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【発売】:東芝EMI
【対応パソコン】:MSX
【発売日】:1984年
【ジャンル】:アクションゲーム
■ 概要
● 1984年のMSX市場に現れた、少し異色の地下迷宮アクション
『スゥーワーサム』は、1984年に東芝EMIから発売されたMSX用ゲームであり、当時の家庭用パソコン市場の中でも少し変わった立ち位置にあった作品である。ジャンルとしては迷路探索型のアクションに分類できるが、単純に道を覚えて進むだけのゲームではなく、敵の妨害を受けながら地下通路を突破し、最終的に地上への帰還を目指すという、緊張感の強い構成が特徴だった。 舞台は街の地下に広がる下水道であり、この時点ですでにかなり個性的である。宇宙や剣と魔法の世界ではなく、日常生活のすぐ下にある薄暗い危険地帯を冒険の場にしたことで、本作は独特の不安感と閉塞感を手に入れていた。プレイヤーは、ただゴールを探すだけではなく、その場その場で現れる敵や地形の変化に対応しながら進まなければならず、見た目以上に忙しく、見た目以上に神経を使うゲームだったのである。 しかも『スゥーワーサム』は、ただ奇抜な設定で目立とうとしただけの作品ではない。地下へ落ちてしまった主人公が、危険な下水道を抜けて恋人のもとへ戻るという目的は分かりやすく、ゲーム全体の流れにも自然に結びついている。そのため、初めて触れた時には「変わった設定のゲームだな」という印象を持ちやすい一方で、実際に遊び始めると「この状況を切り抜けたい」と思わせるだけの推進力も持っていた。 MSX初期のゲーム群には、まだジャンルや表現が定まり切っていない時代特有の自由さがあったが、本作はその空気をとてもよく表している。少し変で、少し荒削りで、それでもはっきりと個性がある。『スゥーワーサム』は、まさにそうした1984年らしい熱気を封じ込めた一本だったと言える。
● 恋人のもとへ向かう途中で地下へ落ちるという、妙に印象に残る導入
このゲームの物語の出発点は、いかにも1980年代らしい軽妙さと勢いに満ちている。主人公サムは、恋人に会いに行く途中で思いがけずマンホールに転落し、そのまま地下の下水道へ落ちてしまう。あと少しで目的地に着くはずだったのに、一転して危険な地下迷宮をさまよう羽目になるという流れは、どこかコミカルでありながら、同時にゲームとしての導入にも非常に優れている。 なぜなら、プレイヤーは長い設定説明を読まなくても、「ここから無事に戻らなければならない」という目的をすぐに理解できるからだ。世界を救うとか王国を再建するといった大きな使命ではなく、恋人のもとへ帰るという個人的で身近な動機が中心にあるため、状況に入り込みやすい。そして、その身近な目的と、地下で待ち受ける危険との落差が、この作品に独特の味を与えている。 この導入の面白さは、ただ笑えるということではない。ごく普通の若者が、ほんの少しの不運から突然異常な状況へ放り込まれることで、プレイヤーもまた“日常から非日常へ落ちる感覚”を自然に味わうことになる。これが本作の空気づくりに大きく貢献している。 つまり『スゥーワーサム』の物語は、壮大ではないが非常に効果的であり、ゲーム全体に親しみやすさと奇妙な緊張感の両方を与えているのである。
● 舞台の下水道は、背景ではなくゲーム性そのものになっている
『スゥーワーサム』の大きな特徴は、舞台である下水道が単なる背景や飾りになっていないことだ。ここでの地下空間は、作品の雰囲気を作るだけでなく、実際の遊びそのものへ深く関わっている。暗い通路、水路、穴、足場、敵の潜む気配。そうした要素が、プレイヤーに「ここは安全な場所ではない」と常に意識させる。 もしこれが普通の迷路ゲームであれば、プレイヤーは単に最短ルートや正解ルートを探すだけで済むかもしれない。しかし本作では、通路の種類によって危険の質が変わり、敵との距離感や動き方も変わるため、地下という舞台がそのまま攻略の難しさに直結している。これによって、プレイ感覚はただの迷路探索よりもずっと濃く、ずっと不安定なものになる。 また、一度進んだ通路には戻れない構造が、前進の緊張感をさらに高めている。ひとつの場面を抜けたら終わりではなく、その判断の積み重ねがずっと先まで尾を引くため、プレイヤーは毎回の行動に責任を感じる。 つまり下水道という舞台は、単なる世界観設定ではなく、『スゥーワーサム』というゲームの骨格そのものなのである。湿った地下の息苦しさ、狭い通路を進む不安感、それらすべてが、ゲームとしての手触りを作っている。
● 探索、迎撃、酸素管理が一体になった、思った以上に複雑な作り
見た目だけで判断すると、『スゥーワーサム』は一風変わった迷路アクションのように見える。しかし実際に遊び始めると、この作品が意外なほど多くの要素を同時に扱わせるゲームであることが分かる。プレイヤーは通路の先を見ながら進み、敵を避けたり撃ったりし、酸素の残量を意識しながら、次の区画へ移るタイミングまで考えなければならない。 このため、本作はただ反射神経だけで乗り切るタイプでもなければ、じっくり考えるだけの迷路ゲームでもない。その中間にある、判断とアクションの混合型として成立している。しかも弾数には制限感覚があり、撃ち方にも配慮が必要になるため、単純に連射していればいいわけでもない。 こうした複数要素の重なりによって、『スゥーワーサム』は見た目よりも実戦的なゲームになっている。最初は変わった設定のゲームとして目を引かれ、次に地下の不気味さに緊張し、そこからさらにゲームシステムの意外な歯ごたえに気づく。この段階的な発見が、本作をただの珍作で終わらせていない。 つまり『スゥーワーサム』は、シンプルな画面の裏側に、当時としてはかなり欲張った設計を隠し持っている作品だと言える。
● 地下に潜む敵たちが、世界観を強く印象づけている
本作には、下水道という舞台にふさわしい、さまざまな危険が待ち受けている。そこには単なる障害物ではなく、生き物や敵性存在としての圧力があり、プレイヤーは進路を考えるだけでなく、それらとの距離や対処順まで意識しなければならない。 特に印象的なのは、クモやワニのような地下生物的な存在と、最終的に立ちはだかる潜水艦のような異質な敵が同じ作品の中に混在していることだ。普通に考えればかなり荒唐無稽な組み合わせだが、それが妙に本作の空気と合っている。下水道の中なら何が出てきてもおかしくない、という奇妙な説得力があり、プレイヤーは違和感よりも「このゲームならこういうこともあるか」と納得してしまう。 また、こうした敵たちはゲームプレイ上の障害であるだけでなく、作品のB級感や独特の味わいを形づくる重要な要素でもある。特に潜水艦の存在は、本作の“妙な本気度”を象徴しており、単なる脱出劇で終わらない特別な印象を与えている。 つまり敵の存在は、ただ難易度を上げるためのものではない。『スゥーワーサム』という奇妙な地下世界を、具体的な形でプレイヤーへ見せつける役割を持っているのである。
● 最後には“脱出”だけでなく“対決”が待っているところが面白い
このゲームの面白いところは、目的が単なる迷路からの脱出に留まっていないことである。最終的には地下に潜む潜水艦を相手にしなければならず、その対決がクライマックスとして機能しているため、本作は単なる逃走劇では終わらない。 この構成があるおかげで、主人公サムはただの遭難者ではなく、自ら行動し、地下の脅威と向き合う主人公へと変わっていく。プレイヤーもまた、通路を抜けるだけでなく、最後に待つ存在へ備えながら進むことになるので、ゲーム全体が単調な迷路攻略ではなく、終盤へ向けて緊張が高まる冒険として感じられる。 また、潜水艦戦という存在そのものが非常に変わっており、この奇抜さが本作を記憶に残りやすいものにしている。恋人に会いに行く途中で地下へ落ち、その先で潜水艦を相手にするという展開は、普通ならまとまりを失ってもおかしくない。だが本作では、その無茶な展開がなぜか一本の流れとして成立しており、結果として非常に独特な作品世界を作り上げている。 つまり『スゥーワーサム』の終盤は、単なる脱出ではなく、“地下で起きた異常事態を自力で片づけて帰る”という、少しヒーロー的な達成感をプレイヤーへ与えてくれるのである。
● MSX初期のソフトとして見た時の価値も大きい
『スゥーワーサム』は、ゲームそのものの内容だけでなく、1984年というMSX初期に発売された作品であることにも大きな意味がある。当時のMSX市場には、まだ王道と呼べる定番の形が完全には定まっておらず、各メーカーがさまざまな方向性のソフトを投入していた。そんな中で本作は、海外由来の少し異色な発想、地下迷宮という変わった題材、音声演出という当時ならではの驚きをひとつにまとめていた。 こうした要素を見れば、本作が単なる一発ネタではなく、“MSXで何ができるのか”を感じさせる一本だったことが分かる。今の目で見れば荒削りな部分もあるが、それも含めて、まだ可能性が定まり切っていなかった時代の熱気が詰まっている。 つまり『スゥーワーサム』は、MSX史の中で絶対的な王者というわけではなくても、初期の自由さや雑多な面白さを語る上では非常に象徴的な作品だと言える。こうした時代背景を踏まえて見ると、本作の変わった魅力はさらに深く感じられるだろう。
■■■■ ゲームの魅力とは?
