『ぎゅわんぶらあ自己中心派3 望郷さすらい雀士編』(パソコンゲーム)

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【発売】:ゲームアーツ
【対応パソコン】:PC-8801
【発売日】:1988年
【ジャンル】:麻雀ゲーム

[game-ue]

■ 概要

●「自己中心派」を“対局ゲーム”として磨き直した第3弾

『ぎゅわんぶらあ自己中心派3 望郷さすらい雀士編』は、片山まさゆき氏の麻雀ギャグ漫画を土台に、“変な打ち方をする連中と真面目に麻雀を打たされる”というシリーズ特有の面白さを、PC-8801向けにさらに整えた麻雀ゲームだ。発売は1988年12月16日で、当時のPC用麻雀としては「役を覚えるための教材」よりも、「相手の性格に振り回される対局ドラマ」を前面に出していたのが特徴になる。

●主役は麻雀そのもの+“人格”がにじむAI

本作を説明するとき、牌効率や点数計算の正確さだけでは半分しか語れない。軸になっているのは、対局相手がそれぞれ“妙に偏った信念”で打ってくることだ。守備のはずが急に無茶をしたり、鳴きを連打して場を荒らしたり、染め手に固執して引くに引けなくなったり――そういう「人間くさい偏り」を、ゲーム側が意図的に表現している。だからプレイヤーは、ただ良い手を作るだけではなく、「この相手は何を狙ってくるか」「この局面はどんな事故が起きやすいか」を読み、相手の“クセ”込みで一局を組み立てることになる。

●新規参加キャラ中心の“単体パッケージ”として成立

サブタイトルの「望郷さすらい雀士編」が示す通り、本作はシリーズの続き物でありながら、これ単体でも対局ゲームとして遊べるように作られている。メニューから対局相手を選び、局を進め、勝ち負けと内容で自分の打ち筋を省みる――この流れだけで十分に完結する。一方で、シリーズ作品を併用すると遊びの幅が広がる“拡張パーツ”的な側面も併せ持つ。具体的には、過去作と組み合わせることで、対局メンバーや指導役の選択肢が大きく増え、好みのメンツで卓を作る楽しさが強くなる(最大34人規模の顔ぶれから選べる、というのが当時の売りの一つだ)。

●「打つ→振り返る」を支える3つの補助機能

本作が“ただの対戦麻雀”で終わらない理由は、遊び方を支える補助が最初から入っている点にある。ひとつは、局面に応じた打ち方の考え方を確認できる指導系のモード。次に、打牌を自動化して進行を眺められるオート系のモード。最後に、対局内容を踏まえて自分の雀力傾向を測る判定機能(いわゆる「タコ度判定」)が用意されている。これらは“練習機能”というより、「クセの強い相手と打った結果、自分がどんな負け方をしたのか」を言語化するための仕掛けだ。麻雀は反省が難しいゲームだが、本作はそこをゲーム側から手助けしてくれる。

●ルールや手触りは“余計な飾りを削った”シリーズ流儀

システム面は、シリーズの基本形を踏襲している。麻雀として当たり前の流れ(配牌→ツモ→打牌→鳴き→和了/流局)がテンポ良く回ることを優先し、奇抜なミニゲーム要素で水増しするタイプではない。だからこそ、相手の性格がそのまま難易度や局の空気に直結する。「役満を狙ってくる強欲さ」「鳴きで速度を上げるせっかちさ」「安全牌より見栄を取るような押し」など、相手の“生き様”が局に表れ、それをいなすのが主題になる。

●PC-8801向けならではの“遊びの前提”も含めて味わう

対応機種はPC-8801系(mkII/SRなど)で、メディアは5インチ2D。プレイ人数は1人用として作られている。つまり本作の中心体験は、対戦相手のAIと向き合う“ひとり遊びの濃さ”だ。当時のPC環境では、起動してすぐ遊ぶまでの手順も含めてゲームの一部だったが、本作はその手間の先に「今日は誰のクセと戦うか」を選ぶ楽しさが待っている。対局の読み合いというより、“キャラの癖の研究”に没頭していくタイプの麻雀ゲームで、ここが普通の麻雀ソフトと分岐する。

●まとめ:第3弾は“卓のキャラ劇”を遊ぶ麻雀

『望郷さすらい雀士編』は、麻雀の正解手順を教えるだけの作品ではなく、「同じルールを共有しているのに、相手が変わると別ゲームになる」という麻雀の面白さを、キャラクターAIで増幅した一本だ。単体でも成立しつつ、シリーズ併用で卓作りの自由度が上がる構造は、“麻雀ゲームをコレクションして世界を広げる”感覚にも近い。勝つこと自体はもちろん目的になるが、それ以上に「どう負けたか/どう崩されたか」が思い出として残る――そんな方向性で設計された、PC-8801時代らしい濃厚なキャラ麻雀と言える。

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■ ゲームの魅力とは?

●“麻雀が強い/弱い”では語れない、キャラ麻雀の快感

本作の面白さは、点数計算ができるかどうかより先に「相手が何者か」を意識させてくるところにある。普通の麻雀ゲームは、相手の打ち筋が平均化していて、結局は自分の手牌判断がすべてになりがちだ。ところが『望郷さすらい雀士編』は、相手が“性格そのもの”を武器にしてくる。鳴きで場を騒がせてテンポを崩す者、染め手に固執して勝負を賭けてくる者、無茶を承知で突っ込み続ける者――こうした偏りが局の空気を変え、こちらの打ち方まで歪ませてくる。勝敗は点棒で決まるのに、勝った気分・負けた気分は「どんな相手に、どう振り回されたか」で決まる。その“対局の物語性”が、キャラ麻雀というジャンルの醍醐味になっている。

●打牌の読み合いが「癖の読み合い」に変換される

麻雀は本来、河や鳴きから相手の手を推測し、危険牌を避ける読みが醍醐味だ。本作ではその読みが、さらに一段上の「この相手はここで引かない」「この相手はテンパイ気配が薄くても鳴いてくる」「この相手はオリの姿勢が遅い」といった“人格の推測”に変換される。たとえば、同じように中張牌が切られていても、相手が速度重視タイプなら「鳴きが入りそうだ」と身構えるし、染め手タイプなら「色に寄せるための整理かもしれない」と読む。つまり、本作の麻雀は牌姿の推理に加えて、相手の癖という“もう一枚の情報”が常に重なる。読みが当たったときの気持ちよさが、単なる牌効率の正解を当てたときとは別の種類の快感になって返ってくる。

