だから、上手い人のプレイを見ると難しそうな動きをしているように見えても、実際には無理な超反応ではなく、先の展開を見越した自然な移動が多い。つまり難しさの本質は、敵の強さよりもプレイヤー側の慣れが問われる点にある。これは裏を返せば、何度か失敗したからといって向いていないと決めつける必要はないということでもある。最初は動きづらかった自機が、数プレイ後には少しずつ馴染み、以前なら避けられなかった編隊も何とかさばけるようになる。この変化がはっきり感じられるので、挑戦のしがいがある。難易度は高めだが、理解が積み重なるほど世界の見え方が変わるため、厳しさそのものが魅力へ転じやすい。そこが『エクセリオン』らしい攻略の面白さであり、単なる高難度シューティングでは終わらない理由になっている。
裏技的な派手さより、基本を積み重ねる楽しさがこの作品の本質
昔のゲームというと、隠しコマンドや極端に有利な抜け道を期待する人もいるが、『エクセリオン』の攻略はどちらかといえばそうした裏技頼みではなく、基本をどう積み重ねるかに重心がある。もちろん当時のプレイヤーの間では、少しでも長く生き残るための立ち回りや、得点を伸ばしやすい処理の工夫など、いわば実戦的なコツは多く語られてきた。しかし本作の場合、それらはゲームを壊す近道というより、独特なルールと挙動を理解した先に見えてくる「コツ」の集合体である。だからこそ、攻略のおもしろさもまた正攻法の中にある。敵の出方を見て先に位置を取る、自機の慣性を見越して無駄な動きを減らす、危険な場面で欲張らない、編隊の崩し方を覚える。こうした地道な積み重ねこそが、そのまま腕前の上昇へ結びつく。そして上達がそのまま楽しさへ直結するため、ゲームに対して「理解できてきた」という感覚が強く残る。派手な救済策がなくても面白いのは、ゲームの芯がしっかりしているからである。『エクセリオン』の攻略を突き詰めていくと、結局は操作感を自分のものにできるかどうかへ戻ってくる。つまり裏技よりも、ゲームそのものと向き合って得る技術が最大の武器になる。そこに硬派な魅力があり、だからこそ今振り返っても「遊び込むほど味が出るシューティング」として語る価値がある。
■■■■ 感想や評判
第一印象では「難しい」、遊び込むと「クセになる」と語られやすい作品
『エクセリオン』の感想や評判を眺めていくと、まず非常に目立つのは「最初は取っつきにくいが、慣れると妙に忘れられない」という評価である。これは本作が、見た目のわかりやすさに対して操作感がかなり独特だからだろう。ファミコン初期のシューティングに慣れている人でも、最初の数回は自機の滑るような挙動に戸惑いやすく、普通の感覚で左右へ振っているつもりでも、思った位置に機体が収まらず、そのまま敵編隊へ突っ込んでしまうことがある。そのため、初見時の印象としては「難しい」「動かしづらい」「少し癖が強すぎる」といった反応になりやすい。しかし、その一方で、何度か続けて遊んだ人ほど評価が変わる傾向も強い。自機の動きが身体へ馴染み始めると、それまで扱いにくく感じていた挙動が、逆にこのゲームだけの魅力として立ち上がってくるからである。特に、危険を先読みして滑るように避けたり、敵の群れを崩しながら切り抜けたりできた時には、普通のシューティングとは少し違う満足感がある。つまり本作は、誰が遊んでもすぐに気持ちよくなれるタイプではないが、合う人には深く刺さる作品として受け止められやすかった。実際、感想をたどると「最初は苦手だったのに、あとから妙に印象に残った」「遊び直してみたら想像以上に面白かった」といった再評価の流れが起きやすい。難しさがそのまま拒絶要因になる場合もある一方で、その難しさを越えた先に独特の中毒性があるという点が、本作の評判を特徴づけている。
アーケードらしさが強く、家庭用としては硬派だという見方
ファミコン版『エクセリオン』に対する評判の中には、「いかにも業務用ゲームを家庭へ持ち込んだ作品らしい」という見方も多い。この場合の“らしい”というのは、見た目だけの移植感ではなく、ゲーム全体の空気がアーケード寄りだという意味である。気軽に遊べる親しみやすさや、誰でもすぐ先へ進めるサービス精神よりも、まずゲームそのものの手触りと歯ごたえが前面に出ている。そのため、当時の家庭用ユーザーの中には「難しいけれど本格的」「家でアーケードっぽい緊張感を味わえる」と好意的に受け止めた人がいた一方で、「家庭用ならもう少し遊びやすさがほしかった」と感じた人もいたと考えられる。つまり評判は一枚岩ではなく、硬派さを長所として見るか、敷居の高さとして見るかで印象が分かれやすかったのである。けれども、この硬派さこそが『エクセリオン』の色でもあった。初期ファミコンのラインナップの中には、家族向けの親しみやすい作品や、単純明快な遊びで引き込む作品も多かったが、本作はそうした方向より、プレイヤーに慣れと理解を求める設計へ寄っている。だからこそ、当時から「万人向けではないが、好きな人はかなり好き」といった位置づけになりやすかったのだろう。ゲーム誌的な見方でも、派手な目新しさだけではなく、移植の意欲やゲーム性の独自性が印象に残る作品として見られやすく、点数や売れ筋だけでは測れない存在感を放っていたと考えられる。
