偉大なるコナミのMSXゲーム伝説 週刊アスキー・ワンテーマ【電子書籍】[ MSXアソシエーション ]




評価 5【発売】:コナミ
【対応パソコン】:MSX2
【発売日】:1986年12月
【ジャンル】:アクションロールプレイングゲーム
■ 概要
● 作品の立ち位置:映画題材×コナミ流アクションRPG
『キングコング2 甦る伝説』は、MSX2向けにコナミが用意した“探索と成長”タイプのアクションRPGで、同じ題材を扱った別機種版(よりアクション寄りの家庭用版)とは遊び味がかなり違う、もう一つの「キングコング2」として語られやすい作品だ。発売時期は資料により表記の揺れがありつつ、1986年12月下旬に出たとされるのが一般的で、年をまたいだ流通や記録の都合で1987年発売として扱われることもある。 題材は当時の映画(日本での題名が「キングコング2」として流通した作品)に寄せつつも、ゲームは“映画の筋をなぞるだけ”では終わらず、島の伝承や遺跡、呪文や異形の敵といった冒険譚の要素を厚めに盛り、プレイヤーが自分の足で情報を集めて進める「島探索のサバイバル感」に重心を置いている。
● 導入のドラマ:眠り続けるキングコングと“もう一頭”の伝説
ゲームの出発点は、巨大な類人猿キングコングが瀕死に近い状態で横たわり、医療チームが蘇生に挑む――という緊迫した状況だ。けれど、手術を成立させるには“輸血に足る存在”が必要で、その鍵として南海の孤島に伝わる「第二のコング」の伝説が浮上する。そこで主人公ハンク(表記は資料によりミッチェル/ミトチェル等の揺れがある)が、単身で島へ渡り、レディ・コングを探し出して連れ帰る使命を帯びる。 この導入が上手いのは、最初から「最終目的(レディ・コングの発見)」が明快で、同時に“どこにいるか、どう近づくか”が一切わからない状態に放り出されるところだ。プレイヤーは、派手なオープニングより先に、島の空気・手探り感・不穏さを、地道な探索の積み重ねで体感していくことになる。
● ゲームの骨格:画面切り替え型フィールドを渡り、遺跡を暴く
基本は画面切り替えでつながる広いマップを移動し、敵とリアルタイムで渡り合いながら経験値や資金を稼ぎ、村や建物で情報を集め、必要な道具や武器を整え、さらに奥地へ踏み込む流れになる。道が最初から全部開いているわけではなく、要所で“突破のトリガー”が用意されていて、重要な敵を倒したり、特定の手順を踏んだりすることで、閉ざされていた進路がほどけていく。広いのに迷路ではなく、「詰まりの原因」がだいたい“何か足りない”に集約される設計なので、情報収集→探索→獲得→開通、という冒険の基本循環が回りやすい。 さらに島の生活感を支える要素として、原住民の村のような拠点があり、休息や補給が“ただのメニュー画面”ではなく場所として存在しているのも特徴。MSX2の当時感としては、RPGの手触りをアクションに接ぎ木しながら、拠点・フィールド・ダンジョンを行き来させることで「旅をしている」感覚を作ろうとしているタイプだ。
● 成長と資源の見える化:DAYS/LIFE/EXP/LEVEL/MP/GOLD
画面の一角にステータス枠が常に表示され、プレイ中に意識すべき資源が“目に見える形”で並ぶ。LIFE(体力)が尽きれば倒れ、EXPを積めばLEVELが上がり、MPがあれば魔法的な手段を使える。そしてGOLDは装備や補給の現実的な支えになる。加えて特徴的なのがDAYS(経過日数)で、単なる飾りではなく、プレイの進め方が結末に影響する“時間の物差し”として働く。 この作りの面白いところは、アクションRPGでありがちな「強くなれば勝ち」だけに寄らず、日数(=寄り道やリトライの量)とクリアの質が結びつくため、探索の慎重さとテンポの良さが同時に問われる点だ。慎重に情報を集めるほど安全にはなるが、のんびりしすぎると“結果の格付け”が渋くなる。逆に急げばいいかというと、装備や魔法の整備が追いつかず事故りやすい。ここに、この作品ならではの緊張感が生まれる。
● アイテム運用のキモ:SHOT1/SHOT2の2枠を切り替えて戦う
本作では、使える道具が多いだけでなく、「持っている」だけでは力にならない。Fキー操作などでセレクト画面を開き、SHOT1とSHOT2に“いま使う道具”を割り当て、状況に応じて切り替えながら進むことになる。武器(近接・飛び道具系の扱いを含む)も、呪文の媒体のようなものも、探索用のキーアイテムも、同じ“手札”として並び、何を枠に入れるかが実質的な作戦になる。入手できるアイテムは35種類とされ、序盤は貧弱でも、探索が進むにつれて“できること”が段階的に増えていく。 この2枠制が効いているのは、戦闘の最中に「装備を整える余裕」がない場面が出てくるからだ。島の奥地では敵が強くなり、逃げ道が少ない地形も増える。そこでSHOT1を攻撃の主軸、SHOT2を突破・補助(状態異常や地形干渉など)にしておくと、探索のテンポが崩れにくい。逆に“便利枠”を欲張りすぎると、肝心の火力が足りず消耗する。小さなUIの制約が、そのまま冒険の手触りに変換されている。
● 呪文と仕掛け:島の謎をほどく「てむさ」のような“現象系”
本作の魔法(呪文)は、単に敵を倒すためだけでなく、島の仕掛けを動かす“世界への干渉”として扱われるのがポイントだ。代表例として、祈祷師のような人物から得られる呪文を使うと、石の建造物が消えたり、隠されていた入口が現れたりして、探索ルートそのものが更新される。つまり呪文は「強さ」ではなく「行ける場所」を増やす鍵にもなり、RPGらしいメトロイドヴァニア的(能力獲得で地形が解けていく)快感を作っている。 このタイプの設計は、当時のアクションRPG文脈だと“ゼルダ的”な手触りと相性が良い一方で、本作は主人公がキングコングではなく人間で、しかも医療チームの依頼という現実的な枠を背負っているため、呪文が万能のファンタジーになりすぎない。あくまで「島の伝承に沿った手段」を積み上げていく感覚が残り、探索の説得力に繋がっている。
● 失敗しても続く、ただし“結果”は残る:コンティニューとエンディング分岐
LIFEが尽きればゲームオーバーだが、コンティニューで再挑戦でき、当時としては遊び直しやすい作りになっている。ただし、何度でも続けられる“優しさ”がある代わりに、その積み重ねが完全に無かったことにはならない。コンティニュー回数やDAYSなどの条件が、終盤の結末を変え、エンディングが複数に分岐する仕組みが語られている。うまく立ち回り、日数や消耗を抑えられればより良い結末へ、逆に手間取りすぎれば渋い結末へ――という具合に、冒険の質が“物語の結果”に接続される。 ここが面白いのは、「ゲームが下手だと即バッドエンド」という単純な罰ではなく、探索重視で安全に進んだ人でも、時間をかけすぎれば結果が変わり得る点だ。つまり上達の方向性が一つではない。敵を避ける技術、地形を読む技術、情報を整理する技術、装備を整える順番のセンス――それらが複合して、最終的な“到達点”を押し上げる構造になっている。
● “セーブがない”時代の工夫:別ソフト連動という変化球
現代の感覚だと驚くが、本作は標準の形ではセーブ機能が前提になっておらず、長丁場を一気に走る設計になりやすい。ところが後年のプレイヤーの検証やガイドでは、別のコナミ作品(『火の鳥』系タイトル)を併用し、スロット構成を工夫することで、テープへのセーブ/ロードが可能になる手段が知られている。これは“ソフトをまたいだ仕掛け”として、MSXという規格と当時のコナミの遊び心が交差したような独特の文化圏を感じさせる要素だ。
■■■■ ゲームの魅力とは?