●「シンプルさ」がキャラの濃さを際立たせる設計

本作は、奇抜なイベントや派手な演出で盛り上げる方向ではなく、対局の基本手順を崩さない作りになっている。だからこそ、余計なものが視界に入らず、キャラクターの打ち筋の差がくっきり浮かぶ。局の立ち上がりから終盤まで、こちらがやることは基本的に同じ――安全度と打点のバランスを取り、押し引きを判断し、タイミングを見て鳴くか黙るかを決める。その当たり前の判断が、相手の癖によって難しくなる。シンプルな舞台の上で、役者だけが派手に暴れるから、見せ場がブレない。麻雀ゲームとしての芯が太いのに、対戦体験は毎回違う。この“硬派さと珍味の同居”が、シリーズが支持される理由の一つだ。

●一局ごとのドラマが濃い:事故も含めて“面白い負け方”になる

麻雀は運の要素が大きく、負けが続くと理不尽に感じやすい。本作が巧いのは、その理不尽さすら「相手のキャラが引き起こした事件」に変換できるところだ。たとえば、やたら鳴く相手にテンポを崩されて、こちらの手が育つ前に局が終わる。染め手一直線の相手が、薄い待ちでも突っ張ってきて、こちらの読みが裏目に出る。こうした展開は、普通の麻雀ソフトだと単なる運負けになりやすい。しかし本作では「またあのタイプにやられた」「あいつはああいう無茶を通してくる」と納得できる筋書きが生まれる。悔しさが“学び”として残るから、次の対局へのモチベーションに変わりやすい。負けたときこそ記憶に残る、というのは対戦ゲームとして強い魅力だ。

●相手選びが“ゲーム選び”になる:卓を組む楽しさ

本作単体でも、登場雀士の顔ぶれがしっかり個性を持っていて、相手を変えるだけで難度や展開が変わる。さらにシリーズ併用が可能な環境だと、相手選択そのものが遊びになる。今日は鳴き合戦の卓を作って場を荒らしてみる、今日は高打点狙いの連中だけ集めて一発の怖さを味わう、今日は堅実派を混ぜて“普通の麻雀”に近づけてみる――同じルールなのに卓の設計でゲームの味が変わる。自分の実力試しとして、あえて苦手なタイプだけ並べることもできるし、気分転換に“接待卓”を作って気持ちよく打つこともできる。麻雀ゲームにおいて、相手選択がここまでコンテンツになるのは珍しい。

●指導モードが“説教”ではなく“反省会”になっている

麻雀の指導機能は、間違い探しのように「この一手がダメ」と言われて終わるものも多い。本作の良さは、指導系の仕組みが“型にはめる”ためではなく、“自分の癖を自覚させる”方向に寄っている点だ。押しすぎる人は押しすぎる理由があるし、守りすぎる人は守りすぎる怖さを持っている。そこを一刀両断で切るのではなく、対局の流れの中で「今の選択がどういう未来を呼びやすいか」を振り返らせる。結果的に、打ち方の幅が広がりやすい。キャラの濃い相手と打ったあとに指導機能を見ると、自分が相手の癖に引っ張られて“いつもの悪い癖”を出しているのが見える瞬間がある。そこが気持ちよく、上達の実感につながる。

●オートモードで“卓の空気”を観察できるのが強い

本作のオート系の機能は、単なる放置プレイのためではなく、観察ツールとして効く。自分が打っていると、どうしても「自分の手牌」の都合で視野が狭くなる。オートで進行を眺めると、相手同士の相性が見える。鳴きタイプがいると局が短くなりやすいとか、染め手タイプが複数いると場が極端に寄りやすいとか、守備寄りが混ざると点棒の移動が小さくなるとか、そういう“卓全体のクセ”が把握できる。観察で得た感覚は、自分が打つときの読みの土台になる。キャラ麻雀の面白さは、対局するだけでなく“研究する楽しさ”にもあるが、オートはその入口としてよく機能している。

●タコ度判定が、笑いと痛みを同時にくれる

判定機能は、真面目に受け取れば自分の弱点分析になり、軽く受け取れば“ネタとしての通知”になる。ここが絶妙で、ストイックな人にも、気楽に遊びたい人にも刺さる。麻雀は反省材料が多すぎて、どこから直せばいいのか迷いやすいが、判定で大づかみに方向性が示されると、次に試す行動が決まりやすい。たとえば「押し引きの境界が曖昧」「鳴きに引っ張られて手が粗くなる」「打点を追いすぎる」など、自分の傾向が“言葉”になるだけで、対局の見え方が変わる。しかも本作の場合、相手のキャラも強烈なので、判定結果が“自分の性格診断”のように感じられて笑える場面も出てくる。この笑いがあるから、反省が重たくならず、次の対局へ進みやすい。

●PC-8801時代の手触り:テンポと没入感のバランス

当時のPCゲームは、起動や操作のクセも含めて作品の体験になりがちだったが、本作は対局のテンポを崩さない方向でまとまっている。麻雀はテンポが命で、引っかかりが多いと一気に疲れる。その点、本作は“余計な間”が少なく、局が自然に流れる。流れが良いからこそ、相手の奇行や読み違いが際立ち、「次はどうなる?」と続けてしまう。派手な派手さではなく、長時間座っていられる心地よさがある。気づくと何局も打っていて、結果よりも対局の記憶が積み上がっている――この中毒性が、PC麻雀の名作らしい魅力だ。

●魅力のまとめ:麻雀+キャラ+自己分析=“飽きにくい一人遊び”

『望郷さすらい雀士編』は、麻雀の基本を崩さずに、相手の人格で対局体験を変え、さらに指導・観察・判定で自分の打ち方を振り返らせる。だから、単純な勝ち負けだけで終わらない。「あの相手にはどう対応すべきか」「自分はどう崩れやすいか」「卓の空気をどう作るか」という問いが、毎回形を変えて戻ってくる。結果として、麻雀ゲームとしても、キャラゲームとしても、そして自己分析の遊びとしても成立する。真面目に打ってもよし、笑いながら打ってもよし。遊び方の幅そのものが、本作の最大の魅力だ。

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■ ゲームの攻略など

●攻略の前提:「牌効率」より先に「相手の癖」を把握する

『望郷さすらい雀士編』は、普通の麻雀ゲームのように「最短でテンパイして、危険牌を避けて…」だけで勝ち筋が安定しにくい。理由は単純で、相手が常に“最善手”を目指していないからだ。最善から外れる一手は通常なら弱点だが、本作ではそれが“キャラクターの武器”になっている。無理筋の染め手、無茶な鳴き、意味不明な押し――それらは確率的には損でも、局面を混乱させ、こちらの判断を早めたり遅らせたりして事故を呼ぶ。だから攻略の第一歩は、対局相手ごとに「このタイプは何を優先するか」をメモする感覚で覚えることになる。序盤の数局は勝ちを狙うより、相手の癖を観察して“卓のルール”を作るのが近道だ。