立体感のある背景演出やスピード感には好意的な声が集まりやすい
プレイヤーの感想の中で比較的安定して評価されやすいのは、やはり視覚的な印象の強さである。『エクセリオン』は、敵の動きや自機の挙動だけでなく、背景の流れ方によって前進感や奥行きを感じさせる作りになっているため、遊び始めた瞬間から「ただの平面的なシューティングではない」という空気が伝わりやすい。そのため、ゲームとしての好き嫌いとは別に、「雰囲気が良い」「スピード感がある」「当時としては見せ方が印象的だった」といった感想は出やすい。特に1980年代前半の家庭用ゲームにおいては、画面の派手さそのものよりも、限られた表現の中でどれだけ“動いている感じ”を出せるかが重要だった。本作はその点でかなり工夫されており、敵がただ記号的に現れるのではなく、空間の中から迫ってくるような気配を作っていた。この視覚演出が、操作の独特さや戦闘の緊張感と結びついているため、単に見た目が珍しいだけで終わらないのが大きい。プレイヤーの記憶に残りやすい作品は、操作の面白さだけでなく、遊んだ時の空気までセットで覚えられていることが多いが、『エクセリオン』はまさにそうしたタイプである。感想として「画面の感じが好き」「宇宙を飛んでいる感覚があった」と語られやすいのは、ゲームそのものの印象設計がうまくいっていた証拠だと言える。
一方で、敷居の高さや間口の狭さを指摘する声も少なくない
好意的な評判がある一方で、『エクセリオン』には厳しめの感想も当然存在する。もっとも多いのは、やはり「思ったより遊びやすくない」という点だろう。パッケージや画面写真から受ける印象だけなら、敵をどんどん撃ち落としていく爽快なシューティングに見えるが、実際には自機の慣性が強く、敵の圧力もそれなりに高いため、気楽に遊ぶとあっさり崩されやすい。このギャップが、人によっては「爽快感より先に窮屈さが来る」という不満につながる。また、ルール自体は複雑ではないのに、独特の動きへ慣れるまでが長く、上達の楽しさを感じる前にやめてしまう人がいても不思議ではない。つまり本作の弱点は、面白さが表面に出るまでに少し時間がかかる点にある。加えて、家庭用ゲームに親しみやすさや気軽さを求める層から見ると、かなり玄人寄りに映った可能性も高い。派手なパワーアップ要素や演出でぐいぐい引っ張る作品ではないため、当時の子どもたち全員に強くアピールするタイプではなかっただろう。その結果、「好きな人には評価が高いが、合わない人にはとことん合わない」という、評価の分かれやすいソフトになったと考えられる。ただし、これは単純な欠点というより、個性の裏返しでもある。無難にまとめられた作品ではないからこそ、肯定も否定もはっきり出やすく、そのこと自体が作品の輪郭を濃くしている。
現在では“初期ファミコンの個性派”として見直されやすい存在
時代を経た現在の視点から見ると、『エクセリオン』の評判はやや追い風を受けているように見える。発売当時は難しさや癖の強さが先に立っていたとしても、後年になると、そうした部分がむしろ個性として評価されやすくなるからである。特に初期ファミコン作品を振り返る文脈では、本作は「単なる移植作」ではなく、「当時の技術と工夫でアーケードの緊張感を家庭へ持ち込もうとした一本」として見られやすい。遊びやすさだけを基準にすると粗く見える部分もあるが、逆にそこにこそ時代らしい硬派さや実験精神が残っているとも言える。現代のゲームに慣れた目で触ると不親切に感じる点はあっても、そのぶん操作を理解できた時の手応えは濃く、一本のゲームとしての輪郭がはっきりしている。だからこそ現在では、「有名超大作ではないが、初期ファミコンを語るなら拾っておきたい作品」「ジャレコらしさの出発点として興味深いタイトル」といった形で好意的に語られやすい。つまり『エクセリオン』の評判は、万人受けの名作というより、時代の空気と独自の操作感を背負った個性派として高く見られる方向へ落ち着いている。難しい、癖が強い、でも記憶に残る。その評価のまとまり方こそが、このゲームの本質をよく表しているのである。
■■■■ 良かったところ
独特の操作感が、慣れた瞬間に強い快感へ変わるところ
『エクセリオン』の良かったところとしてまず挙げられやすいのは、やはり自機の動きに独特の味があることである。最初のうちは思った場所へぴたりと止まれず、一般的なシューティングの感覚で操作すると少し戸惑いやすいのだが、何度か遊んでいくうちにその挙動が単なる癖ではなく、この作品の面白さそのものだと見えてくる。機体が軽快に切り返すのではなく、少し滑るように動くからこそ、ただの反射神経勝負にならず、プレイヤーは自然と先を読むようになる。危険を見てから避けるのではなく、危険が来る前に位置を整え、敵の流れを想像しながら自分の動きを組み立てる。この感覚が身についてくると、最初は扱いづらかった機体が急に頼もしく感じられるようになり、「自分が上手くなった」という実感を得やすい。ここが本作の非常に優れたところで、難しいだけのゲームではなく、慣れによって確かな変化が返ってくるため、プレイの積み重ねがしっかり報われる。単純に遊びやすい作品とは違うが、だからこそ一度手に馴染んだ時の満足感は濃く、他のシューティングでは味わえない独自の操縦感覚として印象に残るのである。