● 「映画の出来事」ではなく「島の探検記」になっている面白さ
本作の魅力をひと言でまとめるなら、“キングコングの物語を追体験する”というより、“キングコングを救うために島へ放り込まれた一人の人間が、伝承と危険だらけの未知の土地で生き延びる”感覚を味わえるところにある。導入では目的がはっきりしているのに、道筋は一切示してくれない。最初は装備も乏しく、島の常識もわからない。だからこそ、建物に入って話を聞き、村を見つけ、武器を買い、危険地帯を少しずつ切り崩していく一連の流れが「自分の判断で切り開いている」手触りに変わる。映画題材のゲームは“知っているストーリーを確認する”遊びになりがちだが、これは逆で、知っている題材を借りながら、ゲームとしての未知と緊張を優先して組み上げている。その結果、題材に詳しくなくても「探索型アクションRPG」として成立し、題材を知っている人には“こう来たか”という脚色が楽しめる二段構えになっている。
● 画面切り替えマップの“広さ”と“手作り感”が両立している
フィールドは画面切り替えで繋がっていくタイプだが、ただ広いだけではなく「ここは何かある」「この先は今は無理そう」「村に戻って準備しよう」といった判断が自然に生まれる配置になっているのが気持ちいい。敵の強さの段階、地形のいやらしさ、建物や遺跡の置かれ方が、プレイヤーの学習に合わせて少しずつ変化していくため、単なる迷子ゲーではなく“踏み込みの順番”を自分で作る冒険になる。行けそうで行けない場所が目に入ることで、「何か手段があるはずだ」と考える癖がつき、その癖が呪文やアイテム獲得の瞬間に一気に報われる。島を俯瞰できる地図がなくても、往復の中で頭の中にルートが刻まれていく設計は、当時のMSX2アクションRPGらしい醍醐味だ。
● “手札”を2枠に絞ることで生まれる、戦闘と探索の駆け引き
本作は道具の数が多い一方で、実際に即応できるのはSHOT1とSHOT2の2枠に入れたものだけ、という制約がある。この制約が逆に面白さを生む。例えば、強い武器を入れておけば戦闘は安定するが、探索用の道具や緊急回避用の手段を外すと、遺跡の仕掛けや地形に詰まった瞬間に苦しくなる。逆に便利道具を詰めると、今度は火力不足で消耗が増える。つまり「今日は奥地に行く日だから攻撃寄り」「今は探索が目的だから仕掛け対応寄り」といった“準備の思想”がプレイに滲む。単に反射神経だけではなく、島へ出る前の選択がそのまま生存率に繋がるところが、アクションとRPGのいい混ざり方になっている。
● 呪文が“攻撃手段”で終わらず、島そのものを動かすギミックになっている
魔法(呪文)の扱いが、このゲームを「単なるアクションRPG」から一段引き上げている。敵を眠らせる、危険を回避する、といった戦闘寄りの使い道だけではなく、特定の呪文によって障害物が消えたり、隠された入口が現れたりして、探索ルートが更新される。ここが気持ちいいのは、呪文の入手が“数値の強化”ではなく“世界の読み替え”に直結するからだ。今までただの壁だと思っていた場所が、呪文を得た瞬間に「ここが入口だったのか」と意味を持ちはじめる。島の伝承・祈祷師・遺跡の存在が、単なる雰囲気ではなくルールとして機能してくるので、物語とシステムが噛み合っている感覚が強い。
● DAYSと複数エンディングが作る「旅の質」の評価
この作品は、最後に目的を達成できれば終わりではなく、そこへ辿り着くまでの“過ごし方”が結果に影響する作りが魅力になっている。DAYS(経過日数)やコンティニュー回数のような要素があることで、プレイヤーは常に二つの気持ちの間で揺れる。「安全に進みたいから稼ぎたい、でも寄り道しすぎると結果が悪くなるかもしれない」。このジレンマが、探索の一歩一歩に緊張感を与える。上手い人はルートを洗練させて日数と消耗を抑え、慣れていない人は慎重に進めて確実に前進する。それでも“どちらも正しい”のがいい。アクションの腕前だけでなく、情報整理、準備、撤退判断、危険地帯の抜け方といった総合力が「良い結末」に結びつくから、プレイの上達がそのままリプレイ動機になる。
● 拠点の存在が“島で暮らしている感”を生む
村や建物の役割が単なるショップではなく、島に人が暮らしている空気を作っている点も魅力だ。食事や宿といった休息の手段が「メニューで回復」ではなく「場所に戻る」行為として挟まることで、冒険のテンポに呼吸が生まれる。危険地帯で削られて拠点へ戻る道中は、それ自体が小さなサバイバルになり、帰還できた時の安堵が強い。こうした“往復の感情”が、画面切り替え型のシンプルな構造にドラマを与えている。探索ゲームでよくある「遠いほど得をする」だけではなく、「遠いほど緊張が増す」になっているのが良い。
● MSX2世代らしい操作感と、コナミ作品らしい“分かりやすい遊び心”
MSX2のゲームは、キーボード操作やファンクションキーの扱いなど、いまのゲームより“機械を扱っている感”が強い。その感覚が本作ではむしろ相性がいい。SHOT枠の切り替えやアイテム設定が「自分で操作して整える」行為として存在するため、冒険の準備が“儀式”になる。加えてコナミ作品らしく、数値表示が整理され、何が足りないのかが把握しやすい。難しさはあるが、理不尽というより「やり方を覚えると楽になる」タイプの壁が多いので、慣れてくるほどテンポが上がり、島が狭く感じるようになる。この感覚の変化が、成長の手触りとして強く残る。
● “一回きり”で終わらない:自分の冒険を磨けるリプレイ性
分岐エンディングがあるだけでなく、そもそもこのゲームは「次はもっと上手くやれる」と思わせる要素が多い。どの順で装備を整えるか、どの敵を早めに倒すか、どの段階で奥地へ挑むか、呪文をいつ運用に組み込むか。初回は“生きるだけで精一杯”でも、二回目以降は島の地形が頭に入り、危険地帯の抜け方が洗練され、無駄な往復が減っていく。その結果、DAYSや消耗が自然に改善され、結末の変化が“腕前の証明”として返ってくる。昔のゲームにありがちな「同じことの繰り返し」ではなく、「同じ島を、違う精度で踏破する」遊びになっているのが、本作の大きな魅力だ。
■■■■ ゲームの攻略など
● まず押さえる前提:この作品は「迷いながら強くなる」ゲーム
『キングコング2 甦る伝説』の攻略を考えるとき、最初に意識したいのは「正解ルートを一直線に走る」よりも、「情報と手札を増やして、危険地帯を安全地帯に変える」タイプの作りだという点だ。序盤はとくに、武器も体力も心許なく、敵に囲まれたり、逃げ場のない地形に追い込まれたりすると簡単に崩れる。だから最初の目標は、島の中心にいきなり踏み込むことではなく、“拠点(村・建物)を見つけて生活基盤を整えること”になる。ここを丁寧にやるほど、後半の進行が驚くほど滑らかになる。