●基本戦術1:鳴き連打型には「打点より安全度+待ちの質」を上げる

鳴きが多い相手がいる卓は、とにかく局が短い。こちらが門前で育てる時間が削られるため、打点を追っている間に局が終わってしまう。対策は二段階ある。第一に、こちらも速度を上げるために“鳴いていい形”を準備すること。鳴きは万能ではなく、形が悪い状態で鳴くと待ちが弱くなり、結局打点も速度も落ちる。だから、鳴くなら「両面・シャンポンでのテンパイが見える手」「ドラや赤(環境による)に絡められる手」「役牌やタンヤオなど、成立が速い役が見える手」に限定する。第二に、安全度を上げる。鳴き卓は放銃が増える傾向があるので、守備の判断を一段早めにするだけで成績が安定する。鳴きで場が荒れるほど、危険牌を押したときの損失が大きいからだ。

●基本戦術2:染め手固執型には「早い段階で色を特定して壁を作る」

染め手を狙う相手は、序盤の河と鳴きに色が出やすい。ここで重要なのは「手が進んでいるか」よりも「色が何か」を早めに当てることだ。色が見えたら、こちらは二つの行動を取れる。ひとつは、その色の牌を極力切らずに“壁”として抱えること。もうひとつは、色がはっきりした瞬間に「押す局面」と「降りる局面」を明確に分けることだ。染め手相手に中途半端に押すと、読めない高打点に刺さる。逆に、こちらが先制テンパイや高打点の見込みを持っているなら、染め手は待ちの種類が偏りやすいので、筋・壁・現物を組み合わせて押し返す余地もある。ポイントは、染め手相手は“危険度の振れ幅”が大きいこと。だから、序盤の観察で危険度を固定し、判断を速くするのが攻略になる。

●基本戦術3:無茶押し型には「勝負する局と捨てる局を決め、期待値で勝つ」

無茶押しタイプは、こちらの「危ないだろう」という常識を踏み越えてくる。これが厄介なのは、こちらが守備を選んだ瞬間に“押し負けた気分”になりやすく、感情が打牌を支配し始める点だ。攻略として有効なのは、最初から局を二種類に分けること。「勝負局(押す)」と「捨て局(降りる)」だ。勝負局は、先制テンパイ、打点十分、待ち良し、守備材料あり――この条件が揃ったときだけに限定する。捨て局は、手が遅い・打点が低い・待ちが弱い・安全牌が多い――こういう状況を見たら、迷わず降りて被害を小さくする。無茶押し相手は放銃もするが、同じくらいこちらも刺さりやすい。だから“事故の総量”を減らし、勝負局だけで点棒を取り返す設計にすると、長期的に勝ちやすい。麻雀は一局の勝利ではなく、半荘の総計で勝つゲームだという原則が、こういう相手に対して最も効いてくる。

●基本戦術4:守備寄り・堅実型には「打点と速度の両輪」を意識する

堅実タイプは派手な事故が少なく、こちらのミスがそのまま点差になる。こういう相手に「運勝ち」狙いは効きにくい。だから、手作りの段階から“二段構え”を意識する。第一段は速度。守備型相手は簡単に放銃しないため、こちらが先制テンパイして主導権を握る局が増えると、押し引きが有利になる。第二段は打点。速度だけで攻めると、相手も降りて流局が増え、点が動かない。そこで、ドラや役牌、あるいは赤(環境による)など、打点の核を早めに作り、テンパイ時点で「押し返されても戦える形」を用意する。堅実型は、派手な負け方はしないが、こちらが細かい取りこぼしを続けると、じわじわ差が開く。丁寧さが攻略になる相手だ。

●中級者向け:本作で伸びる“押し引き”の考え方

『自己中心派』シリーズの対局は、相手の癖が極端だからこそ、押し引きの練習になる。具体的には「相手のテンパイ速度を読む」「相手がオリる気配があるかを見る」「相手が待ちを絞りやすいタイプか」を、キャラクター単位で体に染み込ませられる。たとえば鳴き型はテンパイが早いが、待ちが単調になりやすい。染め手型はテンパイは遅くても、刺さると高い。無茶押し型は、テンパイしてなくても押してくる可能性がある。こうした“確率の歪み”を前提に、押し引きを調整する癖がつく。普通の麻雀ゲームだと相手の個性が薄く、押し引きの判断がぼんやりしがちだが、本作は極端だから学習が早い。

●指導モードの使い方:負けた局だけ“巻き戻し”のつもりで見る

指導機能は、全部の局で確認すると疲れる。攻略として効率が良いのは、負けた局(特に放銃した局、押し負けた局)だけを重点的に振り返ることだ。そのときの見方は「この一手が正しいか?」ではなく、「この局で自分はどこで勝負を決めたか?」にする。放銃した瞬間より前に、すでに“勝負のスイッチ”を入れていたことが多い。安全牌があるのに押したのか、手が弱いのに突っ張ったのか、相手の癖を無視して危険牌を切ったのか。そこを言語化するだけで、次の対局の判断が速くなる。麻雀は迷いが一番の敵だから、迷いを減らす使い方が指導モードの正解だ。

●オートモード攻略:卓の相性を調べて“危険な組み合わせ”を把握する

オートは観察ツールとして優秀だ。攻略のためには、同じメンツで複数回回し、局の傾向を掴むと良い。鳴き型+無茶押し型が同卓すると放銃率が上がる、染め手型が複数いると一方の高打点が頻発する、堅実型が多いと流局が増える――こうした傾向は、自分が打つときの“警報”になる。たとえば「この卓は局が短い=門前高打点を育てにくい」と分かれば、最初から鳴ける手作りを優先する、といった形で戦略を変えられる。自分の打ち方を固定せず、卓に合わせて変える。これが本作の攻略の核心だ。

●タコ度判定の攻略的利用:結果を“目標”に変える

判定は、ただの点数ではなく「改善の方向」を示してくれるものとして使うと強い。もし「押しすぎ」と出るなら、次の半荘は“守備を一段早める”をテーマにする。逆に「守りすぎ」と出るなら、“先制テンパイは押す”をテーマにする。ここで重要なのは、テーマを一つに絞ること。麻雀は同時に全部直そうとすると崩れる。判定を利用して、毎回の半荘に“課題”を一つだけ持ち込む。すると、対局が練習として意味を持ち始め、勝ち負け以上に上達が実感できる。

●裏技的な楽しみ方:自分で「縛り」を作って腕試し

ゲーム上の派手な隠し要素を求めるより、本作は自分で遊び方を縛る方が面白い。たとえば「鳴き禁止でどこまで耐える」「染め手相手には一切押さずに守備徹底」「勝負局は満貫以上が見えるときだけ」など、ルールを決めると、同じ相手でも別のゲームになる。キャラ麻雀は相手の癖が強いから、縛りプレイによる難度調整が成立しやすい。勝ちに行くと見えなかった相手のクセが、縛りのせいで逆に浮かぶこともある。攻略と遊びが同じ線上にあるのが、本作の良さだ。

