【原作】:赤塚不二夫
【アニメの放送期間】:1990年4月21日~1990年12月22日
【放送話数】:全47話(全34回)
【放送局】:テレビ朝日系列
【関連会社】:東映、東映化学
■ 概要・あらすじ
1990年に新たな世代へ向けて復活した『もーれつア太郎』
『もーれつア太郎(第2作)』は、赤塚不二夫とフジオ・プロによる漫画『もーれつア太郎』を原作として制作され、1990年4月21日から1990年12月22日までテレビ朝日系列で放送されたテレビアニメである。1969年にもテレビアニメ化されているため、本作は約20年を経て制作された第2作、あるいは1990年版と呼ばれる作品にあたる。制作は東映動画が担当し、土曜日の夜という家族で楽しみやすい時間帯に放送された。全34回で構成されているが、シリーズ前半と後半では放送形式に変化があり、第1回から第21回頃までは30分枠を使って一つの物語をじっくり描く形式、第22回以降は一回の放送内に二つの短編を組み込む形式が中心となっている。この構成変更によって、前半では人物関係や人情話を丁寧に描き、後半ではテンポの速いギャグや多彩な脇役の活躍を楽しめる作りとなった。物語の中心に立つのは、下町の八百屋「八百×」を守る少年・ア太郎である。ア太郎は父・×五郎と暮らしていたが、物語序盤で父親を事故によって失い、自ら店を切り盛りする立場になる。しかし本作は、この出来事を暗い悲劇としてのみ扱わない。×五郎は幽霊として再び姿を現し、息子の生活を気に掛けながら周囲を騒がせ続ける。死という重い出来事すら、笑い、人情、家族愛へと変えていくところに『もーれつア太郎』らしさがある。ア太郎の周囲には、彼を親分と慕うデコッ八、強烈な自己主張を持つニャロメ、威勢は良いがどこか憎めないココロのボス、男気のあるブタ松、説明のつかない不思議な存在であるケムンパスとべしなど、赤塚作品を象徴する個性的な人物が次々と集まる。八百×という小さな八百屋を中心に、恋愛、借金、友情、親子関係、商売、神様、幽霊、勘違い、争い、騒動など何でも物語へ入り込み、日常と非日常が区別されることなく混ざり合っていく。
ア太郎とデコッ八の出会いから始まる親分・子分の物語
物語の導入で重要になるのが、ア太郎とデコッ八との出会いである。ア太郎と父・×五郎は旅行先で旅館に宿泊し、そこでデコッ八と知り合う。当初のデコッ八はア太郎たちを軽く見るような部分を持っており、すぐに友達になるわけではない。しかしデコッ八の周囲には、ココロのボスたちによる借金取り立てなど深刻な問題が存在していた。事情を知ったア太郎は、自分には直接関係のない出来事でありながら、困っている者を放っておくことができず問題へ飛び込んでいく。この行動を目の当たりにしたことで、デコッ八はア太郎への見方を変える。口先だけではなく、他人のために本気で動ける人物だと理解したデコッ八は、ア太郎を「親分」と認め、自分から弟分としてついていくようになる。この親分・子分という関係は一見古風だが、作品の中では単純な上下関係ではなく、少年同士の友情を別の形で表現したものとして機能している。デコッ八は何でもア太郎の言う通りにする人物ではなく、自分なりの信念や正義感を持つ。ア太郎もデコッ八を手下のように扱うのではなく、大切な弟分として守ろうとする。二人はケンカをしたり意見が食い違ったりすることもあるが、最後には互いを信じる。この関係はシリーズ最終回まで続き、第2作を貫く中心的な友情となっている。
父・×五郎の死と幽霊としての復活
ア太郎の人生を大きく変えるのが父・×五郎の死である。×五郎は決して完璧な父親ではなく、少々頼りなく、お調子者で、むしろア太郎の方がしっかりして見える時さえある。しかし息子への愛情は深く、ア太郎にとってかけがえのない家族である。その父親が突然亡くなるという展開は、ギャグアニメとして考えると非常に大胆である。しかし『もーれつア太郎』は、死別そのものを消してしまうのではなく、幽霊になった×五郎を登場させることで悲しさと笑いを同時に成立させる。×五郎は亡くなったからといって立派な人物に変わるわけではなく、生前と同じように失敗し、調子に乗り、時には騒動を大きくする。それでもア太郎が困っている時には父親として心配し、助けようとする。その姿によって、「父親はもう生きてはいないが、親子のつながりまで消えたわけではない」という温かさが生まれている。一方のア太郎も、父に守られる子どものままでいるのではなく、八百×を守る店主として成長していく。早朝から店を開け、野菜を売り、客と接し、町の人々の相談に乗り、騒動が起これば自分で解決しようとする。子どもでありながら生活そのものを背負う立場となるが、悲劇の主人公を気取ることはなく、いつも通り威勢よく前へ進んでいく。この健気さと強さがア太郎の魅力である。
八百×を中心に広がる何でもありの下町世界
