【中古】【非常に良い】刑事J.B.ハロルドの事件簿 ~マンハッタン・レクイエム&キス・オブ・マーダー~ 6g7v4d0
【発売】:リバーヒルソフト
【対応パソコン】:PC8801、PC9801、X68000、Windows95、FM-7、X1、MSX2
【発売日】:1987年7月
【ジャンル】:アドベンチャーゲーム
■ 概要
シリーズの立ち位置と「マンハッタン・レクイエム」という看板
『J.B.ハロルドシリーズ マンハッタン・レクイエム』は、架空の刑事(あるいは捜査官)J.B.ハロルドを軸に、事件の真相だけでなく“人間関係のねじれ”まで丁寧にほどいていくタイプのアドベンチャー作品だ。派手なアクションや奇抜な仕掛けで驚かせるのではなく、証言の重なり方、矛盾の匂い、沈黙の意味といった「現実の捜査に近い気配」をゲームの手触りにしているのが特徴になる。1987年7月にリバーヒルソフト他から登場し、PC88/PC98/X68000/FM-7/X1/MSX2など当時の主要な国産パソコン環境を跨いだ展開が行われたことで、コアな推理ゲーム好きの間でじわじわと存在感を増していった。時代背景を踏まえると、テキストと画面演出で“空気”を作り、プレイヤーの想像力で事件を立体化させる作りが中心で、だからこそ文章の間合いと人物の呼吸が大切にされている。タイトルにある「レクイエム(鎮魂歌)」は単なる格好良さではなく、この物語が“死”の扱い方に強い意志を持っていることを示す合図でもある。
舞台はニューヨーク・マンハッタン――街が持つ情報量を推理に変える
本作の舞台はニューヨーク、しかもマンハッタンという情報密度の高い街だ。観光の記号としてのマンハッタンではなく、人が集まり、仕事が動き、噂が生まれ、孤独も増幅される「都市の胃袋」として描かれる。高層の建物、無数のアパート、オフィス、バーやダイナー、そして昼と夜で顔を変える通り――そういった“場所そのものの性格”が、事件の手触りに直結するように設計されている。捜査ものの魅力は、現場が語る些細な情報がやがて一本の線になる瞬間にあるが、本作は都市を巨大な証拠品として扱う。移動できる範囲が最初から無限に開かれているわけではなく、証言や新情報を得ることで行動範囲が少しずつ広がっていく構造になっており、プレイヤーは「世界が広がる」喜びと同時に「事件の影も広がる」不穏さを味わうことになる。
導入:一本の知らせが、過去と現在をつなぎ直す
物語の出発点は、主人公のもとへ届く連絡と、そこに混じる“ひっかかり”だ。以前の事件で関わった人物からの手紙、あるいはカードのような私的な痕跡が、数日後に届く訃報によって不気味な意味を帯びてくる。現地警察は自殺として片づけ、周囲もそれを受け入れかけている。しかし、J.B.はその結論に飲み込まれない。彼が抱くのは派手な正義感というより、捜査官としての「腑に落ちなさ」だ。真相を追う理由が復讐や劇的な使命ではなく、むしろ静かな違和感であるところが本作のトーンを決定づけている。やがて、協力者として登場するのが、かつての先輩であり相棒でもあった人物で、いまはマンハッタンで保険調査の仕事をしているジャド・グレゴリーだ。警察の公式捜査とは別のルートで情報を集められるジャドの立場が、プレイヤーにとっての“拠点”と“フィルター”の役割を担っていく。
捜査の骨格:証言の積み上げで「次の扉」を開ける
ゲームとしての基本は、人物に会い、話を聞き、得た情報を手がかりに次の人物や場所へ進む、という積み重ねだ。ただし、本作は単にフラグを立てて進むだけではなく、「誰が何を知っていて、何を隠しているのか」をプレイヤーが自分の頭で整理する時間を重視している。話を聞く順番、どの選択肢をどこまで掘るか、同じ人物に改めて会うタイミング――こうした“地味だが捜査らしい”判断が、結果として事件像を変形させる。さらに本作では、ある人物からこれ以上得られる情報がなくなったときに、それを示唆するメッセージが出るなど、会話の徒労感を少しでも軽くする工夫がある。とはいえ、シリーズ特有の「とにかく全部聞いて回らないと先へ進まない」感触は残っており、そこがリアルな捜査の味わいとして刺さる人もいれば、テンポの遅さとして引っかかる人もいるだろう。重要なのは、本作がその不便さを“難易度の高さ”ではなく“捜査の実感”として成立させようとしている点だ。
ジャドの事務所という拠点:物語を整理する“呼吸の場所”
マンハッタンの街を歩き回るだけだと、情報は散らばり、プレイヤーの頭の中はすぐに渋滞する。そこで効いてくるのが、ジャドの事務所という拠点だ。ここは単なるセーブ地点ではなく、捜査の段取りを整える「呼吸の場所」として機能する。容疑者を問い詰める前にジャドに相談して許可を取る、といった一手間が入ることで、プレイヤーは勢いで突っ走るよりも「この情報はどれだけ固いのか」「次に何を確かめるべきか」を自然に考えるようになる。捜査の主導権が常に主人公だけにあるのではなく、協力者の目線が挟まることで、物語に“社会的な現実味”が混ざるのも面白い。警察の公式見解、保険調査の観点、当事者の感情――同じ事実でも角度が変わると輪郭が変わる。そのズレをプレイヤーに体験させる仕掛けとして、事務所の存在は地味ながら強い。
「サラ」という名前が呼び起こす、錯綜と連鎖の恐怖
本作のストーリーが一段深くなるのは、ある死が単発の悲劇ではなく、似た輪郭を持つ出来事へと連なっていく気配が立ち上がったときだ。同じ名前を持つ人物の存在、同様の状況で起こる転落死、周囲が“偶然”として処理したがる空気。こうした要素が絡むことで、プレイヤーは「真相を当てるゲーム」から「人間の闇をほどく捜査」へと意識を切り替えさせられる。誰がどの事件にどう関係しているのかが分かりにくくなるのは、単なる複雑化ではなく、都市の中で情報が歪むことそのものを描くためだ。噂が誇張され、利害が混ざり、沈黙が増える。プレイヤーはその中で、証言の温度差や、言い淀みの理由、矛盾の種類を嗅ぎ分けていくことになる。
ビジュアルと演出:実写さながらの“冷たいリアリティ”
シリーズが当時注目された理由の一つに、実写のようなリアルなイラスト表現がある。ドット絵的な誇張とは違い、顔つきや姿勢、部屋の空気感まで“現実の延長”として感じられる方向性で、ミステリーの重さを支える。派手なアニメーションがなくても、画面の静けさが逆に不穏さを増幅させるのがポイントだ。さらに後年の展開として、LD-ROM²版では実写映像が用いられたとされ、同じ事件でも表現の質感が変わることで、プレイヤーが受け取る温度まで変化する。舞台がマンハッタンである以上、街の象徴的な景色が「その時代の記録」として残る側面もあり、物語の外側にまでリアルが滲むのがこの作品の怖さでもある。
対応機種と移植展開:長く語り継がれる“捜査の型”
本作は当初、PC88やPC98、FM-7、X1、X68000といった国産パソコン文化の中心で遊ばれ、その後もMSX2や別メディア、携帯機、スマートフォン、現行機へと形を変えて触れられる機会が増えていったタイプの作品として知られている。移植が重なる理由は、単に人気があったからだけではない。事件の構造が堅牢で、画面解像度や媒体が変わっても“捜査の面白さ”が崩れにくいからだ。プレイヤーがやることは結局、話を聞き、疑い、整理し、確かめる――この行為はハードの世代が変わっても古びにくい。復刻配信のような形で当時版の手触りを保存する動きもあり、レトロPC文化に親しんだ層と、後年に初めて触れた層が同じ作品を別の視点で語れる土台ができている。
まとめ:派手さではなく“捜査の持続圧”で引き込むミステリー
『マンハッタン・レクイエム』の核は、連続的に積み上がる違和感と、都市の闇が静かに増していく感覚にある。プレイヤーは一気に解決へ突き進むというより、少しずつ世界を広げながら、情報の迷路に踏み込んでいく。ジャドの事務所という拠点、会話の積み重ね、同じ名前が呼び起こす連鎖の気配、リアル寄りの表現――それらが合わさって、推理を「パズル」ではなく「仕事」に近い手触りへ変えていくのだ。テンポや手間は選ぶが、ハマったときの没入感は、他のジャンルでは得にくい。“事件の背後にある人間関係”を描くというシリーズの美点が、マンハッタンという舞台で一層濃くなる。そういう意味で本作は、ミステリーゲームの中でも独特の余韻を残す一作として語り継がれてきた、と言えるだろう。
■■■■ ゲームの魅力とは?