背景表現とスピード感が、当時としてはかなり印象的だったところ
本作の良さは、単なる敵撃ちゲームに留まらず、画面全体から前進感や奥行きを感じさせる演出にある。星空や流れていく線の表現によって、平面的な画面の中に疑似的な立体感が生まれており、ただ静止した舞台で戦うのではなく、自分が宇宙空間を滑走しながら敵へ向かっているような気分になれる。この見せ方があるだけで、プレイ中の緊張感や臨場感はかなり違ってくる。敵が画面へ現れる瞬間も、単に出現したというより、向こうから迫ってきたような印象が出るため、攻防に独特の迫力が生まれている。今の感覚で見れば素朴な表現かもしれないが、当時の家庭用ゲームとして考えると、この奥行きの演出はかなり印象深かったはずである。しかも、それがただ見た目の派手さだけで終わらず、自機の慣性や敵の接近感ときれいに結びついている点が大きい。画面の雰囲気とゲーム性が別々に存在しているのではなく、背景の流れそのものが操作感の印象を支えているため、遊んでいる最中の没入感が高い。こうした演出面の工夫が、ファミコン初期の作品でありながら、単純な古さだけでは片づけられない魅力を作っているのである。
敵編隊を崩していく過程に、確かな手応えと爽快感があるところ
『エクセリオン』の良かったところとして見逃せないのが、敵を倒す手触りの気持ちよさである。本作では敵がまとまって現れることが多く、その編隊をどう崩していくかが大きな見せ場になる。無理に正面から突っ込めばすぐ危険になるが、少し位置をずらし、敵の流れを読みながらうまく攻撃を重ねていくと、群れの形がきれいにほどけるように崩れていく。この瞬間の気持ちよさは本作ならではのもので、単純に一機ずつ撃ち落としていくゲームとは違った達成感がある。しかも、自機の動きに慣れてくると、避けることと撃つことが少しずつつながってきて、危険地帯をかわしながら自然に敵を処理できるようになる。その結果、プレイヤーは「偶然助かった」のではなく「自分の判断で場面を制した」と感じやすい。この自力で局面を整えた感覚が、本作の爽快感を強くしている。派手な必殺技や極端なパワーアップに頼らなくても面白いのは、基本の撃ち合いそのものがしっかり作られているからであり、そこに古典的なシューティングとしての強さがある。短いプレイ時間でも「今の処理はうまくいった」と感じられる場面が多く、再挑戦したくなる力が強い点も、良かったところのひとつと言える。
難しさの中に、上達の実感がはっきりあるところ
高難度のゲームは世の中にいくらでもあるが、難しいだけで終わる作品と、繰り返し遊ぶほど面白くなる作品では、プレイヤーに残る印象がまったく違う。『エクセリオン』が良い評価を受けやすい理由のひとつは、まさに後者である点にある。最初は操作が難しく、敵の圧力にも押されやすいが、何度かプレイを重ねるうちに、少しずつ危険な形が読めるようになってくる。ここで逃げるべき、ここは前へ出ずに待つべき、ここは先に端へ寄っておくべき、といった判断が身についてくると、同じ場面でも以前より明らかに落ち着いて対処できるようになる。この「昨日の自分より今日の自分のほうが上手い」と感じやすい設計は、ゲームとしてかなり大きな長所である。しかも上達の中身が、単なる暗記ではなく、機体の挙動や敵の流れを感覚的に理解していくことにあるため、習得の過程そのものが面白い。うまくいかなかった理由が少しずつ見えるようになり、次のプレイでそれを修正できる。だからこそ失敗しても理不尽さだけが残るのではなく、再挑戦への意欲へ変わりやすい。難しいのに繰り返したくなるというのは、作品の芯がしっかりしていないと成立しない。本作はその条件をきちんと満たしており、単純な高難度タイトルとは違う、成長の楽しさが味わえる作品になっている。
ジャレコ初期のファミコン作品として、個性が非常に強いところ
そして総合的に見た時、『エクセリオン』の良かったところは、やはり「ほかと似ていない」という点に集約される。ファミコン初期のシューティングは数多く存在するが、その中でも本作は、自機の挙動、背景の見せ方、敵編隊の処理感覚などが独自のまとまりを持っており、少し遊んだだけでも固有の空気が伝わってくる。これは決して簡単なことではない。昔のゲームは単純に見えやすいぶん、似た印象で埋もれてしまうことも多いが、『エクセリオン』にはきちんと輪郭がある。しかも、それが尖った癖だけで成立しているのではなく、遊び込むほどに魅力へ変わるよう作られているところが優れている。ジャレコがファミコン市場へ乗り込む初期の時期に、このような個性の強い作品を出していたこと自体にも意味があり、会社の色を家庭用ゲーム機の中へ持ち込もうとした意欲が感じられる。誰にでも無条件で勧めやすい親切な作品ではないかもしれないが、だからこそ記憶に残りやすく、後から振り返った時にも「これはこのゲームならではだった」と思い出しやすい。良かったところをまとめるなら、単なる移植作ではなく、独特の感触を持った硬派なシューティングとしてしっかり成立している点にこそ、本作の価値があると言えるだろう。
■■■■ 悪かったところ