物語が進むにつれて、八百×は単なる八百屋ではなく、町中の人物が集まる一種の拠点となっていく。ア太郎とデコッ八が働いていればニャロメが現れ、ココロのボスが問題を持ち込み、ブタ松が騒動へ関わり、神様まで町へ降りてくる。幽霊、人間、動物のようなキャラクター、超常的な存在が同じ世界で当たり前のように暮らし、それを誰も深く不思議がらない。この「説明しない自由さ」こそ赤塚ワールドの醍醐味である。普通の作品なら、幽霊が存在する理由や、しゃべる猫のような存在が人間社会へ溶け込んでいる理由を設定として説明したくなるところだが、『もーれつア太郎』では面白ければそれでよい。ケムンパスやべしが普通に町の一員として存在していても、誰も真剣に問い詰めない。この大胆さが物語へ独特の軽さを与えている。しかも、その何でもありの世界の中心にあるのが大規模な基地や秘密組織ではなく、野菜を売る小さな八百屋だというところが面白い。巨大な事件が起きても最後には八百×へ戻り、また翌朝には店が開く。日常が繰り返されることで、荒唐無稽な騒動にも不思議な生活感が生まれている。
第2作ならではの再構成と柔らかな物語
1990年版は原作や第1作をそのまま再現した作品ではなく、多くのエピソードを当時のテレビアニメとして見やすい形へ組み直している。人物配置を変更したり、原作では別々の事件に登場するキャラクターを同じ話へ参加させたり、結末をより救いのある方向へ変更したりする例も見られる。そのため原作を強く知る人から見ると印象が異なるエピソードもあるが、第2作全体の方向性は一貫している。誰かが失敗しても完全に排除しない。ケンカをしても最後には仲間のところへ戻る。騒動を起こした者にもやり直す機会がある。この「厳しさよりも人情を重視する」作風によって、1990年版独自の温かさが生まれた。昭和に生まれた原作の江戸っ子的な空気を残しながら、平成初期の子どもたちにも受け入れやすいアニメとして再構築されているのである。
物語の本質は「人を放っておけない」こと
本作の根底には、困っている人を放っておけないという単純だが強い価値観が存在する。ア太郎は正義のヒーローではない。特別な力を持つわけでも、世界を救う使命を背負っているわけでもない。しかし目の前で誰かが本当に困っていれば、結局は首を突っ込む。デコッ八も親分を放っておけず、×五郎は死んでも息子を放っておけない。ニャロメも人間を嫌っているような態度を見せながら、結局は仲間との関係を求めている。ココロのボスですら、完全な悪人として孤立することはない。考えてみれば登場人物のほぼ全員が、誰かとのつながりを求めながら生きているのである。だから本作はギャグアニメでありながら、視聴後に不思議な温かさを残す。何度ケンカしても、次の日になればまた顔を合わせる。失敗しても生活は続く。悲しいことがあっても店は開く。その前向きな日常こそ、『もーれつア太郎(第2作)』最大の物語である。
[anime-1]■ 登場キャラクターについて
ア太郎 声:丸尾知子――八百×を守る義理人情の主人公
ア太郎は本作の主人公であり、八百屋「八百×」を切り盛りする少年である。威勢が良く、困っている人を見ると放っておけない江戸っ子気質の持ち主で、一見すると乱暴そうでありながら根は非常に優しい。父・×五郎を失った後は若くして店を守る責任を背負うが、その境遇を必要以上に嘆かず、毎日元気に商売を続ける。ア太郎が魅力的なのは、何でもできる完璧な主人公ではない点である。思い込みで行動したり、デコッ八と意見が食い違ったり、ニャロメに振り回されて怒ったりすることもある。しかし本当に大切な場面では筋を通し、仲間のために行動する。普段は威勢の良い少年でありながら、×五郎との場面では息子としての寂しさや優しさも見せる。この二面性がキャラクターに厚みを与えている。丸尾知子の演技も、男の子らしい力強さだけでなく、感情の細やかさを感じさせるものとなっており、周囲に強烈な個性を持つ人物が多い中で主人公として作品をまとめる存在となっている。
×五郎 声:はせさん治――幽霊になっても息子を気に掛ける父親
×五郎はア太郎の父親であり、序盤で事故死した後も幽霊として登場を続ける。生前から少々頼りなく、お調子者で、ア太郎に世話を焼かせることも多い人物だが、息子への愛情は本物である。幽霊になってからも八百×やア太郎のことが心配で、人間界へ関わり続ける。普通なら死者という存在は物語を重くしがちだが、×五郎の場合は幽霊になっても性格が変わらないため、むしろギャグの幅を広げる存在となる。突然姿を現したり、他人には見えないため会話が噛み合わなくなったりする設定も笑いに利用される。それでも、ア太郎が本当に苦しんでいる時には父親らしい優しさを見せる。普段の情けなさと真剣な父親の顔との落差が、×五郎を魅力的な人物にしている。
デコッ八 声:頓宮恭子――親分を信じ続ける熱血の弟分
デコッ八はア太郎の弟分であり、作品を支える重要な相棒である。最初からア太郎を尊敬していたわけではないが、困っている者を助ける姿を見たことで彼を親分として認めるようになる。以降はア太郎のそばに立ち、八百×の仕事を手伝い、騒動が起これば一緒に飛び込んでいく。デコッ八は忠誠心が強い一方で、自分の意志を持っているため、単なる手下には見えない。正しいと思ったことには頑固になり、時にはア太郎と衝突することもある。この意見の違いがあるからこそ、二人の友情は生き生きとしている。シリーズ終盤では、ア太郎の方がデコッ八のために必死になる展開が描かれ、親分と子分という形式を超えた深い信頼関係が強調される。
