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評価 4.71【発売】:コナミ
【対応パソコン】:PC-9801、MSX2、X68000、Windows
【発売日】:1990年
【ジャンル】:落ち物パズルゲーム、シューティングゲーム
■ 概要
1990年にコナミから各種パソコン向けへ展開された『クォース(QUARTH)』は、「落ち物パズル」と「固定画面シューティング」を一つの手触りにまとめ上げた、当時としてはかなり異色のハイブリッド作品だ。もともとはアーケードで1989年に稼働し、その翌年にMSX2(1990年3月9日)、X68000(1990年7月6日)、PC-9801(1990年9月21日)などへ移植されていく流れで“家庭(個人)環境に持ち帰れるクォース”が形になった。なお、Windows向けは同時代の直接移植というより、後年の配信・移植として別枠で存在しているため、「1990年のパソコン版」と「のちのWindows版」は時代の段差がある点を押さえておきたい。
● 発想の核:パズルを“並べる”のではなく“撃って整える”
本作を説明するとき、単に「落ち物に弾を当てる」と言ってしまうと半分しか伝わらない。一般的な落ち物パズルは“置き場所を決めるゲーム”だが、『クォース』は“崩れていく形を、こちらの操作で四角へ矯正するゲーム”に近い。画面上から迫るブロック群は、最初から綺麗な形で落ちてくるとは限らない。そこで下側の砲台(自機)からブロック弾を撃ち込み、欠けた部分を埋めたり、角を整えたりして「完全な四角形(正方形・長方形)」を成立させ、成立した瞬間にその塊が消えていく。つまり、パズルの目的は“列を作る”ではなく“図形を完成させる”にある。これが、遊んで数十秒で「なんだこれ、見たことないぞ」と感じさせる第一の個性だ。
● 画面の動き:スクロールするのに固定画面っぽい、不思議な緊張感
見た目は縦に進行しているのに、操作感は固定画面シューティングの落ち着きがある。砲台は左右移動が主で、上へ撃つ行為そのものはシンプル。だが上から降りてくるブロックが“地形”のように画面を占有し、空間を狭めていくため、プレイヤーは常に「撃つ位置」と「形が完成する未来」を同時に読む必要がある。さらに、消去演出の間はスクロールが止まったり(止まっている間も撃てたり)と、時間の伸び縮みが起きる。ここで“シューティングの反射神経”と“パズルの段取り”が交互に要求され、手が忙しいのに思考も止まらない、独特のリズムが生まれる。
● ブロックの性格:つながり方の違いが、処理手順を変える
落ちてくるブロックは一見同じ塊に見えても、実は「隣接しているだけで結合していないもの」が混ざることがある。この仕様が効いていて、雑に“大きい四角”を狙うと、四角はできたのに残骸が残って処理が追いつかない……という事故が起きやすい。逆に言えば、ブロックの結合・非結合を見分けて、消したい単位を先に整えることで画面管理が一気に楽になる。さらに本作は、四角形の“内部が空白でも成立”という考え方を許す局面があり、形作りは想像以上に自由度が高い。自由度が高いぶん、「安全策(小さく確実に消す)」と「攻め(大きく作って一気に消す)」の選択がプレイヤーの色になる。
● スコアとご褒美:大きく消すほど気持ちよく、状況も動く
得点は消したブロックの規模に応じて伸び、複数の塊を同時に消すと倍率がかかる。ここが“ただの延命ゲーム”に終わらせない推進力だ。安全に小さく刻めば死ににくいが、得点も伸びにくい。逆にリスクを負って大きくまとめると、盤面が一気に掃けて視界が開け、スコアも跳ねる。さらに一定条件で盤面を大きく動かす特殊ブロック(例えば大量消去につながるもの)が絡むと、いわゆる「詰みそうな画面が、一本の判断でひっくり返る」瞬間が生まれる。落ち物パズルで感じる“組み上げ”とは別方向の、爽快な決断型の快感がここにある。
● エリア制の意味:背景の変化以上に、配置の癖がプレイヤーを鍛える
進行はエリア・レベルの概念で区切られ、先へ行くほどブロック配置が意地悪になり、レベルが上がるほど落下(スクロール)も速くなる。単純な速度上昇だけでなく、「この辺りから非結合が増える」「ここは空洞を作りにくい並びが来る」など、配置の癖がプレイヤーの処理手順を試してくるため、同じ操作をしているだけでは通用しなくなる。結果として、上達とは“撃つのが速くなる”より、“四角を作る優先順位が上手くなる”に近い。慣れてくると、撃つ前から「ここを埋めれば次の一手が安定する」という読みが立ち、プレイが急に理詰めのスポーツみたいな顔になる。
● 2人プレイが生む別ゲーム感:協力・対戦で価値観が変わる
『クォース』は1人で詰める面白さが核だが、2人プレイが入ることで“目的の形”が変質するのも特徴だ。協力なら、盤面を綺麗に保つことが二人の共通目標になる一方、対戦になると「自分が得をする消し方=相手が嫌がる展開」に直結していく。MSX2版でも2人協力・2人対戦が用意され、対戦時には表示モードが切り替わるなど、同じルールでも見え方を変えて勝負の緊張感を作っている。こうした“同じ素材で別の遊び方を成立させる設計”が、当時の移植版が単なる再現に留まらず、家庭での遊び方に寄せようとしていた気配を感じさせる。
● MSX2版を語るときのポイント:SCCと“コナミらしさ”
移植群の中でもMSX2版は、音源面で語られやすい。SCC対応が明記されており、コナミ作品で培われた“耳に残る鳴り”が家庭環境でも前面に出る。画面と音の同期が良いゲームなので、消去演出の小気味よさやテンポの切り替えが、BGM・効果音の説得力でより鮮明になる。さらに、MSX2版は過去に各種サービスで配信されていた経緯もあり、「実機で遊ぶ人」と「後年の移植で触れた人」が同じ作品を別の入口から語れるタイプのタイトルになっている。
● 作品の空気:幾何学の冷たさではなく、どこか幻想的な肌触り
“ブロックを四角にする”という抽象的テーマのゲームは無機質になりがちだが、『クォース』は不思議と冷たすぎない。背景や意匠は、単なるSFメカの硬さというより、少し古風で装飾的な雰囲気をまとっており、そこへテクノ調のメロディが乗ることで「幾何学が迫ってくる恐怖」と「整えて消し去る快感」が同居する。落ち物パズルの焦りと、シューティングの緊張が重なるのに、最終的な印象は“騒がしい”より“クセになる”。これが、短時間でもう一回…となりやすい中毒性の正体だと思う。
● まとめ(次章へのつなぎ)
1990年前後のパソコン移植で『クォース』が残した価値は、単にアーケードの人気作を家で遊べるようにした、という一点に留まらない。「撃って整える」という発想が、パズルの常識を裏返し、さらに2人プレイによって“整えるための操作”が“駆け引きの武器”にも変わる――その二重構造が、今触っても古びにくい骨格になっている。次の章では、この骨格が具体的にどんな面白さ(魅力)として立ち上がるのか、操作感・快感の種類・遊び続けたくなる理由を、もう少し掘り下げていく。
■■■■ ゲームの魅力とは?