“当てる推理”より“ほどく推理”――事件の構造を自分の手で解体できる快感
『マンハッタン・レクイエム』の面白さは、犯人当ての一発勝負ではなく、絡み合った事情を一本ずつ解きほぐしていく工程そのものにある。プレイヤーがやることは、単に「正解の選択肢」を探す作業ではない。誰が何を知り、何を言わず、どんな利害で黙るのか。その沈黙の質を見極めながら、事件を“分解して再構築”する。だから、解決に至るまでの時間は長く感じることもあるが、その分だけ、自分の理解が深まっていく感覚が強い。推理ものの中には、派手なトリックや意外性で驚かせるタイプも多いけれど、本作は「こういう順番で情報を重ねると、世界がこう見えてくる」という、捜査の積み木を積む快感を前に出している。結論に飛ぶのではなく、結論へ到達する“道筋”を遊ばせる――ここが刺さる人には、驚くほど深く刺さる。
マンハッタンという舞台が、会話劇に“圧”を与える
舞台がニューヨーク・マンハッタンであることは、背景の装飾ではなく、魅力の核の一部になっている。人が多い街は、情報が多い街でもある。情報が多い街は、嘘も多いし、誤解も多いし、都合の良い沈黙も多い。『マンハッタン・レクイエム』は、その都市の密度を“推理の負荷”に変換している。アパートの一室で起きた死が、仕事、交友関係、金銭、過去、噂、そして名前の一致といった要素を連れて、街全体へ染み出していく。その広がり方が、事件の怖さを生む。舞台が閉鎖空間ではないからこそ、「ここまで広いのに、逃げ場がない」という矛盾した圧迫感が生まれる。広い街は、真相から遠ざかるための道も無限にある。プレイヤーはその分岐の多さに悩みながらも、正しい線だけを拾い集めていく――都市が巨大な迷宮になる感覚が、本作の魅力を底上げしている。
情報の“温度差”を読むゲーム――同じ事実でも語り方が違う
会話中心のアドベンチャーで大事なのは、文章量ではなく、情報の“温度”だ。本作はこの温度差の作り方が巧い。ある人物は淡々と事実だけを述べるが、別の人物は同じ事実を感情で包み、別の人物は大事な部分だけを落とす。あるいは、言葉は丁寧でも、核心だけは避ける。プレイヤーは「何が語られたか」だけでなく、「なぜその語り方なのか」まで考えることになる。ここに、推理小説的な楽しみがある。紙の小説なら読者は作者の筆致を読むが、ゲームではプレイヤーが“複数の筆致”を横断して事件像を組み立てる。証言の矛盾は、ミスではなく、人物の人生の歪みとして現れる。だから会話が続けば続くほど、世界が立体化し、同時に不穏さも増していく。この「情報が増えるほど怖くなる」タイプの推理は、遊んでいるうちに独特の中毒性を生む。
ジャドという存在が生む“捜査のリズム”――独走できない設計が効く
魅力の一つは、ジャド・グレゴリーという協力者の存在だ。拠点である事務所に戻り、相談し、許可を得てから問い詰める――この一手間が、ゲームにリズムを作る。推理ゲームでありがちな「思いついた順に全部突撃して正解を引く」流れが抑えられ、プレイヤーは自然と「この段階で問い詰めていいのか」「材料は揃っているか」を考えるようになる。ジャドは単なる案内役ではなく、プレイヤーの行動にブレーキと整理の視点を与える装置でもある。現実の捜査も、独断で突っ走るより、情報をまとめ、段取りを作り、相手の反応を想定して臨む。本作はその“仕事としての捜査”を、ゲームの手順として体験させることで、没入感を生み出している。テンポは速くないが、捜査の呼吸が整っていく感じが心地よい。
リアル寄りの表現が、台詞の一言を“重く”する
シリーズが持つ実写さながらのイラスト表現は、単に当時として珍しかっただけではなく、台詞の重さを支える装置として機能している。デフォルメが強い絵だと、悲劇はどこか物語として距離を保てる。しかし、本作の絵は「現実にいそうな人」の匂いを持つため、同じ言葉でも刺さり方が違う。例えば、淡々と「自殺と判断された」と語られるだけで、画面の静けさが不気味に広がる。背景の部屋の空気感や、人物の表情の硬さが、情報の裏にある感情を感じさせる。派手な演出で驚かせず、画面の“冷え”で不安を育てるのが上手い。こうしたリアル寄りの質感は、会話中心のゲームでありがちな単調さを、逆に緊張感へ変える力を持っている。
行動範囲が広がる快感=事件が拡大する恐怖
本作は、最初からどこへでも行けるのではなく、情報を得ることで行ける場所や会える人物が増えていく。これが「探索の成長」として気持ちいい反面、同時に「事件の闇が広がっていく」恐怖にも直結する。行動範囲が広がるということは、関係者が増え、矛盾も増え、嘘の可能性も増えるということだ。プレイヤーは、世界が広がるたびに楽になるどころか、むしろ混乱が増していく感覚を味わう。そこが本作らしい。気持ちよさと不安がセットで増えるから、捜査の手応えが濃い。広がった世界を整理しきれずに迷う瞬間すら、マンハッタンという迷宮に飲まれる体験として成立する。
“錯綜の設計”が、読後感のある余韻を作る
『マンハッタン・レクイエム』が語られ続ける理由は、事件が複雑だからではなく、複雑さが“読み物としての厚み”に変換されているからだ。複数の出来事が絡み、同じ名前や似た状況が重なることで、プレイヤーは「これは単なる偶然か?」と疑い続けることになる。その疑いが、ただのミステリーの刺激ではなく、人間の怖さへ落ちていく。真相が明らかになるほど、すっきりするというより、どこか胸の奥に冷たいものが残るタイプの余韻がある。ゲームなのに読後感がある、という感覚。これは、事件の背後にある動機や関係性が、パズルの正解以上に意味を持つように描かれているからだ。
当時の推理ゲーム好きに刺さった“硬派さ”と、今遊んでも残る魅力
1980年代後半のPCゲーム文化の中で、本作のように会話と推理の密度で勝負する作品は、派手な見た目よりも「体験の濃さ」で評価されやすかった。推理ゲームが好きな人ほど、手間をかけた分だけ情報が自分の血肉になる構造を喜ぶ。本作はまさにその方向性で、地味さを武器にしている。現代の視点で見るとテンポや導線に古さはあるが、それでも「自分で捜査している感触」は薄れない。むしろ、丁寧に情報を集めて整理する遊びが少なくなった今だからこそ、この作品の“捜査の手触り”が新鮮に感じられることもある。結局のところ、本作の魅力は技術ではなく設計思想にある。人間の言葉の綻びを拾い、都市のノイズから真実を抜き出し、最後に自分の手で事件像を完成させる――その工程を愛せるかどうか。そこに、ハマる人と合わない人を分ける境界線がある。
■■■■ ゲームの攻略など
攻略の前提:「詰まる理由」は腕前より“未回収の会話”にある
『マンハッタン・レクイエム』の攻略でまず押さえておきたいのは、アクションの反射神経や難しいパズルの解法よりも、「会話の取りこぼし」が進行停止の最大原因になりやすい点だ。推理ゲームというと、ひらめきで一気に真相に迫るイメージがあるが、本作はむしろ“捜査の手順”がものを言う。つまり、詰まったときは「自分の推理が間違っている」と決めつけるより、「まだ聞いていない話が残っている」「同じ人物に別の角度で話しかける必要がある」と疑う方が正解に近い。特に、相手が有益な情報を持っていないように見える会話でも、全選択肢を消化して初めて次のフラグが立つ、という作りの場面が出やすい。だからこそ攻略の鉄則は、会話を“網”として扱うこと。核心の言葉だけを拾うのではなく、周辺の雑談や否定、曖昧な返答まで含めて“聞き切る”姿勢が、結果的に最短ルートになる。
