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評価 5【発売】:ビクター音楽産業
【対応パソコン】:PC-8801、PC-9801、FM-7
【発売日】:1987年
【ジャンル】:アドベンチャーゲーム
■ 概要
● 小説世界を“読む”感覚でたどる、異色のアドベンチャー
ビクター音楽産業から発売された『グイン・サーガ 豹頭の仮面』は、栗本薫による長編小説『グイン・サーガ』の第1巻を題材に、当時のパソコン向けに組み上げられたコマンド入力式のアドベンチャーゲームである。対応機種はPC-8801、PC-9801、FM-7という、80年代後半の国内PCシーンを支えた主要プラットフォームが並び、発売時期は1987年4月頃、定価は7,800円前後とされる。開発はジャストが担い、発売元表記にはビクター音楽産業のほかクロスメディアソフトの名も見られるなど、当時らしいレーベルや流通の匂いもまとっている。
● 主人公は“グイン”ではなく、亡国の王子レムスの目線から始まる
タイトルに“豹頭の仮面”とあるため、シリーズの象徴である豹頭の戦士グインを操作して荒野を駆ける作品を想像しがちだが、ゲームの出発点はむしろ双子の王族の弟・レムスに置かれている。隣国の急襲によって王国パロが崩れ、王家の血筋である姉リンダと弟レムスが混乱の中で逃れ、やがて異様な空気をたたえたルードの森や、物語の緊張が高まるスタフォロス砦へと追い込まれていく──この“追跡される逃避行”を、プレイヤーは場面ごとに噛みしめるように進めていく。原作どおり、グインとの遭遇は比較的序盤に訪れ、そこから先は「レムスの物語」だったものが、少しずつ「グインという存在に巻き込まれていく物語」へと姿を変えていく感触がある。
● 基本はコマンド入力、しかし“単語リスト”が道しるべになる
本作の手触りを決めているのは、当時のADVに多かったコマンド入力方式でありながら、画面上の語群を参照しつつ正解へ近づけるよう工夫されている点だ。テキストで命令を組み立てる緊張感は残しつつ、頻出の動作や重要な名詞がリスト化されていて、そこから選べる要素が混ざっているため、完全に手探りになりにくい。ただし、そのリストは万能の答え合わせではなく、何気ない単語が重大局面で一度だけ意味を持つこともあれば、逆に頻繁に目にする語が状況次第で役に立たないこともある。つまりリストは“ヒントの束”であると同時に、“読者の注意を誘導するしおり”のようにも機能し、プレイヤーの推理を静かにせかす。
● 進行は紙芝居的で、1枚絵の状況理解がそのまま謎解きになる
ゲームの多くは、場面を象徴する1枚絵が提示され、その状況に噛み合う行動を選ぶことで物語が次の絵へ送られる、いわば“紙芝居”に近い進行で組み立てられている。移動や所持品管理といった要素を前面に出さず、シーンの意味を読み取り、正しい言葉を選び抜くことに焦点を絞っているため、画面内の手がかりや人物の位置関係、表情の圧、背後の気配といった“状況の読解”がそのまま攻略の中心になる。一般的なアドベンチャーで起こりがちな「前の場面で取り逃したせいで詰む」といったタイプの失敗が起こりにくい設計だとされ、基本的には“物語の順路”を外れにくい。その代わり、順路上の関門を越える鍵はあくまで理解と連想に置かれ、行動の正誤はプレイヤーの読解力に委ねられる。
● “小説を読みながら進める”という発想が、遊び方そのものを規定する
この作品を特徴づけるのは、単に原作付きのキャラゲーというだけではなく、「小説を読んだ体験」をゲーム進行のエンジンにしようとしたところにある。場面で返ってくる文言や反応は、原作の空気感を想起させる方向へ寄せられており、プレイヤーは“いま自分が小説のどの辺りを歩いているのか”を意識しやすい。結果として、原作を先に知っているほどルートの意味が立体的に見え、逆に原作を知らないと、何が重要で何が伏線なのかを掴むまで時間がかかる。言い換えるなら、本作は「ゲーム単体で完結する娯楽」というより、「読書とゲームの往復で成立する体験」を目標にした作りであり、プレイヤーは“読む”“思い出す”“照合する”という工程そのものを楽しむことになる。原作小説の参照が事実上の前提になりやすい、という評価が語られるのも、この設計思想の裏返しだろう。
● 当時のPCで“声が出る”驚き──ジャストサウンド対応という贅沢
1980年代の国産PCゲームで“音声”はまだ特別な要素だったが、本作はジャスト社の音声合成システム「ジャストサウンド」に対応し、条件が整えば一部のセリフを音として聴ける。フルボイス作品のような豪華さとは別物でも、無音の文字世界にふっと人の気配が差し込む瞬間は、当時のプレイヤーにとって十分に印象的だったはずだ。しかも本作は、読書的な没入を狙う作りであるがゆえに、“声が乗る”ことが演出上のスパイスとして効きやすい。文字を追うだけだった場面が、声の質感によって急に人物として立ち上がる──その一瞬の変化が、紙芝居的進行の単調さをほどよく破り、物語の緊張を補強する。
● 1987年という時代の空気:新旧がせめぎ合う“転換期のADV”
発売時期の1987年前後は、パソコンゲーム側で演出やテンポ、BGM、UIの洗練が急速に進んだ時期でもある。そうした流れの中で本作は、読書体験を重視するあまり、現代的な快適さより“文章と場面の照合”を優先しており、良くも悪くも硬派だ。絵が切り替わるたびに考え込み、コマンドをひねり出し、正解の瞬間にだけ物語が進む。テンポはプレイヤーの思考速度に依存し、スムーズに流れない。だが、そこにこそこのゲーム固有の味がある。物語を追うだけなら小説でよいのに、あえて“止まる仕組み”を組み込み、読者の能動性を引き出す。その結果、ゲームは“読む行為の延長”として成立し、プレイヤーはレムスの息苦しさや追い立てられる焦燥を、自分の手で次の一手を探す苦労として受け取ることになる。
■■■■ ゲームの魅力とは?