● 序盤の定石:建物に入って「話す」「買う」「覚える」を優先
ゲーム開始直後は、戦って稼ぐより先に、建物に出入りして情報を拾うのが強い。島のどこに何があるか、危険地帯はどこか、何を持っていれば進めるのか、といった“攻略の骨”は会話の中に散っている。次に大事なのが、最低限の武器と回復・補助の手段を整えること。序盤は敵を倒す効率が低いので、無理に奥へ行って大損するより、手前の安全圏を往復して資金と経験値を安定させた方が結果的に早い。ここで覚えたい感覚は、「一歩進んで危なければ一歩戻る」を躊躇しないこと。戻る判断が早い人ほど、DAYSやコンティニューの消耗を抑えやすい。
● SHOT1/SHOT2の組み方:攻撃枠と“突破枠”を分ける
このゲームはアイテムが多い一方、即応できる枠が2つに絞られている。攻略のコツは、SHOT1を“主力攻撃”に固定し、SHOT2を“状況対応(補助・探索)”にして運用することだ。SHOT1まで頻繁に入れ替えると、戦闘が不安定になり、被弾が増えて結局ロスが膨らむ。SHOT2だけを場面で切り替えるようにすると、戦闘のリズムが崩れにくい。探索を優先する時間帯はSHOT2を鍵系・呪文系に寄せ、危険地帯を抜ける時間帯はSHOT2を足止め・回避寄りにする、といった“その日の目的に合わせた準備”が、そのまま攻略速度に直結する。
● 稼ぎの作法:安全圏で「回れる周回」を作ってから奥地へ
効率よく強くなるには、敵の密度と地形を見て“回れる周回”を見つけるのが一番だ。理想は、拠点に近く、敵の数が適度で、逃げ道が複数ある場所。そこで経験値と資金を稼ぎ、装備や消耗品を更新してから、次の危険地帯へ移る。奥地で稼ごうとすると、敵が強いだけでなく地形がいやらしく、倒されてコンティニューが増える→結果が悪化する、という悪循環に入りやすい。稼ぎは“安全なところでまとめて”、突破は“準備ができたら一気に”が基本。加えて、稼ぎの最中は「欲張ってもう1体」をやりがちなので、LIFEが半分を切ったら帰る、MPが尽きそうなら戻る、といった撤退ラインを先に決めておくと事故が激減する。
● 呪文(MP)の考え方:攻撃に使うより「被害を減らす」ために使う
呪文を手に入れると気持ちよくて、つい攻撃や派手な使い方に寄せたくなるが、このゲームで強いのは“戦闘時間を短くする”より“戦闘そのものを安全にする”運用だ。たとえば、足止めや状態異常で敵の行動を鈍らせ、狭い地形から抜けるために使う。あるいは、どうしても突破したい場所だけMPを惜しまず使い、普段の雑魚戦は武器で丁寧に処理する。MPは宿などで回復しやすい局面もあるが、いつでも満タンとは限らない。だから「MPを温存する」ではなく、「MPを使う場面を決める」が攻略の要点になる。特に逃げ場のない場所では、MPをケチった一回の被弾が、その後の立て直し(帰還・回復)で大きな時間損失を生むので、結果としてDAYSを悪化させることがある。
● “道が開く”瞬間を逃さない:重要敵・仕掛け・入口の見分け方
中盤以降で詰まりやすいのは、「どこかに行けるはずなのに行けない」状態だ。ここで役立つのが、(1)地形に不自然な“塞がれ方”がある場所、(2)石造りの建造物や遺跡っぽいオブジェ、(3)強めの敵が配置されている区画、の3点を“要注意エリア”として覚えること。多くの場合、呪文やキーアイテムが揃うと、そういう場所が入口になったり、障害物が消えたりして進路が更新される。いちど怪しい場所を見つけたら、すぐ突破できなくてもメモ感覚で頭に残しておき、新しい呪文や道具を得たタイミングで再訪する。この“チェックリスト”の運用ができると、迷いが減って進行が安定する。
● レディ・コング到達までの流れ:目的は「出会う条件」を満たすこと
終盤に向かうほど、敵が強いだけでなく「会えば終わり」ではなく「会うための条件」を満たす必要が出てくるのが、このゲームのいやらしいところであり面白いところでもある。つまり、探索の最終形は“場所探し”ではなく“条件構築”になる。鍵になるのは特定の道具(キーアイテム)で、これを持たずに探しても徒労に終わりやすい。攻略上は、終盤に入ったら「自分はいま何を持っていて、何が足りないか」を棚卸しし、会話情報や怪しいエリアの再訪で不足を埋めていくのが王道だ。ここで焦って奥地を力押しするとコンティニューが増えやすいので、最後ほど丁寧に。
● 難易度を下げる“立ち回り”小技:地形を味方につける
反射神経だけで押すより、地形の理解で一気に楽になる場面が多い。狭い通路では敵を引きつけてから処理し、広い場所では無理に戦わず距離を取って仕切り直す。画面切り替えがあるゲームなので、危険な状況になったら切り替え境界を利用してリセット気味に立て直す、といった安全策も有効だ。重要なのは、“勝つ”より“減らさない”発想。被弾を減らせば回復に戻る回数が減り、結果としてDAYSやコンティニューの条件が改善しやすくなる。
● エンディングを意識した攻略:コンティニューと日数を「削らない設計」にする
結末が複数あるゲームでは、上達の指標が「クリアした」だけで終わらない。良い結末を狙うなら、(1)危険地帯の突入前に装備を更新して事故を減らす、(2)稼ぎは安全圏で済ませて奥地の滞在時間を短くする、(3)詰まったら無理せず情報集めに戻る、の3つが効く。逆に言うと、コンティニューの増加や日数の悪化は、だいたい“無理をしたサイン”だ。負け癖がついたら、いったん稼ぎに戻って仕切り直すだけで、後半の難所が驚くほど簡単になることがある。
● いわゆる“裏技”について:確実に役立つのは「知識の裏技」
特定のコマンド入力や隠しコードのようなものは、資料や環境差で再現性が揺れやすいので、ここでは万人に効く“知識の裏技”に寄せておく。すなわち、怪しい石造物や行き止まりの配置を覚えておくこと、呪文やキーアイテム入手後に“前に行けなかった場所”を必ず再点検すること、そしてSHOT1/SHOT2の役割分担を崩さないこと。この3つは、当時の探索型アクションRPG全般に通じるが、本作では特に効きが大きい。プレイヤーの頭の中に「島の地図」と「解除条件のリスト」が育つほど、難易度が体感で一段ずつ下がっていく。
● 長丁場対策:一気に進める日と、準備だけする日を分ける
セーブ事情やプレイ環境の都合も含め、長時間になりがちな作品だからこそ、攻略上は“今日はここまで進める日”“今日は稼ぎと情報整理だけの日”と目的を分けると崩れにくい。進める日に無理をしないために、準備日に装備更新と稼ぎを済ませておく。結果として突入の成功率が上がり、コンティニューや日数の悪化も抑えられる。昔のゲームは、気合で突っ走るより、作戦で短くする方が上手くいくことが多い。本作もまさにそのタイプだ。