ニャロメ 声:神谷明――赤塚ワールドを象徴する圧倒的な人気者
ニャロメは『もーれつア太郎』を代表するキャラクターの一人であり、主人公以上に印象へ残ることもあるほど強烈な存在感を持つ。猫のような外見ながら人間のように話し、怒り、恋をし、泣き、社会への不満まで口にする。自己主張が激しく、納得できないことにはすぐ反発するため、周囲へ迷惑を掛けることも少なくない。しかし本当は寂しがり屋で、人から認めてもらいたいという気持ちが強い。人間を信じないような態度を取りながら、人間の仲間に入ろうとする矛盾がニャロメの人間臭さにつながっている。神谷明によるエネルギッシュな芝居も強烈で、怒鳴る場面、泣く場面、恋に浮かれる場面など感情の変化が大きい。登場するだけで場面の温度を一段上げてしまう、第2作の看板キャラクターといえる。
ココロのボス 声:八奈見乗児――怖そうで怖くない愛される親分
ココロのボスはA助、B助などを従える親分格の人物である。外見や立場だけを見ると悪役のようだが、シリーズを通して見ると完全な敵ではなく、町のにぎやかな住人の一人という印象が強くなる。威張ったり強引な行動を取ったりする反面、私生活では情けない姿も見せ、恋愛や勘違いが絡むと簡単に調子を崩す。八奈見乗児の独特の節回しによって、強面とコミカルさが絶妙に同居している。ア太郎たちと対立していても、状況次第では協力することがあり、本作の「敵味方を固定しない」世界観を象徴する人物である。
ブタ松 声:吉村よう――豪快さと人情を併せ持つ男気の人
ブタ松は見た目も名前も強烈だが、内面は義理堅く、人情を大切にする人物である。普段は豪快でコミカルな存在ながら、家族や仲間が関わる場面では真剣な顔を見せる。そのギャップが魅力であり、ア太郎とは「筋を通す」という価値観で通じる部分も多い。昔ながらの任侠ものを思わせる雰囲気と赤塚ギャグが融合したキャラクターであり、笑わせるだけでなく、時には物語へ哀愁を与えている。
ケムンパス 声:難波圭一/べし 声:塩屋浩三――説明不能だからこそ面白い名脇役
ケムンパスとべしは、本作のナンセンスな世界観を象徴する存在である。現実的に考えれば何者なのか説明しづらいが、作品世界では誰も深く気にしない。独特の言葉や反応を見せるだけで笑いが生まれ、物語が人情劇へ寄り過ぎた時には「ここは何でもありの赤塚世界である」と視聴者に思い出させる。物語の中心を奪うほど前へ出るわけではないが、一言、一動作だけで場面を成立させる力を持つ。こうしたキャラクターが自然に存在できるところに、『もーれつア太郎』の自由さがある。
モモコ 声:久川綾――騒がしい町に柔らかな空気を運ぶ存在
モモコは男性キャラクターの多い作品世界の中で、華やかさと柔らかさを加える人物である。彼女が関わると、普段は威勢の良い人物たちが急に格好をつけたり、嫉妬したり、恋愛感情を見せたりするため、別の種類のギャグが生まれる。久川綾の明るく柔らかな声質も周囲の濃いキャラクターとの差を際立たせ、物語の雰囲気を変える役割を果たしている。
神様、神様の弟子、A助、B助、その他の登場人物
神様、神様の弟子、天国のおまわりさん、熊五郎、黒猫のタンゴロー、チュー太郎、ピヨコ、スダ子、松代、ミーナなど、本作には多くの脇役が登場する。神様ですら絶対的な存在として描かれず、人間たちの騒動へ巻き込まれ、時には失敗する。A助とB助もココロのボスを支える子分でありながら、厳格な組織というより騒々しい三人組の一員として機能する。こうした多彩な住人がいることで、作品世界には「町全体が生きている」感覚が生まれる。一度だけのゲストではなく、別の話で再登場する人物もいるため、見続けるほど顔なじみが増えていく。この積み重ねが群像劇としての楽しさにつながっている。
キャラクター全体の魅力――誰も完璧ではないから面白い
『もーれつア太郎』の人物たちは、誰も完璧ではない。ア太郎は熱くなりやすく、×五郎は頼りなく、デコッ八は真っ直ぐすぎる。ニャロメはわがままで、ココロのボスは見栄っ張りである。しかし欠点があるからこそ、それぞれが人間臭く感じられる。悪さをした人物でも完全に悪人として切り捨てられず、次の回ではまた仲間として騒ぎに参加する。この距離の近さが、本作の人物関係を温かく見せている。主人公一人だけを好きになる作品ではなく、「八百×の周囲にいる全員がだんだん好きになる」タイプのアニメなのである。
[anime-2]■ 主題歌・挿入歌・キャラソン・イメージソング
音楽からも伝わる下町の勢いと赤塚ギャグ
