『機動戦士Vガンダム』(1993年)(テレビアニメ)

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【原作】:矢立肇、富野由悠季
【アニメの放送期間】:1993年4月2日~1994年3月25日
【放送話数】:全51話
【放送局】:テレビ朝日系列
【関連会社】:サンライズ、電通、創通エージェンシー

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■ 概要

放送枠と「久々のTVシリーズ」という存在感

1993年4月2日から1994年3月25日まで、テレビ朝日系列の夕方枠で全51話が放送された『機動戦士Vガンダム』は、いわゆる“宇宙世紀もの”の流れを受け継ぎつつ、前作の知識がなくても物語へ入っていけるように設計されたテレビシリーズだ。大きな看板としての「ガンダム」でありながら、当時の視聴者の世代交代を強く意識しており、歴代作が積み重ねてきた“宇宙の政治ドラマ”をそのまま繰り返すのではなく、「この作品から見始めても分かる」入り口を作ろうとしているのが特徴になる。 また、ガンダムのテレビシリーズとしてしばらく間が空いていたこともあり、“新しいガンダムを毎週追う”という体験自体が作品の空気を形作っていた。玩具やホビー、雑誌展開まで含めて、当時のアニメ文化の中で「毎週更新される大河」として存在し、同時に物語が進むほど視聴者側の感情も揺さぶられていくタイプの作品だと言える。

舞台は宇宙世紀0153年――「地球から始まる」異色のスタート

年代は宇宙世紀0153年。連邦政府の統治が形だけになり、各地で武装勢力や新興国家が台頭する、いわば“戦国時代”のような混乱が広がっている。ここでのポイントは、物語の出発点がコロニーではなく地球側に置かれていることだ。宇宙世紀=宇宙という固定観念をいったん外し、土や森や海の匂いがする場所から戦争が迫ってくる構図を取っている。 その結果、序盤は「日常が侵食される怖さ」が強い。空の向こうから理不尽に降ってくる暴力に、少年が巻き込まれ、逃げ、選び、そして戻れなくなる。宇宙規模の政治劇の前に、まず“暮らしの現場”が描かれることで、戦争が生活をどれほど乱すのかを体感させる導入になっている。

主人公ウッソの年齢設定が生む“軽さ”と“重さ”の同居

主人公ウッソは13歳。シリーズの中でも特に若い部類で、この設定は作品の手触りを決定づけている。子どもらしい反射神経、発想の柔らかさ、怖さをごまかす勢い――そうした要素が戦闘の工夫や機転として表に出る一方で、彼が背負わされる状況はあまりに苛烈で、年齢との落差が痛みとして残る。 さらに、ウッソは「選ばれた天才」らしい瞬間と、「ただの子ども」へ引き戻される瞬間を何度も行き来する。視聴者は、彼の強さを称賛した直後に、その強さが人間を壊す装置にもなり得ることを突きつけられる。だからこそ本作は、分かりやすい勝利や成長だけで進まず、勝ったはずの戦いが次の喪失へ繋がる感覚を繰り返す。

敵と味方の二項対立で終わらない「人間が崩れていく」描写

本作の語り口は、序盤こそ活劇の骨格を持ちながら、進むほどに人間ドラマの温度が変わっていく。戦争は正義と悪の舞台装置ではなく、精神を削り、価値観を歪ませ、時に“説明不能な行動”として噴き出すものだ――という見せ方が徹底している。 ここで描かれるのは、冷静な軍事計画よりも、恐怖、焦り、信仰、執着、劣等感、恋慕といった感情の連鎖だ。登場人物は善人であろうとしても余裕を失い、逆に悪人であっても迷いや憐れみを覗かせる。戦場が長引くほど、誰かの“まともさ”が少しずつ剥がれていき、その剥がれ方が視聴者にとって忘れがたい傷として残る。 その意味で『機動戦士Vガンダム』は、戦闘の勝敗より「戦争環境が人間をどう変質させるか」を語る比重が大きい作品だ。

宗教・民族・救済――テーマが濃くなるほど、風景が意味を持ち始める

物語の中盤以降、宗教観や民族意識、救済の言葉と暴力の同居といった要素が前に出てくる。単純な国家戦争ではなく、「信じるもの」を軸に人がまとまっていく怖さ、または信じることでしか立っていられない弱さが、戦場の選択を左右する。 舞台としての“ヨーロッパ的な地域”が選ばれているのも、単なる異国情緒のためではない。国境や文化が複雑に重なる土地を想起させることで、「誰の土地で、誰の正しさなのか」が揺れる空気を作っている。景色が綺麗であるほど、そこで起きる破壊が際立ち、視聴者は“人が生きる場所”を守る意味を考えさせられる。

メカニックの方向性:シンプルな主役機と、異様さで押してくる敵側

主役機のヴィクトリーガンダムは、見た目の記号性が強く、玩具としても成立する合体変形ギミックを備えた“分かりやすいガンダム”として設計されている。ヒロイックなシルエットでありながら、小型化や運用思想など、戦争の現実に合わせた工夫も盛り込まれているのが面白い。 対して敵側のメカは、既存の“軍用っぽさ”からわざと外したような発想が目立つ。ローターによる飛行、乗り物の形をした兵器、異形のカメラアイなど、理屈よりも異物感が先に立つデザインで、「未知の侵略者」としての不気味さを強調する。主役が“正統派の整理されたデザイン”であるほど、敵の奇妙さが心理的圧力になる構図だ。

キャラクターデザインと画面の感触――柔らかさがあるのに、心が痛い

キャラクターの線は比較的すっきりしていて、親しみやすさがある。表情も豊かで、日常芝居の場面は温度が伝わりやすい。にもかかわらず、物語が進むほど視聴者の心に残るのは“痛み”の感触で、柔らかな絵柄がむしろ残酷さを際立たせる瞬間がある。 このギャップが本作の強烈さの源でもある。いかにも重厚で暗い絵で殴ってくるのではなく、普通に見える画面の中で普通が崩れるからこそ、後味が消えない。視聴体験としては、楽しいロボットアニメの体裁を保ちながら、気づけば感情の深い場所まで踏み込んでくるタイプだ。

音と歌が担う役割:戦争の息苦しさの中に“前へ進む力”を残す

主題歌・挿入歌は、作品の重さに沈み込みすぎないための支えとして機能している。戦場で奪われるものが増えるほど、歌や旋律が持つ“人間の側の時間”が大切に聞こえてくる。特に挿入歌は、戦闘を盛り上げるというより、登場人物が本来持っていた感情や生活の輪郭を呼び戻す役割が強い。 その結果、本作の音楽は「悲壮感を増幅させる装飾」ではなく、「それでも生きる」という感触を残すための装置になっている。視聴者の記憶に残るのは、派手さよりも、ふと胸を締めつけるような余韻だろう。

シリーズの中での立ち位置:宇宙世紀の終端に近い場所で、戦争を“地上”へ引き戻した作品

宇宙世紀作品として見たとき、本作は「遠い未来の宇宙世紀で、なお戦争が終わらない」という事実を突きつける。一方で、旧作の英雄譚や大事件の続きとしてよりも、“新しい混乱の時代を生きる人々”に焦点を当てているため、伝説の延長線というより、同じ歴史の別の痛みとして立ち上がってくる。 戦争が長く続いた世界で、政治や軍事の構造が変質し、理念よりも恐怖や救済の言葉が人を動かしていく――その変化を、少年兵の視点で追いかける点が独特だ。監督の矢立肇、富野由悠季作品らしい、希望と絶望の混ざり方、そして“終わり方”への強い意志も感じられる。

「合わない」と感じる人がいる理由まで含めて、忘れがたいガンダム

『機動戦士Vガンダム』は、誰にでも勧めやすいタイプの作品ではない。明るさを期待すると重さに驚き、戦記物を期待すると情念の濃さに戸惑い、王道のカタルシスを求めると喪失の連続に言葉を失う。けれど、その“刺さり方の強さ”こそが本作の個性で、視聴後に残るのは、好き嫌いを超えて「戦争を描くとは何か」という問いだ。 主人公の小さな背中に、世界が押し寄せ、守りたい人が増え、失うものが増え、それでも歩かされる。その過程を51話で積み上げたからこそ、本作は宇宙世紀の中でも特異な熱量を持つ。視聴者が抱く感想が割れやすいのも、作品が“安全な場所”に着地しないからであり、そこにこの作品ならではの凄みがある。

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■ あらすじ・ストーリー

宇宙世紀0153年、戦乱が“当たり前”になった時代の息苦しさ

宇宙世紀0153年。かつて地球圏を束ねていた地球連邦は、名目の上では巨大な統治機構を保っているものの、実際には各地域の火種に手を回しきれず、政治も軍も「あるだけ」で機能しない場面が増えていく。戦争は、国家同士の宣戦布告というより、局地的な占領、治安名目の弾圧、思想による分断、資源や拠点の奪い合いとして日常へ染み込む。人々は“どこかで起きている争い”を、次の瞬間には“自分の家の裏庭の争い”として受け取ることになる。 そんな空気の中で勢力を伸ばしていくのが、サイド2を拠点に台頭したザンスカール帝国だ。彼らは宗教的な救済を匂わせる理念を掲げ、人々の不安と疲弊に付け込むように支持を拡大し、やがて「帝国」という形で外へ膨張していく。表向きは秩序や救いを語りながら、実態は恐怖で黙らせる――その二重構造が、物語全体の不穏さを強める。