『クォース』の面白さは、ひと言でまとめるなら「思考と反射神経が、同じ一発のショットに同居している」ところにある。落ち物パズルは基本的に“置き方”で勝負し、固定画面シューティングは“撃ち方”で勝負する。本作は、そのどちらにも寄り切らず、「撃つことで置き方を作る」「置き方を読むことで撃ち方が決まる」という循環を成立させている。だからプレイ中の頭の動きが独特で、指が忙しいのに、同時に段取りを立てている感覚が強い。しかもそれが理屈っぽいだけで終わらず、ブロックが綺麗に四角へ収束して消える瞬間がちゃんと気持ちいい。シューティングの快感(狙い通りに当たる爽快感)と、パズルの快感(整って消える達成感)が、同じ映像の中で“二重に鳴る”のが、このゲームの一番の魅力だ。
● 「四角形を作る」だけで、こんなに選択肢が生まれる
ルールは一見シンプルで、落ちてくる凸凹のブロックへ1マスのピースを撃ち込み、四角形になった塊を消す。しかし実際は、四角形のサイズも形も複数の作り方があり、消し方の流派が分かれる。小さい四角を刻んで盤面を軽くするのか、多少の危険を飲み込んで大きい四角を狙うのか。さらに、四角を作る途中で“次の四角の土台”を残すか、邪魔な突起を先に潰すかでも展開が変わる。落ち物パズルのように「置いたら戻せない」系の緊張もあるが、本作は撃ち込みで補修できるぶん、途中の判断修正が効く。それが逆に“判断の回数”を増やし、プレイヤーの個性が出る。慣れてくると、ただ消すのではなく「消すためにどう削るか」「削った結果としてどこに四角が生まれるか」を設計していくようになり、同じステージでも毎回違うドラマが起きる。
● シューティングらしさ:狙いがズレると“形”が壊れる
撃ち込みの一手は、パズルのピース配置と同時に、シューティングの射線管理でもある。ほんの1マスのズレが「四角の完成」を1テンポ遅らせ、遅れた1テンポがスクロールの圧力で致命傷になることがある。だから本作の緊張感は、“ミスして被弾する”ではなく、“狙いが甘くて地形が悪化する”方向で襲ってくる。これが面白い。シューティングにありがちな力押しが通りにくく、反射神経だけでは誤魔化せない。一方で、読みが当たった時は「ここに撃てば、次の瞬間に四角が閉じる」という予告編みたいな快感があり、撃つ前から気持ちよさが始まっている。狙い→成立→消滅の流れが短いサイクルで回るので、成功体験が細かく積み上がり、短時間で“上手くなった気”にさせてくれるのも強い。
● パズルらしさ:危険は「画面の高さ」ではなく「未来の形」
落ち物パズルの危険は、だいたい“積み上がり”として見える。ところが『クォース』は、見た目の高さがまだ余っていても、形が悪いと急に詰む。たとえば細い溝が増え、そこへ無駄撃ちで1マスを入れてしまうと、四角を作るための面が減っていく。逆に、見た目は荒れていても「この突起を埋めれば大四角が完成する」という勝ち筋が残っていると、盤面は一気に解決へ向かう。つまり、危険度は“現在”より“未来の整形可能性”で決まる。この感覚がクセになる。上達すると、画面を眺める視点が「どこが邪魔か」から「どこが骨格か」に変わり、ブロックの塊がただの障害物ではなく、彫刻の素材みたいに見えてくる。ここまで来ると、同じ1面でもプレイヤーの解釈で難易度が変わるため、何度遊んでも飽きにくい。
● テンポの気持ちよさ:消える瞬間が“盤面の呼吸”になる
本作は、ブロックが消える瞬間に盤面が一度“息をする”。視界が開け、操作の余裕が生まれ、次の設計が始まる。これが繰り返されることで、プレイは「圧力→解放→圧力→解放」の呼吸になり、単調になりにくい。しかも解放は運ではなく、こちらの狙いで引き起こせる。だから、同じ速度で落ち続けるタイプのゲームより、達成感の波がはっきりしていて、短い時間でも満足度が高い。さらに本作には難易度・スピードの設定が用意され、テンポの好みを合わせて遊べるのも魅力の一つだ(家庭用の遊び方に寄せた作り)。
● 2人プレイの旨味:協力と対戦で“正解”が変わる
『クォース』は1人で詰めるだけでも成立するが、2人になると魅力が別方向へ伸びる。協力では、二人で盤面を整理しながら「どちらがどこを担当するか」「先に整えるべき角はどこか」といった共同作業が生まれる。面白いのは、協力なのに“連携のズレ”がそのまま形の崩れとして現れる点で、声を掛け合ってテンポを揃えるほど盤面が美しくなる。対戦はさらに露骨で、こちらが大きく消して主導権を取るのか、あえて刻んで相手のリズムを崩すのか、プレイが心理戦に変わる。MSX2版の資料でも、1人用だけでなく複数の2人モードが用意されていることが示されており、遊び方そのものを“3通り”として強調している。つまり本作は、最初から多人数の熱量まで含めて設計されているタイプのゲームだ。
● 砲台(自機)選択の楽しさ:手触りの違いが“考え方”を変える
移植版の中には、砲台(自機)を複数から選べる仕様があり、これが遊びの幅を広げている。性能差が小さくても、見た目や発射感の違いは“気分のスイッチ”になるし、プレイヤーは無意識に「この砲台なら大きい四角を狙う」「こっちは刻んで安全運転」といった戦い方を選びやすくなる。パズルゲームのキャラ選択は飾りに見えがちだが、『クォース』は操作のリズムが重要なゲームなので、見た目や感触の差が結果に影響しやすい。とくに2人プレイでは、砲台の見分けやすさがそのまま連携のしやすさにもつながり、家庭用らしい楽しさとして効いてくる。
● 音と世界観の中毒性:幾何学の恐怖を“楽しい圧力”に変える
ブロックが迫ってくるだけのゲームは無機質になりやすいが、『クォース』は意匠と音がしっかり“ゲームの表情”を作っている。国内版のデザインは装飾性が強く、抽象ゲームなのにどこか物語の匂いがある。MSX2版はSCC対応が明記され、さらに追加曲が多いことでも語られやすい。つまり、プレイ中のテンポとBGMの相性が強化され、消去の瞬間や追い詰められる瞬間がよりドラマチックに感じられる。こうした演出面の手触りが、理詰めのゲームを“感覚で遊べるゲーム”に押し上げている。難しいことを考えなくても、音と画面のノリだけで気持ちよくなり、気づいたらもう一回を押してしまう。この吸引力が、今でも語られる理由の一つだ。
● “簡単だけど奥が深い”の正体:失敗が学習に直結する設計
『クォース』が上手いのは、失敗の原因が見えやすいことだ。ミスは大抵「撃ち込みが雑だった」「四角を急ぎすぎた」「削るべき突起を放置した」といった形で盤面に残る。だから再挑戦のたびに、同じミスを避ける学習が自然に起きる。しかも学習は、“高度なテクニック”ではなく“順番の改善”として身につくので、プレイヤーは成長を実感しやすい。最初は消すこと自体が楽しく、慣れてくると“どう消すか”が楽しくなり、最後は“どれだけ美しく効率よく消すか”に楽しさが移っていく。この段階変化があるから、短期でも長期でも遊べる。単純に見えて奥が深い、という言葉が当てはまるのは、こうした成長曲線がきちんと用意されているからだ。
■■■■ ゲームの攻略など
『クォース』の攻略を考えるときに大事なのは、「反射神経で撃つゲーム」ではなく「四角形を成立させる順番を組むゲーム」だと捉え直すことだ。撃ち込みの精度はもちろん必要になるが、上達を分けるのは“どこを先に整えて、どこをあえて残すか”という設計図の作り方になる。盤面は常に上から圧をかけてくるため、迷っている時間そのものが最大の敵だ。だからこそ、攻略の基本は「迷わない形」を盤面に増やすこと、言い換えると“次に四角が作れる面”を常に確保し続けることに尽きる。以下では、初心者が安定して先へ進むための基礎から、スコア狙い・対戦対応まで、段階別に整理していく。