● “読書体験をゲームにする”という発想そのものが最大の売り
『グイン・サーガ 豹頭の仮面』の面白さは、派手な戦闘や広大な冒険を見せるタイプのゲーム的快楽よりも、「物語を読む手つき」をそのまま遊びに変換した点にある。原作第1巻の出来事を“自分の手で先へ進める”形に落とし込み、文章と場面の照合をプレイヤーの作業にしてしまうのが本作の芯だ。小説はページをめくれば勝手に前へ進むが、このゲームでは“正しい言葉”を選ばないと進まない。つまり、読む行為が能動的な推理へ変わり、登場人物の状況理解や心理の読み取りが、そのまま次の一手の材料になる。物語の緊張が「読み手の呼吸」ではなく「プレイヤーの詰まり具合」で実感として立ち上がるのが独特で、読書が好きな人ほど、この“止まる仕組み”を面白がれる。小説をゲームで楽しんでもらう狙いを掲げたレーベル作品として語られるのも、まさにこの方向性がはっきりしているからだ。
● 紙芝居形式の強み:1枚絵の“状況”を読む快楽
本作の進行は、シーンを象徴する絵が提示され、その瞬間にふさわしい行動を当てていく形が中心になる。ここがうまいのは、画面が“動かない”からこそ、視線が散らず、絵の情報を材料に考え抜けるところだ。森の暗さ、砦の圧、兵の気配、囚われの息苦しさ──そうした空気が一枚の絵に凝縮され、プレイヤーはその場の意味を読み、言葉へ変換して入力する。映像表現が控えめな時代のPCゲームにおいて、固定画面は弱点にもなり得たが、本作では逆に“読解に集中させる装置”として機能している。場面転換は「新しい絵=新しい問い」として提示されるため、謎解きの単位が明確で、集中と切り替えのリズムが作りやすいのも魅力だ。
● コマンド入力式なのに“迷子”になりにくい、単語リストの気配り
当時のコマンド入力ADVは、自由度と引き換えに「何を打てばいいのか分からない」壁が立ちやすかった。本作はそこを、画面端の単語リスト(動詞・名詞が混ざる)でうまく緩和している。完全な選択式に寄せず、入力の“手触り”は残しながらも、重要語が目に入ることで思考が前へ進みやすい。しかもこのリストは単なる救済ではなく、重要なヒントの束でもある。頻出語は基本行動の目印になり、たまにしか使わない語は“今ここで必要な視点”を暗示する。プレイヤーは、リストにある語と画面の状況を見比べながら、「この場面は“何をする”のが自然か」「この名詞は今の場に存在しているか」を詰めていくことになる。入力の自由さと、作者側の誘導のバランスが、当時としてはかなり意識された作りだ。
● 一本道だからこそ刺さる:物語の“圧縮”が濃い
アイテム管理や自由移動の要素を前面に出さず、原作の順路を追う設計は、ゲーム的には選択肢の少なさにも見える。だが、この作品の場合、それが“濃さ”に直結している。あれこれ寄り道して薄まるのではなく、逃亡、追跡、閉塞、遭遇といった緊張の要点だけが連続して突きつけられるため、展開が圧縮されていて密度が高い。小説の大河感をそのまま再現するのではなく、第1巻の「導入としての疾走感」「世界の異様さ」「人間関係の火種」を、シーンの連打で刻んでいく。結果として、短い単位で“山場”が発生しやすく、プレイヤーは「今の場面を突破できた」という手応えを積み重ねながら読んでいける。画面数が約60と紹介されることもあり、要所を切り取って“読ませる”編集が効いている。
● 文字世界に声が差し込む驚き:ジャストサウンド対応の演出力
本作が語られるとき、しばしば触れられるのがジャストサウンド対応というポイントだ。音声合成による読み上げは一部とはいえ、無音になりがちな当時のADVにおいて、人物の存在感を“声の気配”で補強できるのは大きい。とくに本作は、紙芝居的に絵と文章で進むぶん、声が入る瞬間が強く印象に残りやすい。プレイヤーが文字を追い、場面の緊張を想像で膨らませているところに、ふっと音が混ざる。そのとたん、キャラクターが“読まれる記号”から“その場にいる存在”へ寄ってくる。フル演技の豪華さとは別の次元で、読書型の没入を支える小さな効果が確かにある。
● 原作ファンにも、初見にも刺さる“違う楽しみ”がある
原作を知っている人にとっては、「あの場面をどう切り出し、どんな“答え”で通過させるのか」を確かめるのが楽しい。小説の記憶があるほど選択の候補が浮かびやすく、物語をなぞる快感が出る。一方で初見の人は、世界観そのものが謎で満ちている分、状況の把握がゲームの推理と直結してスリルになる。誰が追っているのか、どこが安全圏なのか、なぜこの人物はこう動くのか──その理解がコマンドの正誤へ繋がっていくので、“物語を解く”感覚が強い。どちらの層にも共通する魅力は、「文章と絵が示す意味を、自分の言葉へ変換して通す」という行為そのものが、原作の濃さを別の形で体験させてくれる点だ。シリーズの入口である第1巻を題材にしているため、世界の輪郭が立ち上がる瞬間を、ゲームとして味わえるのも大きい。
■■■■ ゲームの攻略など
● まず押さえるべき遊び方:これは探索ADVではなく、場面読解型の“設問”で進む
『グイン・サーガ 豹頭の仮面』の攻略で最初に理解しておきたいのは、いわゆる自由移動やアイテム集めを軸にしたアドベンチャーではなく、1枚絵で示された状況を読み取り、次へ進むための正しい行動を言葉で通すタイプの作品だという点だ。画面が切り替わるたびに、そこでの正解コマンドが一つ(またはごく少数)用意されていて、それを当てることで物語が前へ進む。逆に言えば、場面の意味を見誤ると、いくら入力しても反応が薄く、進展が止まったように感じやすい。ここで焦って総当たりに走るより、絵の中で何が起きているのか、誰が主導権を握っているのか、危険はどこから来ているのかを一度言語化してから、適切な動詞を探すほうが近道になる。つまり攻略の出発点は、操作テクニックではなく読解の姿勢そのものだ。
● 単語リストの扱い:答えの一覧ではなく、思考の方向を整える“ガイド”として使う
画面端の単語リストは便利だが、あれを見ているだけで自然に正解へ吸い寄せられる仕組みではない。むしろ、リストにある語は多くの場合、今の場面で成立し得る行動や注目対象の候補を広げる役目を持つ。攻略のコツは、リストを見て当てはめるのではなく、先に状況を短い文でまとめてから、その文に最も合う動詞をリストや入力候補から選ぶことだ。例えば、いま自分は追われているのか、隠れるべきなのか、誰かの助けを待つのか、それとも説得する局面なのか。場面の役割が見えると、同じ動詞でも意味が決まる。リストの中には使用頻度が高いものもあれば、物語の分岐点で一度だけ必要になる語も混ざっているので、プレイ中は「今この語が目に入るのはなぜか」と自分に問い直すと、作者が置いたヒントに気づきやすい。