自機の挙動に強い癖があり、慣れる前に遊びにくさが先へ立ちやすいところ
『エクセリオン』の悪かったところとして真っ先に挙げられやすいのは、やはり自機の動きにかなり独特の癖がある点である。これは本作の魅力でもあるのだが、裏を返せば、慣れるまでの入り口が決して広くないということでもある。方向キーを入れた時の反応が素直に感じられず、一般的なシューティングのつもりで遊ぶと「思った位置へ止まれない」「避けたいのに少し遅れる」「細かく合わせたいのに機体が流れてしまう」といった不満につながりやすい。ゲームに慣れている人ほど、自分の中にある操作の常識とぶつかってしまい、本作の感覚へ合わせるまでに時間がかかることもある。しかも、この違和感は最初の数十秒で解消されるようなものではなく、何度かやり直しながら少しずつ身体へ入れていく必要があるため、そこで相性の悪さを感じた人が離れてしまっても無理はない。つまり本作は、最初の面白さが表へ出る前に、先に扱いづらさが顔を出しやすい作品なのである。これは家庭用ゲームとして見た時には、かなり大きな弱点になりうる。特に当時の子どもたちや、気軽に遊びたいユーザーにとっては「難しい」より先に「動かしにくい」という印象で止まってしまう可能性があり、その時点で本来の良さへ届きにくくなっていた。奥深さのある挙動ではあるものの、入口の時点で親しみやすいとは言いにくく、この敷居の高さは、好意的に受け止められなかった理由のひとつとして十分考えられる。
見た目から想像する爽快感と、実際のプレイ感覚にずれがあるところ
『エクセリオン』は画面を見るだけなら、敵をどんどん撃ち落として進んでいくスピード感のあるシューティングに見える。しかし実際に触ってみると、その印象と現実のプレイ感覚には少なからず差がある。もちろんスピード感や奥行きの演出は魅力なのだが、実際のプレイでは気持ちよく撃ちまくるというより、敵の動きと自機の挙動を慎重に見ながら立ち回る色合いのほうが濃い。つまり、見た目の印象ほど直感的で爽快一辺倒の作品ではなく、かなり神経を使うゲームになっているのである。このギャップは人によっては長所にもなるが、軽快なアクション性を期待して始めた場合には、やや窮屈に感じられることがある。とくに敵編隊が迫る場面では、勢いよく前へ出て撃つよりも、位置を見極めて安全を確保しながら攻撃するほうが重要で、結果としてプレイのテンポが頭の中では少し慎重になりやすい。画面は派手に流れているのに、プレイヤーの気持ちはかなり構えていなければならない。このズレが「思っていたタイプのシューティングではなかった」という感想につながりやすいのである。見た目の印象と実際の手触りに差がある作品は、それが魅力として働くこともあるが、本作では慣れる前の段階だと戸惑いへ直結しやすい。第一印象で強く引き込むわかりやすさよりも、遊び込んでから評価が上がるタイプだからこそ、表面的な期待との食い違いが悪い意味で出てしまう場面もあったと言える。
家庭用ゲームとしてはやや不親切で、気軽に楽しみにくいところ
『エクセリオン』の悪かったところをさらに掘り下げると、全体として遊び手への説明や導線がやや不親切に感じられる点も見えてくる。本作は基本ルール自体こそ単純だが、実際に重要になるのはルールの理解よりも、自機の感覚や危険な形の見抜き方である。そして、それらはゲーム内で丁寧に教えられるわけではない。つまり、なぜ失敗したのか、どうすれば安定するのかを、プレイヤー自身が試行錯誤の中から掴み取らなければならない。今でこそそれを硬派な魅力と受け止める見方もあるが、家庭用ゲームとして考えた場合、もう少し自然に上達を導いてくれる配慮があってもよかったと思われる部分はある。たとえば、序盤でも少し油断すると崩れやすく、感覚が掴める前に何度も失敗してしまうため、上達の楽しさを知る前に疲れてしまう人もいただろう。また、派手な演出やご褒美的な変化が多い作品ではないので、苦戦の途中で気分を持ち直しにくい面もある。わかりやすい達成感より、地道な習熟によって味が出るタイプのゲームだからこそ、そこへ到達する前段階の厳しさが目立ってしまうのである。家庭用ソフトに求められる「少し触れば面白さが伝わる」「失敗してもまたすぐ遊びたくなる」といった親しみやすさの点では、どうしても不利な部分がある。結果として、遊び手を選ぶ作品になりやすく、誰にでも勧めやすい一本とは言いにくかった。
単調に感じられやすい瞬間があり、華やかな変化を求める人には物足りないところ
本作はシューティングとしての芯がしっかりしている反面、遊びの見せ方においてはかなり硬派で、華やかな変化を次々に見せるタイプではない。そのため、プレイヤーによってはプレイの途中でやや単調さを感じることがある。敵を避けて撃ち、危険をしのぎ、また編隊をさばくという流れそのものはよくできているのだが、それを支える構造が比較的ストレートであるぶん、刺激の種類が限られているとも言える。今の感覚で言えば、ステージごとの派手な演出変化や、大きな展開の切り替わり、強烈なご褒美要素のようなものが前へ出る作品ではないので、「同じ緊張感が続く」ことを味と感じるか、変化不足と感じるかで評価が分かれる。特にアクションゲームやシューティングに派手さを求める人にとっては、独特の操作感に慣れてもなお、展開面でのインパクトがもう少しほしかったと思うかもしれない。また、上達していく過程そのものに価値を見いだせる人には向いているが、プレイごとに新しい驚きや大きな演出上の変化を求める人には、地味に映る恐れがある。つまり本作の構造的な硬派さは長所であると同時に、娯楽としてのわかりやすい派手さを弱めている面もあるのである。このあたりは作品の個性でもあるが、幅広い層へ訴求するうえでは不利に働きやすかっただろう。