● まずは生存優先:大四角より「小四角の連続」で呼吸を作る
始めたばかりの人がやりがちなのは、「大きい四角を作れば一気に片付く」と考えて溜め込むことだ。確かに大消去は爽快だが、慣れていないうちは“完成までの時間”が長くなり、その間にスクロールで足場が潰れて詰みやすい。最初の攻略は、2×2や2×3などの小さめの四角形を素早く成立させて、盤面の呼吸(圧力→解放)を短い周期で回すのが安定する。小四角を刻むと、視界が開ける時間が増え、次の形も読みやすくなる。スコアは伸びにくいが、まずは「死なない構え」を体に覚えさせるのが近道だ。
● 狙う場所の優先順位:角より先に“面”を作る
四角形を作ると聞くと、つい「角を埋める」ことに意識が行く。しかし攻略の視点では、角は最後でいい場面が多い。重要なのは“辺”=横に広い面だ。横一列に近い面ができていれば、そこへ縦を足して四角を閉じるのは簡単になる。逆に、角だけ綺麗でも面がガタガタだと、完成させるために無理な撃ち込みが必要になり、結果として溝や突起が増える。迷ったら「横に揃えられる場所はないか」「下側に平らな土台を作れるか」を先に探し、面を作ってから角を締める、という順序にすると盤面が整い続ける。
● “溝”が最大の敵:細い穴を増やす撃ち方を避ける
本作の事故原因で多いのが、1マス幅の細い溝が増えすぎて、埋められない形になってしまうパターンだ。溝は一度深くなると、撃ち込みで埋める回数が増え、時間が足りなくなる。だから撃つときは「今ここを埋めたら、溝が増えないか」を常に見る。具体的には、段差の途中へ単発で入れて“階段”を作るより、段差の低い側を広く埋めて“平面化”する方が安全。攻めたいときほど、溝を作らない撃ち方を選ぶのが結果的に早い。
● くっついて見える塊に注意:消したい単位を先に見切る
盤面のブロックは、見た目が一つの塊でも、実際には別々の単位として扱われる局面がある。これを見落として「大きい四角ができた」と思って消したら、想定外の残骸が残って次の形が作れない……という崩れ方が起きる。対策はシンプルで、最初から“大きく消す”前提で見るのではなく、「まず残骸が出そうな境目はどこか」「この部分だけ先に四角にして消せないか」を考えること。難所ほど、完成を急がず“小さく整えてから大きく取る”手順が効く。
● スピードが上がったら「完成」より「整理」を目的に撃つ
中盤以降、スクロールが速くなると、毎回四角を完成させること自体がリスクになる。ここでの攻略は、四角を作るための撃ち込みではなく、盤面を“作りやすい形へ戻す”撃ち込みを増やすことが重要だ。たとえば、尖った突起を削って面を広げる、危険な縦溝の入口を塞ぐ、次に四角が閉じやすい角を準備する、といった整理優先の射撃だ。整理が効くと、次の一手で四角が自然に閉じ、結果として消去が連鎖しやすくなる。速い局面ほど「今すぐ消す」より「次に消せる状態を作る」を選ぶと、事故率が目に見えて下がる。
● スコア狙いの基本:安全な盤面で“大四角”を仕込む
スコアを伸ばすには大消去が欠かせないが、危険な盤面で大四角を狙うのは自滅しやすい。コツは、まず小四角で盤面を軽くして“余白”を作り、その余白の中で大四角の土台を仕込むこと。具体的には、下側に広い平面を作り、そこへ必要な縦を足していく。大四角を狙う時間は、盤面が落ち着いている時だけに限定する。これだけで、スコア狙いが「無理な博打」から「狙って取れる勝ち筋」へ変わる。
● 連続消去の考え方:一回の消去で“次の角”を残す
連続して気持ちよく消す人は、消去をゴールにしていない。消去は“次の消去の準備”でもある。四角が成立して消える直前に、盤面に残る形を見て「次はここが角になる」「この辺が土台になる」と考えて撃っている。つまり、消すために全部を綺麗にしようとせず、次の四角が作れる材料をあえて残す。初心者が消去後に詰まりやすいのは、消したことで盤面がバラけ、次の土台が無くなるからだ。消去後に残る形を意識すると、連続消去が“運”ではなく“設計”になる。
● バージョンによる補助要素は“保険”として使う
移植版やモードによっては、プレイを補助する要素(速度を緩める効果や、状況を切り返すためのストック型の助け)を使える場合がある。攻略の基本姿勢としては、これらを主役にしないことが大事だ。補助要素は、ミスの帳消しではなく「詰み筋を切るための保険」として扱う。危険な盤面で無理に粘って補助を温存するより、危険が見えた時点で早めに切って呼吸を取り戻し、そこから小四角で盤面を安定させる方が結果的に長生きする。
● 2人協力の攻略:担当を決めて、同じ目的を見失わない
協力プレイは、二人が好き勝手に撃つと盤面が荒れやすい。コツは担当を決めることだ。たとえば「左の整形担当」「右の整形担当」「溝塞ぎ担当」「大四角の土台担当」など、役割をざっくり分けるだけで事故が減る。もう一つ大事なのは、二人の目的を“スコア”ではなく“盤面の呼吸維持”に置くこと。協力は見栄えの良い大消去より、安定して小消去を回し続ける方が強い。声を掛け合って「ここは残す」「次はここを閉じる」と短い合図を交わすだけで、別ゲームみたいに安定する。
● 対戦の考え方:自分の最適=相手の嫌がる展開、ではない
対戦になると、つい「相手の邪魔をしたい」と考えるが、まず自分の盤面が安定していないと仕掛けが続かない。基本は、1人用の安定手順(小四角で呼吸を回す→余白で大四角を仕込む)を崩さず、そのうえで“相手が嫌がるタイミング”で大きく消すこと。嫌がるタイミングとは、相手の盤面が重く、整形の余裕がないときだ。相手の画面ばかり見て自分が詰むのが一番もったいない。対戦は、まず自分の安定が前提、その上に駆け引きが乗る。ここを守るだけで勝率が上がる。
● よくある詰みパターンと処方箋
詰み方には典型がある。①細い縦溝が増えすぎる:溝の入口を早めに塞ぎ、平面化を優先する。②突起が多くて四角の辺が作れない:突起を削る撃ち込みを増やし、角より面を整える。③大四角を狙いすぎて時間切れ:小四角で呼吸を回してから大四角へ。④消去後に盤面がバラける:消去前に“次の角”を残す撃ち方へ切り替える。自分の負け方がどれか分かると、練習は一気に効率化する。
● 上達のための練習メニュー:3分で良いので目的を決める
長時間やるより、短時間を目的付きで繰り返す方が上達が早い。おすすめは、①小四角だけでどこまで安定できるか(大消去禁止)②溝を絶対に作らない縛り(平面化の訓練)③消去後の残り方を意識する(次の角を残す訓練)の3本。たった数分でも、意識が変わると盤面の見え方が変わり、その変化が積み重なって一段上のプレイになる。
● まとめ(次章へのつなぎ)
攻略の核心は、撃ち方の速さより“盤面を整える順番”にある。小四角で呼吸を作り、面を優先して溝を増やさず、消去後に次の角を残す。この流れが身につくと、難易度が上がっても「詰みそうな盤面を整形で戻す」切り返しができるようになり、プレイが安定して面白さが長続きする。次の章では、実際に遊んだ人たちがどんな点を面白いと感じ、どこに不満を持ち、当時どのように語られてきたのか――感想や評判の方向性を、具体的な視点で掘り下げていく。
■■■■ 感想や評判