●攻略まとめ:本作は「卓に合わせて自分を変える」麻雀

『望郷さすらい雀士編』で勝つコツは、最強の定石を押し付けることではない。相手の癖が定石を歪ませるからこそ、観察→対応→反省の循環が強くなる。鳴き型には速度と安全、染め手型には色読みと被害管理、無茶押し型には勝負局の選別、堅実型には細部の丁寧さ。さらに指導・オート・判定を“研究道具”として使えば、ただ勝つだけでなく、勝ち方が洗練されていく。麻雀の攻略を一本のマニュアルではなく、相手ごとのレシピとして持つ――それがこの作品で強くなる最短ルートだ。

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■ 感想や評判

●当時のPC麻雀の中で「キャラ麻雀」という立ち位置が際立った

本作が語られるとき、まず出てくるのは「麻雀としての完成度」だけでなく、「対局相手が作品の主役になっている」という評価だ。80年代後半のPC麻雀は、ルール再現の正確さやスピード、画面の見やすさを競う方向も強かったが、『望郷さすらい雀士編』はそこに“漫画的な人格”を持ち込み、単なる点棒ゲームをドラマに変換した。勝てば爽快、負けても印象が残る、という方向性がはっきりしているため、「麻雀ゲームは作業になりやすい」という層からも“最後まで遊べる”という声が出やすかった。

●「AIのクセが強い=理不尽」ではなく「クセが強い=読み合い」になる

評判の核にあるのは、相手の打ち筋の偏りが“悪い乱数”ではなく“キャラクター”として受け取れる点だ。普通の麻雀ゲームで、相手が急に無茶をして刺さると、プレイヤーは運負けとしてストレスを感じやすい。ところが本作では、相手の行動が一貫して“そのキャラらしい”ため、理不尽さが「またあいつのいつものやつだ」に置き換わる。つまり、腹は立つが納得はできる。この感覚は対戦ゲームとして大事で、納得できる負けは、次の一局への意欲を保ちやすい。結果として「やめどきが分からない」「もう一回だけが続く」という中毒性に繋がる、という語られ方が多いタイプの作品だ。

●単体でも楽しめるが「シリーズ併用」が語り草になりやすい

本作単体でも対局の面白さは成立する一方、シリーズを揃えると人数や組み合わせの幅が増え、“卓を作る遊び”が膨らむ。ここが口コミで広がりやすいポイントだった。麻雀ゲームのレビューは「強い」「弱い」「役の処理が変」といった機能面に寄りがちだが、本作は「この組み合わせの卓が地獄」「この卓は妙に平和」など、卓の感想がそのまま評判になる。ゲームの話をしているのに、卓上の人間関係の噂話をしているような盛り上がり方が起きやすく、そこがシリーズの文化として残った。

●指導・オート・判定の存在が「練習用としても便利」と見られた

キャラ麻雀は“ネタ枠”として見られがちだが、本作の場合、指導モードやオートモード、判定機能があることで「ちゃんと上達に使える」という評価に繋がる。対局中は笑えるのに、負けたあとに振り返ると、自分の押し引きがどれだけ雑だったかが見えてしまう。ここが面白くもあり、刺さるところでもある。麻雀は自己評価が甘くなりやすいが、判定や指導によって“自分の癖”が言葉として出てくると、上達の入口になる。結果として「娯楽なのに練習にもなる」「練習なのに笑える」という二面性が評判の強みになった。

●演出の派手さより「テンポの良さ」が褒められやすいタイプ

視覚的な豪華さで勝負するゲームではないが、麻雀ゲームにとっての生命線である“テンポ”がしっかりしていることは、当時も今も評価ポイントになる。対局の流れがスムーズだと、相手のクセの強さがストレートに効いてくる。逆にテンポが悪いと、クセの強さは単なるストレスに変わる。本作はその境界を越えにくい作りで、長時間打っても疲れにくい、という語られ方をされやすい。派手なご馳走ではなく、ずっと食べられる濃い味、という評価のされ方だ。

●「麻雀そのものが好き」より「麻雀+キャラが好き」に刺さる

評判を分けるポイントはここにある。純粋な競技麻雀寄りの感覚で遊ぶと、相手の偏りを“変な打ち手”として嫌う可能性がある。一方、麻雀を題材にした作品世界やキャラクター性を楽しみたい人には、これ以上ない刺さり方をする。要するに、本作は“正しい麻雀”を再現するより、“楽しい麻雀”を演出する方向に振っている。だから好き嫌いは分かれるが、ハマった人には長く残る。特に漫画『ぎゅわんぶらあ自己中心派』の空気が好きな人ほど「このキャラと打っている感」が快感になる。

●難易度に関する声:強さより「相性」で難しくなる

「CPUが強いか?」という質問に対して、本作は少し答えづらい。なぜなら難しさの正体が、単純な強さではなく“相性”だからだ。鳴き連打型が苦手な人にとっては地獄の卓になり、押し引きに自信がある人なら被害を抑えられる。染め手の色読みが苦手なら高打点に刺さり、逆に読みが得意なら“当てて避ける快感”が得られる。つまり、上達要素がそのまま難易度調整になっている。プレイヤー側の弱点がそのまま刺さる作りなので、最初は厳しく感じても、慣れてくると「勝てるようになった理由」が見えやすい。

●現代目線での評判:レトロPC麻雀として“性格の濃さ”が価値になる

今の視点で振り返ると、本作の価値はグラフィックや快適性より、「当時のPCゲームらしい濃さ」と「キャラAIの偏り」が作る唯一性にある。現代の麻雀ゲームはオンライン対戦が主流で、相手は人間になりやすい。だからこそ、人格をプログラムで再現した“作られたクセ”が逆に新鮮に映る。実在の誰かと打つ麻雀とは違う、作品世界の住人と卓を囲む感覚。そこを楽しめる人にとって、本作は今でも“替えがきかない一作”として語られやすい。

●感想・評判のまとめ:好みは分かれるが、刺さる人には忘れられない

『望郷さすらい雀士編』は、万人向けの教科書ではなく、キャラ麻雀の濃い味を求める人に向けた一本だ。相手のクセが強いから、最初は理不尽に感じることもある。しかし、その理不尽さが“キャラの一貫性”として見えてくると、読み合いになり、学びになり、笑いにもなる。麻雀の勝敗より「どんな卓だったか」が記憶に残る――そのタイプのゲーム体験が好きな人から、強く支持される。