1990年版『もーれつア太郎』の音楽は、作品の下町感、江戸っ子的な勢い、ナンセンスな笑い、人情味を音によって分かりやすく表現している。単にオープニングとエンディングが用意されているだけではなく、ア太郎、×五郎、ニャロメ、ケムンパス、べし、ブタ松などの個性を生かしたキャラクターソングやイメージソングも制作されている点が特徴的である。それぞれの曲調はロック、子守歌、音頭、股旅調、コミカルソングなど大きく異なり、一枚の音楽作品の中に町全体のにぎやかさを詰め込んだような構成となっている。
オープニング「がってん承知ノ介」
オープニングテーマ「がってん承知ノ介」は、作詞・山口のばら、作曲・編曲・つのごうじ、歌・演奏・紳助&バスガス爆発楽団による楽曲である。曲名そのものがア太郎の性格を象徴しており、「困っているなら任せておけ」と胸を叩くような勢いが感じられる。静かに始まる曲ではなく、最初から一気に作品世界へ引き込む明るさがあり、八百×の店頭でア太郎が威勢よく商売を始めるような印象を与える。ロックやポップスの軽快さに祭り的な楽しさを加えた雰囲気で、一緒に掛け声を入れたくなる親しみやすさも持っている。1990年代初頭のアニメらしい明るさと、さらに昔の下町文化を感じさせる言葉遣いが同居しているため、昭和生まれの作品を平成初期に再構成した第2作に非常によく似合う主題歌となっている。
エンディング「ニャロメのROCK」
エンディングテーマは「ニャロメのROCK」。作詞・園部和典、作曲・古田喜昭、編曲・つのごうじ、歌・演奏・紳助&バスガス爆発楽団が担当している。主人公のア太郎ではなくニャロメを前面へ出したこと自体が本作らしい選択である。ニャロメは反抗心が強く、命令されることを嫌い、失敗しても何度でも立ち上がる。そんな彼の生命力とロックという音楽の相性は良い。オープニングが町全体の活気を表しているとすれば、エンディングはニャロメ一人のエネルギーを凝縮した歌と言える。本編が少し感動的に終わった時でも、この曲が流れることで必要以上にしんみりせず、最後には赤塚ギャグの世界へ戻って終われるところも印象的である。
「ダウンタウン・ボーイ」――ア太郎の生活感を表した主人公曲
「ダウンタウン・ボーイ」は、作詞・そのべかずのり、作曲・つのごうじ、編曲・牧野三朗によるア太郎のキャラクター/イメージソングである。下町で八百屋を営み、町の人々と暮らすア太郎の姿を音楽にしたような一曲で、派手な英雄ではなく生活する少年としての主人公像が感じられる。父を失っても八百×を守り、朝になれば元気に店を開けるア太郎の健気さと前向きさを想像できる曲である。
「わしはMr.×五郎」――幽霊になっても陽気な父ちゃん
「わしはMr.×五郎」は、作詞・栃内淳、作曲・FULTAこと古田喜昭、編曲・牧野三朗、歌・×五郎役のはせさん治によるキャラクターソングである。タイトルからして自信満々だが、どこか間の抜けた×五郎らしさが表れている。死亡後も湿っぽい存在にならず、幽霊になってなお息子のそばで騒ぎ続ける×五郎の明るさを楽しめる一曲である。
「ケムンパスとベシの子守歌」――奇妙な二人だからこそ生まれる落差
「ケムンパスとベシの子守歌」は、作詞・そのべかずのり、作曲・つのごうじ、編曲・牧野三朗、歌・ケムンパス役の難波圭一とべし役の塩屋浩三による楽曲である。普段はギャグの中で奇妙な言動を見せる二人を穏やかな子守歌という形式へ置くことで、独特の面白さが生まれている。主要人物だけではなく、こうした名脇役にまで専用曲が用意されていることからも、作品がキャラクター全体を大切にしていたことが分かる。
「星を見つめるニャロメ」――騒がしいニャロメの孤独な一面
「星を見つめるニャロメ」は、作詞・高田ひろお、作曲・つのごうじ、編曲・牧野三朗、歌・ニャロメ役の神谷明による楽曲である。「ニャロメのROCK」が強烈な自己主張を表しているのに対し、こちらは寂しさや純粋さを感じさせる曲となっている。人間を嫌うような態度を見せながら、本当は誰かに認めてもらいたいニャロメの矛盾した感情を想像しながら聴くと、単なるギャグキャラクターではない奥行きが感じられる。
「ベジタブル・ワンダフルーツ」――八百屋の主人公だから作れる野菜ソング
「ベジタブル・ワンダフルーツ」は、作詞・栃内淳、作曲・FULTA、編曲・牧野三朗によるア太郎の楽曲である。八百屋が物語の中心という作品設定をそのまま音楽に結び付けた楽しい曲で、野菜や果物のにぎやかな店頭を思い浮かべられる。主人公が世界を救う戦士ではなく、町の八百屋の少年だからこそ成立する、『もーれつア太郎』ならではのイメージソングである。
「ココロのボスのココロ」――強面の中にある人間臭さ
「ココロのボスのココロ」は、作詞・そのべかずのり、作曲・歌・つのごうじ、編曲・牧野三朗による楽曲である。威張っているようで実は弱いところもあり、恋愛や失敗で簡単に調子を崩すココロのボスの内面を、コミカルに楽しめる一曲となっている。
「ブタ松三度笠」――男気と哀愁を感じさせるキャラクターソング
「ブタ松三度笠」は、作詞・赤塚不二夫、補作詞・そのべかずのり、作曲・つのごうじ、編曲・牧野三朗、歌・ブタ松役の吉村ようによる楽曲である。股旅物や任侠物を連想させる雰囲気を持ち、義理人情に厚いブタ松の性格とよく合っている。普段はコミカルなキャラクターを、一曲の中では昔の任侠映画の主人公のように扱う本気と冗談の境界線が面白い。
