【公式・直販】 ゲーミング PC ノートパソコン 新品 Lenovo LOQ 15IRX9 15.6インチ FHD IPS液晶 GeForce RTX 4050 Core i7 13650HX メ..




評価 4.33【発売】:日本テレネット
【対応パソコン】:PC-8801、PC-9801、MSX2
【発売日】:1988年8月
【ジャンル】:アクションロールプレイングゲーム
■ 概要
● 中世イスラムの香り漂う独自の世界観
日本テレネットが1988年に発表したパソコン用アクションRPG『XZR 破戒の偶像』(エグザイル)は、当時のゲーム業界において異彩を放つ存在だった。発売されたのはPC-8801、PC-9801、MSX2という日本の主要パソコン機種であり、いずれのプラットフォームでも独特の世界観と衝撃的なストーリー構成で多くのプレイヤーを驚かせた。本作は、後に続く『エグザイルII 時の狭間へ』の原点となるタイトルであり、シリーズ全体の方向性を決定づけた最初の作品でもある。 舞台は、現実の歴史を下敷きにした中世イスラム圏。宗教・政治・戦乱が入り乱れる時代背景の中、アサシンであり放浪者でもある主人公サドラーが、神や権力に縛られた人間たちの「偽りの偶像」を打ち砕いていく。ここで描かれるのは、単なる剣と魔法の冒険ではなく、信仰と支配、自由と禁忌といったテーマに切り込む哲学的な物語である。
● 物語と主人公サドラー
主人公のサドラーは、暗殺組織に属しながらも己の信念を貫く孤高の戦士である。彼はイスラムの影響を受けた架空の都市国家を旅し、次々と「偶像」に象徴される支配構造を破壊していく。サドラーの無口で冷徹な性格は、当時の“熱血系主人公”が主流だったRPG界において異端的であり、むしろ彼の沈黙や苦悩がプレイヤーの想像力を刺激した。 ゲーム終盤、物語は突如として現代へとタイムスリップする。ここでサドラーが下す決断は、宗教や権力の「偽善」を象徴する人物たち――すなわちアメリカ大統領とソ連書記長――の暗殺という衝撃的な展開で幕を閉じる。このラストシーンは、1980年代のゲームとしては異例の政治的メッセージを含んでおり、プレイヤーの間で賛否両論を巻き起こした。
● ゲームシステムと表現手法
『XZR 破戒の偶像』のゲーム構成は、会話シーンとアクションシーンの二部構成となっている。会話画面では『ドラゴンクエスト』のようなトップビュー形式を採用しており、街や神殿、オアシスなどを探索しながら住民と対話し、情報やアイテムを集めていく。一方、戦闘やフィールド移動は横スクロールのアクションスタイルで展開し、プレイヤーはサドラーを操作して敵兵や怪物を倒し、経験値を稼いで成長させる。 このシステムは、同社の代表作『夢幻戦士ヴァリス』のアクション要素を踏襲しつつ、より戦略的な要素を加えたものだった。攻撃やジャンプのタイミング、敵との間合い、そして薬草や魔法の使い方など、プレイヤーの判断が求められるバランス設計が特徴的である。
● 日本テレネットの挑戦的な演出と社会的メッセージ
日本テレネットは、当時から映像演出や音楽に強いこだわりを持っていたメーカーである。本作では、イスラム音楽の旋律を基調にしたオープニングテーマ「ラーガ・バゲシュワリ」とエンディングテーマ「プラーナ・ヤーマ」を制作。当時日本に留学していたイスラム系学生に作曲を依頼するという斬新なアプローチを採用している。この民族音楽的な旋律が、作品全体の宗教的・哲学的な雰囲気をさらに高めていた。 また、作中に登場するアイテムの中には「ハシシ」「ヘロイン」「アンフェタミン」「マリファナ」「コカイン」など、現実のドラッグが実名で登場しており、これも大きな話題を呼んだ。これらは単なる回復アイテムや強化手段として登場するのではなく、人間の「快楽」や「堕落」を象徴する要素として物語に組み込まれている。この挑戦的な設定は、ゲームという娯楽媒体を通して社会的・倫理的テーマを問いかける日本テレネットの姿勢を象徴していた。
● 技術的特徴と各機種の表現
PC-8801版は限られたグラフィック機能ながら、細部まで緻密に描かれた砂漠や神殿、夜空のドット表現が評価された。PC-9801版ではより高解像度化が進み、BGMの表現もFM音源によって重厚さを増している。MSX2版は一部の演出やアニメーションが簡略化されているが、携帯感覚でプレイできるコンパクトさが魅力だった。 いずれのバージョンにも共通していたのは、テレネットらしい滑らかなキャラクターアニメーションと、独自の色彩感覚だ。砂漠のオレンジ、夜空の群青、そして神殿の金色が織りなすグラデーションは、当時のプレイヤーにとって強烈な印象を残した。
● 文化的インパクトと評価
『XZR 破戒の偶像』は、単なるアクションRPGとしてではなく、「思想を持つゲーム」として語られることが多い。その宗教的・政治的テーマ、異国的な音楽とデザイン、そして何よりも主人公サドラーの孤独と反逆の姿勢は、1980年代の日本の若者文化にも通じる“反体制的ロマン”を映し出していた。 当時のゲーム雑誌でも「問題作」「挑戦的なストーリー」として紹介され、表現の自由と倫理の境界をめぐる議論を巻き起こした。その一方で、独自の美学と完成度の高さは多くのプレイヤーに支持され、後の「エグザイル」シリーズや、同時代のアクションRPG群(例:『ソーサリアン』『Ys』『夢幻戦士ヴァリス』など)に影響を与えることとなった。
● “破戒”というタイトルの意味
「破戒の偶像」という副題には、単なる宗教的アイコン破壊以上の意味が込められている。それは、既存の価値観や社会制度に対する挑戦であり、プレイヤー自身に「何を信じ、何を疑うべきか」を問うメッセージでもあった。 日本テレネットがこのような主題をゲームに取り込んだのは、当時のパソコンゲーム市場がまだ“実験の場”であり、創作の自由が許されていた時代だったからこそ実現したものだと言える。『XZR 破戒の偶像』は、その自由な時代の象徴であり、そして現在においてもなお、異端であり続ける名作である。
■■■■ ゲームの魅力とは?