● ただの迷路ゲームで終わらない、地下世界ならではの緊張感
『スゥーワーサム』の魅力を語るうえで、まず外せないのが舞台設定そのものの面白さである。本作は、広い野原を走るわけでも、宇宙空間を飛び回るわけでもない。プレイヤーが足を踏み入れるのは、街の地下に張り巡らされた不気味な下水道であり、その時点でゲームの空気はかなり独特だ。地下道、暗い通路、水の気配、行き止まりかもしれない曲がり角、どこから何が現れるか分からない不安感。この一連の雰囲気が、ありふれた迷路探索を“逃げ場の少ない冒険”へと変えている。地上にいれば日常の延長で済んでいたはずの主人公が、突然そうした閉鎖空間に放り込まれることで、プレイヤーもまた「とにかく無事に戻らなければならない」という気分に引き込まれる。 この感覚は、単なるマップ移動型のゲームとは少し違う。本作では、通路を進む行為そのものが怖さと期待を伴っている。次の区画へ移るたびに状況が変わり、足場の感覚も、敵の圧力も、視界から受ける印象も微妙に変化する。つまり『スゥーワーサム』の魅力は、ゲーム開始直後から“地下に落ちてしまった”という物語的ショックと、“そこから生きて進まなければならない”という遊びの緊張が自然につながっているところにある。設定が飾りではなく、プレイ感そのものに深く食い込んでいるのである。
● 恋人のもとへ戻るという目的が、ゲーム全体に親しみやすさを与えている
この作品の導入はどこかユーモラスで、同時に分かりやすい。主人公が世界を救うために戦うのではなく、恋人との待ち合わせに向かう途中でトラブルに巻き込まれるという筋立ては、とても身近で、肩ひじ張らずに受け止められる。大げさな英雄譚ではなく、ちょっとした日常の延長線上に“とんでもない冒険”が発生するからこそ、プレイヤーは最初から状況に入りやすい。 しかも、この「彼女のもとへ戻りたい」という目標が実に効果的だ。ゲームの目的は単純明快で、説明を長々と読まなくても理解できる。なぜ前に進むのか、なぜ危険を避けるのか、なぜ地下で戦わなければならないのか。そのすべてが最終的には“地上に戻って再会するため”という一点に集約される。こうしたわかりやすい目的があるおかげで、プレイヤーは操作の最中に迷いにくいし、たとえ難しい局面にぶつかっても「ここで諦めたくない」という気持ちを保ちやすい。 また、この導入には80年代らしい軽快さがあり、作品全体の印象を必要以上に重くしない効果もある。下水道という舞台は薄暗くても、ゲームそのものは陰惨なホラーではない。どこかコミカルで、少し映画的で、そして妙に記憶に残る。緊張感のある地下探索と、恋人を目指すという親しみやすい動機が組み合わさることで、本作は独特の温度感を生み出しているのである。
● 探索とアクションが一体化しているから、単調になりにくい
『スゥーワーサム』の面白さは、迷路をなぞるだけのゲームではない点にある。地下の各区画を進んでいく過程では、ただ正しい道を選ぶだけでなく、その場その場で敵の動きに対応しなければならない。つまり、本作は“考えるだけ”でもなければ“反射神経だけ”でもない。その中間にある、判断と操作の混ざり合った遊びになっている。 この構造が非常にいい。もし迷路要素だけなら、ルートを覚えた瞬間に新鮮味が薄れてしまう。逆にアクション要素だけなら、ただ敵を避けるか撃つかに収束してしまう。しかし本作では、区画を進む判断と、その区画でどう立ち回るかという行動がつねに結びついているため、プレイヤーはマップ認識と操作の両方を使い続けることになる。だから一見シンプルに見えて、実際のプレイは意外と忙しく、頭も手も休まらない。 この“単純そうなのに簡単ではない”という感触は、古いゲームならではの魅力でもある。ルールの説明は複雑ではないのに、実際に遊ぶと独特の難しさがあり、何度か挑むうちに少しずつコツが見えてくる。最初は理不尽に感じる場面でも、繰り返していくと敵の対処法や進み方のテンポが分かってきて、「今度はもう少し先へ行けそうだ」と思えるようになる。こうした上達の実感が、プレイヤーをじわじわ引き込んでいくのである。
● “危険をやり過ごす”だけでなく、“打開する”感覚がある
本作には敵が登場するが、彼らは単なる飾りではない。通路を進むだけでも圧力になるし、移動のテンポを乱す存在にもなる。だからプレイヤーは、ただ避けるだけではなく、ときには攻撃して道を切り開く必要がある。ここに『スゥーワーサム』ならではの気持ちよさがある。 逃げるだけのゲームでは、プレイヤーは常に受け身になりやすい。しかし本作では、危険が迫ったときにこちらから働きかけられる余地がある。もちろん無闇に進めば失敗しやすいが、状況を見て冷静に対処できたときには、“追い詰められていたのに自分で打開した”という感覚が生まれる。この感覚が、ただの恐怖や圧迫感で終わらせず、アクションゲームとしての手応えを支えている。 とくに、地下に潜む敵や最終局面の脅威に対して、主人公がただ逃げ惑うだけの存在ではなく、行動によって切り開いていく存在として描かれているのは大きい。これによってプレイヤーは“落ちた人”を操作しているというより、“思わぬ場所で生き残り、勝って戻る人”を動かしている感覚になる。そこが本作を印象深い作品にしている理由のひとつである。
● 音や演出が、当時のMSXユーザーに強い印象を残した
『スゥーワーサム』がただの地下迷路アクション以上の存在として語られる理由には、演出面のインパクトもある。MSX初期の作品には、画面の変化や効果音で魅せるタイプのゲームが多かったが、本作はそこに“声が聞こえる驚き”を加えたことで、プレイヤーの記憶に残りやすいソフトになった。昔のゲームにおいて、音声表現はそれだけで大きな話題性を持つ。とくに家庭用テレビにつないで遊ぶMSXのような環境では、突然人の声らしいものが鳴るだけで、プレイヤーは「おおっ」と反応したはずだ。 この種の演出は、現代の視点から見ると小さなことのように思えるかもしれない。だが、当時はゲームが“動く絵”から“しゃべる存在”へと一歩進み始めた時代だった。そこに立ち会ったプレイヤーにとって、本作の演出は機械の性能を超えた楽しさとして映っただろう。つまり『スゥーワーサム』の魅力は、ゲーム内容だけでなく、「MSXでこんな表現ができるのか」と感じさせる驚きにもあったのである。 また、音の印象が強いゲームは、しばらく遊ばなくなっても不思議と記憶に残る。地下に落ちた瞬間の慌ただしさや、危険が近い場面の緊張は、視覚だけではなく音を通じてプレイヤーの中に刻まれる。そのため本作は、ゲームシステム以上に“体験”として語られやすい作品になっている。
● 不気味なのにどこか愛嬌がある、絶妙なB級感
このゲームには、名作と呼ばれる大作に見られるような壮麗さや重厚さとは別の魅力がある。それが、少し変で、少しチープで、でも妙に惹かれる“B級感”である。恋人に会いに行く途中でマンホールに落ち、地下で敵や潜水艦と戦いながら生還を目指す――文字にするとかなり変わった内容だが、その奇妙さこそが本作の味になっている。 舞台は薄暗い下水道なのに、全体の印象は必要以上に陰鬱ではない。むしろ、どこか漫画的で、発想に勢いがあり、「どうしてこうなった」と思いながらも先を見たくなる。こうした作品は、完成度だけでは測れない魅力を持っている。整いすぎていないからこそ、作り手の発想や時代の空気がそのまま表面に出ており、遊ぶ側もそこに面白さを感じやすい。 とくにレトロゲームを好む人にとって、この種の“妙な設定なのに妙に本気”な作品はとても魅力的だ。現代の大作ゲームではなかなか見られない発想の飛躍や、説明しきらないまま始まる勢い、そしてプレイヤー側がそれを面白がる余白がある。『スゥーワーサム』はまさにそうした空気をまとっており、その少し変わった個性こそが強いアピールポイントになっている。
● 遊び込むほど、作品の“難しさ”が“味わい”に変わっていく
本作は、最初から誰にでも優しいゲームというわけではない。進行のテンポ、敵の存在、地下迷路という閉鎖的な構成が重なることで、初見では戸惑いやすい部分もある。だが、それがそのまま欠点になるとは限らない。むしろ、少し手強いからこそ、プレイヤーは少しずつ理解を深めながら作品に入り込んでいく。 最初は「なんだか難しい」「よく分からない」と感じても、何度か挑戦するうちに、危険の見分け方、前に出るべき場面、慎重に様子を見るべき場面が少しずつ掴めてくる。そうなると、ゲームの印象は“わかりにくい作品”から“噛めば噛むほど味が出る作品”へと変わる。この変化が、レトロゲームを遊ぶ醍醐味のひとつでもある。 『スゥーワーサム』の魅力は、最初の数分で全部分かるような分かりやすさではない。少しずつ慣れ、少しずつ進み、地下のルールと空気に馴染んでいくことで見えてくる面白さがある。そのため、一度で終わるよりも、繰り返し触れてこそ評価が上がりやすいタイプのゲームだといえる。
● 総じて、“珍しさ”と“遊びごたえ”を両立した一作
『スゥーワーサム』の魅力をまとめるなら、それは“題材の珍しさ”と“実際に遊んだときの手応え”がきちんと両立している点にある。変わった舞台設定、恋人を目指すコミカルな導入、地下の緊張感、探索とアクションの融合、音声演出の驚き、そして少し癖のある難しさ。これらが別々に存在するのではなく、ひとつの作品の中でまとまって機能しているからこそ、本作は単なる色物で終わっていない。 見た目のインパクトだけで注目されたゲームなら、時が経つにつれて忘れられてしまうことも多い。だが『スゥーワーサム』は、その変わった発想の裏側にきちんと遊びとしての骨格があり、だからこそ後年になっても「妙に印象に残るMSX作品」として語りたくなる。派手さだけではない、けれど確実に個性がある。そこにこのゲームの面白さが詰まっているのである。
■■■■ ゲームの攻略など
● まず理解したいのは、“勢いで走るゲーム”ではなく“状況を見るゲーム”だということ
『スゥーワーサム』を遊び始めた直後に陥りやすいのが、「とにかく前へ進まないといけない」と思って無理に走ってしまうことだ。しかし本作は、見た目こそ軽快なアクションゲームらしさを持ちながら、実際にはかなり状況判断を重視する作品である。主人公サムは前進・後退・左右移動だけでなく、水中での移動、壁の上り下り、段差への対応などをこなしながら進むが、地下の通路は毎回同じ感覚で突破できるわけではない。床が安定している場所もあれば、水路が中央を横切る区画もあり、穴や高低差で不用意な動きが事故につながる場面もある。そのため攻略の第一歩は、敵を撃つ技術よりも先に、「その通路では何が危険なのか」を一瞬で見分けることにある。 特に本作は、新しい通路へ入るたびに空気が補給される代わりに、一度抜けた通路へは戻れない仕組みになっている。この仕様のせいで、適当に前へ進んでしまうと取り返しがつかない。だからこそ重要なのは、ひとつの区画に入ったらすぐ走り出すのではなく、画面の構造、敵の気配、移動しやすい場所、危険地帯の位置関係を短く確認することだ。最初の数秒で焦るか落ち着くかによって、その後の生存率がかなり変わる。『スゥーワーサム』は“反射神経だけで押し切るゲーム”ではなく、“短い観察を積み重ねて事故を防ぐゲーム”として考えると、急に攻略の糸口が見えてくる。
● 難易度選択は見栄を張らず、低いレベルから慣れるのが正解
本作には難易度設定があり、慣れていないうちに高難度へ挑むと、その独特の癖やルールの複雑さが一気に重くのしかかってくる。レトロゲーム好きほど最初から手ごわい設定で試したくなるかもしれないが、『スゥーワーサム』に限っては低めの難易度から感覚を掴むほうがはるかに得策である。 なぜなら、このゲームの難しさは単純に敵が多いとか速いといったものではなく、地形への理解、敵との距離感、酸素や残弾の管理、潜水艦戦のタイミング判断など、複数の要素が一度に絡んでくるからだ。つまり、難易度を上げる前に“ゲームそのものの呼吸”を覚える必要がある。 そのため攻略の基本は、まず低い難易度で通路の空気に慣れ、どこで急ぐべきか、どこで待つべきかを身体で覚えることにある。見栄を張って高難度へ突っ込むより、低難度で生還の流れを掴んでから段階的に上げていく方が、本作の面白さも理解しやすくなる。『スゥーワーサム』は、勢いより慣れがものを言うゲームなのである。
● 水路・穴・乾いた床、それぞれで立ち回りを変える意識が重要
『スゥーワーサム』を攻略するうえで大切なのは、地下通路をすべて同じものとして扱わないことだ。本作では乾いた床の通路、水路を含む通路、穴や段差を意識しなければならない通路などが登場し、それぞれでプレイの感覚が大きく変わる。 乾いた通路では比較的自由に動けるため、敵の処理や位置取りに集中しやすい。だが、そのぶん雑に前へ出ると敵との接触が増えやすく、落ち着いて立ち回らないと崩れやすい。水路のある場面では移動感覚が変わり、いつも通りのつもりで動くと逃げ遅れやすくなる。さらに穴や高低差がある通路では、敵に気を取られて足元を見失うと、それだけで事故につながる。 つまり攻略の本質は、“敵にどう勝つか”だけではなく、“この地形では何を優先すべきか”を切り替えることにある。ある場面では敵撃破が先、ある場面ではまず安全地帯の確保、またある場面ではとにかく先へ抜けることが優先になる。 このように、通路ごとに頭を切り替えるようになると、本作の難しさは少しずつ整理されていく。『スゥーワーサム』は、地形を読む力がそのまま生存率へ結びつくゲームなのである。