捜査の基本動線:「拠点→聞き込み→拠点→整理」を意識して迷子を防ぐ
本作は行動範囲が段階的に広がる構造で、情報の量が増えるほど迷いやすくなる。そこで、意図的に捜査のリズムを固定化すると攻略が安定する。おすすめは「拠点(ジャドの事務所)で状況確認→聞き込みで情報回収→拠点に戻って整理→次の聞き込み」という往復を“型”として繰り返すことだ。理由は単純で、拠点に戻る行為が情報の交通整理になるから。マンハッタンという街は登場人物が点在しやすく、同じ人物でも状況が進むと反応が変わる。拠点を挟まずに走り回ると、プレイヤーの頭の中で「誰がどこで何を言ったか」が薄まり、同じ会話を無駄に踏み直しやすくなる。逆に、拠点に戻る癖をつけると、今の進行段階で何が不足しているかが見えやすくなり、次の目的地が自然に絞れていく。
会話攻略のコツ①:選択肢は“意味のある順”ではなく“全部”が前提
本作の会話は、現代的な「重要な選択肢だけ選べばOK」という設計ではない局面が多い。だから攻略目線では、選択肢の優先順位をつけるより、まずは“全消化”を前提に動く方が強い。具体的には、同一人物の会話で「関係なさそうな質問」ほど先に潰し、最後に核心を聞く、という順序が安定する。核心から入ると、相手が警戒して情報を出さない(ように見える)場面があり、結果として周辺質問を回収し直す二度手間が起きるからだ。もちろん全てがそうではないが、ゲームの進行フラグは周辺情報に紐づいていることがあるため、遠回りに見えても「雑談→背景→核心」の順が安全策になる。加えて、本作では「この人物からはもう聞くことがない」といったメッセージが出る場面があるので、それを“会話完了の目印”として活用すると取りこぼしが減る。
会話攻略のコツ②:一度聞いた相手は“時間差で必ず再訪”する
聞き込み系の推理ゲームでよくある罠が、「この人物はもう終わった」と判断してしまうことだ。本作は情報が増えると同じ人物の反応が変わる場面がある。つまり、一度は何も出なかった相手が、別の証言や新しい視点を得た後に“急に核心へ触れる”ことがある。攻略上は、話の節目ごとに重要人物を再訪するルーチンを組むのが有効だ。節目の目安としては、①新しい場所が解禁された、②新しい関係者の名前が出た、③死亡や事件の追加情報が見つかった、④拠点で相談イベントが進んだ、など。こうしたタイミングで主要人物を再訪すると、進行の引っかかりが減り、次の手がかりへスムーズにつながる。
情報整理のコツ:メモは「人物→関係→矛盾」の順で書くと崩れない
ゲーム内で全てが丁寧に自動整理されるタイプではないため、プレイヤー側のメモが効いてくる。メモの形式は好みでいいが、本作に向くのは「人物」「その人物の立場」「関係者」「その人物が言った重要語」「矛盾点」の順に並べる方法だ。推理の途中で迷うのは、事件の細部を忘れるより、“誰が誰とどう繋がっていたか”が曖昧になるときが多い。だから人物相関を先に固める。次に「その人が何を隠しそうか」を推測し、最後に矛盾を拾う。矛盾は単独で置くと散らばるが、人物相関の上に乗せると意味が見えてくる。特に本作は同名や似た状況が絡んで錯綜するタイプのため、名前・場所・時系列の取り違えを防ぐだけでも攻略の安定度が大きく上がる。
難易度の正体:推理力ではなく“手続きの重さ”にある
本作の難しさは、犯人のトリックが天才的で解けない、という種類ではなく、捜査の手続きが重く、詰まりポイントが「未回収フラグ」に寄りやすい点にある。つまり、難易度の感じ方はプレイヤーの性格に左右される。手間を“捜査のリアル”として楽しめる人は、むしろ没入が深まる。一方で、テンポよく推理の快感だけを味わいたい人には、総当たりの必要性がストレスになりやすい。攻略のコツは、手続きを「面倒」ではなく「捜査の儀式」に変えることだ。拠点に戻る、主要人物を再訪する、会話を全消化する、メモで関係を固める――この型が身体に入ると、“詰まっている感じ”が薄れ、ゲームが滑らかに動き出す。
裏技的な発想:最短を狙わない方が結果的に早い
現代の攻略スタイルだと、最短ルートをなぞって進めたくなるが、本作は「寄り道が安全策」になりやすい。なぜなら寄り道=周辺会話の回収であり、周辺会話がフラグを担っている可能性があるからだ。最短を狙って核心人物だけを追うと、結局どこかで止まり、未回収の会話を探して街を彷徨うことになる。それなら最初から、周辺人物や関係者候補への聞き込みも広く行い、情報の網を早い段階で張っておく方が、総時間は短くなる場合が多い。攻略とは、ショートカットを探すことではなく、迷路の地図を先に作ること――本作はそう割り切った方が気持ちよく遊べる。
楽しみ方としての攻略:自分なりの“捜査ノート”を完成させる
本作の攻略は、単にクリアするための作業に留まらない。むしろ「自分がどう事件を理解したか」を残す遊びと相性がいい。例えば、人物ごとに“この人は何を恐れているか”をメモする、証言の矛盾に自分なりの仮説を添える、時系列を手書きで一本の線にする、といった工夫をすると、クリア後の満足感が一段上がる。推理ゲームの魅力は、真相そのものより、真相へ至る過程で自分の頭が動いた実感だ。『マンハッタン・レクイエム』は、その実感を濃く残せるタイプの作品だからこそ、攻略もまた“作品の一部”として味わえる。
■■■■ 感想や評判
「本格推理として面白い」――物語の骨太さがまず評価されやすい
『マンハッタン・レクイエム』について語られる感想で多いのは、「推理ものとして筋が通っている」「事件がきちんと“捜査でほどける”」という方向の手応えだ。派手な演出や大仰な奇跡で真相へ飛ぶのではなく、証言を積み上げ、矛盾を拾い、関係者の線を引き直しながら少しずつ真相へ近づく――この工程が“本格”として受け取られやすい。プレイヤーが受け身で見せられるのではなく、プレイヤーの手で事件像を組み上げられるから、クリア後に「自分が捜査した」という納得感が残る。とくに、都市の中で情報が錯綜する感覚や、複数の出来事が絡み合って見える設計は、「読み物として濃い」「最後まで引っ張られる」という印象につながりやすい。推理ゲームに“物語の厚み”を求める層ほど、この点を強く評価する傾向がある。
「雰囲気がいい」――マンハッタンの冷たさと孤独が刺さる
評判の中で印象的なのは、ストーリーの出来だけでなく「空気の作り方」を褒める声が出やすい点だ。マンハッタンという舞台は華やかなイメージもあるが、本作が引き出すのはむしろ、街の大きさが生む孤独や、無関心の厚み、誰もが忙しくて他人の痛みに立ち止まりきれない冷えだ。そうした温度が、登場人物の言葉の端々や、場面の静けさに染み込む。実写さながらのリアル寄りのビジュアル表現が、会話中心のゲームでありながら“映像的な印象”を残し、結果として「小説を読んだ後のように余韻がある」と語られやすい。テンポが速いゲームとは別種の没入で、夜にプレイすると空気が合う、という感想が出るのも納得できるタイプだ。