● コマンド入力の基本戦略:動詞を先に決め、名詞で焦点を絞る
本作は、場面ごとの正解が絵と文章の整合で決まるため、入力の形としては動詞が中核になることが多い。最初に何をしたいか(話す、見る、調べる、進む、隠す、助ける、戦うなど)を定め、それから対象(人物名、場所、道具、扉、牢、森、馬など)で焦点を絞る。いきなり名詞を当てに行くと、状況の筋が立っていないぶん迷いやすい。動詞主導で組み立てれば、仮に対象が少しずれていても、近い反応が返ってきて修正できることがある。また、同じ場面で複数の行動がありそうに見えても、物語上“次の絵へ送る鍵”はひとつに収束する傾向があるため、入力を広げすぎず、物語の流れに最も自然な行動を優先したほうが突破しやすい。
● 原作連動のコツ:先読みではなく、場面の“仕掛け”を理解する読み方をする
原作を知っていると有利になりやすいのは確かだが、単純に先の展開を覚えているだけでは詰まることもある。攻略に効くのは、場面ごとに「何が起点で状況が動くか」を意識する読み方だ。つまり、誰が何を合図に動くのか、誰の行動が転機になるのか、視点人物が見ている情報はどこまでか、といった因果の骨組みを掴むことが重要になる。ゲームは小説の文章をそのまま再現するというより、要点を絵と短い反応に圧縮して提示するため、記憶の細部よりも構造の理解が強い武器になる。原作を参照する場合は、該当シーンの会話や描写を丸暗記するのではなく、場面が切り替わるきっかけ、誰が場を支配しているか、危険の方向を確認する。それだけでも正解動詞が自然に絞られていく。
● つまずきやすい典型:視点の揺れと、主人公の“行動権”の違和感
本作で戸惑いやすいのは、設定上はレムス視点で始まるのに、場面によってはレムス自身が直接動いているように見えない行動が“正解”になってしまう瞬間があることだ。これは攻略上、視点に固執するとハマりやすいポイントでもある。対処法は、誰が行動するかよりも「物語として次に必要な行為は何か」を優先すること。画面に提示された状況が、戦いの局面なら、行為の主体が誰であれ戦闘を成立させる動詞が鍵になる場合があるし、救援が入る場面なら、助けるという概念が物語の歯車を回す合図になりやすい。プレイヤーは“自分が誰を動かしているか”ではなく、“この絵を次の絵へ送るための合言葉は何か”へ頭を切り替えると抜け出せる。
● 進行が止まったときの処方箋:総当たり前に、3つの確認をする
どうしても先へ進まないときは、闇雲な入力を増やす前に、次の3点を確認すると突破率が上がる。第一に、絵の中で強調されている対象は何か(扉、鍵、穴、武器、人物の手元、視線の向きなど)。第二に、その場面の目的は何か(逃げる、隠れる、説得する、突破する、救出する)。第三に、直前の場面と今の場面の差は何か(追跡が近づいた、味方が増えた、閉鎖空間になった、情報が増えた)。この3つが整理できると、入力すべき動詞は驚くほど狭まる。特に紙芝居形式のゲームは、作者が見せたい情報が絵の中に集約されやすいので、強調点を拾うだけで正解に近づけることが多い。
● 難易度の正体:反射神経ではなく、言葉の選び方と気づきの速度
本作の難しさは、敵が強いとか時間制限が厳しいといった方向ではない。詰まる原因の多くは、状況理解はできているのに、作者が想定した表現に言葉が一致しない、あるいは“ここだけ突然”別の型の入力が必要になる、といった言語的・構造的なズレにある。だからこそ攻略の近道は、入力候補を増やすことではなく、言葉の角度を変えることだ。同じ意図でも、見ると調べる、話すと呼ぶ、進むと入る、隠れると待つのように、近い概念の言い換えを試す。リストがある場合は、そこに載っている語が作者の語彙の範囲を示していることが多いので、まずはリスト語で意味を近づけ、それでも駄目なら入力で補う。難易度は高低というより、波があるタイプで、スムーズな場面が続いた後に、急に発想転換を迫る関門が置かれている印象になりやすい。
● セーブとメモの活用:攻略本より“自分用の索引”を作ると強い
一度でも詰まりを経験すると、本作はメモが効くタイプだと分かってくる。おすすめは、場面番号の代わりに「場所+状況」を短く書き、そこで正解だった動詞と対象だけを控える方法だ。例えば、森で追跡を避ける局面、砦で監視をかわす局面、地下で見世物のような戦いが始まる局面、といった具合に、自分の言葉で索引化しておく。こうしておけば、うっかり中断しても戻りやすいし、似た局面が出たときに“前に通った発想”を再利用できる。総当たりは疲れを増やすが、索引は思考を軽くする。原作を参照するにしても、該当箇所を探す時間が短くなり、読書とゲームの往復がスムーズになる。
● 作品を楽しみながら攻略するコツ:正解より先に、場面の意味を味わう
このゲームは、正解コマンドを当てることだけが目的になると、詰まりが苦痛になりやすい。一方で、場面が示している世界の怖さや、人物の追い詰められ方、出会いの緊張を丁寧に眺めると、止まる時間が“読書の間”として機能しやすい。攻略の最中に、あえて一度手を止めて「この絵の中心は何か」「この場面で一番怖いものは何か」と自分に聞くと、正解に近づくと同時に没入も深まる。読み物をゲームに移植した作品だからこそ、解く行為と味わう行為を同じ方向へ揃えると、難所も含めて記憶に残る体験になる。
■■■■ 感想や評判
● まず総論:賛否が割れやすいのは“狙い”が尖っているから
『グイン・サーガ 豹頭の仮面』の評判をひとことでまとめると、「刺さる人には深く刺さるが、合わない人にはとことん合わない」というタイプに落ち着きやすい。理由は明確で、本作は“ゲームとしての万能さ”よりも、“小説を読む体験をゲームに寄せる”ことを優先しているからだ。紙芝居のように場面が切り替わり、正しい言葉を選べたときだけ物語が動く──その仕組み自体が読書の集中と相性が良い反面、テンポの良さや自由度を期待すると肩透かしになる。評価が割れやすいのは、出来不出来の問題というより、作り手の方向性が最初から「好みで分断される線」を引いているから、と捉えると分かりやすい。
● “原作の空気を呼び戻す”点への評価:読書好きほど肯定しやすい