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■ 良かったところ

●相手が“牌”ではなく“人”として立ち上がる:キャラAIの存在感

本作でまず評価されやすいのは、対局相手が単なるCPUではなく「この卓にはこういう奴がいる」と感じられる点だ。麻雀ゲームの相手は、強い弱いより“無個性”が一番退屈になりやすい。本作はそこを逆手に取り、偏りを「癖」「信念」「悪癖」として見せる。鳴きで場を荒らすタイプがいると局が短くなり、染め手が好きなタイプがいると河に色が漂い、無茶押しがいると安全牌の価値が急に上がる。卓の空気が相手の構成で変わるので、同じルールを何度繰り返しても飽きにくい。これが“良かった”と感じる一番大きな理由になりやすい。

●負けても納得できる「筋書き」が生まれる:理不尽が物語に変わる

麻雀は運が絡むため、負けが続くと気持ちが折れやすい。ところが本作は、負け方が「運が悪かった」だけで終わりにくい。なぜ刺さったのか、なぜ局が短かったのか、なぜ自分が押しすぎたのか――それが相手の癖と噛み合って説明できる。たとえば鳴き連打型がいる卓で門前手を育てるのが遅れた、染め手固執型に色読みを外して高打点に刺さった、無茶押し型に心理的に引っ張られて普段より押してしまった。こういう“筋書き”が付くと、負けが反省材料になる。悔しいのに、もう一度打ちたくなる。この循環が成立するのは、キャラ麻雀としてかなり強い長所だ。

●テンポが良く、長時間打っても疲れにくい:麻雀ゲームとしての土台が堅い

キャラもの麻雀は演出が濃いほどテンポが悪くなり、結局遊ばれなくなるケースもある。本作は、対局そのものの流れを崩さず、必要な情報を見やすくまとめる方向で作られている。結果として、数局だけのつもりが半荘をもう一回…と続きやすい。麻雀はテンポが命で、判断の連続が続くゲームだからこそ、操作の引っかかりが少ないのは大きい。派手な魅せ方ではなく、対局の“回りの良さ”で支える作りが、レトロPC麻雀としての評価点になる。

●指導・オート・判定が揃っている:遊びながら上達に繋がる

本作が“ネタ枠で終わらない”理由として、補助機能の存在が大きい。指導モードで局面の考え方を振り返れ、オートモードで卓全体の傾向を観察でき、判定機能で自分の傾向が言語化される。麻雀は反省が難しく、特に「負けた理由」が運のせいなのか判断ミスなのか曖昧になりがちだ。本作はそこに“振り返りの取っかかり”を用意してくれる。結果として、キャラ麻雀で笑いながら遊んでいたはずが、いつの間にか押し引きや危険牌判断が良くなっている、という体験が起こりやすい。

●卓を作る楽しさがある:相手選びがコンテンツになる

単体でも相手の個性は濃いが、シリーズ併用が可能な環境だと“卓作り”がさらに楽しくなる。鳴きタイプばかりで高速卓を作ったり、染め手タイプ中心で一発の怖い卓にしたり、堅実派を混ぜて落ち着いた卓にしたり。こういう遊び方は、オンライン対戦のように相手がランダムな環境では得にくい。CPU相手だからこそ「こういう卓を試したい」が通る。しかも、卓の構成を変えるだけで体感難度も局の雰囲気も変わるので、マンネリになりにくい。

●“クセの研究”が楽しい:攻略がそのまま娯楽になる

本作は、攻略が単なる効率化ではなく、研究そのものが楽しみになる。相手の河を見て「色が出た」「鳴きが増えた」「押しが強くなった」と変化を追い、次の局で対応を試す。これを繰り返すと、麻雀の読みが“相手の人格”に接続されていく。普通の麻雀ゲームだと、読みが当たっても淡々と終わることが多いが、本作では「やっぱりそう来たか」「ここでそれをやるのか」と感情が動く。読みが当たる快感に、キャラの納得感が上乗せされるのが良いところだ。

●漫画原作ものとしての“空気”が残る:作品世界で打っている感覚

原作のファンからすると、「あの世界観の住人と卓を囲む」こと自体がご褒美になる。麻雀の勝ち負けだけではなく、対局中ににじむ癖や立ち回りが“そのキャラらしい”と感じられる瞬間があると、ゲーム体験が一段濃くなる。キャラが単に絵として存在するだけではなく、打ち筋に意味を持つ。これは原作付きゲームとして強いポイントで、ファンが長く覚えている理由にもなる。

●短所を上回る“味”がある:尖っているからこそ記憶に残る

万人向けではない。だが、尖っているからこそ刺さる。本作の良かったところは、結局ここに集約される。相手の癖が強い、展開が荒れる、理不尽に感じる局もある――それでも「またあいつと打ちたい」「次はこう対応したい」という感情が残る。麻雀ゲームで一番怖いのは飽きだが、本作は飽きより先に“因縁”が積み上がる。勝っても負けても印象が残る対局を積み重ねられる点が、良さとして語られやすい。

●良かったところのまとめ:麻雀の面白さを“人間臭さ”で増幅した

『望郷さすらい雀士編』の長所は、麻雀の基本を壊さずに、相手の人格で局をドラマに変え、さらに振り返り機能で学びに繋げた点にある。テンポの良さ、研究の楽しさ、卓作りの自由度、負けの納得感――これらが組み合わさり、「ただの麻雀」では得にくい満足感を作る。勝つために打つのに、勝ち以外の記憶も残る。そこが“良かった”と言われる核心だ。

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■ 悪かったところ

●クセの強さが裏目に出ると「理不尽」に感じやすい

本作の武器である“キャラの偏った打ち筋”は、人によってはそのまま不満点にもなる。相手が定石から外れた行動をすると、こちらの読みが成立しにくく、普通なら避けられるはずの事故が起きる。特に、麻雀を「読みのゲーム」として真面目に捉えている人ほど、相手の無茶が刺さったときに“納得する余地”が少なくなりやすい。キャラとして受け止められれば笑えるが、競技性を求める視点だと「まともに麻雀をしていない」と感じてしまう瞬間がある。良さと悪さが表裏一体になっている点は、この作品の宿命だ。

●卓が荒れやすく、安定志向の人には疲れることがある

鳴きが多い、押しが強い、染め手が飛び交う――こういう卓は刺激的だが、同時に精神的な負荷も高い。局が短く、点棒が大きく動きやすいと、集中力が切れた瞬間に致命傷が増える。落ち着いた麻雀、じわじわした差を積む麻雀が好きな人にとっては、本作は“常に荒天”のように感じられることがある。もちろん卓の構成次第で緩和はできるが、単体で遊ぶ場合でもキャラの濃さが前提なので、「今日は静かに打ちたい」という気分のときに合わない可能性はある。