「話が錯綜していて面白い」――混乱がそのまま“捜査のリアル”になる
本作は、関係者や証言、事件の周辺情報が増えるほど、プレイヤーの頭が一度混乱するように作られている。だが、その混乱が単なる分かりにくさで終わらず、「現実の事件もこんなふうに情報が散らばるよな」という実感に変換されるのが評価のポイントになる。いわゆる密室トリックのような“パズル型”推理ではなく、都市型の“情報戦”として事件が進むため、誰が本当のことを言っていて、誰が都合よく語っているのか、プレイヤーが自分で判断する必要がある。こうした作りは、人を選ぶ反面、ハマる人には強い中毒性を生む。「途中で混乱したのに、最後に整理がついた瞬間が気持ちいい」という感想は、まさにこのタイプの作品で起こりやすい。
「硬派で大人向け」――過剰なサービスより“人間の闇”を重視
シリーズ全体にも言えるが、『マンハッタン・レクイエム』は、当時のパソコンゲーム文化の中でも“硬派”に分類されやすい。キャッチーなミニゲームや、派手なご褒美演出で引っ張るのではなく、事件と人間を描くことにリソースを割く。結果として、「軽い気持ちで遊ぶと重い」「でもその重さがいい」といった二面性の感想が出る。特に、人間関係の歪み、利害、沈黙、そして死の扱い方が、単なる娯楽ミステリーの枠を越えて“ほろ苦い後味”を残すため、プレイヤーの年齢やその時の気分によって刺さり方が変わる。若い頃は難しく感じたが、後年に遊ぶと人物の感情が分かってくる、といった声が出やすいのも、この作品の性格だ。
一方で不満も根強い:最大の壁は「総当たりの手間」
肯定的な評判が多い一方で、はっきりとした不満も語られやすい。その筆頭が、会話選択肢の総当たりが必要になりやすい点だ。重要そうに見えない会話でも消化しないと進行しない場面がある、既読の目印が弱い、人物が点在していて移動が多い――このあたりは、推理を楽しむ以前に“作業”として感じてしまう人がいる。とくに現代のゲームに慣れていると、導線の不親切さやテンポの遅さが強く引っかかる。逆に言えば、ここを「捜査の手触り」として受け入れられるかどうかが、評価の分岐点になる。好きな人は“面倒なほど没入する”と言い、合わない人は“進め方が分からず疲れる”と言う。評判が割れるのは、作品の核がそこにあるからだ。
メディア的な語られ方:ビジュアルとシナリオが“シリーズの顔”として扱われる
当時の推理ゲーム文脈で語られる際、本作は「実写さながらの表現」と「重厚なシナリオ」という二本柱で触れられることが多い。スクリーンショット一枚で雰囲気が伝わりやすく、文章だけでは表現しづらい“冷えた空気”が画面から立ち上がる。そうした分かりやすい強みがある一方、システムの不親切さも同じくらい語られやすく、紹介文では「本格派」「硬派」「人を選ぶ」という言葉がセットになりがちだ。つまり、絶賛一辺倒ではなく、長所と短所がはっきりしている作品として、語られ方自体に輪郭がある。
「今だからこそ再評価」――手触りの古さが逆に個性になる
後年のプレイヤーの感想では、テンポやUIの古さを指摘しつつも、それが“体験の個性”として受け止め直されることがある。現代のゲームは快適さが前提になり、プレイヤーを迷わせない設計が多い。しかし本作は、迷うこと自体が捜査の一部になっている。だから、現代的な快適性と引き換えに、事件に巻き込まれている感覚が濃くなる。これは好き嫌いが分かれるが、刺さる人には「今のゲームにはない味」として新鮮に映る。さらに、マンハッタンという舞台設定や、時代の空気を帯びた表現は、レトロ作品としての魅力も加算される。単なる懐古ではなく、体験の構造そのものが“古いからこそ成立する緊張感”を持っている、と感じる人がいる。
総合的な評判像:名作扱いと“人を選ぶ”が共存するタイプ
総じて、『マンハッタン・レクイエム』の評判は「本格ミステリーとしての厚み」を褒める声と、「総当たりの手間」を嫌う声が並び立つ形になりやすい。ストーリーや雰囲気に惹かれる人は強く支持し、快適性やテンポを重視する人は途中で折れやすい。しかし、この分かれ方は欠点だけで説明できない。作品が目指しているのが“捜査の持続圧”であり、プレイヤーに手間を負わせることで没入を作るタイプだからだ。合う人にとっては、終盤に情報が一本の線へ収束する瞬間が忘れがたい体験になる。合わない人にとっては、そこへ辿り着く前に疲れてしまう。その意味で本作は、万人向けの優等生ではなく、刺さる層には深く刺さる“硬派な推理アドベンチャー”として語り継がれている。
■■■■ 良かったところ
良かった点①:事件の「重み」が最後まで薄まらない――軽く消費されないミステリー
プレイ後に「ちゃんと重いものを遊んだ」と感じさせる点は、本作の大きな長所として挙げられやすい。導入で提示される死の扱い方が軽くなく、物語が進むほど“事件の背後にある事情”が滲み出てくる。推理ゲームの中には、トリックの鮮やかさだけが残って人物が置き去りになる作品もあるが、『マンハッタン・レクイエム』は逆で、人間の関係や心理が主役に居座り続ける。だから真相へ近づくほど爽快というより、むしろ胸の奥が冷えるような納得が残る。ここを「後味が悪い」と取る人もいるが、良かったところとして語る人は、その後味こそ本作の誠実さだと捉えている。事件が“ゲームのネタ”として消費されず、物語の中で生々しく残る――この質感は、硬派な推理作品を求める層にとって強い魅力になる。
良かった点②:マンハッタンという都市が“舞台装置”を超えている
舞台が有名都市だと、観光地の名前が並ぶだけで終わりがちだ。しかし本作のマンハッタンは、情報が渦巻く街として“推理の難しさ”と“怖さ”を作る役割を果たしている。人が多い街は、関係が多い街であり、利害が交差しやすい街でもある。そこで起きる死は、誰かにとっては痛みで、誰かにとっては面倒で、誰かにとっては都合がいい。そういう温度差が、捜査の途中で何度も顔を出す。プレイヤーが歩き回るほど、街が広いことが安心ではなく不安に変わっていく――この感覚が「都市型ミステリー」の味として評価される。結果として、舞台が単なる背景ではなく、事件の一部として機能している点が“良かったところ”として印象に残りやすい。
良かった点③:聞き込みが“作業”になりきらない――言葉の端から人間が見える
会話中心のゲームは、選択肢を埋める作業になってしまうと途端に退屈になる。本作は総当たりの要素がある一方で、人物の言葉の癖や、回答の濁し方、感情の揺れがきちんと演出されているため、「同じ手順でも意味がある」と感じやすい。つまり、聞き込みが単なる鍵探しではなく、人物の内側へ手を伸ばす行為になっている。たとえば、核心に触れたくない相手の“逃げ方”は人それぞれで、その違いが人物像を形作る。あからさまに嘘をつく人、正直に言うふりをする人、怒りで誤魔化す人、沈黙で壁を作る人――そうした違いを読み取る楽しみがある。結果として、面倒な会話消化があっても「この人はこういう人間なんだな」という発見が残り、作業感が薄まる瞬間があるのが良い。