地球の片隅カサレリア、少年ウッソの“巻き込まれ”から物語が動き出す

舞台の始点は、戦争の最前線ではない、ヨーロッパの山間部のような地域にある小さな土地カサレリア。少年ウッソ・エヴィンは、自然の中で身軽に動き回り、空を滑る遊びに夢中になれる年頃だ。だが、その空に突然、軍用モビルスーツが降りてくる。ザンスカール側の地上部隊が拠点を広げるために進出し、抵抗する民間組織や小規模勢力との衝突が発生する。 ここでウッソは、ただ逃げるだけでは生き残れない状況に追い込まれる。戦闘の火花が日常を焼き、友人や憧れの存在が危険に晒される。少年の行動原理は、最初から大義ではなく「目の前の誰かを守りたい」「この場から生きて帰りたい」という切実さだ。その切実さが、やがて彼を“兵士の道”へ押し出してしまうのが、本作の恐ろしいところでもある。

リガ・ミリティアとの接続――抵抗組織が抱える“綱渡り”の現実

ザンスカール帝国の侵攻に対抗するのは、連邦の正規軍ではなく、民間人や離反者、志願者が寄り集まって作った抵抗組織リガ・ミリティアだ。彼らは寄せ集めでありながら、戦い続けるために独自の技術基盤を持ち、象徴となるモビルスーツを用意する。だが、その象徴を運用するには、誰かが“乗る”必要がある。 ウッソはそこで、本人の意思だけではない形で戦争の中心へ引き寄せられる。彼の身体能力、直感、異常な適応力は、戦闘の中で突出した結果を生み、それが周囲から「使える」という評価へ変わる。ここが痛い。才能があるほど、守られるべき子どもが最前線に固定されていく。リガ・ミリティア側も理想だけで動けず、勝つため、守るために、ウッソに過剰な役割を背負わせる。

ヴィクトリーガンダムという“象徴”の重さと、戦いが奪っていくもの

ヴィクトリーガンダムは、ただの新型兵器ではない。劣勢の抵抗組織にとって、それは希望の旗印であり、戦意をつなぐ看板だ。ウッソがそのパイロットとして立つことは、個人の選択以上に“象徴の担い手”になることを意味する。 序盤は、機転とスピード感のある戦闘で、ウッソが奇襲や工夫で勝ち筋を掴む場面が多い。視聴者は「この子はすごい」と感じる。しかしその直後に、勝利が喪失に繋がる展開が来る。仲間が散り、町が壊れ、逃げ場がなくなる。勝ったのに状況が良くならない。戦争は“勝つこと”より“終わらせること”が難しいという現実が、少年の目線で刻まれていく。

カテジナとシャクティ――“守りたい存在”が戦争の形を変えていく

ウッソの周囲には、日常の象徴としての幼馴染シャクティ・カリンがいる。彼女は戦闘員ではないが、避難や支援、そして人間関係の結び目として物語を支える存在だ。ウッソが踏ん張る理由の多くは、彼女のような“普通の人”を守りたいという願いに根ざしている。 一方で、ウッソが憧れ、心を寄せる女性カテジナ・ルースは、戦争の中で立場も心も揺れ、ウッソの感情を複雑にしていく。彼女は単なるヒロイン枠ではなく、戦争が人をどこへ運ぶのかを示す鏡のような存在だ。守りたい相手が、守る側と守られる側の関係に留まらず、敵味方の境界に絡みつき、ウッソの心を引き裂いていく。

ザンスカール側の人物たち――“敵”にも生活と理屈がある怖さ

ザンスカール帝国は単純な悪役軍団ではない。彼らの中にも、誇り、野心、恐怖、信仰、居場所の希求があり、その感情のゆがみが“帝国の暴力”として統合されている。現場の兵士が全員狂人というわけではないからこそ、暴力が制度として回り始めた時の恐ろしさが際立つ。 そして、ウッソの前に立ちはだかるクロノクル・アシャーは、敵方の中でも特に物語の芯に関わる存在として描かれる。彼は「ただ倒されるべき敵」ではなく、戦争が続くほどに執着と焦りを強め、ウッソという存在を自分の運命に結び付けていく。二人の関係は、好敵手という軽い言葉で済まない粘着質な因縁を帯び、終盤へ向けて緊張を増していく。

地上戦から宇宙へ――戦場が広がるほど、逃げ場が消えていく

物語は地球の局地戦から始まるが、戦線が動くにつれて、戦いは宇宙へ持ち上がっていく。ここで重要なのは、舞台が変わっても“日常に戦争が入り込む”構図が変わらないことだ。場所が宇宙になれば非日常になるのではなく、むしろ逃げ場が減っていく。 ウッソは戦いの中で、自分の家族の事情や、周囲の大人たちが隠していた真実にも触れていく。戦争は、銃撃や爆発だけでなく、嘘や沈黙、別れによっても人を傷つける。少年が知るには早すぎる現実が、次々と視界へ入ってくる。

シャクティの“立場”が明らかになるとき、戦争は思想の色を濃くする

戦いが進むにつれ、シャクティが単なる避難民の少女ではいられない事情が浮かび上がる。政治と宗教、そして血筋の問題が、彼女の存在価値を急激に高め、周囲の大人たちが彼女を「守る」だけでなく「利用する」視線を持ち始める。 ここで物語は、モビルスーツ戦の勝ち負けよりも、救済や信仰が人を動かす力に踏み込む。誰かの“祈り”が、別の誰かの“支配”と表裏一体になる。その渦に、シャクティの純粋さが巻き込まれていくのは、見ていて胸が痛い。

V2ガンダムと“光の翼”――勝利の象徴が、終末の気配も連れてくる

やがてウッソは、より強力な機体へ辿り着く。それは単なるパワーアップではなく、戦争が苛烈になり、投入される兵器のスケールが増していくことのサインでもある。V2ガンダムの「光の翼」は、視覚的には希望のように美しいが、同時に“ここまで来てしまった”という取り返しのつかなさも感じさせる。 勝利のために強くなるほど、戦場は広がり、人が死に、心が壊れる。力を得た瞬間が救いではなく、むしろ悲劇の加速装置になっていく感覚が、本作の終盤の怖さにつながる。

エンジェル・ハイロゥ――“救済”の名で人を終わらせる最終局面

ザンスカール帝国は、戦争を終わらせるのではなく、世界そのものを自分たちの価値観で塗り替える方向へ突き進む。そこで浮上するのが、サイコミュ要塞エンジェル・ハイロゥという巨大な存在だ。ここでは「兵器」と「宗教的救済」が露骨に結びつき、命の扱いが極端に軽くなる。 戦争の最終局面は、単に敵軍を撃退すれば終わり、という形には収まらない。人間の精神に触れ、意識や感情に介入し、“救われるべきだ”という名目で人々の生を奪っていく――そんな悪夢のような構図が現実として迫る。ウッソたちの戦いは、軍事的勝利だけでなく、「人間が人間でいるための抵抗」へ変わっていく。

因縁の決着と帰還――終わったのに、終わっていない余韻

クライマックスでは、ウッソはクロノクルやカテジナとの関係に、決して爽快ではない形で区切りをつけざるを得なくなる。敵を倒せば万事解決ではなく、感情の縺れが解けないまま、あるいは取り返しのつかない形で断ち切られる。 それでも物語は、すべてを虚無で閉じず、ウッソとシャクティがカサレリアへ戻るという“地上への回帰”で締めくくられる。だがその帰還は、冒頭の日常へ巻き戻るのではない。失われたものが多すぎて、同じ景色を見ても同じ気持ちではいられない。だからこそ最終的な余韻は甘くない。 『機動戦士Vガンダム』のストーリーは、少年の冒険譚の形を借りながら、戦争という環境が人間をどう変え、どこまで壊し、それでも何を残せるのかを、長い時間をかけて突きつけてくる。その“帰還の重さ”まで含めて、本作の物語は完成している。

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■ 登場キャラクターについて

ウッソ・エヴィン――“天才”と“子ども”が同居する主人公像

主人公のウッソ・エヴィンは、機体を自在に扱うセンスや反射神経の鋭さだけを見ると、戦場に適応しすぎているほどの少年だ。けれど彼の本質は、強さよりも「守りたい」という衝動にある。戦争の大義を理解して動くというより、目の前の危機に反応し、誰かの命が消える瞬間を見てしまった結果として前へ出てしまう。視聴者が最初に抱きやすい印象は“元気で機転の利く主人公”だが、話数が進むほど、その明るさが「自分を保つための必死さ」に変わって見えるようになるのが本作の怖さでもある。 ウッソの人気が割れやすいのは、彼が「完璧なヒーロー」ではなく、戦争に合わせて形を変えざるを得ない“生存者”として描かれるからだろう。勝利しても喜び切れない、助けたはずなのに救えない、間に合わなかったことが積み重なっていく。その中で、彼はときに冷徹な判断を下すが、直後に子どもらしい動揺や怒りも露わにする。視聴者の記憶に強く残るのは、派手な撃墜よりも、勝った瞬間に顔色が消えるような“戦場の温度”だ。