「もーれつア太郎音頭」――町内全員で踊れそうな一曲
「もーれつア太郎音頭」は、作詞・そのべかずのり、作曲・FULTA、編曲・牧野三朗、歌・池田勝紀、台詞・ア太郎による音頭曲である。下町を舞台とした作品だけに盆踊りや夏祭りを思わせる音頭形式がよく似合う。嫌なことがあっても最後は皆で笑い飛ばそうという雰囲気は、失敗しても翌日にはまた八百×を開く本作の前向きな精神とも重なる。
劇中BGMが支えるギャグと人情の切り替え
本作の劇伴は、追いかけっこ、勘違い、恋愛、人情話、超常的な出来事など、頻繁に変化する場面の空気を支える重要な存在である。ギャグ場面では軽快にテンポを上げ、×五郎やア太郎の親子関係を描く場面では落ち着いた雰囲気へ変化する。笑いと感動が短時間で切り替わる作品だからこそ、BGMの役割は大きい。主題歌、キャラクターソング、劇伴を合わせて聴くことで、八百×の町が音楽面からも立体的に感じられる。
[anime-3]■ 魅力・好きなところ
ギャグの中に人情が自然に入り込んでいる
『もーれつア太郎(第2作)』最大の魅力は、騒々しいギャグを楽しんでいるうちに、いつの間にか人情物語へ引き込まれていることである。ニャロメが暴れ、ココロのボスが威張り、ケムンパスやべしが意味不明な行動を見せる一方で、その奥では家族、友情、孤独、恋愛、生活といった身近な感情が描かれている。感動を押し付けるのではなく、ギャグの最後に誰かが誰かを許したり助けたりすることで自然に温かさを残すところが良い。
ア太郎と×五郎の親子愛
特に好きになりやすいのがア太郎と×五郎の関係である。父親が亡くなるという重い設定を持ちながら、×五郎が幽霊となって戻ることで物語は悲劇だけでは終わらない。×五郎は死んでも息子が心配で、ア太郎は父親を大切に思いながらも自分の足で生活を続ける。父が何でも解決してしまうわけではなく、息子も父に依存しない。この適度な距離感が、親子の愛情をより印象的にしている。
ア太郎とデコッ八の友情
親分と子分という言葉だけを見ると上下関係に見えるが、実際の二人は強い友情で結ばれている。デコッ八はア太郎を心から信じ、ア太郎もデコッ八を大切な弟分として扱う。意見が食い違い、ケンカするからこそ、信頼が試される場面に重みが出る。シリーズ終盤でデコッ八が危機に陥った時、ア太郎が彼のために必死になる姿には、長い物語の積み重ねが感じられる。
ニャロメが騒動を引き起こすだけで面白い
ニャロメの魅力は、何をするか分からないところにある。恋をすれば一直線、失敗すれば大騒ぎ、納得できなければ相手が誰であろうと反発する。しかし本当は寂しがり屋であり、周囲から認めてもらいたいという弱さを持つ。この「面倒なのに放っておけない」性格が、ア太郎たちだけでなく視聴者まで引き付ける。登場しただけで事件が起こりそうな期待感を持たせるキャラクターである。
八百×という日常的な舞台
主人公の拠点が八百屋という点も非常に魅力的である。世界を救う秘密基地ではなく、近所の人が野菜を買いに来る店が物語の中心にある。その日常的な場所へ幽霊や神様や奇妙な生物が普通に現れるからこそ、非日常がさらに面白く見える。何が起きても最後には八百×へ帰るという構成によって、視聴者にも「戻る場所」が生まれている。
前半と後半で異なるテンポを楽しめる
前半は一つの物語をじっくり描くため、人物同士の感情や事件の展開を楽しみやすい。後半は二本立て形式が中心となり、短い時間で次々と異なるキャラクターへスポットが当たる。シリーズが進むほど町全体へ視点が広がり、「今日は誰が騒動を起こすのか」という楽しみが強くなる。形式を変えたことで作品のマンネリ化を防いでいる点も面白い。
くだらないことを本気で描く赤塚ギャグ
本作には、言葉遊び、追いかけっこ、変顔、勘違い、突拍子もない設定など、単純で分かりやすいギャグが数多く登場する。しかし制作側がそのくだらなさを中途半端に扱わず、本気で大騒動へ発展させるため面白い。小さな誤解から町全体が巻き込まれるほど話を膨らませる勢いは、現在見ても気持ち良い。理屈ではなく笑えれば良いという自由さが、この作品にはある。
悲しい出来事でも希望を残すところ
死別、貧しさ、失恋、孤独など意外に重い題材が扱われることもあるが、最後には希望を残すことが多い。×五郎は亡くなっても息子を見守り、ニャロメが傷ついても完全に一人にはならない。失敗した者にもやり直す機会がある。世の中には嫌なことがあっても、それですべてが終わるわけではないという感覚が、説教ではなく物語の中から自然に伝わってくる。
最終回に凝縮される友情と人情
シリーズ最終回では、デコッ八を救おうとするア太郎の姿が強く印象に残る。普段はデコッ八が親分のために動くことが多かっただけに、最後に立場が逆転し、ア太郎が弟分のために必死になることで二人の関係が完成する。単なる親分・子分ではなく、互いにかけがえのない存在になっていたことが伝わる。町の人々まで巻き込む展開からも、本作が一人の英雄の物語ではなく、八百×を中心にした共同体の物語だったことが分かる。