肯定的な感想で多いのは、場面の絵とテキストの応答が、原作の緊張感や湿度を思い出させる点だ。第1巻の導入部は、逃亡・追跡・未知の森・砦の閉塞といった強いフックが続くが、本作はその骨格を“場面の連続”として切り出しているため、プレイヤーは一つのシーンに集中しやすい。読むように進め、立ち止まり、言葉を探し、正解した瞬間だけ先へ進む。この“止まる仕組み”が、物語の圧をじっくり味わいたい層には心地よく、ゲームでありながら読書の没入へ戻っていく感覚を生む。さらに、原作をすでに知っている人ほど「次の絵が何になるか」「この局面はどんな動詞で通すよう作られているか」を確かめる楽しみが増え、追体験としての満足度が上がりやすい。
● 反対に厳しめの声:原作依存の強さと“言葉の当てゲー”になりがちな瞬間
否定的な意見が出やすいポイントは大きく二つある。ひとつは、原作を手元に置きながら進める前提が強く、ゲーム単体での自力突破が難しく感じられやすいこと。もうひとつは、状況理解はできているのに、作者が想定した表現に入力が一致しないと停滞しやすく、結果として“言葉を当てる作業”が前面に出てしまう場面があることだ。実際、まとまった解説では「小説を読みながら進めるコンセプトゆえに、未読だと進行が苦しい」「重要局面で一度しか使わない単語があり、そこで詰まる」といった指摘が語られがちで、ゲームとしての快適さより、読書の参照と推理の往復を要求する設計が、ハードルにも魅力にもなる。
● “主人公は誰を操作しているのか”問題:視点の揺れが違和感にもなる
感想の中で面白い論点になりやすいのが、レムス視点で始まるはずの物語が、場面によってはプレイヤーが入力する行動の主体が曖昧に見える点だ。ここは好き嫌いがはっきり分かれる。肯定的に見る人は「物語を進める合言葉を探すゲームだから主体の厳密さは二の次」と割り切れるが、没入を強く求める人ほど「その行動はレムスのものではないのでは」と引っかかる。結果として、この違和感を許容できるかどうかが、全体評価を左右する“分岐点”になりやすい。
● 演出面の記憶:ジャストサウンド対応が“当時の驚き”として語られやすい
一方、当時の体験として印象に残りやすい要素が、ジャスト社の音声合成装置「ジャストサウンド」への対応だ。ごく一部とはいえ、文字中心のADVに声の要素が入ること自体が特別だった時代で、プレイヤーの記憶のフックになりやすい。レビューやデータベースでも、開発がジャストであること、ジャストサウンド接続で声が出ることが特徴として挙げられやすく、「読書的な遊びに、ほんの少しだけ映像・音の臨場感が足される」点は、肯定的な語り口になりやすい。
● 当時の“比較対象”が生む評価:87年のPCゲームの進化と相性が悪い面も
1987年前後は、UIやテンポ、BGMや演出の洗練が進み、ゲーム側がより“遊びやすさ”へ舵を切っていった時期でもある。そうした潮流の中で本作は、場面読解と原作照合に重心があるぶん、動的な演出やゲーム的快適さで競争するタイプではない。だからこそ、同時期の人気作を基準にすると古風に見える、という語られ方も起きやすい。ただ、逆に言えば、本作は“当時のADVの末期的な雰囲気”をまとった作品として、今振り返ると独自の味が際立つ。スピードよりも思考の停滞を許し、読書の間を作り、絵の一枚に粘る。そこを短所として切り捨てるか、長所として抱きしめるかで、評判が大きく変わってくる。
● 現在の再評価:資料性と“異色のメディアミックス”としての面白さ
近年のレトロゲーム文脈では、本作は「小説をゲーム化した」だけでなく、「小説の読み方をゲームに寄せた」試みとして見直されやすい。しかも発売元がビクター音楽産業で、当時の“SF小説をゲーム化するレーベル”の流れに連なる作品として位置づけられるため、作品単体というより企画の時代性まで含めて語られやすい。パッケージや対応機種、発売年(1987年4月頃)や価格(7,800円前後)といったデータも比較的追いやすく、コレクションや資料価値の面で関心を持たれやすいのも特徴だ。
■■■■ 良かったところ
● 1枚絵×設問形式の強さ:場面の“圧”を逃さず味わえる
良かった点としてまず挙がりやすいのは、紙芝居的に提示される1枚絵が、状況の緊迫感を凝縮して伝えるところだ。自由移動で景色が流れていくゲームとは逆に、絵が止まっているからこそプレイヤーは「今ここで何が起きているか」を逃さず眺められる。ルードの森の不穏さ、砦の圧迫感、追う者と追われる者の距離、囚われの息苦しさ──こうした空気は、動きの少ない画面でも十分に立ち上がる。むしろ、止め絵であるがゆえに、視線が散らず、場面の意味を読み解くことに集中できる。結果として、本作は“アクション”ではなく“理解”で緊張を作る作品になり、原作の導入部が持つ切迫感と相性が良い。
● 一本道の潔さ:寄り道を削って“物語の核”だけを連打する
本作は、アイテム集めや自由探索を大きく盛り込まず、原作第1巻の要点を場面の連続として提示する。これが好意的に受け止められる理由は、プレイヤーが迷子になりにくいことだけではない。寄り道の楽しさを捨てた代わりに、逃亡劇の要となる局面が次々に迫ってくるため、物語の核が薄まらない。王国崩壊→脱出→未知の森→追跡→砦という、導入としての疾走感を、ゲームとして“止まりながらも前へ進む”形で体験できる。一本道という制限が、世界観の濃さを保つための編集になっていて、読む側の集中を切らさない。
● 単語リストが効く:コマンド入力の“理不尽さ”を丸ごと緩和している
コマンド入力式ADVの弱点は、状況は理解しているのに「作者の想定した言葉」が分からず止まることだ。本作はその古典的な壁を、画面端の単語リストである程度やわらげている。完全選択式にしてしまうと入力の醍醐味が消えるが、リストを併用することで、考えるための足場は残る。頻出語が基本行動の道しるべになり、珍しい単語が“今ここでの視点”を示すヒントにもなる。つまりリストは、答えを教える装置というより、プレイヤーの思考の方向を整えるガイドとして機能している。入力の自由さと誘導のバランスが良いと感じる人にとっては、当時のADVとしてかなり親切な部類に映る。
● “読む→止まる→照合する”が楽しい:読書好きに刺さる往復運動
本作の体験は、ゲームだけで完結する爽快さとは別種の快感を持っている。場面で止まり、正解の行動を考え、必要なら原作の該当箇所を読み返し、戻って入力し、物語が動く──この往復が、読書好きにはたまらない。小説は本来、読む速度も解釈も読者に委ねられるが、本作はそこに“関門”を置くことで、解釈を行動に変換させる。結果として、登場人物の心理や状況の因果に、より深く踏み込むことになる。単に物語を追うのではなく、「この場面の転機は何か」「誰が状況を動かすのか」を意識させられるため、原作の読み方そのものが変わる、という意味で学習的な面白さもある。