シャクティ・カリン――戦わないのに、物語の中心にいる少女

シャクティ・カリンは、モビルスーツに乗って戦場で敵を倒すタイプのキャラクターではない。だからこそ彼女は、視聴者にとって「本来ここにいるべき普通の人」の象徴になる。ウッソの帰る場所、あるいは帰りたいと思わせる場所を形作る存在であり、戦争が広がるほど“守るべきもの”としての輪郭が濃くなっていく。 一方で、シャクティはただ守られるだけのヒロインでもない。彼女は人の痛みに敏感で、憎しみが連鎖する現場で「それでも誰かを人として見る」視線を失いにくい。視聴者の感想でも、彼女を“癒し”として受け止める声がある反面、戦争の渦に巻き込まれていく展開の中で「純粋さが利用されそうで苦しい」と感じる人も多い。シャクティが中心に据えられる場面は、戦闘の盛り上がりというより、作品のテーマが濃くなる“転換点”として印象に残りやすい。

カテジナ・ルース――憧れが歪み、痛みへ変わっていく存在

カテジナ・ルースは、ウッソにとって「大人の世界」を象徴する憧れの入り口として登場する。序盤では、守りたい相手であり、戦争の混乱の中でも手を伸ばせば届きそうな“日常の延長”にも見える。だが彼女は、戦争という環境が人の自己像をどう崩すかを体現していく。 視聴者が衝撃を受けるのは、カテジナが単純に悪へ転じるのではなく、彼女なりの恐怖や孤独、居場所の渇望が折り重なって、選択が取り返しのつかない方向へ滑っていくところだろう。彼女の言動には筋が通っている瞬間もあるのに、同時に、誰よりも不安定で、誰よりも“戦争に壊されている”ようにも見える。好き嫌いが激しく分かれるキャラクターだが、物語に刻まれる爪痕の深さという点では、間違いなく作品を代表する存在だ。

クロノクル・アシャー――「敵の顔」を与えられた男の執着

クロノクル・アシャーは、敵側の中心人物として、ウッソと何度もぶつかり合う。彼が物語に与える緊張は、強さそのものより“執着の質”にある。戦争の中で、勝敗は運にも左右される。だがクロノクルは、その偶然を受け入れず、「こうあるべきだった」「自分はここで終われない」という思いを燃料にして前へ出る。 視聴者の印象としては、どこか生真面目で、出世や体面に縛られ、しかしそれだけでは片づけられない危うさがある人物だ。ウッソが子どもであることに揺さぶられる瞬間や、相手を認めたくないのに認めてしまう瞬間が、彼を“ただの悪役”ではなくしている。終盤に向かうほど、彼は戦争の論理より個人的な矜持や妄執に寄っていき、その姿が「戦争が人を狭くしていく」怖さとして残る。

マーベット・フィンガーハット――“前線の大人”としての頼もしさと傷

リガ・ミリティア側の大人として特に存在感が強いのがマーベット・フィンガーハットだ。彼女は、優しさと現実感覚を同時に持ち、子どもを守りたい気持ちと、前線で戦わねばならない責任の間で揺れる。視聴者が彼女に抱く好感は「頼れる姉」「現場の支柱」といった言葉に集約されがちだが、彼女の魅力は“強さを演じてしまう弱さ”にもある。 戦いの中で感情を抑え、勝つための判断を下し、それでも夜に崩れそうになる。その繰り返しが、ウッソの成長とは別の角度から「戦争で大人になること」の痛みを見せる。派手な名場面というより、仲間を送り出すときの目線や、帰還した者を抱きしめる一瞬の温度など、静かな場面で印象を残すタイプのキャラクターだ。

オデロ・ヘンリーク――友だちの顔をした“もう一人の戦争被害者”

オデロ・ヘンリークは、ウッソのそばにいることで、視聴者に「もし自分がその場にいたら」という感覚を渡してくれる。彼は天才ではないし、ヒーローでもない。むしろ怖がり、戸惑い、愚痴を言い、普通に戻りたい気持ちを抱える。だからこそ、彼が戦争に巻き込まれていく過程は、ウッソの物語以上に現実味を帯びる。 視聴者の感想でも、オデロに対しては「うるさいけど憎めない」「生々しい」という声が出やすい。戦争の中で、英雄的な行動を取れる人間ばかりではない。恐怖と責任の間で壊れていく“普通の人”を描くために、オデロは重要な位置にいる。

フォンセ・カガチとマリア・ピァ・アーモニア――“救いの言葉”が暴力へ変わる中心

ザンスカール帝国側では、思想や体制の核としてフォンセ・カガチやマリア・ピァ・アーモニアの存在が重くのしかかる。彼らが象徴するのは、「救済」を掲げる言葉が、いつの間にか“従わせるための道具”になる怖さだ。理想や慈悲を語る口が、同じ熱量で切り捨てや処罰を正当化していく。 視聴者が強く感じるのは、悪意の純度というより、“仕組み”の冷たさだろう。個人が善悪で判断しているのではなく、信じるべき枠組みが先にあり、その枠が人を選別する。そうした構造が物語の終盤へ向けて色濃くなり、キャラクター同士の戦いが、単なる軍事衝突ではない場所へ運ばれていく。

シュラク隊とルペ・シノ――「前線に立つこと」の価値と残酷さ

リガ・ミリティアの中でも、前線の空気を決定づけるのがシュラク隊の存在だ。彼女たちは、戦争を“プロの仕事”として受け止めつつ、同時に生身の感情も抱えている。その姿は視聴者にとって格好良い。しかし本作は、格好良さをそのまま祝福しない。前線に立つ者ほど、代償を払わされる。 鋭さと危うさを併せ持ち、戦場のスピード感を体現するキャラクターとして印象に残る。彼女の台詞や態度は、時に冷たいのに、ふとした瞬間に“誰よりも寂しい”顔を見せる。視聴者の中には、彼女を「強い女性キャラ」として好きになる人もいれば、「無茶な生き方が痛い」と感じる人もいる。どちらの感想も成立するのが、本作の人物造形の尖りだ。

視聴者が語りがちな名場面――派手な勝利より“心が折れる瞬間”が残る

『機動戦士Vガンダム』の名場面は、必ずしも大技や必殺の決め手だけでは語られない。むしろ視聴者が思い出すのは、「誰かを助けたはずなのに、助けきれなかった」「勝ったのに、帰り道が寒い」といった“後味”の場面だ。戦闘の緊張が解けた直後の沈黙、作戦が成功したのに笑えない空気、仲間の不在が日常の穴として残る瞬間――そういう“戦争の余白”が記憶に刺さる。 また、ウッソとカテジナ、ウッソとクロノクル、ウッソとシャクティの関係は、それぞれ違う種類の痛みを運んでくる。憧れが敵意へ変わる痛み、競争心が執着へ変わる痛み、守りたい気持ちが重荷に変わる痛み。視聴者が「辛いのに見続けてしまう」と言うとき、その理由は派手さではなく、人間関係が“戻れない方向”へ進む怖さにあるのだと思う。

キャラクター全体の魅力まとめ――“生き方の歪み”が物語を動かす

本作の登場人物は、最初から完成された思想で動いているわけではない。むしろ、戦争の長期化の中で、正しさが摩耗し、感情が尖り、言葉が過激になり、関係がねじれていく。その変化を止められないことが、作品全体の緊張になっている。 だから『機動戦士Vガンダム』のキャラクター論は、好き嫌いだけで終わりにくい。嫌いになった理由まで含めて“作品の狙い”が見えてしまうし、苦手だと思った瞬間ほど、戦争の非日常が人間をどう壊すかを理解してしまう。登場人物たちの歪みは、単なる刺激ではなく、視聴者に「人が生き延びるために何を捨ててしまうのか」を問う装置として機能している。その問いが重いからこそ、彼らは忘れがたい。

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■ 主題歌・挿入歌・キャラソン・イメージソング

音楽が担う役割――「戦争の物語」に“呼吸”を与える

『機動戦士Vガンダム』の音楽は、戦闘を派手に飾り立てるためだけに置かれているわけではない。むしろ作品の中での役割は、戦場がどれほど苛烈になっても、人間が人間でいる感覚――泣く、迷う、祈る、誰かを想うといった“生活の呼吸”を画面に戻すことだ。ガンダム作品では主題歌がヒーロー性を押し出す例も多いが、本作はそれだけでは終わらない。明るさ、勢い、前進の力を歌いながら、同時に「それでも失われるものがある」余韻が残る。 視聴者の感想でも、戦闘回の熱さと同じくらい、「歌が流れると急に現実へ引き戻される」「歌が入った瞬間、登場人物が“兵士”ではなく“人”に見える」といった声が出やすい。音楽が物語の感情線に直結しており、回を追うほど“刺さり方”が変わっていくタイプの作品だ。

オープニング1:走り出す少年の勢いを前面に出す前期OP

前期オープニング「STAND UP TO THE VICTORY 〜トゥ・ザ・ヴィクトリー〜」は、作品の入口として非常に分かりやすい。タイトル通り、勝利へ向かって立ち上がる、踏み出す、という推進力が軸にあり、映像も含めて“ロボットアニメの高揚”をしっかり担保している。 ただし本作らしいのは、この前向きさが、そのまま物語の明るさを保証しない点だ。視聴を続けるほど、歌の昂揚が「それでも立ち上がらなければならない」痛みへ見え方を変える。序盤は爽快、しかし中盤以降は、あの勢いがむしろ切ない。視聴者の中には「OPの元気さと本編の重さの落差が忘れられない」という印象を持つ人も多いだろう。