●「読み」が“牌の読み”から“性格の読み”へ寄りすぎる好み問題

本作の面白さは、相手の性格を読むことにある。しかしその方向性が、麻雀の本質である“牌効率・押し引き・安全度”の読みとは別のゲームに見えてしまうことがある。たとえば「この相手は引かないから危険牌が通りにくい」と分かっていても、相手が理屈を超えて突っ張ってくると、結局は“変なものを引いた側が勝つ”ように見える局も出る。ここを「だから面白い」と捉えるか、「麻雀の読みが崩れる」と捉えるかで評価が割れる。悪かったところとして挙げられるのは、この“麻雀観の違い”に刺さりやすい点だ。

●学習機能は便利だが、使い方を誤ると「説教くささ」に感じる

指導や判定は本来長所だが、受け取り方によってはストレスにもなる。麻雀は負けた直後が一番気持ちが荒れている。その状態で判定結果を突きつけられると、「分かってるけど今は聞きたくない」という気分になることがある。また、指導が“正解一つ”に寄って見えると、キャラ麻雀の自由さと相性が悪く感じる場合もある。結局、これらの機能は「自分の癖を知るための材料」として使うのが良いのだが、そこに気づくまでに“言われた感”を抱く人がいるのは欠点として挙げられやすい。

●シリーズ併用前提の魅力が強く、単体だと物足りないと感じる人もいる

本作単体でも遊べるようには作られているが、シリーズ併用で卓作りの幅が増える構造は、逆に言うと「揃っている人ほど楽しそう」に見えてしまう部分がある。後から触れた人が「もっとキャラが多ければ…」「この卓の組み合わせも試したい」と思ったとき、単体だけでは叶わない。もちろん当時は拡張的な遊び方そのものが魅力でもあったが、単体で完結する満腹感を求める人には“追加前提の設計”が短所に映る可能性がある。

●演出面は質実で、派手さを期待すると地味に感じる

本作は対局のテンポを重視している分、演出は必要最小限になりやすい。キャラゲームとして派手なイベントや多彩なカットインを期待すると、「思ったより静か」「対局が淡々と進む」と感じることがある。特に、現代の麻雀ゲーム(派手な演出やボイス、演出盛り盛りの和了表現)に慣れた人が触れると、その落差で地味に映りやすい。逆に言えば、地味だからこそ長時間打てるのだが、第一印象で損をする可能性はある。

●当時のPC環境由来の“遊びやすさ”のハードル

PC-8801時代のゲームは、環境によっては起動手順や周辺の扱いが手間になる。本作自体の欠点というより、当時の遊びの前提として、現代の感覚だと“敷居”になる部分がある。テンポの良さはゲーム内では成立しているが、そこに到達するまでの準備や、環境差による快適性の揺れは、現代のユーザーにとって不満点になりうる。レトロPCゲーム全般に言えるが、「遊ぶための手間」も含めて味として受け入れられるかが分かれ目になる。

●極端な卓だと、実戦麻雀の練習になりにくい局面もある

キャラ麻雀としては正解でも、実戦の練習として見ると、相手の打ち筋が極端すぎて参考になりにくい瞬間がある。特に、無茶押しが多い卓や、鳴きが過剰な卓だと、現実の一般的な対局では起きにくい展開が続き、そこで身についた感覚がそのまま通用しないこともある。もちろん押し引きの判断力や危険牌意識は鍛えられるが、「標準的な相手に対する最適」を磨くというより、「変則相手に対する対応力」を鍛える側に寄る。練習の目的が明確でないと、上達の方向がブレる可能性がある。

●悪かったところのまとめ:尖りが魅力であり、同時に相性の壁になる

本作の欠点は、ほとんどが“尖った魅力”の裏返しだ。キャラの癖が濃いから理不尽に感じることがある。卓が荒れるから疲れることがある。シリーズ併用の楽しさが見えるから単体が物足りないと感じることがある。演出が質実だから地味に見えることがある。どれも、合う人には長所になるが、合わない人には短所になる。だからこそ本作は、万人向けの麻雀ではなく「キャラ麻雀が好きかどうか」で評価が大きく分かれるタイプの作品だ。

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■ 好きなキャラクター

●「好き」は強さより“物語”で決まる:このゲームならではの推し方

『望郷さすらい雀士編』で「好きなキャラクター」を語るとき、単純な強さランキングよりも、「あいつと打つと卓がこうなる」「あいつのせいでこういう局が生まれる」という“体験の記憶”が先に立つ。強いから好き、弱いから嫌い、ではなく、勝っても負けても印象が残る相手ほど推しになりやすい。麻雀は局の連続だから、キャラの性格が毎局の判断に染み出すほど、その存在は濃くなる。だから本作の推しは、顔や設定より「打ち筋のクセに惚れる」ことが多い。ここが、キャラものゲームとしての面白いところだ。

●鳴きの化身タイプ:卓のテンポを支配する“加速装置”が好き

鳴きを多用するキャラクターは、好き嫌いが分かれやすいが、推しになりやすい条件を満たしている。それは、卓の空気を“自分の速度”に合わせて変えてしまう支配力だ。鳴きが入るたびに河の情報量が増え、手牌の可能性が一気に狭まる。こちらは安全牌を探す余裕が減り、押し引きの決断を早められる。結果として、普段より短い時間で濃い判断をさせられる。そういう相手は、勝てば「読み勝った」実感が強いし、負けても「卓を荒らされた」記憶が強烈に残る。推しとして見ると、対局のテンポそのものを演出する“舞台装置”になっているのが魅力だ。

●染め手一直線タイプ:河に“色”を描く職人が好き

染め手を狙うキャラは、麻雀の面白さを分かりやすく見せてくれる。色が偏ると、河が一種の絵になる。序盤から同じ色の牌が消え、鳴きで色が固定され、こちらの捨て牌にも緊張が走る。染め手相手の怖さは打点の高さだけではない。「自分がその色を切れなくなる」心理戦が始まることだ。抱えて守ると手が育たず、切ると刺さりやすい。その板挟みを作り出す相手は、対局にドラマを起こす才能を持っている。推しとしては、「河を見ただけで存在が分かる」アイコン性が強い。打ち筋が視覚的に分かるキャラは、見ていて気持ちよく、語りたくなる。

●無茶押しタイプ:理屈を踏み越えてくる“厄介さ”が好き

無茶押しは、対局相手としては厄介だが、キャラとしては極めて魅力的だ。なぜなら、こちらの麻雀観を試してくるからだ。「ここは危険だから押さない」という常識を、平気で壊してくる。するとプレイヤー側は、守備だけでなく“勝負する局面”の選別が上手くなる。無茶押し相手が推しになる人は、たいていこの“鍛えられる感”が好きだ。勝てば達成感が大きく、負ければ腹が立つ。でも腹が立つほど記憶に残り、因縁が積み上がる。麻雀ゲームで推しが生まれるのは、だいたいこういう“感情を動かす相手”だ。