● ハードボイルドな主人公像と独自のドラマ性
『XZR 破戒の偶像』の最大の魅力は、何よりも主人公サドラーの存在感にある。彼は寡黙で感情を表に出さない暗殺者でありながら、内には信仰と理想への深い葛藤を抱えている。表面的にはクールで非情だが、プレイヤーが物語を進めるにつれて、彼の行動には人間らしい苦悩と矛盾が垣間見えるようになる。 当時のRPGでは、勇者や救世主といった「正義の体現者」が定番だったが、本作のサドラーはその対極に位置する。彼は神を信じながらも、その神を疑い、時に殺戮をもって真実を見出そうとする。こうした“正義なき正義”というテーマが、単なるアクションゲームを越えた文学的深みを生み出している。 プレイヤーは戦闘を重ねるたび、サドラーの目を通して宗教・権力・人間の欲望の歪みを目撃していく。まさに「体験する寓話」とも呼べる構成で、プレイヤー自身が彼の葛藤を追体験するような感覚を味わえる点が秀逸だ。
● アクションとRPGの融合による快感
本作は、当時としては斬新なアクションRPGスタイルを採用している。会話・探索パートで情報を収集し、横スクロールのアクションパートで敵を倒すことで物語が進行する仕組みだ。サドラーの攻撃は剣を主軸とし、戦闘はシンプルでありながらテンポが良く、ステージごとに変化する地形や敵の配置が絶妙なバランスでプレイヤーを飽きさせない。 また、経験値システムによってサドラーが少しずつ強くなっていく過程は、単なるアクションでは得られない達成感を与える。敵を倒すたびに成長し、新たな技を得るたびにプレイヤー自身も戦略を変化させていく――この“変化の快感”が『XZR』シリーズ特有の魅力である。 さらに、マップの構造やトラップ配置には明確な設計意図があり、単なる難易度の高さではなく、プレイヤーに「考える戦闘」を促している点も評価が高い。
● 音楽とビジュアルが生み出す異国情緒
『XZR 破戒の偶像』は、ビジュアルと音楽が物語と一体化した作品でもある。背景グラフィックにはイスラム建築を思わせる幾何学模様やモザイク文様が多く使われ、砂漠やオアシス、夜明けの都市などが繊細なドット絵で表現されている。特にPC-9801版では、当時としては高解像度のグラフィックを駆使し、光と影のコントラストによって“神聖と虚無”というテーマを映像的に描き出していた。 音楽面では、前述のようにイスラム音楽をベースにしたメロディラインが特徴的で、アラビア音階を使用した旋律や打楽器のリズムが、まるで砂漠を吹き抜ける風のようにプレイヤーを包み込む。特にオープニングテーマ「ラーガ・バゲシュワリ」は、単なるゲーム音楽の枠を超えた“世界観の序章”として強い印象を残した。 こうした美術・音響の統一感が、プレイヤーを中世イスラムの幻想世界へと引き込み、没入感を高めている。まるで映画や叙事詩をプレイしているような感覚――これこそが『XZR』の芸術的な魅力だ。
● タブーに踏み込む大胆なテーマ性
当時のゲーム業界では、宗教や政治をテーマにした作品はほとんど存在しなかった。そんな中、『XZR 破戒の偶像』は、神と信仰、暴力と倫理という極めて繊細な題材に真正面から挑んでいる。物語の核心には、「人は信仰の名のもとにどこまで残酷になれるのか」という問いがあり、それは現代にも通じる普遍的なテーマである。 加えて、作中で麻薬や奴隷制といった社会問題がリアルに描かれている点も特筆すべきだ。アイテムとして登場する薬物は単なるファンタジーの小道具ではなく、権力や快楽に支配された人間社会の象徴として機能している。こうした“現実に根ざしたファンタジー”の手法は、後年のテレネット作品や他社のシリアスRPGにも影響を与えた。
● テレネットならではの物語演出
日本テレネットは、ストーリーテリングの演出力において群を抜いていたメーカーでもある。『XZR 破戒の偶像』では、シナリオ進行とアクションがシームレスにつながり、プレイヤーがゲームを操作すること自体が物語体験となるよう設計されている。 例えば、敵を倒した瞬間に挿入される短い会話や、静寂の中で流れるモノローグなど、シーンごとの演出が非常に繊細だ。単調な“ステージクリア型”の進行ではなく、章仕立ての物語としてプレイヤーに感情の起伏を与える構造になっている。これにより、サドラーの旅は単なる戦いではなく、魂の巡礼のような重みを持って描かれている。
● 社会的議論を呼んだ問題作としての存在
『XZR 破戒の偶像』は、発売当時からその過激な内容で注目を浴びた。特にラストの「現代へのタイムスリップ」と「政治指導者の暗殺シーン」は、倫理的・社会的な議論を巻き起こした。だが、それは単なる挑発ではない。制作者たちは、宗教的暴力や政治的欺瞞を描くことで、人間の本質を問おうとしたのだ。 ゲームを通して提示されるメッセージは明快である。「偶像とは他者ではなく、己の中にある」。この言葉が象徴するように、プレイヤーはサドラーを操作しながら、同時に自らの信念を見つめ直すことになる。 この哲学的メッセージ性こそが、本作が今なお語り継がれる最大の理由だろう。
● まとめ ― 異端の中に輝く芸術性
『XZR 破戒の偶像』は、単なるゲームという枠を越え、80年代末の日本パソコンゲーム史における“思想的挑戦”の象徴とも言える存在だった。華やかな美少女ゲームや王道ファンタジーが人気を博していた時代にあって、本作はあえて重く、暗く、思想的な道を選んだ。その独自性は、時代が変わった今でも色あせることがない。 プレイヤーに考えさせ、感じさせ、そして心に爪痕を残す――そんな作品は、今の時代にもそう多くはない。『XZR 破戒の偶像』は、まさに“異端の傑作”と呼ぶにふさわしい一本である。
■■■■ ゲームの攻略など
● 基本操作と戦闘の流れを理解する
『XZR 破戒の偶像』の攻略において最も大切なのは、まずアクションパートの操作感覚を体で覚えることだ。主人公サドラーの動きは軽快だが、敵の攻撃範囲やジャンプの挙動には独特のクセがあり、序盤では感覚を掴むまでに少し時間がかかるだろう。 基本は「剣による近接攻撃」「回避のジャンプ」「魔法アイテムの使用」の3要素を駆使して戦うスタイルだ。敵の動きを観察し、攻撃後のスキを突くのが鉄則。特にボス戦では相手のパターンを見極めることが生存の鍵となる。 初期装備の剣はリーチが短く、無闇に攻めると反撃を受けやすい。敵との距離を保ちつつ、タイミングを計って攻撃することを意識しよう。攻撃判定は剣の根元よりも先端に強く設定されているため、「ギリギリの間合い」を維持できるかどうかで攻略の難易度が大きく変わる。
● 成長とレベルアップの重要性
本作では敵を倒すことで経験値が得られ、一定値に達するとサドラーのレベルが上昇する。レベルアップにより体力や攻撃力が増し、アクションパートでの生存率が大幅に上がる。RPG的な要素を持ちながらも、戦闘バランスがシビアに設計されているため、適度なレベリングが不可欠だ。 特に序盤の砂漠地帯や廃墟のステージでは、無理に進行せず、敵を繰り返し倒して経験値を稼ぐことが推奨される。敵の出現位置は固定されているため、一定のパターンを覚えれば安全に稼ぐことが可能だ。 また、ステージの進行に伴い登場する新しい武器やアイテムも戦略に大きく影響する。攻撃力強化だけでなく、麻痺防止や状態異常回復など、状況に応じたアイテムを選択することが重要となる。