● ジャストサウンド対応の特別感:文字世界に“気配”が宿る
当時のパソコンゲームで“声が出る”こと自体が珍しかった時代に、ジャストサウンド対応という要素は強い印象を残しやすい。もちろん一部の読み上げであり、現代的な演技とは別物だが、紙芝居的な静止画とテキスト中心の作品だからこそ、声の混入が強く効く。文字だけで進む場面に、ふっと音が入ると人物が立ち上がる。プレイヤーの想像が膨らむ瞬間に、声が“方向”を与える。これが、読書型の没入を支えるスパイスとして評価されやすいポイントだ。実際に、開発がジャスト社であることや音声合成対応が特徴として挙げられがちで、当時の技術遊びとしても記憶に残る。
● 原作導入部の選択が巧い:世界観の入口としての適性が高い
“豹頭の仮面”という第1巻は、世界の大枠と主要人物の緊張関係が短い距離で立ち上がる導入巻でもある。ゲーム化の題材として見ると、この選択が巧い。長大なシリーズをいきなり全部追うのは無理でも、導入巻なら、王国の崩壊、双子の逃亡、森の異様さ、砦の閉塞、グインとの遭遇という、シリーズの象徴的な要素がまとまっている。本作はそれを場面の連続に圧縮しているため、「グイン・サーガってどんな匂いの物語?」を体感する入口として機能しやすい。原作未読でも引き込まれる人がいるのは、この導入の強さがあるからだ。
■■■■ 悪かったところ
● “原作がないと厳しい”問題:ゲーム単体での自力突破が成立しにくい
残念だった点として最も語られやすいのは、原作小説への依存がかなり強いことだ。コンセプトとして「小説を読みながら進める」方向へ寄せている以上、参照が前提になるのは理解できるが、ゲームだけで状況を読み解こうとすると、決定的な情報が不足して詰まりやすい局面がある。絵や短い反応だけでは因果がつながらず、「なぜここでこの言葉が正解になるのか」が腑に落ちないまま止まってしまう。結果として、攻略が“推理”より“参照”に偏り、ゲームの達成感が薄くなる人も出る。原作ファンには嬉しい仕掛けが、未読のプレイヤーには壁になるという、メディアミックスの宿命がそのまま出た形だ。
● 言葉の当てゲー化:状況は分かるのに、表現が一致しないと止まる
コマンド入力式ADVの古典的な弱点として、「意図は同じなのに、言い回しが違うだけで通らない」問題がある。本作は単語リストで緩和しているとはいえ、場面によってはこの弱点が表に出る。プレイヤーは「こうしたい」という意図を持っていても、作者が想定した動詞・名詞の組み合わせに一致しない限り、物語が進まない。特に、ここぞという局面で一回しか使わない語が鍵になっている場合、気づけなければ延々と停滞する。推理しているつもりが、最終的には“言葉の形”を当てる作業になってしまい、物語への没入が途切れるという不満が生まれやすい。
● 視点の揺れと“主人公崩壊”:レムス目線のはずが、行動主体が曖昧になる
設定上はレムスの視点で始まるのに、場面によってはレムスがその場にいないように見える、あるいは実際に動くのは別キャラなのに、プレイヤーはその行動を入力させられる──こうしたズレが違和感として挙げられやすい。物語を進めるための“合言葉探し”として割り切れば進められるが、ロールプレイや視点の一貫性を重視する人ほど、没入を削がれる。特に原作ファンほど「この局面でレムスがこれをするのはおかしい」と感じやすく、原作への忠実さを売りにしながら、ゲーム側の都合で視点が揺れて見える瞬間が、評価を下げる原因になり得る。
● システムの統一感が崩れる場面:突然“移動コマンド”が必要になるなどの落差
基本は紙芝居形式で、1枚絵の状況に対して正解コマンドを当てる流れが続く。しかし、途中でその型が崩れ、急に「前へ進む」「右へ行く」のような移動指示が必要になる場面がある、といった指摘がされがちだ。プレイヤーはそれまでの遊び方を信じて考えているのに、突然“別のゲーム”をやらされるような感触になるため、気づけなければ原作を読み返しても答えに辿り着けない。これは難易度の高さというより、ルール提示の不足が原因で、ゲームデザインの一貫性が崩れた瞬間として不満が出やすい。
● 演出面の古さ:BGMやテンポ、描画速度などの“時代差”が目立ちやすい
1987年前後は、PCゲームの演出が急速に洗練され始めた時期で、テンポの良さや音楽、画面切り替えの快適さが評価軸として強くなっていった。そうした潮流の中で本作は、読書体験を優先したぶん、映像的な華やかさやテンポの改善が後回しに見えやすい。画面切り替え時の待ちや、BGMの扱い、全体のスピード感などで「時代遅れっぽさ」を感じる人が出るのは避けにくい。今あらためて触れる場合は、“遅さ”が没入の間になるか、ストレスになるかで印象が変わる。
● “持ち物”がないことの副作用:ゲーム的な手応えを求めると物足りない
本作は、一般的なADVにある持ち物(所持品)管理をあえて前面に出さない。物語を読むように一本道で進める、という思想には合っているが、ゲーム的な操作感や成長感を求める人には物足りなく映る。アイテムで状況を打開するのではなく、言葉で突破する設計だからこそ、突破の快感は知的だが、手を動かして積み上げる満足とは別物になる。ここは長所の裏返しであり、好みが分かれる点だ。
● “正解が一つ”の重さ:間違いが続くと疲労が一気に増える
紙芝居型ADVは、場面ごとに正解が収束しているため、当たればスムーズだが、外れると停滞が長くなる。探索で情報を増やして突破するタイプではなく、入力の瞬間に正解かどうかが決まってしまうため、間違いが続くと「自分は何も進めていない」という感覚が強くなりやすい。しかも本作は原作参照が絡むため、詰まったときの解決手段が“読み返し”に寄りがちで、時間をかけても手応えが得られにくい瞬間がある。集中しているときは深い体験になるが、疲れているときほど、関門の重さがそのままストレスになる。
● まとめると:尖ったコンセプトが、尖った弱点も生んでしまった
この作品の欠点は、単なる作り込み不足というより、「読書体験をゲームに寄せる」という狙いが、同時に“ゲーム単体の閉じ方”を弱くしてしまったところにある。原作を抱えて遊ぶ人には唯一無二の味になるが、ゲームだけで完走したい人には不親切に映る。ルールの統一感が崩れる箇所や、言葉合わせの厳しさ、視点の揺れなど、現代の目線では気になる点が多い。だからこそ本作は、万人向けではなく、“好きな人が抱きしめるタイプ”のレトロ作品として語り継がれやすいのだと思う。