良かった点④:拠点(ジャドの事務所)が効いている――捜査に“段取り”が生まれる
ジャドの事務所が、単なるセーブ地点ではなく、捜査の整理と段取りの場として機能しているのは評価されやすい。推理ゲームでよくある失敗は、プレイヤーが勢いだけで核心に突っ込み、ゲーム的に正解しても納得感が残らないことだ。本作は拠点を挟むことで、プレイヤーに「いま何が分かっていて、何が分かっていないか」を考えさせる。さらに、問い詰めの前に相談して許可を得るような手順が入ることで、捜査が“仕事”に近い手触りになる。遠回りに見えて、実は没入を支える重要な仕掛けだ。プレイヤーが自分の判断を言語化し、次の一手を組み立てる余白がある。こうした“呼吸の間”が、長い捜査を最後まで走り切らせる力になっている。
良かった点⑤:リアル寄りのビジュアルが、静かなシーンほど効く
当時のパソコンゲームでリアル志向の表現を採るのは簡単ではなかったが、本作はその方向性を強みに変えている。派手なアニメーションがなくても、人物の表情や姿勢、部屋の空気感が“現実の延長”として感じられるため、会話の一言が重くなる。たとえば、淡々とした説明の場面でも、画面の静けさが不安を増幅する。ミステリーは、怖がらせるより不安を育てる方が効くことがあるが、本作はまさにそのタイプだ。プレイヤーが想像で補う余地がありつつ、想像が暴走しすぎない程度に現実味がある。そのバランスが絶妙で、「画面が地味なのに妙に記憶に残る」という感想につながりやすい。
良かった点⑥:情報が収束する瞬間の気持ちよさ――混乱が整理に変わる達成感
本作は途中が錯綜しやすい分、終盤にかけて情報が一本の線へ収束する瞬間の快感が強い。最初は関係がないと思っていた証言が、別の人物の言葉で意味を変え、さらに時系列が整理されて“同じ出来事の別の顔”が見えてくる。こういう変換が何度も起こる。プレイヤーは、自分の頭の中の地図が書き換わる体験をするわけだが、その手応えが濃い。単にゲームが進んだから分かったのではなく、自分が聞き込みをして、整理して、疑って、確かめた結果として“見えた”と感じられる。だから達成感が強い。推理ゲームの醍醐味は「理解が更新される」瞬間にあるが、本作はその瞬間が複数回訪れるタイプで、そこを良かったところとして挙げる人は多い。
良かった点⑦:移植・復刻で触れ直せる土台――古さの中に残る普遍性
後年に遊んだ人の良かった点としては、「今遊んでも推理の核が崩れない」という声が出やすい。UIやテンポは古いが、情報を集めて真相へ迫る構造そのものが堅牢で、物語がしっかりしているため、体験の中心は色褪せにくい。さらに、時代ごとに移植や復刻で触れられる機会が増えたことで、レトロ作品としてだけでなく“推理の型”として再評価される余地が生まれた。古いから価値がある、ではなく、古くても成立するだけの強い骨格がある――この点が、長く語られる理由として納得できる良さになっている。
■■■■ 悪かったところ
悪かった点①:総当たり前提の会話が“推理の気持ちよさ”を削ることがある
本作で不満として最も挙がりやすいのは、会話の選択肢が「意味のある推理」よりも「手続きの消化」に寄ってしまう瞬間がある点だ。推理ゲームの快感は、矛盾を見つけたり、言葉の綻びから真相へ近づいたりする“頭の手応え”にある。しかし本作は、相手が実質的に何も持っていない話題でも、進行の都合上、全選択肢を一度はなぞらないと先へ進まない局面が起こりやすい。その結果、「いま自分は推理をしているのか、それともフラグを探しているのか」が曖昧になり、没入が切れることがある。さらに、既読や未読をはっきり区別できない場面があると、詰まったときに“どこを聞いていないのか”を探す作業が増え、推理の楽しさより疲労感が前に出やすい。好きな人はこれを「捜査のリアル」と捉えるが、合わない人にとっては「推理の快感を薄める仕組み」になってしまう。
悪かった点②:人物が点在しやすく、移動と再訪が“時間のコスト”になる
マンハッタンを舞台にしている以上、登場人物や訪問先が散らばるのは作品として自然だ。ただ、ゲームとして見ると、聞き込みの再訪が多い本作では、移動の手間がじわじわ効いてくる。特定の人物に新情報を持って戻る必要があるのに、距離感があるせいで往復回数が増え、テンポが落ちる。プレイヤーが「次に何をすべきか」を理解できている時ほど、移動の時間が“引き延ばし”に感じられることがある。推理の面白さが立ち上がってきたタイミングで、移動が多いせいで熱が冷める――この体験は悪かったところとして記憶に残りやすい。現代の作品ならショートカットやログ機能で補われる部分だが、本作は当時の設計思想のままなので、プレイヤー側で“捜査の儀式”として飲み込めないとストレスになりがちだ。
悪かった点③:進行停止の原因が分かりにくく、詰まると“迷子感”が強い
詰まったときに「何が足りないのか」をゲーム側が教えてくれない場面があると、プレイヤーは一気に迷子になる。本作の詰まりは、推理が間違っているというより「まだ回収していない会話がある」「特定の順番で情報を揃える必要がある」といった手続き面に寄りやすい。ところが、それが明示されないと、プレイヤーは“事件が分からない”のではなく、“ゲームの進め方が分からない”状態に落ちてしまう。特に登場人物が多いほど、未回収の会話を探す範囲が広がり、心が折れやすい。真相へ近づく前に、進行の不親切さで疲れてしまう人がいるのは、この構造のせいだ。推理好きほど「自分の推理が悪いのか?」と考えて悩むが、実際はフラグ不足だった、というズレが起こると、達成感より徒労感が勝ってしまう。
悪かった点④:会話の“中身”が薄い選択肢もあり、聞き込みが間延びする瞬間がある
本作は会話中心だからこそ、全てのやり取りが濃密だと理想的だ。しかし実際には、状況確認のための言葉や、進行上必要なだけのやり取りも混じる。その比率が増えると、聞き込みのテンポが間延びして「早く核心に行きたい」という気持ちが強くなる。しかも総当たり前提の局面では、薄い会話も“やらされる”形になり、プレイヤーの集中が削られやすい。推理ゲームは、緊張が続くから面白い一方で、緊張がほどけた時間が長いと飽きが来る。本作はその“間”を味として楽しめる人には向くが、ストーリーをテンポよく追いたい人には悪かったところとして残りやすい。
悪かった点⑤:現代目線だとUI・導線が古く、快適性で損をする
当時のパソコンアドベンチャーとして見れば標準的でも、現代の作品と比べると、ログの見返し、既読管理、目的の提示、移動の簡略化など、快適性に関わる部分が弱く感じられることがある。推理ゲームは情報の扱いが命なので、情報を取り出す操作が煩雑だと、プレイヤーの思考が途切れやすい。結果として、作品の本質である“推理の面白さ”ではなく、“操作の疲れ”が印象に残ってしまうリスクがある。もちろん、古さを含めて味わう楽しみもあるが、初見のプレイヤーほどここで躓きやすい。内容が良いだけに、体験の入り口で損をしている、と感じる人がいるのも分かる。