● 会話パートの探索と情報収集
『XZR 破戒の偶像』のもう一つの柱が、トップビュー形式で進行する会話・探索パートだ。街や寺院、王宮などの各エリアには情報を持った人物が存在しており、彼らとの対話を通して次の目的地や鍵となるアイテムが明らかになる。 この部分は単なる“おまけ”ではなく、物語の理解と攻略に直結している。特に「信仰」「裏切り」「商人」など特定のキーワードを持つキャラクターは重要で、彼らの台詞を聞き逃すと後のイベントを進められない場合もある。 また、一部のNPCは嘘をつく場合もあり、どの情報が真実でどれが罠かを見抜く観察眼も必要だ。会話中に選択肢が現れる場面では、単に“正しい答え”を選ぶのではなく、サドラーの立場や信念を反映させる選択をすることで、プレイヤー自身の解釈が物語に影響を及ぼす感覚を味わえる。
● ステージ構成と攻略のポイント
本作のステージは、それぞれ異なる地形・敵・トラップが設計されており、単調にならない構成になっている。以下では代表的なステージの特徴と攻略法をいくつか紹介しよう。
・砂漠地帯(序盤)
最初のステージであり、操作の慣れを試す場所。地面の起伏と敵スコーピオンの毒攻撃が脅威となる。地上で戦うより、ジャンプ攻撃を多用して距離を取るのが有効。毒を受けた際は早めに解毒薬を使用。
・古代神殿(中盤)
ギミック重視のマップで、スイッチを押す順序を間違えると入口に戻される仕掛けがある。ここでは探索パートで得た情報がカギを握る。「東の壁に偽りの光あり」というヒントを覚えておこう。
・山岳砦(終盤)
敵の攻撃が激しく、落下トラップも多い高難度ステージ。ボスの攻撃は予備動作が短いため、回避のジャンプタイミングを見極めること。連続攻撃を狙うよりも、一撃離脱を意識して戦うのが得策。
・現代エリア(終章)
物語のクライマックス。ここでの敵は人間の兵士であり、過去の異形の敵とは違った戦い方が求められる。プレイヤーの心理にも強い印象を残す、シリーズ屈指のシーンである。
● 回復とアイテム管理のコツ
本作では、薬草や各種ドラッグが回復・強化アイテムとして登場する。これらをどのタイミングで使うかが攻略のポイントだ。特にボス戦では、一気に体力を回復させるよりも、攻撃チャンスを逃さないよう短い間隔でこまめに使用するのが効果的。 また、薬物アイテムの一部には副作用が設定されており、短期的には攻撃力が上がるが、戦闘後に体力が減少するなどのリスクを伴う。このリスクとリターンの管理が『XZR』の戦略性を高めている。安易に「強化アイテムを使えば勝てる」という設計にはなっていないのが実に巧妙だ。
● ボス戦の攻略と心理戦
ボス戦は、単に力押しでは勝てないよう設計されている。敵の動きにパターンがあり、特定の行動を誘発することで隙を作れる場合が多い。例えば、巨大な魔像を相手にする戦いでは、一定の距離を保って攻撃を誘い、攻撃後の硬直時間に反撃を当てることが基本となる。 また、終盤の人間ボス戦では、戦闘前後の会話や演出により、敵の思想や信念が語られる。これにより、単なる勝敗の戦いではなく、思想と思想の衝突としての重みが生まれる。プレイヤーがどのような気持ちで剣を振るうか――それ自体が“攻略”の一部と言えるのだ。
● 隠し要素・裏技
本作には、当時のパソコンゲームらしく、いくつかの隠し要素や裏技が仕込まれている。特定の場所で特定のキー操作を行うと、開発スタッフのメッセージが表示されたり、BGMテストモードに入れるといった遊び心も存在する。 また、一部のアイテムを通常のルートでは入手できない場所に隠しているステージもあり、背景の装飾に見える壁を調べると秘密の通路が開く仕掛けなどもある。こうした発見の喜びは、攻略本がまだ普及していなかった時代のゲームらしい魅力だ。
● 難易度と達成感
『XZR 破戒の偶像』は難易度が高めに設定されているが、それだけにクリアしたときの達成感は格別である。ステージを進むごとにプレイヤー自身の操作スキルが磨かれ、サドラーとともに成長していく感覚が味わえる。単なるアクションの腕前ではなく、物語理解や判断力、リスク管理能力が求められる点で、知的な手応えを感じさせる作品だ。 そしてエンディングを迎えたとき、プレイヤーは単に「ゲームをクリアした」という満足ではなく、「一つの哲学的な旅を終えた」という感覚を抱くことになる。この精神的な充足感こそが、攻略の究極の報酬と言えるだろう。
■■■■ 感想や評判
● 発売当時の衝撃と話題性
1988年に『XZR 破戒の偶像』が発売されたとき、多くのPCユーザーがまず驚いたのは、その「異端さ」であった。当時のパソコンゲームは、ファンタジーやSFの世界観を中心に、勧善懲悪のストーリーが主流だった。そんな中で「宗教」「麻薬」「暗殺」「政治」といった現実的でセンシティブな題材を扱った本作は、完全に異色の存在だったのである。 発売直後、雑誌『テクノポリス』や『ログイン』では「ゲームというより思想の表現」「表現の自由に踏み込んだ作品」として紹介され、一部では社会的な議論さえ巻き起こした。「ゲームにここまで政治的メッセージを込めることができるのか」「暴力と信仰をどう受け止めるべきか」といった議題が、当時のプレイヤーの間で語られたのだ。 中には、「ゲームのラストで現代の政治指導者を暗殺するという展開があまりに過激」として批判する声もあったが、同時に「だからこそ強烈に記憶に残る」と肯定する意見も多かった。つまり『XZR』は、単なる娯楽作品ではなく、1980年代末の社会の“揺らぎ”を映し出す鏡のような作品として受け止められたのである。
● ユーザーからの支持 ― “思想を持つゲーム”として
一般のプレイヤーの反応もまた、熱狂と戸惑いが入り混じったものだった。多くのユーザーは「単なるRPGではなく、哲学書のようだ」と語り、その深さに魅了された。主人公サドラーの寡黙な姿勢と、世界を破壊してでも真実を求めるその行動は、当時の若者たちにとって反体制の象徴のように映ったのである。 一方で、ゲームバランスの難しさや、アイテムの扱いがシビアすぎるという意見も少なくなかった。しかし不思議なことに、それを“理不尽”と批判する声は少なく、多くのプレイヤーが「この難しさこそがサドラーの宿命を感じさせる」と好意的に受け止めていた。つまり、プレイヤーがゲームの世界観と一体化していたのだ。 また、当時まだ珍しかったイスラム文化を題材にしたグラフィックや音楽も高く評価された。異国情緒あふれる世界は、他のどのゲームにも似ておらず、プレイヤーに“旅をしている”ような没入感を与えた。
● メディアの評価と批評家の視点