● 弾を撃ち切ってから困る人ほど、再装填の感覚を軽く見ている
攻略面で見落とされやすいのが、発砲の扱い方である。本作ではただ攻撃ボタンを押し続けていればいいわけではなく、弾を無駄に撃ちすぎると再装填の間に一気に不利になる。これが分かっていないうちは、危ない場面で焦って連射し、その直後にもっと危険な状況で何もできなくなるという失敗を繰り返しやすい。 したがって基本は、撃つ時に意味を持たせることだ。遠くの敵へ無駄撃ちしない、当てられる距離まで待つ、危険が薄い場面では節約する。たったこれだけでもプレイ全体がかなり安定する。 また、残弾を意識する習慣が付くと、動き方そのものも変わる。まだ余裕があるなら強めに前へ出る、少ないなら一度引いて安全を作る。こうした判断ができるようになると、本作はただ怖い地下迷宮ではなく、“こちらの準備次第で切り抜けられる舞台”へと変わっていく。 『スゥーワーサム』では、雑に撃つ人ほど苦しくなり、丁寧に撃つ人ほど長く生き残れる。発砲は攻撃手段であると同時に、プレイヤーの性格がそのまま出る要素でもある。
● 酸素は“時間制限”であると同時に、“前進する理由”でもある
本作における酸素の存在は、単純なタイムリミット以上の意味を持っている。地下の各区画で時間をかけすぎれば酸素が減っていくが、新しい区画へ進めば補給される。この仕組みがあるため、プレイヤーは慎重さと前進のバランスを常に考えなければならない。 慌てて進めば敵や地形で事故を起こす。しかし慎重すぎてその場にとどまり続けると、酸素が減って自分の首を絞める。つまり本作の攻略では、“必要な確認はするが、無駄に長居しない”という絶妙なテンポが重要になる。 また、この仕様によって各区画を抜けること自体が報酬になる。先へ進めば酸素が戻るため、プレイヤーはただの恐怖で押されているのではなく、“前へ行く価値”を明確に感じながら動ける。 このバランス感覚をつかむと、『スゥーワーサム』は急に面白くなる。酸素はただプレイヤーを急かすだけの罰ではない。危険を見ながら前進し続けるゲームのテンポを作る、中核の仕組みなのである。
● クモは優先して警戒したい、見た目以上に厄介な妨害役
登場する敵の中でも、攻略面で特に注意したいのがクモである。クモの厄介さは単なる接触ダメージではなく、こちらの自由を奪うような嫌らしさにある。レトロゲームでは、直接攻撃力の高い敵よりも、動きを乱して別の危険へつなげる敵のほうが怖いことが多い。本作のクモはまさにその典型である。 そのため、クモが絡む場面では後回しにしないことが大切だ。近くに別の敵がいる場合は特に危険で、クモを放置したまま他へ気を取られると、一気に流れが崩れやすい。 また、クモ対策は単なる“優先撃破”だけではない。そもそも、動きを奪われたら終わる位置に立たないことも大事である。つまりクモと戦う時は、敵そのものだけではなく、自分が今どこにいるか、拘束されたらどうなるかまで含めて考えなければならない。 『スゥーワーサム』の攻略で事故が多い人ほど、敵の種類ごとの危険性を同じように扱いがちだ。しかし本作では、嫌らしい敵を正しく怖がることが、生き残る近道になる。
● 妨害系の敵は即死より怖いこともある
本作に登場する敵は、すべてが同じようにプレイヤーを倒しに来るわけではない。中には、直接命を奪うよりも、進行を遅らせたり位置を乱したりすることで苦しめてくる存在もいる。こうした敵は一見地味だが、攻略面では非常に厄介である。 なぜなら、本作では酸素も進行テンポも重要であり、少し戻されたり足止めされたりするだけでも、その後の立ち回り全体が苦しくなるからだ。残機が減らないからといって軽く見ていると、気づかないうちに酸素と余裕を奪われ、別の場面で大きなしわ寄せを受ける。 つまり本作では、“死なない被害”も十分に重い。直接やられなくても、今この妨害を受けると全体の流れが崩れる、という見方を持つことが大切である。 こうした理解が進むと、プレイヤーの判断は少しずつ上達していく。『スゥーワーサム』は残機だけを見ていると本質を見誤りやすい。酸素、位置、進行テンポまで含めて“被害”を考えることが攻略の肝になる。
● 潜水艦戦は本作最大の山場、慌てず段取りで勝つ
『スゥーワーサム』の攻略において、もっとも象徴的な山場が潜水艦との対決である。ここではただ本体に向かって攻撃するだけではなく、ミサイルの挙動を見極めながら的確に対処する必要があるため、通常区画とは違った緊張感がある。 初見ではどうしても慌ててしまいがちだが、この場面で大切なのは勢いではなく段取りである。潜水艦戦の前には残弾の感覚を整え、通常区画で無駄撃ちを控え、気持ちを少し切り替えておく必要がある。 そして実際の対決では、焦って連射せず、狙うべきタイミングを待つことが重要になる。ここで無駄な動きが多いと、再装填の隙や位置取りの悪さがそのまま失敗につながる。 つまり本作のクライマックスは、派手な力押しで突破するのではなく、ここまで積み上げてきた慎重さや管理意識が試される場面なのである。この“最後に問われるものが、結局ゲーム全体の理解そのもの”という構造が、本作を印象深いものにしている。
● 点数稼ぎを狙うか、生還を優先するかで遊び方が変わる
本作には得点要素があり、敵を倒したり先へ進んだりすることでスコアを伸ばす楽しみもある。だが、ここで面白いのは、高得点を狙う立ち回りと、生還を重視する立ち回りが必ずしも一致しないことだ。 高得点を狙うなら、危険の少ない敵も積極的に処理していきたくなる。しかし、生還重視なら、旨みの薄い敵に時間や弾を使うより、安全な道が見えた時点で次の区画へ進んだほうが安定する。 つまり本作では、自分が今何を目的に遊んでいるかをはっきりさせると、攻略の方針も整理しやすい。初めてのうちは欲張らず、まずは地下から無事に帰ることを目標にしたほうがいい。その上で慣れてきたら、どこまできれいに稼ぎながら進めるかを考えると、作品の楽しみ方が一段広がる。 『スゥーワーサム』は、単純なクリアだけでも、スコアアタック的な遊びでもそれぞれ違う味がある。その二面性もまた、このゲームの面白いところである。
● 裏技よりも大切なのは、“このゲームの呼吸”を覚えること
『スゥーワーサム』については、派手な裏技や決定的な抜け道よりも、プレイヤー自身の慣れと観察力がはるかに重要である。どの場面で撃つか、どこで待つか、どの区画で急ぐか、どこで安全を確保するか。こうした地味な判断の積み重ねが、最終的な上達を決める。 この意味で、本作の攻略はとてもレトロゲームらしい。秘密のコマンドや特殊な裏技に頼るより、自分の経験を通して少しずつゲームの仕組みを理解していく楽しさが大きいのである。 最初は分かりにくかった敵の嫌らしさも、何度かやられるうちに「ここでは待つべきだった」「ここは撃たずに抜ける方がよかった」と見えてくる。その瞬間に、このゲームはただ難しいだけの作品ではなく、“理解するとちゃんと応えてくれる作品”へ変わる。 結局のところ、『スゥーワーサム』の最大の攻略法は、秘密のテクニックではない。このゲーム独特の呼吸を覚え、自分の動きを少しずつ合わせていくこと。その地道な上達の感覚こそが、本作を攻略する一番の面白さなのである。
■■■■ 感想や評判
● 総じて見ると、“珍作”ではあるが“駄作扱い一辺倒”ではない作品
『スゥーワーサム』の感想や評判をまとめると、まず言えるのは、この作品がいわゆる圧倒的な大ヒット作として語られるタイプではない一方で、完全に見向きもされない失敗作として片づけられているわけでもない、ということである。後年に振り返られる時、本作は「MSX初期の少し変わった作品」「音声演出が印象的な一本」「地下迷宮という題材が妙に記憶に残る作品」として受け止められることが多い。つまり評価の中心にあるのは、万人が認める完成度の高さというより、“独自性”や“時代性”である。 このため『スゥーワーサム』は、名作ランキングの王道常連というより、知っている人が「そういえばあった」と話題にしたくなる作品として語られやすい。こうした立ち位置は地味に見えるかもしれないが、逆に言えば、何の特徴もなければとっくに忘れられていたはずのタイトルが、今なお話題の種になるだけの印象を残しているということでもある。 つまり本作の評判は、“名作として絶賛された”というより、“妙に印象に残る変わり種として評価された”という言い方が一番近い。良くも悪くも尖っていて、その尖りが人の記憶に残り続けているのである。
● 当時の印象としては、“しゃべるMSXゲーム”という驚きがかなり大きかった
本作を当時のプレイヤー目線で見た場合、もっとも強く印象に残ったのは、やはり音声演出だったと考えられる。現代では短いボイスや掛け声は珍しくないが、1984年前後のMSXでは、ゲームが音楽や効果音だけでなく“声らしきもの”を発するだけでかなりの話題性があった。 『スゥーワーサム』はその意味で、遊んだ内容以上に“起動した時の驚き”が強く残りやすい作品だった。マンホールへ落ちた時や危険な場面で音声的な反応が入ることで、プレイヤーはただ画面を見るだけでなく、「おっ、しゃべった」と感じる。その驚きは、ゲームの内容が多少癖を持っていたとしても、それだけで印象を底上げしてしまうほど大きかった。 そのため本作の評判は、純粋にアクションゲームとしての完成度だけでなく、“当時のMSXでこんな表現ができた”という技術的な新鮮さとも結びついている。つまり『スゥーワーサム』は、ゲームとして評価されると同時に、“体験として話題にしやすいソフト”でもあったのである。
● 一方で、ゲームそのものの手触りは“好きな人には刺さるが、人を選ぶ”と見られやすい
後年の感想をまとめると、『スゥーワーサム』にははっきりした傾向が見えてくる。それは、雰囲気や発想に好感を持つ人がいる一方で、操作感やテンポには引っかかりを覚える人も少なくないということだ。地下迷宮という舞台、背後視点的な見せ方、敵との緊張感などに魅力を感じる人は多いが、その一方で、プレイのテンポがやや渋く、操作も万人向けとは言いにくいため、「面白い要素はあるが、ずっと遊ぶには少し重い」と受け止められやすい。 つまり本作は、誰もがすぐに気持ちよく遊べる爽快アクションというより、“独特の味を持った作品”として見られやすいのである。そこが高く評価される理由でもあり、同時に広く爆発的な支持を集めにくかった理由でもある。 このように、好きな人には強く印象へ残るが、合わない人にはその前に距離を置かれやすい。『スゥーワーサム』はまさにそうした、人を選ぶタイプの評判を持ったゲームだった。
● “すごく面白い”よりも、“妙に気になる”“思ったより悪くない”という反応が似合う
本作の評判を一言で言い表すなら、大絶賛よりも少しひねった好意が似合う。つまり「最高傑作だ」と断言されるより、「変わっているけど妙に面白い」「最初の印象より悪くない」「思ったより時間を使ってしまう」といった反応の方が、このゲームにはしっくりくる。 こうした反応が多いということは、最初から期待の中心にいたタイトルではなくても、実際に触れた人の中にはじわじわ評価を上げる人がいたということだ。見た目の奇抜さから敬遠される一方で、遊んでみると完全なネタ作ではなく、ちゃんとしたゲームとして成立している。そのギャップが、本作の評判の中核になっている。 つまり『スゥーワーサム』は、ひと目で強く愛されるタイプではないが、少し時間を置いてから「あれ、けっこう印象に残っているな」と思わせるような作品なのである。この“遅れて効いてくる好感”が、本作らしい評判の形だと言える。
● グラフィックや見せ方には、時代を考えると意外な健闘を感じる人が多い
視覚面についても、本作は単純に地味なだけの作品ではない。もちろん現代の目で見れば派手さはないし、細密な描き込みや豪華な演出があるわけでもない。しかし1980年代前半の家庭用パソコンゲームとして見ると、地下通路を奥へ進む感覚を意識した画面構成や、作品全体の不気味な空気を出そうとする工夫には、十分に見どころがある。 特にレトロゲームを好む人ほど、こうした“限られた表現力の中で奥行きや雰囲気を出そうとした努力”を好意的に受け止めやすい。平面的なだけのアクションではなく、地下へ潜っていく感じや閉塞感が出ていることが、本作の印象を支えている。 つまり視覚面の評判は、単純な美しさではなく、“この時代にこういう見せ方をしていたのか”という驚きと結びついているのである。その意味で、『スゥーワーサム』は地味ながらも印象に残る画面づくりをしていたと言える。
● 反対に、操作感とテンポには不満が残りやすく、そこが評価を割る原因になっている