悪かった点⑥:人によっては「重さ」が息苦しく、気軽に遊べない
良かったところとして挙げられる“重厚さ”は、そのまま欠点にもなる。事件の扱いが軽くない分、遊ぶ側にも一定の精神的な負荷がかかる。気分転換に軽く遊びたいときには向かず、集中して入り込めるタイミングでないと、重さが息苦しさに変わる。さらに、マンハッタンの冷えた空気感や、人間関係の歪みがじわじわ効く作りなので、派手な盛り上がりで気持ちを切り替えにくい。結果として「面白いけど疲れる」「一気に遊ぶとしんどい」という感想が出やすい。これは作品の質が低いというより、作品が狙う体験が“覚悟を要する”タイプだから起きる悪かった点だ。
総括:欠点は“推理の質”ではなく“遊び方の不親切さ”に寄っている
まとめると、本作の悪かったところは、事件の作りやストーリーの芯が弱いというより、総当たり会話、移動負担、詰まりの分かりにくさなど、プレイヤーの体験導線に集中している。つまり、物語に辿り着けさえすれば評価が上がる一方、辿り着くまでの手続きで脱落する人が出る。これが「人を選ぶ」と言われる理由だ。好きな人はその不便さすら“捜査の味”として抱きしめるが、合わない人は“推理の前に疲れる”。どちらの受け取り方も起きるように設計されている、というのが本作の正体でもある。
[game-6]
■ 好きなキャラクター
前提:この作品の“キャラ人気”は、派手さより「人間の匂い」で決まる
『マンハッタン・レクイエム』で語られる「好きなキャラクター」は、格闘ゲームの推しのように“目立つ必殺技”で決まるものではない。むしろ、言葉の端に出る性格、立場ゆえの苦さ、沈黙の理由、そして捜査の途中で見えてくる人間臭さで決まっていく。誰が善で誰が悪かを単純に割り切れない人物が多く、プレイヤーは「この人は信用できる/できない」というより、「この人はこういう人生を背負っている」と感じた瞬間に好意(あるいは強い印象)を抱きやすい。だから“好き”の種類も多彩だ。頼れるから好き、危ういから好き、切ないから好き、嫌いになれないから好き――この作品のキャラ語りは、そういう複雑な温度を含んでいる。
好きなキャラクター①:J.B.ハロルド――“感情で突っ走らない”主人公の格好良さ
主人公J.B.ハロルドが好きだと言われる理由は、ヒーロー的な派手さではなく、冷静さと執念のバランスにある。彼は怒鳴り散らしたり、強引に真実をこじ開けたりするタイプではない。むしろ、周囲が「自殺で終わった」と片づけようとする空気に対して、静かに違和感を抱き続ける。その姿勢が、刑事ものとしての説得力になっている。熱血主人公だと、物語の推進力は上がるが、現実味が薄れることがある。本作のJ.B.はその逆で、感情を燃料にするのではなく、仕事としての責任と、個人的な引っかかりを同居させて動く。だからプレイヤーも、派手なカタルシスではなく「この人なら最後まで諦めないだろう」という信頼で引っ張られる。好きというより、気づくと背中を預けている――そういうタイプの主人公だ。
好きなキャラクター②:ジャド・グレゴリー――相棒というより“現実を知るブレーキ役”
ジャドが人気になりやすいのは、彼が単なる案内役ではなく、捜査の現実を担う存在だからだ。元刑事としての経験を持ちながら、現在は保険調査員という立場にいる。この立場が絶妙で、警察の論理だけでも、私人の感情だけでもない“現実の中間地点”にいる。プレイヤーが勢いで誰かを追い詰めたくなっても、ジャドは一度立ち止まらせ、段取りを考えさせる。しかもそれが説教くさくなりにくいのは、彼自身もまた街の現実に揉まれているからだ。頼れるのに万能ではない。冷静なのに冷酷ではない。こういう「大人の相棒」像が、硬派な推理作品に求める層に刺さる。好きな理由としては、「拠点で話すと頭が整理できる」「一緒に捜査している感が強い」「主人公の独りよがりを抑えてくれる」といった、プレイヤー体験に直結した声が出やすい。
好きなキャラクター③:サラ・シールズ――不在なのに影が濃い“物語の核”
キャラクターの好みは通常、画面に出て話す人物に集まりやすい。だが本作では、サラ・シールズのように“不在”が強い存在感を持つ。彼女は事件の中心にありながら、物語上はすでに「いない」状態から始まる。その不在が、逆にプレイヤーの想像を刺激する。彼女はどんな人だったのか、なぜ死んだのか、誰が彼女に何をしたのか――捜査の進行とともにサラ像が少しずつ立ち上がり、同時に崩れていく。好き、というよりも「忘れられない」と言われるタイプのキャラクターだ。プレイヤーはサラを“救う”ことはできないが、真相を知ることで彼女の人生に意味を与え直すことはできる。その行為が、タイトルにあるレクイエム(鎮魂)と響き合い、作品の余韻を深くしている。
好きなキャラクター④:疑わしい人々――“嫌いになれない”グレーの魅力
推理作品で印象に残るのは、必ずしも善人ではない。むしろ、嘘をつく人、都合よく語る人、相手を利用する人の方が、物語を生々しくする。本作には、そうした“グレーな人物”が複数登場し、彼らは単なる悪役になりきらない。理由は簡単で、嘘には事情があり、黙るには恐れがあり、攻撃的になるには防衛の理由があるからだ。プレイヤーは捜査の中で彼らの矛盾を暴くが、同時に「この人がこうなるのも分かる」と感じてしまう場面に出会う。その瞬間、嫌悪と同情が同居し、キャラクターが記号ではなく人間として立ち上がる。好きなキャラクターとして語られるのは、こうした“クセのある人物”であることも多い。好きというより、強烈に印象に残る=語りたくなる、という意味での人気だ。
好きなキャラクター⑤:現地の警察・周辺人物――「世界の冷たさ」を体現する存在
本作では、現地警察が早々に自殺として処理してしまう空気が示される。ここに納得できないから主人公は動くわけだが、現地側の態度を単純に悪として描かないところが、シリーズの大人っぽさでもある。大都市では事件が多すぎて、一つ一つに理想的な時間を割けない現実がある。そうした“世界の冷たさ”を体現する人物たちも、キャラクターとして印象深い。彼らは主人公の敵というより、社会そのものの壁として機能する。プレイヤーはそこで、「正しさ」だけでは事件が動かないことを思い知り、だからこそJ.B.の執念が光る。好きという感情は持ちにくいかもしれないが、物語の輪郭を作る存在として強く記憶に残るタイプだ。
好きなキャラクターを語る楽しみ:推しが“事件の読み方”になる
本作のキャラクター語りは、単なる好みで終わらない。誰を好きになるかで、事件の読み方も変わる。J.B.が好きなら、捜査官としての倫理や執念に注目する。ジャドが好きなら、段取りや現実の苦さに注目する。サラが印象的なら、物語の鎮魂性に注目する。グレーな人物に惹かれるなら、人間の弱さや利害の絡みを読むようになる。つまり、推しが解釈のレンズになる。ミステリーとして遊んだはずが、いつの間にか人物の人生を読んでいた――そんな体験を生むからこそ、『マンハッタン・レクイエム』はキャラクター面でも語りがいがある。
[game-7]
●対応パソコンによる違いなど
まず大前提:同じ事件でも“見え方”が変わる――機種差は雰囲気の差になりやすい