評論家やゲーム誌のライターたちは、『XZR 破戒の偶像』を「問題作であり、名作」と評した。特にそのシナリオ構成と演出の完成度は高く、「思想性を持つアクションRPG」という新しいジャンルを切り開いたと評価された。 一部の批評では、「主人公の行動は暴力的だが、その背景にある哲学は深い」と分析され、単なる過激描写としてではなく、人間の信仰や倫理観を問う文学的作品として捉えられていた。また、BGMの民族音楽的アプローチや、ドット絵でありながら写実的な表現を試みたグラフィックにも賛辞が送られた。 しかし、同時に「内容が難解すぎる」「万人向けではない」とする意見も根強かった。実際、物語の展開を理解するには宗教史や世界史に関する予備知識が必要であり、当時の中高生プレイヤーには難解すぎた部分もあったようだ。それでも、その“わからなさ”が逆にカルト的な魅力となり、長く語り継がれる理由にもなっている。
● 海外プレイヤーや後年の再評価
『XZR 破戒の偶像』は日本国内だけでなく、のちに英語圏のPCユーザーの間でも話題になった。海外のレトロゲーム愛好家の間では、「日本のゲームにおける宗教と暴力の表現」という観点で再評価されることが多い。特にエンディングの政治的メッセージや、異文化への理解と誤解が交錯する描写は、1980年代の国際情勢を反映した“時代の記録”として注目されている。 また、後続作『XZR II 時の狭間へ』やメガドライブ版『エグザイル』を通じて本作を知った新しい世代のプレイヤーからも、「初代の持つ生々しさが忘れられない」「思想的な尖り方が当時のテレネットらしい」といった声が寄せられている。近年では、プロジェクトEGGなどの配信サービスで再びプレイ可能となり、その存在が再び注目を集めている。
● 賛否両論の中で光る“本気”の作り込み
『XZR 破戒の偶像』に対する評価の分かれ目は、「テーマの受け止め方」にあった。宗教や麻薬、暴力などの題材を扱うこと自体に抵抗を感じる人もいたが、それでも多くのプレイヤーが「制作者が本気で何かを伝えようとしている」と感じた。 実際、本作の随所には、日本テレネットの開発陣がメッセージ性を込めて作り込んだ痕跡が見える。例えば、村人たちのセリフには「祈りは自由の証」「信仰とは他人を縛ることではない」といった印象的な言葉が散りばめられており、単なる世界観の装飾に留まらない深い意図が感じられる。 プレイヤーはそのメッセージを“感じ取る”ことで、この作品を単なるアクションRPGではなく、“思想体験”として記憶するのだ。だからこそ、時間が経っても語り継がれ、再びプレイしても新しい発見がある。
● シリーズファンの間で語り継がれる存在
『XZR』シリーズは続編『時の狭間へ』や、メガドライブへの移植を経て広がりを見せたが、その原点である本作は今なお特別な位置づけにある。多くのファンは、「シリーズで最も思想的」「最も荒削りで最も心に残る」と語る。 後年の作品では演出が洗練され、プレイしやすさも増したが、初代『破戒の偶像』にしかない“危うさ”や“生々しさ”が、逆に人々を惹きつけ続けているのだ。 サドラーというキャラクターもまた、当時の日本のゲーム主人公像を大きく変えた存在だった。感情を爆発させることなく、冷徹な判断で世界を切り裂く――その姿は、後の“クール系主人公”の先駆けといえる。ファンの中には「サドラーの沈黙にすべてが語られている」と評する者も多い。
● 総評 ― 語り継がれる問題作から伝説へ
『XZR 破戒の偶像』は、発売から35年以上が経過した今なお、語り継がれる作品である。派手なグラフィックや大規模な演出が主流となった現代のゲームとは異なり、テキストと映像、そして沈黙によって物語を語るその手法は、今なお異彩を放っている。 当時のプレイヤーたちにとって、この作品は“娯楽”というより“啓示”だった。ゲームが単なる遊びではなく、思想を伝えるメディアたりうることを証明した意味で、『XZR 破戒の偶像』は日本PCゲーム史の中で極めて重要な位置を占めている。 賛否の激しさ、倫理への挑戦、そして哲学的メッセージ――それらすべてが渾然一体となって、今なお多くのファンの心に生き続けるのである。
■■■■ 良かったところ
● 強烈な世界観と哲学的メッセージ性
『XZR 破戒の偶像』の最大の魅力として、多くのプレイヤーが口をそろえて挙げるのが、その“思想の深さ”である。表面的にはアクションRPGでありながら、その根底には「信仰とは何か」「人間の自由とは何か」という哲学的テーマが流れている。ゲームをプレイしていると、敵を倒すたび、イベントを進めるたびに、まるでプレイヤー自身がサドラーのように“何を信じて生きるのか”を問われているような感覚に陥る。 この思想性が単なるメッセージではなく、物語とシステムの中で自然に体感できる点が素晴らしい。たとえば、麻薬を使えば一時的に力を得るが、やがて身体が蝕まれるという設定は、ゲーム的ギミックでありながら「欲望と破滅」という主題そのものを象徴している。日本テレネットが“説教臭くなく伝える”ことに成功している点は、当時として画期的だった。
● 主人公サドラーの存在感と魅力
サドラーというキャラクターは、RPGの歴史の中でも異色の主人公だ。言葉少なで、冷静沈着。善悪のどちらにも寄らず、自らの信念のもとに行動する姿は、多くのプレイヤーにとって強い印象を残した。 彼が放つセリフは少ないが、その一言一言に重みがある。あるシーンで彼が呟く「神は沈黙している。ならば、俺が問うしかない」という台詞は、多くのプレイヤーの記憶に刻まれている。このように、派手な演出ではなく、静けさの中に力を感じさせる人物像が描かれている点は非常に評価が高い。 また、彼が抱える矛盾――「神を信じながら神を疑う」というテーマは、プレイヤーに共感と違和感を同時に与える。人間の複雑な心情をRPGでここまで表現した作品は、当時ほとんど存在しなかった。
● 美しいドットグラフィックと独自の美術センス
『XZR 破戒の偶像』のグラフィックは、PC-8801・9801・MSX2といった当時のハードウェアの限界を感じさせないほど緻密に描かれていた。特に背景の色彩設計が秀逸で、砂漠の黄金、夜空の群青、神殿の深い赤など、すべての場面が絵画のようなバランスで構成されている。 特筆すべきは、イスラム建築をモチーフにした幾何学模様やドーム屋根のデザイン。ドットでありながら立体感があり、プレイヤーは“異国の空気”を視覚的に感じることができた。さらに、光の表現も巧みで、朝日が差し込む神殿や、夜明けに染まる砂漠の輝きなど、当時の技術でここまで描けるのかと驚くほどだ。 PC-9801版ではFM音源の活用によって光と音の一体感がさらに強化され、演出面での完成度が群を抜いていた。まさに“テレネット美学”の真骨頂といえるだろう。
● 音楽が生み出す没入感
音楽の評価も非常に高い。オープニングテーマ「ラーガ・バゲシュワリ」は、プレイヤーを一瞬で中東世界に引き込む荘厳な旋律で始まり、メロディラインにはイスラム音階が使われている。 BGMはただの“背景音”ではなく、物語の雰囲気を伝える“語り部”のような役割を果たしている。たとえば、街では穏やかな弦楽器の音色が流れ、砂漠では乾いたパーカッションが鳴り響く。そして、神殿の奥では静寂と祈りを感じさせるコーラスが響き、プレイヤーの心を支配していく。 特筆すべきは、これらの曲の多くが当時日本に留学していたイスラム系学生の手によるものであること。作曲者の文化的背景が、そのまま作品世界のリアリティを支えており、音と物語が一体化した稀有な例といえる。