オープニング2:後期OPが漂わせる“消耗戦”の空気

後期オープニング「Don’t Stop! Carry On!」は、前期OPの一直線な突進とは少し違う質感を持つ。言葉の上では“止まるな、進め”なのに、その響きは軽薄ではなく、むしろ疲労を抱えたまま前へ行くようなニュアンスを含む。戦争が長期化し、登場人物が次々に摩耗していく展開と噛み合うことで、「続けるしかない」という覚悟にも、「やめたいのにやめられない」という苦さにも聞こえる。 視聴者が後期OPを好きになる理由としては、旋律や歌声の好みももちろんあるが、物語が深まった後で聴くと“作品の気分”が凝縮されて感じられる点が大きい。前期が“出発”、後期が“継続”、その対比自体がVガンダムの情緒を表している。

エンディング1:勝利を歌いながら、勝利だけでは終われない前期ED

前期エンディング「WINNERS FOREVER〜勝利者よ〜」は、タイトルからして“勝った者の歌”であり、視聴者の気持ちを前向きに畳む役割を担っている。だがVガンダムの本編は、勝利が単純な祝福になりにくい展開が多い。だからこのEDは、回によっては希望の灯にも、皮肉にも、祈りにも聞こえる。 特に、仲間を失った回や、街が壊れた回の後に流れると、「勝利者とは誰のことなのか」「勝ったとして、何が残るのか」という問いが浮かぶ。視聴者の胸に残るのは、勝利そのものより“勝利の後の空白”で、そこにこのEDの味がある。

エンディング2:後期EDが残す“優しさ”と“戻れなさ”

後期エンディング「もう一度TENDERNESS」は、タイトルにある通り“優しさ”を求める歌だ。しかしそれは、余裕のある優しさではない。戦場で失われたもの、傷ついた心、壊れた関係を踏まえた上で、それでももう一度触れ合いたい、という切実さが滲む。 視聴者の感想では、この後期EDに「救われた」という声が出る一方で、「むしろ涙腺を壊しに来る」という意見も出がちだ。優しさが欲しいと思うほど、優しさが遠い。だからこそ歌が沁みる。Vガンダムの終盤の空気に合わせて聴くと、画面の外側にまで余韻が伸びていく。

挿入歌:戦闘を“美化”せず、人間の感情を直接呼び起こす配置

挿入歌群は、物語の中で“感情の焦点”になる場面に差し込まれやすい。例えば「ひなげしの旅のむこうに」は、戦争の現実の中で、人が本来持っていた旅情や夢、素朴な願いを思い出させるような位置づけになっている。戦闘シーンのテンションを上げるというより、戦争の外側にあったはずの生活の匂いを一瞬だけ戻す、そんな使われ方が印象的だ。 また「いつかまた生まれた時のために」や「生まれてくるものへ」といった楽曲は、“生と死”が近い物語において、直接的に「未来」を想起させる。戦場で人が倒れるたびに、未来の価値が問われる。本作はその問いを、台詞だけでなく歌で突きつけてくる。視聴者が「この挿入歌が流れた回は忘れられない」と言うとき、それはメロディの良さ以上に、歌が“登場人物の心の声”みたいに聞こえた瞬間があるからだろう。

クライマックスの歌:終盤での挿入歌が持つ“総決算”の力

終盤にかけての挿入歌――たとえば「いくつもの愛をかさねて」などは、作品が積み上げてきた喪失と祈りを一度に回収するような重みを帯びる。Vガンダムは、盛り上がりのために歌を使うというより、視聴者の心に“逃げ場のない現実”を抱えさせた上で、そこへ“言葉にならない感情”を流し込む。 結果として、終盤で歌が流れると、画面が派手に動いていても、感情の焦点は「勝つか負けるか」から「誰を想っているのか」「何を残したいのか」に移る。戦闘の勝敗よりも、愛や祈りの蓄積がクライマックスを形作るという点で、本作の音楽は物語のエンジンになっている。

キャラソン/イメージソング的な受け止められ方――作品世界の“余白”を埋める楽しみ

テレビ放送で中心に扱われるのは主題歌と挿入歌だが、当時のアニメ文化では、関連アルバムやボーカル集、ドラマトラックなどを通じて“イメージソング的”に作品を広げる楽しみ方が強かった。本作も、戦場の厳しさを知ったあとに音楽を聴くことで、キャラクターの感情を補完したり、世界観の温度を別角度から味わったりできる。 視聴者の中には、放送時はストーリーを追うだけで精一杯だったが、後年にサントラやボーカル曲を聴いて「こんなに繊細な作品だったのか」と再発見する人もいる。Vガンダムの音楽は、作品の過激さを中和するというより、過激さの中に埋もれている“人間の柔らかさ”を拾い上げるための道具として長く機能している。

楽曲全体のまとめ――「前へ進む歌」と「立ち止まりたくなる歌」の両輪

主題歌は前へ進ませる。挿入歌は立ち止まらせる。Vガンダムの音楽は、その両輪で視聴者の心を揺らす。前へ進む歌があるから、登場人物は走り続けられるように見える。でも立ち止まりたくなる歌があるから、走り続けることがどれほど残酷かも分かってしまう。 この矛盾を同時に抱えさせるのが、本作の音楽の強さだ。だからこそ、Vガンダムの楽曲は「単体で好き」というより、「あの回の空気ごと蘇る」という形で記憶に残る。戦争の物語を“体験”として刻むために、歌が最後まで寄り添っている。

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■ 声優について

キャスティングの手触り――“少年の生々しさ”と“戦争の重さ”を同時に成立させる布陣

『機動戦士Vガンダム』の声優陣は、主人公の年齢が低いこともあって「少年の未完成さ」をきちんと鳴らす一方、周囲の大人たちや敵側には骨太な芝居ができる声が並び、作品の振れ幅(明るい活劇→心理の崩壊→救済と終末)を声だけで支えているのが特徴だ。特に本作は、台詞がただ情報を運ぶだけでなく、恐怖や疲労、執着、憧れといった“言葉にならない感情”を滲ませる場面が多い。だからこそ、声の温度差――子どもの息づかいと、大人の割り切り、そして壊れていく兆し――が画面の説得力を決めている。視聴者が「Vガンは声が刺さる」と感じやすいのは、悲鳴や怒号の派手さより、沈黙の直前・直後に置かれた“声の揺れ”が強いからだ。

ウッソ役:阪口大助――「子どもが戦場にいる」ことの説得力を声で成立させた

ウッソの芝居でまず印象に残るのは、ヒーローらしい決め台詞より、息の上がり方や言葉の詰まり方だ。危険を前にした瞬間に声が少し裏返る、怒りが先に出て途中で自分でも戸惑う、勝った直後に声が空っぽになる――そういう“生の反応”が細かく入っていて、視聴者は「上手いから強い主人公」ではなく「生き延びるために必死な少年」を見ている感覚になる。序盤の快活さは、聴いている側も前へ引っ張られる。しかし話数が進むほど、その快活さが痩せたり、荒れたり、乾いたりする瞬間が増え、同じ声なのに“別の質感”に聞こえてくる。ウッソの成長とは、明るい方向への一直線ではなく、壊れないように自分を組み替えていく過程でもある――その厄介な変化を、声の表面温度で見せているのが大きい。

シャクティ役:黒田由美――戦わない声が、戦争の物語を人間の側へ引き戻す

シャクティは戦闘で局面をひっくり返すタイプではないが、声の役割はむしろ大きい。黒田由美の芝居は、芯が細すぎないのに、どこか柔らかく、場面の空気を“生活”へ戻す力がある。戦場の怒号の中で、彼女の声が入ると、視聴者は「ここで暮らしていた人がいる」ことを思い出す。特に、誰かを心配して呼ぶ声、泣きながら言い返す声、言葉にできずに飲み込む声が強い。Vガンダムの後半は、救済や思想が絡んで複雑になるほど、人間の素朴な感情が埋もれがちだが、シャクティの声が“それでも人は人だ”という地面を作っている。

マーベット役:白石文子――前線の大人の「優しさ」と「割り切り」の同居

マーベットは、ウッソの周囲で最も“現場の大人”として頼られる存在の一人で、白石文子の芝居は、その頼もしさを押し付けがましくしない。彼女の声は強いのに、荒々しさだけに寄らず、言葉の端に疲労や迷いが残る。だから視聴者は、マーベットが毅然としている場面ほど「本当は怖いんだろうな」と感じてしまう。叱る声、励ます声、命令する声が、それぞれ別の温度で出てくるため、彼女が“軍人”ではなく“生身の人”として立っているのが分かる。戦争の中で大人になるというより、戦争の中で“大人を演じ続ける”痛みが聴こえるのが印象的だ。

クロノクル役:檀臣幸――敵役を「ただの悪」から外し、執着の怖さを与えた

クロノクルは、敵側の中心人物として、ウッソとぶつかり続けるが、檀臣幸の声は“強敵らしい迫力”より、むしろ“引けなくなっていく人間の危うさ”を強める。余裕があるときの整った口調と、追い詰められてからの焦りの混ざり方が鮮明で、視聴者は「この人、戦争に勝つためだけに動いていない」と感じやすい。正義の反対側としての悪役ではなく、立場と矜持と嫉妬と自己像が絡まって破綻していく人物――その崩れ方が、声に乗る。