魅力が伝わるまで時間がかかり、合わない人には最後まで合わないところ
総合的に見た場合、『エクセリオン』のもっとも大きな弱点は、面白さがすぐ伝わるタイプではないことに尽きるかもしれない。優れたゲームには初回数分で魅力が伝わるものもあれば、じっくり付き合うことで真価が見えてくるものもあるが、本作は明らかに後者寄りである。そして、その「あとからわかる良さ」に届くまでの道のりが、やや厳しい。操作は癖が強く、敵との距離感も独特で、見た目のスピード感ほど気楽には遊べない。だからこそ、少し触っただけでは本作の美点が見えにくく、「なんだか難しい」「自分には合わない」で終わってしまうことがある。しかも、このゲームは慣れない人に合わせて急に優しくなったり、わかりやすい快感を前面へ出して助けてくれたりはしないため、相性が悪い人には最後までしっくり来ない可能性も高い。つまり、作品としての個性が非常に強いぶん、その個性が好みに合わなければ評価をひっくり返すのが難しいのである。これは無難にまとまった作品にはない強さでもあるが、同時に明確な欠点でもある。多くの人が気軽に楽しめる構造を目指すのではなく、独自の感触を優先した結果として、間口の狭さが残ってしまった。『エクセリオン』の悪かったところを一言でまとめるなら、奥深いが、そこへたどり着く前に振り落とされやすい作品だった、という点になるだろう。好きな人には強く残るが、誰にでも届くとは限らない。その偏りの強さこそが、本作の難しさでもあった。
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■ 好きなキャラクター
明確な物語が薄い作品だからこそ、機体そのものに個性を感じやすい
『エクセリオン』のような初期のシューティングゲームでは、後年の作品のように登場人物の細かな設定や会話劇が前面へ出てくることは少ない。そのため、一見すると「好きなキャラクターを語るのは難しいゲーム」に見えるかもしれない。しかし実際には、こうした作品だからこそ、プレイヤーは画面上の存在へ独自の人格や印象を重ねやすい。つまり、名前付きの登場人物が少ないから魅力が薄いのではなく、むしろ自機や敵機の動き、出現の仕方、攻撃の圧力、見た目のシルエットといった要素から、それぞれに自然な“キャラクター性”を感じ取っていく楽しさがあるのである。とくに『エクセリオン』は、単に記号的な敵を撃つだけのゲームではなく、奥行きのある背景や独特の挙動によって、画面の中の存在に印象が宿りやすい。プレイヤーは何度も繰り返し同じ場面へ向き合ううちに、「この敵の出方が妙に印象に残る」「この動き方の相手は手強いが嫌いになれない」「自機そのものに愛着が湧く」といった感覚を自然に持つようになる。だから『エクセリオン』における“好きなキャラクター”とは、厳密な設定資料の中にいる人物を選ぶというより、プレイ体験の中で強く心へ残った存在を拾い上げることに近い。その意味では、本作は見た目以上にキャラクターを語りやすいゲームであり、むしろ説明過多でないぶん、遊んだ人ごとの想像力がそのまま好きな存在へ結びつきやすい作品だと言える。
もっとも愛着を持たれやすいのは、やはりプレイヤー自身が操る自機
このゲームで好きなキャラクターを挙げるなら、多くの人が最終的には自分の操る自機を思い浮かべるのではないだろうか。『エクセリオン』の自機は、単に画面の中心で弾を撃つための道具ではない。独特の滑るような挙動を持ち、最初は扱いにくく感じられる一方で、慣れるとこれほど頼もしい存在もない。思い通りに動かせるようになるまでには時間がかかるが、そのぶん、少しずつ感覚が噛み合ってきた時の愛着は強い。よくできたアクションゲームやシューティングゲームでは、操作対象はただの記号ではなく、プレイヤーの成長を映す分身のような存在になるが、『エクセリオン』の自機はまさにそれに当てはまる。最初は言うことを聞かない乗り物のように感じられたものが、繰り返しのプレイを通じて、危険地帯を滑るように抜け、敵編隊をきれいに崩し、あと一歩でやられそうな場面を切り抜ける相棒へ変わっていく。この変化があるからこそ、自機への感情移入は非常に強くなる。派手な名前や設定がなくても、何度も自分と一緒に戦場へ出て、失敗も成功も共有する存在は、それだけで十分に“好きなキャラクター”と呼べる。『エクセリオン』の自機が印象深いのは、機械的な見た目の奥に、プレイヤーの経験が積み重なっていくからであり、単なる自機以上の存在感を持つからなのである。
群れで迫ってくる敵機には、怖さと同時に強い印象がある