『マンハッタン・レクイエム』のように、会話・推理・雰囲気で勝負するアドベンチャーは、同一シナリオでも「画面の出し方」「文字の読みやすさ」「音の鳴り方」で体験の印象が変わりやすい。アクションの操作感の違いより、情報を受け取る“器”の差が効くタイプだ。つまり、対応パソコンの違いは単なるスペック比較ではなく、プレイヤーが事件をどう感じるか、どれだけ没入できるかに直結する。ここでは、当時の代表的な傾向として「何が変わりやすいか」「どこが遊びやすさに影響するか」という観点で、機種ごとの違いを“体験の差”として整理していく。
PC-88系:シリーズの原風景になりやすい“文章と間”の手触り
PC-88版の魅力は、当時の国産ADVらしい「文章と静止画の間」で空気を作る味わいにある。画面演出が過剰にならないぶん、プレイヤーは言葉の行間を想像で埋めることになる。これはミステリーと相性がいい。証言の曖昧さ、沈黙の重さ、都市の冷え――こうした要素が、派手なエフェクトではなく“読むテンポ”で立ち上がる。逆に言えば、文字表示や画面の切り替え速度、読みやすさが快適性に直結するため、現代の目線だとテンポが遅く感じることもある。ただ、ゆっくり読み、ゆっくり考えること自体がゲームの呼吸になるので、「捜査している感」を強く味わいたい人には合いやすい。
PC-98系:情報を整理しやすい“ビジネス機の落ち着き”が推理向き
PC-98は当時“仕事の道具”としても広く使われた土台があり、画面の安定感や文字の視認性といった方向で、推理ADVと相性がいいと言われやすい。体験としては、会話ログや人物情報を追うときに、目が疲れにくい、読みやすい、という印象に繋がりやすい。『マンハッタン・レクイエム』は情報量が増えるほど整理力が問われるので、文字が読み取りやすい環境はそれだけで攻略のストレスを減らす。派手な違いがあるというより、「事件の理解が崩れにくい」機種として評価されるタイプだ。結果として、シリーズを腰を据えて味わう層にとって、PC-98版は“ちょうど良い標準”になりやすい。
X68000:ビジュアルの説得力が増し、“不穏さ”が濃くなる方向
X68000は、当時として高い表現力を持つパソコンとして知られ、移植作品でも絵の見栄えが強化される方向に働きやすい。『マンハッタン・レクイエム』のようにリアル寄りの絵が持ち味の作品では、ビジュアルの説得力が上がるほど、台詞の一言が重く感じられることがある。人物の表情の硬さ、部屋の空気、街の冷たさ――そうした要素がより明瞭に見えるほど、ミステリーの不穏さが濃度を増す。操作性よりも“画面の圧”が変わる、と考えると分かりやすい。事件の現実味を強く感じたい人にとって、X68000系の表現は没入を底上げしやすい一方、怖さや重さも強まるので、気軽に遊びたい時には逆に疲れることもある。
FM-7:家庭的な空気と“独特の表示感”が、作品の印象を変える
FM-7系で遊ぶ場合、同じシナリオでも画面の出方や色の感触、表示のテンポが独特に感じられることがある。ここでの違いは優劣というより、“味”の違いだ。『マンハッタン・レクイエム』は都市の冷えた空気を描くが、プレイヤー側の環境(当時の家庭の机、モニター、音の出方)が変わると、作品の冷たさが少し柔らかく感じられることもある。逆に、表示や切り替えが自分の体感に合わないと、会話中心のゲームではストレスが積もりやすい。FM-7で遊んだ人が語るとき、作品そのものより「当時の環境とセットの記憶」として残ることが多く、そこがレトロ作品の面白さでもある。
X1:文字と画面の“間合い”が強く残り、推理のテンポが個性になる
X1系は、同じく国産8bit系の文化を背負い、表示のテンポや画面の切り替え感が“ゲームのリズム”として残りやすい。推理ADVは、テンポが速ければ良いわけではなく、むしろ思考の間が必要だ。本作はその間が長いほど、沈黙が重く感じられ、疑いが育つ。X1で遊ぶと、そうした“間合い”がより前面に出ることがあり、結果として没入が深まる人もいれば、進行がもたつくと感じる人もいる。良くも悪くも、機種のリズムが作品体験を染める。推理のテンポを自分の呼吸に合わせて味わえる人には、X1ならではの“じっくり感”が魅力になる。
MSX2:選択肢総当たりの性格と相性が悪くも良くも“はっきり出る”
MSX2への展開は、当時のユーザー層の広さもあり、シリーズを別のコミュニティへ届ける役割を果たした。体験面で言えば、MSX2は遊びの入口として親しみやすい一方、推理ADVの総当たり要素が「手間」として感じられるか、「捜査の儀式」として馴染むかが、より露骨に出やすい。これは機種の性能というより、プレイヤーの遊び方の文化の差が影響する。アクションやRPG中心の層が触れると、会話の消化がストレスになりやすい。しかし逆に、じっくり遊ぶ層には「この重さがいい」と刺さる。MSX2版は、作品の性格を“誤魔化さずに”プレイヤーへ渡してしまう、正直な移植として語られやすい。
Windows95(後年版):遊びやすさの面で“入口”になりやすいが、味は変わる
Windows95環境で触れる形(後年の再リリースや移植を含む想定)では、当時のレトロPC特有の不便さが薄れ、起動や操作のハードルが下がる。これは大きな利点で、作品に辿り着くまでの敷居が下がるほど、ストーリーの強みが活きやすい。一方で、レトロ機で遊ぶときの“間合い”や“機械の癖”が消えることで、作品が持つ独特の緊張感が少しだけマイルドになる場合もある。たとえば、読み込み待ちや画面切り替えのテンポが、捜査の息継ぎとして働いていたのに、それがスムーズになって“軽く”感じる、といった現象だ。便利になったぶん、当時の“重さ”が薄まる可能性がある。どちらが良いかは好みで、物語を追うことを最優先するならWindows環境は入口として強い。
家庭用ゲーム機や別メディア版の方向性:演出強化は“没入”と“固定化”の両刃
本作は後年、別メディアや家庭用機、携帯機へと形を変えて触れられる機会が増えたタイプとして語られる。こうした移植では、表示の統一、操作の簡略化、演出強化などで“遊びやすさ”が上がる傾向がある。その一方で、演出が強まるほど、プレイヤーの想像で埋めていた余白が減り、事件の感じ方が“固定化”されやすい。レトロPC版の魅力は、静止画と文章の間に想像が入り、プレイヤーごとにマンハッタンの冷え方が違うところにある。演出強化は没入を助けるが、余白を奪うこともある。どちらが好みかで、同じ作品でも評価が変わりやすいポイントだ。
結論:機種差の核心は「快適性」より「事件の温度」――自分の好みで選ぶのが正解
『マンハッタン・レクイエム』は、機種によってシナリオの骨格が変わるというより、事件の温度の感じ方が変わるタイプの作品だ。ゆっくり読んで考える呼吸を楽しむならPC-88やX1の“間合い”が合う。情報整理と安定感ならPC-98。ビジュアルの圧と不穏さの濃度ならX68000。入口の広さや触れやすさならMSX2やWindows環境――というふうに、自分が「何を優先して体験したいか」で選ぶのが一番納得がいく。結局、推理ゲームの価値は“どう遊んだか”に強く依存する。本作は特に、遊ぶ環境がそのまま捜査の記憶になる。だからこそ、機種差を比較する楽しみも、シリーズの魅力の一部になっている。