●堅実・守備型タイプ:静かな怖さを持つ“職人”が好き

派手なキャラに目が行きがちだが、堅実型が推しになる人もいる。理由は、勝っても負けても内容が“自分の実力”として返ってくるからだ。堅実型は大事故を起こさず、こちらのミスだけを確実に拾う。放銃させにくいし、無理もしてこない。その代わり、こちらの小さな取りこぼしが積み重なって、気づけば点差がついている。推しとして見ると、派手さがないのに存在感がある。対局後に「結局あの相手が一番手強かった」と思わせるタイプで、玄人好みの魅力がある。

●本作の“好きなキャラ”は、打ち筋の相性=自分の性格の鏡になる

面白いのは、推しがそのまま自分の麻雀観を映すことだ。速度勝負が好きなら鳴き型が好きになりやすい。読みの精度を試したいなら染め手型が好きになりやすい。度胸勝負が好きなら無茶押し型に惹かれやすい。理詰めの安定が好きなら堅実型が好きになりやすい。つまり、推しを語ることは「自分は麻雀で何が気持ちいいと思っているか」を語ることに近い。本作はキャラが極端だから、この鏡像が分かりやすく出る。推し談義が盛り上がるのは、単にキャラが濃いからではなく、プレイヤー自身の価値観が浮き彫りになるからだ。

●“推しキャラとの付き合い方”が、そのまま攻略になる

好きなキャラができると、つい同じ相手と何度も打ちたくなる。これは攻略的にも良い。相手の癖を掴み、対応が洗練されるほど勝率が上がるし、勝てるようになった過程自体が面白いからだ。鳴き型が推しなら、速度に合わせた手作りと守備の早さが身につく。染め手型が推しなら、河読みと壁作りが強くなる。無茶押し型が推しなら、勝負局の選別と被害管理が上手くなる。堅実型が推しなら、手順の丁寧さと点棒管理が身につく。推しが“先生”になる構造が、本作のキャラ麻雀としての完成度を物語っている。

●キャラ名を覚えていなくても成立する“タイプ推し”ができるのが強み

本作の魅力は、特定のキャラ名を知らなくても「鳴きのやつが好き」「色に寄せるやつが好き」とタイプで推せることだ。これは、打ち筋がしっかり差別化されている証拠でもある。キャラの見た目や台詞だけでなく、ゲームの中核である“打牌”が個性を担っている。だから、推しの語りが自然に麻雀の話になり、麻雀の話が自然に推し語りになる。この混ざり方が、キャラ麻雀の理想形に近い。

●好きなキャラクターまとめ:卓に残る“癖の記憶”こそが推しになる

『望郷さすらい雀士編』の推しは、勝たせてくれる相手ではなく、忘れられない局を作る相手だ。鳴きで卓を加速させる者、色で河を染める者、理屈を踏み越えて押してくる者、静かにミスを拾う者。どれも対局相手としては厄介だが、厄介だからこそ記憶に残る。推しができると、対局が“再戦”になり、麻雀が“物語”になる。そこまでいくと、本作は単なる麻雀ソフトではなく、卓上の関係性を積み上げるゲームとして輝き始める。

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●対応パソコンによる違いなど

●まず前提:同じ“麻雀”でも、移植先が変わると体感が別物になりやすい

麻雀ゲームは一見すると「牌が並んで、ツモって切って、鳴いて上がる」だけに見える。しかし実際は、表示の見やすさ、操作のテンポ、待ち時間の短さ、音の気持ちよさ、そして対局相手の打牌がどう見えるか――こうした周辺の要素が積み重なって、遊び心地を決めるジャンルでもある。『ぎゅわんぶらあ自己中心派3 望郷さすらい雀士編』のように“キャラの癖”を味として押し出す作品ほど、その差は露骨に出る。なぜなら、クセの強い相手と打つ時に必要なのは「局の流れを途切れさせないテンポ」と「河・鳴き・点棒状況をパッと把握できる視認性」だからだ。移植先が変われば、同じ相手でも“ウザい”が“面白い”に寄ったり、その逆になったりする。ここを押さえておくと、対応機種による違いを理解しやすい。

●PC-8801系での差:同じ88でも「表示」「速度」「音」の3点が体感を分ける

PC-8801は同一系列でも世代差が大きく、ゲームの体感は主に(1)画面表示の出し方、(2)処理速度とロードの軽さ、(3)サウンド周りで変わりやすい。まず表示。88は解像度や表示モードの選び方によって、牌の輪郭の見え方や文字の読みやすさが変わる。麻雀は“瞬間視”のゲームなので、ここが疲労感に直結する。次に速度。CPU自体の違いというより、実機の環境(ドライブの状態、メモリの余裕、同時常駐の有無)でディスクアクセスの待ちが変わりやすい。対局のたびに読み込みが挟まると、せっかくのテンポが削られ、「相手のクセを観察する気持ちよさ」が薄れてしまう。最後に音。88は環境によってビープ音中心だったり、拡張音源が使えたりと幅がある。麻雀は派手なBGMよりも、ツモ・打牌・鳴き・和了の“合図”が心地よいかが重要なので、音の解像度が上がると遊び心地まで良く感じることがある。要するに、PC-88版は“土台がしっかりしているほどキャラ麻雀の味が濃く出る”タイプで、環境が整うほど本領を発揮する。

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●同時期に発売されたゲームなど

(『ぎゅわんぶらあ自己中心派3 望郷さすらい雀士編』が1988年12月にPC-8801向けとして登場した前後は、パズル・ADV・RPG・SLGが一斉に厚みを増した時期でもありました。ここでは“同じ空気感で遊ばれていた”代表的なPCゲームを10本、当時の基本データと一緒に紹介します。)

★テトリス

・販売会社:ビーピーエス(BPS) ・販売された年:1988年(11月18日) ・販売価格:6,800円 ・具体的なゲーム内容:落下してくる4マス形状(ブロック)を回転・移動して積み上げ、横一列を揃えて消していくパズル。PC-88版の面白さは、処理の軽快さと“自分の手が追いつく限界”がそのままスコアに変換される分かりやすさにあります。序盤は置き方の整え方を学ぶ時間ですが、速度が上がるにつれて「次の形を見越した置き場所の確保」「穴を作らないための我慢」「消しのタイミングの計算」が一体化し、短いプレイでも頭がフル回転。パズルなのに反射神経も要求され、上達の実感が強いのが当時の“定番”になった理由です。