一方で、敵側にも印象深い存在が多い。とくに『エクセリオン』では、敵が単発でぽつぽつ現れるのではなく、編隊としてまとまって迫ってくるため、その“群れとしての圧力”が非常に強い。これが本作の面白いところで、ひとつひとつの敵に細かな人格設定があるわけではないのに、編隊の動き方そのものがひとつのキャラクターのように感じられるのである。まっすぐ迫ってくる相手、左右へ揺さぶりをかけるように見える相手、気がつくと逃げ道をふさぐ位置に入り込んでくる相手など、プレイヤーの記憶には「敵全体」ではなく「このタイプの出方が怖かった」「この形の群れは印象に残った」といった具体的な感触が蓄積されていく。つまり本作における敵の魅力は、単体の外見よりも、登場の仕方や攻撃の圧力にある。そして、この圧力があるからこそ、敵は単なる点数の材料ではなく、毎回こちらへ立ちはだかる強い存在として印象づけられる。好きなキャラクターという言葉は本来、親しみや憧れと結びつくことが多いが、ゲームの世界では「怖いけれど印象に残る」「何度も苦しめられたからこそ忘れられない」という形で好意に似た感情が生まれることがある。『エクセリオン』の敵編隊はまさにそのタイプで、憎らしいのに妙に魅力があり、上手くさばけた時の達成感まで含めて強い記憶を残す存在になっている。
名もなき敵や無機質な機体に、想像で人格を与えられるのが楽しい
『エクセリオン』の好きなキャラクターについて語る時、もうひとつ面白いのは、プレイヤーが自分なりの想像で各存在へ意味づけしやすいことである。たとえば現代のゲームであれば、公式設定やストーリーによって「この人物はこういう性格」「この敵はこういう役割」とはっきり示されることが多い。しかし本作ではそうした説明が前へ出ないぶん、無機質な機体や敵の群れに対して、プレイヤーが勝手に“らしさ”を感じ取れる余地が大きい。無骨で頼りになる自機、集団で押し寄せてくる執拗な敵、小さく見えても油断できない相手、圧迫感を作る配置そのものなど、すべてが記号的でありながら、体験の中で個性を帯びていくのである。この余白の大きさは、古いゲームならではの魅力でもある。説明されすぎないからこそ、自分の中で印象がふくらみ、「自分はこの機体が好きだ」「この敵の出方は嫌いだけれど記憶に残る」といった感情が自然に育つ。設定集を読むような楽しさとは違うが、プレイ経験を通してキャラクター性を見つけていく感覚があり、それが『エクセリオン』の味わいを深くしている。好きなキャラクターをはっきり名指しできない作品であっても、むしろそこに想像の余白があり、その余白がプレイヤーごとの思い入れを生み出す。この点は、本作のような初期シューティングを語る上で非常に大きな魅力である。
結局いちばん好きになるのは、「乗りこなせるようになった自分の機体」という見方もできる
総合的に考えると、『エクセリオン』における好きなキャラクターは、物語の中の人物を選ぶというより、「自分のプレイの中で特別な存在になったもの」を選ぶ感覚に近い。そしてその筆頭は、やはり自機だろう。最初は思い通りにならず、何度も失敗の原因になったにもかかわらず、やがて自分の感覚へぴたりと合い始め、危険な場面を一緒にくぐり抜けられるようになる。この過程を経た機体には、単なるグラフィック以上の感情が宿る。プレイヤーによっては、敵編隊のほうへ強い印象を持つかもしれないし、画面全体の宇宙空間そのものを含めて好きだと感じる場合もあるだろう。だが、多くの場合、最終的にいちばん愛着が残るのは、「この難しいゲームを一緒に戦い抜いた存在」としての自機ではないかと思われる。設定の多さや台詞の量でキャラクターの魅力が決まるわけではないことを、『エクセリオン』はよく示している。ほんのわずかな見た目と動き、そしてプレイの中で積み重なる成功と失敗だけで、ここまで強い愛着を持てるのだから、ゲームにおけるキャラクター性とは本来かなり広いものなのである。『エクセリオン』の好きなキャラクターを語ることは、そのままゲーム体験そのものを振り返ることでもあり、だからこそ人によって答えが少しずつ違ってくる。その違いまで含めて、この作品らしい面白さだと言えるだろう。
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■ 当時の宣伝・現在の中古市場など
ファミコン参入第1弾として売り出された、ジャレコの節目の一本
1985年2月11日に発売されたファミコン版『エクセリオン』は、ジャレコにとってファミコン参入第1弾にあたる作品として位置づけられており、もともとは1983年にアーケードで出た作品を家庭用へ持ち込んだ移植作だったが、ただの移植以上に「ジャレコがいよいよファミコン市場へ入ってきた」という看板の意味が大きく、メーカー名そのものを家庭用ユーザーへ印象づける役目も背負っていたと考えられる。実際、後年に振り返られる際も、本作は単独の人気作というだけでなく、「ジャレコ家庭用路線の出発点」として扱われやすい。派手な物語性や大衆向けのわかりやすさで押し切るよりも、アーケード譲りの個性的な操作感と疑似立体感を前面へ出していたため、宣伝面でも“ジャレコらしいクセのある一本”として記憶されやすい立場だったと言える。