『クォース』の評判を一言でまとめるなら、「発想の勝利で、刺さる人にはとことん刺さる。ただし“見た目の地味さ”と“慣れるまでの難しさ”で損をしがち」――この両面がずっと語られてきたタイプのゲームだと思う。アーケード版の時点で“シューティングとパズルの融合”を前面に出した作品として知られ、落ち物を“撃って整える”というルールが、そのまま評価の中心に置かれている。実際、説明を聞いた段階では想像しづらいのに、触ってみると数十秒で理解でき、理解した瞬間に独特の中毒性が立ち上がる。この「分かった瞬間に面白くなる」体験が、当時も今もファンを作り続けている大きな理由だ。
● 初見の反応:「何これ?」から「もう1回」に変わるまでが短い
初めて遊んだ人の反応で多いのは、まず戸惑いだ。落ち物パズルなのに、置くのではなく撃つ。シューティングなのに、敵を倒すのではなく四角形を作る。普通のジャンル分けが効かないので、最初は“理解しづらい”という感想が出やすい。一方で、その戸惑いが長引かないのも本作の強みで、四角が成立してブロックが消える瞬間が直感的に気持ちよく、成功体験が短い周期で返ってくる。結果として、「気づいたら数プレイ重ねていた」「もう少し綺麗に消したい」という声に繋がりやすい。アーケードのキャッチとして“新種の遊び”を打ち出していたのも、こうした初見体験の強さがあってこそだ。
● 面白いと感じられるポイント:反射神経と段取りが同時に鍛えられる
好意的な感想でよく触れられるのは、「忙しいのに考える余地がある」という不思議な手応えだ。撃ち込みの精度や素早さが必要なので反射神経は使う。しかし同時に、どの突起を削って、どこを面として残し、どの四角を先に閉じるかという段取りも要求される。ここが、ただの落ち物とも、ただのシューティングとも違う“運動と論理の混在”として評価されやすい。しかも段取りは、正解が一つではない。安全策で小さく刻む人もいれば、盤面管理が上手くなって大四角を狙う人もいる。この幅があるから、繰り返し遊ぶほど自分のプレイが洗練されていく感覚が生まれ、「練習すればするほど上達が分かるゲーム」として語られやすい。
● 難しいと言われるポイント:欲張りが即ミスに直結する“意地悪さ”
一方で、否定寄り・辛口寄りの感想もはっきり存在する。その軸はだいたい二つで、ひとつは「欲張るとすぐ詰む」。四角形を一気に大きく作ろうとすると、途中で形が成立しないまま圧力が増して、盤面が崩れていく。焦って余計な場所へ撃ち込み、溝や突起を増やして悪化する、という典型的な負け方をしやすい。つまり、プレイヤーの“欲”がそのまま罠になる。もうひとつは「見た目が地味に見える」。プレイしている本人は脳内が忙しいのに、外から見るとブロックを埋めているだけに見え、派手さで分かりやすく盛り上がるタイプではない。この2点は、当時の紹介記事でも「技術力や作り込みはあるのに、地味さで目立ちにくい」といったニュアンスで語られている。
● 対戦の評判:一気に“性格が変わる”のが面白い、と評価されがち
2人対戦に関しては、好意的な声が強い傾向がある。理由は単純で、対戦になると「綺麗に消す」行為がそのまま駆け引きの武器になるからだ。自分が大きく消した瞬間に相手へ妨害が飛ぶタイプの設計は、アーケード由来の分かりやすい盛り上がりを作るし、消去の判断が“攻撃タイミング”に変換されることで、1人用の最適解とは別の最適解が生まれる。MSX2版の紹介でも、1人用だけでなく協力・対戦を含めて“移植として充実している”という方向で語られており、家庭でワイワイ遊ぶ価値が強調されている。
● 移植ごとの評価:MSX2は音、PC-98は雰囲気の近さ、X68000は相性の良さ
移植版の評判は、機種ごとに“褒められる場所”が分かれやすい。MSX2版は、SCC対応や追加BGMがある点がよく挙げられ、音の満足度で評価されやすい一方、表現面でアーケードの派手さが削られた部分を惜しむ声もある。 海外レビューでも、MSX版はアーケードに比べると見劣りするが、それでも十分楽しい、という“差は認めつつ肯定”のスタンスで語られている。 PC-98版については、アーケードに近い遊び心地を維持しつつ、色数などの制限から画面の印象が変わる、という指摘がまとまった形で紹介されている。 X68000版は、ハードの特性と相性が良く、家庭・個人環境で遊ぶ“アーケード系コナミ”として受け止められやすい土壌がある(当時のX68000ユーザー層の趣味とも噛み合う)ため、総じて好意的に語られやすい。
● 当時の受け止められ方:コナミ末期MSX文脈では“職人芸だけど目立ちにくい”
当時のMSX文脈に寄せて語ると、『クォース』はコナミ末期MSXの作品群の中で、技術的な丁寧さや遊びの作り込みが評価されつつも、同時期の超大型タイトル(物語性や派手さで語られやすい作品)に話題を持っていかれがち、という位置づけで触れられることがある。実際、紹介記事では、モード差分や画面モードの切り替え、BGM追加など“移植としての手堅さ”が褒められながらも、パズルというジャンル性がゆえに目立ちにくい惜しさが述べられている。要するに「分かる人には分かる良作」枠として、静かに支持を積み重ねてきた印象だ。
● 現代の再評価:短時間で濃い満足感、比較プレイが楽しい“研究対象”
近年はレトロゲーム紹介記事などで、独自ルールの面白さが改めて言語化され、「今遊んでも新鮮」「短時間でも満足度が高い」といった再評価が目立つ。 また、移植先が多い作品なので、「アーケード→MSX2→PC-98→X68000…」のように比較して違いを味わう楽しみ方も定着しやすい。音が良い版、遊び心地が近い版、2人プレイが熱い版、と“推しの理由”が分岐するため、コミュニティ内でも語りが散らばり、結果として長く話題が途切れにくい。Wikipediaや各種解説でも多機種展開が強調されるのは、この“版ごとの魅力”が評価の受け皿になっているからだろう。
● まとめ(次章へのつなぎ)
『クォース』の感想・評判は、発想の面白さと中毒性を強く褒める声がある一方で、地味に見えやすいこと、欲張ると崩れやすいことが“合わない理由”にもなり得る、という二面性に集約されやすい。そして移植版は、MSX2の音や追加要素、PC-98の雰囲気の近さ、X68000の相性など、褒めどころが機種ごとに分かれる。次の章では、こうした評判をもう少し具体化して、「良かったところ」として実際に挙がりやすい意見を、遊びの感触ごとに整理していく。
■■■■ 良かったところ
『クォース』で「良かった」と語られやすい点は、派手な演出や物語性の強さではなく、“遊びの骨格”そのものがしっかり立っていることに集約される。落ち物パズルとシューティングを混ぜた作品は他にも存在するが、本作は「混ぜた」ではなく「同じ操作で両方を成立させた」タイプで、遊んでいる最中の感覚が分離しない。撃つことがそのまま置くことであり、置くことがそのまま消去の準備になり、消去がそのまま次の判断を呼ぶ。ここが噛み合うことで、短時間でも満足感が濃く、上達していくほど“良さ”が増えていく――この性質が、良かった点として繰り返し挙げられやすい。
● ルールが独創的なのに、体感は直感的(分かると一気にハマる)
良い意味で不思議なのは、説明だけ聞くとピンと来ないのに、触ると意外なほどすぐ理解できるところだ。四角を作れば消える、という目的は単純で、視覚的にも“完成→消える”が分かりやすい。さらに、撃ち込んだ1マスが盤面に反映されるまでが早く、成功と失敗のフィードバックが即座に返ってくる。だから「よく分からないけど動かしてみる」を繰り返すだけで、自然にルールが身体へ入っていく。初見での戸惑いはあるが、理解した瞬間の快感が強く、「あ、こういうゲームか!」となった途端に面白さが跳ねる。こうした“理解のジャンプ”を持つゲームは、記憶に残りやすく、友人に語りたくなるタイプの魅力になっている。