カテジナ役:渡辺久美――憧れから悪夢へ変わる“温度差”を声で見せる難役

カテジナは視聴者の好き嫌いが割れやすいが、だからこそ声の演技が作品の印象を決める。渡辺久美の芝居は、序盤の“大人の女性”としての柔らかさと、後半の不安定さの落差を、単に声を荒げるのではなく、言葉の選び方や間の詰まり方で表現しているのが怖い。優しさが嘘に聞こえる瞬間、怒りが自己防衛に聞こえる瞬間、何かを確かめるように同じ言葉を繰り返す瞬間――そういう揺れが、カテジナを単純な裏切り者ではなく、「戦争が人を変える」象徴として立ち上げている。ウッソの“守りたい気持ち”が一番傷つく場所に、彼女の声がある。

敵側・上層部の声:大矢兼臣/篠原恵美――理念と恐怖を同じ口で語る不穏さ

カガチやマリアのような“体制の核”に近い人物は、戦闘の強さより言葉の強さが武器になる。大矢兼臣の声は、命令が“正当な手続き”として滑っていく冷たさを作り、視聴者の背中をぞっとさせる。一方で篠原恵美の声は、慈悲や救いの響きをまとわせながら、その裏側にある支配や選別の気配を漂わせ、聞いている側の感情を不安定にする。Vガンダムが扱う「救済と暴力の同居」を、台詞のトーンで成立させているのがこの層だ。

視聴者の受け止め方――“声の記憶”が、名場面より先に残ることもある

本作は、ビームサーベルの一撃より、叫び声や呼びかけの方が思い出として残る回がある。ウッソの息の乱れ、シャクティの祈るような声、マーベットの抑えた叱責、クロノクルの焦燥、カテジナの壊れかけた語尾――そうした“声の断片”が、視聴者の記憶を直接叩く。だからVガンダムの声優談は、名ゼリフの引用より「この回のこの声が怖かった/辛かった/救われた」といった感覚の共有になりやすい。戦争を描く作品で、声がここまで心理に入り込んでくるのは、キャラクターが“正しい行動”より“崩れていく感情”で動く場面が多いからだろう。結果として、声優陣の芝居は、Vガンダムの過激さを飾るのではなく、過激さが“人間に起きていること”として視聴者へ届くように、最後まで導いている。

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■ 視聴者の感想

まず出やすい第一声:「重い」「きつい」「でも忘れられない」

『機動戦士Vガンダム』を見た人の感想で、最初に並びやすいのは「想像していたより重い」「精神的にきつい」という言葉だ。ガンダムシリーズの中でも“戦争の過酷さ”を正面から描く作品は多いが、Vガンダムはその過酷さを「少年の視点」へ落とし込むことで、痛みが直接的になる。視聴者は、戦闘の迫力より先に、日常が削られる感覚や、人間関係が歪む気配を受け取ってしまう。 一方で、同じ人が「だからこそ忘れられない」とも言う。見終わって気分が晴れるタイプではないのに、記憶に残り続ける。視聴後に“好き”と言い切れなくても、“強烈だった”という評価が残る作品として語られやすい。

序盤の印象:「少年活劇っぽい」「工夫で戦うのが面白い」

序盤に限って言えば、視聴者からは「意外とテンポが良い」「ウッソが工夫で勝つのが気持ちいい」といった声も出る。小型機体の取り回し、奇襲、地形の利用など、戦い方に“トリッキーさ”があり、主人公が頭を使って危機を抜ける場面は爽快感がある。 この段階では、ウッソの明るさや行動力が素直に好意として受け取られやすい。シャクティやカテジナといった人物が「守りたい存在」として機能し、ロボットアニメとしての王道の入口が用意されている。だから初見の視聴者ほど「思ったより見やすいかも」と感じて、続きが気になる形で引き込まれていく。

中盤以降の印象:「どんどん空気が変わる」「人が壊れていく」

ところが中盤へ差しかかると、感想のトーンが変わる。「雰囲気が急にきつくなる」「人が壊れていく描写が多い」「見ていてしんどい」という声が増えやすい。戦闘が派手になるというより、状況が泥沼化し、心が追い詰められる。 視聴者が印象に残すのは、機体が爆散する瞬間より、戦闘後に残る沈黙や、登場人物の言動がズレていく瞬間だ。「戦争ってこういうふうに人を変えるんだな」という現実感があり、そこが刺さる人もいれば、耐えきれず離脱する人もいる。Vガンダムは“視聴者を甘やかさない”作風として受け止められがちだ。

賛否が割れるポイント①:ウッソの強さと、背負わされ方

主人公ウッソへの感想は特に割れる。肯定的な意見では「子どもなのに必死に踏ん張るのが胸に来る」「機転の利く戦い方が魅力」「精神的に折れないのがすごい」と評価される。 一方で否定的・戸惑いの意見としては、「成長というより消耗に見えて辛い」「強すぎて現実味が薄いと感じる回がある」「守りたいものが増えるほど苦しくなる」という声が出る。これは欠点というより、作品が狙っている“矛盾”に近い。強いから前線に置かれ、前線に置かれるから壊れそうになる。視聴者がウッソに抱く感情が揺れるほど、作品の痛点に触れているとも言える。

賛否が割れるポイント②:カテジナの存在感が強すぎる問題

カテジナに関しては、「嫌い」「理解できない」という声が出る一方で、「だからこそ忘れられない」「戦争で人が壊れる象徴として強烈」という評価も根強い。視聴者の多くは、彼女を“裏切り役”として単純処理できず、感情の置き場に困る。 肯定寄りの見方では、カテジナは“理屈で説明できる悪”ではなく、“不安と孤独がねじれた結果の悲劇”として映る。そのため、視聴後に時間を置いてから「彼女の怖さはリアルだった」と再評価する人もいる。逆に、初見ではただただ苛立ちが残り、「つらい記憶」として刻まれる人も多い。Vガンダムの感想が割れ続ける原因の一つが、彼女の存在の大きさだ。

賛否が割れるポイント③:敵が“異様”で、戦争が“宗教”へ寄っていく

ザンスカール側の思想や、救済を掲げる体制の不穏さ、そして終盤の“救済と兵器が結びつく”方向性に対しても、視聴者の反応は分かれる。「そこが面白い」「普通の戦争ものでは描けない怖さがある」と評価する人もいれば、「難解」「ついていくのがしんどい」「説明が少なく感じる」という声もある。 ただ、肯定的に語られる場合は「戦争が長引くと、合理性より信仰や妄執が前に出る」という感覚が評価されやすい。敵の異様な兵器や儀式めいた空気は、“理解不能な暴力”として恐怖を強め、視聴者の心に残る。

視聴者が褒めがちな点:戦闘の工夫、画面の緊張、音楽の余韻

評価が高いポイントとしてよく挙がるのは、戦闘の工夫だ。地形を使った戦い、機体の合体変形を絡めた運用、局面ごとのアイデアなど、単純な撃ち合いにしない手触りがある。 また、画面全体の緊張感――「いつ誰が欠けてもおかしくない」という怖さ――が作品の推進力になっている、という意見も多い。戦闘が終わっても安心できない空気が、視聴者を次の回へ引っ張る。 音楽に関しては、「OP/EDや挿入歌が沁みる」「本編の重さと対照的で余韻が深い」と語られやすい。特に、辛い回のあとに流れるエンディングが、視聴者の感情をまとめるというより、逆に心をえぐるように聞こえる――その“刺さり”が印象として残る。

好きな人の感想:「救いがないのに、最後に残るものがある」

Vガンダムを強く支持する視聴者は、「救いが少ないのに、最後に“残るもの”がある」と語ることが多い。勝利の爽快感ではなく、戦争を通過した後に残る人間の感情――大切なものを守ろうとする意志、誰かを想う痛み、帰る場所の意味――が、最終的に胸に残るという受け止め方だ。 また「宇宙世紀の果てでも結局戦争は終わらない」という虚しさを描きながら、同時に「それでも生きるしかない」という地に足のついた感覚も示している、という評価もある。綺麗にまとめないからこそ、本気で戦争を描いているように見える、というわけだ。

苦手な人の感想:「視聴体験として耐えにくい」「気持ちの逃げ場が少ない」

逆に苦手な人は、「残酷描写や精神的追い込みがきつい」「見続けると気分が落ちる」「キャラの行動が理解しづらい回がある」といった点を挙げる。特に、視聴者が感情移入した相手が救われない展開が続くと、「作品としてはすごいが、娯楽としては受け止めきれない」と感じる人が出る。 ただし、ここでも単なる否定では終わらないことが多い。「嫌いだけど忘れられない」「二度は見たくないが、記憶に残る」という矛盾した感想が出やすいのがVガンダムの特徴だ。視聴者にとって、好き嫌いより先に“体験”として残ってしまう。