発売当時は、移植シューティングとしての新鮮さと店頭訴求の強さが武器だったと考えられる
当時の『エクセリオン』は、家庭用としてはまだ珍しかった疑似3D感のある背景表現と、アーケード由来の硬派なシューティング性が特徴だったため、画面写真や短い紹介文だけでも「普通の撃ちものとは少し違う」と伝わりやすかったはずである。しかも、ジャレコにとってはファミコン参入初期の一歩目にあたるため、作品そのものの宣伝だけでなく、メーカーの存在感を家庭用ユーザーへ印象づける意味も強かっただろう。テレビや店頭、雑誌などの販促手段が今よりずっと限られていた時代においては、パッケージの見た目、誌面での紹介、売り場での存在感がそのまま作品の印象へつながりやすかった。本作はそこにおいて、宇宙空間を突き進むような画面演出と、アーケード移植らしい本格感を武器にしていたと考えられる。単純なわかりやすさよりも、少し硬派で「できる人ほどわかる」タイプの空気をまとっていたことが、かえって強い個性となり、当時のゲーム好きの記憶に残りやすかったのではないだろうか。
現在では単体ソフトとしてだけでなく、移植収録作でも触れられる息の長いタイトルになっている
『エクセリオン』はファミコン版そのものが発売当時の一本として終わったわけではなく、その後もジャレコ関連のコレクション作品へ収録され、後年の再接触の機会を持った作品でもある。そのため中古市場でも、純粋なオリジナル版カセットの価値だけではなく、「ジャレコ初期作品としての歴史的な立ち位置」や「コレクション収録で再認識されたタイトル」という見られ方が重なりやすい。単純な超高額プレミア路線のソフトではないが、まったく埋もれてしまったわけでもなく、レトロゲーム好きの間では地味に存在感を保ち続けてきた一本と言える。つまり現在の『エクセリオン』は、爆発的な高騰銘柄ではなくても、ファミコン初期・ジャレコ初期・アーケード移植という複数の文脈で拾われやすい、息の長いタイトルなのである。
中古市場では、状態や付属品の差で価値が大きく変わりやすい
この作品の中古市場における特徴は、極端な希少ソフトとして天井知らずに高騰しているというよりも、状態や付属品の有無によって印象がかなり変わるところにある。裸カセットだけなら比較的手に取りやすい価格帯で見つかることもあるが、箱や説明書がそろっているもの、保存状態が良いものになると、ぐっと評価が上がりやすい。レトロゲーム市場全体に共通する傾向ではあるものの、『エクセリオン』のような初期ファミコン作品では、とくに「遊ぶための一本」と「コレクションとして持つ一本」の差が出やすい。単に動けばいいという人にとっては比較的現実的な価格帯で狙える場合がある一方で、当時の姿に近い状態でそろえたい人にとっては、それなりに吟味の必要なソフトになる。つまり本作は、必ずしも常に高価なプレミア品ではないが、初期作品ならではの時代性が乗ることで、状態の良い個体には相応の価値が認められやすいタイプのタイトルなのである。
中古市場での魅力は「希少すぎる一本」ではなく、「初期ファミコンらしさを手元に置ける一本」である
現在の中古市場における『エクセリオン』の魅力は、極端な希少価値による投機性よりも、初期ファミコンの空気を比較的現実的な価格帯で所有しやすいことにある。遊ぶ目的なら入りやすく、コレクション目的なら状態や付属品を見極める楽しさもある。しかも、ジャレコ初期の家庭用参入作という物語性があるため、単なる一本の古いシューティング以上の意味を持たせやすい。超有名タイトルのように常に高騰し続ける銘柄ではないが、作品の歴史的位置づけと現物の残り方のバランスがよく、「昔のファミコンらしい一本を手元に置きたい」という需要にはかなり合っている。そうした意味で『エクセリオン』は、中古市場でも派手な主役ではないが、知る人にはきちんと価値が伝わるタイプのソフトとして静かに生き続けているのである。
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■ 総合的なまとめ
『エクセリオン』は、派手さよりも手触りで記憶に残るシューティングだった
1985年2月11日にジャレコからファミリーコンピュータ向けに発売された『エクセリオン』は、ひと目見てすぐ親しめるわかりやすさよりも、実際に触って初めて伝わる独特の感触によって存在感を示した作品だったと言える。もともと業務用で登場したシューティングを家庭用へ持ち込んだタイトルではあるが、単なる移植という言葉だけでは収まりきらない個性を持っており、初期ファミコンの中でもやや異色の立ち位置にあった。自機の挙動には独特の滑りがあり、背景には奥へ吸い込まれるような流れがあり、敵はまとまった編隊として圧力をかけてくる。これらの要素が別々に存在しているのではなく、すべてが一体となって「このゲームならではの宇宙戦闘感覚」を作っていたところに、本作の本当の魅力がある。見た目だけでいえば昔ながらのシューティングの一種に見えるかもしれないが、実際にはかなり個性的で、慣れるまでは難しく、しかし慣れてくるほど手放しがたくなるという、じわじわ効いてくるタイプの作品であった。だからこそ『エクセリオン』は、万人に一瞬で刺さるゲームというより、少し付き合った人の記憶へ長く残るゲームとして語られやすいのである。