本作が大傑作として一気に押し上げられにくい最大の理由は、やはり操作感とテンポの癖にある。設定や雰囲気の面白さを認める人でも、実際に遊んだ時の感触には引っかかりを覚えやすい。 進行のペースは軽快というより慎重で、操作も現代の感覚からするとややもっさりしている。これが地下の緊張感に合っているという見方もできる一方、爽快さを期待すると明確な不満へ変わりやすい。 そのため、後年の評価でも「面白い要素はある」「珍しい作品だ」という好意と、「でも遊び続けるにはやや重い」という留保がしばしば同居する。完成度だけで押し切るのではなく、個性で記憶へ残る作品だからこそ、この種の“惜しさ”もはっきり見えやすいのである。 つまり本作の評判を分けるのは、設定の好き嫌いよりも、むしろ“その手触りを味として受け止められるかどうか”にある。
● レトロゲーム好きの間では、“奇妙な題材”と“変な本気度”がむしろ好まれている
後年のレトロゲームファンの目線で見ると、『スゥーワーサム』のような作品は点数だけでは語れない魅力を持っている。恋人に会いに行く途中で地下へ落ち、下水道を進み、危険生物や潜水艦と戦いながら地上を目指すという展開は、今見てもかなり変わっている。だが、その奇妙さがただの冗談で終わらず、ちゃんと一本のゲームとして成立しているところに面白さがある。 レトロゲーム好きの間では、こうした“変な題材を本気でゲーム化した作品”は、むしろ強い魅力を持つ。無難に整いすぎていないからこそ、その時代の勢いや発想の自由さがむき出しになっているからである。 『スゥーワーサム』はまさにそうした一本であり、奇抜さと真面目さが同居した不思議な味が、後年ほど好意的に受け止められやすくなっている。だから本作の評判は、時代が進むほど“珍しいだけではなく、味のある作品”という方向へ寄っていったと言える。
● MSX版としての見られ方は、“名作ランキング常連”より“語れる一本”に近い
MSX全体の文脈で見た場合、『スゥーワーサム』は誰もが真っ先に挙げる代表作ではない。だが一方で、MSX初期を少し深く掘る人ほど、この作品の存在に引っかかりやすい。 なぜなら本作には、初期MSXらしい音声演出、海外作品の移植らしさ、地下迷宮アクションという変わった題材など、語るための切り口がいくつもあるからだ。知名度では王道作に及ばなくても、“MSXにはこんなゲームもあった”と話す時には非常に使いやすいタイトルなのである。 そのため本作の評判は、単純な人気の強さというより、“会話の中で思い出されやすい個性”に支えられている。つまり『スゥーワーサム』は、名作ランキングの中心にはいなくても、MSX文化を面白くする脇役として非常に存在感がある作品だと言える。
● メディア的な大絶賛より、“口コミ的な記憶”の積み重ねで残ってきた作品
現代のゲームであれば、レビュー点数やランキング、ユーザー投稿数などで評判を数値的に把握しやすい。しかし『スゥーワーサム』のような1984年作品では、そうした情報が豊富に残っているわけではない。その代わりに、本作の評判は、回顧記事、ファンサイト、ショップ紹介、個人の思い出話といった“断片の連なり”として今に残っている。 そしてその断片をつなぎ合わせると、「変わった作品だが印象に残る」「荒削りだが面白いところがある」「音声や舞台設定に価値がある」という方向へ収束していく。大きな点数で測れなくても、完全に忘れられていないという事実そのものが、本作の強さを示している。 つまり『スゥーワーサム』の評判は、大きな評価軸で一気に決まったものではない。小さな記憶や会話の中で、じわじわと“味のある一本”として位置づけられてきたのである。
● 結局のところ、評判の中心にあるのは“完成度”より“個性”である
『スゥーワーサム』の感想や評判を総合すると、この作品は“完成度の高さだけで押し切るゲーム”ではない。操作の癖やテンポの渋さがあり、全員に強く薦めやすいタイプではないのも確かである。だが、その一方で、音声対応の新しさ、下水道という妙な舞台、独特の視点表現、潜水艦まで出てくる突飛な展開といった、ほかにはない顔つきを持っている。 そのため本作は、「最高傑作だった」と一本調子に語られるのではなく、「粗さもあるが妙に味がある」「初期MSXらしい面白さが詰まっている」と評価されやすい。完成度よりも、記憶に残る個性の濃さ。そこがこのゲームの評判の中心である。 つまり『スゥーワーサム』は、完成された王道ではなく、語る価値のある異色作として記憶されている。その立ち位置こそが、この作品の評判を最もよく表していると言えるだろう。
■■■■ 良かったところ
● まず発想そのものが強く印象に残る
『スゥーワーサム』で良かったところとして、まず多くの人が語りたくなるのは、ゲームの出発点そのものに独特の味があることだろう。恋人に会いに行く途中でマンホールに落ち、そのまま地下の下水道を進みながら危険を乗り越えて地上復帰を目指すという設定は、今読んでもかなり変わっている。だが、変わっているだけで終わらず、きちんとゲームの目的に結びついているのがこの作品の面白いところである。 大げさな世界滅亡や宇宙規模の戦いではなく、個人的で身近な動機から始まるため、プレイヤーは肩ひじ張らずに世界へ入りやすい。しかも、そこから先に待っているのは妙に本気の地下サバイバルであり、その落差が強い印象を生む。遊び終わったあとに内容を説明したくなるゲームは意外と多くないが、本作は「こんな設定のゲームなんだよ」と人に話したくなる力を持っている。 つまり良かったところの第一は、単純な完成度以前に“題材として忘れにくい”ことである。多くのレトロゲームは時代の中に埋もれていくが、『スゥーワーサム』は少し変な設定と、その設定を真面目にゲームへ落とし込んだ勢いによって、記憶に引っかかる一本になっている。こうした独創性は、作品の評価を長く支える大きな長所だと言える。
● 地下に落ちた感じがしっかり伝わる、独特の雰囲気づくり
プレイした人が良かったと感じやすい点として、地下空間の空気感がしっかり出ていることも挙げられる。本作の舞台は華やかな場所ではなく、暗く閉ざされた下水道である。そのため、画面構成や敵の出方、進み方そのものに、地上とは違う不安定さと不気味さが漂っている。 この“地下を進んでいる感覚”は、単なる背景設定だけでは生まれない。通路の種類が変わること、水のある場所と乾いた場所で印象が変わること、どこに敵が潜んでいるか分からない緊張があること、そうした要素がまとまって初めて成立する。本作はそこが意外と丁寧で、少ない情報量の中でも「危険な場所に迷い込んだ」という感覚を出すのがうまい。 プレイヤーから見れば、この雰囲気づくりはゲームの没入感に直結する。単に点を稼いだり敵を倒したりするだけではなく、“ここから脱出したい”という気分が自然に湧くからである。レトロゲームの中にはシステムは面白くても空気感が希薄なものもあるが、『スゥーワーサム』はむしろ逆に、世界の空気が先に印象へ残るタイプの作品であり、そこを良かった点として挙げる人は多いだろう。
● 音声演出のインパクトが、当時としてはかなり大きかった
このゲームを語る際に好意的なポイントとして外しにくいのが、やはり音声表現である。今の感覚では短いボイスや叫び声は珍しくないが、当時のMSX用ソフトとして考えると、ゲームが声を発するだけでかなり強い驚きがあった。しかもそれが単なるおまけではなく、プレイの印象に結びつく形で使われていたため、初めて触れたときの記憶に残りやすい。 こうした演出は、スペック競争の時代において非常に大きな意味を持っていた。ゲーム内容そのものとは別に、「このマシンでこんなことができるのか」という発見があると、作品全体が一段面白く感じられるからである。『スゥーワーサム』はまさにそうしたタイプのソフトで、プレイした人があとで思い出す時にも、地下迷宮の内容と一緒に“あのしゃべる感じ”を記憶していることが多い。 つまり、良かったところとしての音声演出は、ただの技術アピールではない。ゲーム体験そのものに驚きを加え、プレイヤーの中に“普通のアクションとは少し違う一本だった”という印象を残す働きをしていたのである。レトロゲームにおいて、内容と同じくらい“初見の驚き”は価値がある。本作はその驚きをちゃんと持っていた。
● 探索とアクションが混ざっているため、遊びの単調さが出にくい
『スゥーワーサム』の良さとして見逃せないのが、迷路探索と敵への対処が別々ではなく、常にひとつの流れとしてつながっている点である。もしこれが単なる迷路ゲームなら、道順を覚えた時点で緊張感は薄れてしまうだろう。逆に、ただ敵を撃つだけのゲームなら、背景が変わらない限り単調さが出やすい。しかし本作は、その両方を同時に処理させることで、古い作品ながら意外に忙しく、そして飽きにくい構造になっている。 進むべきか、待つべきか。敵を倒すべきか、かわすべきか。水路に入るべきか、別の位置から安全を確保すべきか。そうした細かな判断がつねに要求されるため、プレイヤーは一画面ごとに違う緊張を味わうことになる。これは派手な演出よりも地味な長所だが、遊んでみるとかなり効いてくる部分である。 このように、単純そうに見えて実際にはいくつもの要素が重なっている点を良かったところに挙げる人は少なくないだろう。最初は奇抜な設定に目が向きやすい作品だが、少し遊ぶと“意外とゲームとしてちゃんとしている”と感じやすい。そこが、このゲームの侮れない魅力でもある。
● ただ逃げるだけでなく、自分で切り開く感覚がある
プレイした人の好意的な感想として想像しやすいのは、主人公がただの被害者で終わらないところだ。マンホールに落ちた時点では完全に災難だが、その後のサムはただ怖がって逃げる存在ではなく、地下の危険に対して自ら行動し、突破し、最終的には脅威そのものを退けながら地上へ戻ろうとする。 この構図があるおかげで、プレイヤーも受け身になりすぎずに済む。危ない場所を避けるだけでなく、必要な時には迎撃し、進路を作り、危機を切り抜けることができる。そうした“自分で状況をひっくり返す手応え”は、古いアクションゲームの中でも気持ちよさにつながりやすい部分である。 特にレトロゲームでは、理不尽さを感じると一気に評価が下がりやすいが、本作にはまだ“何とかできる余地”が残っている。もちろん難しい場面はあるものの、完全に運任せではなく、立ち回りによって結果が変わるため、上達の実感が得やすい。この“逃げるだけではない冒険感”を、良かったところとして挙げたくなる人は多いはずである。
● 少し癖があるからこそ、慣れてきた時の手応えが大きい
『スゥーワーサム』は、誰でも最初から気持ちよく遊べるタイプのゲームとは少し違う。だからこそ、慣れてきた時の感触に価値がある。最初は地下の通路も敵の挙動もつかみにくく、やや戸惑いやすい。しかし何度か遊ぶうちに、危険な位置取り、撃つべきタイミング、急ぎすぎてはいけない場面などが分かってくると、プレイ全体に安定感が出てくる。 この“最初は難しいが、分かると面白い”という流れは、昔のゲームに特有の魅力でもある。親切な説明が少ない代わりに、プレイヤーが自分の経験で理解を積み上げていく楽しさがあるのだ。本作もまさにそのタイプで、簡単にすべてを見せるのではなく、少しずつ理解が進むほど評価が上がりやすい。 そのため、良かったところとしては、単なる遊びやすさよりも“噛み応え”を評価する声が似合う。最初の印象だけでは分からない良さがあり、何度か触れるうちに「このゲーム、思ったよりちゃんと作られている」と感じやすくなる。そうした遅れて効いてくる魅力は、長く記憶に残る作品に共通する長所でもある。
● 80年代前半らしい実験精神が、今見るとむしろ魅力になっている
当時のゲームはまだ定番の形が完全には固まっておらず、メーカーごとにさまざまな試みが行われていた。『スゥーワーサム』にもその空気が濃く出ており、ジャンルの境界をはっきり固定せず、迷路探索、回避、シューティング、演出面の驚きをひとつの作品へ詰め込もうとしている。 この“まだ答えが決まり切っていない時代の自由さ”は、現代の完成されたゲームにはない魅力だ。少し不器用でも、何か新しいことをやろうとしている熱量が感じられる作品は、それだけで見応えがある。『スゥーワーサム』はまさにそうした一本であり、整いすぎていないことが欠点であると同時に、面白さの源にもなっている。 プレイした人の良かったところとしては、この時代特有の“変な本気度”を挙げたくなる。地下の下水道で、恋人を目指して、敵と戦い、音声まで入れてくる。この組み合わせは、理屈だけで考えるとかなり妙だが、その妙さを本気でゲーム化した点に、強い時代の勢いがある。今振り返ると、その挑戦姿勢そのものが好印象につながっているのである。
● 派手な超大作ではないのに、なぜか人へ語りたくなる
本作の良かったところをまとめるとき、意外と大きいのが“話題にしやすさ”である。超有名作のような安心感や普遍性はないかもしれないが、その代わり『スゥーワーサム』には人へ説明したくなる変な魅力がある。設定、音声、地下の雰囲気、潜水艦まで出てくる展開。どれを取っても少し変わっていて、しかも作品として一応まとまっている。 こういうゲームは、遊んだその瞬間だけで消費されるのではなく、あとからじわじわ思い返されやすい。「あのゲーム、変だったけど印象に残ったな」「意外と悪くなかったな」と思わせる力があるのである。大傑作ではなくても、記憶に残るというのは立派な長所だ。 特にレトロゲームを好む人にとっては、こうした“少しズレているのに妙に真面目な作品”は非常に魅力的である。遊びやすさだけでは測れない味があり、一本のゲームとして語る面白さがある。『スゥーワーサム』の良かったところは、まさにそこに集約されていると言っていい。