今見ても古くならない「人を放っておけない心」
町並みや言葉遣いには時代を感じても、人を思う気持ちは古くならない。ア太郎は困った人を放っておけず、×五郎は息子を放っておけず、デコッ八は親分を放っておけない。ニャロメも文句を言いながら結局は仲間のところへ戻ってくる。この「面倒だけれど縁を切れない」関係が、本作を何十年経っても温かく感じられる作品にしている。
[anime-4]■ 感想・評判・口コミ
全体的な感想――想像以上に人情味の濃い作品
『もーれつア太郎(第2作)』を見返した時に感じやすいのは、単純なドタバタギャグだと思っていた以上に人情が強いということである。子どもの頃にはニャロメの大騒ぎやケムンパス、べしの奇妙な姿だけが印象に残っていた人でも、大人になって見るとア太郎の責任感、×五郎の父親としての思い、デコッ八の友情などへ目が向きやすい。年齢によって見える部分が変わる作品である。
ア太郎への感想――健気で応援したくなる主人公
父を失いながら八百屋を守るア太郎には、健気、しっかりしている、責任感が強いという印象を持ちやすい。しかも常に完璧ではなく、間違えたり感情的になったりするため親しみやすい。失敗しても最後には筋を通そうとする姿が、主人公として好感を持たれる理由である。子どもの時には威勢の良い少年として、大人になってからは若くして生活を背負う少年として違った見方ができる。
ニャロメへの感想――うるさいのに忘れられない
ニャロメについては「とにかく騒がしい」「わがまま」「でも嫌いになれない」という感想につながりやすい。問題を起こす側に回ることが多いのに、寂しさや恋愛感情を見せることで同情したくなる瞬間もある。登場するだけで画面がにぎやかになるため、最終的に主人公以上に記憶へ残る視聴者がいても不思議ではない。
声優陣の演技がキャラクターをさらに濃くする
丸尾知子、はせさん治、頓宮恭子、神谷明、八奈見乗児、吉村よう、難波圭一、塩屋浩三など、個性的な声優陣の演技も作品の評価につながる。ニャロメの爆発的な感情、ココロのボスの独特の間、×五郎の親しみやすい父親像など、声を聞くだけで人物が浮かんでくる。1990年前後のテレビアニメらしい、キャラクターの個性を大きく押し出す芝居が好きな人には特に楽しみやすい。
ギャグは時代を感じるが、その古さも味になる
追いかけっこ、勘違い、言葉遊び、大げさなリアクションなど、現在とはテンポや笑いの作り方が異なる部分はある。そのため若い視聴者には古風に感じられる可能性もある。しかし、キャラクターの性格が分かるほど同じ種類のギャグでも面白くなり、「ニャロメならまたやるだろう」「ココロのボスなら失敗しそう」と予想しながら楽しめるようになる。一話だけよりも何話か続けて見ることで味が出る作品である。
人情回は思った以上に胸へ残る
ギャグ作品だけに、突然訪れる真面目な場面が強く心へ残る。×五郎とア太郎の親子関係、デコッ八との友情、ニャロメの孤独など、普段笑わせる人物が真剣な感情を見せる時の落差が大きい。泣かせることだけを目的とせず、最後はまた日常へ戻るため、しつこさがない。少し胸が温かくなったところで次の騒動へ進む、その軽さが作品らしい。
1990年版のアレンジは優しい方向へ再構成されている
原作や第1作を知っている人にとっては、結末や人物配置の変更が気になることもある。原作のブラックな部分が好きな人には柔らかくなり過ぎたと感じられる可能性もあるが、第2作単体で見ると、人とのつながりを重視した作風として一貫している。過去作品の完全再現ではなく、1990年当時の子どもたちへ向けて再設計された『もーれつア太郎』として見ると理解しやすい。
主題歌の記憶力が非常に強い
「がってん承知ノ介」は題名からして記憶へ残りやすく、曲を聞けば八百×のにぎやかな世界を思い出しやすい。「ニャロメのROCK」も、最後までニャロメに騒がせるという作品らしいエンディングである。映像だけでなく音楽によって当時の記憶が戻る人も多く、作品の懐かしさを支える重要な要素となっている。
現代から見ると人間同士の距離の近さが新鮮
親分と子分、近所付き合い、他人の問題へ遠慮なく首を突っ込む人々など、現在とは異なる人間関係が描かれている。しかし、その距離の近さが作品の魅力でもある。誰かが困れば町全体が騒ぎ、ケンカしても完全には縁を切らない。個人主義的な生活が一般的になった現在から見ると、むしろ新鮮に感じられる部分である。
第1作と第2作は優劣ではなく世代によって印象が変わる
1969年版を最初に見た人には旧作の声や雰囲気が基準になり、1990年版を子どもの頃に見た人には丸尾知子や神谷明たちの演技が『もーれつア太郎』そのものになる。そのため、どちらが絶対に優れているというより、視聴した時代によって思い入れが変わる作品である。第2作は過去作を知らなくても一から理解できるため、単独作品として見られる点も大きな長所である。