総合的な評判の傾向:賛否が割れるほど、語り継がれるタイプ

まとめると、『機動戦士Vガンダム』は、万人向けの快楽に寄せた作品ではない。そのかわり、戦争が人間と社会をどう壊し、どうねじ曲げ、それでも何が残るのかを、テレビシリーズの長さで徹底的に掘る。視聴者の感想が割れるのは、作品が中途半端ではなく、刺さる人には深く刺さる設計だからだろう。 だからこそ、放送から年月が経っても話題に上がる。「あの頃は理解できなかったが、今見ると怖い」「今見ても心が削れる」「でも、だからこそガンダムの中で特別だ」――そんな言葉で語られ続ける、強烈な一本だ。

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■ 好きな場面

“名シーン”の質が独特――勝利のカタルシスより「心に残る痛み」が語られやすい

『機動戦士Vガンダム』で「好きな場面」を挙げるとき、多くの視聴者は単純な爽快シーンよりも、“忘れられない場面”を選びがちだ。撃墜数や必殺技の派手さではなく、戦争の空気が濃く滲む瞬間、登場人物が取り返しのつかない表情を見せる瞬間、あるいは一瞬だけ日常が戻る瞬間――そういう場面が“好き”というより“胸に残る”として語られる。 だからVガンの名シーンは、喜びよりも、喪失や祈り、怒り、諦め、そして帰還の重さに寄っていく。視聴者が「好き」と言いながら同時に「辛い」と付け足すのも珍しくない。その矛盾が、この作品の場面記憶の特徴だ。

序盤の名シーン:ウッソの機転が光る“少年活劇”の瞬間

序盤で挙げられやすいのは、ウッソが知恵と反射神経で戦場を切り抜ける場面だ。まだ彼が“戦争の常連”になり切っていない時期は、危険を前にした瞬間の反応が生々しく、同時に少年らしい大胆さが爽快感を生む。 視聴者が好むポイントは、ウッソが「正面からの力比べ」だけで勝たないところだ。狭い場所での立ち回り、地形の利用、合体変形やパーツ運用を絡めた意外性――そういった工夫が「ロボットアニメとしての面白さ」を強く感じさせる。ここではまだ、勝てば少し安心できる空気があり、Vガンダムの“入口としての楽しさ”が出ている。

仲間が揃う場面:リガ・ミリティアの“船の空気”が好きという声

戦闘よりも「船内・基地内のやり取り」を好きな場面として挙げる人も多い。リガ・ミリティアは正規軍のように整っていないぶん、人と人の距離が近く、生活感がある。ウッソが少年であることを気遣う大人、逆に戦力として頼ってしまう大人、恐怖を隠せない同年代――そうした“共同体のぎこちなさ”が、戦争のリアルとして刺さる。 マーベットが現場をまとめる場面、オデロがぼやきながらも踏ん張る場面、仲間同士が小さく笑う場面などは、派手さはないのに「この人たちが生きている」感覚が濃い。視聴者は、後半になればなるほど、こうした日常の断片を“好きな場面”として大切に語りたくなる。

シャクティが中心になる場面:祈りと現実がぶつかる“静かなクライマックス”

Vガンダムの中盤以降で印象的なのは、シャクティが物語の中心へ押し出される局面だ。彼女の言葉や行動は、戦場の合理性とは噛み合わないことがある。だが視聴者の中には、その“噛み合わなさ”こそが好きだと言う人がいる。 戦争は合理で進むように見えて、実際は恐怖や信仰、願いに引っ張られる。本作はそれを、シャクティの存在で可視化する。誰かを憎むことより、誰かを救いたいという感情が前に出る瞬間は、物語が急に“戦争の外側”へ接続されたように感じられる。戦闘の勝敗とは別の場所で胸を締めつける、静かな名場面になりやすい。

V2ガンダム登場~“光の翼”の場面:美しさと恐ろしさが同居する象徴

V2ガンダムと“光の翼”が印象的だと言う視聴者は多い。視覚的に派手でヒロイックな要素でありながら、Vガンダムの場合、それが単純な希望の象徴に留まらないからだ。戦争が激化し、兵器のスケールが上がり、もう引き返せない段階に来たという“到達点”でもある。 だからこの場面を好きと言う人は、気持ち良さだけを語らない。「綺麗なのに怖い」「強くなるほど苦しい」「あの美しさが終末の匂いを連れてくる」といった言い方になりがちだ。ヒーローの羽根のようで、同時に世界が壊れる予告のようでもある。その二重性が、Vガンらしい名場面として記憶される。

クロノクルとの対峙:好敵手というより“執着の怪物”と向き合う場面が刺さる

クロノクル絡みで挙がる“好きな場面”は、爽快な決着というより、執着が限界まで煮詰まった瞬間であることが多い。彼は「正しい敵役」として綺麗に散るのではなく、戦争の渦と自己像の崩壊の中で、どんどん狭くなっていく。 視聴者はそこに、敵の哀れさや怖さを同時に見る。ウッソが彼を倒すことは勝利のはずなのに、後味が苦い。それでも「好きな場面」として語られるのは、戦争が人間に与える歪みが、最もむき出しになる対峙だからだろう。見ていて辛いほど、テーマが露出する。

カテジナ関連の場面:嫌いでも忘れられない、“心を掻き乱す”名場面

カテジナが関わる場面を“好き”と呼ぶのは抵抗がある視聴者も多いが、同時に「忘れられない場面」としては非常に強い。彼女は、憧れ、保護、恋慕、恐怖、自己否定、自己演出が絡み合い、ウッソの感情の根っこを傷つける方向へ進んでしまう。 視聴者が強烈に残すのは、彼女の言葉が意味を持ちそうで持たない瞬間、善意と悪意の境界が崩れる瞬間、そして“取り返しがつかない”表情だ。好き嫌いを越えて、Vガンダムの“痛みの象徴”として語られる。だから「嫌いだけど名場面」という形で、議論になり続ける。

終盤~最終回:帰還がもたらす“静かな重さ”が好きという人が多い

クライマックスの巨大な戦いの後、物語が地上のカサレリアへ戻る流れを“好きな場面”として挙げる人は多い。理由は分かりやすい達成感ではない。むしろ、戦争が終わった(あるいは区切りが付いた)後の空気が、あまりに重いからだ。 同じ景色に帰ってきても、同じ気持ちではいられない。帰還は救いであると同時に、失ったものを突きつける。視聴者はそこで「生き残った」という事実の重みを感じ、作品が最後に描く“生の継続”を受け止める。派手な終わりではなく、静かな帰還で終わるからこそ、見終えた後に長い余韻が残る――その余韻を含めて好き、という声が根強い。

視聴者の“好き”の総括:辛さを含んだ愛着が残る作品

Vガンダムの「好きな場面」は、一般的な人気投票のように単純化しにくい。なぜなら、好きと言いながら同時に「辛い」「怖い」「二度は見たくない」と感じる場面が混ざってくるからだ。 それでも語り継がれるのは、場面が単なる演出の成功ではなく、視聴者の心に“戦争の感触”として残るからだろう。少年の機転が光る瞬間、仲間同士の小さな笑い、歌が流れて胸が締めつけられる回、帰還の静けさ――それらが、Vガンダムをただのロボットアニメではなく、視聴体験として刻み込む。好きな場面を挙げる行為自体が、作品の重さと向き合い直すことになる。その“面倒さ”まで含めて、愛着が残る作品だ。

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■ 好きなキャラクター

“好き”の種類が分かれる作品――憧れより「痛み込みで惹かれる」傾向

『機動戦士Vガンダム』で「好きなキャラクター」を語ると、よくある人気アニメのように“かっこいいから好き”“かわいいから好き”だけで終わりにくい。もちろん外見や活躍で惹かれる人もいるが、それ以上に多いのが「この人の生き方が苦しいのに目が離せない」「間違っているのに、分かってしまう瞬間がある」といった、痛み込みの支持だ。戦争が人間を追い詰める作品だからこそ、キャラクターの魅力は“正しさ”ではなく、“壊れ方”や“踏ん張り方”として語られやすい。 視聴者の好みも大きく二つに割れる。ひとつは「それでも人を守ろうとする側」に寄る好き。もうひとつは「歪んでしまった側」に惹かれる好き。Vガンダムはその両方が強烈なので、推しの話をすると、その人の作品の受け止め方まで見えてしまうのが面白い。

ウッソ・エヴィンが好き:少年主人公の“強さ”より“必死さ”に惹かれる

ウッソが好きな人は、彼を“万能の天才”としてではなく、「少年の限界を超えてしまう必死さ」に心を掴まれていることが多い。守りたい相手が目の前にいて、逃げたら終わる、でも勝っても安心できない――その地獄みたいな状況で、彼は知恵を振り絞って生き延びる。 視聴者が特に好きと言いがちなのは、勝った瞬間に笑えない表情になるところだ。戦争の勝利を祝福できない少年の顔は、ヒーローのかっこよさとは別の次元で胸を打つ。強いから好き、というより「ここまで背負わされて壊れないでいる(ように見える)のが辛いから好き」という、矛盾した支持が生まれる。

シャクティ・カリンが好き:戦場の中に“人間の地面”を作る存在

シャクティが好きな視聴者は、彼女の行動を“正解”として見るというより、「戦争に染まり切らない視点」として大切にしている。怒鳴り合いや殺し合いの中で、彼女の言葉だけが生活の温度を残しているように感じられるからだ。 特に支持されるのは、彼女が誰かの痛みを見捨てない姿勢だ。甘さに見える瞬間もあるが、その甘さがなければ物語全体が冷たくなりすぎる。視聴者の中には「シャクティがいるから最後まで見られた」と言う人もいる。戦闘の勝敗を越えて、作品の感情の軸として好かれるタイプのキャラクターだ。