● 総合すると、“独特の発想と体験の濃さ”が最大の長所
『スゥーワーサム』の良かったところを総合的に見れば、最大の長所は“独特の発想を、実際の体験の濃さへ変えられていること”である。設定だけ奇抜でも、遊んでみて中身が伴わなければ印象には残りにくい。しかし本作は、地下を進む緊張感、音声による驚き、探索と迎撃の両立、そして少し癖のある手応えによって、プレイヤーへちゃんとした体験を残す。 だからこそ、遊んだ人が良かったと感じる点はひとつに絞られない。雰囲気が良かったと思う人もいれば、発想が面白いと思う人もいるし、古いゲームらしい難しさに価値を見いだす人もいる。作品としての完成度が完璧だから愛されるのではなく、粗さも含めて“このゲームならでは”と感じられる部分が多いからこそ、好意的に語りたくなるのである。 結局のところ、『スゥーワーサム』の良さは、無難にまとまっていることではない。少し変で、少し危なっかしく、それでも確かな個性があること。その個性を好ましく思える人にとって、本作はただの古いMSXゲームではなく、時代の勢いと発想力が詰まった、忘れがたい一本として心に残るだろう。
■■■■ 悪かったところ
● 操作の感触が万人向けではなく、第一印象で損をしやすい
『スゥーワーサム』の悪かったところとして、まず挙げられやすいのは、操作の感触に独特の重さがある点である。発想や設定は面白いのに、実際に遊び始めると「思ったより軽快に動けない」「頭で考えた通りにすぐ反応してくれない」と感じやすく、そこが最初の壁になりやすい。レトロゲーム全般に多少の癖はつきものだが、本作は地下の通路を進む構造上、わずかな操作のもたつきがそのまま不安や焦りにつながりやすい。そのため、世界観に惹かれて触れた人でも、操作で引っかかってしまうと魅力へ入る前に距離を置きたくなる。 つまり本作は、設定のインパクトが強いぶん、最初の数分で操作感が合うかどうかが評価に直結しやすいゲームだと言える。内容の良さを理解する前に手触りで離脱されやすいというのは、かなり大きな短所である。
● テンポがゆっくりめで、爽快感を期待すると肩透かしになりやすい
本作は敵を避けたり撃ったりしながら進むゲームではあるが、いわゆるスピード感のある爽快アクションとはかなり方向性が違う。地下通路を慎重に進む構造そのものはこの作品らしさでもある一方、勢いよくテンポ良く駆け抜ける気持ちよさを期待すると、少し肩透かしを受けやすい。 特に現代的なアクションゲームの感覚に慣れている人ほど、「もう少し軽快ならよかった」「もっとリズミカルに遊びたかった」と感じやすいだろう。『スゥーワーサム』は“重い空気の中を少しずつ切り抜ける”ことに価値を置いているため、その渋さが魅力になるか不満になるかで印象が大きく変わる。 つまりこのゲームのテンポは、長所であると同時に大きな弱点でもある。地下の緊張感を生む反面、爽快感を求める人にははっきりした物足りなさを残してしまうのである。
● 面白さが分かるまでに時間がかかり、初見で魅力が伝わりにくい
『スゥーワーサム』は、遊び込むほど味が出る作品である反面、その面白さが最初の数分で分かりやすく伝わるゲームではない。導入の奇抜さには引きがあるが、実際のプレイに入ると、地形の見方、敵との付き合い方、酸素や残弾の意識など、理解すべき要素が思った以上に多い。そのため初見では、「変わっているけど、何が面白いのかまだつかみにくい」と感じやすい。 これはかなりもったいない部分である。もしゲームの良さがもう少し早い段階で見えれば、より多くの人がその個性へ入りやすかったはずだ。だが本作は、むしろ少し付き合ってから評価が上がるタイプなので、そこへ至る前に離れてしまう人も少なくない。 つまり本作は、入口の段階でやや損をしやすいゲームだと言える。後からじわじわ効いてくる魅力はあるが、その前段階で理解されにくいこと自体が短所になっているのである。
● 設定の奇抜さに対して、遊びの快感が追いつかないと感じる人もいる
この作品は設定だけを見ると非常に印象的で、恋人のもとへ向かう途中で地下へ落ち、危険な下水道を進み、最後には潜水艦まで相手にするという内容は、それだけで十分に話題性がある。だが悪い見方をすると、その強烈な設定に対して、実際のプレイ感覚はやや地味で渋い。 つまり“内容の説明を聞いた時のワクワク感”と、“手に取って遊んだ時の快感”に少し差があるのである。これが人によっては「思ったよりおとなしい」「もっと派手に展開してほしかった」という不満へつながりやすい。 もちろん、このギャップを味として楽しめる人もいる。しかし、発想の奇抜さからより大きな刺激を期待した人ほど、その差を短所として受け取りやすい。本作はネタとして強いぶん、実際の遊びがその期待を超え切らないと感じる人が出やすいのである。
● 難しさの理由が直感的でない場面があり、理不尽に感じやすい
難しいゲームそのものが悪いわけではないが、『スゥーワーサム』の場合、失敗の原因がすぐに腑に落ちない場面が生まれやすいのが弱点である。敵の接近、位置取り、酸素、残弾、地形など、実際には複数の要素が重なってミスになっているのに、初見では何が悪かったのか整理しにくい。 このため、やられた時に“納得して次へ進む”というより、“なんとなく理不尽に感じる”ことがある。上達の余地は確かにあるのだが、それが見える前に不満や戸惑いが先に立ちやすいのだ。 つまり本作の難しさは、やり応えであると同時に、分かりにくさでもある。理解してしまえば面白いが、そこへ至る前の段階ではかなり不親切に見えてしまう。その点は、やはり短所として無視できない。
● 音声演出は話題性がある一方で、純粋な完成度では賛否が出やすい
本作の大きな特徴である音声演出も、見方によっては短所になりうる。確かに当時としては驚きがあり、記憶に残る強みだったことは間違いない。だが、珍しいことと完成度が高いことは必ずしも同じではない。 レトロゲームの音声表現には時代ゆえの荒さがあり、人によっては「すごい」と感じる一方で、「少し不自然」「面白いけれど心地よいとは言いにくい」と感じることもある。つまり音声は、歴史的な価値としては強いが、純粋に快適さだけで評価すれば人を選ぶ要素でもある。 これは本作全体にも通じる話である。面白い試みではあるが、その試みがそのまま万人にとっての長所になるとは限らない。『スゥーワーサム』の音声演出は、まさにそうした“魅力と引っかかりが表裏一体”の要素だと言える。
● 中毒性はあるが、繰り返し遊ぶ決定打に欠けると見る人もいる
『スゥーワーサム』は、一度触れると妙に印象へ残る作品であり、少しずつ理解が深まると面白さも見えてくる。ただし、その面白さが“何度でも遊びたくなる強い中毒性”へ直結するかというと、そこは意見が分かれやすい。 設定や雰囲気、音声や珍しさには確かに価値があるが、毎回のプレイで劇的な変化や強烈な爽快感が続くタイプではないため、人によっては「一度体験すれば十分」「珍しい作品として記憶には残るが、何度も起動するほどではない」と感じやすい。 つまり本作は、“印象には残るが、習慣的に戻ってくるタイプではない”と見られることもある。これは決して大きな欠陥ではないが、繰り返し遊びたくなる強い牽引力を求める人には、物足りなさとして映りやすいだろう。
● 他の有名MSX作品と比べると、知名度と評価の伸びで不利になりやすい
『スゥーワーサム』単体で見れば十分に個性のある作品だが、MSX全体のラインナップの中で比較されると、やや不利な立場になりやすい。MSXには後年まで語り継がれる王道の人気作が多くあり、遊びやすさ、完成度、知名度の面でそちらが上回る場面も多い。 そのため本作は、強い個性を持ちながらも、“代表作の中心列”には入りにくい。知る人ぞ知る一本としては面白いが、誰にでもまず勧めるタイトルかといえば、そこはためらいが生まれやすい。 つまり『スゥーワーサム』は、MSXという大きな文脈の中で見ると、良くも悪くも変わり種に留まりやすい作品なのである。それは個性の証明でもあるが、同時に評価が伸び切らない理由でもある。
● 今の感覚で遊ぶと、“昔だから許された粗さ”が見えてしまう
レトロゲーム全般に言えることだが、『スゥーワーサム』も現代の感覚で遊ぶと、どうしても時代相応の粗さが目につく。操作の反応、テンポ、ルール理解の導線、繰り返し遊ぶための設計など、今ならもっと整理されていて当然と思われる部分が、そのまま残っているからである。 もちろん、そうした粗さも含めて80年代初期の味だと感じる人もいる。しかし一方で、現代の遊びやすいゲームに慣れた人には、それが“味”ではなく“古さ”として強く映ることもある。 つまり本作は、時代の手触りを楽しめるかどうかで評価が大きく変わる。そこを受け入れられない人にとっては、古いこと自体が短所として前面に出てしまうのである。
● 総合すると、短所は“個性の裏返し”として現れている
『スゥーワーサム』の悪かったところを総合すれば、要するにこの作品は“個性的であること”そのものが、同時に弱点にもなっている。地下下水道という題材、背後視点の見せ方、音声演出、慎重な進行、少し重めの手触り――これらはすべて、ほかのゲームにはない魅力を生む一方で、遊びやすさや爽快感を求める人には引っかかりにもなる。 だから本作は、全面的に悪いゲームというより、“面白い部分と合わない部分がはっきりしているゲーム”として受け止めるのが近い。後年まで完全に忘れられていないのは確かな長所があるからだが、同時に絶対的名作として押し上げられないのもまた、こうした短所が明確だからである。 良くも悪くも尖っている。その尖りを愛せるかどうかで、評価が大きく変わる作品だと言える。
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■ 好きなキャラクター
● この作品は“キャラクターゲーム”ではないのに、なぜか印象に残る存在がいる
『スゥーワーサム』は、後年の人気アニメ原作ゲームやRPGのように、登場人物の細かな設定や会話、性格描写を前面に押し出した作品ではない。むしろ本作は、地下迷宮を進みながら危険を突破していくことそのものが中心にあり、いわゆる“ドラマ性の強いキャラクター表現”を楽しむタイプのゲームではないと言える。ところが不思議なことに、実際に内容を振り返ってみると、印象に残る存在は決して少なくない。 その理由は、本作に登場する存在たちが、細かな言葉や長い設定説明ではなく、“役割の強さ”や“状況の面白さ”によってプレイヤーの記憶へ入り込んでくるからである。主人公は恋人に会いに行く途中で地下へ落ちるし、恋人はゲーム全体の目的そのものになるし、地下にはクモやワニや潜水艦まで待ち構えている。こうして並べてみるだけでも、かなり変わった顔ぶれである。 つまり『スゥーワーサム』における“好きなキャラクター”とは、一般的な意味でのキャラクター人気投票とは少し違う。見た目、動き、立場、存在感、ゲーム中での印象の強さ、そうしたものを総合して「この存在が妙に好きだ」「この相手がいるからこのゲームらしい」と感じる対象を挙げていくことになる。そのため本章では、物語上の人物だけでなく、プレイヤーの印象に残りやすい存在も含めて、“好きになりやすいキャラクター像”を掘り下げていきたい。
● 一番好きだと挙げられやすいのは、やはり主人公のサム
このゲームでまず好感を持たれやすいのは、間違いなく主人公のサムである。彼は勇者でも特殊部隊でもなく、恋人に会いに向かう途中で不運にもマンホールへ転落してしまう、ごく普通の若者という印象で描かれている。ここが実にいい。最初から何か大きな使命を背負っている人物ではないからこそ、プレイヤーは彼を遠いヒーローではなく、“巻き込まれた人”として身近に感じやすい。 ところが、そんなサムは地下へ落ちたあと、ただ泣き言を言って終わるわけではない。危険な通路を進み、敵の妨害を受けながらも前へ進み、最後には地下の脅威と向き合って地上復帰を目指す。この流れによって、サムは単なる被害者ではなく、“思いがけない危機の中でもちゃんと行動する主人公”として印象づけられる。そこに好感を抱く人は多いだろう。 しかも彼の魅力は、いわゆる完璧な強さにあるのではない。むしろ少し頼りなさそうに見えるのに、結果としてやるべきことをやってのけるところに味がある。恋人に会いに行く途中で地下に落ちるという出だしだけを聞くとどこかコミカルなのに、その後の行動は意外とたくましい。このギャップこそがサムという主人公の魅力であり、「好きなキャラクター」として最初に名前を挙げたくなる理由でもある。
● サムが好かれやすい理由は、“強すぎないこと”にある