■■■■ 感想や評判
● 当時の受け止められ方:「映画ゲー」らしからぬ“冒険寄り”が目立った
本作の評判でまず語られやすいのは、題材が映画でありながら、プレイ感が「映画の名場面を追うゲーム」より「島を攻略していく探索型アクションRPG」に寄っている、という点だ。キングコングという大看板を期待して手に取った人ほど、最初は意外に感じやすい。主人公は怪獣ではなく人間で、やることも巨大な敵をぶん殴って派手に暴れるというより、危険地帯を避けつつ装備と情報を整えていく“生存の段取り”が中心になるからだ。 一方で、この“肩透かし”がそのまま魅力にも変わった。MSX2で遊ぶ層は、操作に慣れるまでの癖や、試行錯誤そのものを楽しむ人が多く、そういう人から見ると、島の空気や、遺跡を探してルートを開けていく手触りは「題材以上にゲームとして面白い」と評価されやすかった。つまり、題材を入口にしつつ、中身で評価されるタイプの作品として記憶されやすい。
● 好意的な感想:探索の密度と“自分で解いている感”が強い
ポジティブな感想で多いのは、「あれこれ試すほど島の理解が深まり、進めるようになるのが気持ちいい」というものだ。画面切り替え型のフィールドは一見すると単純なのに、敵の強さや地形の圧、建物や村の配置が、プレイヤーの学習に合わせて段階的に効いてくる。序盤は“何も分からない”状態から始まるぶん、初めて安全な拠点を見つけたとき、初めて装備が更新されたとき、初めて奥地の入口をこじ開けたときの達成感が大きい。 また、呪文やキーアイテムが「数値の強化」で終わらず、「世界の見え方を変える」役割を持っている点も好意的に語られる。最初はただの障害物に見えた場所が、ある呪文や道具を得た瞬間に“入口”へと意味を変える。こうした“理解が進むほど景色が変わる”設計が、思い出補正ではなく体験として残りやすく、「攻略本なしでも、時間をかければ自力で辿り着ける」タイプの手応えとして評価されることが多い。
● 好意的な感想:2枠運用が生む「準備の面白さ」と緊張感
SHOT1/SHOT2の2枠に装備を割り当てて戦う方式は、人によって評価が分かれるが、好きな人には強く刺さる。理由はシンプルで、「持ち物は多いのに、即応できるのは限られる」という制約が、冒険の緊張感そのものになるからだ。 今日は探索が目的なのか、突破が目的なのか。奥地へ行くのか、稼ぐのか。目的が変われば、持ち出す手札も変わる。いわば“装備構成がその日の作戦”になり、結果が良くても悪くても「自分の選択の結果」として納得しやすい。アクションの腕前だけでなく、準備や撤退判断が上達の軸になる点が、このゲームを“じっくり型”の作品として印象づけている。
● 好意的な感想:MSX2らしい手触りと、音・画の雰囲気づくり
MSX2世代のゲームは、現代の作品より“機械を扱っている感”が濃く、キー操作や画面の切り替えも含めて独特のテンポがある。本作はそこがマイナスになりにくい。むしろ「未知の島で手探りしている」というテーマと、硬質な操作感が噛み合って、冒険の孤独さや緊張を引き立てる。 音や絵についても、超大作の映画の派手さをそのまま再現するというより、島の不穏さや遺跡の冷たさ、敵が潜む気配を“それらしく”まとめている点が好まれやすい。とくに“長時間プレイしているうちに、環境音楽のように耳に残る”タイプの評価が出やすく、ゲーム体験としての一体感が思い出に残る。
● 否定的な感想:難易度と“戻りの手間”が人を選ぶ
一方で、ネガティブな意見として目立つのは、難易度の高さと、失敗したときの戻りの手間だ。敵が強いというより、地形と配置が意地悪に感じる局面があり、狭い場所での被弾が連鎖して一気に崩れることがある。さらに、回復や補給のために拠点へ戻る必要があるため、事故が起きると「倒される→戻る→準備し直す→再挑戦」という往復が発生し、そこでテンポが悪く感じられる人もいる。 ただ、この点は“攻略の上達で軽くなる”性質もある。慣れないうちは手間に感じても、危険地帯の抜け方や撤退ラインが分かってくると、往復が減ってテンポが改善する。つまり、最初の壁を越えられるかどうかで評価が割れやすい作品だと言える。
● 否定的な感想:長丁場になりやすく、環境によっては遊びづらい
もう一つの不満点として語られやすいのが、プレイが長丁場になりやすいことだ。探索と育成が中心のため、腰を据えて遊ばないと進捗が作りにくい。さらに当時の環境事情も絡み、セーブ周りが十分ではないと感じる人もいた。これが「時間が取れないと進めづらい」「同じ場所を何度もやり直すのがしんどい」といった不満につながりやすい。 逆に言えば、長丁場だからこそ“島の生活感”が出るとも言えるのだが、そこを魅力と見るか負担と見るかで、感想がきれいに二分される。
● 評判を押し上げたポイント:エンディング分岐が「上達の証明」になる
評価を語るうえで外せないのが、エンディングの分岐が“プレイの質”と結びついている点だ。良い結末へ行けた人は「自分の冒険がうまく噛み合った」手応えを強く持てるし、そうでなかった人も「次はもっと無駄を減らしてみよう」という再挑戦の動機が生まれる。 この仕組みは、単なるご褒美というより、プレイスタイルの反省点を浮かび上がらせる装置になっている。うまく進めたときは、戦闘の腕だけでなく、準備・撤退・情報整理・ルート設計まで含めた総合力が上がっている実感がある。結果として、攻略が進むほど面白さが増していくタイプの作品として語られやすい。
● まとめ:刺さる人には深いが、入口のハードルが高い“通好み”
総合すると、本作の感想や評判は「通好み」「探索好き向け」という言葉に集約されやすい。題材だけで期待すると印象がズレるが、アクションRPGとして向き合うと、試行錯誤の面白さ、島の空気、呪文と仕掛けの連動、装備2枠の作戦性といった要素が噛み合い、深く楽しめる。 反面、最初の難しさ、戻りの手間、長丁場になりやすい点は確実に人を選ぶ。だからこそ「昔遊んだ人の記憶に残る」タイプの作品になりやすく、語る人が語るほど熱が乗る。一度ハマった人にとっては、キングコング題材を越えて“MSX2探索アクションRPGの一作”として、独特の存在感を持ち続けるタイトルだ。
■■■■ 良かったところ
● “島の空気”が最初から最後まで途切れない:探索ゲームとしての没入感