マーベット・フィンガーハットが好き:前線の大人としての“頼もしさ”と“脆さ”

マーベット人気は、いわゆる“姉御枠”で片づけると薄くなる。彼女が支持される理由は、頼もしさの裏に、恐怖や迷いを隠している気配が常にあるからだ。 視聴者は、彼女が叱る場面、命令する場面、部隊をまとめる場面の中に、「本当は泣きたいんだろうな」という影を感じる。その影があるから、彼女の優しさが綺麗事ではなく、現場の苦さを知った優しさに見える。戦争の中で“大人でい続ける”ことに惹かれて好きになる、そんな支持が強い。

シュラク隊が好き:戦う女性たちの格好良さと、代償の重さに胸を掴まれる

シュラク隊を好きと言う人は多い。理由は分かりやすい部分もある――戦う女性たちが格好良く、仲間意識が強く、前線を支える存在感があるからだ。だがVガンダムの場合、格好良さは同時に「代償を払う覚悟」とセットになっている。 視聴者が惹かれるのは、彼女たちが戦争をロマン化しないところだ。笑う場面があっても、次の瞬間には現実が襲ってくる。その現実を受け止めた上で、前線に立つ姿が、痛々しいほど美しい。好きと言うほど辛くなる――その種類の魅力がある。

ルペ・シノが好き:鋭さ、危うさ、寂しさが同居する“戦場のスピード”

ルペ・シノは、派手さや勢いで好きになる人もいるが、コアな支持はむしろ“危うさ”に集中する。彼女は強い。しかしその強さは、守りたいものがある強さというより、「守るものを持つのが怖い」強さにも見える。 視聴者が好きな理由として挙げがちなのは、台詞や態度の切れ味だけでなく、ふとした瞬間に見せる孤独の気配だ。強気な声の奥に、どこか投げやりな温度が混ざる。それが戦場の現実と重なって、目が離せなくなる。好き=憧れではなく、好き=心配、みたいな感情で語られることが多い。

クロノクルが好き:正義ではなく“執着”で動く人間の怖さが魅力になる

敵側で人気が出る場合、クロノクルはその筆頭だ。彼を好きと言う人は、「敵だからこそ魅力がある」というより、「人間の弱さが見えすぎてしまうから好き」という方向に傾きやすい。 クロノクルは、理想のために戦っているようでいて、実際は自尊心や承認欲求、勝てないことへの苛立ちが燃料になっていく。その変質が怖いのに、同時に理解できてしまう瞬間がある。視聴者が惹かれるのは、悪のカリスマではなく、“引けなくなった人間”のリアルさだ。好きと言うより、目が離せない、というニュアンスが濃い。

カテジナが好き:共感ではなく“強烈な存在感”に惹かれるタイプの支持

カテジナを好きと言う人は、正直、説明が難しい。彼女の言動に共感するというより、作品全体の痛みを背負った存在として“魅力になってしまう”からだ。 彼女は裏切りという言葉だけでは整理できない。恐怖、孤独、自己演出、依存、憧れ、拒絶――その全部が絡み合って暴走していく。視聴者はそこに、「戦争が人を壊す」だけではなく、「壊れた人がさらに誰かを壊す」連鎖を見てしまう。嫌いだけど好き、怖いけど好き、という矛盾した感情で推される代表格だ。

「好きなキャラ」を語ると作品の見方が出る――推しは“救い”か“地獄”か

Vガンダムでは、推しが誰かで、その人が作品から何を受け取ったかが見えやすい。 ・ウッソ、シャクティ、マーベット、シュラク隊を推す人は、「守りたい」「生きたい」という人間の芯に惹かれていることが多い。 ・クロノクル、カテジナ、ルペあたりを推す人は、「人が壊れる過程」や「執着のリアル」に引き寄せられていることが多い。 どちらが正しいという話ではない。Vガンダムは、救いも地獄も、同じ人物の中に混在させてくる。だから好きなキャラクターの話は、そのまま作品の核心の話になる。視聴者が今でも語り続けるのは、キャラクターが単なる記号ではなく、“戦争の中で生きる人間”として、痛みごと刻まれているからだ。

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■ 関連商品のまとめ

関連商品は“2本立て”で伸びる――映像・音楽の保存需要と、ガンプラ・立体物の拡張需要

『機動戦士Vガンダム』の関連商品は、ざっくり言うと「作品を保存して何度も噛みしめたい層(映像・音楽・書籍)」と「メカや世界観を手元で遊び尽くしたい層(プラモデル・玩具・ホビー)」の二方向に広がる。放送当時のリアルタイム需要はもちろんだが、本作は後年の再評価や“あえて今見返す”文脈でも語られやすく、結果として、コレクション性の高い商品ほど長生きしやすい。 またVガンダムは機体設計のギミックが強く、合体変形やパーツ構造が「立体化したときに映える」タイプのため、ガンプラやフィギュアなどの立体商品が、作品体験とは別の入口として機能しやすい。物語の重さに尻込みする人でも、VガンダムやV2ガンダムの造形から興味が入るケースがある――この“商品側からの導線”が強いのも特徴だ。

映像関連(VHS/LD/DVD/Blu-ray)――“見返すほど刺さる作品”だからこそパッケージ需要が残る

映像ソフトは、当時はVHSが主流で、録画文化が今ほど整っていない時代のため「公式パッケージで揃える」こと自体がコレクションだった。Vガンダムは全話数が多い作品であるぶん、単巻で集めた人、途中まで集めた人、レンタルで追った人など視聴経路が分かれるが、後年になるほど“通しで見直したい”需要が高まるタイプでもある。 DVD-BOXや単巻DVDの時代になると、視聴環境が整ったことで「一度離脱したが、まとめて見たら印象が変わった」という再接触が増えやすく、結果としてコンプリート系のパッケージが“作品再評価の入口”になった。Blu-rayは、画質の向上だけでなく、付属ブックレット、スタッフ・キャストコメント、ノンクレジットOP/ED、設定資料的な特典が付くことで、“見る”だけでなく“読む・集める”楽しみが増える傾向がある。Vガンダムは語りたくなる作品なので、こうした特典の価値が相対的に上がりやすい。

音楽関連(主題歌シングル/サントラ/ボーカル集)――「曲が流れた回」を思い出すタイプの強さ

音楽商品は、主題歌シングル(CD/カセットなど当時の媒体)を入口に、サウンドトラックで“戦場の緊張”や“祈りの余韻”を持ち帰る流れが王道だ。Vガンダムの楽曲は、単体での完成度だけでなく、「あの回の空気」が蘇る結びつきが強い。 サントラは、戦闘曲の推進力だけでなく、静かな曲が印象に残りやすい。挿入歌・ボーカル曲は特に、作品の“救いの少なさ”を補うというより、救いが少ないからこそ響く、という形で支持される。後年にまとめて聴くと、放送時には気づかなかった繊細さが見えて、作品理解が深まる。音楽商品は、Vガンダムが“再発見されるたびに価値が増える”カテゴリと言える。

書籍関連(ムック/設定資料/小説・コミカライズ周辺)――世界観を補完し、理解を助けるライン

Vガンダムは情報量が多く、勢力図や思想面も絡むため、書籍系の需要が根強い。アニメ雑誌の特集、ムック、ビジュアルガイド、設定資料系は、当時の“追いかけるための補助線”として機能したし、後年は“理解を深める読み物”としても価値がある。 特にメカ設定やキャラ設定、用語解説のような資料は、視聴時に飲み込み切れなかった部分を補ってくれる。Vガンダムは「分かりやすく教えてくれる」より「視聴者が追いかけて掴む」作品なので、書籍が“作品体験の一部”になりやすい。視聴後に資料を読むことで、感情の整理が付いたり、逆により苦しくなったりするのも含めて、ファンの語りの種になる。

ホビー・玩具(ガンプラ/フィギュア/完成品トイ)――合体変形と“光の翼”が商品映えする

ホビーの中心はやはりガンプラだ。Vガンダム系は、コンパクトなシルエットと変形・合体のギミックがあり、立体で動かす楽しさが強い。V2ガンダムは“光の翼”のように演出が象徴的なため、エフェクトパーツや拡張パーツが映える。 完成品トイやフィギュア類も、時代ごとに解釈や造形密度が変わり、同じ機体でも「当時の玩具的アレンジ」「後年の劇中再現志向」「ディテールアップ志向」など方向性が分かれる。コレクターはその差分を楽しめるし、ライト層は“これ一体で満足できる決定版”を探す楽しみがある。作品の重さとは別に、メカの魅力が独立して強いからこそ、ホビーは長期的に回り続ける。

ゲーム関連(参戦系・クロスオーバー系)――「動かせるVガン」が入口になる

Vガンダム単体のゲームというより、ガンダム作品の集合タイトル(参戦系、対戦・アクション系、シミュレーション系)で触れる機会が多い傾向がある。視聴者の中には「ゲームでV2の性能に惚れて、後からアニメを見た」という逆流パターンもある。 ゲームでは、機体の個性が分かりやすい形で再現されやすい。例えば機動性、パーツ運用、必殺技的演出などが“体験”として残り、そこから作品世界に入る導線になる。物語が重い作品ほど、まずゲームで機体に触れて、興味が熟した段階で本編へ入る、というルートが成立しやすい。