● “撃つ”ことで盤面を整える気持ちよさ(シューティング的爽快感がある)
パズルなのに、操作感はかなりシューティング寄りだ。狙い通りの場所へ撃ち込めたとき、単にピースを置けたというより「狙撃が決まった」感覚に近い気持ちよさがある。特に、欠けた角へピタッと1マスが入って四角が閉じる瞬間は、手応えがハッキリしている。落ち物パズルは“置くまでの過程”が比較的ゆっくりだが、『クォース』は狙い→成立→消去のサイクルが短く、成功体験が高速で回る。ここが、短時間でも満足できる良さとして語られやすい。
● 盤面管理が奥深い(“上達の方向”が見えやすい)
本作の上達は、単に反射神経が速くなることではなく、盤面の整形優先順位が洗練されることにある。初心者は目の前の突起を埋めたくなるが、慣れてくると「面を作る」「溝を増やさない」「消去後に次の角を残す」といった“設計の癖”が身につく。すると、同じ速度でも盤面が崩れにくくなり、プレイが長く続く。この“改善が目に見える”構造が良い。練習すればするほど成果が分かり、数回のプレイでも「前より綺麗に処理できた」が実感できるので、繰り返し遊びたくなる。
● 呼吸のあるゲームテンポ(追い詰められ→解放される波が心地いい)
ただ速くなるだけのゲームだと疲れやすいが、『クォース』は消去が明確な“解放”になる。圧力で視界が狭まり、四角が成立して一気に掃け、また圧力が戻ってくる。この波が、プレイの中にリズムを作る。しかも解放は運ではなく、こちらの判断で引き起こせる。だからプレイしている側は「追い詰められたけど、ここで閉じれば戻せる」という切り返しの快感を味わえる。短いセッションでもドラマが起きやすいのは、良いところとして挙げられやすい。
● 対戦・協力の盛り上がり(家庭で“遊びの顔”が増える)
移植版では、1人用だけでなく複数の2人モードが用意されているものがあり、これが良い評価につながりやすい。協力は「盤面を整える作業」を二人で分担できるため、自然に会話が生まれる。対戦はさらに分かりやすく、消去が攻撃へ変換されることで、1人用とは別の“勝ち筋”が立ち上がる。パズルゲームの対戦は運が絡むと理不尽になりがちだが、『クォース』は“相手に送るためには自分が上手く消す必要がある”という構造なので、勝敗が技量に寄りやすい。家庭で繰り返し遊ぶほど面白くなる、という意味で良いところになっている。
● 機種ごとの個性が楽しい(“推し版”が作れる)
『クォース』は複数機種に展開されたことで、単に移植が多いだけでなく“好みが分かれる余地”が生まれた。MSX2版は音源面(SCC対応や追加BGM)に魅力を見出す人がいて、音のノリで遊びやすいという評価が出やすい。 PC-98版は遊び心地や雰囲気の再現性に価値を置く人がいる。 X68000版はハードの“アーケード寄り”な空気と相性が良い、と受け止められやすい。こうした違いがあるから、比較プレイや語り合いが成立し、結果として長く愛される土壌になった。
● 音とデザインが“抽象ゲーム”を記憶に残す(雰囲気に中毒性がある)
ブロックを整えるだけの抽象ゲームは、記憶に残りにくいことがある。しかし『クォース』は、独特の意匠とBGMの手触りが強く、プレイ後に“空気”が残る。特にMSX2版の音周りが話題にされやすいのは、ゲームテンポと音の相性が良く、消去の瞬間や追い詰められる瞬間が感情として立ち上がりやすいからだろう。抽象的なルールなのに、プレイ体験が感覚で覚えられるのは、良いところとして挙げやすい。
● まとめ(次章へのつなぎ)
良かったところをまとめると、①独創的なのに直感的、②撃つ快感と整える達成感が同居、③上達が見えやすい盤面管理、④呼吸のあるテンポ、⑤2人プレイで別ゲームになる、⑥移植ごとの個性が語りを増やす――このあたりに収束する。次の章では逆に、プレイした人が「ここは惜しい」「ここが合わなかった」と言いやすい“悪かったところ”を、具体的な不満の出やすい順に整理していく。
■■■■ 悪かったところ
『クォース』の「悪かったところ」は、作品自体の完成度が低いというより、“独特すぎる設計”がそのまま好みの分岐点になってしまう、という種類の話が多い。つまり、刺さる人には最高でも、合わない人にはとことん合わない。そのギャップが不満として言語化されやすい。とくに「見た目の分かりにくさ」「慣れるまでの理不尽さ」「移植差による手触りの違い」の3つは、当時の紹介や後年のレビューでも繰り返し触れられやすい論点だ。
● 初見バリアがある(面白さに到達する前に離脱しやすい)
良いところでも挙げた通り、本作は理解できた瞬間に面白さが跳ねる。ただ逆に言えば、その“跳ねる前”の時間が苦手な人にはしんどい。落ち物なのに撃つ、シューティングなのに敵を倒さない、というズレがあるので、最初の数プレイは「自分が何を上手くすれば良いのか」が見えにくい。さらに、慣れていない段階ほど大四角を欲張りやすく、欲張るほど盤面が崩れて「よく分からないまま負ける」体験になりがち。これが“入口の不親切さ”として不満になりやすい。
● 画面が地味に見えやすい(見ている側に伝わりにくい)
プレイヤーの脳内は忙しいのに、外から見ると「ブロックに弾を当てて埋めているだけ」に見えやすい。派手な敵や爆発が連続するタイプではないので、見た目の華やかさで引っ張る作品を期待すると肩透かしになる。結果として、面白さが“自分で触らないと分からない”方向へ寄ってしまい、当時の店頭や雑誌のスクリーンショットだけだと魅力が伝わりにくい、という惜しさにつながる。
● 失敗が連鎖しやすい(崩れ始めると立て直しが難しい局面がある)
本作は、1マスの撃ち込みが盤面に強い影響を持つ。これは長所でもあるが、短所にもなる。撃ち込みを誤って細い溝や無駄な突起を作ると、それが次の判断を縛り、さらに誤射を呼び、崩れが加速する。しかもスクロール圧があるため、迷う時間がそのまま負けに直結する。こうした“悪い流れの雪だるま”は、慣れていない人ほど起きやすく、「気持ちよくなる前に詰む」と感じる原因になる。
● 運の影が見える瞬間がある(配置に振り回されると感じる人もいる)
基本は実力ゲームだが、落ちてくる形や結合の具合によっては「整形しづらい波」が続くことがある。上級者はそれを整理手順で捌ける一方、初心者〜中級者は“良い形が来ない”と感じやすい。運が支配しているわけではないのに、そう感じさせる瞬間があるのが惜しいところで、特に対戦で劣勢のときは「こちらが動かしにくいのに相手は伸びている」体験が強いストレスになりやすい。
● 2人対戦は熱いが、差が出ると一方的になりやすい
対戦は盛り上がる一方、腕前差があると一気にワンサイドになりやすい。なぜなら、攻撃(妨害)を飛ばすには“上手く消す”必要があり、上手い側ほど盤面が安定してさらに攻撃を送れるからだ。実力が反映されるのは良いのだが、カジュアルに遊ぶと初心者が何もできないまま終わる展開も起きやすい。家庭でワイワイ遊ぶときは、ルール説明やハンデ(遊び方の縛り)を入れないと成立しにくい、という声が出がちなポイントだ。
● 移植差で“手触り”が変わる(好きな版と合わない版が分かれる)
多機種展開は強みだが、そのぶん「この版は好き」「この版は何か違う」という感想が出やすい。とくに、アーケード基準で見る人ほど、表現やテンポが異なる移植に対して物足りなさを感じることがある。海外レビューでも、MSX版はアーケードより見劣りするが十分楽しい、という“差分を認めた上での評価”になっており、まさにこの「同じゲームでも感触が揺れる」部分が好みの分岐点になっている。