[game-6]
■ 好きなキャラクター
● グイン:豹頭という“異物”が物語の重力になる
好きなキャラクターとして真っ先に挙がりやすいのは、やはり豹頭の戦士グインだ。見た目のインパクトだけでなく、本作の導入部における彼の役割が強い。王国が崩れ、双子が逃げ、森で追われる──この流れだけでも十分に緊迫しているのに、そこへ“人間ではない存在感”を持つ戦士が現れることで、物語の種類が一段変わる。彼は単なる助っ人ではなく、世界観そのものの謎を背負った存在として立っているため、登場した瞬間から場の空気が重くなる。ゲームの紙芝居的な一枚絵でも、グインが画面に入るだけで「ここから先は普通の逃亡劇では済まない」という予感が強まるのが面白い。好きな理由としては、圧倒的な頼もしさと同時に、過去も目的もはっきりしない不気味さが共存している点が大きい。強さがあるのに万能ではなく、優しさがあるのに距離がある。プレイヤーは“安心”と“怖さ”を同時に感じ、その二重性が魅力になる。
● リンダ:物語を引っ張る“気高さ”と“生々しさ”の両立
双子の姉リンダは、王族としての気品と、極限状況での人間らしさが同居しているキャラクターとして印象に残りやすい。彼女は守られるだけの存在ではなく、逃亡の中でも意思を失わず、時に強引にでも前へ進もうとする。だからこそ、レムス(あるいはプレイヤー)が迷う局面で、リンダの存在が“進行方向の磁石”になる。好きな理由としては、悲劇の只中でも折れない芯の強さ、しかし同時に、恐怖や焦りが滲む瞬間が描かれることで、ただの理想像に終わらないところが挙げられる。紙芝居形式のゲームは、動作で感情を描きにくいが、リンダは言葉や場面の緊張でキャラクターが立ち上がりやすく、場を引き締める役回りとして好まれやすい。
● レムス:弱さを抱えた“視点”が、プレイヤーの揺れと重なる
主人公として置かれやすいレムスは、派手な強さや英雄性ではなく、“迷い”と“弱さ”を抱えた視点として魅力がある。王族でありながら、状況に押し流され、判断に揺れ、姉や周囲に引っ張られながら進む。この不安定さは、ゲームの攻略構造とも妙に噛み合う。プレイヤーも、場面ごとに正解を探して止まり、迷い、言葉を探す。つまり、レムスの揺れがプレイヤーの揺れと重なりやすい。好きな理由としては、完璧ではないからこそ共感できる点、そして王族としての責任や誇りが完全には消えていない点がある。強い主人公ではなく、追い詰められた少年の目を通して世界を見ることで、森や砦の怖さが過剰にリアルになる。その“弱さが生む臨場感”が、レムスというキャラの味になる。
● イシュトヴァーン:敵か味方か分からない“危うさ”が場を面白くする
好まれやすい脇役として挙がりがちなのが、イシュトヴァーンのような“立ち位置が読めない人物”だ。彼は単純な悪役として割り切れない匂いを持ち、場面に出てくるだけで緊張の質が変わる。追跡者の側にいるのか、別の思惑で動いているのか、あるいは状況に応じて立場を変えるのか。こうした危うさは、紙芝居型ADVにおいて強い武器になる。なぜなら、動きで魅せられない代わりに、“次に何が起こるか分からない気配”で場面を支配できるからだ。好きな理由は、言葉の端々に感じるしたたかさ、そして敵対の中にも理性や美学が見え隠れするところにある。プレイヤーは、彼が出るたびに“場の空気”を読み直すことになり、それが物語の面白さへ繋がる。
● オロ:脇役なのに印象が強い、“場面の転機”を作る人
オロは、物語の中心人物ではないのに、場面によっては強烈に記憶に残るタイプのキャラクターだ。理由は単純で、彼の行動が“局面を動かすきっかけ”になりやすいからである。紙芝居型のゲームは、転機になる行動が一つ置かれ、それを当てると先へ進む。そういう構造の中で、脇役が鍵を握る場面があると、プレイヤーの印象は強くなる。好きな理由としては、戦いの只中での判断力や、立場の中での人間的な動きが見え、単なる背景キャラに収まらないところが挙げられる。主役級の派手さはないが、物語の歯車を回す役として、妙に存在感を放つ。
● こうした“好き”が生まれる理由:キャラが動くより、キャラの“役割”が際立つから
本作は、自由移動や会話分岐でキャラを掘り下げるというより、場面の連続で物語を刻む作りだ。そのため、キャラクターは「長い時間をかけて親しむ」より、「この局面で何を背負うか」が強調されやすい。グインは異物としての重力、リンダは気高さの推進力、レムスは弱さの臨場感、イシュトヴァーンは危うさの緊張、オロは転機の装置──それぞれが場面の役割として立ち上がる。だからこそ、好きなキャラを語るときも「性格が好き」というより、「あの場面での存在の仕方が好き」という語り方になりやすい。紙芝居型ADVならではのキャラの立ち方であり、それが今も記憶に残る理由になる。
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●対応パソコンによる違いなど
● まず共通する“核”:どの機種でも遊びの中心は「場面読解+コマンド」
PC-8801/PC-9801/FM-7のいずれで遊んでも、この作品の骨格はぶれない。1枚絵で示された状況を読み、適切なコマンド(動詞+対象)を通して物語を次へ送る――この“紙芝居型ADV”が中心で、自由移動や持ち物管理で遊び方が変わるタイプではない。だから対応機種の違いは、ゲームデザインそのものよりも「表示の見え方」「反応のテンポ」「音の扱い」「媒体・環境の癖」といった体感差に集約されやすい。
● PC-8801版:オリジナル機種としての“基準の手触り”
本作はPC-8801mkⅡSRがオリジナル機種とされ、ここが最も“基準”になりやすい。表示やフォントの雰囲気、コマンドの受け止め方などが、作品として最初に想定された形に近いと考えられるため、レトロPCのADVらしい硬派な手触りをまるごと味わえる。パッケージ情報やデータベースでも、PC-8801/SR向けタイトルとしての記録が比較的追いやすく、5.25インチFD(2D)での提供など、当時の標準的なPCゲーム像をそのまま背負っている点も“らしさ”になる。
● PC-9801版:読みやすさと環境差が出やすい“文章向き”の土俵