本作を遊んだ人が「良かった」と語るとき、かなりの確率で出てくるのが“島にいる感覚”の強さだ。画面切り替え型の構造は、いまの目で見ると素朴に見えるのに、実際に遊ぶと「次の画面に入るのが少し怖い」「この地形の先には何かあるはず」といった気持ちが自然に湧く。村や建物を見つけてほっとしたり、奥地に入った瞬間に敵の圧が増して背筋が伸びたり、進行に合わせて緊張と安堵が交互に来る。この感情の波が“ゲームの都合”ではなく“旅の体験”として残るのが、探索型アクションRPGとしての大きな長所だ。 また、題材が映画であることも、雰囲気づくりの助けになっている。巨大な存在を救うために島へ向かう、という目的自体がシリアスで、プレイヤーの行動に自然な重みを与える。だから「何となく歩いていたらクリアしていた」になりにくく、地道な探索にも意味が乗る。
● 情報収集が“作業”にならない:会話が攻略に直結する気持ちよさ
古い探索ゲームでありがちな欠点に「会話を総当たりするだけ」「ヒントが曖昧すぎる」というものがあるが、本作は比較的、会話が“行動に結びつく形”で機能しやすい。島のどこが危険か、何を持っていれば突破できるのか、どこに何がありそうか――そういった断片が、プレイヤーの頭の中で地図になっていく。 この「話を聞く→試す→結果が出る」の循環が回ると、情報収集が苦にならず、むしろ楽しみに変わる。会話はストーリーを読むための飾りではなく、プレイヤーの判断を支える実用品になっている。その結果、攻略本がなくても“自分で解いている感”が成立しやすいのが良いところだ。
● 呪文と仕掛けの結びつきが強い:世界が“開いていく”快感
良かった点として非常に大きいのが、呪文やキーアイテムの役割が明確で、なおかつ“行ける場所”を増やす方向に働くことだ。強い武器を手に入れて敵を倒しやすくなるのももちろん嬉しいが、本作の真骨頂は「今までただの障害物に見えていたものが、ある呪文を得た瞬間に入口へ変わる」タイプの変化にある。 この瞬間の気持ちよさは、数値の強化よりもはるかに記憶に残る。プレイヤーの中で“島の謎”が解け、世界の見え方が変わり、探索ルートが更新される。つまり、成長がステータスではなく知識と行動範囲として返ってくる。これが「もう少しだけ進めたい」「あと一つの仕掛けを見つけたい」という推進力になる。
● 2枠装備(SHOT1/SHOT2)が作戦になる:準備の面白さがある
良かった点として、通好みだが強く評価されやすいのが、即応できる装備が2枠に限られる仕組みだ。多くの道具を持っていても、どれも自由に使えるわけではない。だからこそ、出発前に“今日の目的”を考え、手札を絞り込む必要がある。 この制約が「不便」ではなく「作戦」になるのが本作の上手いところで、探索寄りにするか、戦闘寄りにするか、危険地帯を抜けるために補助を厚くするか――プレイヤーの意思が装備構成に表れる。勝てたときの達成感は「腕だけで勝った」ではなく「準備が噛み合った」になり、失敗しても「次は構成を変えよう」と反省点が見えやすい。ゲームがプレイヤーの成長を引き出しやすい構造になっている。
● 失敗から立て直せる:コンティニュー前提の設計がストレスを減らす
当時の作品には“一度のミスが即終了”のものも多いが、本作は失敗してもコンティニューで挑戦を続けられるため、探索型ゲームの弱点である「やり直しの虚無」がある程度軽減されている。もちろんコンティニュー回数が結末に影響するため、無制限に甘いわけではない。それでも、初回プレイで島の構造を学ぶ段階において「一回の事故で全部パー」になりにくいのは大きい。 ゲームの性質上、未知の地形や初見の敵配置で事故はどうしても起きる。そこで一度倒れたら学習が止まってしまうのではなく、「倒れたけど次はどうする?」に繋がる設計になっている点が良かったところだ。
● エンディング分岐が“上達の目標”になる:遊びが続く仕掛け
複数のエンディングがあることは、単なるオマケではなく、プレイを磨く動機として効いている。初回はとにかく目的を達成できれば十分だが、慣れてくると「次はもう少し無駄を減らそう」「倒されないように立ち回ろう」「遠回りを減らして進めよう」と、自然に自己目標が生まれる。 これがいいのは、上達の方向が“戦闘の腕前”だけに限定されないことだ。情報整理、撤退判断、装備更新の順番、危険地帯の抜け方――総合力が結果に出る。だから、同じ島を遊び直しても、前回よりスムーズに進められたことがそのまま快感になる。昔のゲームでありがちな“繰り返し疲れ”より、“洗練の喜び”が勝ちやすい構造になっている。
● MSX2らしさが良い方向に働く:機械的な操作が冒険の儀式になる
キー操作やアイテム設定など、いまのゲームに比べれば手間に感じる部分もあるが、その手間が“冒険の準備”として気分を盛り上げる側に回っているのも良い点だ。SHOT枠を整え、呪文の運用を考え、資金の配分を決めて出発する。この一連の工程が、ただのメニュー操作ではなく「島へ向かう儀式」になる。 結果として、フィールドに出た瞬間の緊張が増し、拠点に戻ったときの安堵も増す。システムと感情が噛み合っているから、古さが欠点になりにくい。
● まとめ:派手さではなく“冒険の密度”で勝負しているのが良い
本作の良かったところをまとめると、派手な演出や大味な爽快感で押すのではなく、「探索の密度」「情報と仕掛けの結びつき」「装備構成の作戦性」「上達が結果に返る設計」といった、地に足のついた冒険の面白さを積み上げている点に尽きる。映画題材の作品でありながら、題材に頼り切らず、ゲームとしての手応えで評価される部分が多い。だからこそ、刺さった人の記憶に強く残り、“語りたくなるMSX2アクションRPG”として位置づけられやすいのが、この作品の強みだ。
■■■■ 悪かったところ
● 入口のハードルが高い:最初の数時間が“試験”になりがち
本作で不満として挙がりやすいのは、序盤がとにかく取っつきにくい点だ。目的は明確なのに、何をすれば良いかの道筋は自分で組み立てる必要があり、装備も貧弱で、敵の配置や地形の癖も分からない。探索型アクションRPGとしては正しい作りなのだが、初見のプレイヤーにとっては「何をしても進んでいる気がしない」「突然強い敵に潰される」になりやすい。 とくに、ゲームの面白さが“島を理解していく過程”にあるぶん、その面白さが立ち上がる前に投げ出してしまう人が出る。慣れている人ほど楽しい一方で、慣れていない人ほど辛い、という分かれ方をしやすいのが欠点として目立つ。
● 戻りの手間が重い:事故がそのまま“往復作業”になる
探索型ゲームでは拠点に戻って補給する流れが必須になりがちだが、本作はそれが強く出る。奥地で消耗すると、回復や装備更新のために戻る必要があり、戻る道中にも敵がいる。つまり「苦しい場所で負ける→戻る→準備→また行く」の往復が発生しやすい。 この往復は“旅の感覚”として魅力にもなるが、プレイヤーによっては単なる作業に見える。とくに、同じ区画を何度も歩かされる局面ではテンポが落ち、集中力が削られる。慣れると往復は減るとはいえ、初回プレイの段階では“戻りの重さ”がストレスとして強く出やすい。