● “やれること”が増えるほど、逆に忙しさが強まる
上達すると、視点が増える。面を作る、溝を潰す、次の角を残す、連続消去を狙う、対戦なら相手の状況も見る……。この多重タスクが快感でもある反面、疲れやすさにもつながる。落ち物パズルのように“静かに考える時間”が取りづらく、集中力が切れた瞬間に崩れやすいので、長時間遊ぶと消耗が大きいと感じる人もいる。
● まとめ(次章へのつなぎ)
悪かったところを整理すると、①初見の分かりにくさ、②地味に見えやすいこと、③ミスが連鎖して崩れやすい局面、④配置に振り回されると感じる瞬間、⑤対戦が一方的になりやすい、⑥移植差で好みが割れる――このあたりに集約されやすい。次の章では、こうした評価の揺れとは別に「作品を好きになった人が、どこに一番の魅力を感じたか」を“好きなキャラクター(砲台)”や推し要素の目線で掘り下げていく。
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■ 好きなキャラクター
『クォース』は、いわゆる物語主導のゲームではない。会話劇があって、登場人物がドラマを作るタイプでもない。それでも「好きなキャラクター」という語りが成立するのは、本作が“役割としての自機(砲台)”を強く印象づける設計だからだ。見た目の個性、弾の発射感、画面の読みやすさ、そして「この機体を使うと自分のプレイが整う」という相性――そうした感覚的な要素が積み重なると、砲台は単なる操作カーソルではなく“相棒”になる。特にMSX2版では砲台を複数から選べる仕様が言及されており、ここが「推し」を作りやすい土壌になっている。
● “キャラクター”の捉え方:物語ではなく、操作の癖が人格になる
本作で語られる「好き」は、設定や台詞ではなく、プレイ体験の手触りから生まれる。たとえば、同じルールでも人によって得意な形が違う。小さく刻むのが得意な人、大きくまとめるのが得意な人、溝を潰すのが上手い人、攻めの仕込みが得意な人。そこに砲台の見た目・弾のテンポ・視認性の差が噛み合うと、「この砲台だと盤面が読みやすい」「この砲台だとリズムが崩れない」という“感覚の一致”が起こる。結果として、砲台は操作の延長ではなく、プレイヤーの性格を映す鏡みたいな存在になる。
● 人気が集まりやすいタイプ1:視認性が良い“シンプル機体”
好きな砲台として挙がりやすいのは、まずシンプルで見やすいデザインのタイプだ。『クォース』は画面上にブロックが密集し、空間が狭くなるほど判断が難しくなる。だから自機が派手すぎると、弾の軌道やブロックの角が見づらくなり、ミスが増える。逆に、輪郭がはっきりしていて背景に埋もれにくい機体は、盤面が荒れても読みがブレにくい。そういう砲台は「安定するから好き」「負けにくいから結局これになる」と言われやすい。上達の途中でも頼れる存在になりやすく、初心者ほど“見やすさ”を理由に推しが決まることが多い。
● 人気が集まりやすいタイプ2:攻めの気分が乗る“派手め機体”
一方で、見た目が派手・尖っている機体を推す人もいる。理由は実利というより、リズムと気分だ。『クォース』は、攻めるときの判断が難しいゲームで、怖さを超えて大四角を狙うには勢いが必要になる。そこで「この機体を使うと攻めのテンポに入りやすい」「大消去を狙う気分になれる」という心理的な後押しが効く。派手めの機体は、その“背中を押す力”が強く、対戦やスコアアタックで使われやすい。勝ちに行くというより、攻める自分が好きだからこの砲台、という選び方だ。
● 好きの理由になりやすい要素:弾のテンポと“手の気持ちよさ”
砲台の好き嫌いは、最終的に“手の気持ちよさ”へ収束しやすい。弾を撃つリズムが一定で、画面の成立(四角完成→消去)と感覚的に噛み合うと、プレイが音楽みたいになる。逆に、目と手のテンポがずれると、焦りが増えて盤面が荒れやすい。だから推し砲台は、「勝てるから」だけではなく、「このテンポが気持ちいいから」と語られやすい。特にMSX2版はSCC対応や追加BGMが話題にされることが多く、音のノリと操作リズムが結びつきやすい環境なので、“手の気持ちよさ”が推し理由として強化されやすい。
● 2人プレイで“推し”が分かれる:見分けやすさと役割感
協力・対戦では、砲台は単なる趣味ではなく、コミュニケーションの道具にもなる。見分けやすい機体を選べば、相手の位置や担当範囲が把握しやすく、連携がスムーズになる。逆に、似た見た目の機体同士だと、画面が荒れたときにどちらがどこを担当しているのか分かりにくくなる。だから2人プレイ経験者ほど、「連携しやすい見た目の砲台が好き」「協力のときはこの砲台が安定する」といった理由で推しが固まりやすい。対戦でも同じで、相手にプレッシャーを与える見た目、攻めの気分が乗る見た目、など“心理”が推し理由になっていく。
● “キャラ語り”が生まれる瞬間:自分のプレイスタイルが言葉になる
面白いのは、砲台を語り始めると、自然に自分のプレイスタイルも語り始めることだ。「自分は刻む派だからこの砲台」「大四角で流れを取る派だからこっち」「溝を潰して盤面を平らにするのが好きだからこれ」といった具合に、推しはプレイヤーの戦い方の自己紹介になる。物語がなくてもキャラ語りが成立するのは、砲台が“遊び方の人格”を背負っているからだと思う。
● まとめ(次章へのつなぎ)
『クォース』の「好きなキャラクター」は、ストーリーの登場人物ではなく、砲台(自機)をめぐる“相性”と“気分”の話になりやすい。見やすさで選ぶ人、攻めのテンポで選ぶ人、2人プレイの連携しやすさで選ぶ人――推しの理由がプレイスタイルそのものになるのが、本作らしいキャラ観だ。次の章では、こうした“版ごとの推し”にも直結する「対応パソコンによる違い」を、PC-9801/MSX2/X68000/(後年の)Windowsの観点で整理していく。
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●対応パソコンによる違いなど
『クォース』は「撃つ=配置の調整」になっているのが最大の特徴で、根っこのルール自体はどの機種でも大きくは変わらない。違いが出るのは、遊びの“手触り”を作っている部分――画面の見やすさ、操作デバイス、サウンドの鳴り方、2人プレイの作り、そして収録モードの方向性だ。アーケード発の作品だけに、家庭用・パソコン移植では「何を優先して寄せたか」がそのまま個性になる。ここでは、1990年前後に登場したPC-9801/MSX2/X68000の傾向を整理しつつ、ユーザーが挙げている“Windows”については、1990年当時の正式移植先としての位置づけと、後年の展開を分けて説明する。
● 共通するゲーム骨格:発想は同じ、勝負は“視認性と入力感”
まず共通点として、ブロックを撃ち込んで凹凸を整え、四角形(正方形・長方形)を成立させて消す、という核は揺らがない。ジャンルがパズルと固定画面シューティングの複合として説明されるのも各所で一致している。 ただし同じルールでも、画面の情報量が増えるほど“角の見切り”がしやすくなり、入力の遅延やキー配置の癖があるほど“整形のテンポ”が乱れやすい。だから移植版の評価は、性能の優劣というより「この環境だと自分の判断が気持ちよく回るか」で分かれやすい。
● MSX2版:SCCと追加BGMで“ノリ”が強い、選べる砲台が推しを作る