総合的な評判・感想――登場人物を好きになるほど面白くなる作品
この作品の面白さは、派手なストーリーよりも町の住人と付き合うことにある。最初は奇妙に見えたニャロメやココロのボスたちも、何話も見ているうちに顔なじみになり、登場しただけでうれしくなる。失敗しても次の日があり、怒ってもまた会える。八百×の店先へ何度でも戻りたくなるような親しみがある。大規模な世界観や複雑な伏線がなくても、キャラクターと日常の積み重ねだけで長く記憶へ残る作品である。
[anime-5]■ 関連商品のまとめ
1990年版関連商品は映像・音楽・書籍を中心に集めると分かりやすい
『もーれつア太郎(第2作)』の関連商品は、現在の人気アニメのように大量のフィギュア、アクリルスタンド、スマートフォン向けゲームなどが展開されたタイプではない。テレビ放送当時は音楽商品、コミックス、児童向け書籍、文房具や雑貨といった子ども向けの商品が中心で、その後DVD化や復刻キャラクターグッズなどによって作品が再び商品化されてきた。さらにニャロメ、ケムンパス、べしは原作や旧アニメ時代から長く使われているため、1990年版の商品と後年の赤塚不二夫キャラクター商品が中古市場で混在しやすい。収集する場合は発売年、メーカー、コピーライト表記、キャラクターデザインなどを確認すると判別しやすい。
DVD――1990年版全34回をまとめて楽しめる重要商品
映像商品では、1990年版全34回をまとめて収録したDVD-BOXが最も重要なコレクター商品となる。第2作を物理メディアで一括所有できる点に加え、ブックレットや復刻ステッカーなどが付属した仕様のため、本編を見るだけでなく資料としても価値がある。中古で購入する場合は、外箱、ディスク、ブックレット、ステッカーなどの付属品がそろっているかを確認した方がよい。視聴目的だけならディスクが再生できれば十分だが、コレクション目的では完品と欠品ありの商品で満足度が大きく変わる。
VHSなど過去の映像媒体
放送当時から後年にかけて、テレビアニメはVHSなどで保存・販売されることも多かったが、現在ではDVDよりさらに状態差が大きい。テープのカビ、ケースの割れ、ジャケットの退色、映像ノイズなどが問題となるため、実用的な視聴媒体としてより、当時の映像文化を残すコレクションとして見る方が適している。中古市場で見つけた際には、1990年版なのか旧作なのかをジャケットの絵柄や発売年から確認したい。
主題歌8cmCD――平成初期アニメらしいコレクターアイテム
「がってん承知ノ介」「ニャロメのROCK」を収録した主題歌シングルは、8cmCDという時代を感じさせる形態で発売された。現在では8cmCD自体が懐かしいメディアとなっているため、作品ファンだけでなく1990年代アニメ音楽を集めるコレクターにも注目されやすい。歌詞カード、ケース、盤面、ジャケットの折れなどが中古価値に影響しやすく、きれいな完品は見つけにくくなっている。
『もーれつア太郎 ヒット曲集』――キャラクターソングを楽しめる代表的音楽商品
音楽商品で特に重要なのが『もーれつア太郎 ヒット曲集』である。主題歌だけでなく、ア太郎、×五郎、ニャロメ、ケムンパスとべし、ブタ松、ココロのボスなどを題材とした楽曲がまとまっており、第2作のキャラクター音楽を一度に楽しめる。現在は中古アニメCDとして流通しており、一般的な中古CDより見つけにくい場合がある。CD版だけでなくカセットテープ版なども存在するため、媒体違いまで集めるとコレクション性はさらに高くなる。カセットの場合はテープの伸びやカビなど経年劣化に注意が必要である。
原作コミックス――1990年の再アニメ化に合わせた刊行
1990年のアニメ化に合わせて講談社から刊行されたコミックスも重要な関連商品である。放送と近い時期に全巻が展開されたため、当時アニメを見た子どもが原作へ触れる入口として機能した。現在は古書店やオークション、フリマなどで単巻やセットが流通する。読むだけなら比較的手頃なものもあるが、同じ版で全巻をきれいにそろえるとなると難易度は上がる。30年以上経過しているため、日焼け、カバーの色あせ、シミ、値札跡、ページの折れなど状態差が大きい。
テレビ絵本・児童向け書籍――1990年版のビジュアルを楽しめる資料
テレビアニメ版の絵柄を使用した絵本やクイズ本などは、第2作の雰囲気を直接感じられる紙物として魅力がある。原作漫画とは異なり、1990年版のキャラクターデザインや色使いがそのまま使われているため、アニメ版だけを集めたい人に向いている。児童向け商品は実際に子どもが読んでいた可能性が高く、名前の書き込み、落書き、ページ破れ、シール貼付などが残っていることも多い。未使用に近い状態のものはそれだけで珍しくなりやすい。
児童雑誌・掲載誌――作品だけでなく1990年当時の空気を楽しめる