文房具・日用品・食玩――当時ならではの“生活に入り込むキャラ商品”

当時のアニメ関連商品は、プラモデルや映像ソフトだけでなく、文房具・日用品・菓子玩具など“生活圏に入り込む”タイプが定番だった。下敷き、ノート、筆箱、シール、カード、ガムやウエハースのおまけなど、子どもが手に取りやすい価格帯の商品は、作品との距離を縮める役割がある。 Vガンダムの場合、人物キャラよりもメカ(Vガンダム/V2ガンダム)のビジュアルが前に出やすく、ロボットの格好良さを“日常のアイコン”として持ち歩く形になりやすい。結果として、当時品は今見るとデザインや印刷の時代感が強く、レトログッズとしての価値も生まれる。

グッズ全体の傾向まとめ――「作品を持ち帰る」か「機体を手元で完成させる」か

関連商品を眺めると、Vガンダムのファンは大きく二つの満足へ向かう。 ・映像・音楽・書籍で、重い物語を“自分のペースで抱え直す”満足 ・ガンプラや立体物で、機体のギミックや造形を“自分の手で完成させる”満足 Vガンダムは、視聴体験としてはしんどい面があるが、だからこそ手元に残す価値が高い。そして機体は、作品の印象とは別に純粋に格好良く、商品として強い。物語とメカがそれぞれ別の入口を持ち、長い年月をかけてファンを増やし続ける――関連商品の広がりは、その構造をはっきり映している。

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■ オークション・フリマなどの中古市場

中古市場の全体傾向――「当時物の紙モノ」「完品ソフト」「限定特典付き」が強い

『機動戦士Vガンダム』関連の中古市場は、供給が多い“量産系”と、見つかりにくい“当時物・限定物”の差がはっきり出やすい。フリマでは「相場より安いが状態が読みにくい」ものが出やすく、オークションでは「状態や付属品で価格が跳ねる」傾向が強い。 またVガンダムは、作品人気が単純な“万人受け”ではなく、刺さった層が濃いタイプなので、熱量の高いコレクターが「欲しいものは欲しい」と買いに来る。そのため、定番品は比較的落ち着いている一方、初回特典・限定箱・帯付き・応募券付きなど“揃っているかどうか”でプレミアが乗るカテゴリが目立つ。

映像関連(VHS/LD/DVD/Blu-ray)――「箱・帯・特典」「盤面状態」「初回仕様」で価格が変わる

中古で最も分かりやすいのは映像ソフトだ。 ・VHSは、セル版・レンタル落ち混在で、レンタル落ちは安いがラベル剥がれやケース痛みが多い。セル版でも保管状態で差が出る。テープは再生環境が必要なので、コレクション目的の人が中心になりやすい。 ・LDはコレクター需要があり、盤面の反り・傷、ジャケットの日焼け、帯の有無で値段が上下しやすい。大型ジャケットを「絵として飾れる」点が評価される。 ・DVD-BOX/単巻DVDは、ブックレット・帯・外箱・ディスク枚数の欠品があると一気に価値が落ちる。逆に完品は安定して売れやすい。 ・Blu-ray BOXは比較的新しいが、初回限定(特殊パッケージ、特典冊子、収納BOXなど)だと中古でも強気の値付けになりやすい。 狙い目としては、フリマで「写真が少ないが完品の気配がある」出品が時々ある一方、落とし穴として「BOXと書いてあるのに特典欠品」「ディスク入れ替わり」「収納ケース破損」などがある。買う側の基本は“付属品の列挙があるか”“背表紙や帯まで写っているか”の確認だ。

書籍関連(ムック/設定資料/雑誌特集号)――紙の状態と「切り抜き欠損」が最大の分岐点

紙モノは中古市場で“当たり外れ”が大きい。 ・ムックや設定資料系は、通読に耐える状態なら安定して需要がある。特に用語・メカ解説・インタビューなどが載る本は、後から作品に入った人にも刺さる。 ・アニメ雑誌の特集号は、ピンナップやポスター、応募ハガキの有無で価値が変わる。 ・古い雑誌は「切り抜き」「ページ欠落」「書き込み」「タバコ臭」「日焼け」が多く、これらがあると安くなるが、完品は一気に高くなる。 中古で狙うなら、雑誌は“表紙が綺麗”より“中身が揃っている”方が重要。写真で目次ページや付録ページが確認できる出品は安心材料になりやすい。

音楽関連(主題歌CD/サントラ/ボーカル集)――「帯」「ブックレット」「盤面」が命

CDは供給が比較的多いが、状態差が価格差になりやすい。 ・帯付き/ブックレット欠品なしは評価が高く、特に当時盤の帯は“あるだけで価値が上がる”ことが多い。 ・サントラ系は再販や形式違いがある場合、欲しい版が明確なコレクターがいるため「版違い(初版・再版)」「型番」「ジャケット仕様」が価格に効く。 ・盤面傷があっても再生できる場合があるが、コレクターは“傷なし”を好むので、同じタイトルでも価格の幅が出る。 フリマでありがちな注意点は「ケース割れ」「歌詞カードのヨレ」「ディスクの曇り」。安い出品はこのあたりのどれかが理由になっていることが多い。

ガンプラ・玩具(プラモデル/完成品トイ/フィギュア)――未組立か組立済みかで市場が分離

立体物は“未組立”と“組立済み”でほぼ別市場になる。 ・未組立プラモデルは箱の状態、内袋未開封、説明書、デカールの有無が重視される。箱痛みでも中身が完璧なら売れるが、内袋欠品・ランナー欠けは致命的。 ・組立済みは安くなりやすいが、塗装済みの出来が良いもの、改造のセンスが良いものは逆に高くなることがある。 ・完成品トイやフィギュアは、関節のヘタリ、欠品(手首・武器・台座)、変色(黄ばみ)、関節割れが価格に直結する。特に“光の翼”などエフェクト系パーツは欠品しやすく、付属しているだけで価値が上がりやすい。 狙い目は、組立済みを「部品取り・改造ベース」として買うルート。注意点は、写真で見えない小パーツ欠品が多いことと、タバコ臭・ベタつき(加水分解系)があること。

ゲーム関連(参戦作品・周辺ソフト)――「単体作品」より“シリーズまとめ売り”で価格が動く

Vガンダム単独タイトルというより、ガンダム集合系ゲームで触れる人が多いぶん、中古市場では「シリーズまとめ売り」「本体セット」「攻略本付き」など、セット出品で相場が動きやすい。 単品は安く出回ることも多いが、限定版・初回特典・付録ディスクが付くものはコレクター需要がある。注意点は「通常版と限定版の写真が紛らわしい」「外箱だけ」「特典だけ」など“部分売り”が混ざること。説明文を丁寧に読むのが必須だ。

文房具・日用品・食玩――当時物は数が減っており「未使用」「台紙付き」が武器

小物系は、残っているだけで価値が出るジャンルになりやすい。 ・下敷き、シール、カード、消しゴムなどは、未使用・台紙付き・袋入りが強い。 ・弁当箱やコップのような日用品は、保管中の傷や匂いがネックになるが、未開封なら一気にコレクター向けになる。 ・食玩は“中身だけ”だと安く、“外箱・ミニブック・台紙付き”だと跳ねやすい。 フリマでは「まとめ売りで相場より安い」ケースが多く、Vガンダム以外のガンダム作品と混ざったロットから掘り当てる楽しみがある。ただし、写真が少ない出品は状態ブレが大きいので、安さだけで突っ込むと“傷・汚れ・欠品”に当たりやすい。

落札・購入時のチェックポイント――Vガンダムは“付属品ゲーム”になりやすい

中古で失敗しにくい確認点をまとめると、だいたいここに集約される。 ・「完品」と書かれているか(書かれていない場合は欠品前提で見る) ・帯、ブックレット、特典、応募券、台紙など“紙類”の有無 ・ディスクは盤面の写真があるか/再生確認の記載があるか ・プラモは内袋未開封か/ランナー写真があるか ・フィギュアは付属パーツを一覧で写しているか(手首・武器・台座) Vガンダムは、作品の重さゆえに「好きな人が集めるもの」としての比率が高く、コレクターは“揃っていること”に価値を置く。だからこそ、付属品が揃った出品は強く、欠けた出品は急に弱くなる。その落差を理解すると、狙い目も見えてくる。

中古市場まとめ――「完品で持つ」か「ベースで集める」か、目的で買い方が変わる

Vガンダム関連の中古市場は、 ・BOXや特典付きで“作品を保存する”方向(映像・音楽・資料) ・未組立や拡張パーツで“機体を手元で完成させる”方向(ガンプラ・立体物) この二つが柱になる。完品志向ならオークションの方が安全だが価格は上がりやすい。ベース志向ならフリマのまとめ売りが強いが、状態と欠品のリスクが増える。 作品自体が強烈で、ファンの熱量が濃いからこそ、欲しいものは“条件が揃った個体”を狙うのが満足度が高い。逆に、安さ重視で雑に買うと、後から「結局また買い直す」ことになりやすい――Vガンダムの中古市場は、そういう“遠回り”が発生しやすいジャンルでもある。

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