● 難易度のバランスと達成感
『XZR 破戒の偶像』のアクションパートは決して易しくない。敵の動きは速く、攻撃判定もシビアで、ボス戦ではパターンを覚えなければ勝てない構成になっている。だが、この難易度の高さが逆にプレイヤーの集中力と達成感を引き出す。 特に、後半の現代編に突入するあたりからの緊張感は圧巻だ。舞台が急に変わり、プレイヤーは「この物語の意味」を改めて考えさせられる。そして最終決戦を終えた瞬間、画面に流れる静かなエンディングテーマが、プレイヤーの心を震わせる。 この「苦難を乗り越えた末に得られる静かな感動」は、当時の他の作品にはなかった『XZR』ならではの体験だった。
● シナリオ構成の見事さ
ストーリー構成の巧妙さも、本作の優れた点として評価されている。物語は章立て形式で進行し、各章ごとに異なる地域・思想・支配者が登場する。これにより、単なる“冒険の連続”ではなく、世界全体を旅しているような一貫性を感じさせる。 また、終盤の“時代転換”は多くのプレイヤーを驚かせた。中世イスラム風の世界から突如として現代の冷戦時代へと場面が移るという展開は、まさに衝撃的。時代も文化も超えて、「権力と暴力の構造は変わらない」というメッセージを伝える演出として、見事に機能していた。
● 日本テレネットの演出哲学
テレネット作品には、どこか“映像的な叙情”が共通して存在するが、『XZR 破戒の偶像』ではその哲学が最も明確に現れている。アニメーションを多用せず、むしろ“間”や“静けさ”を利用してプレイヤーに想像させる演出法だ。 たとえば、敵を倒した後に一瞬訪れる沈黙。流れる風の音だけが残る。そこに“虚無”を感じるか“解放”を感じるかは、プレイヤー次第である。この余白の演出こそ、日本テレネットの美学であり、本作が“芸術作品”として語られる所以である。
● 文化的・歴史的価値
『XZR 破戒の偶像』は、単なるゲームとしてではなく、1980年代後半の日本における“表現の自由”の象徴としても評価されている。当時のゲーム業界はまだ倫理コードが緩く、開発者が自らの思想を作品に投影できる時代だった。その中で本作は、最も直接的に“社会”や“宗教”を描いた作品のひとつである。 後の時代に検閲や倫理基準が厳しくなった結果、こうした表現は困難になっていったが、『XZR』はその自由な時代の最後の輝きとして、文化的価値を持っている。プレイヤーに衝撃を与え、考えさせ、そして挑発する――それは今でも他のどんなゲームにも代え難い魅力である。
■■■■ 悪かったところ
● 難易度バランスの厳しさと不親切な設計
『XZR 破戒の偶像』を高く評価する声が多い一方で、当時のプレイヤーが最も不満を抱いた点のひとつが「難易度の高さ」であった。アクション部分の当たり判定はシビアで、敵の攻撃スピードも速く、少しの判断ミスが即ゲームオーバーにつながる。しかも、コンティニュー機能やオートセーブといった救済措置がほとんどなく、ステージの最初からやり直しになることもしばしば。 この“容赦のなさ”はやり込み派にとっては挑戦的で魅力でもあるが、一般的なプレイヤーには敷居が高すぎた。加えて、敵の配置や攻撃パターンが理不尽な場面も多く、特に狭い足場で敵が連続して出現する場面では、避けることすら困難であった。 攻略のためには事前にステージ構造を暗記し、完璧な操作を求められる――まさに“職人気質”のゲームであり、ライトユーザーを拒む硬派さが裏目に出た形ともいえる。
● ストーリーの難解さとプレイヤー置き去りの展開
哲学的で深いテーマが魅力の一方で、その内容が難解すぎるという声も多かった。宗教・倫理・政治といった抽象的な概念が多数登場し、明確な説明がないまま物語が進行するため、当時のプレイヤーの中には「何が起きているのか分からなかった」という意見も少なくなかった。 特に終盤、時代が中世から現代へと突如として転換するシーンは衝撃的ではあるが、唐突すぎる印象を与えた。物語上の意図を理解できないまま「急に現代の戦場で戦う展開」に困惑したプレイヤーも多く、ゲーム全体の流れとしては一貫性を欠くという評価もあった。 また、登場人物の多くが寡黙で説明不足なため、サドラーの行動の動機や心情を理解するのに苦労する点も課題とされた。制作者の意図として“プレイヤー自身に考えさせる構成”であったことは明白だが、物語体験を重視する層にはやや不親切だったと言える。
● 操作レスポンスの不安定さと技術的制約
ハードウェアの性能に左右される部分も大きかった。特にPC-8801版では処理速度が不安定で、敵が多く出現する場面では動作がカクつくことがあり、操作精度を求められるアクション部分ではストレス要因となった。 ジャンプ判定もシビアで、ほんの少しタイミングを誤るだけで足場から落下してしまうことがあり、特に後半ステージでは致命的なダメージを受ける。 また、当時の技術的制約からキー入力の反応に遅延が生じるケースもあり、プレイヤーの意図した動作とズレが発生することがあった。この点については、当時の他社作品――例えば『ソーサリアン』や『夢幻戦士ヴァリス』――と比べてもやや洗練度が劣っていたという意見が見られる。
● マップ構造とイベント誘導のわかりにくさ
探索パートにおける不満点も多い。トップビューで街や神殿を探索する場面では、どのNPCが重要な情報を持っているのかが非常にわかりにくく、同じエリアを何度も歩き回る必要があった。 また、一部のイベント発生条件が極端に限定的で、あるキャラクターに話しかける順番を間違えるとイベントが発生しないケースも存在する。その結果、「攻略本なしではクリアが難しい」と評されることもあった。 ヒントとなるセリフも抽象的で、「東に救いの光あり」「砂上の祈りを捧げよ」といった詩的表現が多く、これをどう解釈すれば良いのかプレイヤー次第となっていた。こうした“考える余地”が魅力でもあったが、テンポを重視するプレイヤーには不親切に感じられたのも事実だ。
● 麻薬アイテムの扱いと倫理的議論
『XZR 破戒の偶像』で最大の論争を呼んだのが、アイテムとして登場する麻薬類の存在だった。「ヘロイン」「マリファナ」「アンフェタミン」など、実在する薬物が実名で登場するという大胆な設定は、当時の倫理基準から見ても非常に過激だった。 これらのアイテムは、使用すると一時的にステータスが上昇するが、長期的には副作用が発生するというリアルな設定がなされている。しかし、この表現を「麻薬をゲーム的に扱うのは不適切」とする声もあり、一部のメディアでは批判記事が掲載された。 もっとも、制作者側は「麻薬の危険性と依存の恐ろしさを逆説的に表現した」と説明しており、実際に物語全体では“快楽と破滅”というテーマの一部として機能している。だが、倫理観や時代背景を考えると、この試みは賛否を分ける結果となった。
● プレイヤーへの説明不足とUIの古さ