『コミックボンボン』『テレビマガジン』など、放送当時の児童向け雑誌に掲載された記事や漫画も関連資料となる。雑誌の魅力は『もーれつア太郎』だけではなく、同じ時期に人気だったアニメ、玩具、ゲームなどが一冊に詰まっていることである。1990年当時の子ども文化そのものを保存した資料として楽しめる。付録が残っている完品、応募券が切り取られていないもの、表紙にア太郎が大きく掲載された号などは、よりコレクター向きである。
文房具――使われて消えたからこそ未使用品は貴重
ノート、下敷き、鉛筆、筆箱、シール、メモ帳など、子ども向けアニメでは文房具が定番商品である。この種の商品は「使うこと」が前提だったため、30年以上経過した現在、未使用で残る品は少ない。使用済みでも当時物として価値はあるが、袋入りのまま保存されたものや未使用シールなどは、実用品以上にコレクション資料として魅力的である。
ニャロメを中心とした後年のキャラクター商品
ニャロメは『もーれつア太郎』を超えて赤塚不二夫を代表するキャラクターの一つとなっているため、後年もキーホルダー、フィギュア、衣類、ステッカー、バッグ、雑貨などさまざまな商品に使用されている。ケムンパスやべしも同様に、赤塚キャラクター集合商品へ登場することがある。これらは必ずしも1990年版アニメの商品ではないが、『もーれつア太郎』関連キャラクターを広く集める場合には魅力的な対象となる。
ホビー・玩具――巨大シリーズより小物を一つずつ探す楽しみ
巨大ロボットアニメや変身ヒーロー作品のように大量の大型玩具が展開された作品ではないため、『もーれつア太郎』の玩具収集は、一つの大シリーズをそろえるというより、シール、ミニ玩具、雑貨、キャラクター小物などを少しずつ探していく楽しみが大きい。昭和・平成レトロ玩具を扱う専門店やオークションなどでは、一般の中古ショップでは見かけない珍しい物が出ることもある。
ゲーム・ボードゲーム関連は年代確認が重要
1990年版を題材とした家庭用ゲームが大規模に展開された作品ではないため、「ア太郎のゲーム」として出品されているものを見つけた場合は、旧作関連商品なのか、赤塚キャラクター集合企画なのか、1990年版独自の商品なのかを確認した方がよい。ボードゲーム、カード、ゲーム的玩具なども同様で、発売元や年代表記をチェックすることで誤購入を防ぎやすい。
お菓子・食品・販促品――残りにくいからこそ資料価値が生まれる
食品や菓子商品は中身が消費されるため、現在残るとすればパッケージ、シール、カード、おまけ、販促ポスターなどが中心となる。こうした消耗品は保存を前提としていなかったため、現存数が少なくなりやすい。中古市場で見つけた場合も、1990年版のものか後年の赤塚キャラクター商品かを確認する必要がある。
中古市場で特に注目したいのはDVD・音楽CD・紙物
現在の中古市場で比較的分かりやすい収集対象は、DVD-BOX、主題歌8cmCD、『ヒット曲集』、講談社版コミックス、テレビ絵本、児童雑誌などである。DVDや音楽CDは付属品の有無が価値へ反映されやすく、紙物は日焼けや書き込みなど状態差が大きい。出品価格だけで相場を判断するのではなく、複数の中古ショップや過去の取引例を比べると購入しやすい。非常に高額な出品が一件あるからといって、それが実際の成約相場とは限らない。
オークション・フリマで検索する時のコツ
中古市場で探す際には、「もーれつア太郎 1990」「もーれつア太郎 第2作」「DVD-BOX 4」「ヒット曲集」「ニャロメ 1990」「講談社 もーれつア太郎」など、作品名だけではなく年代や商品名を追加すると探しやすい。1969年版、原作商品、1990年版、後年の復刻品が混ざりやすいため、商品写真と発売年を確認することが重要である。特にアニメ第2作だけを集めたい場合は、キャラクターデザインや東映動画の表記などが有力な判断材料となる。
関連商品の総まとめ――平成初期のアニメ文化を残すコレクション
『もーれつア太郎(第2作)』の関連商品は、現在のアニメ商品のように量で圧倒するタイプではない。しかし、8cmCD、カセットテープ、児童絵本、コミックス、雑誌、文房具、DVDなど、一つ一つの商品から1990年前後のアニメ文化を感じられるところが魅力である。物語そのものを楽しむなら映像ソフト、音楽を重視するなら主題歌CDやヒット曲集、当時の子ども文化まで味わいたいなら絵本や雑誌と、集める方向によって楽しみ方が変わる。またニャロメを中心に後年まで続く赤塚キャラクター商品へ範囲を広げれば、フィギュアや雑貨など収集対象はさらに増える。ア太郎、デコッ八、×五郎、ニャロメたちが描かれた古いパッケージや本を手にすることは、単に一つのアニメグッズを所有することではなく、1990年にテレビの前でこの作品を楽しんでいた時代の空気まで保存することにつながる。そう考えると、『もーれつア太郎(第2作)』の関連商品は、赤塚不二夫作品のファンだけでなく、昭和から平成へ移り変わった時期のアニメ文化やキャラクター商品史を楽しみたい人にとっても、非常に奥深いコレクション分野なのである
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