難しさは欠点であると同時に、本作を本作らしくしている核でもあった
本作を振り返る時、必ず話題になるのがその難しさである。自機は素直すぎるほどには動かず、敵は遠慮なく迫ってきて、見えてから反応するだけでは対処しきれない場面も多い。そのため、初めて遊んだ時には「動かしづらい」「思っていたより厳しい」と感じる人も少なくない。しかしこの難しさは、ただ理不尽にプレイヤーを苦しめるためのものではなく、先を読んで動くこと、位置取りを考えること、危険な形を作らないことを自然に学ばせる構造にもなっていた。つまり、『エクセリオン』の難しさは遊び手を選ぶ原因であると同時に、このゲームの深みを生み出している根本でもあったのである。最初の印象では欠点に見える要素が、遊び込むと魅力へ変わっていく。その反転が起こる作品は決して多くない。本作がいまなお語る価値を持つのは、難しさが単なる壁ではなく、習熟の喜びへつながる道筋として機能していたからだろう。失敗がそのまま再挑戦への気持ちへ変わり、少しずつうまくなっていく感覚が、プレイヤーに強い手応えを残した。だからこの作品の評価は、「難しいから駄目」でも「難しいから偉い」でもなく、「難しいが、その先に独自の面白さがある」というところへ落ち着くのが自然である。
ジャレコ初期のファミコン作品として見ても、個性の強さは際立っている
『エクセリオン』は、ジャレコのファミコン参入初期を象徴する作品として見ても非常に興味深い。家庭用ゲーム市場がまだ形を固めきっていなかった時代に、ジャレコは無難で親しみやすいだけの一本ではなく、アーケード的な歯ごたえと個性的な操作感を持った作品を持ち込んだ。その姿勢は、後年の視点から見ればかなり印象的である。誰にでもわかりやすい楽しさを最優先するのではなく、「これはこういう感触のゲームだ」とはっきり輪郭を持たせたことが、本作の存在感につながっている。ファミコン初期には多くのソフトが登場したが、その中で『エクセリオン』は決して埋もれた無個性な作品ではない。画面を見ればそれとわかる独特の奥行き表現があり、触ればすぐ伝わる癖のある操作があり、慣れてくると強い中毒性がある。こうした特徴が複数重なっているため、知名度だけで測れない価値を持っているのである。とくにレトロゲームを振り返る立場から見ると、「初期ファミコンにはこういう尖った作品があった」と感じさせてくれる一本であり、当時のゲーム文化がまだ多様で、メーカーごとの色が濃かったことを実感させてくれる。『エクセリオン』は、その時代性を閉じ込めた小さな標本のようなソフトでもある。
今あらためて遊ぶ価値は、完成度の高さだけでなく“時代の味”を体験できることにある
現代のゲームに慣れた目で『エクセリオン』を遊ぶと、不親切に感じる部分や、手触りの厳しさに驚く部分は確かにある。すぐ思い通りにならない操作、気軽に爽快感だけを味わわせてはくれない構成、派手な演出でごまかさない硬派さは、今の標準から見るとかなり古風である。しかし、まさにその古風さこそが、この作品をいま遊び直す意味にもなっている。つまり『エクセリオン』は、完成された現代的遊びやすさを求めて触るゲームというより、初期家庭用ゲームがどのようにアーケードの刺激を取り込み、限られた表現の中で個性を打ち出していたかを体験するための一本なのである。しかもそれは資料的価値だけでは終わらず、実際に遊んでもなお、「これはこれで面白い」と思わせるだけの芯の強さが残っている。過去の名作を振り返る時、歴史的に重要でも遊ぶと厳しいだけの作品もあるが、『エクセリオン』はそこまで一方通行ではない。確かに癖は強いが、乗りこなせるようになると、現代の作品にはない張りつめた面白さがある。だから本作は、懐古だけでなく、ゲームデザインの多様さを味わう意味でも価値がある。
総合すれば、『エクセリオン』は“わかる人に深く刺さる”初期ファミコンの個性派名作である
総合的にまとめるなら、『エクセリオン』は万人向けの親切な大衆作ではない。しかし、その代わりに非常にはっきりした個性を持ち、遊ぶほど味が出るタイプのシューティングとして確かな魅力を備えている。独特の自機挙動、疑似立体感のある背景、編隊処理の気持ちよさ、難しいが上達の手応えがある構造、そしてジャレコ初期作品としての歴史的な面白さ。これらが積み重なることで、本作は単なる昔の移植シューティングでは終わらない位置に立っている。初心者がすぐ夢中になるタイプではなく、合わない人には最後までとっつきにくい面もあるが、それでも刺さる人には非常に強く残る。この「狭いが深い」魅力こそが、『エクセリオン』という作品を最もよく表している。派手な看板作と比べれば地味に映るかもしれない。だが、だからといって価値が小さいわけではない。むしろ、こうした個性派がしっかり存在していたことこそ、初期ファミコン時代の豊かさだったと言えるだろう。『エクセリオン』は、難しい、癖が強い、でも忘れがたい。そんな言葉がよく似合う一本であり、今なお語り継ぐ意味のある、硬派で魅力的なシューティングである。
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