システム面では、現代の基準で見ると明らかに説明不足な部分が多い。アイテムの効果やステータスの意味が明示されておらず、どの装備が強いのか、どの魔法が有効なのかがプレイヤーの試行錯誤に委ねられていた。 また、メニュー操作のレスポンスも遅く、選択肢を選ぶたびに画面が一瞬止まるなど、テンポを損ねる仕様が散見された。 ユーザーインターフェース自体が非常にシンプルで、当時の「直感的に遊べるRPG」の流れに逆行していたともいえる。これも作品の“硬派さ”として受け止めるファンもいたが、快適さを求めるプレイヤーには不満点となった。
● 結末の倫理的衝撃とプレイヤーの解釈分裂
本作のエンディングは、その思想的な強烈さゆえに、多くの議論を呼んだ。サドラーが現代に現れ、アメリカ大統領とソ連書記長を暗殺するという展開は、1980年代末の冷戦構造を真正面から批判するような内容であり、一部のユーザーは「ゲームの範疇を超えている」と驚愕した。 この結末を「痛烈な社会風刺」として評価する人もいれば、「暴力の肯定」として拒絶する人もいた。日本テレネットが意図した“問題提起”は成功していたが、プレイヤーの多くが「釈然としない後味」を残されたのも確かだ。 当時のゲーム誌では「倫理的に扱いが難しいラスト」と評され、以後、似たテーマを扱う作品が減少したという側面もある。つまり、この作品の過激さが、同時代のクリエイターたちに一種の“恐れ”を与えたほどだったのだ。
● 総評 ― 荒削りゆえの魅力と課題
総じて、『XZR 破戒の偶像』の欠点は、そのまま“挑戦作ゆえの未完成さ”といえる。テレネットが本作で目指したのは、思想・芸術・アクションを融合した新しい表現だったが、その野心が時にプレイヤーを置き去りにしてしまった。 だが、逆に言えば、この未完成さこそが本作を“生きた作品”にしている。完全ではないが、本気で何かを伝えようとしている――その熱量が画面から溢れているのだ。 確かに操作性やバランスの面では粗が目立つ。しかし、現代の視点で見ても、“伝えたい想いが先に立ち、技術が追いついていない作品”には独特の輝きがある。『XZR 破戒の偶像』もまさにその一つであり、欠点すらも含めて愛される理由がそこにある。
[game-6]■ 好きなキャラクター
● 主人公サドラー ― 沈黙の中に燃える信念
多くのプレイヤーが『XZR 破戒の偶像』を語るとき、真っ先に思い浮かべるのが主人公サドラーである。彼は「ゲーム史上でもっとも寡黙な主人公」と称されるほど言葉を発さない。だが、その沈黙こそが彼の最大の個性であり、プレイヤーが彼に感情を投影する余地を作っている。 サドラーは暗殺者であり、罪を背負った男だ。彼の旅は、神の意志を信じながらも、その神に疑問を抱くという矛盾した使命の中で進んでいく。プレイヤーは、彼が剣を振るうたびに、その一太刀の裏に隠された苦悩を感じ取る。 特に印象的なのは、敵を討った後に見せる“無表情”である。勝利の喜びや怒りではなく、どこか虚無的な表情――それが彼の人間としての深さを物語っている。 サドラーは単なるゲームキャラクターではなく、信仰と現実、善と悪の境界に立つ“象徴”のような存在だ。その姿勢は、後のRPGに登場する“クール系ヒーロー”の原型になったとも言われている。
● リヤーナ ― 祈りと裏切りの狭間で
サドラーの旅に関わる女性キャラクター、リヤーナは物語の中で象徴的な役割を果たしている。彼女は信仰心の厚い聖職者でありながら、その信仰が時に彼女自身を苦しめる存在でもある。 リヤーナはサドラーの前に現れ、彼に「神の御心に従え」と説くが、次第に彼の行動に疑問を抱くようになる。サドラーとリヤーナの関係は、単なる仲間ではなく、「信仰と自由」という相反する価値観の対話そのものだ。 プレイヤーによっては、彼女を“純粋な導き手”として捉える人もいれば、“最も残酷な存在”と解釈する人もいる。なぜなら、彼女の祈りはサドラーを救うようでいて、同時に束縛してもいるからだ。 この曖昧な二面性が、リヤーナというキャラクターを単なる脇役ではなく、物語の核心に据えた。彼女の存在があったからこそ、サドラーの孤独や苦悩がより強く浮き彫りになったのだ。
● 老学者アズラム ― 真理を追う者の哀しみ
旅の途中でサドラーが出会う老学者アズラムは、多くのプレイヤーの心に残る人物である。彼はかつて偉大な賢者として人々に尊敬されていたが、真実を追求するあまり異端とみなされ、追放された過去を持つ。 アズラムはサドラーに「信仰は光であり、同時に影を生む」と語る。この言葉はゲーム全体のテーマを象徴する重要なセリフのひとつであり、彼の存在はサドラーの思想に影響を与えるきっかけとなる。 プレイヤーの間では、アズラムを“もう一人のサドラー”と見る意見も多い。彼もまた、真理を求めるがゆえに孤独に生きる男であり、彼の姿はサドラーの未来を暗示しているかのようだ。 物語終盤、アズラムが残す書簡には「人が神を作り、人が神を壊す」と記されており、その哲学的な重みがプレイヤーに強い余韻を残す。この一文は、『XZR』シリーズ全体に通じる思想の核心ともいえる。
● 商人ハミード ― 欲望と現実の狭間
一見すると滑稽な脇役だが、ハミードは『XZR』世界の現実的な側面を体現するキャラクターだ。金のためならどんな取引でも行う商人であり、サドラーにとっては武器や情報を提供する重要な存在である。 しかし、彼の台詞にはしばしば鋭い風刺が含まれている。「祈りでは腹は満たされない」「真実よりも金の方が信用できる」といった言葉は、信仰と倫理の狭間で揺れる世界の現実を突きつける。 プレイヤーの間では「もっとも人間らしい登場人物」として人気があり、理想よりも現実を生きる彼の姿勢は、むしろサドラーとは対照的な魅力を放っている。 また、物語中盤で彼が“裏切り者”として登場する展開も印象的だ。だが、その裏切りにも理由があり、「彼なりの正義」が存在することが語られる。この多面的な描写が、単なる善悪の構図を超えた人間ドラマを形成している。
● 敵キャラクターたちの存在感
『XZR 破戒の偶像』では、敵キャラクターも単なる“悪役”として描かれていない。彼らはそれぞれの信念と欲望を持ち、サドラーに立ちはだかる。 たとえば、砂漠の支配者ザカリアは暴君でありながら、民を守るために強権を振るう悲劇的な支配者として描かれる。また、神殿の預言者アリ・バルスは狂信者でありながら、心の奥では「救われたい」という弱さを抱えている。 こうしたキャラクターたちは、サドラーの鏡像的存在として機能しており、彼の行動や思想を照らし返す役割を果たす。プレイヤーは彼らとの対話や戦いを通じて、サドラー自身の信念を深く理解することになる。
● プレイヤーに寄り添う“語られぬ存在”たち
この作品の特徴として、物語の裏に“語られぬキャラクター”が多く存在する点も挙げられる。名もなき村人、死にゆく兵士、荒野の放浪者――彼らの断片的な言葉が、世界のリアリティを支えている。 特に印象的なのは、戦闘で倒した敵が断末魔に「神は見ているのか?」と呟くシーン。わずか一行のテキストだが、その言葉には恐怖と祈りが同居しており、世界全体の虚無感を象徴している。 これらの“脇役たち”が生きているからこそ、『XZR』の世界は単なる舞台ではなく、“人間が生きる場所”としての厚みを持っていた。
● 総評 ― 登場人物すべてが「信仰の物語」を語る