● 戦闘が“気持ちよさ”より“慎重さ”寄り:爽快感を期待するとズレる
キングコング題材のゲームに「派手さ」「豪快さ」を求めると、本作の戦闘は地味に感じやすい。戦闘は反射神経で押し切るというより、地形と距離を読み、被弾を減らし、危ないなら逃げる、という慎重な立ち回りが中心になる。 もちろん、これは探索型アクションRPGとしては筋が通っているのだが、「敵を倒して気持ちいい」より「倒さないと危ないから倒す」「安全に抜けるために戦う」といった感覚になりがちで、爽快さを重視する人ほど物足りなくなる。好き嫌いがはっきり出る部分だ。
● 2枠装備が人を選ぶ:作戦性の裏側に“不便さ”がある
SHOT1/SHOT2の2枠制は魅力でもあるが、同時に不満点にもなりやすい。道具が増えるほど「これも使いたい、あれも使いたい」となるのに、即応できるのは2つだけ。切り替え操作そのものも、戦闘中の緊張と相性が悪い場面がある。 例えば、探索用の道具を入れていると戦闘が不安定になり、戦闘用に寄せると今度は仕掛けや地形対応が遅れる。これを“作戦”として楽しめる人には面白いが、快適さを重視する人にはストレスになる。特に初見では最適解が分からず、枠のせいで事故が増える→余計にテンポが悪化する、という悪循環に入りやすい。
● ヒントの受け取り方で詰まる:情報が“点”のまま残ることがある
会話ヒントが攻略に直結するのは長所だが、裏を返すと、会話を聞き逃したり、断片情報を繋げられなかったりすると詰まりやすい。島のどこに行けば良いのか、何が足りないのかが分からない状態になると、「とりあえず歩き回る」しかなくなり、無駄にDAYSが進んでしまう。 また、当時のゲームらしく“親切なマーカー”はないので、怪しい場所を覚えておく、メモする、再訪する、といったプレイヤー側の工夫が必要になる。この“メモ前提”が合わない人には、探索が面白さではなく負担になってしまう。
● 長丁場になりやすい:プレイ環境によっては腰が折れやすい
本作は探索・成長・往復が中心で、クリアまでの道のりが長くなりやすい。しかも、当時の環境事情も相まって、継続プレイのしやすさが現在ほど整っているわけではない。まとまった時間が取れないと進捗を作りにくく、「少し遊んで止める」がしにくいタイプの作りになりがちだ。 この点は、腰を据えて遊ぶ人には“濃密な冒険”としてプラスに転ぶが、短時間プレイ派には明確なマイナスになる。ゲームの出来の問題というより、生活リズムとの相性の問題として不満が出やすい。
● エンディング分岐の評価が割れる:やり直しが“罰”に見える場合も
結末が複数あるのは魅力だが、「条件を満たせなかったときの落差」が不満に繋がることもある。頑張ってクリアしたのに、コンティニュー回数や日数の影響で“良い結末”に届かないと、「自分の旅が否定された」と感じる人もいる。 もちろん、これは上達の目標にもなる仕組みだが、裏を返せば「もう一度やり直してね」という設計でもある。リプレイを前向きに楽しめる人には最高だが、1回で満足したい人には、分岐が“ご褒美”ではなく“選別”に見えてしまうことがある。
● まとめ:通好みの強さと引き換えに、快適さ・親切さが犠牲になっている
本作の悪かったところをまとめると、探索型アクションRPGとしての“硬派さ”が、そのまま不親切さや重さに繋がっている点に集約される。序盤のとっつきにくさ、往復の手間、2枠制の不便さ、ヒントの点在、長丁場――これらは「好きな人は好き」になる一方で、合わない人には明確に刺さる欠点だ。 ただし、欠点の多くは“慣れれば軽くなる”性質も持っている。だからこそ、この作品は評価が割れ、同時に、刺さった人には強烈な記憶として残る。快適さより冒険の密度を選んだ結果の尖りが、良くも悪くも本作の個性になっている。
[game-6]
■ 好きなキャラクター
● 主人公:ハンク・ミッチェル(プレイヤー自身になりやすい“現場型ヒーロー”)
本作で「好きなキャラクター」を挙げるなら、まず外せないのが主人公ハンク・ミッチェルだ。巨大生物を救うという途方もない計画のために、南海の孤島へ単身で向かう――その時点で十分に無茶なのに、島に降り立った瞬間から彼の仕事は“勇者”ではなく“現場担当”になる。派手な超能力があるわけでも、最初から強い武器を持っているわけでもない。聞き込みをし、必要な道具を揃え、危険を避け、時に逃げ、少しずつ前へ進む。その一つ一つがプレイヤーの行動そのものと重なるから、物語の主人公というより「自分の分身」として記憶に残りやすい。 好きになる理由としてよく挙がるのは、“等身大”であることだ。怪獣映画の題材を扱いながら、主人公は怪獣のように豪快ではない。だからこそ、島の圧倒的な危険の中で踏ん張る姿が光る。小さな勝利を積み重ねて、結果として大きな目的に近づいていく――その成長の線が、プレイヤーの体験と自然に重なる点が人気の核になりやすい。
● キングコング(“行動しない主役”だからこそ、重みが増す存在)
次に挙げられやすいのがキングコングだ。プレイヤーが操作するわけでも、頻繁に登場して暴れるわけでもないのに、物語全体の重心として居座り続ける“静かな主役”になっている。眠り続ける巨体、蘇生のための手術、必要な輸血――こうした設定が、島の探索に「期限があるような緊迫感」を与える。 キングコングを好きと言う人の多くは、派手な登場よりも「救うべき存在」としての描かれ方に惹かれている。巨大で強い怪獣が、今作では“守られる側”に回っている。その反転がストーリーの推進力になり、プレイヤーの行動に意味を乗せる。だから、画面に出てこない時間が長くても、逆に「コングのために進んでいる」感覚が強まるのが面白い。
● レディ・コング(物語の鍵であり、探索の到達点としての“象徴”)
本作の中心人物(中心存在)として、レディ・コングを好きなキャラクターに挙げる人も多い。理由は分かりやすく、彼女が“目的そのもの”だからだ。島の伝承に語られる第二のコング――その存在は、序盤は噂話でしかない。けれどゲームが進むにつれ、情報が断片から輪郭へ変わり、やがて「会うための条件」を組み立てる段階に入る。 レディ・コングは単なるNPCではなく、探索型ゲームにおける“到達点の象徴”になっている。プレイヤーの頭の中に島の地図が出来上がり、危険地帯の抜け方が洗練され、装備構成が固まった頃にようやく辿り着ける存在だからこそ、「見つけた瞬間」に特別な感情が生まれる。好きというより、冒険の終着点として忘れられない、というタイプの支持が多い。
● 祈祷師(島のルールを渡してくれる“導き手”)