MSX2版は1990年に発売された代表的な移植のひとつで、カートリッジにSCCを搭載(あるいはSCC対応を明確にした)タイトルとして語られやすい。 仕様面の魅力は、音の厚みが増えてプレイのリズムが立ちやすいこと、そして砲台を複数タイプから選べる点だ(この「選択」が、単なる見た目ではなく“自分のテンポに合う相棒”を作る要素になる)。 一方で、2人プレイ周りは「できること/できないこと」が整理されやすく、特に対戦の有無などは他機種と比べて好みの分岐点になりやすい。 総合すると、MSX2版はアーケードに“見た目の派手さ”で追いつくというより、音とテンポで中毒性を底上げして、家庭で繰り返し遊ばせる方向へ寄せた版、と捉えると分かりやすい。
● PC-9801版:作業机の上でやり込む“管理型”の気持ちよさ、2人モードが芯
PC-9801版は1990年9月21日発売として整理されている。 メディアはフロッピーディスクで、当時のPCゲームらしい「起動して腰を据えて遊ぶ」気分が似合う。 PC版の語られ方で特徴的なのは、2人プレイのモード構成が“遊び方の幅”として前に出やすい点で、互いに干渉しない並走型、範囲を分けた協力型、勝負に直結する対戦型といった枠組みで説明されることが多い。 つまりPC-9801版は、1人用の純粋な詰め将棋感だけでなく、2人で盤面を読む・崩す・立て直すという“会話のある遊び”を作りやすい。もちろんキーボード操作に慣れている人ほど狙い撃ちが安定するので、入力環境の相性がそのまま評価に反映されやすいのもPC版らしいところだ。
● X68000版:アーケード系コナミと相性が良い“鋭い手触り”、画面の見切りが楽
X68000版は1990年7月6日発売としてまとまっており、同時期の移植群の中でも「アーケードっぽい空気で遊びたい」層に選ばれやすい。 X68000は当時から“家庭に置けるアーケード寄りマシン”という文脈で語られてきたこともあり、このタイトルでも「盤面の輪郭が読みやすい」「撃ち込みの精度勝負が映える」といった方向で受け止められやすい印象がある。 要するに、X68000版は“判断の速度”と“整形の気持ちよさ”が前に出やすい版で、スコアアタックや対戦の駆け引きで熱くなりたい人ほど相性が良い、と言いやすい。
● では「Windows版」はどう扱うべきか:1990年のPC移植とは切り分ける
ここは注意点があって、資料上「1990年にWindows向けが正式発売された」とは一般的に整理されていない。1990年前後のパソコン移植先としては、MSX2/PC-9801/X68000が主要どころとして挙げられるのが基本だ。 一方で『クォース』は後年に多くのプラットフォームへ展開されており、たとえばアーケード版を現行機で配信する「アーケードアーカイブス」(PS4/Switch)としての公式ページが存在する。 さらに携帯電話向け展開(ブロッククォースDXなど)もニュースとして確認でき、時代ごとに“遊べる場所”が増えている。 なので、あなたが言う「Windows」は、当時の“同時期PC移植”という意味ではなく、後年の配信・収録・エミュレーション環境を含めた「PCでも遊べる」という広い意味で捉えるのが安全だ(少なくとも1990年にWindows専用パッケージが出た、と断言できる根拠はここでは置けない)。
● どれを選ぶべきか:目的別の“向いている版”の考え方
繰り返し遊んで腕を上げたいなら、まずは自分が最も“角を見切りやすい”画面の版が正解になる。対戦・協力で盛り上がりたいなら、2人モードの作りが自分の遊び方に合う版を選ぶのが満足度に直結する。音のノリで没入したいなら、SCCやBGM面で語られやすいMSX2版が刺さることがある。 そしてアーケードの雰囲気を現代環境で手軽に味わいたいなら、公式に現行機配信されているアーケード版(アケアカ)という選択肢が分かりやすい。 どの版にも「同じルールなのに別物に感じる瞬間」があり、その差を味わうのも『クォース』の贅沢な楽しみ方になる。
[game-10]●同時期に発売されたゲームなど
★A列車で行こうIII(PC-9801向け)
・販売会社:アートディンク ・販売された年:1990年 ・販売価格:14,080円(定価) ・具体的なゲーム内容:プレイヤーが鉄道会社の立場で路線を敷き、駅を置き、列車の運行と都市開発を噛み合わせて「街そのものを育てていく」タイプの鉄道経営シミュレーション。線路を引けばそれで終わりではなく、駅の位置が人の流れを変え、周辺の地価や建物の成長が変わり、結果として乗客数や収益が変動していく――という循環が主役になる。目先の黒字化を狙って単純な往復路線を量産するのも手だが、人口の増え方や商業地の伸びを見越して“未来の幹線”を先に通す設計もできるため、遊び方が「箱庭」寄りにも「最適化」寄りにも振れるのが魅力。さらに、ダイヤや車両の使い分けを詰めていくと、混雑の偏り・乗り継ぎのしにくさ・輸送力不足といった“現場の問題”が目に見える形で表れてくるので、プレイヤーは自然と「線路を作る人」から「都市の交通計画を回す人」へ役割が変わっていく。こうした長期視点の設計思想が、当時のPCシミュレーションらしい歯ごたえを生み、短時間の勝ち負けではなく「納得できる街」を完成させる満足感を押し出した一本、とまとめられる。
★BUBBLE BOBBLE バブルボブル(X68000)
・販売会社:電波新聞社 ・販売された年:1990年 ・販売価格:7,920円(定価) ・具体的なゲーム内容:固定画面のアクション面を、泡を吐く攻撃で切り抜ける“積み上げ式”のステージ攻略型。泡で敵を包んで無力化し、割って得点やアイテムを得る、という一連の流れがとにかく分かりやすい一方で、敵の動き方や出現の圧が増すほど「泡を吐く位置」「閉じ込める向き」「割るタイミング」の判断が問われ、ただの反射神経では押し切れなくなる。画面内での上下移動・段差・落下を利用した“追い込み猟”のような立ち回りができ、敵をまとめて処理できた時の快感は格別。さらに、スコア狙いになると、あえて敵を残して稼ぎを伸ばす、アイテム回収の順番を最適化する、といった競技性も顔を出してくるため、同じ面でもプレイの表情が変わる。家庭内・仲間内で遊ぶなら協力プレイで「泡の連携」を試すのが面白く、片方が敵を包み、片方が回収に走る、という役割分担が成立するのも強み。移植版らしさとしては、アーケードのテンポ感を保ちつつ、PC環境でじっくり反復できる“練習のしやすさ”が光り、結果として上達の手応えが得やすいタイプの作品と言える。
★ダウンタウン 熱血物語(X68000)
・販売会社:シャープ ・販売された年:1990年 ・販売価格:8,800円 ・具体的なゲーム内容:街全体を舞台に、喧嘩と探索を同時に回していくアクション。ステージクリア型というより「エリアを行き来しながら状況を押し進める」作りで、どこで誰とぶつかり、どの順番で敵勢力を崩すかがプレイヤーの判断に委ねられる。基本は殴る・蹴るの近接戦だが、落ちている物を拾って武器にしたり、複数の敵を位置取りで捌いたりと、乱戦の設計が楽しさの中心にある。攻撃一辺倒だと囲まれて崩されやすく、間合いを外す、敵の突進を誘って空振りさせる、といった“路地裏の読み合い”が生きるのがポイント。さらに、見た目は荒っぽいのに、実際はルート選択・稼ぎ・強化のバランスが重要で、序盤の小さな積み重ねが終盤の安定度に直結する。友達と語るなら「この場面はこう抜けた」「この敵集団はこう分断した」と攻略談義が自然に生まれるタイプで、当時の“熱血”らしい体感をPCでも味わわせる一本として語りやすい。