『XZR 破戒の偶像』に登場するキャラクターたちは、誰一人として単純な役割に収まっていない。彼らは皆、信じるものと疑うものの狭間で揺れている。サドラーの沈黙、リヤーナの祈り、アズラムの理知、ハミードの現実主義――これらが交錯し、ひとつの壮大な人間ドラマを形成している。 この多層的なキャラクター描写こそが、『XZR』をただのゲームではなく“文学的作品”へと昇華させている要因である。プレイヤーは彼らの言葉や行動を通して、時代や宗教を超えた“人間の本質”を垣間見ることになるのだ。
[game-7]●対応パソコンによる違いなど
● PC-8801版 ― 荒削りだが原点の力を感じる
『XZR 破戒の偶像』の最初期リリースとなったのがPC-8801版である。このバージョンは、開発チームが最も直接的にコンセプトを投影した“原型”とも言える存在だ。グラフィック解像度や発色数には限界があり、現代の目で見れば粗いドット絵に感じられるかもしれない。しかし、当時のユーザーからは「制約の中にこそ魂が宿る」と評された。 背景やキャラクターデザインは手作業で描かれており、シンプルな線でありながら場面ごとの雰囲気をしっかり伝える。特に砂漠やオアシスの色の表現には工夫が凝らされ、限られた色数の中で空気感を再現するためのグラデーション技法が多用されている。 サウンドはFM音源対応ではあったが、音数は少なく、シンプルな旋律構成が中心。しかし、それが逆に中東風メロディの“祈りのような静けさ”を際立たせていた。多くのユーザーが「最も乾いた音が似合う世界」と評したのもこのバージョンだ。 また、ゲームテンポがやや遅く、アクション操作にももっさり感があるものの、全体のバランスは慎重に調整されており、ステージ構成は後のPC-9801版やMSX2版の基盤になった。シナリオやエンディングの内容は同一だが、演出のテンポや効果音が独特で、シリーズファンの中には「PC-88版の静寂感が一番印象的」と語る人も多い。
● PC-9801版 ― 表現力の完成形とも言える高解像度版
最も多くのプレイヤーに知られているのが、このPC-9801版である。画面解像度が大幅に向上し、16色グラフィックの表現が滑らかになったことで、背景の陰影や建造物の装飾がよりリアルに描かれている。特にイスラム建築風の神殿内部の描写は圧巻で、幾何学模様の床やアーチ状の窓から差し込む光の表現など、当時の日本テレネットの美術チームの技術力を感じさせる。 音楽面でもFM音源の性能を最大限に引き出しており、オープニングの「ラーガ・バゲシュワリ」は荘厳かつ立体的な音の広がりを持っている。パーカッションとシタール音のバランスが絶妙で、プレイヤーを一瞬で物語世界に引き込む。BGMの切り替えもスムーズで、ボス戦の緊張感を高める音構成は、のちのテレネット作品『夢幻戦士ヴァリスIII』にも通じる完成度を誇る。 システム面でも、操作レスポンスが改善され、PC-8801版で感じられたカクつきが軽減。剣の当たり判定やジャンプ挙動も調整され、アクション性が向上した。このため、難易度がやや下がった印象があり、「最も遊びやすいバージョン」として評価されている。 一方で、ロード時間が長く、特にステージ切り替え時に数秒間のディスクアクセスが入る点は当時のユーザーから不満の声もあった。だが、それを補って余りある完成度と雰囲気表現があり、シリーズを代表する“決定版”といっても過言ではない。
● MSX2版 ― コンパクトながら個性の光る移植
MSX2版は、グラフィックと音声の両面で他機種とは異なる方向性を持つ。ハードウェアの制約によりドット数や処理能力は低いものの、独自の色使いとシンプルなUI設計により、“軽快に遊べるXZR”という印象を残した。 特に評価されたのは、色彩設計の巧みさである。MSX2は同時発色数が限られているにもかかわらず、砂漠の熱気や夜の静けさを色のコントラストで表現しており、「8bitの限界を超えた情緒がある」と評された。 一方、BGMはPSG音源中心で、他機種のような厚みはないものの、そのチープさが逆に“乾いた旅の孤独”を感じさせるという意見も多かった。 シナリオ構成はほぼ同一だが、一部の演出や台詞がカットされており、全体のテンポは速め。ボスの耐久力が調整されているため、クリアまでの時間は短い。この点が“繰り返しプレイしやすい手軽さ”として評価されている。 ただし、画面スクロールがコマ送り気味で滑らかさに欠ける点、またキー入力の遅延がやや顕著である点がマイナス要素として挙げられた。
● 機種間で異なる表現と印象
3機種を比較すると、同じ『XZR 破戒の偶像』でもまったく異なる印象を受ける。 PC-8801版は「荒削りな原点」。静かな絶望と孤独を強く感じる。 PC-9801版は「完成された叙事詩」。映像・音響の完成度が高く、神話的な雰囲気を持つ。 MSX2版は「旅の記録」。簡潔でありながら味わい深く、どこか日記的な余韻を残す。 このように、機種ごとに体験の方向性が異なるのが『XZR』シリーズの面白さでもある。特に、同じシーンを異なる環境でプレイしたときの印象の差は大きく、ファンの間では「どのXZRが“真のXZR”か」を語る議論が今なお続いているほどだ。
● テレネットの移植哲学 ― 機種ごとに最適化された世界
当時の日本テレネットは、単なる移植ではなく「機種に合わせた再構築」をモットーとしていた。 PC-8801版では軽快さを重視し、PC-9801版では演出を重視、MSX2版では遊びやすさを重視――それぞれのユーザー層とハード性能に合わせてチューニングが行われている。 たとえば、PC-9801版ではBGMの重厚さに合わせてカットイン演出を追加しているが、MSX2版ではその分をテキスト速度の調整でテンポアップしている。これにより、どの機種でも“違うけれど完成された一作”として成立していたのだ。 テレネットの開発者インタビューでも、「同じテーマを異なる楽器で奏でるような感覚で各バージョンを作った」と語られている。この思想があったからこそ、各プラットフォームの限界がむしろ個性として機能したのである。
● 互換性と保存の課題
現代の視点から見ると、これらのバージョンはすべて貴重な文化遺産である。しかし、当時のフロッピーディスク媒体の劣化やハードの入手困難化により、オリジナル環境でのプレイは極めて難しくなっている。 そのため、ファンの間ではエミュレータやデジタルアーカイブによる保存活動が進められている。特にPC-9801版の音源データや、MSX2版の短縮スクリプトなどは研究対象にもなっており、1980年代末の技術史を語るうえで欠かせない資料となっている。 日本テレネット作品の復刻はまだ少ないが、『XZR 破戒の偶像』に関しては今なおファン主導の保存・解析が続いており、レトロゲーム史の中でも特に“再発見が進む作品”として位置づけられている。
● 総評 ― 同じ作品でありながら三つの顔を持つ