好きなキャラクターとして地味に人気があるのが、島のどこかで出会う祈祷師のような人物だ。彼は単にストーリーを語るだけの存在ではなく、島の仕掛けを動かす呪文を授けることで、プレイヤーの行動範囲そのものを変えてくれる。 この手のキャラは、ただの“ヒント役”に留まることも多いが、本作では「呪文=世界の解除キー」になっているため、祈祷師は攻略上の転換点を作る存在になる。彼に会うことで、今までただの壁だった場所が入口に変わる可能性が生まれ、島が一気に立体的になる。だから好きな理由も、「キャラが立っている」以上に「会った瞬間、冒険が動く」ことに根ざしている。
● 島の住人たち(名前より“生活感”が記憶に残るタイプのキャスト)
本作は大作RPGのように大量の固有名を並べる作りではないが、村や建物で出会う島の住人たちは、“島がただの迷路ではない”ことを示す存在として好かれやすい。情報をくれたり、装備の手がかりを出したり、ときに不穏な話をしたりすることで、島の危険が具体化する。 好きという感情は、個々の人物のドラマというより、「この村に帰ってくると安心する」「この辺の人の話で進路が見えた」といった体験と結びつく。つまり住人たちは、攻略の都合で置かれたNPCではなく、プレイヤーの感情の支点(不安と安心の切り替え)として機能しているから印象に残る。
● 敵キャラクター(“怪獣”ではなく“島の危険”としての存在感)
キングコング題材というと巨大怪獣同士の対決を想像しがちだが、本作の敵は「島の危険の具現化」としてプレイヤーを苦しめる役割が強い。だから、好きなキャラクターに敵を挙げる人は「怖かったからこそ印象に残った」というタイプが多い。 狭い通路で追い込んでくる敵、奥地で圧をかけてくる強敵、特定のエリアに居座って進路を塞ぐ存在――こうした敵は“戦闘の相手”というより“地形と一体化した障害”として記憶に刻まれる。その結果、「あの区画の敵がトラウマ」「でも突破できたとき最高だった」という、苦味込みの愛着が生まれやすい。
● まとめ:固有名より“役割の強さ”がキャラクターの魅力になっている
本作のキャラクターは、台詞量や派手な演出で魅せるタイプではなく、ゲーム体験の中で役割が強く刻まれるタイプだ。主人公はプレイヤーの分身として、キングコングは救うべき存在として、レディ・コングは到達点として、祈祷師は世界を開く鍵として、住人は安心の拠点として、敵は島の危険として――それぞれが明確なポジションを持つ。 だから「このキャラが好き」と言うとき、それは“物語の推し”というより、“冒険の記憶の支点”を挙げている感覚に近い。そこが、MSX2時代の探索型アクションRPGらしいキャラクターの魅力であり、本作が長く語られる理由の一つになっている。
[game-7]
●対応パソコンによる違いなど
● まず前提:同じ題材でも“同一内容の移植”ではない
『キングコング2 甦る伝説』(MSX2)は、ときどき「ファミコン版の移植」や「アレンジ版」のように扱われがちだが、実態はかなり違う。同じ映画題材を共有しつつ、MSX2側は主人公(人間側のハンク/ミッチェル表記の主人公)を動かして島を探索するアクションRPGとして組み立てられていて、ファミコン側はキングコングを操作するアクション寄りのゲームとして別の設計思想で作られている。つまり“同じ原作から、別のゲームを2本作った”という関係に近い。発売時期も記録によって揺れがあり、MSX2版は1986年末(12月下旬)として扱われることも、1987年発売として整理されることもある一方、ファミコン版は1986年12月の発売日が明記されやすい。
● MSX2版の“機種らしさ”:探索・管理・段階解放が主役になる
MSX2版の核は、画面切り替えで広がる島を歩き回り、敵とリアルタイムで戦いながら経験値や資金を得て、会話で情報を集め、道具と呪文で“行ける場所”を増やしていく流れにある。ここで効いてくるのが、MSXらしい「ステータス管理の手触り」と「道具の運用」だ。画面の一部に数値(LIFE、EXP、LEVEL、MP、GOLD、DAYSなど)がまとまって表示され、今の自分に何が足りないか、無理をするとどこが崩れるかが把握しやすい。さらに、装備(使用)枠を2つに絞って、状況に合わせて切り替える仕組みがあるため、単純な反射神経よりも“準備と判断”が強く問われる。こうした構造は、マップを把握しながら進む探索型アクションRPGと相性が良く、MSX2版の個性として印象に残りやすい。
● ファミコン版の“機種らしさ”:主人公がコングで、遊びはより直感的なアクションへ
対照的に、ファミコン版『キングコング2 怒りのメガトンパンチ』は、コングを動かすアクションゲームとして語られることが多く、題材の“怪獣っぽさ”を前面に出した作りになりやすい。MSX2版が「島の奥へ進むために情報・道具・呪文を揃える」方向へ深く掘るのに対し、ファミコン版は“触って分かる豪快さ”を優先しやすい。だから、同じ「キングコング2」でも、プレイ後の印象がまるで変わる。映画を入り口に手に取る人ほど、ファミコン版は期待と噛み合いやすく、MSX2版は“思っていたのと違うけれどハマると深い”という評価になりやすい。
● ストーリーの切り取り方も別物:同じ事件を“別角度から”眺める関係
両者の違いはジャンルだけではなく、物語の切り取り方にも出る。MSX2版は「キングコング蘇生のために、島でレディ・コングを探す」という“前提条件づくり”を冒険として描きやすい。一方でファミコン版は、コングが動く・戦う・暴れる、といった分かりやすい局面を遊びの中心に置きやすい。結果として、二つを並べると、MSX2版は“準備と探索の物語”、ファミコン版は“怪獣アクションの物語”として、同じ題材を別の味に変えているように見える。ファミコン側の解説では「翌年にMSX2で別ゲームとして出た」と整理されることもあり、同一シリーズでも同一路線でもない、やや特殊な双子作品として扱われがちだ。
● “移植の違い”ではなく“設計の違い”:ハード特性に合わせた2本立て
この2本立ての面白さは、単に容量や性能の差で劣化・優化が起きたのではなく、最初から別の遊びを狙っている点にある。ファミコンはコントローラで直感的に動かすアクションの土俵が強く、MSX2はキーボード・ファンクション操作や情報整理の快感が乗りやすい。そこで、同じ題材を“アクション寄り”と“アドベンチャー(探索)寄り”に分けて作ると、両機種のユーザー層やプレイ感に噛み合いやすい。海外のゲーム解説でも、MSX2版はアクションRPGの典型的な手触りとして整理され、ファミコン版はよりアクションに寄った別物として比較されることがある。
● 海外・別地域での扱い:非公式な別言語版が語られることがある