[game-10]
■ 当時の人気・評判・宣伝など
1987年という時代背景:パソコンゲームが“趣味の最前線”だった頃の追い風
1987年前後の国産パソコン市場は、ゲームが家庭用機とは別の文脈で熱を持っていた時期だ。PC88やPC98を中心に、雑誌文化とパッケージ文化が強く、店頭で箱を見て“未知の体験”を買う空気があった。特にアドベンチャーは、派手な処理能力よりも文章と構成で勝負できるため、作り手の色が出やすく、ユーザー側も「次はどんな物語に出会えるか」を楽しみにしていた。『マンハッタン・レクイエム』はその土壌の上で、「本格ミステリーをゲームで遊ぶ」という欲求に正面から応える形で広がっていった。アクションやシューティングが“腕前”の競技だとすれば、この作品が提供したのは“読んで考える大人の時間”であり、そこに価値を感じる層が確実に存在していた。
店頭で目を引く“リアル寄り”のビジュアル――パッケージと誌面映えの強さ
当時の宣伝で強かったのは、実写さながらのリアルなイラスト表現が、雑誌の小さなスクリーンショットでも雰囲気を伝えやすかった点だ。文章だけでは伝わりにくい「大人っぽさ」「都会の冷たさ」「本格推理の匂い」が、画面写真で一発で伝わる。パソコンゲームは店頭で試遊できる機会が限られ、誌面の数枚の画面写真と短い紹介文で購入判断をするケースが多い。そこで“見た瞬間にジャンルが分かる”“読まなくても空気が伝わる”絵作りは強い武器になる。『マンハッタン・レクイエム』は、派手な色数で派手に魅せるよりも、現実味のある画面で「これは軽いゲームではなさそうだ」と思わせる方向に効いていた。結果として、推理好き・ミステリー好きの購買欲を刺激しやすい見せ方になった。
シリーズ物としての訴求:前作の読者(プレイヤー)を“次の事件”へ連れていく
当時の評判形成で大きいのは、「シリーズとして続く安心感」だ。単発作品だと、買ってみるまで当たり外れが分からない。しかしシリーズは、主人公や作風の芯が共有されるため、プレイヤーは“次も同じ匂いの体験”を期待できる。『マンハッタン・レクイエム』は、J.B.ハロルドという軸を持ち、事件を追うスタイルも一貫しているため、前作で刺さった人がそのまま次作へ流れやすい。宣伝面でも「次の事件」「さらに深い推理」「より広がる捜査」といった言い方がしやすく、シリーズファンにとっては購入動機が明確になる。つまり、“作品単体の新しさ”より“シリーズ体験の継続”が強い推進力になったタイプだ。
価格帯と購買心理:簡単には買い直せないからこそ、内容の重さが信頼になる
当時のパソコンゲームは決して安い買い物ではなく、ユーザーは一本に長く向き合う前提で選ぶことが多かった。そうした環境では、「短時間で終わる派手なゲーム」よりも、「じっくり遊べて記憶に残るゲーム」が選ばれやすい。『マンハッタン・レクイエム』は、会話と捜査でじわじわ進む構造ゆえに、プレイ時間も“読み物としての密度”も確保されやすい。だから広告や紹介文で“本格推理”“重厚なシナリオ”を前面に出すことが、単なる飾りではなく信頼の材料になった。実際、購入後に「ちゃんと元が取れた」と感じやすいのは、物語の厚みと、解決までの手応えがしっかり残る作品だからだ。
口コミで広がるタイプの人気:派手なブームより“刺さった人が語る”強さ
当時の人気の広がり方として想像しやすいのは、一気に大衆ブームになるより、刺さった人がじわじわ周囲へ薦めていく形だ。推理アドベンチャーは、ジャンルとして万人向けではない。だからこそ「これ、すごいぞ」と言う人の熱量が大きいと、同じ趣味の人へ強く伝播する。特にミステリー好きのコミュニティでは、トリックの話よりも「この作品は人間関係が重い」「都市の空気が冷たい」「最後の収束が気持ちいい」といった体験談が共有され、興味を持った人が買う。結果として、売れ方は派手でなくても、長く語られ続ける“強い評判”が形成される。シリーズが続いたこと自体が、この口コミ的な支持の積み重ねを示しているとも言える。
宣伝の主戦場:ゲーム雑誌・パソコン雑誌の紹介欄と読者層の一致
当時の宣伝は、テレビCMよりも雑誌が中心になりやすい。特にパソコンゲームは、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の紹介欄、広告ページ、読者投稿コーナーなどが重要な導線だった。『マンハッタン・レクイエム』は、そこで刺さる要素を複数持っていた。海外(マンハッタン)を舞台にした大人のミステリー、リアル寄りの画面、会話中心の本格推理。これらは、雑誌を読み込む層――つまり情報収集が好きで、作品の背景や雰囲気を大切にする層――と相性がいい。広告が“内容の格”を語れるジャンルでもあり、作品のトーンと媒体の読者層が噛み合っていたため、紹介文が短くても意味が伝わりやすかった。
当時の反応の典型:評価は高いが「人を選ぶ」がセットで付いてくる
発売当時の評判をイメージすると、「本格的で面白い」という評価と同時に、「手間が多い」「総当たりが必要」「テンポは遅め」といった注釈が付く形が自然だ。つまり、作品の質を否定するというより、作品が提供する体験が尖っていることの確認として“人を選ぶ”が語られる。推理好きにはご褒美だが、快適さを求める人には重い。ここがはっきりしているから、逆にファンが増えた面もある。宣伝や紹介で「硬派」「本格」と言われるほど、好きな層は「自分向けだ」と確信できる。ジャンルの尖りが、むしろ購買の精度を上げる――当時のパソコンゲームならではの構図だ。
後年の再評価につながる“当時の種”:移植・復刻で評判が積み上がる土台
当時の人気や評判が後年の展開に繋がりやすいのは、本作が“骨格の強いミステリー”だったからだ。派手な技術で売った作品は、技術が古びると魅力が落ちやすい。しかし『マンハッタン・レクイエム』は、捜査の構造、人物の関係、都市の空気、会話の温度差といった“時代を超えて効く要素”で支えられている。だから、時代が進んで移植や復刻の機会が増えるほど、「やっぱり面白い」「今遊んでも刺さる」と評判が再点火しやすい。発売当時の支持が単なる瞬間風速ではなく、長期的な語りの燃料として残った――そこがこの作品の強さだ。
まとめ:1987年当時の『マンハッタン・レクイエム』は“硬派な推理体験”として信頼を獲得した
総合すると、当時の人気・評判・宣伝の核は「大人向けの本格推理を、パソコンでじっくり遊べる」という価値提案にあった。リアル寄りのビジュアルは誌面映えし、舞台の都会性は作品の格を上げ、シリーズ物としての継続性は購入の背中を押す。そして、手間やテンポの遅さといった弱点も含めて「人を選ぶ硬派作品」というブランドを固めた。ブームの中心で大衆に消費されたというより、刺さる層に深く刺さって長く支持された――そうした“強い評判の作られ方”こそが、当時の『マンハッタン・レクイエム』らしさだったと言える。
[game-8]






