こうして見ていくと、『XZR 破戒の偶像』は単に移植されたのではなく、機種ごとに異なる“顔”を持っていたことがわかる。 PC-8801版の粗削りな情感、PC-9801版の完成度、MSX2版の簡潔な表現――どれもが作品の本質である“人間の信仰と矛盾”を異なる角度から描き出している。 だからこそ、ファンの間では「どのバージョンをプレイしたかで『XZR』の印象が変わる」と言われるのだ。 技術的にも思想的にも、それぞれの機種が時代の限界と可能性を映し出しており、『XZR 破戒の偶像』は単なるゲームではなく、“1980年代後半の日本パソコン文化の縮図”として今なお輝きを放っている。
[game-10]●同時期に発売されたゲームなど
1988年前後――『XZR 破戒の偶像』が世に出た時代は、日本のPCゲーム市場が成熟期に入り、ジャンルの多様化が一気に進んだ時期だった。シミュレーション、アドベンチャー、RPG、そしてアクションRPGが互いに刺激し合いながら進化しており、日本テレネットもその潮流の中で「思想を持つRPG」という独自の立ち位置を築いた。 ここでは、『XZR』と同時期に登場した代表的な10作品を取り上げ、それぞれの内容と当時の評価を紹介していく。どの作品も、80年代後半の日本のパソコン文化を象徴する重要な一作である。
★『ソーサリアン』
・日本ファルコム・1987年12月・定価7,800円 ファルコムの名作RPG『ドラゴンスレイヤー』シリーズの派生作として誕生したのが『ソーサリアン』である。最大の特徴は“シナリオディスク方式”と呼ばれる拡張構成で、複数の短編ストーリーを自由にプレイできるシステムが画期的だった。 プレイヤーが育てたキャラクターは、別のシナリオにも引き継げるため、“自分だけの冒険譚”を積み重ねていく感覚があった。アクション要素とRPG育成要素の融合は、『XZR』にも影響を与えたとされる。 また、BGMを担当した古代祐三によるFM音源楽曲は、当時のPCサウンドの頂点と評され、サウンドトラックが独立して人気を博すほどであった。
★『夢幻戦士ヴァリスII』
・日本テレネット・1989年8月・定価8,800円 同じ日本テレネットが手がけたアクションファンタジーの代表作。『XZR』の姉妹的存在として知られ、女性主人公・麻生優子(ヴァリアス)を中心に描かれる異世界叙事詩である。 アクションパートは『XZR』よりもアニメ的演出が強く、鮮やかなビジュアルとドラマチックなBGMでプレイヤーを魅了した。 『ヴァリスII』が示した“ビジュアルシネマ”路線は、テレネットの表現哲学のもう一つの側面であり、思想的で硬派な『XZR』とは対照的に“美と感情”を重視した作品となっている。
★『イースII』
・日本ファルコム・1988年6月・定価7,800円 『XZR』とほぼ同時期に登場したアクションRPGの金字塔。前作『イース』から直接つながる物語と、スピーディーな戦闘システムで人気を博した。 本作の魅力は、フィールドを駆け抜ける爽快感と、BGMの完成度の高さ。特に「TO MAKE THE END OF BATTLE」は、PC-88サウンドの象徴的名曲として今なお語り継がれている。 『XZR』が宗教と暴力を描いたのに対し、『イースII』は“人間の優しさと信仰”をテーマにしており、同じ時代に異なる形で「神と人」を描いた二作品としてしばしば比較される。
★『ハイドライド3』
・T&Eソフト・1987年7月・定価7,800円 リアルタイムアクションRPGの礎を築いた『ハイドライド』シリーズの第三作。時間の概念や空腹度、倫理パラメータなどを導入し、プレイヤーの行動が世界に影響を与えるシステムを初めて実装した。 この“行動による善悪判定”の概念は、後年の『XZR』シリーズにも通じる思想的要素を持つ。戦闘だけでなく、人間としての選択を問うデザインが評価された。
★『ジーザス』
・エニックス・1987年10月・定価8,400円 SFアドベンチャーの名作。宇宙ステーションを舞台に、科学と信仰、そして人類の傲慢をテーマに描いた異色作である。 ストーリーの展開はシリアスで重く、プレイヤーの心理を揺さぶる描写が多い。『XZR』同様、宗教的メタファーを取り入れた作品として知られ、当時のゲーム雑誌では「精神性の高い作品」と評された。
★『ウィザードリィV 災渦の中心』
・アスキー・1988年12月・定価9,800円 海外RPGの影響を受けたダンジョン探索型RPG。日本のパソコンユーザーの間でもコアな人気を誇り、難易度の高さとキャラクター育成の自由度で知られた。 『XZR』とは世界観もジャンルも異なるが、プレイヤー自身の判断で道を選ぶ“自由意志の尊重”という点で共通しており、当時の硬派なRPGファン層に支持された。
★『ディーヴァ ストーリー6 ナーサティアの玉座』
・グローディア・1987年12月・定価8,800円 シミュレーションとRPGを融合させた先駆的作品。戦闘だけでなく政治・外交・恋愛など多面的なシステムを持ち、“神に逆らう人間”という主題を描いた。 本作はその思想性の高さから「国産PCゲームの中で最も文学的」と評され、『XZR』のような哲学的アプローチと並べて語られることが多い。
★『リグラス』
・マイクロキャビン・1988年2月・定価7,800円 壮大な世界観と重厚なサウンドで知られるマイクロキャビンの代表作。プレイヤーは世界を旅し、伝説の戦士として人々を救う。 ストーリー構成は王道ながら、演出面の完成度が高く、特にオープニングのアニメーションは「映画のようだ」と称賛された。日本テレネットが『XZR』で目指した“映像と音の融合”に通じる先進的表現を見せた。
★『デーモンズリング』
・ブローダーバンド・1988年10月・定価7,800円 海外産RPGを日本語化した作品で、宗教的テーマと戦争の悲劇を描いた重厚な内容。『XZR』と同様、神や悪魔の存在を比喩として描いており、道徳的選択によってエンディングが変化するマルチエンディング方式を採用していた。 当時の日本のPCユーザーにとっては難解だったが、「思想的RPG」という点で『XZR』と共鳴する存在であった。
★『ラグランジュ・ポイント(開発初期版PC移植企画)』
・1988年頃・開発:コナミ ファミコン向けとして最終的に発売された本作の初期構想はPC版での展開を想定しており、試験的に一部シナリオが社内開発されていた。SFと宗教的テーマの融合という点で、『XZR』の哲学的アプローチに通じる部分があった。 最終的には家庭用に最適化され、PC版は未発売となったが、この時代の開発者たちが“ゲームを思想表現の手段”と見なしていたことを象徴するエピソードである。
● 総括 ― “思想を持つRPG”が生まれた時代
これらの作品群は、単に技術的に進化しただけでなく、“人間とは何か”“神とは何か”というテーマをゲームという形式で問い始めた時代の証でもある。 『XZR 破戒の偶像』は、その流れの中で最も鋭く現実を抉った一本だった。イースやヴァリスが夢やロマンを描いたのに対し、XZRは信仰と暴力、理想と虚無の間に立つ“人間の矛盾”を真正面から描いた。 1980年代末の日本PCゲーム界は、単なる娯楽の枠を超え、創作者たちが「ゲームとは何か」を模索した実験の時代であった。その熱気と野心が結晶化した象徴的作品が、『XZR 破戒の偶像』だったと言えるだろう。
[game-8]






