“対応機種の違い”とは少し外れるが、同タイトルが日本国外でどう扱われたかという意味では、MSX2版が韓国企業によって別言語で非公式に再リリースされた(英語圏の資料ではZeminaによる1987年の扱いとして触れられる)という話も出てくる。これは「コナミが別機種へ公式移植した」というより、当時の地域事情の中で“別名・別パッケージ”として流通したケースとして語られるもので、同じMSX系の枠内でもタイトルの履歴が一筋縄ではないことを示している。
● 結局どれを遊ぶべきか:同題材でも満足の方向が違う
まとめると、MSX2版『甦る伝説』は「島を理解していく探索」「道具と呪文で世界を開けていく段階解放」「管理と準備で生存率を上げる」方向に快感があり、ファミコン版『怒りのメガトンパンチ』は「コングを動かす分かりやすさ」「アクションの勢い」「題材の豪快さ」に気持ちよさが集まりやすい。どちらが上かではなく、同じ題材を使って“違う遊び”を提示しているのがポイントだ。映画好き・怪獣好きのテンションで選ぶならファミコン版が合いやすく、探索型アクションRPGとして腰を据えて遊びたいならMSX2版が刺さりやすい――この住み分けこそが、対応機種の違いとしていちばん大きな差と言える。
[game-10]
●同時期に発売されたゲームなど
★アルゴ
:・販売会社:呉ソフトウェア工房:・販売された年:1986年:・販売価格:7,500円:・具体的なゲーム内容: ギリシャ神話の「アルゴ探検隊」を下敷きにしたRPGで、主人公は祖国を追われた王子として旅に出る。街やダンジョンを巡って仲間や装備を整えつつ、神話由来の怪物や試練に挑んでいく構成が特徴で、当時としては“見せる”方向に力を入れた立体的な表現が話題になりやすかった。迷宮をただ歩くだけでなく、探索中の緊張と、戦闘での見映えの切り替えが「冒険している実感」に直結するタイプで、硬派な題材をPCらしい作り込みで味わいたい層に刺さりやすい一本。
★信長の野望・全国版
:・販売会社:光栄:・販売された年:1986年:・販売価格:9,800円:・具体的なゲーム内容: 戦国大名の一勢力として国力を育て、外交と戦で版図を広げ、最終的に全国統一を目指す歴史シミュレーション。内政で米や金を回し、武将の登用・配置で戦力を整え、他国の動きを読みながら同盟や裏切りも含めた政治判断を積み重ねていく。シリーズの中でも「全国に手を伸ばせる」スケール感が魅力になりやすく、遊ぶほどに自分なりの戦略が固まっていく“長時間型”の代表格として語られやすい。
★夢幻戦士ヴァリス
:・販売会社:日本テレネット:・販売された年:1986年:・販売価格:7,800円:・具体的なゲーム内容: ごく普通の少女が異世界の戦士として選ばれ、剣を手にして戦いながら世界の危機へ踏み込んでいくアクション。単に敵を倒して進むだけでなく、場面ごとの圧や意地悪な配置を“気合と慣れ”で突破する作りが強く、当時のPCアクションらしい難しさを持つ。その一方で、物語の引きやビジュアル面の押し出しが強く、プレイそのものが「次の展開を見たい」「次の区画に辿り着きたい」という推進力に繋がりやすい、キャラクター性で記憶に残るタイプの作品。
★アルカノイド
:・販売会社:ニデコム/タイトー:・販売された年:1986年:・販売価格:6,800円:・具体的なゲーム内容: ブロック崩しの枠を超えた“アイテムで戦況が変わる”タイプのアーケード発ヒット作のPC版。反射で球を返す基本はそのままに、落下アイテムで分裂・貫通・レーザー化などが起き、守りのゲームが一気に攻めのゲームへ変わる瞬間が気持ちいい。短時間でも熱中でき、1プレイごとの手触りが軽い一方、後半はパターン把握と集中力が要求されるため、腕が上がるほど「もう一回」が止まらなくなるタイプの定番。
★パットン第3軍
:・販売会社:ポニカ:・販売された年:1986年:・販売価格:6,800円:・具体的なゲーム内容: 第二次大戦末期の戦線を題材に、部隊運用と作戦立案で勝利条件を満たしていくウォーシミュレーション。派手な演出よりも、戦力の配分・前進ルート・敵部隊の読み合いといった“判断の積み重ね”が主役になる。手順を間違えると小さなミスが雪だるま式に不利へ転ぶため、慎重さと大胆さの切り替えが攻略の鍵。戦史やウォーゲーム好きが「夜にじっくり遊ぶ」系の一本として選びやすい。
★アートオブウォー
:・販売会社:ブローダーバンドジャパン:・販売された年:1986年:・販売価格:8,800円:・具体的なゲーム内容: 古代〜歴史上の戦いをモチーフに、部隊の指揮で戦場を制するシミュレーション。リアルタイムで動く戦況に対して、位置取りや攻守の切り替え、相手の癖を読んだ対応が求められ、「盤面が生き物のように変化する」感覚が魅力になりやすい。シナリオ数の多さも相まって、同じルールでも展開が変わり、試行錯誤の楽しさで長く遊べるタイプ。
★めぞん一刻
:・販売会社:マイクロキャビン:・販売された年:1986年:・販売価格:6,800円:・具体的なゲーム内容: 人気漫画の空気感を活かしつつ、主人公視点でアパートの住人たちに振り回されながら目的達成を目指すアドベンチャー。選択肢を試して進める“読み物”寄りでありながら、キャラクターの機嫌や状況によって会話が思い通りに進まない場面もあり、原作の「一筋縄ではいかない人間関係」をゲームとして味わう形になる。原作ファンほどニヤリとしやすい一方、雑談や寄り道が多い作風が合うかどうかで評価が割れやすい。
★ハングオン
:・販売会社:パックスエレクトロニカ:・販売された年:1986年:・販売価格:6,800円:・具体的なゲーム内容: バイクレースを題材に、制限時間内に区間を走り切りながら先へ進むタイムアタック型のレースアクション。コース取りと減速の判断、立て直しの速さがすべてで、短い判断の連続がプレッシャーになる。アーケードの記憶と比べると印象が違う、という声も出やすいジャンルだが、「PCであの有名作に触れられる」こと自体が当時の話題性になりやすかったタイプの一本。
★バックトゥザフューチャー
:・販売会社:ポニー:・販売された年:1986年:・販売価格:6,800円:・具体的なゲーム内容: 映画の要素を取り込み、コマンド選択で状況を動かしていくアドベンチャー。進行や選択の積み重ねで結末が分かれる構成が特徴で、「正解を当てる」だけでなく「どう転んでも物語になる」方向へ寄せた作りになりやすい。映像作品由来の題材らしく、場面の想起(あの雰囲気を思い出す)が遊びの一部になり、映画好きが“当時のPCで追体験する”タイプの楽しみ方をしやすい。
[game-8]






