ゲームの主人公というと、最初から圧倒的に強い、あるいは特殊な能力を持つ人物が好まれることも多い。しかしサムはそういう方向のかっこよさではない。彼の魅力は、“普通の人が必死に頑張っている感じ”にある。地下で待ち受ける危険を前にしても、超人的な力で圧倒するのではなく、その場その場で何とか切り抜けていく。だからこそプレイヤーは彼に感情移入しやすい。 この“身近さ”は非常に大きい。大作ゲームの英雄には英雄の格好良さがあるが、『スゥーワーサム』のサムは、もっと素朴で、もっと生活感のある主人公である。恋人に会いたい、地上へ戻りたい、危ない目には遭いたくない。そうした当たり前の感情が行動の原動力になっているので、プレイヤーも自然に彼を応援する気持ちになる。 また、サムという名前そのものにも、どこか親しみやすい響きがある。重々しい伝説の主人公ではなく、少し気さくで、少しドタバタした空気をまとった名前であり、それが作品全体の軽妙な出発点ともよく合っている。だからサムは、派手さではなく親近感で好きになるタイプの主人公だと言える。
● 直接操作できなくても、恋人の存在はかなり大きい
『スゥーワーサム』で印象に残る人物として、主人公の恋人の存在も見逃せない。彼女はゲーム中で長々としゃべるわけでも、常に画面へ登場するわけでもない。しかし、物語全体の目的を決めているのは彼女であり、その意味では本作の空気を支える非常に重要な存在である。 彼女がいるからこそ、このゲームは単なる地下脱出ではなく、“誰かのもとへ戻るための冒険”になる。もし目的がただ地上へ出ることだけだったなら、作品の印象はもっと無機質で味気ないものになっていただろう。だが実際には、“会うはずだった相手がいる”“待っている人がいる”という構図があるため、地下での苦労にちゃんと感情の行き先が生まれている。 好きなキャラクターとして恋人を挙げる人がいるとすれば、それは出番の多さではなく、“ゲーム全体の雰囲気を決める役割”への好感からだろう。サムの行動がただのサバイバルで終わらず、少しロマンチックで、少しユーモラスなものになっているのは、彼女の存在が前提にあるからである。直接の描写が少ないぶん、むしろプレイヤーの想像が膨らみやすく、その余白もまた魅力につながっている。
● “待っている恋人”という立ち位置が、作品に不思議なやさしさを与えている
恋人の存在が面白いのは、彼女がただの目標物ではなく、作品全体を冷たくしすぎない役割を果たしている点である。下水道という舞台だけを見ると、『スゥーワーサム』はかなり不気味で息苦しいゲームになってもおかしくない。敵も危険だし、閉鎖空間だし、状況だけ見ればかなり過酷である。ところが実際の印象が必要以上に暗くならないのは、サムの行き先に“恋人との再会”という温度のある目的があるからだ。 このため、彼女は直接戦うわけではなくても、ゲームの印象においてはかなり大きな存在感を持つ。プレイヤーは彼女のために進むというより、彼女がいるからサムを前へ進ませたくなる。いわば、ゲームの空気を柔らかくする装置のような役割を担っているのである。 好きなキャラクターというと、どうしても派手な見せ場のある存在へ目が向きやすい。しかし『スゥーワーサム』では、この恋人のように“そこにいることで物語の意味が生まれる存在”も、十分に魅力的だ。派手ではないが、いなければ作品の味がかなり変わってしまう。そういう意味で、実はかなり大切なキャラクターだと言える。
● 敵側で印象に残りやすいのは、やはりクモの存在
人物以外も含めて“好きなキャラクター”を考えるなら、敵の中ではクモを挙げたくなる人も多いだろう。もちろんゲーム中では厄介な相手なのだが、印象の強さという意味ではかなり上位に来る。理由は単純で、ただぶつかって危ないだけではなく、行動そのものにいやらしさがあり、「このゲームらしい嫌な敵」としてしっかり記憶に残るからである。 プレイヤーにとって、強い敵より嫌な敵のほうが印象に残ることはよくある。クモはまさにその典型で、油断するとこちらの動きを乱し、せっかく整えた立ち回りを崩してくる。だからこそ、単なる障害物ではなく、“ちゃんとキャラクター性を感じる敵”として頭に残りやすい。 しかもクモという存在は、下水道という舞台とも相性がいい。地下のじめじめした空気の中で、こうした生き物が待ち構えているというだけで、ゲームの世界観に説得力が出る。嫌いだけど印象に残る、やられたくないけど存在感は好き。そんな複雑な意味で、クモは“好きなキャラクター”として語る価値のある存在だ。
● ワニや地下生物たちは、“B級感”を支える名脇役である
『スゥーワーサム』に登場する敵たちは、単に攻撃対象として並んでいるだけではなく、作品全体の変わった味を支えている。とくにワニのような存在は、下水道という舞台を聞いた時に連想される危険生物の代表格でもあり、「そんなものまでいるのか」と思わせる妙な説得力がある。 これがもし普通の兵士やロボットばかりだったなら、本作の印象はもっと無難なものになっていただろう。しかし、地下に潜む生き物たちがどこか雑多で、少し荒唐無稽で、しかもちゃんと危険であることによって、ゲーム全体に独特のB級感が生まれている。このB級感こそが本作の大きな魅力であり、敵キャラクターたちはその魅力を具体的な形にしている。 好きなキャラクターとしてワニや地下生物を挙げる場合、それは「かわいいから好き」とか「物語が深いから好き」というより、“このゲームらしさを濃くしてくれる存在だから好き”という感覚に近い。世界観に合っていて、変で、忘れにくい。こうした敵がいるからこそ、『スゥーワーサム』は単なる迷路アクションではなく、少し妙で面白い作品として成立しているのである。
● 最後に待つ潜水艦は、敵というより“作品の顔”に近い
好きなキャラクターという観点で見たとき、意外に外せないのが潜水艦である。普通に考えれば、潜水艦はキャラクターというよりメカやボスの一種だろう。だが『スゥーワーサム』においては、この潜水艦の存在があまりにも象徴的であり、もはや単なる障害物以上の“作品の顔”になっている。 そもそも、恋人に会いに行く途中で地下へ落ち、その先で潜水艦と戦うことになるという展開自体がかなり変わっている。この奇妙さが、本作を唯一無二の存在にしている。そして、その奇妙さを最も分かりやすく体現しているのが潜水艦なのである。プレイヤーから見れば厄介な相手だが、同時に「このゲーム、やっぱり変だな」「でもそこが好きだな」と思わせる象徴でもある。 ボスらしい威圧感がありながら、どこかシュールで、少し笑ってしまうほど真面目に置かれている。この絶妙な存在感ゆえに、潜水艦は単なる敵以上の印象を持つ。好きなキャラクターというより“好きな存在”として、強く記憶へ残る対象だと言えるだろう。
● 結局この作品で好かれやすいのは、“人柄”より“立ち位置”が強い存在たち
『スゥーワーサム』の好きなキャラクターを考えていくと、一般的なキャラクター論とは少し違う結論へたどり着く。この作品で印象に残り、好かれやすい存在たちは、細かな台詞や複雑な性格設定によって愛されているわけではない。そうではなく、“どんな役割でそこにいるか”“作品の空気にどう関わっているか”によって魅力を持っているのである。 サムは巻き込まれ型なのに頑張る主人公として好かれ、恋人は出番以上に物語のやさしさを支える存在として印象に残り、クモやワニや潜水艦は地下迷宮の異様な雰囲気を濃くする存在として記憶される。どれも、立ち位置がはっきりしているからこそ強い。 この意味で、『スゥーワーサム』はキャラクター描写の量で勝負するゲームではないが、キャラクターの“置き方”はかなり上手い作品だと言える。短い出番でも、単純な役割でも、きちんと印象へ残る。そのため、好きなキャラクターを語る楽しさもちゃんとあるのである。
● 総合すると、一番人気はサム、印象の強さでは潜水艦やクモも負けていない
この章を総合的にまとめるなら、『スゥーワーサム』で最も好きなキャラクターとして挙げられやすいのは、やはり主人公サムだろう。普通の若者らしい親しみやすさと、思わぬ危機でも前へ進むたくましさの両方を持っているからである。彼は派手な英雄ではないが、その分だけ応援したくなる魅力がある。 一方で、作品の印象を強く支えている存在としては、恋人、クモ、ワニ、そして潜水艦も非常に重要だ。彼らは“人気キャラ”というより、“このゲームをこのゲームらしくしている存在”として愛着を持たれやすい。特に潜水艦のように、設定の奇妙さを象徴する存在は、好き嫌いを超えて忘れがたい。 だから『スゥーワーサム』の好きなキャラクターとは、単に可愛いとか格好いいといった評価ではなく、“このゲームの妙な味を一番よく体現しているのは誰か”という視点で語るのがしっくりくる。そうして見たとき、本作には確かに、少ない描写の中でも十分に愛着を抱ける存在たちがそろっているのである。
[game-7]
●対応パソコンによる違いなど
● この章では、MSX版だけでなく“同名タイトルの周辺事情”まで見ていく必要がある
『スゥーワーサム』を語るとき、MSX版単体の内容だけを追うのももちろん大切だが、この作品の面白さをもう一段深く理解するには、同名タイトルがほかの環境でどう扱われていたのか、そしてMSXという機種に乗ったことで何が変わったのかを見ていく必要がある。1980年代前半は、ひとつのゲームが単独の完成品として終わるよりも、複数の機種へ移植されることで少しずつ姿を変えながら広がっていく時代だった。そのため、同じタイトルであっても、遊ぶ環境によって印象がかなり変わることが珍しくなかった。 『スゥーワーサム』もその典型に近い作品で、もともとの発想や基本ルールは共通していても、搭載されるハードの性能、表示方法、音の出し方、操作デバイスの違いによって、実際のプレイ感覚は少しずつ変わってくる。特にこのゲームは、地下の迷路を進む緊張感や、敵の存在感、音声演出の印象が大きな比重を占めているため、機種差が単なる画面の違いだけに留まらない。 つまり本章で重要なのは、「MSX版が完全に別物だった」と断定することではない。そうではなく、同じ“スゥーワーサム”という骨格を持ちながら、それぞれの環境で何が強調され、何が弱まり、どの要素がその機種らしさとして残ったのかを見ていくことだ。そうすると、MSX版の特徴もより立体的に見えてくる。
● MSX版は“初期MSXらしい意欲作”として受け止めると特徴がつかみやすい
MSX版『スゥーワーサム』を他機種と比較するうえで、まず押さえておきたいのは、この作品がMSX初期に登場したソフトだという点である。MSXという規格そのものが、まだ「家庭用ゲーム機でもあり、パソコンでもある」という独特の立場を模索していた時代であり、各メーカーはその可能性を探るようにさまざまなジャンルのソフトを投入していた。そんな時期に出た『スゥーワーサム』は、単なる輸入移植というだけでなく、“MSXで何ができるか”を感じさせる見せ場を持った一本だった。 特にこの作品は、地下迷路アクションという比較的珍しい題材を採用しながら、視点表現や音の驚き、探索と迎撃を混ぜたルールをまとめており、MSX黎明期のソフトらしい“挑戦の匂い”が濃い。そのため、同じタイトルが他ハードにも存在するとしても、MSX版はMSX版で「この時代のMSXにこういうゲームがあった」という文脈込みで語られやすい。 つまりMSX版の価値は、単なる移植の出来不出来だけでは測れない。むしろ、MSXという新しい共通規格の上で、“変わった海外ゲームをどう日本の家庭へ持ち込んだか”という意味でも興味深い存在である。この視点を持つと、他機種との違いも単純な優劣ではなく、それぞれのハード文化の違いとして見えてくる。
● ほかの家庭用・パソコン版があっても、MSX版は“音の印象”で独自色を出しやすい
同名タイトルを別の環境で遊んだ場合と比べて、MSX版の独自色として特に語りやすいのが音の印象である。『スゥーワーサム』は内容そのものももちろん個性的だが、MSX版が印象に残りやすい理由として、音声らしき表現を含めた演出面の驚きが大きい。これは画面を見ただけでは分からず、実際に起動して体験してこそ伝わる部分であり、移植比較の話題でも自然と注目されやすい。 たとえ他機種版でも同じ基本構造を持っていたとしても、音の鳴り方や聞こえ方、プレイヤーが受ける驚きの種類は一致しない。MSX版では、当時の家庭環境で「ゲームがしゃべった」「いま何か声が出た」と感じる体験そのものが価値になっていた。そのため、同じゲームを別機種で触った人がMSX版を見たとき、まず違いとして受け取りやすいのは、グラフィックの精細さそのものより、むしろ体験の質感だった可能性が高い。 こうした差は、後年の機種比較でも面白いところである。完全に別物の移植というほどではなくても、音の存在によって“印象が変わる移植”になっている。MSX版の独自性は、その小さな差が実際の記憶にはかなり大きく響く点にある。
● 操作デバイスの違いは、ゲームの評価そのものにも影響しやすい