PC-9801はテキスト主体のゲームと相性が良く、同じ場面でも「文字の視認性」「画面情報の整理のされ方」が体感に直結しやすい機種だ。本作はテキスト反応を読み込む時間が長く、単語のニュアンスを拾って突破する局面が多いので、表示が見やすい環境ほど遊びやすさにつながりやすい。一方で、当時のPC-98は本体・モニタ・音源構成の幅が広く、どんな環境で動かすかによってテンポや印象が揺れやすい。つまりPC-98版は“ゲーム内容の違い”というより、セットアップの違いが体験を左右しやすいタイプだ、と捉えると納得しやすい。
● FM-7版:機種ラインナップと媒体の幅が広く、“環境で顔つきが変わる”
FM-7側の資料を見ると、本作はFM-7だけでなくFM-8やFM-77、FM-77AVなど複数の系統で扱われ、媒体もテープや複数サイズのディスクなど幅広く記録されている。ここがFM-7版の面白いところで、同じタイトルでも「どの系統の本体で」「どの媒体で」触れるかによって、ロード感や取り回しの印象が変わりやすい。さらにFM-7のデータでは、使用スクリーンモードが640×200の8色、音源がFM音源といった情報も挙がっており、静止画主体のADVにとって“画面の見え味”や“効果音・音の厚み”が体感として残りやすい。
● ジャスト社開発らしさ:機種が違っても“雰囲気の統一”が残る
本作は開発元がジャストであることが各種データベースで確認でき、同社作品で見かける独特の文字の雰囲気やコマンドADVらしい手触りが、対応機種が変わっても根っことして残りやすい。つまり、PC-88/PC-98/FM-7で見え方や音の出方が違っても、「画面と文章を見比べ、言葉で扉を開ける」感触は一貫する。その一貫性こそが、移植や機種差の話題において本作が“体験の芯は同じ”と言われやすい理由になる。
● 音声合成・音の要素:作品の個性として残りやすいが、再現条件に左右される
「少しだがキャラがしゃべる」「音声出力」といった特徴は、本作を語るうえで目印になりやすい。ただし、これは当時の周辺環境(音声合成や音源周り)と結びついた要素なので、現代の再プレイや実機環境の違いによって“体感の濃さ”が揺れやすい。どの機種でも“文字中心の読解ゲーム”であることは変わらないが、音の条件が整ったときほど「読書に一滴だけ演出が混ざる」感覚が増し、印象に残りやすい。
● まとめ:機種差は“遊びの内容”より、“読み心地・テンポ・環境差”に出る
結論として、どの対応機種でもゲームの筋道や遊びの中心は共通で、機種によって別ゲームになるタイプではない。違いが出るのは、表示の見えやすさ、ロードや反応のテンポ、音の厚み、そして媒体や本体系列の幅といった“体験の肌触り”の部分だ。原作を読み返しながら、場面を止めて考える――この作品らしい遊び方をするなら、最終的には「自分が一番読みやすい環境」が、そのまま一番楽しめる環境になりやすい。
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●同時期に発売されたゲームなど
同じ1987年前後のパソコンゲームは、「派手な演出よりも、文章・手順・発想で遊ばせる」方向に強い個性がありました。『豹頭の仮面』のような“読む→考える→選ぶ”タイプの作品と並べて触ると、当時の空気(ADV隆盛、RPGの拡張、SLGの定着、パズルの普及)が立体的に見えてきます。ここでは1986〜1987年(+周辺)を中心に、雰囲気の近い代表作を10本ピックアップします。
★ イース(日本ファルコム)
・販売会社:日本ファルコム ・販売された年:1987年(PC-8801mkIISR以降向け) ・販売価格:資料上は7,800円表記が確認でき、販売店の当時定価表記として8,580円の記録も見られる ・具体的なゲーム内容: 画面を見下ろし視点に固定し、剣士アドルを“体当たり”でぶつけて戦うアクションRPGの代表格。敵に正面から突っ込むのではなく、わずかにズラして当てることで被害を抑える――この独特の戦闘感覚が、シンプルなのに奥深い駆け引きを生みます。物語は、町で情報を集め、装備を整え、封印や遺跡の謎へ踏み込む流れが明快で、短い会話の積み重ねが“冒険している実感”を育てるタイプ。派手な分岐は少ない一方、探索・成長・ボス突破の区切りが気持ちよく、当時のPCユーザーに「RPGを最後まで遊び切る」体験を強く意識させた一本です。
★ JESUS(ジーザス)(エニックス)
・販売会社:エニックス ・販売された年:1987年 ・販売価格:8,580円 ・具体的なゲーム内容: コマンド選択(入力)型ADVの王道で、事件の輪郭を“観察→推理→行動”の順に組み立てていく作品。舞台や状況を説明しすぎず、画面の手掛かりと言葉の反応から「今やるべきこと」を逆算させる設計が特徴で、会話や調査の積み重ねがそのまま進行フラグになっていきます。手詰まり感を生む瞬間もありますが、ノートを取りながら少しずつ状況を解像度アップさせる過程が楽しいタイプで、『豹頭の仮面』の“文章を読み込んで正解語へ寄せる”感覚に通じるものがあります。
★ ハイドライド3(T&Eソフト)
・販売会社:T&Eソフト ・販売された年:1987年(PC-8801mkIISR以降向け) ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容: アクションRPGの古典を、より“生活感のある冒険”へ寄せた意欲作。単に敵を倒して強くなるだけでなく、時間の経過や行動の積み上げが探索テンポに影響し、冒険の段取りそのものがゲーム性になります。戦闘も、無造作に突っ込めば損をし、距離感や攻防の切り替えを意識すると安定する――という風に、プレイの癖が成績に直結。一本道で読ませる『豹頭の仮面』とは対照的に、同じ世界に長く滞在し、効率と安全を天秤にかけながら“自分の手順”を作っていく面白さがあります。
★ ソーサリアン(日本ファルコム)
・販売会社:日本ファルコム ・販売された年:1987年(PC-8801向け:発売時期の記録は1987-12) ・販売価格:9,800円 ・具体的なゲーム内容: シナリオ選択式のRPGとして語り継がれる作品で、ひとつの大きな物語を追いかけるというより、短〜中編の冒険を何本も“遊んで集める”感覚に近い構造が魅力。仲間や職業、装備の組み合わせで攻略感が変わり、同じシナリオでも安全策・強行策などプレイの色が出ます。文章の比重も高く、街の雰囲気や依頼の背景が短いフレーズで立ち上がるため、“読むことで気分が乗る”タイプのRPG。『豹頭の仮面』が小説体験に寄せたなら、こちらは「RPGの中に短編小説を詰めた」方向で、1987年前後の“物語性志向”を別角度から体感できます。