★SDスナッチャー(MSX2)
・販売会社:コナミ ・販売された年:1990年 ・販売価格:9,800円 ・具体的なゲーム内容:物語重視のADV的な雰囲気と、コマンド選択型RPGの手触りを合わせた作品で、事件を追う推理・探索の気分と、戦闘での成長要素を同じ線上で楽しめるのが特徴。舞台は“異常”が日常を侵食していくような緊張感のある世界観で、プレイヤーは会話や調査で情報を集め、次に行くべき場所や対処を見つけ、時には戦闘で突破口を作っていく。肝になるのは「手掛かりの積み上げ」で、いきなり最適解が見えない場面でも、街の人の言葉・端末のログ・ちょっとした違和感の断片が、後から一本の線につながる作りになっている。戦闘面はテンポよく回る設計が意識され、長編ストーリーでも“読むだけ”にならず、状況が動くたびに緊迫感が更新される。キャラクターはSD表現で親しみやすくしつつ、テーマ自体は硬派寄りなので、そのギャップが独特の味になる。結果として、当時のMSX2ユーザーが「物語を追いながら長く付き合える一本」として遊び込める内容になっている。
★大航海時代(PC-8801)
・販売会社:光栄 ・販売された年:1990年 ・販売価格:9,800円 ・具体的なゲーム内容:大航海の時代を背景に、航海・交易・探検・勢力争いを一体として味わう歴史シミュレーション寄りの冒険作。プレイヤーは船と仲間を整え、港を渡り歩き、物資の売買で資金を増やしながら、未知の海域に踏み込んでいく。単なる移動ではなく、航路には天候・補給・船体の状態といった現実的な制約が絡み、無理をすれば沈没や壊滅のリスクが常に付きまとう。交易も“安く仕入れて高く売る”だけでは終わらず、地域ごとの需要、航路の安全度、寄港地で得られる情報、ライバルとの競争が複雑に絡むため、プレイ感は自然と長期計画型になる。どこまでを商人として稼ぎに振り切るか、どこから探検に投資して名声や新発見を狙うか、方針がそのまま物語になるのが魅力。しかも進め方を誤っても即詰みになりにくく、苦しい状況から交易ルートを組み直して立て直す“逆転の余地”があるのも気持ちいい。結果として、同じ1990年前後のPCゲーム群の中でも「地図が広がっていく快感」を強く刻む一本として残りやすい。
★第4のユニット 4 -ZERO-(PC-8801)
・販売会社:データウエスト ・販売された年:1990年 ・販売価格:8,800円 ・具体的なゲーム内容:シリーズ物の文脈を背負いながら、物語選択と感情表現を絡めて進行するアドベンチャー。コマンドを選んで状況を動かすだけでなく、主人公(あるいはプレイヤー側の意思決定)が「どう感じ、どう反応するか」を選ばせる作りが核になっていて、単なる正解探しではなく“場面の解釈”がプレイ体験に直結する。SF的な陰謀や監視、疑念が渦巻く筋立ての中で、情報が断片的に提示され、誰を信じるか、どの行動が最も自然かを悩ませる。だからこそ、プレイヤーは文章やビジュアルの細部を丁寧に拾い、状況を自分の中で再構成しながら進めることになる。テンポはアクションよりは静的だが、そのぶん「一つの選択が空気を変える」感触が濃い。シリーズを追っている人なら前作との連続性を楽しめるし、初見でも“読ませる”作りとして成立しやすいタイプで、当時のPCアドベンチャーの多様さを象徴する一本と言える。
★サークⅡ(PC-8801)
・販売会社:マイクロキャビン ・販売された年:1990年 ・販売価格:8,800円 ・具体的なゲーム内容:剣と魔法の王道ファンタジーを、軽快なアクション性とRPGの成長で押し進める“手触り重視”の冒険作。プレイヤーはフィールド探索とダンジョン攻略を繰り返し、装備と能力を整えながら、より危険な地域へ踏み込んでいく。特徴は、ただ数字が増えるだけの成長ではなく、敵の攻撃圧や地形のクセに対して、移動と攻撃のテンポで応える部分が大きいところ。つまり、レベルや装備が足りないと苦しいが、操作が上手くなるほど突破できる範囲も広がる“中間の快感”がある。さらに、物語は仲間や土地の背景を丁寧に積み上げる方向で進み、プレイヤーが世界を理解するほど目的意識が増していく。結果として、短い刺激より「冒険を続けたくなる密度」が前面に出る。シリーズファンにとっては、前作で築いた手触りを踏まえつつ、規模とドラマを広げた続編として、1990年のPCシーンを語るとき外しにくい存在になる。
★コラムス(MSX2)
・販売会社:日本テレネット ・販売された年:1990年 ・販売価格:6,800円 ・具体的なゲーム内容:縦に連なった宝石ブロックを落とし、並び替えながら同色を揃えて消していく落ちものパズル。操作はシンプルで、移動と“並べ替え”だけだが、いざ詰め始めると「次のブロックをどう受けるか」「どの色を残して連鎖の種にするか」という判断が連続し、思考の負荷がぐっと上がる。三色以上を縦横斜めで揃える消し方は、テトリス系ともぷよ系とも違う独特の“盤面の読み”を要求し、慣れるほど「斜めの視野」が育っていくのが面白い。さらに、ただ消すだけではなく、崩しの順番で連鎖の伸びが変わるため、盤面の中に“目標の形”を作ってから一気に崩す快感がある。短時間で一勝負でき、スコアアタックも相性が良いので、RPGやADVの合間に差し込む一本としても優秀。当時のPCパズル移植の中でも、ルールの分かりやすさと上達の奥行きが両立しているタイプだ。
★フレイ(MSX2)
・販売会社:マイクロキャビン ・販売された年:1990年 ・販売価格:7,800円 ・具体的なゲーム内容:物語性の強い外伝的な立ち位置を持ち、主人公フレイの行動を軸に“旅の理由”を積み上げていくアドベンチャー×アクション寄りの作品。ゲームは単なる戦闘や移動の連続ではなく、イベントシーンや会話で心情を描きつつ、要所でアクション的な局面を挟むことで、プレイヤーに「進んでいる感」を途切れさせない。外伝ならではの面白さは、既存の世界観を借りているからこそ、細部の説明を長々としなくても登場人物の関係や土地の空気が伝わりやすい点にあり、そのぶん主人公の選択や成長にスポットが当たる。プレイヤー側は、物語を追う没入と、操作で場面を切り抜ける達成感の両方を味わえる。長編RPGほど重くなく、それでも短編ADVよりは“旅をした感”が残る中間の手触りで、1990年前後のPC作品らしい多層的な作りが魅力として際立つ。
★信長の野望 -武将風雲録-(PC-8801)
・販売会社:光栄 ・販売された年:1990年 ・販売価格:9,800円 ・具体的なゲーム内容:戦国期の勢力運営を、武将の配置と領国運営の両面から詰めていく歴史シミュレーション。国力の底上げ(内政)と、戦線の管理(軍事)を同時に回しながら、周辺勢力との関係を読み、時に攻め、時に守り、時に同盟で時間を買う――という“政治の手触り”が主役になる。特徴は、武将という個別ユニットの存在感が強く、誰をどこに置くか、どの部隊に誰を付けるかで結果が変わりやすい点。つまり、同じ国力でも人材運用で勝てる余地があり、逆に油断すると格下に足元をすくわれる緊張感がある。戦は数だけではなく、地形・補給・部隊の相性、そして指揮官の能力が絡むため、プレイヤーは自然と「最小の損で最大の成果を取る」発想に寄っていく。結果として、短期の派手さよりも、数年単位の計画が形になった瞬間の快感が大きい。1990年のPCシーンを代表する“腰を据えて遊ぶ”一本として、同時期作品の中でも特に語り継がれやすいタイプだ。
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