同名タイトルが異なるハードに移った場合、しばしば見落とされがちなのが操作デバイスの差である。『スゥーワーサム』のように、移動、位置取り、タイミングの見極めが重要なゲームでは、コントローラーの感触ひとつで遊びやすさの印象がかなり変わる。アクションゲームにおいて、ほんの少しの入力感覚の違いは、プレイヤーのストレスにも快感にも直結するからだ。 MSXは機種ごとに多少の個性がありつつも、基本的にはキーボードとジョイスティックの両方を意識したプラットフォームだった。この性質は、単純なゲーム機よりも柔軟さがある反面、遊ぶ環境によって手触りが変わる余地も生んでいた。もし同じ『スゥーワーサム』を別機種の専用コントローラーで遊んだ場合、敵との距離感や通路での微妙な位置調整のしやすさが変わり、それがそのまま「MSX版は少し重い」「別機種版の方がしっくりくる」といった印象差へつながることも考えられる。 つまり機種比較では、画面の見た目だけではなく、“そのゲームをどう操作したか”まで含めて考えるべきである。『スゥーワーサム』のような作品では、そこが思っている以上に大きい。MSX版が好きな人も、別環境のほうが合う人も、それぞれに理由が生まれやすいタイプのゲームだったと言える。
● グラフィック差以上に、“奥行きの感じ方”が機種で変わる可能性がある
『スゥーワーサム』は、単純な真横視点や真上視点のゲームではなく、地下通路を奥へ進んでいく感覚をある程度意識した見せ方をしている。ここがこの作品の独特な点であり、同時に機種差が印象へ出やすい部分でもある。たとえば、色の出方、スプライトの見え方、背景とのコントラスト、画面全体の安定感が少し変わるだけでも、プレイヤーが受け取る“地下の息苦しさ”や“奥行き感”は変わってくる。 MSX版はMSX版で、初期機種らしい制約の中で奥行きのある空気を出そうとしており、その点では十分に個性がある。ただ、もし同名タイトルがほかの家庭用機やパソコンで展開されていたなら、それぞれの表示能力に応じて、地下の印象がよりくっきりしたり、逆に簡略化されて見えたりする可能性がある。 ここで重要なのは、グラフィックが豪華なほうが必ず良いという単純な話ではないことだ。『スゥーワーサム』の場合、見やすさと不気味さのバランスが世界観の肝になるため、機種差によって“怖さ”が強まることもあれば、“味”が薄まることもありうる。つまり比較ポイントは、ドットの細かさではなく、地下という舞台をどれだけ感じられるかにあるのである。
● 同名タイトルにアーケード版の感覚を期待すると、MSX版は少し違う立ち位置に見える
この種の80年代作品を語るとき、しばしば話題になるのが「もしアーケード的な感覚を期待した場合どう見えるか」という問題である。たとえ同名のゲームがそのまま有名なアーケード作品だったわけではなくても、当時のプレイヤーはしばしば“ゲームセンター的な派手さ”を家庭用ソフトにも求めていた。そうした目で見ると、MSX版『スゥーワーサム』はやや異色である。 なぜならこの作品は、派手に敵を大量撃破して爽快感で押すタイプではなく、地下通路を一歩ずつ進みながら、状況判断と不安感を味わうゲームだからだ。つまりアーケードのスピード感や刺激をそのまま家庭へ持ち帰ったような作品ではなく、むしろ家庭でじっくり向き合うことで味が出るタイプのゲームと言える。 このため、もし同名タイトルの存在や雰囲気からアーケード寄りの派手さを想像すると、MSX版は少し地味に見えることがある。一方で、そのぶん独特の空気を持っており、“家庭用・パソコン用としての変わり種”として見た時には、むしろ印象が深まる。ここが、比較すると見えやすいMSX版の立ち位置である。
● 同じ作品でも、パソコン寄りに見るかゲーム機寄りに見るかで評価が変わる
『スゥーワーサム』のようなタイトルは、当時の“家庭用ゲーム機”と“家庭用パソコン”の境界線がまだ曖昧だったことをよく示している。MSXはその象徴的な存在で、ゲーム専用機のように気軽に遊べる一方、パソコンらしい拡張性や入力環境も併せ持っていた。だから同じソフトでも、見る側が「これはゲーム機的なアクションだ」と思うか、「これはパソコン上の少し実験的なゲームだ」と思うかで、評価の焦点が変わってくる。 ゲーム機的な目線では、もっと直感的で軽快な操作、もっと派手な見せ場、もっと明快な爽快感を求めたくなる。その場合、『スゥーワーサム』はやや渋く、癖のある作品に映るかもしれない。だが、パソコン文化の延長で見ると、独特の設定、視点の工夫、音声の驚き、少しひねった遊びの構造など、面白い挑戦が詰まった意欲作に見えてくる。 つまり本作は、単純に“どの機種版が一番良いか”を決めるタイプの比較よりも、“どの文化圏のゲームとして受け取るか”で印象が変わる作品なのである。MSX版が持つ不思議な魅力は、まさにその中間的な立場から生まれている。
● 海外由来の作品が日本のMSXへ来たことで、空気の受け止め方も少し変わった
同名タイトルの比較では、機種差だけでなく、地域や受け止め方の差も意外と大きい。もともと海外系の発想を持つ作品が日本のMSX市場へ入ってきた場合、プレイヤーはそれを完全に身近な国産ゲームとして受け取るわけではない。どこか“輸入物らしい変さ”や“日本の王道ゲームとは少し違う感触”を覚えることがある。 『スゥーワーサム』も、そうした意味で独特だった可能性が高い。日本のゲームらしい明快な可愛さや、王道ヒーロー感、派手な勧善懲悪の物語ではなく、少しズレた設定と不思議なテンポ感を持っているため、それがかえって“海外ゲームっぽい変な味”として受け止められやすい。MSX版は、その異国感を完全に消し去るのではなく、むしろMSX初期の雑多な魅力の中へうまく収めたような立ち位置にある。 このため、他機種版との違いを考える時も、単なる移植精度だけでなく、“日本のMSXユーザーがどう感じたか”まで含めると面白い。MSX版『スゥーワーサム』は、異色タイトルであると同時に、日本の初期MSX文化へ自然に溶け込んだ一本でもあったのである。
● 結局、MSX版の特徴は“最高の完成版”というより“MSXらしい顔を持った版”にある
『スゥーワーサム』の対応機種や同名タイトルによる違いを総合すると、MSX版は何かを圧倒的に上回る“決定版”として語るよりも、“MSXらしい個性をしっかり持った版”として捉えるのが最もしっくりくる。地下迷路アクションという骨格は共通でも、音の驚き、初期MSXらしい実験精神、家庭用パソコンとしての空気感が加わることで、MSX版には独自の輪郭が生まれている。 もし別機種版が存在したとして、それぞれに操作しやすさや表示の特徴、雰囲気の違いがあったとしても、MSX版には“1984年のMSXで遊ぶ『スゥーワーサム』”だからこその魅力がある。これは単に古いから貴重という意味ではない。その機種、その時代、その文化圏の中でこそ、この妙な地下アクションがちゃんと面白く見えた、という意味で価値があるのである。 だから比較の結論は、どれが絶対に上か下かではない。MSX版は、同名タイトルの中でも特に“MSX初期の面白さを映した顔”を持っている。そのこと自体が、この版を語る最大の意義だと言えるだろう。
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■ 当時の人気・評判・宣伝など
● 大ヒットの中心というより、“気になる変わり種”として市場に出てきた一本
1984年のMSX市場は、各社がまだ手探りでタイトルを並べていた時期であり、定番ジャンルの移植作から実験的な作品まで、かなり幅のあるソフトが混在していた。そんな中で『スゥーワーサム』は、誰もが一目で飛びつく王道タイトルというより、「何だこれは」と目を止めさせる異色作として並んでいたと考えるのが自然である。題材は下水道、目的は恋人のもとへ戻ること、しかもゲーム中には音声的な驚きまである。派手な有名キャラクターや大きなシリーズ名で押すタイプではないが、店頭や誌面でタイトルを見かけた時に、内容を少し知りたくなる引きは十分にあったはずだ。 つまり本作は、売れ線の中心ではなくても、“市場の中で目立つ一本”として存在していた可能性が高い。多くの人が絶対に買う本命ではなくても、ちょっと気になる、少し試したくなる、そんな立ち位置で店頭に並んでいたのだろう。
● 宣伝面で最も分かりやすい訴求点は、“しゃべるMSXゲーム”という新しさだった
当時の宣伝や紹介の文脈で、本作が最も強く訴求できた点は、内容の奇抜さだけではなく、やはり音声演出だったと考えられる。1984年のMSX市場において、“ゲームが声を発する”ことは、それだけで十分に新しさを感じさせる要素だった。 ただ地下迷宮アクションですと説明するより、「このゲームはしゃべる」というほうが、店頭でも雑誌でも遥かに伝わりやすい。実際、本作はトーキーズ・シリーズという形で売り出されており、そのこと自体が“音声による話題性”を強く意識した商品設計だったことを示している。 つまり当時の宣伝の核は、単なる内容紹介ではなく、“MSXでこんなことができる”という技術の見せ場にあったと見てよい。ゲーム内容と同じか、それ以上に、その驚きを売る作品だったのである。
● トーキーズ・シリーズ1という肩書きが、当時の売り出し方をよく物語っている
『スゥーワーサム』を少し特別な作品に見せていたのが、「トーキーズ・シリーズ1」という肩書きである。この呼び名は、単なる一本のアクションゲームではなく、“しゃべること”を特徴にした企画物として打ち出されていたことを感じさせる。 シリーズ第一弾という言い方には、それだけで華がある。プレイヤーから見れば、「これからこういう面白いものが続くのかもしれない」と思わせる効果もあったはずだ。そして結果的に、このシリーズ名ごと本作の印象に結びつき、後年まで『スゥーワーサム』を説明する言葉の一部として残ることになった。 つまり本作は、ただ市場に流れたソフトではなく、“目立たせるための名前”と“話題性のある売り”を与えられた商品だった。そのこと自体が、当時の宣伝の方向性をよく物語っている。
● 当時の人気は“爆発的”というより、“中堅以下だが印象が残る”位置だった可能性が高い
『スゥーワーサム』の当時の人気を考えると、圧倒的な上位人気を獲得したタイトルだったとは考えにくい。広く市場を席巻したというより、変わった一本として記憶に残った中堅クラスの作品だった可能性が高い。 これは決して価値が低いという意味ではない。むしろ、王道の中心ではなくても、はっきりした個性があったからこそ、後年になっても名前が残っているとも言える。大多数が買う看板タイトルではなかったかもしれないが、知っている人には強く印象に残るタイプの存在だったのだろう。 つまり本作の人気は、“広く浅く”ではなく、“狭くても濃く”だった可能性が高い。市場の主役ではなくても、変わり種としてしっかり目に留まる立場にいたのである。
● 価格設定を見ると、気軽な廉価ソフトではなく、ちゃんとした新作枠だった
『スゥーワーサム』は、決して投げ売り前提の安価な企画ソフトではなかった。1984年のMSX用新作として、きちんとした価格帯で市場へ投入されており、そのことからもメーカー側が本作を一本の商品としてしっかり押し出そうとしていたことが分かる。 つまり東芝EMIは、本作を単なる空き枠埋めではなく、“個性を持った新作”として扱っていたと考えられる。音声演出という売りがあり、異色の設定があり、しかもROM作品として商品価値を持たせていた。 このことは、本作が少なくとも発売時点では“面白いものとして売る意志”を持って送り出されたタイトルだったことを示している。価格や仕様を見ても、決して片手間の企画ではなく、それなりに期待をかけられた存在だったと言えるだろう。
● 当時のプレイヤー受けは、“すごい技術だ”と“ちょっと変なゲームだ”が同居していたはず
1984年当時のプレイヤー反応を想像するうえで重要なのは、この作品が純粋な爽快アクションとして売られたわけではなく、技術的な驚きと企画の奇抜さを同時に持っていたことだ。音声表現はたしかに新鮮で、店頭デモや誌面紹介で話題を呼びやすかっただろう。一方で、ゲームそのものは下水道を進む独特の構成で、派手に撃ちまくるタイトルでも、誰でも一瞬で理解できるテーブルゲームでもない。 このため、当時のプレイヤーの受け止め方も、「しゃべるのがすごい」「でも内容はかなり変わっている」という二重構造になっていた可能性が高い。つまり反応は単純な絶賛一本ではなく、驚き、戸惑い、好奇心、そして人を選ぶ面白さが混ざったものだっただろう。 そう考えると、本作が後年まで“妙に印象に残る”存在として語られていることも納得しやすい。発売当時から、“普通ではない一本”として受け止められていたからこそ、記憶に残り続けているのである。
● 東芝EMI作品の中でも、“初期らしい挑戦作”として見られやすかった
東芝EMIのMSXソフト群の中で見た時、『スゥーワーサム』はかなり変わった立ち位置の作品だったと考えられる。将棋や花札のような比較的分かりやすい題材も並ぶ中で、地下の下水道を舞台にし、音声まで押し出してくる本作は、明らかに挑戦色が強い。 そのため、本作は同社ラインナップの中でも“目立ちやすい一本”だっただろう。万人向けである必要はなくても、「東芝EMIのMSXソフトにこんな変わったものがある」という意味で印象を持たれやすい。 つまり『スゥーワーサム』は、東芝EMIの中で大黒柱のような存在ではなかったかもしれないが、初期MSXの実験精神をよく表した面白い商品だったと言える。
● 販売本数や大規模ヒット記録は見えにくいが、完全に埋もれた作品でもない