★ イミテーションシティ(データウエスト)
・販売会社:データウエスト ・販売された年:1987年 ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容: 近未来の都市と機械化社会を背景に、事件の断片を拾い集めていくサイバー系ADV。会話や調査が中心ですが、単に“正解コマンドを当てる”よりも、世界観の設定(制度、用語、都市の空気)を飲み込むほど推理の見通しが良くなる作りで、読解が攻略に結び付きやすいタイプです。『豹頭の仮面』のように原作小説が“地図”になる作品と同様、こちらも設定理解が進行を助けるため、プレイは自然と読み物のようなテンポになります。
★ 巡航追撃機ブラスティー(スクウェア)
・販売会社:スクウェア ・販売された年:1986年(PC-8801向けの記録) ・販売価格:7,900円 ・具体的なゲーム内容: ロボットアニメ的な世界観と“機体を扱っている感”を前面に出したRPG寄り作品。コマンドの積み方や状況確認など、当時のPCらしい手触りがあり、数値をいじる楽しさと、シーンの切り替わりで見せるドラマが同居します。『豹頭の仮面』が紙芝居的に絵と文章を往復させるなら、『ブラスティー』はメカと戦況の管理で“自分が操縦者になった気分”を作る方向。物語主導で進む局面も多く、1986〜87年の「演出を盛りたい」気配が見えやすい一本です。
★ ザナドゥ・シナリオⅡ(日本ファルコム)
・販売会社:日本ファルコム ・販売された年:1986年 ・販売価格:5,800円 ・具体的なゲーム内容: 追加シナリオ(拡張)という形で、既存タイトルを“別の遊び”へ広げる発想を早くから形にした作品。単体では完結せず本編が必要、という前提を置いた代わりに、遊びの焦点を“新しい課題の提示”へ絞り込み、攻略の手順を組み替えさせます。1987年頃に目立ってくる「1本のゲームを長く遊ぶ」「追加要素で深掘りする」文化の先取りでもあり、原作ありきで進める『豹頭の仮面』とは別の意味で、“前提知識(本編)を持つことが遊びやすさになる”設計が面白いところです。
★ OGRE(オーガ)(システムソフト)
・販売会社:システムソフト ・販売された年:1987年 ・販売価格:6,800円 ・具体的なゲーム内容: 限られた盤面(戦域)でユニットを動かし、戦術の最適解を探すタイプのSLG。操作は比較的淡々としている一方、配置と射程の組み合わせが勝敗を決めやすく、「どのユニットをどこに置くか」を考える時間がそのまま面白さになります。『豹頭の仮面』のように正解語を探す思考と、SLGで最適手を探す思考は似ていて、どちらも“手を動かす前に頭が先に走る”遊び。1987年のPCシーンに、こうした“考える娯楽”が並行して存在したことを実感できます。
★ 上海(システムソフト)
・販売会社:システムソフト ・販売された年:1987年 ・販売価格:6,500円 ・具体的なゲーム内容: 麻雀牌を使ったパズル(いわゆる同形牌のペア消し)をPCへ定着させた代表作のひとつ。ルールは単純でも、手詰まりを避ける“順番の読み”が必要で、短い時間でも脳が熱くなるタイプです。物語や世界観で引っ張る『豹頭の仮面』とは真逆ですが、当時のユーザーが「長編ADVで詰まったら、合間にこういうパズルで気分転換する」という遊び方をしやすかったのも事実で、同じ1987年の棚に並ぶことで生活の中のPCゲーム像が見えてきます。
★ パンガ(メーカー表記のあるPCゲーム作品:PC-8801、1987年記録)
・販売会社:資料のゲームデータ(メディア芸術データベース)に基づく作品記録あり ・販売された年:1987年(発売時期:1987-07の記録) ・販売価格:5,800円 ・具体的なゲーム内容: 1987年のPC-88界隈には、物語の長さではなく“手触りのよさ・反復の気持ちよさ”で勝負する作品も確かに存在していました。本作もその系譜として、短いサイクルで「状況判断→操作→結果」の手応えを返す方向が想像しやすいタイトルです。ADVと比べると文章の比重は下がりがちですが、テンポの良い反復ゲームは、長文ADVで疲れた頭をリセットする役割も担っていました。『豹頭の仮面』のような“読む重さ”と同時代に、“触る軽さ”が共存していた――その対比を体感する枠として挙げておきます。
★ (番外に近いが同時代の“遊ぶための道具”)アドベンチャーツクールmkⅡ(ブラザー工業 タケル)
・販売会社:ブラザー工業 タケル ・販売された年:1987年 ・販売価格:3,600円 ・具体的なゲーム内容: 厳密には“ゲームソフト”というより、ADVを作るための制作ツール。しかし1987年前後は、遊ぶだけでなく「自分でも作ってみる」が現実味を帯びた時期で、こうしたツールが流通していたこと自体が当時の熱量を物語ります。コマンド入力や分岐、メッセージ表示といった枠組みを手元で組めるため、『豹頭の仮面』のようなコマンドADVを遊んだ直後に触ると、「この手触りはこう作られているのか」と腑に落ちる瞬間が生まれやすい。同時代の“文芸系ゲーム文化”を支えた土台として、あえて並べておきたい一本です。
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サリア遊廓の聖女 3 (ハヤカワ文庫JA グイン・サーガ外伝 27) [ 円城寺 忍 ]




評価 4.5サリア遊廓の聖女 1 (ハヤカワ文庫JA グイン・サーガ外伝 27) [ 円城寺 忍 ]
ケイロンの絆 (ハヤカワ文庫JA グイン・サーガ 138) [ 宵野 ゆめ ]




評価 5水晶宮の影 (ハヤカワ文庫JA グイン・サーガ 145) [ 五代 ゆう ]




評価 4闇中【あんちゅう】の星 (ハヤカワ文庫JA グイン・サーガ 147) [ 五代 ゆう ]




評価 4闇中(あんちゆう)の星 グイン・サーガ147 アンチュウノホシグインサーガヒャクヨンジュウナナ【電子書籍】[ 五代 ゆう ]
グイン・サーガ148 トーラスの炎【電子書籍】[ 五代 ゆう ]
星降る草原 グイン・サーガ外伝23 (ハヤカワ文庫) [ 久美沙織 ]




評価 3グイン・サーガ(3) 辺境 [ 栗本薫 ]
グイン・サーガ(2) 虜囚 [ 栗本薫 ]




評価 4






