★スナッチャー

・販売会社:コナミ ・販売された年:1988年(11月26日) ・販売価格:8,800円 ・具体的なゲーム内容:近未来を舞台に、事件を追う捜査型コマンドADV。聞き込みや現場検証で情報を集め、状況に応じて選ぶコマンドが変化していく“捜査の手触り”が核です。単に正解コマンドを当てるだけでなく、誰に何を尋ねるか、どの順番で場所を回るかで理解の速度が変わり、プレイヤーの推理が物語のテンポを作ります。さらに緊迫パートでは武器を構える操作も絡み、ADVでありながら“自分で危機を切り抜ける”感覚が生まれるのが特徴。世界観は濃密で、会話・小道具・事件の背景が積み重なって、プレイ後に余韻が残るタイプの一本です。

★イースII

・販売会社:日本ファルコム ・販売された年:1988年(4月22日) ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容:体当たりで間合いを作る独特のアクションRPGを軸に、続編らしく“できること”を増やして遊びの幅を広げた作品。探索では町やダンジョンの導線が分かりやすく、迷いそうで迷いにくい作りが上手い一方、戦闘は油断すると一気に崩れる緊張感が残ります。IIの肝は、魔法が加わることで「安全に情報を集める」「状況を有利にする」「危険を押し返す」といった“戦い方の選択肢”が増える点。アクションの反応とRPGの成長が噛み合い、短い時間でも“強くなった実感”を得られるため、当時のPCゲームの中でも完成度の高い体験として語られやすいタイトルです。

★信長の野望・戦国群雄伝

・販売会社:光栄 ・販売された年:1988年(12月) ・販売価格:9,800円 ・具体的なゲーム内容:全国規模の歴史シミュレーションを、武将という“個の能力”で回す方向へ強めた一作。国単位の経営だけでは勝てず、どの武将を重用するか、誰をどこに配置するかが勝敗に直結します。行動にはコストがあり、連続で命令を出せば強い…という単純さを抑えて、準備・回復・見極めが必要になるため、戦略が自然に“長期計画”へ伸びるのが魅力。合戦も、兵力だけで押し切れない局面が多く、外交・調略・内政を織り交ぜて勝ち筋を作っていく手応えがあります。年末の定番級として、時間泥棒ぶりが光る一本です。

★ウィザードリィ #4 -ワードナの逆襲-

・販売会社:アスキー ・販売された年:1988年(12月15日) ・販売価格:12,800円 ・具体的なゲーム内容:ダンジョンRPGの代表格“ウィザードリィ”の中でも、特に歯ごたえ寄りとして語られがちなシナリオ。手探りの進行、容赦ない罠、戦闘での判断ミスが即座に致命傷になる緊張感があり、攻略の筋道を自分の頭で組み立てる喜びが強いタイプです。序盤は“できることが少ない”不自由さがそのまま難しさに直結しますが、仕組みを理解し、勝ち方の型ができ始めると、1つの階層を突破するだけで達成感が段違い。メモを取り、情報を整理し、リスクを管理する――当時のPCらしい“腰を据えて挑むRPG”の濃さを味わえる一本です。

★ヴェイグス

・販売会社:ゲームアーツ ・販売された年:1988年(12月16日) ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容:巨大ロボ(あるいは重装甲兵器)同士のぶつかり合いを、スピード感のあるアクションで押し切る作品。PC-88の画面で“でかいキャラが動く”こと自体が快感になっていて、攻撃の重さ・被弾の痛さ・押し返す手応えが、操作している指先に伝わる作りです。ステージを進めるほど敵の圧が増し、プレイヤーは「安全に削る」「短期決戦で突破する」など立ち回りを変えざるを得ません。アクションの瞬発力と、装備・性能の伸び(あるいは攻略上の選択)が噛み合って、プレイ中に“自分の戦い方が固まっていく”のが面白さ。ゲームアーツらしい派手さが詰まった年末タイトルです。

★ホワッツマイケル

・販売会社:マイクロキャビン ・販売された年:1988年(12月) ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容:漫画原作の“猫の騒動”を、グラフィックと小ネタでテンポよく見せるアドベンチャー。目的は物語の進行そのものですが、道中が“真面目な冒険”というより、猫らしい衝動とズレた行動の連続で、選ぶコマンド次第でオチの方向が微妙に変わるのが楽しいところ。PC-88のADVらしく、画面の情報・台詞の温度・間の取り方で笑わせに来る作りで、緊張感のあるゲームが多い時期に“肩の力を抜いて遊べる枠”として存在感がありました。可愛さと不条理が同居していて、短いプレイでも印象に残りやすいタイプです。

★シルバー・ゴースト

・販売会社:呉ソフトウェア工房 ・販売された年:1988年(4月) ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容:RPGの“仲間集め・成長”と、戦場で複数部隊がぶつかる“リアルタイム戦闘”を混ぜた、いわゆるアクティブシミュレーション系の代表格。プレイヤーが直接動かす主役だけでなく、編成した部隊が隊列を組んで押し引きし、状況が刻々と変わるため、戦いはいつも“予定通り”になりません。だからこそ、地形の使い方、突撃と退却のタイミング、部隊の相性などを理解すると急に勝てるようになり、学習が成果に結びつきやすい。さらにRPG的な探索要素が戦力強化に繋がるので、戦闘と冒険が相互に背中を押し合う構造になっています。

★ウルティマ I 第一暗黒期

・販売会社:ポニカ ・販売された年:1988年(12月) ・販売価格:8,800円(※定価表記は資料差あり) ・具体的なゲーム内容:フィールド探索型RPGの“原点級”として語られるシリーズ第1作を、日本向けに遊びやすく整えた移植。街と荒野を行き来し、戦闘や買い物、探索を自分のペースで回していく自由度が魅力で、目的へ一直線に進んでも、寄り道して装備を整えても成立します。さらに当時としてはスケールの大きい要素があり、「世界を歩くだけ」で終わらない広がりが、プレイヤーに“次に何が出てくるのか”という期待を抱かせます。なお、価格についてはPC-88ゲームライブラリでは8,800円、8BITSでは6,800円、別の製品情報では7,480円表記も見られるため、当時の版や表記条件で差が出ている可能性があります。

★極道陣取り

・販売会社:マイクロネット ・販売された年:1988年(12月) ・販売価格:6,800円 ・具体的なゲーム内容:勢力図を塗り替えていく陣取り型のシミュレーションを、“裏社会の抗争”という題材に置き換えた一本。システム自体は比較的とっつきやすく、隣接エリアへ仕掛ける/資金を回す/戦力を整える、といった判断をテンポよく回していけます。面白いのは、正攻法で堅実に広げるか、短期でリスクを取って一気に奪うかが局面ごとに変わる点で、勝っても消耗して次が苦しい…という展開が普通に起こるところ。重たい歴史SLGよりも軽快に“陣取りの快感”を味わえるので、年末の遊び時間にハマりやすいタイプでした。

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