この作品については、現代まで明確な販売本数や大規模な成功を示す数字が広く伝わっているわけではない。そのため、国民的ヒットだったと断言することは難しい。だが一方で、本作は完全に埋もれたまま忘れられた作品でもない。 後年になっても回顧記事や中古市場、MSXファンの会話の中で名前が出てくるということは、発売当時の時点で“何かしらの印象”を残していた証拠でもある。売れた本数の多さではなく、記憶への残り方で存在感を示したタイプのタイトルなのである。 つまり『スゥーワーサム』は、大ヒットの王道ではないが、初期MSX市場の片隅にしっかり爪痕を残した作品だったと言えるだろう。
● 後年の見られ方そのものが、“当時そこそこ記憶に残った”ことの裏返しでもある
本作は現在、初期MSXの変わり種や音声対応ソフトを語る時にしばしば引き合いへ出される。それは単に珍しいだけではなく、発売当時の段階で“他と少し違う一本”として印象づけられていた可能性を示している。 もしまったく目立たなかった作品なら、後年までトーキーズ・シリーズや音声演出とセットで名前が残ることは少なかっただろう。つまり現在の評価や回顧のされ方そのものが、当時の段階で一定の話題性や引っかかりがあったことの裏返しでもある。 『スゥーワーサム』は、発売時に圧倒的な王者ではなかったとしても、“変なものが出たぞ”と人に思わせる力は十分に持っていた。その種の印象が、時間を超えて今まで残っているのである。
● 総合すると、当時の『スゥーワーサム』は“話題先行型の個性派タイトル”だった
総合的にまとめると、『スゥーワーサム』は1984年当時、MSX市場の主役級ベストセラーというより、“音声で目を引く個性派”“設定の妙で記憶に残る変わり種”として受け止められていた可能性が高い。価格やROM仕様を見るかぎり新作枠としてしっかり売られており、しかもトーキーズ・シリーズ1という名前まで与えられていたことから、メーカー側にも“目立たせたい”意図はあったと考えられる。 ただし、広く圧倒的な人気を得た看板級タイトルというよりは、好奇心を誘う中堅作、印象の濃い異色作、そして後年になって再評価されやすい初期MSXタイトル、というあたりに落ち着くのが自然だろう。 言い換えれば、当時から『スゥーワーサム』は“売れ線の王道”ではなく、“語りたくなる一本”だったのである。
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■ 総合的なまとめ
● 『スゥーワーサム』は、派手な大作ではなく“妙に忘れられない一本”である
『スゥーワーサム』という作品を最後にまとめるなら、まず最初に言っておきたいのは、このゲームは誰もが真っ先に思い浮かべる超有名作ではない、ということだ。1984年という時代には、もっと分かりやすく人気を集めたゲームもあったし、MSXという規格そのものも、まさに成長の途中にあった。そんな中で本作は、圧倒的な知名度や完成度の高さだけで勝負する作品ではなく、少し変わった設定、少し癖のある手触り、そして当時としては驚きのある演出によって、静かに印象を残したタイトルだった。 だからこそ、このゲームの価値は“何本売れたか”“どれほど世間を席巻したか”だけでは測りにくい。むしろ本作は、遊んだ人やあとから振り返った人が、「ああ、あの変わった地下迷宮のゲームか」と思い出したくなるような、不思議な残り方をする作品である。恋人に会いに行く途中でマンホールに落ち、下水道をさまよい、敵や潜水艦まで相手にしながら地上へ戻ろうとする――この筋立てだけでも、もう十分に変わっている。だが本作は、その変わった発想を単なるネタで終わらせず、きちんと遊べるゲームへ落とし込んでいた。 つまり『スゥーワーサム』は、超大作ではないが、確かな個性を持った一本である。大傑作として語られるというより、“味のある異色作”として語り継がれやすい。その立ち位置こそが、本作を本作らしくしている最大の特徴だと言っていいだろう。
● このゲームの魅力は、“地下に落ちた感じ”をちゃんと遊びに変えているところにある
本作の魅力を振り返ると、何よりもまず、舞台設定が実際の遊びへ直結しているところが大きい。ゲームの中には、設定だけ派手で中身が追いついていないものも少なくない。しかし『スゥーワーサム』の場合、下水道という舞台の閉鎖感、不気味さ、逃げ道の少なさ、どこから危険が来るか分からない空気が、そのままプレイの緊張感になっている。 地上の開けた場所ではなく、地下の暗い通路を進むからこそ、プレイヤーはただ点を稼ぐのではなく、“とにかく無事に切り抜けたい”という感情を自然に持つ。この感情が生まれること自体が、本作の大きな強みである。しかも、そこへ単なる逃走ではなく、敵への対応や進行判断、酸素の意識、そして終盤の潜水艦戦まで加わることで、ゲームはただの雰囲気重視作品では終わらない。 つまり本作は、“地下に落ちた”という発想をしっかりゲーム性へ変えているのである。雰囲気だけでもなく、アクションだけでもなく、その両方が結びついているからこそ、今見ても単なる珍品ではなく、一本のゲームとしての面白さが感じられる。これが『スゥーワーサム』の魅力の中核である。
● 良かったところは、発想・雰囲気・音声・挑戦心がきれいに重なっていること
ここまで見てきたように、本作の良かったところはひとつに絞れない。設定の面白さ、地下迷宮の空気感、探索とアクションの混ざり方、そして当時としてはかなり目を引いた音声演出と、印象に残るポイントが複数ある。しかもそれらがバラバラではなく、一本のゲームの中でまとまっているところに価値がある。 恋人に会いに行く途中で落下するという導入は、軽妙で分かりやすい。そこから先に待っている地下通路は、不気味さとユーモアが同居する独特の世界である。そして、その中を進みながら敵を避けたり撃ったりし、最後には潜水艦まで相手にする。さらに、プレイ中には“しゃべるゲーム”としての驚きまである。こうして並べてみると、かなり欲張った内容だが、本作はその欲張りさを時代の勢いとして成立させている。 特に1984年というタイミングを考えると、この“いろいろやってみよう”という空気自体が大きな魅力だ。当時のゲームは、まだ今ほど完成形が定まっていなかったぶん、作り手の挑戦が表に出やすかった。『スゥーワーサム』はまさにその時代らしい作品であり、少し不格好でも、何か新しいことをやろうとしている熱量が画面越しに伝わってくる。そこに好感を持つ人は多いだろう。
● 反面、短所もかなりはっきりしており、そこが評価を分ける
一方で、本作には明確な弱点もある。操作の癖、テンポのゆるさ、面白さが見えるまでに時間がかかること、そして初見では何が悪かったのか分かりにくい難しさ。こうした点は、今振り返っても短所として無視できない。 とくに、発想や設定に惹かれて遊び始めた人ほど、「思ったより気持ちよく動けない」「もう少し軽快に遊びたかった」と感じやすい可能性がある。つまり本作は、奇抜な題材から受ける期待と、実際の手触りとの間にやや差が生まれやすい。そのため、“好きな人には強く刺さるが、合わない人にはその前に離れられる”タイプのゲームになっている。 しかし興味深いのは、その短所の多くが長所の裏返しでもあることだ。慎重な進行が求められるからこそ地下の緊張感が出るし、少し癖があるからこそ慣れた時の手応えが大きい。つまり本作の欠点は、ただ未熟なだけではなく、“個性がそのまま引っかかりになっている”部分が多いのである。だから評価が真っ二つになりやすいし、同時に語る面白さも生まれる。そこがこのゲームの難しくも面白いところだ。
● 主人公サムを中心に、“役割の強いキャラクター”が作品の味を支えている
キャラクター面から振り返ると、本作は決して物語重視の作品ではないにもかかわらず、妙に印象へ残る存在が多い。主人公サムは、特別な英雄ではなく、たまたま地下へ落ちてしまった普通の若者として始まる。だが、その普通さがあるからこそ親しみやすく、危険の中でも前へ進む姿が応援したくなる。 恋人の存在も、出番の量以上に大きい。彼女がいるから、この冒険はただの脱出ではなく、“誰かのもとへ戻るための帰還”になる。さらに敵側も、クモやワニのような地下生物から潜水艦まで、どれも設定の妙を強く支える存在として記憶に残る。特に潜水艦は、敵というより“このゲームの変さを象徴する顔”に近い。 つまり『スゥーワーサム』におけるキャラクターの魅力は、細かな人物描写よりも、“その存在が作品へどんな味を足しているか”にある。サムは身近さ、恋人は目的の温度、敵たちは地下世界の奇妙さと危険さをそれぞれ担っている。この役割の強さが、キャラクターの少なさを逆に長所へ変えているのである。
● MSX版として見た時、本作は“初期MSXらしい実験精神”の濃い一本だった
『スゥーワーサム』の価値は、内容そのものだけでなく、MSXというハードの上で出たことにもある。MSXは当時、家庭用ゲーム機と家庭用パソコンの中間にあるような独特の存在で、ゲームの表現もまだ定まり切っていなかった。だからこそ、こうした少し変わった海外系アクションが移植され、音声演出のような新しさまで加えられた時、その一本が持つ意味はかなり大きかった。 本作は、MSXを代表する王道の大ヒット作とは言いにくい。だが、初期MSXの空気を語るうえで非常に面白い一本であることは間違いない。新しい規格の上で、どこまで変わったことができるか、どこまで家庭で驚きを作れるかを試していた時代のソフトとして、本作はとても象徴的だ。 言い換えれば、『スゥーワーサム』は“最高の完成版MSXゲーム”というより、“MSX初期の自由さと雑多さがよく出たゲーム”である。その意味で、単なる珍作ではなく、ハードの歴史を感じさせる存在になっている。MSXを深く知りたい人ほど、こうした作品に面白さを見いだしやすいだろう。
● 当時の人気は中堅クラスでも、後年まで名前が残っていること自体が価値である
発売当時の人気を考えると、本作は圧倒的人気で市場を席巻したタイトルだったとは言いにくい。看板級の王道作のように、誰もが知っていて当然という位置ではなかったはずだ。それでも、このゲームは今になっても名前が拾われ、音声対応の初期作やトーキーズ・シリーズの第一弾として思い出されている。 これは非常に重要なことだ。ゲームの中には、発売当時それなりに売れても後年にはすっかり忘れ去られるものも多い。しかし『スゥーワーサム』は、巨大なヒットではなくても、その個性によって長く記憶に残った。つまり人気の質が“広く浅く”ではなく、“狭くても濃く”だったと言える。 そしてこの“後から語りたくなる”性質こそが、本作の本当の強みかもしれない。店頭でのインパクト、音声の驚き、地下迷宮という珍しい題材、少し人を選ぶが確かな手触り。こうした要素が組み合わさって、作品は単なる商品以上の存在になった。長く名前が残るゲームには、やはりそれだけの理由があるのである。
● レトロゲームとして見ると、“粗さ”さえ含めて味になるタイプの作品だと言える
現代の視点で『スゥーワーサム』を見ると、当然ながら古さはある。操作は軽快ではないし、説明は親切とは言いにくく、テンポも今の標準からすれば遅めだ。しかし、それらの欠点をただの不便として切り捨てるか、時代の手触りとして受け止めるかで、本作の評価は大きく変わる。 レトロゲームが好きな人にとっては、こうした粗さもまた魅力の一部である。未完成だからこそ面白い、整いすぎていないからこそ時代の熱気が見える、という感覚がある。本作もまさにそのタイプで、完成されすぎていないからこそ、作り手の発想や当時の空気が生々しく残っている。 だから『スゥーワーサム』は、単純に現代の基準だけで“良い・悪い”を決めるよりも、1984年という時間の中に戻って眺めることで真価が見えやすい作品だ。そこまで含めて楽しめる人には、かなり魅力的な一本になるだろう。
● 総合評価としては、“万人向けの名作”ではなく“知るほど面白い異色作”という結論になる
最終的に『スゥーワーサム』をどう位置づけるかといえば、この作品は万人向けの無条件な名作ではない。誰にでも勧めやすいわけではないし、遊びやすさだけを求めるなら、もっと素直なゲームもあるだろう。だがその一方で、本作にはほかの作品にはない独特の顔つきがあり、その顔つきこそが最大の魅力になっている。 地下下水道という舞台、恋人のもとへ戻るという目標、敵や潜水艦が待ち受ける奇妙な展開、MSX初期ならではの音声演出、そして少し癖のある攻略感。これらすべてが合わさることで、『スゥーワーサム』は“ありそうでなかった一本”になっている。 つまり総合評価としては、“最初から完璧に愛される名作”ではなく、“知れば知るほど面白くなる異色作”という言い方が最もふさわしい。表面だけ見れば変なゲーム、少し触れれば癖のあるゲーム、だがきちんと向き合うと、1984年のMSXが持っていた自由さ、実験精神、遊び心がしっかり詰まっていることが見えてくる。そういう意味で『スゥーワーサム』は、単なる古いゲームではなく、時代の面白さをまるごと閉じ込めた一本だと言っていいだろう。
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評価 4






























